ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

オスカー・ワイルド

ホモフォビアを刑法で罰すべきか

 世界に13億人以上の信者を抱えるローマ・カトリック教会の総本山、ローマ法王庁があるイタリアで目下、同性愛者など性的少数派(LGBTQI)の権利を侵害した場合、刑法で罰することを明記した法案が審議されている。同法は提案者の名前をとってLegge Zanと呼ばれるもので、ホモ、バイ、インターセクシュアルの人を差別した場合、刑法に基づき処罰される“アンチ・ホモフォビア法”だ。

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▲ドラギ首相とフランシスコ教皇

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▲ローマでホモフォビアに抗議するデモ
(バチカンニュースから、2021年6月25日)

 ハンガリー国民議会で今月15日、未成年者への同性愛などの性的少数派に関連した情報、宣伝などの活動を制限する法改正が可決されたばかりだが、イタリアでは逆に、ホモフォビアに対し法で罰するというものだ。イタリアでは昨年11月、下院で同法案が採択された後、上院で審議中だ。ただし、政府内ばかりか、ローマ・カトリック教会からも反対の声が上がるなど、法案の行方はまだ定かではない。

 ところで、バチカンのナンバー2、ピエトロ・パロリン国務長官が口頭でイタリア議会で審議中のアンチ・ホモフォビア法に対して保留する考えを表明したことから、イタリアのドラギ政府や教会内外で大きな波紋を呼んでいる。

 パロリン国務長官は、「バチカンの口頭の意思表明は公表を目的としたものではない。バチカンはアンチ・フォビア法を妨害する考えはない。議会の政治家に慎重に審議してほしいというバチカン側の願いを伝えただけだ」とバチカンニュースとの会見で述べ、イタリア政府の過剰な反応に驚きを見せている。      

 イタリアのローマ・カトリック教会司教会議は既に同法案について、「法案が曖昧に明記されているため、解釈が難しいケースが出てくる。特に、差別という表現が正確に定義されていないから、男性と女性の性差を示唆する言動が即罰せられるという事態が考えられる」と指摘し、慎重な対応を求めている。

 パロリン長官は、「バチカンの立場は司教会議と同様だ」と述べ、「バチカンは性的指向ゆえにその人間に対して非寛容であったり、憎悪することには強く拒否する。その上、イタリアは世俗国家だから独自の法を施行する権利がある」と述べている。ちなみに、マリオ・ドラギ首相は、「わが国は世俗国家であり、宗派国家ではない」と議会で述べ、波紋を呼んだばかりだ。

 パロリン長官の口頭発言の内容は、「イタリア議会が審議中の法案は1984年のバチカンとイタリア間で締結した政教条約に反する」という意味にも受け取れる。具体的には「カトリック教会の自由の権利が損なわれる危険性が内包されている」という解釈だ。

 カトリック教会では婚姻は男性と女性間を意味するが、「教会の婚姻、家庭観はそれだけで犯罪化される危険性が出てくる」と懸念する声も聞かれる。また、カトリック系私立学校ではホモフォビアに反対するナショナルデーで性的少数派運動のシンボル、レインボーカラーの旗を掲げる義務が出てくる、といった事態が予想されるわけだ。

 イタリア教会司教会議議長のガルティエロ・バセッティ枢機卿は日刊紙コリエーレ・デラ・セラで、「法案のジェンダー・アイデンティティへの法執行はカトリック教会の視点では受け入れることはできない。なぜならば、男性と女性といった生物学的性差という事実を無視しているからだ。その上、性差による差別は既に現行の刑法で対応されている。新しい法を施行する必要はない」と主張し、法案を「人類学的な混乱をもたらすだけだ」と強調している。

 ドラギ政権内でもアンチ・ホモフォビア法案について意見の相違が表面化している。同法案は中道左派「民主党」(PD)が昨年11月に提出したもので、PDと左派ポピュリズム政党「五つ星運動」の支持を受ける一方、マッテオ・サルヴィー二氏が率いる右派「同盟」やベルルスコーニ元首相の「フォルツァ・イタリア」は反対している、といった具合だ。

 興味深い点は、東欧のハンガリーで未成年者の保護という名目で性的少数派の言動の制限に乗り出そうとしている一方、カトリック教会の総本山があるイタリアで性的少数派の権利擁護という視点から、性的少数派を差別したり、中傷誹謗した人を刑法で罰するアンチ・ホモフォビア法案が審議されているわけだ。ハンガリーもイタリアも共に欧州連合(EU)の加盟国だ。同時に、両国ともローマ・カトリック教会が主要宗派だ。性的少数派問題ではEU内に統一した見解がないばかりか、対立しているのだ。

 民主主義では社会の多数派が政策や路線を決めていくが、性的少数派問題では多数派は沈黙し、少数派の声だけが傾聴されてきた。その結果、少数派はあたかも多数派のように受け取られ、ジェンダー問題で指導権を奪っていった。多数派は、寛容、連帯、多様性といった響きのいい言葉に酔いしれず、今こそ少数派と議論を交わすべきだ。ハンガリー政府関係者は性的少数派が拡大する欧米社会を「デカダンス文化」と述べていた。性的少数派問題では沈黙は決して金ではない(「EU委員長の『欧州の恥』発言に失望」2021年6月26日、「オスカー・ワイルドは何と答えるか」2021年6月18日参考)。

オスカー・ワイルドは何と答えるか

 東欧ハンガリーの国民議会(国会)で15日、未成年者に対して同性愛を助長し、挑発する情報宣伝活動を禁止する法改正が賛成多数で可決された。予想されたことだが、性的少数派(LGBTQI)やその支持者は「性少数派の権利を蹂躙し、表現の自由を抹殺、ひいては未成年者の権利を制限する」として抗議デモを行った。

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▲義兄が描いた紙芝居「幸福な王子」の1枚

 オルバン右派政権が性的少数派に対して厳しい姿勢であることは良く知られている。その政権が今回、法改正を通じて未成年者の同性愛を挑発する書物の発行や映画の上演時間制限、宣伝活動の停止などを決めたのだ。バイデン米政権を含む欧米諸国では既に批判の声が上がっている。 欧州連合(EU)のウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員長は16日、ツイッターで「ハンガリーの法改正は非常に懸念されるものだ」と述べている。

 オルバン政権は「未成年者の保護」と説明しているが、その主張は反対者の怒りの前に打ち消されている。多くのリベラルなメディアは、「オルバン政権は性的少数派の権利を厳しく取り締まるロシアのような国になろうとしている」といった論調で報じている。

 当方はこのコラム欄でブタペストで中国の名門大学復旦大学姉妹校の開校には強く反対してきたが、LGBTQI問題ではオルバン政権の基本的立場を支持する。同性愛を含む性的少数派は人間の本来の性の在り方とは異なるからだ。また、今回の法改正が「表現の自由」を制限し、「未成年者の権利を損なう」とは考えない。ただし、未成年者の同性愛を助長する情報宣伝行為に対して法的に規制するやり方には少々懐疑的だ。法的規制で同性愛を含む性的少数派問題が解決されるとは思わないからだ。

 政治は時として、主権者(国民)の意向に反した決定を下さなければならない。国民の顔色、風向きだけを見て、次期選挙のために国民が嫌う政策を実行できない政府はその存在価値を失う。何らかの決定を下さなけばならない時、国民にその理由を説明して、理解を求める。その後、議会を通じて政策を決定する。民主政治は通常、そのようなプロセスで進められる。オルバン政権がそのプロセスを経て今回の法的改正に踏み切ったとすれば、それはハンガリー国民が決めたことだから、外から、ああだ、こうだと批判はできない。

 奇妙なことだが、現代は少数派が多数派より発言が取り上げられ、そのプレゼンスを至る所で発揮している時代だ。それを「自由」と「寛容」、そして「多様性」の3つの魔法の言葉が支えている。逆にいえば、多数派は少数派の主張に反対したり、批判することが難しくなってきた。これは一般の国民だけではなく、政治家にとっても同じことがいえる。“少数派謳歌時代”を引っ張っているのは同性愛を含む性的少数派の活動だ。オルバン政権への批判もその延長線にある。ただ、オルバン政権は批判を恐れず、性的少数派の問題に対してはっきりと反対を表明しているわけだ。その点は評価できるが、今回のように検閲を強化し、情報宣伝活動を規制した法改正を施行したとしても効果はあまり期待できないことだ。

 当方はアイルランド出身の作家オスカー・ワイルド(1854〜1900年)が好きだ。その小説『ドリアン・グレイの肖像』や童話『幸福な王子』に心惹かれる。ワイルドは多く名言を残しているので、当方もこのコラム欄で度々引用させてもらっている。ワイルドは同性愛者として刑罰を受け、刑務所生活を送った作家だ。ワイルドの家族は迫害から逃れるために名前を変え、ひっそりと生きて行かなければならなかった。ワイルドが同性愛者だったからだ。家族も社会から様々な迫害を受けた。英国の数学者で人工知能の父といわれるアラン・チューリング(1912〜54年)も同性愛者だった。彼は強制的にホルモン注射を受けさせられた。最後は自殺している。

 ワイルドやチューリングが生きていた時代、同性愛者への弾圧は非人道的であり、過酷だった。それではハンガリー政府の未成年者の同性愛を助長する言動の制限に関する法改正が第2、第3のワイルドを生み出す危険性があるか、といえば、その可能性はほぼないだろう。

 繰返すが、オルバン政権は、同性愛を含む性的少数派の問題について、機会がある度に国民と真摯に議論を重ねることが大切だ。同性愛が良くないとすれば、なぜ良くないのかを堂々と議論すべきだ。もちろん、性的少数派も同じように、自身の考えを自由に述べ、社会の偏見打破に取り組むべきだ。

 人は幸せを求めている。その点、異性間の婚姻も同性婚も同じだ。同時に、私たちは次世代に対して責任を担っている。自分たちだけの幸せではなく、生まれてくる次の世代に対して責任と義務を担った歴史的な存在だ。そして、その歴史を閉ざすことは出来ないのだ。

 生まれた時から与えられた性に対して違和感を抱く人が実際にいる。独週刊誌シュピーゲルには性転換した人々の話が掲載されていた。彼らにとって性転換は避けて通れないのかもしれない。しかし、性転換が幸せをもたらすかどうかは本人も分からないのだ。

 オスカー・ワイルドに一度、21世紀の性的少数派の生き方をどのように受け取るかを聞いてみたい。
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