6月が終われば、いよいよ7月だ。欧州では夏期休暇シーズンの幕開きだ。大学を含め、学校は2カ月余りの夏期休暇に入る。社会人もこの期間、平均、2、3週間の休暇をとるのが通常だ。
ところで、夏期休暇のために既に旅行カバンを引き出してきたウィーン駐在外交官がいる。北朝鮮の金光燮大使(金正日労働党総書記の義弟、金敬淑夫人は故金日成主席と金聖愛夫人との間の長女)だ。
オーストリア大統領府に1993年3月信任状を提出して以来、駐在期間は18年間が過ぎた。もちろん、オーストリア駐在大使としては最長記録保有者だ。
しかし、金大使は毎年、6月末から9月末まで3カ月間余りの夏期休暇を取る。夏期休暇の長さでも多分、駐オーストリアの大使の中でも一番だろうが、同大使は毎年、9カ月余りにしかウィーンで職務に従事していないことになる。厳密に計算すれば、大使の実質的駐在期間は13年余りだ。
いずれにしても、18年間の間、解任の噂や欧州連合(EU)担当大使への人事など、さまざまな情報が流れたが、金大使は結局、ウィーンから動かず、今日に到っている。
大使自身の「僕はウィーンが好きだ」説から、「空席のポストはなく、結局、ウィーンから動けなかった」説まで、金大使の長期駐在理由について、いろいろな憶測がこれまであった。
北朝鮮では金総書記の三男・金正恩氏の後継が決定したが、2012年の「強盛大国」実現は程遠く、平壌では10万戸の住居建設計画も破綻、国民は故金日成主席が目標として掲げてきた「白いご飯に肉のスープを食べ、瓦の家で絹の服を着て暮らす」生活どころか、飢餓寸前の状況下にある。
そのような母国に休暇で帰る金大使の心情はどうだろうか。金ファミリーの一員として、金総書記・金正恩氏を支えなければならないが、何ができるだろうか。
欧州には金ファミリーの一員、金平一氏(故金主席と金聖愛夫人の間に息子)が駐ポーランド大使としている。金平一大使は1998年以来、ワルシャワに駐在している。昨年はウィーンの金大使と一緒に帰国したが、「今年は帰国できるか不明」という。
駐ウィーン外交官としては最初に休暇に入るが、金大使の休暇は家族との再会以外、気の重い日々なのかもしれない。
ところで、夏期休暇のために既に旅行カバンを引き出してきたウィーン駐在外交官がいる。北朝鮮の金光燮大使(金正日労働党総書記の義弟、金敬淑夫人は故金日成主席と金聖愛夫人との間の長女)だ。
オーストリア大統領府に1993年3月信任状を提出して以来、駐在期間は18年間が過ぎた。もちろん、オーストリア駐在大使としては最長記録保有者だ。
しかし、金大使は毎年、6月末から9月末まで3カ月間余りの夏期休暇を取る。夏期休暇の長さでも多分、駐オーストリアの大使の中でも一番だろうが、同大使は毎年、9カ月余りにしかウィーンで職務に従事していないことになる。厳密に計算すれば、大使の実質的駐在期間は13年余りだ。
いずれにしても、18年間の間、解任の噂や欧州連合(EU)担当大使への人事など、さまざまな情報が流れたが、金大使は結局、ウィーンから動かず、今日に到っている。
大使自身の「僕はウィーンが好きだ」説から、「空席のポストはなく、結局、ウィーンから動けなかった」説まで、金大使の長期駐在理由について、いろいろな憶測がこれまであった。
北朝鮮では金総書記の三男・金正恩氏の後継が決定したが、2012年の「強盛大国」実現は程遠く、平壌では10万戸の住居建設計画も破綻、国民は故金日成主席が目標として掲げてきた「白いご飯に肉のスープを食べ、瓦の家で絹の服を着て暮らす」生活どころか、飢餓寸前の状況下にある。
そのような母国に休暇で帰る金大使の心情はどうだろうか。金ファミリーの一員として、金総書記・金正恩氏を支えなければならないが、何ができるだろうか。
欧州には金ファミリーの一員、金平一氏(故金主席と金聖愛夫人の間に息子)が駐ポーランド大使としている。金平一大使は1998年以来、ワルシャワに駐在している。昨年はウィーンの金大使と一緒に帰国したが、「今年は帰国できるか不明」という。
駐ウィーン外交官としては最初に休暇に入るが、金大使の休暇は家族との再会以外、気の重い日々なのかもしれない。