ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

政治と宗教とメディア

世論という「この世の神」に操られる国

 「世論」とは一体、いかなる存在だろうか。生き物ではないから、「世論」を存在と呼ぶことはできないが、その無生物の「世論」を背後で操っている存在は通常、人間であり、その集団だろう。

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▲ウィーン市庁舎前広場のクリスマス市場(2023年11月12日、撮影)

 例えば、岸田文雄首相は自身の信念に乏しく、「世論」の動向を見ながら政策を決定する首相だという声を聞く。「世論」が願わない政策はせず、「世論」を反映した政策を優先的に実行していく。指導力があり判断力のある政治家が「世論」に逆行するケースがあれば、必要ないばかりか歓迎されないのだ。

 その「世論」の動向は世論調査や意識調査などを通じて、今、国民の世論はどちらに向いているかを判断する。日本で性的少数者(LGBT)理解増進法案が2023年6月、国会で可決されたが、これなどは典型的な「世論」の操作の結果だろう。欧米社会のLGBTの流れに押され、LGBTをあたかも重要な法案といわんばかりに推進していった岸田政権は「世論」に動かされたわけだ。

 くせものは世論調査、意識調査といった類の調査だ。それらを通じて国民の総意、考えをはかり知ることができるだろうか。LGBT運動を見ても分かるように、社会の少数派は注目されるために声を大にして叫ぶ。LGBTとは普段関係のない大多数の国民は米国や欧州の実情を紹介され、LGBT関連法案が日本でも必要だといわれ続けたのだ。

 世論調査は質問の中に、調査する側にとって願わしい回答が直接的、間接的に示唆されているケースが多い。だから、「これが世論調査の結果だ」といわれても、ピンとこない沈黙の大多数の国民が出てくる。世論調査結果と自身が一致しない、といった現象が生まれてくるわけだ。

 「世論」は多くの国民に質問し、その結果、「社会にはこのような潮流がある」と見つけ出すものではなく、世論は恣意的に操作して作り出すものだといった傾向が最近はとみに見られる。そして作り出された「世論」はあたかも国民の過半数が支持したものだ、という誤解を生みだす。その誤解が個人レベルであるなら被害は大きくないが、国レベルでの誤解、例えば総理大臣となれば、国の運営を誤る危険性が出てくるわけだ。

 そのうえ、「世論」は常に正しい、というわけではない。むしろ、多くは一部の、特定の思想、世界観によって操作された「世論」が多く、事実とは一致しないケースが多い。「嘘も100回言えば真実となる」といった論理が世論操作側にはあるから、繰り返し繰り返し、にせ情報をこれでもか、これでもかと拡散していくわけだ。情報発信力の乏しいものは21世紀の世界では生き延びていくのが難しいのは、そのためだ。

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が解散命令請求を受けたが、岸田首相の側近の中には「もう少し、冷静に対応すべきだ」「解散命令請求ができる要件を満たしていない」といった声もあったが、岸田首相は「解散請求しなければ、世論が許さない」と答えたという。非常に正直な答えだが、同首相が事の是非を冷静に考えて判断する政治家ではなく、世論に動かされる首相であることを実証している。宗教法人法上の解散命令の要件となっている「法令違反」は本来、刑罰法令の違反に限られ、民法上の不法行為は含まれないにもかかわらず、首相は世論の圧力に屈して、その法解釈を書き直した。

 朝日新聞など左派メディアでは旧統一教会批判が氾濫し、同教会は反社会的団体といったイメージが拡散されていった。その行先が教会の解散命令請求だ。それを拒否すれば、朝日などの左派メディアが一斉に岸田降ろしを始めるだろう。岸田首相にとって旧統一教会の将来などはどうでもいい、自身の政治基盤を堅持することが最優先だ。それを支えるのが「世論」というわけだ。

 日本から旧統一教会に対して解散命令請求が出たというニュースが届いた時、40年あまり、ローマ・カトリック教会をフォローしてきた当方は、「それではカトリック教会はなぜ解散されないのか」と不思議に思った。旧統一教会への批判は主に高額献金問題だが、カトリック教会の場合、未成年者への性的虐待問題だ。前者は民事関連だが、後者は刑法問題だ。そしてその件数は数万件に及ぶ。にも拘わらず、前者は高額献金という問題で解散命令請求を受け、後者は聖職者の性犯罪を隠蔽してきたにもかかわらず解散命令請求を受けていないのだ。高額献金問題ならば、キリスト教会だけではなく、仏教など全ての宗教団体が抱えている問題だ。高額献金した後、信仰を失ったために、その献金を返してほしいという元信者たちの要求だ。

 旧統一教会への解散命令請求の件をフォローしていると、「世論」が如何に大きな影響を有しているかを改めて知ることが出来る、そして一旦「世論」が生まれてくると、それを覆すことは至難の業だ。「世論」はこの世の神だ。岸田首相は、地上で全能全知のパワーを有する「この世の神」に自身の政治生命を委ねてしまったのだ。首相本人にとっても、日本の行方にとっても、大きな躓きとなってしまった。

人権デーに考える「信教の自由」とは

 1948年12月10日、国連第3回総会で「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として「世界人権宣言」が採択された。それを記念して12月10日を「人権デー」と呼ばれてきた。

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▲ウィーン市16区の小さなクリスマス市場風景(2022年12月8日、撮影)

 日本法務省の「世界人権宣言」の項目によると、「20世紀には、世界を巻き込んだ大戦が2度も起こり、特に第2次世界大戦中においては、特定の人種の迫害、大量虐殺など、人権侵害、人権抑圧が横行しました。このような経験から、人権問題は国際社会全体にかかわる問題であり、人権の保障が世界平和の基礎であるという考え方が主流になってきました。そこで、昭和23年(1948年)12月10日、国連第3回総会(パリ)において、『すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準』として、『世界人権宣言』が採択されました。世界人権宣言は、基本的人権尊重の原則を定めたものであり、それ自体が法的拘束力を持つものではありませんが、初めて人権の保障を国際的にうたった画期的なものです」とその意義と価値を明記している。

 そして「この宣言は、すべての人々が持っている市民的、政治的、経済的、社会的、文化的分野にわたる多くの権利を内容とし、前文と30の条文からなっており、世界各国の憲法や法律に取り入れられるとともに、様々な国際会議の決議にも用いられ、世界各国に強い影響を及ぼしています。さらに、世界人権宣言で規定された権利に法的な拘束力を持たせるため、『経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)』と『市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)』の2つの国際人権規約が採択され、その後も個別の人権を保障するために様々な条約が採択されています」という。

 国連はこれまでさまざまな宣言文を作成し、公表してきた。その中で「世界人権宣言」は確かに画期的だが、その内容がその後、実行されているのならば評価に値するが、残念ながら宣言から74年が過ぎた今日でも世界各地で人権問題が起きている。

 例えば、中国の少数民族ウイグル人が共産党政権下で強制的な同化政策に強いられている。それだけではない。モンゴル人やチベット人も同様、共産主義体制下でその民族のアイデンティティが蹂躙されている。イランでは女性の権利が蹂躙され、スカーフをイスラム教の服装規定に基づいて着用していないとして22歳の女性は拷問され、その後死去した。女性の権利を訴えた抗議デモに参加した国民が拘束され、今月8日に死刑執行されている。北朝鮮では国民は人間としての基本的な権利、衣食住さえ独裁者によって蹂躙されている。

 ジュネーブに本部を置く国連人権理事会では10月6日、中国新疆ウイグル自治区での人権侵害問題に関する討論開催の是非を問う欧米主導の動議が反対多数で否決された。国連機関が人権問題では無能であることを世界に向かって明らかにした。

 中国共産党政権は国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が8月31日に発表した報告書「ウイグル人権報告書」の公表を阻止するために必死の国連外交を展開し、ウイグル人の人権問題に関する動議を数で葬ったのだ。国連人権理事会だけではない。国連安保理事会でも中国、ロシア、北朝鮮の人権問題や国際条約違反は中国とロシア両国の拒否権の行使で却下され、否決されてきた。

 中国は自国の人権問題が俎上に上る度、「中国の内政に干渉すべきではない」として反論してきた。すなわち、中国の「人権」の定義と「世界人権宣言」で記述されている「人権」ではその定義が異なるというわけだ。

 国連加盟国は現在193カ国だが、「人権」の定義は加盟国の数ほどあるといわれる。各国が独自の「人権」の定義を有しているわけだ。「人権」の定義だけではない。「テロ」問題を協議する時も「何をテロと定義するか」で加盟国は喧々諤々の議論を展開させ、普遍的なテロの定義を見つけることができないでいる。少々、悲観的な結論となるが、国連を舞台とした外交の世界では、人権問題は大国の拒否権とその定義で暗礁に乗り上げる運命を避けることができないわけだ。

 ところで、「人権」の中には人間の衣食住に関連する基本的権利から、「言論の自由」、「結社の自由」、「信教の自由」など精神的活動領域に関する人権も含まれる。日本は法治国家であり、国民は一定の自由、人権を享受しているが、「信教の自由」では残念ながら後進性が目だつ。安倍晋三元首相の暗殺事件を契機に沸き上がった世界平和統一家庭連合(旧統一教会)バッシングはその典型的な例だろう。左派系メディアと共産党系弁護士たちが連携して、旧統一教会たたきを展開させているが、明らかに「信教の自由」を蹂躙している。高額献金問題とは無縁の大多数の信者たちの「信教の自由」を侵しているのだ。

 残念なことだが、日本では旧統一教会問題が政争の道具に利用されている。旧統一教会バッシングをする政治家の中には、「信教の自由」を侵しているという自覚すらなく、左派メディアが吹聴する世論の流れに呼応し、あたかも正義の味方のように振舞って旧統一教会叩きに参列している政治家の姿を見る度に情けなくなる。

 人権デーの「10日」は過ぎたが、特に、日本の為政者たちは「人権」の中でもその核の一つである「信教の自由」とは何かを考えるべきだろう。ローマ・カトリック教会では過去、聖職者による数万件の未成年者への性的虐待事件が起きているが、それゆえに、カトリック教会は解体すべきだという声はほとんど聞かれない。その背景には、聖職者の性犯罪は絶対に許されないが、「信教の自由」を無視することはできない、という規範があるからだ。性犯罪とは無縁で献身的に歩む大多数のカトリック教会聖職者と敬虔な信者たちの「信教の自由」を尊重しなければならないからだ。「信教の自由」を政争の道具や思想的な思惑で蹂躙してはならないのだ。

日本の「魔女狩り」の背景について

 日本では毎年、その年の社会的な状況を最も表した「流行語大賞」が選ばれる。それに先立ち、当方は「2022年の言葉」を選んだ。ズバリ「魔女狩り」だ。中世の欧州キリスト教社会で頻繁に生じた社会的現象を表現した言葉だが、キリスト教圏に入らない日本社会で今年、その「魔女狩り」という社会現象が見られるのだ。現代風に表現するならば、「バッシング」だ。

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▲閣僚辞任と支持率低下に直面する岸田文雄首相(2022年11月21日、首相官邸ホームページの動画のスクリーンショットから)

 安倍晋三元首相が7月8日、選挙応援のために訪れた奈良市で演説中、山上徹也容疑者に銃殺されるという事件が発生した。事件から早や4カ月以上が経過したが、事件の核心は依然闇の中だ。その一方、容疑者の母親が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の信者であり、高額献金で家が破産したことから、容疑者は旧統一教会を恨んでいたという供述だけが独り歩きし、左派系メディアは事件の核心をフォローするのではなく、旧統一教会叩きを始めた。旧統一教会、その関連団体と関係や接触のあった政治家、議員、団体、ひいては個人まで左派系メディアのバッシングの対象となっている。

 ここにきて、岸田自民党政権は閣僚辞任が続き、支持率を低下させている。そのため、政権延命手段として旧統一教会バッシングに加わってきた。すなわち、日本社会では左派メディアに政府が連携して旧統一教会への魔女狩りを展開しているわけだ。

 タイムリーというべきか、オーストリア国営放送のウェブサイト欄で23日、「何故人間は魔女や魔術を信じるか」というテーマで興味深い記事が掲載されていた。日本社会で現在進行中の「魔女狩り現象」を考えるうえで参考になると思ったので、その概要を紹介する。

 おとぎ話の世界では魔女は箒(ほうき)に乗って飛び、子供を呪ったり、有害な呪文を唱えたりするが、科学技術が急速に進展している21世紀、魔女や魔術を信じる人が少ないと思いきや、超自然的な力への信仰は予想以上に強いという。オーストリアのような西側諸国でさえ、1割近くの人が魔術を信じ、世界では国民の90%が信じている国すらあるという。

 近代以前、伝染病、自然災害、作物の不作などが生じると、その原因は通常、超自然的な力であると考えられてきた。神、悪魔だけでなく、魔法の能力を持つ魔女たちの仕業と受け取られてきた。魔女、魔術のルーツはおそらく石器時代に遡る。

 ヨーロッパでは、この魔女狩りは中世の16世紀にピークに達した。タンザニア、コンゴなどのアフリカやインド、南米などでは今日でも魔女狩りが行われ、魔女と呼ばれた人は拷問され、さらには殺されている。一部の地域では迫害が非常に深刻であるため、国連人権理事会は昨年、有害な慣行を非難する決議を発表したほどだ。

 ところで、エコノミスト、ボリス・ガーシュマン氏は専門誌「Plos One」の中で、啓蒙され、高度に発展した西側諸国でさえ、依然として多くの人々が魔女(の存在)、魔術を信じている、という研究結果を報告している。

 同氏の研究では2008年から17年の間にピュー・リサーチ・センターがインタビューで収集したデータが利用されている。そこでは、95カ国の14万人を超える人々からデータが集計されている(中国、インド、アフリカとアジアの一部の国は参加していない)。

 ガーシュマン氏によれば、回答者の40%以上が魔女の存在、魔術を信じている。ただし、国によって割合は大きく異なる。スウェーデンやデンマークなどの北欧諸国では、魔女信仰は約9%と最も低く、オーストリアではドイツと同様、約13%だ。アフリカのいくつかの国では魔女の信者が多く、チュニジアではほぼ90%という。

 ガーシュマン氏は、魔女信仰と相関する個人的および社会的要因を分析している。高等教育を受け、安全な経済基盤を持つ人々は、無宗教の人々と同様に、超自然的な力を信じることは少ない。その一方、社会レベルで魔女信仰を助長している要因として、国家の制度が弱く、社会の統制機能が不安定で、国民経済が停滞している、等々が挙げられている。また、個人や見知らぬ人への不信感が強い社会では不合理な信念をもつ人々が出てくる。一般的に、魔女を信じている国の人々は幸福感に欠け、人生に悲観的で自制心が少ない。経済発展やイノベーションは期待できない。近代的な生活様式と伝統的な生活様式が混合した社会では魔女信仰が見られやすいという。

 まとめると、国家が不安定で、社会制度が脆弱、経済発展は停滞し、人生に対して悲観的なムードが強い社会では、魔女、魔術信仰が見られやすいという。逆にいえば、社会が幸福感に包まれ、経済が順調に発展しているような社会、国家では魔女信仰は見られず、魔女狩りといった社会現象は少ないというわけだ。

 「あなたは魔女(の存在)や魔術を信じますか」と日本人に聞けば、大多数の日本人は侮辱されたような気分になり、「そんな原始的、非近代的な信仰は持ち合わしていない」と一蹴するだろう。その一方、社会の負の現象や経済的停滞感の犯人捜し(スケープゴート)を意識的、無意識的に始めている。そして2022年、その犯人は旧統一教会だというわけで、冷静に考えることなく、政府、メディアは総動員で旧統一教会バッシングを始めているわけだ。文字通り、魔女狩りだ。

 現代の日本社会は、魔女狩りが行われた欧州の中世時代のようだ。ただ、欧州の魔女信仰やそれに関連した魔女狩りには程度の差こそあれキリスト教の影響があったが、日本の場合、共産主義という“偽宗教”が魔女狩りをプッシュしている。魔女や魔術を信じない日本人が魔女狩りに乗り出すという風景は異様だ。

なぜ宗教団体は立ち上がらないのか

 安倍晋三元首相が選挙応援のために訪れた奈良市で演説中、山上徹也容疑者に銃殺された事件が発生して早や4カ月以上が経過した。事件の核心は依然闇の中で、容疑者の母親が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の信者であり、高額献金で家が破産したことから、容疑者は旧統一教会を恨んでいたという供述だけが独り歩きし、左派系メディアは事件の核心をフォローするのではなく、事件の被害者側の旧統一教会へのバッシングを行っている。旧統一教会、その関連団体と関係や接触のあった政治家、議員、団体、ひいては個人まで左派系メディアのバッシングの対象となっている。

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▲那須聖著「牢獄の救世主」の表紙、ダンベリー刑務所時代の文鮮明師

 同時に、旧統一教会問題への対応が遅れているとして、左派系メディアから叩かれ、支持率を落としてきた岸田政権は政権の重荷となってきた旧統一教会問題から解放されるために宗教法人法に基づいて旧統一教会の解体を内々決定し、文部科学省の文化庁が質問権を行使するため質問作成の準備に入っているという。

 以上、日本の旧統一教会問題の経緯をまとめていく中で一つ疑問が出てきた。「なぜ他の宗教団体は旧統一教会への信仰の自由の迫害に対して、同じ宗教人として立ち上がって抗議しないのか」ということだ。「信教の自由」は憲法で保障された権利であり、それを擁護する側の政府が左派系メディアや共産党に押されて、宗教団体を迫害しているのだ。仏教、神道系、そしてキリスト教系宗教団体はなぜ「信教の自由」のために戦わないのか。

 旧統一教会の名称は「世界基督教統一神霊協会」だ。聖書の新旧66巻をその教えの基に説くキリスト教会の一派だ。にもかかわらず、多くのキリスト教会は左派系メディアや政府からバッシングを受けている旧統一教会を擁護するのではなく、同じように批判しているのだ。

 日本最大のプロテスタント教派団体「日本基督教団」やローマ・カトリック教会中央協議会は先日、旧統一教会を批判する声明文を公表している。理由は、旧統一教会が反社会的団体であり、キリスト教の教えに一致しないからだという。しかし、旧統一教会は反社会的と法的に断定されたことはない。にもかかわらず、左派系メディアの反統一教会情報に踊らされて統一教会バッシングに加わっているのだ。

 日本基督教団やカトリック教会は統一教会に対して元々批判的だ。マルクス主義の影響を受けた解放神学など左派系イデオロギーの影響がある日本基督教団体やカトリック教会は統一教会の教義に強い抵抗がある。共産主義の過ちを指摘するだけではなく、イエスの十字架の救済論に対して、統一教会はイエスの生涯を明確に解明し、イエスの十字架では完全な救いがなく、イエスは十字架にかかるために降臨したのではないと主張しているからだ。イエスの十字架救済を信仰の核とするキリスト教会は驚くとともに、「その教えは異教だ」として旧統一教会をセクトとレッテルを貼って排斥してきた。その意味で、統一教会が解体されることはウエルカムだ。だから、左派系メディアの統一教会バッシングを後押ししているわけだ。参考までに、旧統一教会信者の拉致監禁事件(約4300件と推定)にはプロテスタント教会出身の牧師たちが大きな役割を担っていたことは周知の事実である。

 旧統一教会が反社会的というのならば、ローマ・カトリック教会やプロテスタント教会の聖職者の未成年者への性的虐待問題こそ反社会的だ。いやそれ以上だ。聖職者の性犯罪を組織的に隠ぺいしてきた教会はもう立派な「組織犯罪団体」と呼んでもおかしくはないはずだ。最近、フランスのカトリック教会のジャン=ピエール・リカール枢機卿が未成年者への性的虐待で訴えられている。同枢機卿は未成年者への性的虐待を告白している。これは氷山の一角に過ぎない。世界で数万件の性犯罪が発生しているのだ。

 例えば、カトリック教会が直面する民事訴訟件数は旧統一教会の数十倍だ。そして刑事訴訟の件数にいたってはカトリック教会は圧倒的に多い。にもかかわらず、ローマ・カトリック教会の解体要求は聞かれない。それほど「信教の自由」は普遍的価値観に立脚しているからではないか。

 宗教団体の献金問題は何も旧統一教会だけではない。仏教系、神道系団体、他のキリスト教会も信者から様々な献金を受け取り、その活動を支えている(もちろん、献金の強要は問題外だ)。聖職者の未成年者への性的虐待、その性犯罪の隠蔽と高額献金問題は同列視はできないことは明らかだ。

 岸田政権は政権延命のため、負担となってきた旧統一教会問題を解決するために解体を決める一方、左派メディア、共産党は宿敵・旧統一教会潰しの絶好の機会としてバッシングを強めている。両者は反旧統一教会潰しで連携を深めてきているわけだ。両者とも「信教の自由」を守るといった価値観は眼中にないのだ。

 米国で旧統一教会の創設者文鮮明師が1984年、脱税容疑で拘束された時、米国内で多くのキリスト教団が立ち上がり、「文鮮明師の拘束は宗教の自由、信教の自由の蹂躙である」として宗派、教派を超えて抗議デモ集会が米国全土で展開されたことがある。一方、日本では、統一教会を反社会的と断定する左派メディアの報道に政府も国民も踊らされている。統一教会へのバッシングに対して、「信教の自由」の侵害という声は宗教団体からは聞かれない。

 当方は10年前、ジュネーブで開催された国連人権理事会のサイドイベントに参加した非政府機関「国境なき人権」のフォートレ代表と会見し、旧統一教会信者の拉致監禁問題で質問したことがある。同代表はその時、日本政府が旧統一教会信者の拉致監禁事件で無策であることを批判する一方、「私は統一教会を擁護するつもりはない。信教の自由を守りたいだけだ」と述べたことを思い出す。繰り返すが、「信教の自由」は宗派、教派の違いを超えた普遍的な価値観だ。日本の宗教団体の覚醒を期待する。

旧統一教会を誤解している友へ

 朝日新聞を代表とする左派メディアは世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を心底から嫌っている。視聴率のために旧統一教会問題を扱う民間TV局とは違って、朝日新聞ら左派系メディアは腰が据わっている。旧統一教会の高額献金問題は彼らにとって旧統一教会バッシングの絶好の武器だ。過去の高額献金問題をあたかも昨日起きたように報道し、元信者、脱会した2世信者たちを総動員して、旧統一教会叩きに余念がない。

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▲記者会見する世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の勅使河原秀行・教会改革推進本部長(10月4日、東京都渋谷区)

 ところで、なぜ朝日新聞ら左派メディアは旧統一教会が嫌いなのか、一度、冷静に考える必要があるだろう。高額献金問題を抱える団体への義憤からか、それとも高額献金の結果、破産した元信者への同情からだろうか。

 両者とも否定できないが、それだけではないだろう。簡単にいえば、旧統一教会が無神論的世界観に立脚した共産主義思想の間違いを理論的に論破しているからだ。怖いのだ。旧統一教会の関連団体、「国際勝共連合」(設立1968年)は冷戦時代、渋谷などで街頭演説をし、共産主義の間違いを訴える一方、共産党に対して公開論争を申し出ていた。左派関係者はその国際勝共連合が怖いのだ。もう少し、具体的に言えば、左翼系の活動家たちが夢見る共産主義社会を実現する上で旧統一教会は最大の障害だからだ。

 旧統一教会の関係団体が勝共理論を提示していなかったならば、旧統一教会は彼らにとって単なる新興宗教、キリスト教会に過ぎず、無視できたが、そうではなかった。そのうえ、マルクス・レーニン主義では勝共理論に太刀打ちできないことが明かだったこともある。

 国際勝共連合は大学でも関連団体の原理研究メンバーと連携して、学生運動が盛んだった時、学内で討論会を開催していた。中核派などのメンバーが集会を混乱させるために妨害した。国際勝共連合はまた、政治家にも働きかけ、共産主義の間違いを訴えた。その結果、それに共鳴する保守派政治家と関係を構築していった。

 旧統一教会とその関連団体が自民党議員と関係があるとか、旧統一教会関連のイベントに参加し、祝電を送ったとかという理由で左派メディアは与党自民党議員をバッシングしているが、どこが問題なのか分からない。法的にも反社会的と判断されていない団体を一方的に反社会的と断定するほうこそ、その団体への中傷行為だ。政党名をコロコロ変え、選挙の度に「共産党とも連立を」と考える野党の先生方より、自身の政治信条に基づいて志を同じくする団体と連帯する政治家のほうがどれだけ真摯だろうか。

 ウィーンは地理的に共産圏と民主圏との中間に位置していることもあって、旧ソ連・東欧共産政権を身近に目撃できた。東欧共産政権の動向をフォローしてきた1人のジャーナリストとして、共産党の実態について、少し述べたい。なぜならば、共産党を“誤解”している日本人が案外多いからだ。

 オーストリアには冷戦時代、共産圏から200万人以上の政治難民、亡命者が収容された。オーストリアの国民は共産主義、共産党が如何なる世界観を持つ政党で、国民を粛清、処刑してきたかを知っている。難しいマルクス・レーニン主義を理解していなくても、オーストリア国民は共産主義世界観の実態を目撃してきたからだ。

 日本の進歩的左翼理論家、大学教授が共産主義社会が国民の幸福を保障すると主張するが、それではどうして多くの国民が西側に逃げていったのか。極めて素朴な疑問だ。オーストリア国民は、書斎で共産主義思想を学んでいる日本の進歩的知識人より共産党の実態を知っている。オーストリアにも共産党は存在するが、同党はこれまで連邦議会レベルで議席を獲得したことがない。

 日本の共産党支持者は何を支持しているのか。与党自民党政権への抗議という理由から共産党を支持することは無謀な行為だ。共産党は単なる抗議政党ではなく、明確な世界観、人間観を有している。そして共産主義が国民を幸せにしないことは歴史が証明してきたのだ。

 当方は冷戦時代、旧東欧共産国を取材した。スロバキアで「宗教の自由」を訴える市民のデモ集会を取材していた時、治安部隊に拘束され、ブラチスラバ中央警察署で7時間尋問を受けたことがある。チェコでは共産政権に抗議してプラハ市民がゼネストのデモ行進を敢行した時、治安部隊が一斉に武力で強制解散に乗り出した。市民の中に潜入していた当方も棍棒を振り回して近づく治安部隊から逃れるために走った。

 日本共産党関係者は「われわれは違う」と弁明する。確かに、共産党は2004年、党綱領を改定したが、その中身は何も変わっていない。共産党の看板を先ず下ろし、党の「粛清の歴史」に対し国民の前で説明し、謝罪すべきだろう。多くの若者の人生を奪った党の歴史に対し謝罪すべきだ。

 旧統一教会の創設者、文鮮明師は1982年5月、米国の首都ワシントンにリベラルな日刊紙「ワシントン・ポスト」しかないことを懸念し、保守派メディア「ワシントン・タイムズ」を創刊した。レーガン米大統領(当時)は朝を目を覚ますと最初に読む日刊紙は「ワシントン・タイムズだった」といわれた。「ワシントン・タイムズ」はレーガン大統領が当時提唱したスターウォーズ計画(戦略防衛構想)を支援してきた。ソ連が崩壊したのはレーガン・ブッシュ米政権の政策もあったが、それを支えたメディア「ワシントン・タイムズ」の存在があったからだ。左派メディアの代表格、朝日新聞ですら過去、何度か「ワシントン・タイムズによれば」と報道していた。第1次冷戦を乗り越えることができた背後には、共産主義の間違いを訴えてきた旧統一教会関連団体の存在を無視できないのだ。

 第2の冷戦時代と呼ばれる現在、中国共産党政権が日本を狙っている。自民党内にも親中派政治家、閣僚が既に入っている。その実態に警告を発するメディアが必要だ。日本ではスパイを取り締まる法がない。朝日新聞ら左派メディアは「スパイ防止法の制定」に強く反対している。冷静に考えてほしい。外国から侵入し、日本の国益を害するスパイの活動を取り締まることができない国は主権国家ではない。左派メディアは無防備の日本を願っているのだ。彼らの目がどこに向いているか一目瞭然だ。

 日本の国民は目覚めてほしい。共産主義は悪魔の思想だ。それを明確に指摘してきた旧統一教会とその関連団体は共産主義勢力にとっては宿敵だ。彼らは朝日新聞や左派メディアを動員して必死に旧統一教会潰しに乗り出してきている。

 最後に、当コラム欄らしく、宗教的な側面から共産主義の立場を少し考えた。

 人類始祖アダムとエバの間の2人の息子、カイン(兄)とアベル(弟)の話をご存知だろう。カインはアベルを殺した。人類最初の殺人事件だ。カインの殺人動機は神から「愛されていない」という感情だ。神はアベルの供え物を受け取り、カインのそれを拒否した話は創世記に記述されている。神から愛されているアベルに対し、カインには抑えることができない嫉妬と恨みが湧いてきたのだ。

 「愛されていない」と感じるカインを「愛されている」と悟らせてきたのがイエスの福音だった。「愛されていない」と感じてきたカインを「愛されている」と実感させることができたら、それは奇跡だろう。一方、共産主義は「愛されていない」と感じている多くの人々に、「われわれを愛さなかった人」を見つけ、吊し上げるようにと呼びかけてきた。共産主義革命だ。共産主義を標榜する政党の歴史に粛清が絶えなかったのは偶然ではなく、必然だった。しかし、愛さなかった人(資本主義者)を吊し上げても、やはり愛される体験を味わえなかった人々が多かったことは共産党の歴史が実証している。

 「愛されなかった」という恨みの血統を引く私たちは程度の差こそあれ、カインの末裔だ。共産主義はその末裔から誕生した思想だ。勝共理論は共産主義の間違いを質す一方、その救済(代案)を提示しているのだ。

<参考資料>
『共産党』を誤解している友へ」2015年11月8日
“愛されなかった人”の時代は来るか」2015年11月27日

岸田首相は拉致監禁被害者と会見を

 岸田文雄首相は24日午前の衆院予算委員会の集中審議で、「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)の問題を巡り、被害者と面会する意向を明らかにした。首相は「被害者、弁護士の方々をはじめとする関係団体の意見を聞くことは大事だ。私も直接、お話を聞かせてもらいたい」と語った(読売新聞電子版10月24日)。

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▲山際大志郎経済再生担当相の辞任を受けての記者会見に応じる岸田首相(2022年10月24日、首相官邸公式サイトから)

 政府の最高指導者が問題の当事者と直接対面で会見することは、問題解決に資するかもしれない。懸念は、被害者は旧統一教会に対して批判的であり、その被害者を擁護する弁護士には共産主義的思想に傾斜した人物が少なくないことだ。彼らから献金問題などの問題について意見を聞くわけだ。冷静にいえば、岸田首相は旧統一教会の解体を既に決意し、その判断の根拠とするために旧統一教会に批判的な被害者と弁護士たちと会うのではないか、といった憶測すら湧いてくる。極端に言えば、一種のアリバイ工作ではないか。

 岸田首相は新資本主義経済などのビジョンを抱えて登場、停滞する日本経済の復興に乗り出す予定だったが、安倍晋三元首相が銃殺されるという大事件が発生。その後は容疑者の供述に基づいて、事件の影に旧統一教会問題があるといわんばかりに、旧統一教会との対応が岸田政権の最大急務となった。このことは岸田首相にとって不運だった。安倍元首相の国葬も無事終わり、再び自身の路線に戻れると考えていた首相だが、時間の経過とともに自民党議員と旧統一教会問題のかかわりは一層深化し、24日には岸田首相の改革で中心的な役割が期待された山際大志郎経済再生担当相が旧統一教会とのつながり問題から辞任に追い込まれたばかりだ。

 一方、朝日新聞などの左派メディアは旧統一教会を解体できるチャンスと受け取り、岸田首相に圧力をかけてきた。首相は当初、教会への解散命令請求の要件として民事訴訟だけでは無理という文化庁の意見を受け入れてきたが、ここにきて教会側に刑事責任を認めた確定判決がなくても解体を命令できるという方向に修正してきた。その直後、首相は旧統一教会の被害者そしてその弁護士たちと会見することを表明したわけだ。

 この流れから判断するならば、岸田首相は旧統一教会の解体を決意したと受け取って間違いがないだろう。岸田首相には一刻も早く旧統一教会問題から解放されたい、という思いが強いからだ。被害者と会見するシーンがメディアに放映され、被害者から統一教会へのネガティブな情報を得た岸田首相はその後、旧統一教会の解体を宣言する、というシナリオが浮かんでくる。

 とまれ、被害者たちと会見することには反対ではないが、公平でフェアな対応のためには岸田首相は反統一教会関係者による統一教会信者の拉致監禁犠牲者とも会見すべきだ。12年5カ月間、拉致監禁され脱会を強いられた後藤徹氏らと会見することを勧める。ジュネーブの国連人権理事会のサイドイベントに参加した国際NGO「国境なき人権」代表のウィリー・フォートレ代表が10年前、日本政府の拉致監禁犠牲者への対応が皆無であるという事実を知って驚いていたことを思い出す。岸田首相は、職業的拉致監禁専門家の牧師、弁護士らが暗躍し、統一教会信者たちを拉致監禁してきた実態を知るべきだろう。

 朝日新聞ら左派メディア、ソーシャルメディアが連日、旧統一教会が如何に悪なる組織かを報じてきた。それも主に昔起きた不祥事を持ち出してバッシングを繰り返してきた。一方、それを見聞きする旧統一教会の一般信者たちはどのような思いになるだろうか。彼らの「信教の自由」はどうしたのか。家族や友人たちからも「統一教会の信者」であるがゆえに白い目で見られる一般信者たちの苦しみを誰が理解できるのか。

 繰り返しになるが、岸田首相が被害者に会う一方、拉致監禁の犠牲者とも会ってその話に耳を傾けてほしい。高額献金による被害者だけと会見しても事件の核心に至ることはないからだ。メディア受けのパフォーマンスでは事は解決できない。

 メディアの一方的な報道によって教会の信者の2世が精神的に苦痛を受け、社会からバッシングも受けて不幸なことが生じた場合、岸田首相はどのように責任を取るのか。同じことが左派メディア関係者にもいえる。世論を誤導した責任は大きいのだ。特に、朝日新聞は過去、慰安婦関連報道で恣意的な虚偽の報道をしてきた前科がある。日本民族の国益を無視し、慰安婦問題を扇動したのは朝日新聞だったではないか。

安倍元首相銃殺の「事件の核心」は…

 英国作家グレアム・グリーンの「事件の核心」を読まれた読者は多いだろう。当方は小説の内容より、そのタイトル「事件の核心」(The Heart of the Matter)が好きでその表現をコラムでも度々利用してきた。様々な事例、事件の背後にはそれを解明する核心部分が必ずある。それを見つけ出すために、一つ一つの「点」を結びつけながら「線」を見出し、その線上に浮かび上がってくる「面」に次は事実を積み重ねていく。「事件の核心」探しはそれだけ時間と冷静さが要求される

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▲記者会見する世界平和統一家庭連合の田中富広会長(2022年8月10日、日本外国特派員協会ライブ配信より)

 ところで、安倍晋三元首相銃殺事件の場合、上記のような「事件の核心」へのアプローチとは少々異なった様相を呈している。安倍元首相が7月8日、山上徹也容疑者に銃殺されて以来、山上容疑者の犯行動機、その背景、容疑者と犠牲者安倍元首相との関係等々を巡って、数多くのシャーロック・ホームズが現れて、それぞれのナラティブ(物語)を綴った。

 一方、事件を報道するメディア関係者は、点と点を結び、線と線を繋ぎ、事件の核心に迫るといった動きは余り見られず、警察当局が公表する、容疑者の供述内容(一部)をもとに既に出来上がっていたナラティブを量産している。すなわち、「事件の本丸は旧統一教会(現「世界平和統一家庭連合」)にある」というプロットだ。取材で浮かび上がってきた様々な証言はその結論を裏付けるために利用され、「事件の核心」を自ら見つけ出す努力を放棄しているのだ。

 司法や警察当局からの情報には常に懐疑的に受け取ってきたメディア関係者が安倍事件では、警察当局が公表する容疑者の供述内容を全面的に受け入れ、その内容の真偽、ファクトチェックを怠っている。警察側が何らかの事情から供述内容を検閲する可能性も十分考えられるが、そのような疑問について敢えて無視し、供述から浮かびあがる事件のシナリオのみに執着しているのだ。なぜなら、容疑者が「旧統一教会に対する憎しみからの犯行だ」と供述しているからだ。特に、日頃から旧統一教会を糾弾してきた左派系メディアにとっては絶好のチャンスとなる。その結果、山上容疑者は一部では英雄視され、「さん」付けで呼ぶソーシャル・メディアも出てくる。

 話は少し飛ぶ。テロ対策部隊は事件が発生した場合、可能な限り犠牲者数を抑える一方、テロリストを射殺せずに取り押さえることを目指す。射殺すれば「事件の核心」の全容解明が難しくなるからだ。ウィーンでは2年前、イスラム過激派の銃撃テロ事件が起き、4人が死亡し多数が負傷したが、テロ対策部隊WEGAは犯人を射撃戦の末、殺してしまった。警察側はその後、事件の全容解明のために一つ一つの事実をパズル合わせのような捜査をせざるを得なくなったのだ。

 幸い、といってはなんだが、安倍元首相銃殺容疑者は拘束された。「事件の核心」を知っている人間が生存しているということは、事件の解明にとって大きなメリットだ。

 同時に、事件の核心を握る容疑者の身辺警備をこれまで以上に強化すべきだ。なぜならば、容疑者は「事件の核心」を知っている数少ない貴重な証人でもあるからだ。安倍元首相銃殺事件で容疑者以外の第3者が存在するとすれば、容疑者はその第3者から抹殺される危険性が出てくるからだ。もちろん、自殺の危険も排除できない。ハリウッドや米政界などを巻き込んだ売春事件で有罪判決を受けたジェフリー・エプスタインが刑務所の独房内で謎の死を遂げたことを思い出すまでもない。いずれにしても、安倍元首相を守れず、容疑者をも失うようなことがあれば、警察当局の威信は完全に地に落ちてしまう。

 ウィーンの地から安倍元首相銃殺事件関連報道をみていると、「第4権力」と呼ばれるメディアが事件の動向を特定の方向にがむしゃらに扇動しているような印象を受ける。特に、朝日新聞ら左派系メディアは報道機関というより「事件の当事者」の役を演じ、客観的な報道というメディアの使命から完全に逸脱している。

 いずれにしても、安倍元首相銃殺事件の捜査では数多くの不透明な問題点が浮かび上がってきている。「事件の核心」が何者かに恣意的に別方向に誘導されているのではないか、といった懸念すら感じざるを得ないのだ。

南野森教授(憲法学)の抗議に答える

 8月23日の当コラム「旧統一教会は何を目指しているのか」では多くの読者から反響があった。その中には、コラムで発言を引用させてもらった九州大学法学部の南野森教授(憲法学)から、「そのような発言をしてはいない」という抗議のコメントをいただいた。本来ならば即返答すべき立場だったが、返答する前にいろいろなコメントが届き、南野森教授には失礼してしまった。

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▲インタビューに応じる九州大学の南野森教授(2022年8月20日、TBS報道特集会見のユーチューブからのスクリーンショット)

 当方が教授の発言を引用したのはTBS報道特集の発言内容を報じた日本の代表的言論プラットフォーム「アゴラ」編集部の情報からだ。ちなみに、当方は日ごろ、鋭い論評を報じる「アゴラ言論プラットフォーム」の報道内容には信頼性を置いている一人だ。

 そこでコラムで教授の発言内容を一部引用しながら、メディアが報道しない旧統一教会の実相について当方の考えを加え、教授の旧統一教会像に反論した。教授は当方の旧統一教会像に対する是非ではなく、教授自身が発信した発言内容が正しく受け取られていないと批判され、「動画も文字起こしもネットに公開されておりますので、ご批判いただくのであれば是非とも原文にあたってからそうなさってください」と主張された。当然の要求だ。そこでユーチューブでTBS報道番組での教授の会見内容をフォローしたので、このコラム欄で返答する。

 先ず、当方がこのテーマを重要と考えた理由は、ゝ貪一教会が本当に「反社会的団体で、普通の宗教団体ではないのか」、◆↓,正しいとすれば、「信教の自由」などを引き出して議論をする対象とはなり得ず、宗教法人法上の解散命令も考えられるのか、等々が提示されていたからだ。

 当方は2022年8月23日のウィ―ン発「コンフィデンシャル」で以下のように教授の発言を書いた。

 九州大学の南野森教授(憲法学)がTBSの番組の中で、『統一教会は反社会的だから解散命令を出すべきだ』と発言したという。そして、『反社会的な団体には信教の自由や言論の自由などを持ち出して議論をしてはならない。統一教会は暴力団体だからだ』という暴論を発した。

 「暴論を発した」という箇所は当方の主観的な評価だが、それ以外は先述した「アゴラ」からの情報を引用した。そして上記の文章に対して、教授は「そのようには発言していない」と抗議されたわけだ。そこでユーチューブで教授が発言されている動画を聞いてみた。

 正直にいえば、当方は当初、教授の反論をもらった時、歓迎していた。なぜなら、ひょっとしたら、教授は「旧統一教会は反社会的団体」とは考えず、憲法学者として「信教の自由」の重要性を理解している学者だから、当方のコラムに自身の名誉が毀損されたと受け取られたのかもしれない、と淡い期待をもっていたからだ。残念ながら、動画を見た結果、教授は旧統一教会を反社会的な団体と考え、宗教法人法上の解散命令への議論も必要と考えておられることが分かった。すなわち、当方のコラムでは一部の主観的な評価は別として、その内容には大きな間違いはなかったわけだ。

 教授がTBS番組の中で、「宗教法人法上の解散命令は、宗教否定ではなく、財産法上の優遇措置がなくなること。その優遇措置が無くなる不利益は、間接的な制約に過ぎず、信仰・信教の自由に対する直接的制約ではないから、解散させることに問題ないと最高裁が言ってる」と説明されていた。教授は宗教法人の解散命令を外面と内面に分けて議論すれば、信教の自由を脅かすものではないと説明していた。この説明は憲法学者として苦しい論理のように感じる(当方の主観)。ただ、この個所の議論は憲法学者に任せたい。

 動画では教授は「旧統一教会の政治への影響」に言及し、例として選択的夫婦別姓や同性婚の問題で「日本の議論は世界の流れから何周も遅れている」と指摘し、あたかも統一教会がその背後で政治家に影響を与えているかのような印象を与えている。教授の政治スタンスが明かになった発言だ。

 ただ、これまで面識のなかった教授とブログ上だが交流できたことはウィーンに住む一コラムニストとして幸甚だった。コラムでも書いたが、教授には統一教会への評価を急がず、その世界観、人生観について考えていただきたい。同時に、当方が想定できない世界、領域で教授が当方のコラムゆえに不当な迷惑を受けられたとすれば、謝罪したい。

 最後に、全ての誤解、早合点によるミスなどを回避するために、教授には当方の質問に直接答えていただければ幸いだ。当方はこのコラム欄で教授の返答を報告し、読者の皆様に伝えたいのだ。

 ゞ擬は旧統一教会を反社会的団体と考えておられるか。イエスとすれば、その主要な理由を簡明に説明して戴きたい。

 九州大学内にある旧統一教会関連の学生団体が過去、ゴミ掃除などの環境クリーンの奉仕活動で市から表彰されたが、安倍晋三元首相銃殺事件が報道された後、市がその表彰を撤回する旨を決定したというニュースが報じられた。この決定は正しいか、それとも旧統一教会に関わった関係者への魔女狩りか。

 ローマ・カトリック教会では聖職者の未成年者への性的虐待事件が発生し、世界で数万件の民事訴訟が起きている。教授の観点ではカトリック教会は反社会的団体であり、宗教法人をはく奪すべき危険な団体か。

旧統一教会は何を目指しているのか

 九州大学の南野森教授(憲法学)がTBSの番組の中で、「統一教会は反社会的だから解散命令を出すべきだ」と発言したという。そして、「反社会的な団体には『信教の自由』や『言論の自由』などを持ち出して議論をしてはならない。統一教会は暴力団体だからだ」という暴論を発した。

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▲記者会見する世界平和統一家庭連合の田中富広会長(2022年8月10日、日本外国特派員協会ライブ配信より)

 同教授は「統一教会は普通の宗教団体ではない」と断言する。それでは「どの団体が普通の宗教団体か」と聞いてみたい。と同時に、絶好の機会だから教授に聞いておきたい。「統一教会が提示する教えを知っているのか」と。

 統一教会の教えは2000年の歴史を有するキリスト教の伝統的な教えを土台としている。旧約聖書と新約聖書66巻をその教えの土台としたキリスト教だ。だから現在の名称の前の統一教会は「世界基督教統一神霊協会」と呼ばれていたわけだ。

 南野森教授が「統一教会は普通の宗教団体ではない」と主張する以上、統一神学を知ったうえでの発言と考えていいだろう。統一神学の何かを理解し、教会の経典「原理講論」を最低一度は読破されたと考えるから、統一神学のどこが問題であり、普通ではないのか、を指摘するのが暴言を吐く前の義務だろう。統一神学のエッセンスを知らず、「あの宗教団体は普通ではない」という議論は憲法学者がするべき発言ではないからだ。

 教授が統一教会を反社会的と断定し、「宗教の自由」、「言論の自由」を享受できる資格のある団体ではないと判断する根拠の一つは、統一教会が過去、信者との間の献金問題があって、それに関連した民事訴訟件数が多かったことがあるのだろう。それに対し、統一教会側は2009年、「コンプライアンス宣言」を表明し、法の遵守を徹底し、強制的な献金集めを慎むように信者たちに求めていくと発表して以来、その訴訟件数は減少したという。その時の教会会長は引責辞任している。

 残念なことだが、宗教団体には民事、刑事訴訟を抱えている団体は少なくない。その代表格は13億人以上の信者を誇る世界最大のキリスト教会、ローマ・カトリック教会だろう。世界各地の教会で聖職者による未成年者への性的虐待事件が発生し、教会指導部がそれを隠ぺいしてきたことが明かになっている。聖職者の性犯罪件数は5桁、数万件にもなる。アイルランド、フランス、ドイツ、米国など世界のカトリック教会で聖職者の性犯罪が暴露され、裁判にもなっているのだ。

 南野森教授はその事実をご存じだろう。未成年者時代に聖職者に性的虐待を受けた犠牲者たちがその後の人生でどのようなトラウマに悩まされながら生きているか、癒されないために自身で人生を閉じた犠牲者も少なくないのだ。

 もちろん、どのような犯罪も容認されるべきではないが、不法な経済的活動より未成年者への性的虐待が重犯罪であることは間違いない。ローマ・カトリック教会こそ教授がいう「普通の宗教団体ではなく、組織犯罪グループ」であることはその訴訟件数からも認めざるを得ない。しかし、そのカトリック教会の宗教団体の解体を要求する声はほぼ皆無であり、その「信教の自由」は尊重されて今日に至っている。如何に多くの民事訴訟件数を抱えている宗教団体とはいえ、「信教の自由」は尊重しなければならないことは憲法学者ならばご存じだろう。

 聖職者の1人が、「性犯罪は教会だけで発生しているわけではない。教会内の聖職者による性犯罪発生率は社会のそれとほぼ同率で、教会だけが飛びぬけて多いわけではない」と立派な(?)弁解をしていた。これは事実だ。宗教団体の教会も社会の一員とすれば犯罪問題でも社会と同じ程度の犯罪が起きていると考えても不思議ではない。その意味で、社会は教会での聖職者による性犯罪に大きな憤りを感じながらも、宗教団体の解体を求める声は少数派に留まってきたわけだ。

 南野森教授を含む統一教会批判を繰り返す知識人、メディア関係者は統一教会の基本的な世界観について知るべきではないか。批判しながら、統一教会が何を目指しているのかを知らないとすれば、それは世論に迎合した批判に過ぎないと言われても仕方がない。統一教会の創設者文鮮明師は生前、「世界を救えるのなら、教会は要らない。これまで苦労された神を解放できればいいのだ」と述べている。

 若い青年、大学生が学業を途中で捨て教会に献身していったのはメディアが好んで使う「洗脳」の結果ではない。若い世代の心を揺り動かす世界観、人生観がそこにあったからだろう。欧州の統一教会では冷戦時代、文鮮明師は“ミッション・バタフライ”と呼ばれるソ連・東欧共産圏への宣教活動を始めている。選ばれた若い青年たちが共産圏に入り、地下活動をしながら神のみ言葉を伝道していった。彼らの中には拷問を受けて亡くなった者もいる。暗い牢獄に長くいたため足指を腐らせた信者もいた。彼らは無神論共産主義の過ちを伝え、その社会で苦しむ東欧の国民に神を伝えていった。たぶん、統一教会を批判する日本のメディア関係者は彼らの存在すら知らないだろう。統一教会にもコルべ神父がいたのだ。

 旧統一教会は社会から批判を受けた高額献金問題を迅速に解決する義務がある。高い理想を掲げながら、「反社会的団体」と見られ続けていたならば、神の威信がたたなくなるからだ。一方、容共左派知識人、メディア関係者は献金に関わる民事訴訟は司法にゆだね、統一教会が提示した世界観、人生観について少しは知るべきだろう。九大の憲法学者の暴言を読んで、日本での統一教会批判の程度の低さに驚いたことを最後に付け加えておきたい。

北メディア「朝日の情報操作」を暴露

 まず北朝鮮発の2つの報道を紹介する。

 )鳴鮮のウエブサイト「わが民族同士」は今月13日、同国の朝鮮アジア太平洋平和委員会が「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」の創設者・文鮮明師の死去から10年に向けた追悼文を遺族に送ったと報じた。同委員会は追悼文の中で、「民族の和解と団結、国の統一と世界の平和のために傾けた文鮮明先生の努力と功績は末永く追憶されるだろう。世界平和連合の全てのことがうまくいくことを望む」と記述している。

 ▲薀促プレス(RP)によると、北朝鮮の「わが民族同士」は20日、韓国の尹錫悦政権の対日外交を非難する記事を掲載し、その中で安倍晋三元首相の国葬が行われることを伝えた。北朝鮮メディアやサイトが安倍氏の死去に言及したのは初めての可能性がある。同サイトは安倍氏を「極右保守の象徴であり、わが民族を悪辣に冒瀆してきた元日本首相安倍」と呼び、非難した(共同通信)。

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▲旧統一教会との関係について談話を発表する松野博一内閣官房長官の記者会見(首相官邸公式サイトから、2022年8月10日)

 次に、安倍元首相を銃殺した容疑者山上哲也(41)は警察当局の調べに対し、母親から巨額の献金を取り、家庭を破壊した「統一教会への恨み」からその教会と関係がある安倍氏を狙った、と供述したという。もう少し説明すると、山上容疑者は、「最初は統一教会の指導者を暗殺する計画だったが、警備などが厳しく、断念した。その代わりに旧統一教会と関係する安倍氏を殺すことにした」というのだ。

 ,鉢△遼魅瓮妊アの報道から、北朝鮮の「旧統一教会とその創設者文鮮明師」への評価と、「安倍元首相」への評価はまったく異なっていることが分かる。前者に対して称賛する一方、安倍元首相に対しては口汚く罵倒している。北朝鮮にとって統一教会と安倍氏はまったく異なった存在であり、両者が友好関係にあるといった認識はない。極言すれば、旧統一教会は親北、安倍氏は反北といえる区分けだ。

 賢明な読者ならば既にお分かりだろう。問題は、山上容疑者はその両者の関係を緊密な関係と判断し、教会指導者を殺害できないからその代わりに安倍氏を殺そうと判断したという供述だ。北側の受け取り方と容疑者のそれとは一致していないのだ。

 北朝鮮は一貫して安倍政権を批判してきた。一方、統一教会との関係では、文鮮明師が故金日成主席と「兄弟の契り」を結んだということは事実だろう。その意味で、先の北の報道内容には間違いがない。繰り返すが、北は旧統一教会と安倍氏が密接な関係であるという発想はもともとないのだ。一方、山上容疑者は両者の関係を友好と考えたわけだ。

 山上容疑者の認識は決して彼独自の考えに基づくものではないだろう。誰か「旧統一教会と安倍首相ら自民党議員との関係は密接」と主張している存在がいるはずだ。換言すれば、山上容疑者と同じ見解の立場の人が日本にはいるのだ。朝日新聞に代表される左派メディアの面々だ。41歳の青年・山上容疑者は今まで反統一教会、反安倍の朝日新聞ら左派メディアの報道記事を読んできただろう。旧統一教会は安倍元首相ら自民党議員たちと友好的なつながりを持ち、議員たちは統一教会を支援しているという印象を深めていったとしても不思議ではない(今回の事件の直接のきっかけは、安倍氏が動画を通じて教会イベントであいさつしているのをみて、容疑者は自身の考えを確信し、溜まっていた怒りの最後のバネが飛んで犯行に及んだことになる)。

 朝日新聞ら左派系メディアは安倍氏を極右政治家、民族主義者と受け取り警戒する一方、共産主義を批判し、左派系メディアを批判してきた統一教会に対しては、1990年代ごろから反統一教会の立場をとってきた。すなわち、朝日新聞ら左派系メディアでは、反安倍と反統一教会は同根だ。そこから山上容疑者の「旧統一教会と安倍元首相は同じだ」といった妄想が生まれ、旧統一教会の指導者を殺せないのならば、安倍氏を殺そうという発想が出てくるわけだ。

 朝日新聞は安倍氏の家系図を取り出し、岸信介元首相と文鮮明師との会合など大きく報道し、両者は最初から同盟関係だったと報じることに余念がない。実際は、共産主義の脅威から民主主義国を守るという目的で両者は連帯してきたことは事実だ。大義が同じだったからだ。しかし、それ以上ではない。共産主義の正体をよく知る文鮮明師にとって、共産主義を凌駕する平和的南北再統一が宿願だったのだ。にもかかわらず、朝日新聞らは「両者は政治の裏で政界を動かしてきた」と報じてきた。安倍氏の政権時代の功績を批判する一方、旧統一教会を罵倒し、大げさに両者の癒着報道を繰り返すことで、致命的なダメージを与えることに腐心している。

 朝日新聞は慰安婦報道では事実に基づかない偏見報道を繰り返し、日本の国益を蹂躙してきた前科がある。安倍元首相銃殺事件でも旧統一教会と自民党との関係を過大報道し、読者に誤った印象を与えている。その結果、山上容疑者を生み出し、安倍元首相が銃殺されるという悲劇が生まれてきた、という事実を看過している。朝日新聞には大きな責任がある。

 北朝鮮のメディアは今回、朝日新聞の情報操作を図らずも暴露したわけだ。
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