ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

レバノン

レバノン国民は「集団的うつ」状況に

 大量破壊兵器の核爆発以外ではこれまで最大の爆発事故といわれたレバノンのベイルート湾大爆発事故から4日で3年目を迎えた。ベイルート湾の倉庫に保管されていた硝酸アンモニウム約550トンが突然大爆発を起こし、湾岸労働者や周囲の住民らが犠牲となり、220人以上が死亡、少なくとも6500人が負傷した。ベイルート港と市内全域が破壊された光景が世界に放映されると、国際社会は衝撃を受けた。

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▲ベイルート湾大爆発事故3年目を迎え、国連に事故の独立調査団の設置を要求する人々(2023年8月4日、オーストリア国営放送ニュース番組からスクリーンショット)

 大爆発事故から3年が経過したが、事故の原因解明は依然進まず、事故の責任を取って辞任した政治家、関係者はなく、国民の間では政府に対する批判や不満、憤りの声が高まっている。

 4日、事故の解明が遅れていることに抗議するデモが行われた。日本外務省は「抗議行動等に遭遇した場合は決して近づかず、直ちにその場を離れるように、また、抗議行動に巻き込まれないよう、平素より関連情報を収集し、夜間の不要不急の外出は控えるべきだ」などを明記した趣旨の警戒を呼び掛けていたが、現地からの情報ではこれまでのところ抗議デモ参加者と治安部隊との衝突は報じられていない。

 オーストリア国営放送(ORF)の中東特派員、カリム・エル・ゴハリ氏(Karim.EL-Gawhary)は同日、現地から報告していたが、抗議デモは平和裏に行われた。遺族関係者は亡くなった家族の写真を掲げ、国連に独立した事実調査団発足を訴えていた。

 事件の検証とその責任について、レバノン当局は曖昧に終始してきた。爆発した硝酸はロシア貨物船の積み荷で、湾岸当局が14年に押収したまま放置してきた。なぜ大量の硝酸アンモニウムが倉庫に10年以上保管されたまま放置されてきたのか。ロシアからの輸入品とすれば、外務省、通商省、運輸省などの管轄下に入るが、大爆発事故の調査では誰一人として起訴されていない。爆発性の極めて高い危険物質が首都ベイルートの港に長い間放置されていた、という事実は無責任という以上に、国家安全に関わる問題だ。国民がそのずさんな危険物管理に憤りを感じるのは当然だろう。

 大爆発事故後、2020年8月10日、ハッサン・ディアブ首相(当時)が辞任に追い込まれたが、事故調査を担当する主任調査員ファディ・サワン氏は調査を中断させられ、最終的にはその立場を失う。その後継者タレック・ビタール氏は元閣僚4人の調査に乗り出したが、議会からの抵抗もあって調査は中断。今年1月、ビタール氏は殺人、放火およびその他の犯罪の疑わしい容疑で、検事総長のガッサン・オイダット氏と他7人を提訴した。それに対し、オイダット氏は不服従と「略奪行為」でビタール氏を提訴したが、ビタール氏は辞任を拒否。以上が事故後の政治的、法的な動向だ(AFPの関連情報参考)。

 レバノンの国民経済と財政危機は深刻だ。国際通貨基金(IMF)によると、「レバノンでは4年近くにわたる経済破綻により、自国通貨の価値の約98%を失い、国内総生産(GDP)は40%縮小し、インフレ率は3桁に達し、中央銀行の外貨準備の3分の2が流出した」という(アラブニュース2023年6月30日)。

 エル・ゴハリ特派員は、「レバノン社会は外貨を得ることができる少数の上層部とそうではない大多数の国民に完全に分裂している。多くの若者は未来に希望をもてずにいる」という。同特派員によれば、アラブ諸国の問題点は3点、「貧困」と「不平等」、そして「無気力感」という。レバノンの現状はその3点が全て当てはまるわけだ。

 新型コロナウイルスの感染拡大の直前の2019年、金融危機のさなか、国民の生活状態は悪化し、政府の無能と腐敗に抗議する大規模デモが起きたが、ポスト・コロナの今日、国民の間では政府に抗議して立ち上がるといった動きはない。同特派員は、「レバノン国民は集団的欝状況(Collective Depression)に陥っている。自身や家族をどのようにして養うかで頭の中は一杯だ」と表現していたのが印象的だった。

 そのような状況下で、レバノン南部のイスラエルとの国境沿いでは、イスラム教シーア派武装組織「ヒズボラ」がイスラエルに軍事挑発を繰り返すなど、イスラエルとヒズボラの間で緊張が高まっている。イランから軍事支援を受けているヒズボラの指導者ナスララ師は7月12日、ガジャル村の周辺にコンクリートの壁を建設しているとしてイスラエルを非難、「イスラエルがわれわれに対して行動するなら、黙っていない」と警告、強硬姿勢を崩していない。

 政治と経済の停滞、ヒズボラの軍事活動、レバノンは内外ともに厳しい状況下にある。欧州連合(EU)はレバノン政府に大爆発事故の調査を求めるが、その姿勢は弱い。「レバノンからの大量の難民が欧州に殺到することを恐れ、レバノン側に圧力を行使できないでいる」(エル・ゴハリ特派員)というのだ。

「夏」時間と「冬」時間が入り混じる国

 当方は昔、一度は訪問したいと思っていた都市があった。ボスニア・ヘルッエゴビナの首都サラエボとレバノンの首都ベイルートだ。前者のサラエボはボスニア紛争の取材で訪問できたが、中東のレバノンは残念ながらまだ行っていない。中東はヨルダンの首都アンマンを仕事で取材したが、ベイルートまで足を延ばすことができなかった。今考えると残念なことをした。

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▲冬時間から夏時間へ、時計は1時間前に進む(ウィキぺディアからスクリーンショット)

 なぜサラエボとベイルートを訪問したいのか、といえば、両都市は当時(現在は政治情勢が変わった)、キリスト教とイスラム教の多宗派が共存する都市として知られていたからだ。

 アブラハムを「信仰の祖」とするキリスト教とイスラム教が一緒に平和裏に定着しているというので、一度は自分の目で見たいと考えていた。国連記者室でレバノン出身の記者アオン・フセイン氏と知り合いになったこともあって、彼からレバノンの情勢について度々教えてもらっていた。

 欧州では26日に冬時間から夏時間に移行した。時計の針を1時間前に進める。夏時間になる前の日、オーストリアでは国営放送を通じて午前2時から午前3時に時計を進めるよう促される。夏時間で「1時間睡眠時間を失った」と大げさに嘆く国民もいるが、数日もすれば、体は夏時間に慣れてしまうから問題はない、と思っていたが、大きな問題となっている国があるのだ。あのレバノンだ。

 レバノンでは通常、3月の最終日曜日に夏時間が始まり、時計を1時間進めるが、レバノン政府のナジブ・ミカティ暫定首相が夏時間の開始をラマダンが終わる4月21日まで延期すると決定したのだ。

 地元メディアによると、ベッリ国会議長がミカティ首相にサマータイムをラマダン期間が終わるまで延期するよう依頼したというのだ。ラマダンはイスラム教徒の五行(信仰告白、断食、礼拝、喜捨、巡礼)の一つだ。イスラム教徒は日の出から日の入りまでの間、断食し、身を清める(ラマダン期間は3月21日〜4月20日まで、国と地域によって1日程度の違いはある)。友人のイスラム教徒は「ラマダンの期間は心が清まる時だ」と述べ、ラマダンの宗教的意義について説明してくれた。その信者たちが冬時間と同様、ラマダン明けの食事が摂れるために夏時間への移動を延期したというわけだ。夏時間に変更されれば、ラマダン明けが1時間遅れ、それだけ断食明けの食事が遅くなるというわけだ。理由はかなりシンプルだ。

 問題は、政府が慎重に協議したうえで夏時間の導入を延期決定したわけではないことだ。政府と国会議長との間の話し合いで急遽、夏時間変更が延期されたというのだ。国民は戸惑うだろう、多くの国民は夏時間モードになっているし、スマートフォンやコンピューターは自動変更で既に夏時間がスタートしているからだ。

 レバノンではキリスト教とイスラム教の18の宗派が混在しているため、「モザイク国家」と言われてきた。政治の主要ポストや議席数を各宗派ごとに割り振る「宗派主義」が実施されている。レバノンは大統領を国家元首とする共和制だ。そして大統領はキリスト教最大宗派のマロン派から選ばれ、首相はイスラム教スンニ派から、国家議長はシーア派からそれぞれ選ばれることが慣例となっている。今回のサマー・タイムへの移行延期決定に対し、マロン派教会を含むキリスト教会は反対しているのだ。

 また、テレビ局のLBCIやMTVなどの民間企業は26日の夜に時計を既に1時間進めている。多くの私立学校も、政府のガイドラインに従わないことを発表した、といった具合だ。レバノンでは、冬時間に拘る「イスラム教の時間」と、夏時間への移行を支持する「キリスト教の時間」といった2通りの時間があるわけだ。

 ちなみに、レバノンの航空会社ミドルイーストエアラインズは、政府の決定に従い時計は通常の時間に設定されたままだが、国際航空路線の混乱を避けるためにフライトスケジュールは夏時間に切り替えている。一種の妥協案だ。

 レバノンの国民経済は史上最悪の危機の中にある。新型コロナのパンデミックと2020年8月のベイルート港での大爆発によって国民経済は一層悪化した。国連によると、人口の4分の3が貧困の中で暮らしている。通貨「レバノン・ポンド」は、数カ月にわたって大幅にその価値を失っている(オーストリア国営放送電子版から)。

 そのような危機的状況下にあって、政治でもアウン大統領の後任選出もできず、大統領の不在状況が続き、ミカティ政府の行政権限も限定されている、といった有様だ。そして今、国内で統一した時間すら失ってしまうという稀な状況下に置かれているわけだ。

 ところで、ベイルートの観光地、ネイメ広場にある時計塔は夏時間になっているのか、それともラマダン期間は冬時間をキープしているのだろうか。
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