ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

クロアチア

今年はクロアチアの「新しい出発」

 クロアチアといえば、国際サッカー連盟(FIFA)主催の世界サッカー選手権(W杯)での活躍を思い出す読者も多いだろう。クロアチア代表は準優勝した前回のモスクワ大会に次いで今回のカタール大会では第3位に入った。FIFAの最優秀選手賞にもなったMFルカ・モドリッチ選手に代表されるクロアチアチームの華麗なコンビネーションの良さは世界のサッカーファンにとって魅力的だ。

47a60368

88ff66c1
▲海水浴旅行者で溢れるクロアチアのアドリア海沿いのプーラ(2017年8月1日撮影)

 残念ながら今回は「サッカーの話」ではない。クロアチアは2023年1月1日を期して欧州の単一通貨ユーロ加盟国に入ったのだ。同時に、欧州域内の自由な移動を認めたシェンゲン協定に正式に加盟した。クロアチアにとって、1991年にユーゴスラビア連邦から独立、翌年の1992年に国連に加盟、その後、2009年に北大西洋条約機構(NATO)、13年に欧州連合(EU)に加盟。そして2023年の今年、ユーロ導入とシェンゲン協定加盟で同国の欧州統合は完結した、ともいえるわけだ。その意味で、2023年はクロアチアにとって文字通り、新しい出発の年となるわけだ。

 西バルカンに位置するクロアチアは人口400万人弱の小国だ。アドリア海沿いには欧州有数のリゾートエリアを有し、夏季に入ると欧州から多数の旅行者がアドリア海沿いの避暑地を訪れる。首都はザグレブだ。当方も何度か訪問したが、ザグレブの町の雰囲気はオーストリアの南部のケルンテン州のクラーゲンフルトに似ている。バルカンの風が吹くセルビアの首都ベオグラードとは違い、こじんまりとした欧州の小都市といった印象がある。

 クロアチアが加盟することでユーロ圏は20カ国となった。ユーロ圏に入るためには物価の安定、健全な財政、為替レートの安定性、長期金利の安定性といった4つの基準をクリアしていなければならないが、欧州委員会が昨年6月1日公表したクロアチアの経済収斂基準によると、同国はそれらの4つの基準値を全て満たしていたと評価された結果だ。クロアチアの国民経済はユーロを導入することで貿易の輸出入コストを抑えることで競争力を強化でき、価格の透明性が高まることで世界の市場での信頼性を得ることができるなどのメリットが期待できるわけだ。導入時の交換レートは、1ユーロ=7.53450クロアチア・クーナだ(日本貿易振興機構ジェトロ「ビジネス短信」参考)。今月7日までにクロアチア内のATMの約7割でユーロの支払いが始まったという。

 東欧・バルカン諸国の経済分析で有名な「ウィーン国際経済比較研究所」(WIIW)によると、「クロアチアの経済は、堅調な家計消費のおかげで、2022年上半期に力強く成長し、夏の観光シーズンも非常に堅調だった。その結果、22年のGDP予測を3・3%から5%に上方修正した。ただし、インフレの急騰とウクライナ戦争でのエネルギー価格の高騰など依然多くの不確実性はある」と予測。WIIWは23年、クロアチアのGDPの上昇率を2・5%と予測、24年には3・1%とみている。インフレ率は22年の9・5%から今年は6・0%と低下する一方、失業率は7・4%と昨年とほぼ同レベルと予測している。

 一方、クロアチアは今年1月、加盟国内の出入国管理のない自由な人の移動を認めるシェンゲン協定に加盟した。欧州委員会は2021年12月の段階でクロアチアのシェンゲン協定参加資格を認めていたが、遅れてきた。例えば、不法な移民がバルカンルート経由で殺到しているオーストリアはブルガリアとルーマニア両国のシェンゲン協定加盟に反対する一方、クロアチアのシェンゲン協定加盟は支持してきた経緯がある。ちなみに、シェンゲン協定には、ブルガリア、キプロス、アイルランド、ルーマニアを除くEU加盟国とEFTA加盟国(アイスランド、ノルウェー、スイス、リヒテンシュタイン)の27カ国が参加している。

 いずれにしても、クロアチアの欧州統合プロセスはバルカン諸国全体にとって大きな希望だ。

ザグレブでホロコースト記念碑

 バルカン半島のクロアチアの首都ザグレブで27日、第2次世界大戦中のユダヤ人への大量虐殺(ホロコースト)を追悼する記念碑が建立された。同記念碑は何年も前から計画されていたが、数カ月前にようやく完成したばかりだ。記念碑発足までクロアチア当局とユダヤ人コミュニティの間で長い論争があったためだ。

Franjo_Tuđman
▲クロアチア共和国初代大統領トゥジマン大統領(ウィキぺディアから)

 ザグレブから配信されたAFP通信の写真を見ると、記念碑は、スチールケースを重ねて作られた高さ12メートルの壁だ。それらは、強制収容所に強制送還された人々が駅のプラットホームに残したスーツケースを記念することを意図しているという。ザグレブ市長のオレグ・マンディッチ氏は同日の式典で、「この記念碑が記憶の文化に貢献し、過去の過ちを忘れないために役立つことを望んでいる」と述べている。

 記念碑の建立が遅れた理由としては、記念碑建立でクロアチア側がユダヤ人側と相談なく決定したことにユダヤコミュニティが強く反発したこと、記念碑の目的が戦争中に犠牲となったユダヤ人やロマ人の追悼だが、「誰が」、「どこで」で彼らを殺害したのかが明確でないことにユダヤ側が強く反発し、「歴史の事実を隠蔽している」といった批判の声まで出てきたからだ。

 地元のユダヤ人コミュニティ代表は、「犯された残虐行為におけるクロアチアの政権の役割が明確にされていない」と非難してきた。記念碑は「ホロコーストの犠牲者」に捧げられることになっていたが、ナチスと同盟を結び、1941年から1945年の間に数千人のセルビア人、ユダヤ人、ロマ人などを殺害したウスタシャ政権の関与には全く言及されていなかったのだ。すなわち、ホロコーストの加害者が明確ではないのにどうして犠牲者を慰霊できるか、といった批判は当然だ。

 クロアチアのユダヤ人責任者のオグニェンクラウス氏は2019年、「戦時中の残虐行為が「誰によって、どこで行われたのかなどが不明な印象を受ける」と批判していた。世界ユダヤ人会議(WJC)はクロアチア当局が「歴史を書き直そうとした」と非難した。最終的には、市当局は記念碑をホロコーストとウスタシャ政権の犠牲者に捧げるということで決着したわけだ。

 クロアチアにはザグレブ南東95kmにヤセノヴァツ強制収容所(Jasenovac)があった。同収容所は「バルカンのアウシュヴィッツ」と呼ばれていた。ナチス・ドイツ軍の関与なく運営された収容所としては、その規模からも欧州で最大級の強制収容所だったという。そこでクロアチア人の宿敵だったセルビア人のほか、ユダヤ人、ロマ人などの少数民族出身者、反体制派活動家が拘束され、殺害された。犠牲者の数の正確な数字はない。米国ホロコースト記念館によると、推定10万人と見ている。

 クロアチアは1941年4月、「クロアチア独立国」を建国すると、ファシズム政党ウスタシャ政権(指導者アンテ・パヴェリッチ)はナチス・ドイツ政権と連携し、「人種法」を取り入れ、セルビア人のほか、ユダヤ人を敵視する政策を推進していった。同年には既にザグレブではユダヤ教のシナゴークや墓地などが襲撃され、破壊されている。ちなみに、民族主義者でクロアチア共和国初代大統領のフラニョ・トゥジマン大統領(在任1990年〜99年)はウスタシャ政権への歴史的見直しを試みる一方、ユダヤ人の犠牲者数を数千人と過小に見積もっていたほどだ。

 クロアチアは現在、欧州連合(EU)の加盟国であり、観光立国を目指している。アドリア海沿いに有数の観光エリアを誇り、夏季休暇にはドイツ、オーストリアなどから多数の観光客がくる。美しいアドリア海を背景に休暇を楽しむ人々をみていると、ウスタシャ政権下でどれほどの残忍な虐殺が行われたかを忘れさせてしまう。

 ロシア軍がウクライナに侵攻し、多くの民間人、女性、子供たちを殺害しているというニュースに接する度に、「人類は同じ蛮行を繰り返している」というやりきれない思いにさせられてしまう。ザグレブの記念碑が歴史からの教訓を引き出すうえで少しでも役立つことを願うだけだ。
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Recent Comments
Archives
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ