27日はホロコースト犠牲者を想起する国際デー (International Holocaust Remembrance Day) だ。ウィーンの国連では今回、ホロコーストで犠牲となった子供たちに焦点を合わせて、写真展示会が開かれている。
 当方は27日を迎える度に思い出す人がいる。クルト・ワルトハイム氏だ。オーストリア大統領(1986年〜92年)を1期、国連事務総長(72年1月〜81年12月)を2期10年間務め、政治家、外交官として活躍、2007年6月、88歳の生涯を終えた。
 同氏は大統領時代、ナチス戦争犯罪容疑問題で国際社会、世界ユダヤ協会から激しい批判に晒された。同氏は大統領時代、バチカン法王庁以外の国から招待状を受けたことがなく、「さびしい大統領」と揶揄された。
 同氏への批判のポイントは、同氏が通訳将校として派遣された旧ユーゴスラビア戦線で、ナチス軍の虐殺行為に関与したかどうかだったが、国際戦争歴史学者たちが調査した結果、「ワルトハイム氏が戦争犯罪に関与したことを実証する情報はなかった」と明らかにしている。ワルトハイム氏自身が後日出版した著書「返答」の中で、ナチス戦争犯罪の関与を否定する一方、「メディアの不当な糾弾」に強く反論した。
 それでは何故、国際社会はワルトハイム氏の過去問題をあれほど執拗に批判し続けたか。その答えは、戦争終了後に公表された「モスクワ宣言」(1950年)にあるといわれる。そこで「オーストリアはナチス戦争犯罪の加害者ではなく、犠牲者であった」と記述されたのだ。オーストリア国民は戦後、その記述を盾にナチス戦争犯罪の関与という批判をかわしてきた。
 それに対し、数百万人の同胞を失ったユダヤ人民族は「オーストリアは明らかに加害者だった」と主張し、戦争責任を回避するオーストリアに強い憤りを感じてきた。そのため、ワルトハイム氏の過去問題が浮上した時、ユダヤ人が牛耳る世界のメディア機関が一斉に反ワルトハイム・キャンペーンを張ったわけだ。
 当方は1994年、大統領退陣した直後のワルトハイム氏と単独会見したことがあるが、同氏は会見前に「どのような質問を準備しているのか」と聞いてきた。同氏がメディアに深い恨みを持っていることを感じさせられた瞬間だった。
 当方はこのコラム欄で「『個人の過去』と『国家の過去』」というタイトルで記事を書いた。そこで「ワルトハイム氏は『国家の過去』に対して償いを求められた」と指摘した。
 ところで、今回は「イスラエル(ユダヤ民族)の過去」についても言及すべき時だと感じている。イスラエル人は「人類の救世主イエスを殺害した罪のために歴史を通じてその償いをしてきた」というキリスト教派グループの主張に対し、強く反発していることを知っている。イスラエル人は反発する以外に対応の術を有していないことも知っている。
 しかし、ワルトハイム氏が「国家の罪」を背負って行かざるを得なかったように、イスラエル人も反発するだけではなく、冷静に民族の歴史を振り返る事が大切だろう。
 2000年前の出来事を「自身の罪」「民族の罪」として受け入れることは非常に至難の業だが、われわれは程度の差こそあれ、家族、氏族、民族、国家の「過去の罪」を背負いながら生きている。
 イスラエル民族がナチス・ドイツの蛮行への批判に終始しているならば、辛辣な歴史家から「ホロコースト産業」と誹謗・中傷されるだけだろう。
 イスラエル民族には選民思想がある。イスラエルの「民族の過去」は人類歴史の内容を網羅していたはずだ。だとすれば、イスラエル民族が率先して「民族の過去」を再考することで、その民族の名誉を守ることができるのではないだろうか。