ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

ドイツのための選択肢

ドイツ右翼保守団体「価値連合」の動き

 ドイツ連邦議会で第2野党「ドイツのための選択肢」(AfD)は極右政党として知られているが、「価値連合」(Werteunion)と呼ばれる右翼保守団体がここにきて政党の創設を目指してきた。同グループの中心人物は独連邦憲法擁護庁(BfV)長官だったハンス・ゲオルグ・マーセル氏(61)だ。奥さんが日本人で日本のメディアでは親日派として知られている(「更迭された独長官の奥さんは日本人」2018年09月22日参考)。

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▲右翼保守団体「価値連合」の連邦議長ハンス・ゲオルグ・マーセン氏(BfV長官時代の公式サイトから)

 「価値連合」は2017年3月に創設当初、メンバーは「キリスト教民主・社会同盟」(CDU/CSU)の右派メンバーが大多数を占め、メンバー数は4000人と推定、政治信条はCDU/CSUのそれに似ているが、AfDに対しては既成政党と異なり、排斥するのではなく、政策ごとに是々非々で検討、連携がプラスと判断すれば協調していく姿勢を取っている。そのため、他の政党からだけではなく、CDU/CSUからも「価値連合は極右派グループ」と受け取られてきた。

 同連合のリーダー、マーセル氏はCDUの党員だった。そしてBfV長官に就任し、順調にその政治キャリアを積んでいたが、同氏の政治生命が大きく変わることになった契機は2018年8月26日から27日にかけてドイツ東部ザクセン州の第3の都市、ケムニッツ市で発生した難民と極右グループの衝突事件だ。35歳のドイツ人男性が2人の難民(イラク出身とシリア出身)にナイフで殺害されたことから始まった。極右過激派、ネオナチ、フーリガンが外国人、難民・移民排斥を訴え、路上で外国人を襲撃。それを批判する極左グループと衝突し18人が負傷するという事件が発生したのだ。

 メルケル首相(当時)はその直後、「法治国家で路上で難民や外国人が襲撃されることは絶対に許されない」と極右グループの蛮行を厳しく批判した。それに対し、マーセン長官は日刊紙ビルトとのインタビューで、「ケムニッツ市の暴動を撮影したビデオを分析した結果、極右派が外国人や難民を襲撃した確かな証拠は見つからなかった」と述べ、極右派が難民を襲撃しているビデオに対して「信頼性に疑いがある」と述べたのだ。事件当日、「極右派が外国人や難民を襲撃した」、「一部でリンチが行われた」といった情報がメディアに流れたが、長官の発言はそれを否定するか、疑いを投じたわけだ。メディアには「マーセン長官はAfDに近い」という批判まで飛び出してきた。

 ゼーホーファー内相(当時)はマーセン長官を呼び、事件の真相を問いただす一方、メルケル大連立政権の社会民主党(SPD)からは長官の辞任を要求する声が高まるなど、マーセン長官の発言は“政権の危機”にまで発展していった。最終的には、マーセン氏はBfV長官のポストを失い、ゼーホーファー内相の顧問として次官級の地位に就いた。マーセン長官自身は、「私はビデオを見た感想を述べただけに過ぎない」と発言し、理解を求めたが無駄だった。移民問題でリベラルな政策を取ってきた16年間のメルケル政権時代、CDU/CSU内の保守派には不満の声が燻ぶっていた。マーセン氏はその一人だったのだろう。

 その後、マーセン氏は今年1月、CDU内からの党追放の声もあって、CDUから離脱し、「価値連合」の連邦議長として政治活動を継続していくことになった。そして「価値連合」のメンバーは1月20日、エアフルトで開催した連邦会合で、テューリンゲン州、ザクセン州、ブランデンブルク州の州選挙に間に合うように独自の党の設立を目指すことを決定している。

 マーセン氏は「野党になることが目的ではなく、政権を握ることが目的だ。われわれはドイツの政策変更を望んでいる」と強調、AfDとの関係については、「AfDとの協力関係に対して連合政権を築く考えはないが、厳格な境界を設けるつもりもない」と述べ、ある程度はAfDとの接触や協力を許容する可能性があることを示唆している。ただし、具体的な協力形態や範囲については述べていない。

 マーセン氏はBfV長官の職を辞して以来、時には反ユダヤ主義、右翼過激派、陰謀論者とみなされる政治的発言で注目を集め、周囲で物議を醸してきた。BfVは現在、元BfV長官のマーセン氏を右翼過激主義者として監視対象としている。それに対し、マーセン氏は「私を監視対象とする如何なる実証的な証拠はない」と反論している。

 「価値連合」が新しい保守派政党として発足し、CDU/CSUへのライバルとなるか、AfDとの政策連合を模索する右派政党の道を行くか、ここしばらく注視していかなければならない。



「極右」政党という呼称は正しいか

 当方はこのコラム欄でドイツの政党「ドイツのための選択肢」(AfD)やオーストリアの政党「自由党」(FPO)について書く時、両党を「極右政党」として紹介してきた。それに対し、読者からは、「極右」という表示は正しいか、「右派」と呼ぶべきではないか、といった趣旨の意見をもらってきた。

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▲AfDの思想的リーダーの1人、ビョルン・ヘッケ氏(ウィキぺディアから)

 外国の政党を紹介する時、その政党名だけではその政党が保守派か、中道右派か、それともリベラルか分からない場合がある。最近はどの国でも多数の新政党が登場しているから、政党名だけでは左派か右派か判断できない。そのため、その政党が活躍する現地のメディアの政党への表示を参考にして「右派政党」とか「左派政党」といった呼称を利用する。

 例えば、ドイツの大多数のメディアはAfDを過激な民族主義的政党として、極右というレッテルを貼って報じるし、オーストリアのFPOに対しても同様で、イェルク・ハイダー党首時代から「極右政党」、「ネオナチ政党」といったレッテルを貼ってきた。ネオナチ政党という表示は流石に少なくなったが、現地メディアはFPOを極右政党と呼ぶ。

 もちろん、党綱領を一読すれば、その政党が右派か左派かは判断できるが、中道右派か中道左派といった詳細な識別をする場合は簡単ではない。政党も外交、安保、経済など分野によってリベラルであったり、保守的な政策を標榜したりするから、政党の表示は難しくなってきたのだ。

 ドイツ連邦議会で先月31日、ワイデルAfD共同党首が演壇で、「他の政党はAfDといえば常に過激な極右政党と呼び、中傷してきた」と述べ、「極右政党呼ばわり」に苦言を呈していた。政党を極右と表示することで、その政党が過激な民族主義的思想を標榜している政党と受け取られるからだ。例えば、AfDの強制送還を含む移民政策は今日、「キリスト教民主同盟」(CDU)でもほぼ同じ路線だ。与党「社会民主党」(SPD)の中にも厳格な移民政策の必要性を理解している議員が少なくない。オーストリアのネハンマー首相の率いる保守政党「国民党」の移民・難民政策は自由党とほぼ同じだ。しかし、CDUや国民党を極右政党とは呼ばない。

 AfD関係者は昨年11月25日、ポツダム近郊のホテルで欧州の極右関係者と共に会合し、移民・難民の強制移住計画などについて話し合った。そこで第2次世界大戦の初め、ナチスがヨーロッパのユダヤ人400万人をアフリカ東海岸の島に移送するという「マダガスカル計画」を想起させる「モデル国家」論が参加者から飛び出したというのだ。

 AfDで思想的に影響力のある人物の1人、チューリンゲン州議長のビョルン・ヘッケ氏は国家社会主義の言葉を彷彿とさせるレトリックを常用し、国家社会主義に基づく専制政治を公然と主張している。ドイツの基本法は「ドイツ国籍を有する者はすべてドイツ人」と明記しているが、ヘッケ氏はそれを認めていない、といった具合だ。単なる外国人排斥政策だけではない。反憲法、反民主主義、反ユダヤ主義的な世界観を標榜している限り、AfDを極右政党と呼ぶ以外にないだろう。

 ちなみに、ドイツとオーストリアの場合、ナチス政権時代への歴史的反省といった意識もあって、民族主義的、外国人排斥的、反ユダヤ主義的傾向のある政党に対して伝統的な右派というカテゴリーではなく、「極右」というレッテルを貼ることで、その動向を警戒する面がある。

 参考までに、新約聖書の話を紹介する。イエスが十字架に架かった時、2人の強盗が同じように十字架に架かっていた。左側の強盗はイエスに、「お前はキリストではないか、それなら自分を救い我々も救ってみよ」とうそぶいた。すると右側の強盗が、「何を言うのか。われわれは自身の悪行の結果、十字架にかかっているが、この方は何も悪いことをしていない」と述べ、イエスを慰めた。イエスは右の強盗に、「あなたは今日、私と共に楽園にいるだろう」と述べている。

 上記の話は新約聖書「ルカによる福音書」第23章に記述されている。左の強盗は神を信じない無神論世界に生きる人間を象徴し、将来生まれてくる共産主義者を予示していた。共産主義者を“左翼”と呼ぶのは左の強盗から派生している。一方、右側は神を信じる民主主義の登場を示唆し、右翼という表現はこの右の強盗に起因している。

 左翼の人は「なんといった暴言だ」と批判するかもしれない。一方、右翼の人は「イエスと共に天国に行けるのはいいが、私はイエスも神も信じていないよ」と言うかもしれない。左翼も右翼もその出自は同じ強盗だ(『『右翼』も『左翼』もその出自は強盗だ」2015年12月12日参考)。

民主主義と「史上最大の選挙イヤー」

 ドイツのブランデンブルク州の州都ポツダム市近郊で昨年11月25日、極右「ドイツのための選択肢」(AfD)の政治家や欧州の極右活動家のほか、「キリスト教民主同盟」(CDU)や保守的な「価値観同盟」の関係者も参加し、「外国人、移民の背景を持つドイツ人、そして難民を支援する全ての人たちを強制移住するマスター計画」などについて議論していたことが明らかになり、ドイツ国民や政界に大きな衝撃を与えた。その後、ドイツ全土で「民主主義を守れ」という反AfD抗議デモが広がる一方、「AfDを禁止すべきだ」という声が聞かれ出した。ただし、AfD禁止問題では国民は2分している。

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▲米中西部アイオワ州コーラルビルで演説するトランプ前大統領(2023年12月13日、UPI)

 ドイツ野党第一党「キリスト教民主同盟」(CDU)のメルツ党首が主張していたように、国民の20%以上の支持率を獲得し、連邦議会で第2野党のAfDを禁止できるかという点だ。換言すれば、民主的選挙という正当なプロセスを通じて国民の20%の支持を得た政党を禁止することは民主主義の精神に反する、という問いかけだ。

 ドイツでは1956年、ドイツ共産党(KPD)を禁止して以来、政党が禁止されたケースはない。ドイツでは2017年、連邦憲法裁判所は極右政党NDP(国民民主党)の禁止要請について、「NDPが違憲性のある政党である点は疑いないが、国や社会に影響を与えるほどの勢力はない」として却下した。

 それでは、AfDの場合はどうか。AfDは極右過激主義的組織として治安関係者の監視対象になっている州もある。ドイツの政治学者ヘルフリート・ミュンクラー氏は30日、オーストリア国営放送のニュース番組のインタビューの中で、「NDPは勢力が小さすぎるから禁止されなかったとすれば、AfDは大きすぎるから禁止できないと言えるかもしれない」と答えていた。同時に、「民主主義は現在、世界的に守勢に立たされている。私たちは現在、台頭しつつある独裁政権と民主主義との間の世界的な競争の中にいる」と語った。

 ドイツの場合、独裁者ヒトラーが武力行使(革命)で政権を掌握したのではなく、民主的プロセスを経てナチス政権を発足させ、ユダヤ民族の虐殺などの戦争犯罪を犯す道を歩んでいった、という苦い体験がある。ドイツ国民には民主主義に懐疑的になる歴史的な事情がある。

 ミュンクラー氏は、「民主的立憲国家は『減速の原則』に基づいている。決定の際は間違いを回避し、感情や非合理性な思考に振り回されないように注意し、専門家からのアドバイスに耳を傾ける。これらの民主的なプロセスは長い」という。

 IT時代を迎え、迅速な意思決定が求められる世界に入った。決定が必要な時、決定が下せないという状況に陥る。多くの事例が裁判所に持ち込まれ、最高裁判所で最終的な判決が下されるまで多くの年月が必要となる。「民主主義では意思決定ができず、前に進めない」という考えが多くの人々の中に定着していく。

 決断は迅速に下さなければならない。だから、私たちは自然と決断力のある強い指導者を探し求める。一種の独裁者待望論だ。ミュンクラー氏は「AfDの台頭や右翼ポピュリズムは民主主義への警告のサインだ」というのだ。

 「民主主義の危機」という認識は久しい。例えば、スイス公共放送(SRF)のスイス・インフォのヴェブサイトでは民主主義について長い連載を掲載している。スイスの法学者マーク・ピエト氏は、「中立には疑問が付され、金融センターとしての地位も危うく、政治はビジョンに欠ける。スイスのアイデンティティーを支える柱が揺らいでいる」と警告を発し、スイスのバリューチェーン(価値の連鎖)の中核を為す前提条件が疑問視されていると受け取っている。スイスは直接民主制で、選挙と国民投票によって政治的、経済的課題について決定を下してきたが、そのスイスでも直接民主主義が果たして国家の繁栄と発展に通じるかといった問題が浮上してきたのだ。直接民主主義の要である国民投票の投票率は年々低下傾向にある。

 2024年は約80カ国で選挙が実施される「史上最大の選挙イヤー」(英誌エコノミスト)だ。米ロの大統領選、世界最多人口のインド、パキスタン、インドネシアなど、総人口45億人が投票場に足を運ぶ。選挙が民主主義の要とすれば、2024年は民主主義の真価が問われる年といえるわけだ。

 ただし、選挙には不正や腐敗が付きまとい、民主主義についても制度的欠陥が明らかになってきている。その結果、「強い指導者」を待望する声が高まってきている。「史上最大の選挙イヤー」は民主主義の勝利である一方、大きな危険も孕んでいるわけだ。

ドイツ国民はなぜデモに走るか

 この欄でドイツの出来事をテーマにコラムを書く機会が増えてきた。どうしてかといえば、「ドイツでデモ、ストライキ、大規模な抗議集会が頻繁に行われるからだ」が答えだ。それではなぜ勤勉なドイツ国民が突然、デモやストライキに走るのかというと、国民がショルツ現政権に不満を持っていること、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)への抗議デモなど複数の理由が考えられる。

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▲雌猫メーア―ティラ「私を無視して仕事に集中してはダメ」とPCのキーボートの上に乗ってスト(2024年01月20日、ウィーンで)

 以下は、「ドイツ国民はなぜデモに走るか」をテーマに、頭を整理するために隣国ドイツの最近の動向をまとめてみた。

 ドイツ民間放送ニュース専門局ntvの世論調査によると、ショルツ首相の与党第1党「社会民主党」(SPD)の支持率はなんと13%というのだ。与党第2党の環境保護政党「緑の党」も14%、リベラル派政党「自由民主党」(FPD)は議席獲得に不可欠な得票率5%の壁をクリアできないほど低迷している。FPDは次期総選挙で連邦議会の犠牲を失うことすら予想されてきたのだ。ショルツ政権に参加するSPD、「緑の党」、FPDの与党3党の支持率は合計35%以下だ。65%以上の国民はショルツ連立政権に不満を持っていることになる。これではデモやストが多発しても不思議ではない。

 現在のドイツの路上を占領しているは、極右政党AfDへの抗議デモ集会だ。ドイツ全土で先週末、数十万人の人々がAfDに反対し、「民主主義を守れ」と叫んで街頭に繰り出した。ドイツの日本商社の中心拠点だったノルトライン=ヴェストファーレン州の州都デュッセルドルフでも数万人がデモ行進した。ハンブルク市では6万人がAfDへの抗議デモに参加した。

 デモ行進は特定の政党が主催したという組織的な政治イベントというより、国民が主体的に路上に出かけ、手作りのプラカードを掲げて「民主主義を守れ」と叫んでいる。参加者には子供連れも多く、週末に親子連れで参加するといった風情もある。プラカードやシュプレヒコールには攻撃的な内容もあったが、デモ行進の多くは平和裏に行われた。

 デモ行進の直接のきっかけは、このコラム欄でも数回報じたが、ブランデンブルク州の州都ポツダム市(人口約18万人)で昨年11月25日、AfDの政治家や欧州の極右活動家のほか、「キリスト教民主同盟」(CDU)や保守的な「価値観同盟」の関係者が参加し、「外国人、移民の背景を持つドイツ人、そして難民を支援する全ての人たちを強制移住するマスター計画」などについて議論していたことが明らかになったことだ。ドイツ国民や政界は大きな衝撃を受けた。

 ドイツの路上が反AfDデモで占拠される前は農業関係者たちがトラクターに乗って抗議行進をし、ショルツ連立政権の農業政策の改善、ディーゼル燃料に対する政府の補助金削減やCO2税など増税の撤回などを訴えてきた。首都ベルリンでは今月18日、農業関係者数千人が市中心部をトラクターで占拠した。そのほか、鉄道機関士労組(GDL)が賃金値上げや労働条件の改善などを要求したストライキを実施した。

 いずれにしても、理由は様々であり、職種も異なるが、ドイツではデモ・ストライキが頻繁に行われている。「これまで沈黙してきた国民が目を覚まして路上に出かけてきた」と表現するメディアもあるほどだ。

 ntvは反AfD抗議デモに参加していた70歳代の男性にインタビューしていたが、その男性は、「自分はこれまで路上に出て抗議デモに参加したことがなかったが、今回は参加せざるを得なくなった」と説明し、ポツダム近郊の極右団体の会合に危機感を持ったことを明らかにしていた。ドイツではAfDの禁止を求める声が出ている。それに対し、元憲法判事リュッベ=ヴォルフ氏は、「ドイツではAfDの禁止問題は常に、『もしNSDAP(国民社会主義ドイツ労働者党=ナチス)が禁止されていたらヒトラーの台頭は防ぐことができたのではないか』といった歴史的懺悔とリンクされる傾向が強い」と述べていたのが印象的だった。AfD抗議デモにはドイツの歴史的な事情が反映している面は否定できない。

 ちなみに、ドイツ連邦憲法裁判所は今月23日、国民民主党(NPD)とその後継者であるDie Heimatに対し、国の民主主義体制を損なうという理由から公共支援金の供与を停止できる、という判決を下した。ただし、AfDの場合、政党への政府補助金カットにはハードルが高すぎるという意見が主流だ。また、ドイツ公安当局は、オーストリアの最大極右組織「イデンティテーレ運動」(IBO)の元代表マーテイン・セルナー氏に対し、ドイツ入国禁止を検討している。セルナー氏はポツダムの会合に参加し、北アフリカに最大200万人を収容する「モデル国家」を構築し、難民を収容するという考えを提示したという。第2次世界大戦の初めに、ナチスはヨーロッパのユダヤ人400万人をアフリカ東海岸の島に移送するという「マダガスカル計画」を検討したことがあったが、セルナー氏の「モデル国家」はそれを想起させる。ドイツにとって危険な人物だ。

 新型コロナウイルスのパンデミックはドイツ国民を含め世界の人々に多くの犠牲を強いてきた。ロックダウンで市中から人々が消えた日々が続いた。ワクチン接種でパンデミックは峠を越えたが、その矢先、ロシア軍のウクライナ侵略で戦争が勃発、その結果、世界経済も混乱が生じ、エネルギー価格の急騰、物価高騰などで人々の生活は苦しくなってきた。そして中東でパレスチナ自治区を支配してきたイスラム過激テロ組織ハマスのテロが起き、イスラエルとの戦闘が始まった。

 世相は暗い。ドイツ高級週刊紙ツァイトのオンライン版は毎週末、良いニュースだけを掲載している。平日は暗いニュースが多いから、休みの週末ぐらい「楽しく、良いニュース」を読みたいという読者の要望に応えた企画だろう。

 デモ、ストライキが多発する社会や国に住む人々は幸せではない。国民は路上に出て、デモに参加したり、政府への不満を爆発させる。宗教的な気質の人は終末を感じて神に祈り出す。そうではない多くの普通の人々は近未来に対して閉塞感を抱き、そこから抜け出すために処方箋を必死に探す。

 ドイツで広がる路上デモ、ストライキに参加する人々の姿をみていると、人々は誰もが幸せを探していると痛感する。それを見いだせない人は失望したり、ニヒリズムに陥る。ある人は自身の不幸の原因を政府や特定の組織、グループのせいにし、その対象に向かって攻撃する。欧米社会に広がる反ユダヤ主義は典型的な例だろう。

 CDU幹部の一人、イエンス・シュパーン氏(元保健相)はntvとのインタビューで、「AfDを禁止しても同党を支援する国民の不満や問題の解決にはならない」と指摘している。農業関係者のデモでも政府の補助金削減を撤回すれば、事が済むわけではない。食糧という国家の安全政策に密接な関係がある農業に対する長期的視野からのビジョンが急務だ。それがない限り、農業関係者は何度もトラクターに乗って抗議行進をせざるを得ない。

 注目すべき新しい傾向は、ドイツ経済界からAfD批判の声が高まってきていることだ。1人の経済学者は「AfDの党綱領を読むと、同党は最終的にはドイツの欧州連合(EU)離脱を目指している。EU離脱はドイツの国民経済だけではなく、AfD支持者にもに大きなダメージがある」と警告を発している。説得力のある主張だ。

“極右の足音”に困惑するドイツ国民

 オーストリアとドイツは言語(独語)が同じということもあって兄弟国のように見られてきた。ドイツの社会的流行、トレンドも少し時間がたてば隣国オーストリアでも見られるようになる、といわれてもきた。ドイツは欧州の経済大国で兄貴の立場とすれば、アルプスの小国オーストリアは弟だ。ドイツが時代を先行し、オーストリアがその後を追う、といった関係が続いてきた。それがここにきて風向きが変わり、ドイツの政界、国民はウィーンから吹き荒れる風に怯え、吠え出しているのだ。以下、その背景を説明する。

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▲ハンブルク市の反AfD抗議デモ、参加者で溢れる(2024年01月20日、オーストリア国営放送の中継からのスクリーンショット)

 ドイツでは目下、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)関係者がポツダム近郊のホテルで欧州の極右関係者などと共に会合し、そこで移民・難民の強制移住計画などについて話し合っていたことが判明し、ドイツの政界、国民は大きな衝撃を受けていることはこのコラム欄でも数回報じた。ドイツ各地で先週末、数十万人の人々がAfDに抗議するデモ集会に参加した。

 問題は移民難民の強制送還の話を持ち出した参加者はAfD関係者ではなく、オーストリアの最大極右組織「イデンティテーレ運動」(IBO)の元代表マーティン・セルナー氏だ。同氏は、ニュージーランドのクライストチャーチで2019年3月15日、2カ所のイスラム寺院を襲撃し、50人を殺害したブレントン・タラント(当時28)から寄付金を受け取っていたことが判明し、物議をかもしたことがあった。

 ドイツのメディアによると、セルナー氏は会合で、北アフリカに最大200万人を収容する「モデル国家」を構築し、難民を収容するという考えを提示した。第2次世界大戦の初めに、ナチスはヨーロッパのユダヤ人400万人をアフリカ東海岸の島に移送するという「マダガスカル計画」を検討したことがあったが、セルナー氏の「モデル国家」はそれを想起させるものがある。ポツダム会議の内容は調査報道プラットフォーム「コレクティブ」が明らかにした。

 欧州の過激主義について研究しているロンドンの「過激主義研究所」のユリア・エブナー博士は20日、オーストリア国営放送(ORF)とのインタビューの中で、「オーストリア国民にとってセルナー氏の主張はよく知られていることで、今更驚くべき内容ではないが、ドイツ国民にとってセルナー氏の主張はナチス時代を思い出させたのだ」と指摘し、ドイツ政界、国民がオーストリアから来た極右活動家の提言に驚きと衝撃を受けたという。

 ドイツ民間放送のニュース専門局ntvは抗議デモに参加していた70歳代の男性にインタビューしていたが、その男性は「自分はこれまで路上に出て抗議デモに参加したことがなかったが、今回は参加せざるを得なくなった」と説明し、ポツダム近郊の極右団体の会合に危機感を持ったことを明らかにしていた。

 オーストリアのセルナー氏の現代版「マダガスカル計画」についてドイツ人はオーストリア人より歴史的痛みを強く感じたのかもしれない。それも隣国から招かれたオーストリア人の男性がポツダムで喋ったのだ。その内容、そして戦後の戦争処理を話し合ったポツダムの地という歴史的な書割も手伝って、ドイツ国民は忘れかかっていた歴史的痛みを思い出したのだろう。

 ドイツ国民の中には、オーストリアからきたセルナー氏の姿にアドルフ・ヒトラーの亡霊を感じた人々もいたかもしれない。ちなみに、ヒトラーはオーストリア人だ。画家の道を目指したが、ウィーンの美術学校の入学試験に落ちたためにドイツに行った。そしてヒトラーが率いるナチス政権が後日、オーストリアを併合したために、オーストリアは一時的だが消滅した。

 ドイツはオーストリアから来たヒトラーが主導したナチス政権が発足し、第2次世界大戦では戦争犯罪国というレッテルを貼られる国となった。そのヒトラーの国から今度は極右運動の指導者セルナー氏がポツダム近郊の会議でヒトラーが夢見ていた「マダガスカル計画」の現代版を提言したのだ。ドイツ国民が寒い冬にも拘わらず、路上の反AfD抗議デモに出てきた背後には、「ドイツは“いつか来た道”を行こうとしている」といった危機感があるからかもしれない。

 ドイツでは現在、AfD禁止問題が大きなテーマとなっている。元憲法判事リュッベ=ヴォルフ氏は、「ドイツではAfDの禁止問題は常に、『もしNSDAP(国民社会主義ドイツ労働者党=ナチス)が禁止されていたらヒトラーの台頭は防ぐことができたのではないか』といった歴史的懺悔とリンクされる傾向が強い」という。NSDAPは1923年のヒトラー一揆後に一時的に禁止されたが、ヒトラーの台頭を防ぐことが出来なかった。それに対し,リュッぺ=ヴォルフ氏は、「法的力が不足していたのではなく、この党を阻止するという政治的意志が欠けていたからだ」と指摘している。

 欧州の政界では右傾化が話題となっている。そのパイオニア的役割を果たしたのはオーストリアのイェルク・ハイダー氏だ。同氏が率いる極右政党「自由党」が2000年、保守派政党「国民党」を担ぎ出して政権に参加したことが欧州極右政党が起こした最初の衝撃だった。欧州諸国は当時、自由党が参画したシュッセル連立政権の発足を受け、オーストリアとの外交関係を中断する制裁を実施したことはまだ記憶に新しい。

 オーストリアでは今年、議会の総選挙が実施されるが、複数の世論調査では自由党が支持率30%前後を獲得し、第1位を独走している。欧州の極右政党で総選挙で第1党、支持率30%を獲得できる政党は現時点でオーストリアの自由党しかない。オーストリアの極右政党は文字通り一歩先行している。それゆえに、ウィーンから聞こえてくる極右の足音にドイツの政界、国民は困惑と不安を感じ出しているのだ。

ドイツ90カ所以上で反AfD抗議デモ

 ドイツの高級週刊紙ツァイト(オンライン)によると、ドイツ全土で20日、90カ所以上、合わせて20万人を超える人々が極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)に反対し、「民主主義を守れ」と叫んで街頭に繰り出した(AFP通信は「30万人」と報じている)。

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▲ハンブルク市の反AfD抗議デモ、参加者で溢れる(2024年01月20日、オーストリア国営放送の中継からのスクリーンショット)

 警察と主催者によると、フランクフルト・アム・マインとハノーバーだけで3万5000人がデモを行った。フランクフルトのレーマー駅では「ファシズムに反対する団結」や「ナチスの居場所はない」などのスローガンを掲げた横断幕を持った人々で溢れた。

 抗議デモが行われた直接の契機は、ブランデンブルク州の州都ポツダム市(人口約18万人)で昨年11月25日、AfDの政治家や欧州の極右活動家のほか、「キリスト教民主同盟」(CDU)や保守的な「価値観同盟」からも数人の関係者が参加し、「外国人、移民の背景を持つドイツ人、そして難民を支援する全ての人たちを強制移住するマスター計画」などについて議論していたことが明らかになり、ドイツ国民や政界に大きな衝撃を投じたからだ。調査報道研究プラットフォーム「コレクティブ」が報じた内容だ。

  ポツダムのレーニッツゼーでの会議の参加者の中には、ザクセン・アンハルト州議会のAfD会派リーダー、ウルリッヒ・ジークムント氏、バイエルン州のAfD連邦議会議員ゲリット・ホイ氏、元AfD連邦議会議員のローランド・ハートヴィッヒ氏(ワイデル党首の個人顧問)らも含まれていた。同会議が報道されると、AfDは「ポツダム会議は私的な会合」として距離を置くと共に、同会議に参加したワイデル党首の個人顧問を解雇している。

 同会議にはそのほか、オーストリアの最大極右組織「イデンティテーレ運動」(IBO)の元代表マーテイン・セルナー氏の姿もあった。同氏はニュージーランドのクライストチャーチで2019年3月15日、2カ所のイスラム寺院を襲撃し、50人を殺害したブレントン・タラント(当時28)から寄付金を受け取っていたことが判明し、物議をかもしたことがあった。

 ドイツのメディアによると、セルナー氏は会合で、北アフリカに最大200万人を収容する「モデル国家」を構築し、難民を収容するという考えを提示したという。第2次世界大戦の初めに、ナチスはヨーロッパのユダヤ人400万人をアフリカ東海岸の島に移送するという「マダガスカル計画」を検討したことがあったが、セルナー氏の「モデル国家」はそれを想起させる。

 (同会議については、このコラム欄で「もう一つの『ポツダム会議』の波紋」(2024年1年13日)のタイトルで詳細に報じたから、関心がある読者は再読をお願いする)。

 ポツダム会議の内容が明らかになると、AfDへの批判の声が上がり、各地で抗議デモが展開される一方、AfDの政治活動の禁止を求める声が飛び出してきている。

 ハノーバーではニーダーザクセン州のシュテファン・ヴァイル首相(社会民主党=SPD)が集会参加者に対し、極右派に対して明確な立場を取り、人権と民主主義のために立ち上がるようにと呼びかけた。デモ参加者は「私たちはカラフルだ」「ファシズムは代替案ではない」などのスローガンが書かれたポスターを掲げた。

 そのほか、ドルトムント、シュトゥットガルト、カッセル、ギーゼン、ニュルンベルク、エアフルト、ハンブルクなどの都市で抗議デモが開催されている。抗議デモ参加者は「憎悪、扇動、排斥に反対」と叫ぶ一方、「ナチスと反ユダヤ主義者は国外追放すべきだ」といった過激なスローガンが書かれたポスターも見られたという。ハンブルクでは参加者が8万人と溢れ、余りにも多いため参加者の安全が保障されないとしてデモ集会は予定より早く解散させられたという。いずれの抗議デモ集会も平和裏に行われた。

 ノルトライン・ヴェストファーレン州のヘンドリック・ヴスト首相(CDU)は、「AfDは極めて危険なナチ党だ。AfDは基本法に基づいていない」とX(旧ツイッター)で書いている。 一方、経済界からもシーメンス・エナジーとダイムラー・トラックの監査役会会長、ジョー・ケーザー氏は20日に掲載されたロイターとのインタビューで、「AfDに投票する人は誰でも、わが国と国民の繁栄を失うことを選択していることになる」と警告を発している。また、ユダヤ人中央評議会のヨーゼフ・シュスター会長は抗議デモ集会の開催を歓迎し、「社会の中間層が立ち上がっていることを本当にうれしく思う」とアウグスブルガー・アルゲマイネ紙(20日付)に語った。

 ただ、AfDを禁止すべきか否かでは、政治家や国民の間でも意見が分かれている。ロンドンの「過激主義研究所」のユリア・エブナー博士は20日、オーストリア国営放送(ORF)とのインタビューで、「AfDの禁止には反対だ。逆効果だ。AfDは犠牲者の役を演じることで有権者の支持を更に集める危険性が出てくる」と指摘、禁止ではなく、民主的な抗議デモを継続していくことを勧めている。

 ちなみに、ドイツでは1956年に「ドイツ共産党」(KPD)が禁止されて以来、政党が禁止されたことはない。ドイツ民間放送ニュース専門局ntvによると、AfD禁止賛成47%、反対48%だった。AfD禁止問題はドイツ国民を2分している。なお、複数の世論調査によると、AfD は20%以上の支持を獲得し、ショルツ首相の与党社会民主党(SPD)を大きく上回っている。

もう一つの「ポツダム会議」の波紋

 「ポツダム会議」といわれれば、世界史を学んできた読者ならば、第2次世界大戦中の1945年7月、米国、英国、ソビエト連邦3カ国の首脳が、ナチス・ドイツと日本両国の戦後処理について話し合った歴史的なポツダム会議(当時ソ連占領地)を直ぐに思い出すだろう。  

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▲ワイデルAfD共同党首(AfD公式サイトから)

 ところで、2023年11月、ドイツ連邦州のブランデンブルク州の都市となったポツダム市(人口約18万人)でドイツの極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)や欧州の極右活動家や実業家たちが結集して今後の活動目標などについて話し合っていたことがこのほど明らかになり、ドイツ政界に大きな衝撃を与えた。研究プラットフォーム「コレクティブ」が報じた。そこでもう一つの「ポツダム会議」について緊急報告する。

  ポツダム近くのレーニッツゼーのホテルで開催された会議にはAfDのアリス・ワイデル党首の側近も参加し、「外国人、移民の背景を持つドイツ人、そして難民を支援する全ての人たちを強制移住するためのマスター計画」(Masterplan" zur "Remigration" von Auslandern, Deutschen mit Migrationshintergrund und generell allen, die sich fur Gefluchtete einsetzten)などについて議論していたというのだ。

 ポツダムのレーニッツゼーでの会議の参加者の中には、ザクセン・アンハルト州議会のAfD会派リーダー、ウルリッヒ・ジークムント氏、バイエルン州のAfD連邦議会議員ゲリット・ホイ氏、元AfD連邦議会議員のローランド・ハートヴィッヒ氏(ワイデル党首の個人顧問)らも含まれていた。

 同会議にはそのほか、オーストリアの最大極右組織「イデンティテーレ運動」(IBO)のリーダー、マーテイン・セルナー氏の姿もあった。同氏はニュージーランド(NZ)のクライストチャーチで2019年3月15日、2カ所のイスラム寺院を襲撃し、50人を殺害したブレントン・タラント容疑者(28)から寄付金を受け取っていたことが判明し、物議をかもしたことがあった(「欧州の極右は『三島由紀夫』ファン」2019年8月30日参考)。

 ちなみに、ドイツのメディアによると、セルナー氏は会合で、北アフリカに最大200万人を収容する「モデル国家」を構築し、難民を収容するという考えを提示したという。第2次世界大戦の初めに、ナチスはヨーロッパのユダヤ人400万人をアフリカ東海岸の島に移送するという「マダガスカル計画」を検討したことがあったが、セルナー氏の「モデル国家」はそれを想起させる。

 ドイツの高級週刊紙のオンラインは「オラフ・ショルツ首相や他の多くの政治家は、右翼過激派とAfD政治家らの会合を厳しく批判し、連邦憲法擁護局(BfV)は民主主義が危機に瀕していると警告を発した」と報じている。またドイツ民間放送ニュース専門局ntvは「AfDの政党禁止」をテーマに「ポツダム会議後、AfDの禁止は可能か」、「政党禁止は賢明か」という観点から報じていた。

 ポツダム会談の開催が明らかになると、「AfD内に反憲法的な取り組みがあり、したがって禁止の理由がある」というAfD禁止支持者の意見がある一方、CDU(キリスト教民主同盟)のリンネマン書記長のように、「AfDを禁止するか否かの議論はAfDをさらに強くするだけだ」という慎重派の声がある。ドイツでは1950年以来、政党が禁止されたケースはない。それだけに、政党の禁止については、関係者も慎重にならざるを得ない事情がある。

 参考までに、ドイツでは2017年、連邦憲法裁判所は極右政党NDP(国民民主党)の禁止要請について、「NDPが違憲性のある政党である点は疑いないが、国や社会に影響を与えるほどの勢力ではない」として却下したことがある。それ以後、ドイツでは政党の禁止請求は受け入れられない、という考えが政党関係者にはある。

 元連邦議会議長ヴォルフガング・ティエルゼ氏は「ターゲスシュピーゲル」の中で「もし3つの連邦州の憲法擁護庁がAfDを明らかに右翼過激派と分類すれば、国はAfDの禁止を検討する義務がある」と語っている。

 AfDの支持率は全国的に上昇していることもあって、ことは緊急を要する。全国的に見て、AfDの支持率はほとんどの調査機関で20%を超えており、今年選挙が行われるチューリンゲン州、ザクセン州、ブランデンブルク州の3つの連邦州では30%を超えているのだ(「独極右党の躍進をストップできるか」2023年8月8日参考)。

 禁止の根拠は基本法第21条の「自らの目標や支持者の行動に基づいて、自由民主主義の基本秩序を損なったり排除したり、ドイツ連邦共和国の存在を危険にさらしたりすることを目的とする政党は憲法に違反する」だ。連邦憲法裁判所はそれに基づいて政党が違憲であるかどうかを判断することになる

 人権研究所による分析では、AfDのプログラムは国家的および民族的な人民概念に基づいており、「価値観の観点から人種差別的なカテゴリーに従って人々を区別しており、したがって人民という概念から逸脱している」という結論に達している。AfDで最も影響力のある人物の1人であるチューリンゲン州議長のビョルン・ヘッケ氏について、同研究所は「国家社会主義の言葉を彷彿とさせるレトリックを常用しており、国家社会主義に基づく専制政治を公然と狙っている」と指摘している。基本法は「ドイツ国籍を有する者はすべてドイツ人」と明記しているが、ヘッケ氏はそのようには考えていない。

 禁止申請は連邦議会、連邦参議院、または連邦政府によって提出される必要がある。ポツダム会談の内容が報じられると、与党の社会民主党(SPD)のサスキア・エスケン党首はAfDの禁止をもはや排除すべきでないと強調している。

 エスケン党首はntvの番組で「AfDは大きな危険をもたらしている。その政党に国が政党援助金を出して支援することは、民主主義にとって自ら墓穴を掘る恐れがある」と述べている。

 一方、野党第1党CDUのフリードリヒ・メルツ党首は、ミュンヘナー・メルクール紙の中で、「SPD関係者は30%近くの支持を得ている政党を簡単に禁止できると本気で信じているのだろうか。現実から必死に目を逸らそうとしているだけだ」と指摘している。

 AfD禁止に躊躇する側には、「国民の支持を得ている政党を禁止させることができるか」という問いかけと、「AfDがプロパガンダの目的で禁止令を悪用し、自らを被害者であるかのように振舞うだろう」という懸念があるわけだ。
 
 ドイツでは、AfDの禁止問題は、「もしNSDAP(国民社会主義ドイツ労働者党=ナチス)が禁止されていたらヒトラーの台頭は防ぐことができたのではないか」といった歴史的懺悔とリンクされる傾向が強い。それに対し、元憲法判事リュッベ=ヴォルフ氏は「NSDAPは1923年のヒトラー一揆後に一時的に禁止されたが、ヒトラーの台頭を防ぐことが出来なかった。法的力が不足していたのではなく、この党を阻止するという政治的意志が欠けていたからだ」と指摘している。AfDの禁止論は、民主主義の根本原則にも接触する問題を含んでいるだけに、政治家だけではなく、国民も意見が分かれているのが現状だ。
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