ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

オプス・デイ

起訴された神父たちの「性犯罪」

 スペイン南部グラナダのローマ・カトリック教会の10人の神父と2人の信者が未成年者への性的虐待とその事実隠蔽の容疑で起訴された。起訴状が28日公表された。
 聖職者の性犯罪は10年前、未成年者の侍者(祭壇奉仕者)に対して行われたもので、犠牲者が昨年11月、ローマ法王フランシスコに書簡を送ったことから明らかになった。以下、オーストリア通信(APA)の記事内容を報告する。

 今年1月で25歳となった犠牲者によると、スペイン南部グラナダ教区の教会で7歳の時から侍者を務めていたという。カトリック教会の根本主義グループ「オプス・デイ」(神の業)の信者だった犠牲者は14歳の時、神父の別荘に招かれ、マッサージを要求された後、性的虐待を受けたという。神父たちの性的犯罪は2007年まで続いたという。神父たちは犠牲者に将来神父の道が開かれるといって誘惑し、性的交渉を拒むとグループから除名すると脅迫していた。

 犠牲者はその後、性的虐待の後遺症から精神的に恐怖感などに悩まされてきたという。悪夢の日々から10年後の昨年11月、未成年者が自分と同じような犠牲者とならないために、フランシスコ法王に書簡を送り、聖職者の性犯罪と教会側の隠蔽などを詳細に報告した。それを受け、フランシスコ法王は調査を要請したという経緯がある。

 犠牲者が所属していた「オプス・デイ」は1928年、スペイン人聖職者、ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲルによって創設された。ローマ法王、故ヨハネ・パウロ2世はオプス・デイを教会法に基づいて固有の自立性と裁治権を有する「属人区」に指定している。“カトリック教会のセクト”とも呼ばれている。
 その教えは従属と忠誠を高い美徳とし、肉体や性に対しては過剰なまでに禁欲を重視する。同グループは、世界のキリスト教化を最終目標としている。世界61カ国に約8万5000人の「兵士」(約1500人の聖職者を含む)がローマ法王のエリート部隊として活躍している。メンバーには、医者や弁護士など高等教育を受けた者が多い。

 スペインのメディアなどによると、「聖職者たちの性犯罪は単なる単独犯罪ではなく、組織的な犯行の疑いがある。オプス・デイは影響力と資金を持つ組織だ」という。
 なお、教会の内外から、監督責任を果たさなかったグラナダ教区フランシスコ ・ ハビエル・ マルティネス大司教の辞任を要求する声が出ている。

イエスはもはや「羊の話」をしない

 2000年前のイエスの福音をその文字通り受け取り、信じるキリスト信者がいる。葡萄畑も少なくなり、羊や羊飼いももはや多く見られない21世紀の社会でイエスのたとえ話を読み、その通り受け取ろうとするから、その理解は観念的となり、時には非現実的となる。
 同じことがイスラム教の聖典コーランでもいえる。1400年前の聖典を21世紀の現代社会にも完全に適応しようとするから、さまざまなな障害が生じている。シャリアを宣言したイスラム国(IS)はその代表的だ。石打ちの刑を今も実施するイランでもそれがいえる。サウジアラビアでは女性は車を運転することすら禁止されている。あれも、これも聖典に基づくという。

 「真理は時代的変遷の影響を受けない」と主張し、聖書の時代的解釈を拒否する神学者や信者グループが存在する。通称キリスト教根本主義者と呼ばれるグループだ。オプス・デイ(神の業、1928年、スペイン人聖職者、ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲルが創設)、ガブリエレ・ビターリッヒが創設した「ワーク・オブ・エンジェル」(「天使の業」)などと呼ばれる信者グルーはそれに属する。彼らは聖典の時代的解釈をあたかも不敬な行為のように受け取る。なぜならば、イエスは2000年前、真理を語ったのであり、真理は一つだ。それを時代が変わったからといって勝手に解釈するのは不敬だという論理だ。
 その主張の一部は正しいが、多くは間違っている。正しいのは「真理は不変だ」という点だ。間違っているのはその真理は時代的変遷の影響を受けないという頑迷な姿勢だ。真理は変わらないが、その表現方法は時代の変化に従って変わるからだ。

 ドイツで制作中の映画「帰ってきたヒトラー」(「ヒトラーはモンスターでなかった」2014年12月10日参考)に倣って、「帰ってきたイエス」の状況を想像してほしい。「帰ってきたイエス」は21世紀に生きるわれわれを前にして2000年前と同じような表現でその福音を語るだろうか。どこに羊と羊飼いがいるのか。ペテロのような漁師を探し出すのも大変だ。彼らは大きな船舶で遠洋漁業に従事しているからだ。イエスが会った売春婦は21世紀の社会でもいるが、特定な場所に行かなければならない。葡萄畑のたとえ話を背広姿の現代のビジネスマンが理解するのは一苦労だろう。

 「帰ってきたイエス」は必然的に新しい表現でその真理を伝えるだろう。より多くの人々に分かりやすく説明しようとすれば、その時代の社会で使用される表現形式を利用するのは当然だからだ。

 イスラム教圏の中東諸国では現在、キリスト教徒への迫害が激しい。イラク、シリアなどで少数宗派のキリスト教徒はイスラム根本主義勢力によって迫害され、追われている。イスラム教徒によれば、イスラム教徒ではないことはアラーへの不敬と受け取られる。非イスラム教徒の迫害は敬虔なイスラム教徒の義務と考えられるからだ。

 新・旧約66巻から成る聖書の文字に囚われた結果、イエスの福音を信じるキリスト教会は現代、300以上に分かれている。各団体が我々の解釈こそ真理だと主張し、他を批判する。キリスト教だけではない。イスラム教のコーラン(114章構成)でも同じだ。そのような混乱を回避するためには、われわれは一度は聖典の文字から解放される必要があるだろう。
 
 繰り返すが、問題は聖書やコーランにあるのではない。そして「聖典」が先にあったのではなく、救いを必要としていた「多くの悩める人々」が先ず生きていたのだ。逆ではない。「聖典」の文字の奴隷になってはならない。「聖典」の文字から解放された時、「聖典」が伝えようとした真意がより一層理解できるかもしれないのだ。

バチカンの教会再統合の試み暗礁

 ローマ・カトリック教会法本山バチカン法王庁はカトリック教会根本主義の聖職者組織「ピウス10世会」との対話を断念する。独週刊誌フォークス最新号によると、教理省長官のミューラー大司教は前法王ベネディクト16世が始めた「ピウス10世会」(聖ピオ10世会)との対話を停止することを決定、近日内に声明書を公表するという。

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▲バチカン法王庁(2011年4月撮影)

 直接の契機は、バチカン非公認の司教任命25年目(1988年6月30日)を祝う集会で、ピウス10世会は第2バチカン公会議(1962年ー65年)の決定事項を激しく批判したことだ。

 この欄で数回、報じたが、再度、紹介する。バチカンと「ピウス10世会」との対立は、第2公会議に参加した故マルセル・ルフェーブル大司教が教会の近代化を明記した公会議文書の内容を拒否し、69年に独自の聖職者組織「ピウス10世会」を創設したことから始まる。当時のローマ法王パウロ6世(在位63年〜78年)は75年、一時付与した同聖職者組織の教会公認を撤回し、ルフェーブル大司教を追放した。
 ヨハネ・パウロ2世(在位78年〜2005年)は84年、条件付けでラテン語礼拝形式を容認する一方、「ピウス10世会」との教会再統合の道を開く努力をした。当時、バチカン教理省長官だったラッツィンガー枢機卿(前法王べネディクト16世)はルフェーブル大司教
と交渉した。しかし、同大司教はその直後、教会法に反し、4人の神父を司教に叙階した。そのことを受け、バチカン側は同大司教と4人の司教を破門した。  ルフェーブル大司教は91年亡くなり、その後継者にベルナルド・フェレー司教が「ピウス10世会」代表に就任すると、バチカンとの交渉を再開。同司教は2000年、パウロ2世を謁見し、05年にはべネディクト16世と会見するなど、教会破門宣言の撤回を実現するために腐心してきた経緯がある。

 前法王べネディクト16世は07年、一定の条件下でラテン語ミサを承認する法王答書を公表し、09年1月「ピウス10世会」の4人の司教に対する「破門宣言撤回」教令を出すなど、かなり譲歩の姿勢を示してきた。前法王時代の09年から11年の間、教義問題も話し合われた。バチカン側は昨年6月、「ピウス10世会」の教会内の立場を「オプス・デイ」(カトリック教会内根本主義グループ)と同じ“属人区”にする案を提示、それに対して、「ピウス10世会」はバチカン側の提案を持ち帰り、協議し、近日中に返答する予定といわれてきた(属人区とは、バチカンが特定の司牧目的のために設立した行政単位名)。

 独レーゲンスブルクのカトリック神学者ヴォルフガング・バイネルト氏は10日、「バチカンにとってもピウス10世会にとっても譲歩はできない。譲歩は神学的自殺行為だ」と指摘、両者の統合は元来難しいという見解を表明している。
 ベネディクト16世の愛弟子の1人、ミューラー教理省長官が前法王が始めた根本主義聖職者組織の教会再統合の道を閉じることになる。

カトリック教義の新「番人」の横顔

 ローマ法王べネディクト16世は2日、辞任した米国人のウイリアム・レヴェイダ教理省長官の後任にドイツ・レーゲンスブルク教区のゲルハルト・ルードヴィヒ・ミュラー大司教(64)を任命した。同大司教は著名な神学者で、カトリック教義学の専門家として知られている。

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▲カトリック教義の番人に就任したミュラー新教理省長官(バチカン放送独語電子版から)

 べネディクト16世が国務長官に次ぐ重要ポストの教理省長官にドイツ出身聖職者を任命したことでドイツ神学の影響が強まると予想されている。法王自身にとって、バチカンの重要ポストに信頼できる人物を配置することで、職務がスムーズにいくというメリットが期待できる。 

 ちなみに、レヴェイダ枢機卿(76)は辞任理由として高齢を挙げたが、前任の教理省長官、ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(現べネディクト16世)と常に比較され、職務遂行が難しかったことが早期辞任に繋がったのではないか、と受け取られている。

 カトリック中央協議会の説明によると、教理省は「カトリックの教義および道徳の保持と促進を任務とする」という。教理省の前身は「異端裁判所」であったことを想起すれば、教理省の任務が一層明確になるだろう。

 聖職者の未成年者への性的虐待、バチカン内部文書の流出などで教会の基盤が大揺れに揺れている一方、世俗化の波に遭遇し、信者たちの教会離れ、聖職者不足などに直面、カトリック信仰が試練にある。そのような中、カトリック教義を守る一方、新しい宗教の台頭に対抗しなければならない。その最前線にあって責任を担うのがバチカン法王庁の教理省長官だ。だから、教理省長官の肩にカトリック教会の未来が掛かっている、といっても過言ではないだろう。
 
 ミュラー新教理省長官はミュンヘンのカトリック教義学の教授時代から故ヨハネ・パウロ2世に認められ、1997年にはローマ法王の神学シンクタンク、国際神学委員会メンバーに選出されている。2002年には司教に任命され、教理省メンバーの一員にも選ばれている。これまでべネディクト16世の神学著書の総編集を担当してきた。

 オーストリアのカトリック通信によると、ミュラー大司教を教理省長官に選出する際、バチカン内で抵抗もあったという。ミュラー大司教が解放神学の創設者グスタボ・グティエレスと個人的友好関係があるとか、根本主義組織「オプス・デイ」に近い神学者だ、といった憶測が流れていたからだ。しかし、べネディクト16世はバチカン内の反対を退けてミュラー大司教を選んだわけだ。ドイツ司教会議(DBK)のロベルト・ツォリチィ議長は「ミュラー新長官は卓越した神学者だ。ドイツ教会にとっても光栄だ」と歓迎を表明している。

 ミュラー新長官が急務に解決しなければならない課題はカトリック教会根本主義聖職者組織「ピウス10世会」(聖ピオ10世会)の教会再統合問題だ(「山場迎えた『ピウス10世会』問題」2012年6月17日参照)。同時に、。オーストリア教会でヘルムート・シューラー神父を中心に300人以上の神父たちが女性聖職者の任命、聖職者の独身制廃止、離婚・再婚者の聖体拝領許可など7項目を要求、教会指導部への不従順を呼びかけた「不従順への布告、神父たちのイニシャチブ」運動への対応だ。
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