ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

EU

独外相「EUは拒否権撤廃すべき」

 ロイター通信がベルリン7日発でハイコ・マース独外相の非常に重要な発言を流していた。曰く「欧州連合(EU)加盟国は外交問題では拒否権を破棄すべきだ」というのだ。EUは現在27カ国から構成されている。各加盟国は外交問題ではそれぞれ拒否権を有してるから、27カ国の1国でも拒否権を行使すれば、その動議、声明、決議などは却下されることになる。

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▲独外務省大使会合で挨拶するマース外相(中央)=2021年6月7日、独連邦外務省公式サイトから

 ここまで説明すれば、193カ国の加盟国(今年4月現在)を有する国連の現状を思い出すだろう。意思決定機関の安全保障理事会は、米、英、仏、露、中の常任理事国が拒否権を有している。だから、パレスチナ紛争でイスラエル批判の決議案を提出されたとしても米国が拒否権を使うケースが多いから、その決議案は否決される。逆に、パレスチナのハマス(イスラム過激派テロ組織)非難決議案が出たとしても、今度はロシアと中国が反対に回り、拒否権を行使するから、その決議案は破棄される、といった具合だ。

 マース外相はEUの意思決定が国連と同様、スムーズに運営されなくなっている現状を懸念しているわけだ。同外相は、「拒否権を有する加盟国の人質となって、欧州の共通の外交政策がマヒしている」と述べ、少なくとも外交問題では加盟国は拒否権をなくすべきだと主張しているのだ。

 独社会民主党出身のマース外相は名指しこそしなかったが、欧州の共通外交にストップをかけている常習犯ハンガリーへの批判だろう。ハンガリーのオルバン政権は4日、EUが中国共産党政権の香港の民主化弾圧に抗議する非難声明を提出したが、ハンガリーが妨害して実現できなかった。同国は4月にも、中国当局の「香港国家安全維持法(国安法)」に対するEUの非難声明に反対票を出している。

 要するに、ハンガリーが拒否権を行使する限り、EUは対中国非難声明すら発表できないのだ。マース外相の懸念は当然だ。ただし、加盟国の合意があれば、特定の問題では条件付き多数決が認められている(人口比で投票が割り当てられている)。

 ハンガリーのオルバン中道右派政権は習近平中国国家主席が提唱した新マルコポール「一帯一路」プロジェクトにいち早く参加し、セルビアまでの高速道路建設から、中国の名門大学復旦大学姉妹校のブタペスト開校まで中国からの融資を受けて推進するなど、親中路線を邁進中だ。バルカンではセルビアも同じように親中、親露政策を推進しているが、セルビアはEU加盟国ではない。だが、ハンガリーはれっきとした加盟国だ。

 もちろん、欧州ではハンガリーだけではない。EUが国連で中国の人権蹂躙問題で非難声明を出そうとした時、ギリシャが拒否し、妨害したことがあった。ギリシャ政府は2016年4月、同国最大の湾岸都市ピレウスのコンテナ権益を中国の国営海運会社コスコ(中国遠洋運輸公司)に売却するなど、中国との経済関係を深めている。参考までに、ギリシャはEU拡大問題で当時マケドニア共和国(現北マケドニア)に対し、その国名変更を要求し、それを受け入れない限り、マケドニアのEU加盟に拒否権を行使すると脅迫している。

 EUは創設当初、経済的共同体だったが、冷戦を経て、外交、安保問題でも共同の外交政策を標榜してきた。そしてリスボン条約(2009年発効)で共通外交・安全保障政策上級代表職が設置された。 しかし、中国やロシアの人権弾圧問題や強権政治への非難決議など国際問題となると、共通の外交政策を推進できなくなるわけだ。EUが米国、ロシア・中国に対して“第3の軸”として世界の外交分野で影響力を行使するためには加盟国間の結束が必要だが、実際はそうではなくなっている。中国共産党政権の立場からいえば、EUの結束を崩し、親中国派を増やすという統一戦線工作は成功していることになる。

 ハンガリーの首都ブタペストで5日、数千人の市民がオルバン政権の中国の復旦大学姉妹校建設に反対するデモ集会を開催した。彼らは「わが国を中国化する中国の大学開校に反対する」とオルバン政権の親中政策に強く抗議したばかりだ(「ハンガリーで中国の復旦大学姉妹校」2021年4月30日参考、「ブタペストに『自由な香港通り』出現」2021年6月5日参考)。

 オルバン首相は、「ブリュッセル(EU)は宣言や決議案など誇示するのをやめるべきだ。EUの共通外交政策は多くは国内への政治配慮に基づくもので、物笑いの種になっている」(ロイター通信)と強調し、ハンガリー独自の外交路線を弁明している。

 EUは共通の価値観として「人間の尊厳、自由、民主主義、平等、法の支配など」を明記している。その観点からいえば、ハンガリーの「報道の自由」やポーランドの司法体制は明らかに逸脱している。そのためにブリュッセルは過去、何度も警告を発してきたが、ブリュッセルとハンガリー、ポーランドとの対立は縮小するどころか、拡大傾向が見られる。

 EUから離脱した英国は今日、米日印豪らと反中包囲網を形成し、中国の覇権主義に対抗する姿勢を強めてきた。一方、英国が抜けたEUは中国からの激しい攻勢を受け、守勢に立っている。マース外相の「加盟国の拒否権撤廃」発言はEUの外交のパワーアップに欠かないという判断から出たものだろう。同外相のアピールを砂漠での孤独な叫びに終わらせてはならない。

チロル州がワクチン接種実験所に

 オーストリアの クルツ首相は4日、デンマークのフレデリクセン首相と共に、イスラエルを訪問、ネタニヤフ首相との3国首脳間でワクチン製造に関する連携を協議し、新型コロナウイルス(Covid-19)に対する研究開発に関する共同基金の設立で合意した。具体的には、ワクチンの共同開発、製造だ。同基金が具体的にいつスタートするかはまだ不明だ。基金総額は推定5000万ユーロという。

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▲ワクチン製造開発の連携で合意した3国首脳、クルツ首相(中央)、ネタニヤフ首相(右)、フレデリクセン首相(左)(オーストリア連邦首相府公式サイトから、2021年3月4日)

 ネタニヤフ首相によると、オーストリアとデンマークのほか、他の国からも同じようなプロジェクトの話が来ているという。欧州連合(EU)のワクチン供給政策の遅滞もあって、クルツ首相のように、独自のワクチン供給源探しに乗り出す国が出てきている。

 クルツ首相は、「わが国はワクチン供給問題ではEUと連携を取る一方、世界各地でワクチン確保に乗り出さなければならない」と指摘、同首相によると、人口900万人の同国では来年には3000万本のワクチンが必要となるという。

 イスラエルのワクチン接種キャンペーンは世界的にみても最も成功している。その主因はワクチン供給が十分だという点だ。ネタニヤフ首相によると、イスラエルは米製薬大手ファイザーとの間で、同社と独バイオ医薬品企業ビオンテックが共同開発したワクチン(BNT162b2)を受ける代わりに、ワクチン接種データーを提供することで合意が成り立っているという。

 ところで、EUとオーストリアのチロル州との間で興味深いプロジェクトが進められている。チロル州のシュヴァツ地区(Schwaz)は欧州でも南アフリカ発のウイルス変異種の感染が人口比で最も多いことから、ワクチン接種実験室として注目されている。人口8万人のシュヴァツ地区にファイザー・ビオンテック製のワクチン10万本がEUから提供され、18歳以上の住民にワクチン接種が行われることになった。

 ワクチン接種は強制ではなく、あくまでも住民の自由意思に基づく。このワクチン接種期間、同地区から出ていく住民はウイルス感染テストの陰性証明書を提示しなければならない。同地区では今月11日のワクチン接種開始から一定期間、完全に閉鎖されるという。

 欧州で特定の地域が指定され、そこで住民一斉にワクチンが接種されることは今回が初めてだ。シュヴァツ地区で感染が広がっている変異種(B.I.351)に対し、ワクチン接種がどのような効果をもたらすか、変異種の反応などをワクチン専門家やウイルス学者が集まって研究する欧州最大規模のプロジェクトだ。クルツ首相、アンショーバー保健相、チロル州のプラター州知事らが3日、合同記者会見でシュヴァツ・プロジェクトの概要を初めて明らかにした。

 クルツ首相は、「これはシュヴァツ住民にとって大きなチャンスだ。南アフリカ発ウイルス変異種を完全に一掃できる」とプロジェクトの成功に期待している。

 同州の「緑の党」のIngrid Felipe氏は、「全ての住民は今回のワクチン接種の申し出を受け入れてほしい」とアピール。アンショーバー保健相も、「貴重なチャンスを利用してほしい」と強調している。同プロジェクトに参加するウイルス研究者は、「ワクチンがウイルスの感染時にどのような役割を果たすかが分かるだろう」と期待している。

 もちろん、同プロジェクトに対しては賛成だけでなく、反対の声もある。州議会の野党自由党やネオスでは、「シュヴァツ地区が欧州のワクチン接種実験室となる。世界大手医薬品メーカーはアフリカやインドでその新薬の効用を実験してきたが、今回はシュヴァツで同じ実験を行うわけだ」といった声が聞かれる。

 同時に、早期のワクチン接種を願っている国民からはシュヴァツ住民を羨む声も聞かれる。ケルンテン州のヘルマゴール地区は「英国発のウイルス変異種(B.1.1.7)に対するワクチンの効用を研究するプロジェクトに協力する用意がある」とエールを送っている。

 オーストリアやドイツでは、EUのワクチン供給が遅滞し、国民に十分なワクチンを接種できない、といった苛立ちの声が聞かれる。EUから離脱した英国は4日現在、2100万人以上の接種(人口比で32・4%)を終了している。ドイツのワクチン接種率は8%を超えたばかりで、オーストリアはもっと低い、といった有様だ。

 ワクチン接種率が低いのは国民に提供できるワクチン供給量が十分でないからだ。そこでオーストリアのように、EUブリュッセルのワクチン供給に依存せずに、独自にワクチン供給源を模索する加盟国が出てきたのだ。ちなみに、欧州の大手製造メーカーの中にはワクチン製薬メーカーから独自に従業員用分のワクチンを購入し、コロナ禍で工場が閉鎖される事態を避けようとする動きが見られる。

中国から欧州への「贈物」

 中国の温家宝首相の欧州3国訪問が始まった。24日にハンガリー入りし、25日中に英国に飛び、27日には最後の訪問先ドイツに行く。予想されたことだが、同首相は行く先々で、豊富な外貨準備高(約3兆ドル)を背景に、財政危機に悩む欧州諸国に向け、その経済力を誇示している。
 同首相は25日、欧州連合(EU)議長国ハンガリーの首都ブタペストで開催された中東欧諸国・中国経済フォーラムに参加し、「中国は財政危機下の欧州の国債を購入して、欧州経済を今後とも積極的に支えていく」とエールを送ったばかりだ。
 中国の支援表明に答え、ホスト国ハンガリーの右派政治家、オルバン首相は「中国は短期間で世界経済のリーダーになった」と称賛し、中国企業からの投資に大きな期待を寄せたほどだ。
 ところで、中国要人が欧州を訪問した時、いつも話題となる中国の「人権問題」については、温首相との会談では大きな話題とならなかったようだ。はるばる北京から訪問したゲストに不愉快な思いをさせない、といったホスト国側の気遣いもあったろうが、中国側が温首相の欧州訪問の2日前(22日)、同国の反体制派芸術家・艾未未(アイ・ウェイウェイ)氏(54)を保釈したことが功を奏したのかもしれない。中国の外交は抜け目がない。
 ハンガリーと中国間の経済協議では、中国の開発銀行がハンガリーに10億ユーロの貸付を提供する一方、中国側はハンガリーを西欧諸国への経済進出拠点と位置づけ、ハンガリーと中国両国の貿易総額を2015年までに200億ドル規模に拡大する予定という。ハンガリーのタマス・フェレギ開発相は「中国企業の投資でハンガリーで数千人の雇用が生まれる」と語っている。
 人口1000万人の小国ハンガリーにとって、中国から提供される財政支援は大きい。ハンガリー経済界が中国を経済再生の「ブースター」(Booster)と受け取ったとしても当然かもしれない。オルバン首相などは「中国からの歴史的支援だ」と大喜びだ。ちなみに、オーストリア放送は「中国のお陰でハンガリーはもはや心配がなくなった」というタイトルの記事をそのHPに掲載している。
 財政危機下にある欧州諸国にとって、中国の経済支援は喉から手がでるほど欲しい。中国はそのことを熟知している。一方、中国は欧州諸国との関係を深めることで、米国を牽制できる。その上、欧州の対中国武器禁輸を解除させたい、という狙いもあるはずだ。また、EUの対ギリシャ支援と同様、中国の対欧州財政支援も無条件ではなく、当然、“ヒモ付き融資”であることを忘れてはならないだろう。
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