ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

スロバキア

欧州政界を震撼させた「首相銃撃事件」

中欧のスロバキア中部ハンドロバで15日午後(現地時間)、政治集会を終えて退出し、会場前に集まった市民と交流しようとしたロベルト・フィツォ首相(59)が男性から5発の銃弾を受け、一発は腹部に命中し、重体となって近くの病院にヘリコプターで搬送され、緊急手術を受けた。スロバキア政府関係者の話によると、首相は意識があり、生命の危険はないという。「欧州の首相が政治活動中に銃撃された」というニュースが報じられると、欧州の政治家に大きな衝撃が起きている。

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▲ヘリコプターで病院に搬送されるフィツォ首相(2024年5月15日、オーストリア国営放送の中継からスクリーショット)

 欧州連合(EU)のフォンデアライエン欧州委員長はXで「卑劣な行為で許されない」と批判、国内で政治家が殴打を受けるといった事件が発生しているドイツのショルツ首相は「政治の世界に暴力が関与してはならない」と強調。イタリアのメロー二首相は「民主主義と自由への攻撃だ」と語っている。

 現地のメディアによると、犯人は71歳の男性で詩人としてスロバキア文芸協会にも所属していたという。同国のエストーク内相によると、「犯行は政治的動機に基づいた暗殺未遂事件」という。犯人が所持していた銃は正式に購入したものだった。男の息子はメディア関係者に「父は合法的に銃を購入した。前回の総選挙ではフィツォ氏の政党を支持していなかった」と述べている。

 昨年9月30日に実施されたスロバキア議会の繰り上げ選挙で、フィツォ氏が率いる野党「社会民主党(スメル)」が第1党になりカムバックした。その結果、中道左派「方向党−社会民主主義(Smer−SD)」を中心とする、中道左派「声−社会民主主義(Hlas−SD)」および民族主義政党SNSから成るフィツォ連立政権が昨年10月に発足したばかりだ。

 フィツォ氏の政治キャリアは長い。同氏は2006年から2010年、そして2012年から2018年まで首相を務めた。2018年にジャーナリストのヤン・クシアク氏とその婚約者が殺害された事件を受けて、イタリアのマフィアとフィツォ首相の与党の関係が疑われ、ブラチスラバの中央政界を直撃。国民は事件の全容解明を要求、各地でデモ集会を行った。フィツォ首相(当時)は2018年3月15日、辞任を余儀なくされた(「スロバキア政界とマフィアの癒着」2018年3月17日参考)。

 その後のスロバキアの政情は腐敗とカオス状況が続いた。フィツォ首相の後継者に同じ社会民主党系スメルからペレグリニ副首相が政権を担当、スメル主導の連立政権を継続した。ただし、2020年2月に総選挙が行われ、マトヴィチ党首率いる「普通の人々」、「我々は家族」、「自由と連帯」、「人々のために」の4党でマトヴィチ氏を首相とする新政権が発足したが、連立内の対立でマトヴィチ首相は辞任。ヘゲル新政権が発足したものの、少数派政権となった2022年12月、内閣不信任案が可決され、総辞職に追い込まれ、昨年9月の繰り上げ総選挙実施となったわけだ。

 EUの本部ブリュッセルでは、スロバキアがハンガリーのオルバン首相の親ロシア政策に倣い、スロバキア・ファーストを推進、フィツォ首相は欧州の統合を阻む第2のオルバンになると懸念されている。フィツォ首相は昨年10月、ウクライナへの軍事支援をやめるという公約を掲げて4度目の政権復帰、その後、オルバン政権に倣って国営放送(RTVS)の解散など司法・メディア改革に乗り出している。それに対し、多くの国民が抗議デモを行っている。

 スロバキア政界の消息筋によると、スロバキアの政界は与野党間で激しい論争が絶えず、議会内は憎悪の声が飛び交っているという。フィツォ首相は数日前、リベラル派野党が政府に対する「敵意の風潮」を生み出していると非難し、「このような状況では暴力行為が起こる可能性は排除されない」と警告を発していた。

2024年は「スーパー選挙の年」と呼ばれ、世界各地で選挙が実施されている。欧州では6月に入ると欧州議会選挙が行われる。それだけに、政治家は集会や会合に忙しい。政府や政党関係者への警備の強化が求められている。

「チェコ」と「スロバキア」の絆に亀裂?

 赤の他人同士だったら、些細な問題で関係が急に悪くなることは少ないかもしれない。逆に兄弟関係だったなら、事態は俄かに複雑な状況になることがある。ちょっとした誤解から関係が急速に険悪化し、最悪の場合、兄弟関係が途絶えてしまう事態も予想される。

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▲訪日したチェコのヤン・リパフスキー外相と会談する上川陽子外相(2024年2月29日、日本外務省公式サイトから)

 チェコとスロバキアは冷戦時代は「チェコ共和国」と「スロバキア共和国」から成るチェコスロバキア連邦国家であり、東欧共産圏の一国だった。それがビロード革命と呼ばれる民主改革で共産政権が崩壊した。その後、1918年から両共和国で構成されていた連邦国家は1993年に平和裏に分かれた。両国はその後、欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、欧州の一員としてこれまでそれぞれの道を歩んできた。

 興味深い点は、チェコ連邦の国民の多数は当時、連邦解体を希望していなかったという事実だ。チェコ側もスロバキア側でも連邦の解体に関する国民投票は実施されず、政府と議会での討議後、連邦解体が決定された。連邦解体の背景について、スロバキアのウラジミール・メチアル元首相は、「チェコ政府側は経済力の脆弱なスロバキアから離れたいという意向が強かった。連邦解体はチェコ側が久しく願ってきたプランに基づいて遂行されていった。スロバキア側はそれに抵抗する手段はなかった」と、オーストリア日刊紙プレッセとのインタビューの中で述懐している「『チェコ連邦』の解体が決まった日」2017年8月28日参考)。

 その兄弟国だったチェコとスロバキア両国がここにきて険悪な関係となってきた。というより、ロシア軍のウクライナ侵攻後、EUのウクライナ支援に積極的に関わるチェコに対し、スロバキアはウクライナ支援に消極的で、ロシアのプーチン大統領の強権政治に傾斜してきたのだ。

 その両国間の政府間協議がチェコ側の申し出で無期延期されたことから、両国間の間に亀裂が生じてきた。ペトル・フィアラ首相率いるチェコ政府は6日、親ロシア派のロベルト・フィコ首相率いるスロバキア政府との間で予定されていた慣例の政府協議を中止すると決定した。フィアラ首相は、「スロバキア政府の活動の一部には問題がある。通常の政府間会合を開催することは現時点では適切ではないということで一致した」というのだ。チェコ側はこの措置についてスロバキア側に既に通知済みだという。

 チェコ側が反発している問題はスロバキア政府のウクライナ政策がロシアに融和的過ぎるという点だ。具体的には、スロバキアのジュラジ・ブラナール外相が今月2日、トルコのアンタリヤでロシアのセルゲイ・ラブロフ外相と会談したことが報じられると、チェコ側はスロバキア政府の外交政策に危険を感じ出したわけだ。

 チェコのペトル・パベル大統領は7日、ウクライナに対して数週間以内に80万発の砲弾を追加供給できると発表した。これはチェコ主導のプロジェクトであり、弾薬不足のウクライナを支援する狙いがある。チェコはウクライナ戦争勃発後、他のEU諸国と同様、対ロシア制裁を実施する一方、旧ワルシャワ条約機構時代の武器を提供してきた。同時に、ウクライナからの避難民を積極的に迎え入れてきた。

 チェコのフィアラ首相は、「チェコ社会とスロバキア社会の間に緊密なつながりがあることを認識しているし、私たちは協力を継続し、両国関係とプロジェクトの発展に興味を持っている。しかし、いくつかの外交政策問題については大きな意見の相違があるという事実を隠すことができない」と説明し、今回の政府決定への理解を求めている。

 一方、スロバキアのロバート・フィコ首相は6日、プラハからの発表に激怒し、「チェコとスロバキアの関係を危険にさらす決定だ。わが国はウクライナ戦争の平和的解決について語っているのに、チェコ政府は戦争の継続に関心がある。わが国のウクライナ政策には変更はない」と強調する一方、「わが国のチェコとの緊密な関係を危険にさらすようなことはしない」と述べ、両国関係の険悪化がエスカレートしないように注意を払っている。

 EUのブリュッセルでは、スロバキアがハンガリーのオルバン首相の親ロシア政策に倣い、フィコ首相が第2のオルバンになるのではないかと懸念している。フィコ首相は昨年10月、ウクライナへの軍事支援をやめるという公約を掲げて4度目の政権復帰をした左派指導者だ。

 チェコとスロバキア両民族は兄弟関係だったが、民族の気質は異なっている。1989年11月の民主化プロセス(ビロード革命)でもチェコでは民主化後初代大統領となったバーツラフ・ハベル(Vaclav Havel)氏ら知識人を中心とした政治運動が、スロバキアではキリスト信者たちの信教の自由運動がその民主化の核を形成していった。チェコ民族とスロバキア民族の気質の相違が民主化運動でも異なった展開となった(「『プラハの春』50周年を迎えて」2018年8月10日参考)。その違いがウクライナ問題でも表面化しているといえるかもしれない。物事を合理的に政治的に判断する傾向が強いチェコ民族と、情熱的、宗教的気質が強いスロバキア民族では、ウクライナ戦争に対する対応で相違が出てくるのはある意味で当然かもしれない。
https://wien2006.livedoor.blog/archives/52220971.html
 ちなみに、今年11月の米大統領選でトランプ氏が再選された場合、米国ファーストを標榜するトランプ政権のウクライナ政策が激変するかもしれない。プーチン大統領のロシアとの関係でも変化が予想される。同じように、ハンガリー・ファースト、スロバキア・ファーストを標榜してきたオルバン首相やフィコ首相の対ウクライナ政策やロシアへの融和政策に変化や修正が出てくることが考えられる。

EUの新たな頭痛の種スロバキア

 欧州連合(EU)は現在、27カ国から構成されているが、ポーランドとハンガリーの2国はこれまでEUの共通価値観である民主主義と法治国家の原則に違反しているとしてブリュッセルから批判されてきた。ただし、ポーランドで昨年12月11日、元欧州理事会議長のドナルド・トゥスクを首相とした新政権が誕生したことで、そのEU政策もブリュッセル寄りに変わってくることが予想される一方、昨年10月に発足したスロバキア新政権はEUのウクライナ支援に消極的な姿勢を示すなど、スロバキア・ファーストを歩み出してきた。ハンガリーと共に、スロバキア新政権は、EUの結束に大きな影を投げかけている。

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▲スロバキアのフィツォ首相(スロバキア政府公式サイトから)

 昨年9月30日に実施されたスロバキア議会の繰り上げ選挙で、ロバート・フィツォ元首相が率いる野党「社会民主党(スメル)」が第1党にカムバックした。その結果、中道左派「方向党−社会民主主義(Smer−SD)」を中心とする、中道左派「声−社会民主主義(Hlas−SD)」および中道右派「自由と連帯(SaS)」から成るフィツォ連立政権が発足した。

 フィツォ氏は2006年から2010年、そして2012年から2018年まで首相を務めた。2018年にジャーナリストのヤン・クシアク氏とその婚約者が殺害された事件を受けて、イタリアのマフィアとフィツォ首相の与党の関係が疑われ、ブラチスラバの中央政界を直撃、国民は事件の全容解明を要求、各地でデモ集会を行った。フィツォ首相(当時)は2018年3月15日、辞任を余儀なくされた(「スロバキア政界とマフィアの癒着」2018年3月17日参考)。
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 その後のスロバキアの政情は腐敗とカオス状況が続いた。フィツォ首相の後継者に同じ社会民主党系スメルからペレグリニ副首相が政権を担当、スメル主導の連立政権を継続した。ただし、2020年2月に総選挙が行われ、マトヴィチ党首率いる「普通の人々」、「我々は家族」、「自由と連帯」、「人々のために」の4党から成るマトヴィチ首相率いる新政権が発足したが、連立内の対立でマトヴィチ首相は辞任。ヘゲル新政権が発足したものの、少数派政権となって2022年12月、内閣不信任案が可決され、総辞職に追い込まれ、昨年9月の繰り上げ総選挙実施となったわけだ。そしてフィツォ氏が再びスロバキア政治の表舞台に登場してきたわけだ。

 5年前のジャーナリスト射殺事件で引責辞任に追い込まれたフィツォ氏が政治にカムバックできた背景には、前政権の行政能力のなさがあることは明らかだ。また、新型コロナウイルスの席巻、ウクライナ戦争の長期化で、国民経済が停滞し、国民の生活は厳しいという事情がある。

 そのスロバキアで11日夜、フィツォ新政権に反対して数千人の国民が抗議デモを行った。野党3党が主催した抗議デモは経済犯罪や汚職との戦いを担当してきた特別検察庁(USP)の廃止に抗議することが大きな目的だ。野党は法の支配に対する脅威と警告し、「フィツォ政権は過去の汚職事件を隠蔽しようとしている」と非難している。現地からの情報では、ブラチスラバの抗議デモには約2万人が参加し、「フィツォは辞めろ!」「フィツォを刑務所へ!」などのスローガンを掲げた横断幕が掲げられた。

 ところで、EUのウクライナ支援が揺れ出した。ロシア軍のウクライナ侵攻以来、ハンガリーのオルバン首相はウクライナへの武器供与を拒否、ハンガリー・ファーストを推進する一方、ロシアのプーチン大統領とも友好関係を築いている。フィツォ首相は施政方針でオルバン政権と同じように、スロバキア第一主義を前面に打ち出し、国益重視の外交を主張している。

 欧州委員会は、フィツォ新政権が特別検察庁の廃止を実施した場合、スロバキアの法治体制が大幅に制限される、と懸念している。同時に、スロバキアがEU内で「第2のハンガリー」にならないように注意深く監視しているところだ。

 なお、スロバキアの政情を予測するうえで、3月に予定されている大統領選挙は重要となる。スロバキアの大統領は法律に拒否権を発動したり、憲法裁判所で異議を申し立てたりすることができるからだ。ただし、ズザナ・チャプトヴァー現大統領は昨年6月、「殺害の予告を受けている」として、3月の大統領選には出馬しない意向を表明している。

 フィツォ首相は国民の抗議デモに屈して辞任に追い込まれた2018年の再現を避けるため、国民経済の停滞や社会の閉塞感はブリュッセルの政策に起因するとEUを悪役にし、ハンガリーと連携をとって政治的・外交的延命を図る可能性が考えられる。

スロバキア議会選からの「警告」

 9月30日に実施されたスロバキア議会の繰り上げ選挙(一院制、定数150)で、ロバート・フィツォ元首相が率いる野党「社会民主党(スメル)」が第1党にカムバックした。同国選挙管理委員会が集計率99%の段階で公表した投票結果によると、野党「スメル」(スロバキア社会民主主義に向けて=Smer-SSD)が得票率23.3%を獲得した。 欧州連合(EU)副議会議長ミハル・シメツカ率いるリベラル政党「進歩的スロバキア」は、得票率約17%で2位に留まった。この結果を受け、選挙後「スメル」主導の組閣工作が開始されるが、連立交渉は難航すると予想されている。

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▲議会選で勝利し、政治カムバックしたスロバキアのフィツォ元首相(2023年9月30日、オーストリア国営放送のスクリーンショットから)

 スロバキア総選挙では、ウクライナ支援を継続するか、中止するかで主要政党間で対立してきた。特に、今回第1党になった「スメル」のフィツォ元首相はウクライナへの武器供与に反対を表明してきた。それだけに、EUのウクライナ支援の継続路線にまた新たなハードルが生まれた、と受け取られている。ちなみに、スロバキアはロシアのウクライナ侵攻以来、積極的にウクライナを支援、EU加盟国で初めて旧ソビエト製ミグ29戦闘機をキエフに提供してきた。

 フィツォ氏は2006年から2010年、そして2012年から2018年まで首相を務めた。2018年にジャーナリストのヤン・クシアク氏とその婚約者が殺害された事件を受けて、イタリアのマフィアとフィツォ首相の与党の関係が疑われ、ブラチスラバの中央政界を直撃、国民は事件の全容解明を要求して、各地でデモ集会を行った。フィツォ首相(当時)は2018年3月15日、辞任を余儀なくされた経緯がある(「スロバキア政界とマフィアの癒着」2018年3月17日参考)。

 その後のスロバキアの政情は腐敗とカオスの状況が続いた。フィツォ首相の後継者に同じ社会民主党系「スメル」からペレグリニ副首相が政権を担当、スメル主導の連立政権を継続した。ただし、2020年2月に総選挙が行われ、マトヴィチ党首率いる「普通の人々」、「我々は家族」、「自由と連帯」、「人々のために」の4党から成るマトヴィチ首相率いる新政権が発足した。

 しかし、連立政権内で対立が生じ、マトヴィチ首相は辞任。ヘゲル新政権が発足したが、少数派政権となって2022年12月、内閣不信任案が可決され、総辞職に追い込まれるなど、今年9月の繰り上げ総選挙実施までスロバキア政権はドタバタ劇が続いてきた。

 5年前のジャーナリスト射殺事件の引責で辞任に追い込まれ、マフィアとの関係、腐敗政治家というレッテルを貼られ、「政治キャリアは終わった」と見られてきたフィツォ氏が今回カムバックできた背景には、その後の政権の行政能力のなさがあることは明らかだ。また、新型コロナウイルスの席巻、ウクライナ戦争の長期化で、国民経済は停滞し、国民の生活は厳しいという事情がある。

 スロバキア総選挙が国際的に注目されたのは、同国のウクライナ政策が選挙結果次第では激変するのではないか、という懸念があったからだ。フィツォ氏は選挙戦では「武器の支援は戦争を長期化し、平和をもたらさない。対ロシア制裁ではスロバキアにとってマイナスをもたらさない場合に限り、守る」と主張してきた。なお、フィツォ氏の「スメル」主導が新政権を確立するためには少なくとも他の2党との連立が不可欠だ。

 EU内の旧東欧加盟国でウクライナ支援で揺れが見られ出した。ロシア軍のウクライナ侵攻以来、ウクライナに人道支援、軍事支援してきたポーランドはウクライナ産穀物の輸入問題が発火点となり、ウクライナと対立してきた。ハンガリーのオルバン首相は先月25日、ブタペストの国会演説でロシアと戦争中のウクライナを酷評し、「キーウ政府はウクライナ最西端ザカルパッチャ州に住むハンガリー系少数民族約15万人の母国語の権利を制限している。その権利が回復されるまで、わが国はウクライナを国際政治の舞台では支援しない」と述べたばかりだ。そしてウクライナ支援の中止を表明してきたスロバキアの野党「スメル」が選挙で勝利した。

 それだけではない。ウクライナへの最大の支援国・米国連邦政府の議会上下両院は30日、11月半ばまでのつなぎ予算案を賛成多数で可決したが、その予算案にはウクライナ支援は除外されたという。ウクライナ政府にとって悪夢だ。

 一方、ロシアのプーチン大統領はウクライナ支援で欧米諸国が揺れ出してきたのを見て、「チャンス到来」と受け取り、戦争の長期化を通じて欧米の結束を更に崩す作戦に出てくることが予想される。

 ロシアが始めたウクライナ戦争は世界の戦争に拡散する危険性を内包していることを再確認し、欧米諸国の指導者はウクライナ戦争の危険さを改めて国民に伝え、ウクライナ支援で結束を緩めてはならない。世界は正念場を迎えている。これがスロバキア議会選からの「警告」だ。

ローマ教皇の「手術後初の外国訪問」

 ローマ教皇フランシスコは15日、3日間のスロバキア公式訪問を終えて、ローマに戻る。同教皇は12日から15日にかけ、中欧のハンガリーの首都ブタペストとスロバキアを訪問した。ハンガリーでは12日午後、ブタペストの英雄広場で開催中の国際聖体大会に参加し、閉会式の記念ミサを行った。その後、スロバキアの公式訪問に入った。政府や宗教関係者と会談した。

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▲ブラチスラバでユダヤ教徒の代表と会見するフランシスコ教皇(2021年9月13日、バチカンニュースから)

 両国訪問はフランシスコ教皇にとって43回目の外国訪問だ。教皇は7月4日、ローマのアゴスチノ・ゲメリ・クリニックで結腸の憩室狭窄の手術を受けたばかりだから、手術後初の外国訪問となった。

 テレビのニュース番組を見る限りでは、フランシスコ教皇は手術を乗り越えたようだ。スペインのジャーナリストとの会見の中で「10メートルまでも歩けない」といっていたが、スロバキアでの表情は明るい。

 ハンガリー訪問はあくまでもブタペストで開催中の国際聖体大会で記念礼拝をするのが目的。一方、スロバキア訪問は実質的な公式訪問だ。ハンガリーもスロバキアもキリスト教社会の欧州の中央部に位置し、冷戦時代にはキリスト教徒を中心とした民主運動が推進された地域だ。

 メディア関係者はフランシスコ教皇が“欧州の異端児”と呼ばれているオルバン首相と会合するかどうかに関心があった。ニュースを見る限り、両者は会合し、短い会話が行われた。一方、スロバキア訪問は3日間の公式訪問だから、ブラチスラバ入りすると、同国のズザナ・チャプトヴァー大統領らの歓迎を受け、政府関係者、教会指導者、多数の信者たちの歓迎を受けた。

 バチカンニュースによると、教皇は13日午前、政府関係者、市民代表、外交官などと大統領府内の庭園で会合した。チャプトヴァー大統領は、「教皇をスロバキアに迎える名誉に感謝する」と述べると、フランシスコ教皇は、「28年前、チェコとスロバキアは紛争もなく、平和裏に分割した。これは模範的な実例だ。スロバキアの歴史が欧州の中心部にあって平和と統合のメッセージとなるように」と語った。

 スロバキア日刊紙によると、チャプトヴァー大統領が教皇に、「多くの日程をこなすのも大変ではないですか」と聞くと、教皇は、「若返ったような気分です。訪問は私にエネルギーを与えてくれました」と答えたという。

 フランシスコ教皇はスロバキアの首都ブラチスラバの聖マルティン大聖堂で教会関係者と会い、同国内のユダヤ教徒の代表とも会合した(第2次世界大戦前にはスロバキアには1万5000人のユダヤ人が住んでいたが、戦後、その数は3500人になっている)。

 スロバキア司教会議のマーテイン・クラマラ広報官は、「教皇がスロバキアの伝統や詩に通じていることに驚かされた。教皇は、『パンを分け合い、連帯という塩で味をつける』と述べた。教皇の訪問はわれわれの信仰を高めてくれた」と評価している。

 個人的な話になるが、当方にとってブラチスラバは特別な場所だ。1988年3月25日、ブラチスラバ民族劇場前でキリスト者たちの「宗教の自由」を要求したロウソク集会が開催された。その時、当方も取材で広場にいた。

 「小雨が降る夕方、ブラチスラバの民族劇場前広場がデモ集会の開催地だった。開催前から私服警察官が広場にくる市民の動向に目を光らせていた。キリスト者たちがロウソクを灯して広場に集まり出すと、警察は放水車を駆り出して集まってきた市民を追い払い始めた。当方がカバンから素早くカメラを出してシャッターを切った時、背後から私服警官がカメラを奪い取り、当方を警察の車両に連れて行った。国際記者証を出し、『プレスだ』といったが、私服警察官はその記者証までを取り上げた。そしてブラチスラバの中央警察署に連行され、釈放されるまで7時間余り尋問を受けた。当方のように警察署に連行された1人のキリスト信者が何か抗議したら、警察官がその青年の顔を壁にぶつけたのを目撃した」(当方の取材ノートから)。

 尋問では、「君は誰から今日のデモ集会のことを聴いたのか」という質問が繰り返し飛び出した。尋問担当の警察官は、「こんな質問はしたくないが、仕事だからね」と言いながら、申し訳なさそうな表情をした。尋問後、早朝パトカーに乗せられ、駅まで運ばれ、そこで記者証や旅券が返され、「ここからウィーンに戻るのだ」といって、早朝一番のウイーン行きの電車に乗せられた(「30年前のロウソク集会の思い出」2018年3月27日参考)。

 それから1年余りでチェコスロバキア共産党政権は崩壊した。そして1993年1月、チェコスロバキア連邦は連邦を解体し、チェコとスロバキア両共和国に分かれた。両国とも現在、欧州連盟(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の加盟国だ。チェコではバーツラフ・ハベル氏らの「民主化運動」が、スロバキアではキリスト教信者たちの「宗教の自由運動」がそれぞれ改革の原動力となって「ビロード革命」が起きたわけだ。

 民主化後、30年以上が経過した。ワシントンDCのシンクタンク「ビューリサーチ・センター」の宗教の多様性調査(2014年)によると、チェコではキリスト教徒23・3%だが、無宗教者は76・4%とキリスト教文化圏の国で考えられないほど高い。スロバキアでも世俗化の波を受け、カトリック教会は衰退傾向が見られ、若い世代の教会離れが加速している。

 フランシスコ教皇はスロバキアのカトリック教会関係者に対し、「共産政権時代から解放され、自由を享受していく中で、人は次第に自身の快さに溺れ、その奴隷となっていく傾向が見られる」と指摘し、「教会は高い所から世界を見下ろす砦ではない」と訴えている。 

30年前のロウソク集会の思い出

 スロバキアの日刊紙「SME」編集記者ボリス・バンヤ氏(Boris Vanya)からEメールを受け取った。1988年3月25日ブラチスラバ民族劇場前でキリスト者たちの「宗教の自由」を要求したロウソク集会が開催されたが、スロバキアの民主化運動に大きな影響を与えた同集会30年目の特集記事を書いているので当方とインタビューしたいという内容だった。同氏は当方がロウソク集会で現場取材中に治安部隊に拘束されたジャーナリストの1人だったことを知っていた。多分、警察側の資料から当方の名前を見つけ出したのだろう。

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▲1988年3月25日、ブラチスラバで行われたスロバキアの民主改革に大きな影響を与えたロウソク集会(「SME」紙電子版からボリス・バンヤ記者の記事)

 バンヤ記者が質問項目を送信してきた。どうしてロウソク集会の開催を知ったのか、警察に連行された後、どのような扱いを受けたか、国外追放された後、スロバキアに再入国できたか、など11項目の質問だった。質問に答えながら、当方は30年前のことを思い出そうとした。

 小雨が降る夕方、ブラチスラバの民族劇場前広場がデモ集会の開催地だった。開催前から私服警察官が広場にくる市民の動向に目を光らせていた。キリスト者たちがロウソクを灯して広場に集まりだすと、警察は放水車を駆り出して集まってきた市民を追い払い始めた。当方がカバンから素早くカメラを出してシャッターを切った時、当方の背後から私服警官がカメラを奪い取り、当方を警察の車両に連れて行った。国際記者証を出し、「報道関係者だ」といったが、私服警察官はその記者証を取り上げた。そしてブラチスラバの中央警察署に連行され、釈放されるまで7時間余り尋問を受けた。当方のように警察署に連行された1人のキリスト信者が抗議したら、警察官がその青年の顔を壁に向かってぶつけたのを目撃した。

 冷戦時代の旧チェコスロバキアの民主化運動は、チェコではハベル氏ら反体制活動家を中心とした政治運動が中心だった。一方、スロバキアではキリスト信者たちの「宗教の自由」を求める運動が主導的役割を果たしていた。

 24日には「SME」電子版にバンヤ記者の記事が掲載された。当時のロウソク集会の写真が掲載されていた。その写真を見ると、当時の状況を鮮明に思い出した。記事にはロウソク集会を取材した外国メディアの名前が紹介されていた。BBCから始まり、ドイツの公営放送ARD、オーストリア国営放送(ORF)、米紙ニューヨーク・タイムズ、スイスのノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング、そして日本の世界日報となっていた。

 当方は冷戦時代、通常1人で共産圏に入り、取材していた。一匹狼のジャーナリストの当方のことも忘れず、ロウソク集会30年目の特集記事に言及してくれたバンヤ記者に感謝する。

「Rok a pol pred Nežnou revoluciou a takmer pať rokov pred rozdelenim spoločneho štatu sa o Slovensku a Slovakoch hovorilo a pisalo na celom svete – v britskej televizii BBC, nemeckej ARD, rakuskej ORF, v americkych novinach The New York Times, vo švajčiarskych Neue Zurcher Zeitung či v japonskych Sekai Nippo.」

 スロバキアでは今日、別のデモ集会が各地で開催されている。先月25日、著名なジャーナリストが婚約者の女性と共に自宅で銃殺された。犠牲者は政治家や実業家の腐敗や脱税問題を調査報道することで国内で良く知られていたヤン・クツィアクさん(27)だ。それ以後、政治家とマフィアの癒着を黙認してきた政府の責任を追及する抗議デモ集会が行われている。フィツォ首相やカリナク内相らが次々引責辞任に追い込まれる一大政変となってきた。キスカ大統領が今月22日、フィツォ首相の後継者にペレグリニ氏を任命したが、議会の解散、早期総選挙の可能性も排除できなくなってきた。

 スロバキアの民主化運動に決定的な影響を与えたロウソク集会開催30年目の今年、ジャーナリストの殺人事件が起きて同国の政情は大きく揺れ出した。政治家の腐敗問題はスロバキアが更に飛躍するために避けて通れない課題だろう。

スロバキア政界とマフィアの癒着

 このコラム欄で「ブラチスラバのジャーナリスト殺人事件の調査が進み、事件の背景が明らかになれば、スロバキア政界が大揺れになる可能性が予想される」と書いたが、事態はその通りに進行してきた。

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▲スロバキア政界の危機について語るキスカ大統領(2018年3月4日、スロバキア大統領府公式サイトから)

 スロバキアで著名なジャーナリストが婚約者の女性と共に自宅で銃殺された殺人事件はブラチスラバの中央政界を直撃し、ロベルト・フィツォ首相は15日、引責の形で辞任に追い込まれてしまった。

 アンドレイ・キスカ大統領は同日、フィツォ首相の後継者に同じ社会民主党系「スメル」からペレグリニ副首相を任命し、組閣を要請した。中道左派「スメル」は2016年の総選挙の結果を尊重し、3党から成る現連立政権の継続を要求し、それが受け入れられた形だ。ただし、政治家や実業家の腐敗や脱税問題を調査報道することで国内で良く知られていたヤン・クツィアクさん(27)殺人事件に対し、国民は事件の全容解明を要求して、各地でデモ集会を行っている。
 
 以下、先月25日のジャーナリスト射殺事件後のスロバキアの政界の動きをまとめる。

 2月25日
 ヤン・クツィアクさんと婚約者がブラチスラバ郊外の自宅で射殺されて発見。
 (「スロバキア『ジャーナリスト殺人事件』」3月2日参考)。

 2月26日
 ロベルト・フィツォ首相は犯人逮捕に繋がる情報提供者に100万ユーロの報奨金を提供すると発表。
 ティボア・ガスパール長官は、「事件はクツィアクさんの取材活動と密接な関係がある」との見方を明らかにした。

 2月28日
 マレク・マダリック文化相は、「ジャーナリストが殺害されたことに文化相として責任を負う」として辞意表明。

 2月26日から3月に入り
 ジャーナリスト殺人事件の全容解明を求めるデモ集会が全土で展開。デモ参加者はフィツォ政権の即解散、総選挙の実施を訴えている。

 3月9日
 ブラチスラバで約3万人の国民がデモ集会を開催。1989年の民主改革時のデモ以来の最大の規模となった。参加者は「スロバキア国民は真面目な勤勉な国民だ」と叫び、マフィアとの癒着が噂されている政府関係者を批判。事件の全容解明のため独立機関の設置を求めている。

 3月12日
 ジャーナリストが狙われていたことを知りながら対応しなかったとして辞任を要求されてきたロベルト・カリナク内相が事件発生2週間後、辞任を表明。

 3月14日
 フィツォ首相は国内の政情を鎮静化させ、早期総選挙を回避するために現連立政権の継続と後継者の任命権など3つの条件がキスカ大統領に受け入れられるならば、即辞任すると表明

3月15日、
 キスカ大統領はフィツォ首相の条件を受理し、首相の辞任を受け、後継者にフィツオ首相と同じ政党「スメル」所属のペレグリニ副首相を任命した。

  「スメル」と連立政権を組む「架け橋」(Most-Hind)のベラ・ブガル党首は、「首相の辞任は事態を沈静化するのに貢献するだろう」と期待を表明した。一方、野党の「普通の人々」(Olano) や 「自由と連帯」( SaS )は「フィツオ首相の辞任では十分ではない。総選挙を実施して国民に真意を問うべきだ」と主張している。


 事件の全容解明はあまり進んでいない。殺されたヤン・クツィアクさんはドイツ・スイス系のニュースサイトに所属。同記者が書きかけていた記事「スロバキアのイタリア・マフィア」によると、スロバキア東部に拠点を置くイタリア系マフィアがスロバキア政府の上層部と連携し、欧州連合(EU)の補助金を不正利用していた疑惑があるという。また、フィツォ首相の個人秘書マリア・トロスコバ女史は以前、イタリアの会社に勤務し、マフィアと関係があったという。

 ブラチスラバの民族劇場前で1988年3月25日、「宗教の自由」を求めたキリスト信者たちの「ろうそく集会」が開催され、警察隊によって鎮圧され、多数の信者たちが拘束されたが、クツィアク記者の射殺事件は、30年前の「ろうそく集会」と同じように、スロバキア国民に大きな衝撃と憤りを与えている。
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