ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

バルト3国

エストニア、ロシア正教会との関係断絶法可決

 エストニア議会は9日、モスクワ正教会総主教区との関係を断絶する教会関連法を可決した。同関連法の改正は、2024年8月まで「モスクワ総主教区エストニア正教会(EOK-MP)」と呼ばれていたエストニア正教会を対象としたものだ。エストニアのレーネメッツ内相によれば、「同教会はエストニアにおけるクレムリンの最も重要な影響力行使手段となっている」という。

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▲エストニアのラウリ・レーネメッツ内相「ロシア正教会モスクワ総主教府はテロ組織」=エストニア公共放送(ERR)から

 改正の理由はロシア正教会モスクワ総主教のキリル1世がロシアのプーチン大統領が実施するウクライナ戦争を支持しているからだ。エストニアの法律によれば、エストニアの宗教コミュニティーは他国や他宗教への憎悪や暴力を扇動してはならないと明記されている。ウクライ戦争に対してキリル1世は「正教会の聖戦だ」と主張し、プーチン大統領のウクライナ侵略に対するナラティブを全面的に支持している。キリル総主教は2009年にモスクワ総主教に就任して以来、一貫してプーチン氏を支持してきた。

 エストニア政府は1月23日、レーネメッツ内相が提出した教会と集会に関する法律の改正法案を承認した。今回、議会が可決したわけだ。同内相は「エストニアで活動する教会や宗教団体は、エストニア国家に脅威を与える外国政府機関と関わるべきではない。政府は法律を改正することで、エストニアの宗教団体によるテロや過激思想の拡散を抑制することを目指している」と説明している。
 
 エストニアには2つの正教会がある。教会規模が大きい「モスクワ総主教区エストニア正教会」(EOK-MP) はモスクワに従属している 一方、信者数が少ない「エストニア使徒正教会」はコンスタンティノープルに従属している。 2021年の国勢調査では、人口の16パーセントが正教会の信仰を公言している。なお、EOK-MPは昨年8月、ロシアの母教会から離脱したことを公式に宣言し、行政、経済、教育の分野における独立を規定する新しい法令を採択した。名称も「エストニア正教会」(旧EOKーMP)に変更され、「モスクワ総主教区」の部分は削除された。
 
 20年以上前の教会法の改正により、宗教団体はエストニアの国家安全保障に脅威を与える海外の精神的指導者と公式に提携することが禁止される。モスクワ総主教キリル1世の名前は法律には記載されていないが、議会は2024年5月に既に決議の中でモスクワ総主教庁を「ロシア連邦の軍事侵略を支持する機関」と宣言していた。教会改正法によって「エストニア正教会」は新規則の発効から2か月以内に「モスクワ総主教区」を教会規則から除外する必要がある。

 エストニア正教会は主にロシア語を話す住民で構成されている。「エストニア正教会」の広報担当ダニエル司教は最近、「教会員が自らの宗教的アイデンティティを保持することは非常に重要だ。その中にはロシア正教会との教会法上のつながりも含まれる」と説明する一方、コンスタンティノープル総主教区の「エストニア使徒正教会」との合併を拒否した。

 エストニア政府は長年、ロシア総主教庁がロシアのウクライナ侵略戦争を公然と支持していることから、エストニア正教会とモスクワの完全な分離を要求してきた。エストニア正教会の長でロシア国籍を持つエウゲニ(レシェトニコフ)府主教は、当局が居住許可の延長を拒否したため、2024年2月にエストニアを出国しなければならなかった。

 ロシアのウクライナ侵攻以来、旧ソ連・東欧圏の正教会はロシア正教会モスクワ総主教区主管から離脱する動きが加速している。例えば、ウクライナのゼレンスキー大統領は昨年8月24日、国内のモスクワ寄りのウクライナ正教会(UOK)の禁止に関連する文書に署名した。同大統領は「これによってウクライナ正教会はモスクワへの依存から守られる。独立している国は精神的にも独立しているべきだ」と述べている。

キリル1世のロシア正教会は「テロ組織」

 イスラム過激テロ組織「イスラム国」(IS)やパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム過激組織「ハマス」はテロ組織だが、それではロシアのプーチン大統領のウクライナ戦争を聖戦と呼び、プーチン氏の指導を無条件に支持するキリル1世が主導するロシア正教会モスクワ総主教庁はテログループかといえば、意見が分かれるところだろう。バルト3国の一国、エストニアのラウリ・レーネメッツ内相はモスクワに本拠を置くロシア正教会モスクワ総主教庁を「テロ組織」に指定したい考えを表明し、エストニアのロシア正教会の反発を受けるなど、物議を醸している。

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▲エストニアのラウリ・レーネメッツ内相「ロシア正教会モスクワ総主教府はテロ組織」=エストニア公共放送(ERR)から

 レーネメッツ内相は「ロシア正教会モスクワ総主教庁の言動を見ると、イスラム過激派テロ組織と同様にテロ組織と認定せざるを得ない。他の選択肢がない」とエストニア公共放送(ERR)で述べている。同内相は、バルト3国の正教会コミュニティーについて言及し、「これはコミュニティーに影響を与えず、教会が閉鎖されることを意味するものではないが、モスクワとの関係が断たれることを意味する」と明確に述べている。同内相によると、「モスクワ総主教庁は現在、基本的に世界のテロ活動を指揮しているプーチン大統領に従属していることを理解する必要がある」というのだ。

 ちなみに、ロシア正教会の最高指導者、モスクワ総主教のキリル1世は西側情報機関によると、KGB(ソ連国家保安委員会)出身者だ。キリル1世はロシアのプーチン大統領を支持し、ロシア軍のウクライナ侵攻をこれまで一貫して弁護し、「ウクライナに対するロシアの戦争は西洋の悪に対する善の形而上学的闘争だ」と強調してきた。ウクライナ戦争は「善」と「悪」の価値観の戦いだから、敗北は許されない。キリル1世はプーチン氏の主導のもと、西側社会の退廃文化を壊滅させなければならないと説明してきた。神の愛を説く聖職者が民間人や子供たちを殺害する戦争犯罪を繰り返すプーチン大統領のウクライナ戦争を全面的に支持するのは、キリル1世のアイデンティティーは聖職者ではなく、KGBだということを端的に証明しているわけだ。ロシア正教会は旧ソ連共産党政権時代から政権と癒着してきた。

 欧州連合(EU)の欧州委員会ウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は2022年5月4日、対ロシア制裁の第6弾目の内容を表明したが、その中で個人を対象とした制裁リストの中にロシア正教のモスクワ総主教キリル1世が入っていたことが明らかになって、大きな衝撃が広がった。

 レーネメッツ氏によると、エストニアにはモスクワに直接影響を受けていないさまざまなコミュニティーがあるが、モスクワへの従属はエストニアの安全保障に脅威を与える。同氏によると、バルト3国にあるモスクワ総主教庁の管轄下のエストニア正教会には10万人を超える信者がいる。イスラム教のテロ組織は西側世界の価値観に対して聖戦を呼び掛けているが、ロシア正教会のキリル1世も同じように反西側スタンスを維持し、「堕落する西側世界を打倒しなければならない」と常に主張してきた。モスクワ正教会総主教庁はイスラム・テロリストと何ら変わらないというわけだ。

 ERRの報道によると、モスクワ総主教庁下にあるエストニア正教会(MPEOC)の代表者は記者会見で、「MPEOCはモスクワ総主教庁に直接従属していない。ウクライナ戦争へのロシア正教会の発言にも同意していない」と強調する一方、「ロシア正教会から完全に離脱する意向はない」と述べている。

 ロシア軍のウクライナ侵攻、それを支持するロシア正教会モスクワ総主教府に抗議して、ロシア正教会離れが進んでいる。キリスト教東方正教会のウクライナ正教会は2022年5月27日、ロシア正教会のモスクワ総主教キリル1世の戦争擁護の言動に抗議して、ロシア正教会の傘下から離脱した。

 ウクライナ正教会は本来、ソ連共産党政権時代からロシア正教会の管轄下にあった。同国にはウクライナ正教会と少数派の独立正教会があったが、ペトロ・ポロシェンコ前大統領(在任2014〜19年)の強い支持もあって、2018年12月、ウクライナ正教会がロシア正教会から離脱し、独立した。その後、ウクライナ正教会と独立正教会が統合して現在の「ウクライナ正教会」(OKU)が誕生した。ウクライナにはモスクワ総主教のキリル1世を支持してきたウクライナ正教会(UOK)が存在してきたが、モスクワ総主教区から独立を表明したわけだ(「ウクライナ正教会独立は『善の勝利』か」2018年10月15日参考)。

 UOKはモスクワ総主教区傘下から離脱した動機として、「人を殺してはならないという教えを無視し、ウクライナ戦争を支援するモスクワ総主教キリル1世の下にいることはできない」と説明している。その結果、ロシア正教会は332年間管轄してきたウクライナ正教会を完全に失い、世界の正教会での影響力は低下、モスクワ総主教にとって大きな痛手となった。

ラトビア、徴兵制を再導入へ

 ロシア軍のウクライナ侵攻以来、欧州の安全保障問題への取り組み方が大きく変わってきた。最大の変化は、北欧の中立国スウェーデンとフィンランド2カ国の北大西洋条約機構(NATO)加盟だろう。北欧2カ国の加盟議定書にNATO30カ国が5日、ブリュッセルの本部で署名したことを受け、加盟国の批准手続きが完了すれば、両国の加盟は年内にも実現する見通しとなった。フィンランドのNATO加盟で対ロシア国境線は約1300キロ長くなる。NATOはマドリードの首脳会談で軍の強化を決め、緊急部隊を4万人規模から30万人規模に拡大する計画だ。

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▲スイス南部のルガーノで開かれたウクライナ復興会議でビデオ演説をするウクライナのゼレンスキー大統領(2022年7月4日、ウクライナ大統領府公式サイトから)

 外電によると、バルト3国(リトアニア、エストニア、ラトビア)の一国、ラトビアは5日、徴兵制を再導入すると発表した。ラトビアのアルティス・パブリクス国防相は、「ロシア軍のウクライナ侵略に対応するためには、わが国の軍事システムは限界に達している。ロシアが近い将来、その侵略性を放棄する保証はない」と説明し、兵力の増加が不可欠となったことを明らかにしている。

 同国防相によると、兵役は来年に導入され、男性にだけ適用される予定だ。また、新しい軍事基地を建設する計画という。どこに、どのような軍事基地かは明らかにしていない。ロシアのプーチン大統領は、「わが国に近い場所でNATOが新たな軍事基地を建設すれば、それは明かにロシアへの脅威と受け取られる」と警告するなど、バルト3国の軍事活動に対しては神経を尖らせている。ちなみに、ラトビアの総兵力は7500人、NATO軍兵士1500人が駐留している。

 なお、バルト三国は2004年3月、NATOに加盟してから数年で徴兵制を廃止した。 ラトビアは2007年以来、軍は職業軍人で構成されて、ボランティアで構成された志願兵が存在するだけだ。

 ウクライナの首都キーウからの情報によると、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領は5日、ビデオメッセージで、ウクライナでの徴兵制の登録要件に対する厳しい批判を受けて、「私は問題を明確にすることを国民に約束した。私を除いてそのような決定を下さないでほしい」と軍の指導部を非難し、次回の参謀総長会議では、国防相、参謀長、陸軍最高司令官が大統領に詳細に報告するように要請している。

 陸軍最高司令官のヴァレリー・ザルジニー総司令官は、「徴兵されたウクライナ人が自分の報告地点を離れるには許可が必要である」と発表したが、国民から厳しい批判と不満の声が出た。それを受け軍は、「政府地区を離れる場合にのみ必要」と付け加えた。

 ウクライナの男性は18歳から60歳の間に徴兵されるが、ロシア軍の侵攻後、戒厳令が敷かれ、徴兵年齢の男性が国を離れることは許可されていない。今年10月からは、特定の職業グループの女性も兵役に登録されることになるという。

 プーチン大統領がウクライナに軍を侵攻させて以来(2月24日)、ウクライナ軍と国民は軍事力で圧倒するロシア軍に対し果敢に抵抗し、ロシア軍のキーウ制圧作戦を破るなど、その国防意識、兵士の士気の高さに欧米諸国は驚き、感動してきた。

 ウクライナ側はこれまでロシア軍に対抗するために欧米側に先端武器、重火器の供給を強く要請。第2次世界大戦後、紛争地域への武器の輸出を禁止したドイツもウクライナに武器を供給することで支えてきた。

 しかし、戦争が長期化し、多くの民間人にも犠牲が増えてきたことを受け、ウクライナ国内でも戦争に不満の声が聞かれる。ウクライナ軍幹部が徴兵年齢の国民に対する国外出国を厳しく統制するとソーシャルネットワークなどで国民の批判の声が高まったのは実例だ。同時に、ロシア軍がその軍事力を強化し、東部、そして南部で攻勢を集中してきた一方、ウクライナ軍が守勢に回ることが多くなってきた。

 ミシェル・バチェレ国連人権高等弁務官は5日、ロシアによるウクライナ侵攻を「意味のない戦争」と呼んで非難した。同弁務官によると、2月の侵攻開始後、7月3日までに4889人の民間人が死亡、うち335人が子供だったという。実際の死者数はこれをはるかに上回るものと受け取られている。

 「意味のない戦争」に駆り出される若いロシア兵の士気が上がらないのはやむ得ないことだが、ウクライナ兵士にも戦闘疲れが見えだしてきた。ウクライナ戦争は長期化の様相を深め、ハード(武器)とソフト(兵士、国民の士気、祖国愛など)両面の消耗戦になってきた。
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