ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

アルバニア

AIが大臣となって公権力を行使できるか

 世界初の無神論国家を宣言したアルバニアで冷戦終焉後、急速に民主化が促進され、現在は欧州連合(EU)加盟を目指している。その同国で昨年9月、「公共入札から汚職を100%排除する」をうたい文句で、世界で初めて人工知能(AI)がラマ政権内に大臣として政権入りして話題を呼んだ。しかし、あれから1年も経過しないうちに、ディエラ(アルバニア語で太陽)と呼ばれるAIを巡り、そのチャットポットの運営者が組織犯罪の容疑を受けて捜査を受ける一方、同国の憲法裁判所は26日、人間ではないAIが閣僚入り(バーチャル大臣)することが同国の憲法に合致するかの審理を開始する(結審は後日の予定)。

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▲AI大臣「ディエラ」

 それに先立ち、オーストリア国営放送(ORF)のウェブサイトが26日、「AI大臣、法廷へ」という見出しで大きく報道していたので、その概要を以下、紹介する。人間ではなく、AIが閣僚(仮想大臣)となり、その後、関係者が法廷に出廷するという前代未聞の出来事がバルカン半島の小国で起きているのだ。

 ディエラがラマ政権入りして行政上の意思決定を下すということ自体、同国内で当初から疑問の声があった。AIは公共調達において役立つ可能性はあるが、その責任は人間が負うべきだ、というのが一般的な見解だった。野党保守・中道右派政党「民主党」(DP)のガズメント・バルディ議会代表は、「ディエラ」をラマ首相の「プロパガンダの空想」であり、「この政権による日常的な巨額の横領を隠蔽するための偽装」だと非難した。

 ラマ首相率いる社会党は昨年5月の議会選挙で4期連続の勝利を収め、絶対多数を獲得した。同年9月には大統領令により「ディエラ」が大臣に任命された。ラマ首相は当時、「ディエラは私の娘であり、父親に非常に忠実だ」と誇らしく語り、「ディエラには従兄弟がいないため、よくある縁故主義の犠牲になる危険性はない」と付け加えた。

 DPは憲法裁判所に訴えを起こした。「憲法によれば、政府に就くことができるのは実在の人物のみであり、アルゴリズムは国民に対して責任を負わない」と主張した。この政令は、法的根拠のない新たな閣僚機構を創設し、憲法の枠組み外で首相に新たな責任を課すことで、権力分立の原則にも違反しているというのだ。

 アルバニアの現行憲法では、閣僚(大臣)は「18歳以上の市民(人間)」であることが前提となっている。データとアルゴリズムに過ぎないAIに大臣の権限や地位を与えることは、そもそも憲法違反(違法な任命)という指摘は説得力がある。また、野党側は、このAI大臣を「政府の大規模な汚職を隠すためのバーチャルな目隠しに過ぎない」と批判している。

 それに対し、ラマ政権は「AI大臣の主な任務は公共調達(政府の入札プロセス)」の監視・評価だ。人為的なコネ、ネポティズム(身内びいき)、賄賂といった政治的影響を100%排除するための武器だ」と主張して譲らない。

 アルバニアは2030年までの欧州連合(EU)加盟を目指しているが、最大の課題は汚職対策だ。テクノロジーによるガバナンスの刷新をアピールすることで、加盟交渉を加速させたい政治的狙いがあることは間違いないだろう。

 ところで、アルバニアのAI大臣の登場に対し、「AIにどこまで公権力を委ねてよいのか」という新しいテーマが生まれてきた。同時に、もしAIに不具合や偏り(バイアス)があった場合、「誰が責任を負うのか」という問題が浮上している。

 「ディエラ」は昨年9月に公開された時点では、全く新しいキャラクターではなく、同国のデジタル政府ポータルサイト「E-Albania」のチャットポットとして、既に存在していた。このキャラクターは、ChatGPTを運営するMicrosoftとOpenAIの協力のもと開発された。数か月後、「ディエラ」に顔が与えられた。女優のアニラ・ビシャがモデルと声を担当し、アルバニアの伝統衣装を身にまとったアニメーションのアバターだ。

 この前例のないアルバニアのプロジェクトは国際的な注目を集めたが、AIを搭載した政府職員による意思決定の透明性と説明責任の欠如、そしてミスが発生した場合の責任の所在に関する懸念は、すぐに現実のものとなった。ディエラを開発した政府の「国家情報社会庁(AKSHI)」の幹部らが、皮肉にも別の汚職(入札操作)容疑で捜査対象になったのだ。

 アルバニアのデジタル変革を担っている首相直属の国家情報機関AKSHIがあるが、そのAKSHIの局長と副局長が昨年12月、司法当局の捜査対象となった。汚職・組織犯罪特別検察庁は彼らを自宅軟禁下に置いた。起訴状によると、彼らは意図的に友好企業に契約を与えていた。また、脅迫や威嚇を用いて競合他社を撤退させていたというのだ。現地メディアによると、誘拐事件も発生し、数百万ユーロが不正に流用された。

 野党はラマ首相の辞任を要求したが、ラマ首相は「以前は、簡単な証明書でさえ、あらゆる書類を取得するために人々は列に並ばなければならなかった。AKSHIは、国民の6億ユーロ以上、そして7000年分以上の時間を節約した」と述べ、野党側の要求を拒否している。

 声と顔を提供した女性、ビシャ氏も「ディエラ」に対して訴訟を起こしている。ビシャ氏は、自身の肖像を不法に使用したとして政府を訴えている。ビシャ氏によると、彼女が録音した動画と音声素材はe-アルバニアのチャットボットでのみ使用される予定であり、契約は2025年末に満了したという。彼女は、AI大臣の顔になることに同意したことは一度もないと主張している、といった具合だ。

 最後に、アルバニアのAI大臣問題について、当方がお世話になっているAIにその見解を聞いた。

「この件は、テクノロジーで政治の腐敗をリセットできるかという革新的な実験である。同時に、法の支配や主権者(人間)による統治という民主主義の原則を揺るがしかねないという危うさを孕んでいる。憲法裁判所が下す判断は、AIはあくまで人間の補佐(デジタルアシスタント)の枠に留まるべきか、それとも新たな統治の形態として一定の地位を容認するかという、世界中の国々にとっても極めて重要な先例(ケーススタディ)となる」

アルバニア議会選と「その後」の行方

 アルバニアで11日、議会選挙(1院制、定数140)が実施された。同国中央選挙委員会が12日午前(現地時間)発表したところによると、集計50%強の段階で与党社会党(PS)が得票率約52・87%で第1党を堅持し、エディ・ラマ首相主導の現政権は継続される見込みだ。野党「アルバニア民主党」(PD)は34・25%で第2党だ。今回の議会選挙では、海外居住のアルバニア人(約24万人)が初めて投票できるようになった。なお、同国では与野党とも内政、外交問題で大きな相違はなく、欧州連合(EU)加盟を最大の目標としている。投票率は約42・2%。

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▲アルバニアの民族音楽・舞踏。同国観光局公式サイトから

 ラマ首相は2013年、2017年、2021年の選挙で勝利し、新政権(任期4年)は発足すれば今回が4期目。同国の首都ティラナ市長も務めた60歳の首相は2022年にEU加盟交渉を開始する一方、、経済的関係が深いイタリアとの間で難民受け入れ協定を締結するなど、一定の成果を上げてきた。ラマ首相は選挙戦では「2030年までにEU加盟を実現する」と公約している。

 ちなみに、同首相は昨年12月21日、動画投稿アプリ「TikTok」の1年間使用禁止を表明したことで注目された。同国で同年11月、14歳の少年がSNS上の公論から同級生に射殺されるという事件が生じ、大きな社会問題となった。

 ラマ首相の与党PSは前回総選挙(2021年)で74議席を獲得し辛うじて過半数を獲得したが、今回は80議席以上を獲得する可能性が出てきた。選挙では、国の12の行政単位に対応する12の選挙区で比例制に従って実施された。

 米国のシンクタンク、アトランティック・カウンシルによれば、「ラマ政権下のアルバニアでインフラへの投資は都市部と沿岸地域で建設ブームをもたらし、前例のない観光ブームと堅調な経済成長を実現している」という。その一方、インフレと生活費の急激な上昇で国民に生活を苦しめている。

  なお、 ウィーンの国際比較経済研究所(WIIW)によると、2024年の経済成長率は4%で、これは堅調な内外需要、特に輸出サービス需要の伸びに牽引されたものだ。外国直接投資は引き続き好調で、収益の再投資率の高さは、外国投資家の関心が継続していることを示している。財政状況は改善し、公的債務はGDPの55%に低下し、2007年以来の最低水準となった。インフレ率は2024年に半減したが、進行中の貿易戦争の影響を免れることは難しい。観光業は引き続き活況を呈し、消費は引き続き経済活動を支え続けると予想されます。WIIWは2025年の経済成長を3・7%と予測している。

 アルバニア経済はユーロ圏への輸出及び出稼ぎに出た自国民のユーロ圏からの送金に大きく依拠。野党指導者ベルシャ党首は「ラマ政権下で過去10年間、100万人の国民が海外に移住した」と批判している。

  人口約280万人のアルバニアはEU加盟候補国の中で「最有力候補」とみなされているが、最大の障害は組織犯罪と汚職問題だ。トランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗認識指数では、アルバニアは調査対象となった180カ国中80位だ。例えば、元環境相レフテル・コカ氏や元内相サイミール・タヒリ氏を含む数名のPS党閣僚が逮捕または有罪判決を受けた。また、ティラナ市長のエリオン・ヴェリアジ氏も今春、賄賂、マネーロンダリング、収入の隠蔽の罪で告発されている、といった具合だ。

アルバニアのティラナ大司教の「話」

 バチカンニュースは10日付でアルバニアの首都ティラナのカトリック教会のアルジャン・ドダージ大司教(Arjan Dodaj)の証を大きく掲載した。アルバニアはバルカン半島の南西部に位置し、人口300万人弱の小国だ。アルバニアのエンヴェル・ホッジャ労働党政権(共産党政権)が1967年、世界で初めて「無神論国家宣言」を表明したことから、同国の名前は世界の近代史に刻印されることになった。

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▲アルバニアのローマ・カトリック教会ティラナ大司教区のドダージ大司教(バチカンニュース、2023年5月10日から)

 ソ連・東欧共産圏はいずれも無神論国家だったが、正式に「無神論国家宣言」を表明したのはアルバニアが最初だった。冷戦が終焉し、アルバニアが1990年に入り、民主化に乗り出した直後、当方は世界初の「無神論国家」の現状を自分の目で見るためにティラナに飛んだ。直接の契機はアルバニアの民主化後の初代大統領サリ・べリシャ大統領と単独会見の約束があったからだが、出来ればティラナで会いたい人物がいたのだ。ホッジャ政権下で25年間、収容所に監禁されていたローマ・カトリック教会のゼフ・プルミー神父と会見し、「無神論国家」下の宗教事情について聞きたいと思っていた。

 神父は当時、ティラナの他の住居がそうであるように小屋のような家に住んでいた。神父は小柄で痩せていた。眼光だけはしっかりと当方に向けられていたが、声は小さかったことを思い出す。当時の取材ノートを見ると、同神父は、「わが国の民主化は宗教の自由を求めることから始まった。シュコダルで初めて正式に礼拝が行われた時、警察当局はもはや武力で礼拝を中止できなくなっていた。ティラナで学生たちの民主化運動が本格的に開始する前に、神について自由に語る権利を要求する運動が始まっていた。当時の共産政権指導者は恐れを感じていた」と話してくれた。プルミー神父との話はおよそ30年前だ。

 ドダージ大司教は同神父が収容所に拘束されていた時に生れた。同大司教は16歳の時、スターリン主義崩壊後の祖国アルバニアからイタリアに移住し、溶接工として労働していた当時、17歳で洗礼を受け、その後、聖職者の道を歩みだし、アルバニアに戻り、牧会活動を展開している。そのドダージ大司教の話がバチカンニュースでトップで報じられていた。移住者、労働者、神父、司教の道を歩んできたドダージ大司教の「証」だ。

 アルバニアでは多くの若者が西側に移住する。公式統計によると、2021年だけで4万2000人が外国に移住した。出国するのは主に若者で、その多くはイタリアやドイツに移住する。自身が移住を体験しているドダージ大司教は今日、アルバニアの若者たちが祖国に留まることが出来るように運動している。

 ドダージ大司教の移住体験談を少し紹介する。

 「私たちが独裁政権から抜け出したとき、私たちは皆同じ服を着ていて、同じようにやせ細っていた。共産主義が崩壊した時、私は14歳だった。当時、私の友人や仲間たちは皆、アルバニアを出て海外へ行きたがっていた。私たちは極度の貧困の中で暮らしていたため、ここを去りたかったのだ。私もタグボート付きモーターボートでアドリア海を渡って不法入国した。他のアルバニア人が既に働いていた北イタリアに行き、そこで溶接工として働いた。私は当時16歳でイタリアでは未成年だったが、背が高かったので、18歳のふりをした。そうでなければ、誰も私を連れて行ってくれなかっただろう。その後、160万リラの借金を返済するために働かなければならなかった」

 「イタリアに移住した時は神をまったく知らなかった。神についてアルバニアで教育を受けたことがなかったからだ。アルバニアは野外強制収容所だった。私たちはそこで地獄のような暮らしをしていた。逃亡は危険を伴うが、絶望的な状況からの逃亡だった。今日の北朝鮮で見られることは、当時私たちが経験したこととまったく同じだ。恐怖と恐怖の文化だ。アルバニア人の反応を理解するには、そのことを知っておく必要がある」

 「残忍な独裁政権の記憶は今でも鮮明に残っている。宗教、神、信仰の話をするだけでも命がけだった。誰もそれについて話さないし、誰も祈らない。勇敢な信者たちは聖人の像を壁に埋め込み、その場所をメモし、長年にわたってその前に立って秘密の祈りを捧げていた。私自身、同世代の他の若いアルバニア人たちと同様、神なしで育った。家族の中で神について話したことが一度もなかった。私たちは神の存在など考えたこともなかった。三日月がイスラム教、十字架がキリスト教を象徴しているとは知らなかった。首に十字架を掛けた人は誰もいなかった」

 「私はイタリアで初めて信仰を知った。私は教会の近くの『青少年の家』に住んでいた。ホームの責任者が定期的に祈りのために集まる青少年グループの所へ来るよう勧めた。教会の若者たちが祈っていたので、私も祈り始めた。それは私の潜在意識から出てきたものだった。突然、神の生きた臨在の感覚があった。私たちの場合、全てとても物質主義的だったが、教会で祈っている間、神に囲まれていると感じた。私たちの神は具体的で、言葉は事実だった」

 「私は1994年にバプテスマ(洗礼)を受け、1996年まで建設現場で働き続けた。97年にローマの神学校に入学した。2003年5月11日、ヨハネ・パウロ2世によって神父に叙階され、20年にフランシスコ教皇は私をティラナ大司教に任命した」

 同大司教の証を読んでいると、30年前にティラナで会ったプルミー神父の事をどうしても思い出してしまう。同神父の人生はほとんど共産主義政権下の収容所生活に終始したが、アルバニアの1人の若者が外国に移住し、労働者として働いていた時、神に出会い、アルバニアに戻り、プルミー神父が多分そうしたかったように、若者たちに神を伝える日々を送っているわけだ。

 一つの聖句を思い出す。「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」という有名な「ヨハネによる福音書」第12章24節の聖句だ。

 歴史が前進するためには、責任を担う者の「受難」がなければならないという「受難思想」だ。世界で初めて「無神論国家」を宣言したアルバニアでその後、多くの若者が宗教に目覚めてきているというニュースを聞くたびに、プルミー神父とその聖句が思い出されるのだ。

「アルバニア教」の神髄語った大統領

 アルバニアで先月25日、議会(下院、定数140議席)選挙が実施され、ラマ首相が率いる与党社会党が過半数を超える74議席を獲得して、ラマ政権の続投が決まったばかりだ。3期目のラマ政権の最大の課題はやはり欧州連合(EU)加盟だろう。同国は2009年4月、北大西洋条約機構(NATO)に正式に加盟している。

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▲筆者のインタビューに応じるアルバニアのモイシウ大統領(2003年5月、ウィーンで)

 当方がバルカンの小国アルバニアに関心を持ち出した契機はコソボ自治州の独立運動だったが、それ以上に、同国が1967年、世界最初の「無神論国家宣言」を発表したことだった。冷戦時代、旧ソ連・東欧共産党政権はいずれも無神論的唯物思想に基づいた国体を誇っていたが、「無神論国家宣言」をしたのはアルバニアだけだったからだ。

 アルバニアが1990年に入り、民主化に乗り出し、宗教の自由を公認した直後、当方はティラナに飛び、同国の宗教事情などを取材した。最初の取材先は、エンヴェル・ホッジャ労働党政権(共産党政権)時代、25年間収容所に監禁されたローマ・カトリック教会のゼフ・プルミー神父との会見だ。

 同神父のティラナの自宅で会見した。小柄な神父は抑えた声でアルバニアの民主化について語ってくれた。神父は、「わが国の民主化は宗教の自由を求めることから始まった。シュコダルで初めて正式に礼拝が行われた時、警察当局はもはや武力で礼拝を中止できなくなっていた。ティラナで学生たちの民主化運動が本格的に開始する前に、神について自由に語る権利を要求する運動が始まっていたのだ。当時の共産政権指導者は恐れを感じていた」と説明してくれた。

 当方はその後、アルバニア初代民主選出のサリ・べリシャ大統領(1995年5月)やイリル・メタ首相(2000年9月)、パスカル・ミロ外相(2001年3月))らアルバニアの要人たちとインタビューし、アルバニアの民主化、特に宗教の動向について追ってきた。

 バルカン半島は「民族の火薬庫」と呼ばれ、民族紛争の絶えない地域として恐れられてきた。その半島の南に位置するアルバニアでは、イスラム教を中心にアルバニア正教、キリスト旧教、新教、伝統的民族宗教などが存在する。注目すべき点はこれらの宗派が対立するのではなく、共存していることだ。ボスニア・へルツェゴビナ紛争を思い出すまでもなく、バルカン半島では宗派間の対立が原因で民族衝突を繰り返してきた歴史がある。その意味で、アルバニアの宗教事情は特殊なケースだ。

 ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は2014年9月21日、イタリア国内以外では初の欧州訪問地としてアルバニアの首都ティラナを選び、訪問したが、これは決して偶然ではない。フランシスコ教皇は、「アルバニアは多数の宗派が対立せず、共存している」と評価し、アルバニアは超教派和合のモデルと高く評価したほどだ(「アルバニアは21世紀の『モデル国』」2014年11月12日参考)。

 アルバニア人は、「われわれは宗派の違いは問題としない。われわれは同じアルバニア民族だからだ」という。“アルバニア教”と呼ばれている内容だ。バルカンでは大セルビア主義が一時期、席巻したように、アルバニアの歴史では大アルバニア主義が標榜された時代があった。そして大アルバニア主義を支えてきたのがアルバニア教という民族のアイデンティティだったわけだ。

 アルバニア教にについて当方に分かりやすく説明してくれたのは当時第4代大統領だったアルフレド・モイシウ大統領だった。当方は2003年5月、ウィーン公式訪問中のアルフレド・モイシウ大統領(在任2002年7月〜2007年7月)と単独会見したが、その時、大統領は、「オスマン・トルコ支配時代から、わが国では宗教は共存してきた。通称アルバニア教と言われるものだ。例えば、私の妹はイスラム教徒であり、私は正教徒だ。そして私の二女はイスラム教徒だ。私の孫がどの宗派に属するのか知らない。これがアルバニアの宗教事情だ」と笑顔を見せながら説明した。宗教間の対立など考えられない、といったふうに語るバルカンの大統領の笑顔に驚かされた。

 イスラム教はシーア派とスン二派が対立し、キリスト教はカトリック教会、プロテスタント教会、そして正教会などに分かれ、互いに真理の独占を主張することで対立を繰り返してきた。しかし、アルバニアでは宗派間の対立はなく、共存しているということは奇跡に近いことだ。1967年「無神論国家」宣言、1990年の民主化後の「宗教の自由」公認、そして「宗教の共存」へとつながるアルバニアの宗教事情はユニークだ。

 アルバニアはEU加盟を実現するためには政治家の腐敗対策、司法改革などをクリアしなければならないが、宗派間の共存は大きな武器だ。バルカンで宗派間の調和、共存を実現するためにアルバニアが積極的に貢献できる余地があるからだ。あえて問題点を挙げるならば、宗派に拘らないアルバニア人には強い民族愛が潜んでいることだ。大アルバニア主義の復活は現時点では非現実的なシナリオだが、コソボ問題でもその一端が垣間見られたからだ。

 ちなみに、モイシウ氏が2018年、元大統領という立場でウィーンを再訪した時、当方は同氏と15年ぶりに再会した。偶然だが、初めて会った時と同じ「5月」の月だった。
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