ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

フランス

「パンの誘惑」対「共通の価値観」

 欧州の盟主ドイツのショルツ首相が昨年11月、中国を公式訪問し、習近平国家主席と会談した。北京滞在11時間余りの訪問だが、ドイツ国内ばかりか、欧米諸国では「ショルツ首相の訪中タイミングは良くない」と批判的な声が聞かれた。習近平主席が中国共産党第20回党大会で3期目の任期を獲得、習近平独裁体制が始まった直後という時期に、ドイツの首相が北京を訪問し、習主席と昼食を共にすることで、習近平独裁体制に祝福を与えたのではないか、といった懸念が出てきたからだ。

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▲習近平主席、フランスのマクロン大統領と広州で非公式会談(2023年4月7日、中国政府公式サイトから)

 一方、ショルツ首相の盟友、フランスのマクロン大統領は4月5日から7日までの日程で北京を公式訪問し、習近平主席と会談し、その後も主席が伴って広州など中国内を案内するなど、異例の厚遇を受けた。問題は、同大統領がフランスの新聞レゼコーとオンラインマガジン「ポリティコ」(9日掲載)とのインタビューで、「欧州は台湾問題で米国の追随者であってはならない。最悪は、欧州が米国の政策に従い、中国に対し過剰に対応しなければならないことだ」と指摘、米中両国への等距離外交を主張している。マクロン大統領の発言が明らかになると、米国を始め、ドイツなどでマクロン大統領を批判する声が高まった。

 ショルツ首相の場合、11時間余りの中国滞在だったが、マクロン大統領の場合、3日間と長期滞在となった。訪中の場合、ゲストがどれだけ滞在するかでその待遇ぶりがある意味で推測できる。戦略的に重要な欧米ゲストを迎えた時、中国側はゲストに十分な滞在を要求するのがこれまでの慣例だ。69歳の習主席が直々にゲストを案内するという場合、ゲスト側は中国側に明確な目的があると事前に考えるべきだが、若いマクロン大統領はその余裕がなかったのだろう。習近平主席と会談したマクロン氏は、「欧州は米国の従属国になる危険性がある。目覚めなければならない」と語っているのだ。欧米間の結束に亀裂を入れたい中国側にとって勇気づけられる発言となったことは間違いない。

 ドイツ連邦統計局が2021年2月22日に発表したデータによると、新型コロナウイルス感染症の影響を受けながらも、2020年の中国とドイツの2国間貿易額は前年比3%増の約2121億ユーロに達し、中国は5年連続でドイツにとって最も重要な貿易パートナーとなった。例えば、ドイツの主要産業、自動車製造業ではドイツ車の3分の1が中国で販売されている。2019年、フォルクスワーゲン(VW)は中国で車両の40%近くを販売し、メルセデスベンツは約70万台の乗用車を販売している。

 一方、マクロン大統領の訪中では今回、50社以上の同国代表企業が随伴し、フランス側の発表によると、仏航空機大手エアバスは中国航空器材集団から160機を受注、仏電力公社EDFと中国国有の国家能源投資集団は海上風力発電の分野で合意するなど、大口の商談が次々とまとまった。年金年齢の引き上げに怒った労働者のデモへの対応で苦悩してきたマクロン大統領にとって、中国からの大型受注話で久しぶりにホクホク顔だっただろう。米国の対中包囲政策、中国の台湾周辺での軍事演習による威嚇問題、ウイグル人への少数民族弾圧政策などを忘れてしまうのに十分な贈り物を受けたマクロン大統領から、対中政策は欧州独自政策を構築すべきであり、米国の対中政策を模倣することはないという発言が飛び出してきたわけだ。

 至極素朴な問いかけが出てくる。自国産の自動車の40%を購入してくれて、自国の飛行機産業に対し160機の大型受注をしてくれる国、この場合、中国に対して、ドイツやフランスは米国と同じ対中政策を実行できるだろうかという点だ。ショルツ首相やマクロン大統領に対中政策でしたたかな政策を実施すべきだ、と提言する学者はいるが、現実の政治はそれからは程遠いのだ。

 駐米のフランス大使館の代表は米国などから聞こえるマクロン大統領批判に対し、「マクロン氏の発言は過度に解釈されている。米国は私たちの価値観を共有する同盟国だ。台湾に対するわが国の立場も変わっていない」とツイッターで書いている。

 問題は「同じ価値観に立っている」という箇所だろう。中国共産党政権とは異なり、欧米諸国は民主主義、法治国家体制、「言論の自由」、「宗教の自由」などを共有するという認識があるが、その共有するはずの価値観が揺れ出し、その定義は曖昧となってきているのではないか。

 マクロン大統領は、中国が大規模な軍事演習をシミュレートしている時、北京と距離を置かず、米国を批判した。ウォール・ストリート・ジャーナルは社説で、「マクロン氏の発言は役に立たない。中国に対する米国と日本の抑止効果を弱体化させ、欧州への米国の関与を減らしたいと主張する米国の政治家を大胆にするだけだ」と批判したのは頷ける。

 少し聖書の世界に入る。悪魔はイエスに3つの試練を行ったが、最初の試練は空腹のイエスに対し「石をパンに変えてみよ」だった。それに対し、イエスは「人はパンのみに生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」(「マタイによる福音書」第4章)と答え、悪魔の誘惑を退けた。

 悪魔が相手を誘惑する場合、パンの誘惑は最初だ。空腹で食べ物を探している時、目の前に美味しい食べ物が出されたならば、多くの人はその誘いを拒むことができない。イエスの時代だけではない。21世紀の今日でも同じだ。ただ、悪魔は悪魔ですといった面をしていないから、その識別は一層難しい。国の経済が厳しい時、経済大国から特別な商談、経済支援のオファーを受ければ、それを断るのは難しいだろう。マクロン大統領やショルツ首相だけの話ではないのだ。

 それでは「パンの誘惑」に対して、イエスは「人はパンのみに生きるにあらず、神の言葉によって生きている」と答えた。イエスの言う「神の言葉」とは21世紀の世界では欧米諸国が繰り返し主張する「共通の価値観」と解釈できるかもしれない。中国側の大型商談に対し、マクロン大統領は、「国民経済は厳しいが、わが国は欧米と同様の価値観を持っている」と答えて、大型商談の話にも冷静に対応したならば、習主席は驚いて腰を抜かしたかもしれない。ひょっとしたら、欧米諸国はマクロン大統領を改めて評価しただろう。結果は逆になった。習近平主席は薄笑いを見せ、欧米諸国ではマクロン批判に火が付いたわけだ。

 マクロン大統領は欧州の独自外交、欧州軍隊の創設などを機会あるごとに訴えてきたが、その前に「欧州は本当に共通の価値観を有しているか」を検証する必要があるだろう。

聖職者の性犯罪と「告白の守秘義務」

 今月5日、欧州のカトリック教国フランスで、1950年から2020年の70年間、少なくとも3000人の聖職者、神父、修道院関係者が約21万6000人の未成年者への性的虐待を行っていたこと、教会関連内の施設での性犯罪件数を加えると、被害者総数は約33万人に上るという報告書が発表された時、ローマ・カトリック教会の総本山、バチカン教皇庁だけではなく、教会外の一般の人々にも大きな衝撃を与えた。報告書は独立調査委員会(CIASE)が2019年2月から2年半余りの調査結果をまとめたものだが、その余震はまだ続いている。

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▲モーツァルトの「戴冠ミサ」が演奏される中、日曜日礼拝が行われた(聖シュテファン大寺院内で、2021年10月17日、オーストリア国営放送のライブ中継から)

 フランスのジェラルド・ダルマナン内相は12日、仏カトリック教会司教会議議長のエリック・ド・ムーラン・ビューフォート大司教とパリで会い、教会の「告白の守秘義務」について話し合った。ダルマナン内相は神学論争をしたのではない。聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発し、教会への信頼が著しく傷つけられる一方、教会上層部が性犯罪を犯した聖職者を「告白の守秘義務」という名目のもとで隠蔽してきた実態が明らかになり、聖職者の告白の守秘義務を撤回すべきだという声が高まってきたからだ。未成年者に対して性的虐待を犯した聖職者が上司の司教に罪の告白をした場合、告白を聞いた司教はその内容を第3者に絶対に口外してはならない。その結果、聖職者の性犯罪は隠蔽されることになる。

 CIASEのジャン=マルク・ソーヴェ委員長(元裁判官)は報告書の中で教会の「告白の守秘義務」の緩和を提唱している。なぜなら、守秘義務が真相究明の障害ともなるからだ。

 ローマ・カトリック教会の信者たちは洗礼後、神の教えに反して罪を犯した場合、それを聴罪担当の神父の前に告白することで許しを得る。一方、神父側は信者たちから聞いた告解の内容を絶対に口外してはならない守秘義務がある。それに反して、第3者に漏らした場合、その神父は教会法に基づいて厳格に処罰される。告解の内容は当の信者が「話してもいい」と言わない限り、絶対に口外してはならない。告解の守秘はカトリック教会では13世紀から施行されている。

 ちなみに、カトリック教会では、告解の内容を命懸けで守ったネポムクの聖ヨハネ神父の話は有名だ。同神父は1393年、王妃の告解内容を明らかにするのを拒否したため、ボヘミア王ヴァーソラフ4世によってカレル橋から落され、溺死した。それほど聖職者にとって「信者の告解」の遵守は厳格な教えなのだ。

 少し脱線するが、新型コロナウイルス感染対策としてスマートフォンで罪の告白をしたいという信者の申し出があった。それに対し教会側は、「スマートフォンでの罪の赦免は有効ではない。神の前で罪を告白し、赦しを得るためには対面告白が不可欠だ」と答えたという。対面告白はコロナ感染対策より優先されるというわけだ。

 エリック・ド・ムーラン=ビューフォート大司教は6日、ツイッターで、「教会の告白の守秘義務はフランス共和国の法よりも上位に位置する」と述べた。その内容が報じられると、聖職者の性犯罪の犠牲者ばかりか、各方面の有識者からもブーイングが起きた。そこでダルマナン内相は司教会議議長に発言の真意を正す目的もあって呼び出したわけだ。ただし、同内相は司教会議議長と会合する際も「召喚」ではなく、「招待」とわざわざ説明している。

 フランスの刑法では、犯罪行為を告訴しないことは許されない。同時に、職業によってはその内容を口外しない権利が保証されている、医師は患者の病歴や症状を第3者に口外してはならない。弁護士もクライアント(依頼人)の情報を他言してはならない守秘義務がある。

 バチカンの基本的立場は明確だ。赦しのサクラメント(秘跡)は完全であり、傷つけられないもので、神性の権利に基づく。例外はあり得ない。それは告白者への約束というより、この告白というサクラメントの神性を尊敬するという意味からだ。その点、信頼性に基づく弁護士や医者の守秘義務とは違う。告白者は聴罪神父に語るというより、神の前に語っているからだ。「告白の守秘義務」は悪(悪行)を擁護する結果とならないか、という問いに対し、「告白の守秘義務は悪に対する唯一の対策だ。すなわち、悪を神の愛の前に委ねるからだ」という。

 ダルマナン内相と司教会議議長の会合の内容は公表されていないが、同内相は、「いかなる法も国の法より上に位置することはない」と強調し、「未成年者への性的虐待を聴いた聖職者は警察に連絡してほしい」と呼び掛けたという。一方、司教会議議長は、「子供を保護することは優先課題であり、その点で全ての司教は一致している。教会は国の関係省と密接に協調していく」と述べたという。

 フランスでは「政教分離」(ライシテ)が施行されている。ライシテは宗教への国家の中立性、世俗性、政教分離などを内包した概念であり、フランスで発展してきた思想だ。フランスは1905年以来、ライシテを標榜し、時間の経過につれて、神を侮辱したとしても批判を受けたり、処罰されることがないと理解されてきた。一方、教会側はライシテを理由に、教会の教義に基づく教会法を重視し、「この世の法」を軽視する傾向が見られた。

 しかし、聖職者の性犯罪問題をきっかけに、国は宗教への中立性を放棄し、教会に「この世の法」を遵守すべきだと主張、教会側は教会法の修正を強いられ、「この世の法」に歩み寄りを示してきた。好意的に受け取るならば、国と教会(政治と宗教)はライシテの枠組みを超え、新しい関係を模索してきたといえるわけだ。そのプロセスの中でライシテの名目で認知されてきた「神を冒涜したり、侮辱する権利」への再考もテーマに挙げられるのではないか(「人には『冒涜する自由』があるか」2020年9月5日参考)。

仏がオーカスに接近する時

 「フランス上院議員4人の代表団は7日、台湾総統府で蔡英文総統と会談した。団長のリシャール元国防相には、台湾とフランスの友好発展に貢献したとして、蔡氏から勲章が授与された」―。「台北時事発」の記事を読んで、「フランスが中国を捨てる日が近づいてきた」という感慨が湧いてきた。

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▲ブリンケン米国務長官とジャン=イヴ・ルドリアン仏外相の米仏外相会議、2021年10月5日、パリで(フランス外務省公式サイトから)

 チェコ上院議長が台北訪問する時もそうだったが、リシャール元国防相によれば、フランスの訪台北では中国側から激しい反対の声があったという。チェコの場合、台湾訪問予定の上院議長がその直前に急死するというハプニングが起きた。そのため、後継の上院議長が台北を訪ねた(「中欧チェコの毅然とした対中政策」2020年8月10日参考)。

 ところで、仏上院は5日、記者会見で、「中国はフランスで開いている孔子学院を通じて仏大学や学術界で組織的に政治的影響を行使している」と警告を発した報告書「大学における欧州以外からの国の影響」を発表している。同報告書は243頁に及ぶもので、アンドレ・ガットリン上院外交・貿易・軍事委員会副委員長が9月29日に上院に提出したものだ。

 海外中国メディア「大紀元」によると、報告書は国内外の政治家や専門家50人以上と、同国内のすべての高等教育機関を取材した上で作成されたもので、「フランスの研究機関、高等教育界は外国政府(中国)の影響を受けている」と懸念を表明している。報告書の作成責任者であるエティエンヌ・ブラン上院議員は、「全世界範囲で、最も組織的な影響力を行使している国だ」と中国を名指しで批判したというのだ。

 「孔子学院」は、中国共産党の対外宣伝組織とされる中国語教育機関だ。2004年に設立された「孔子学院」は中国政府教育部(文部科学省)の下部組織・国家漢語国際推進指導小組弁公室(漢弁)が管轄し、海外の大学や教育機関と提携して、中国語や中国文化の普及、中国との友好関係醸成を目的としているといわれているが、実際は中国共産党政権の情報機関の役割を果たしてきた。「孔子学院」は昨年6月の時点で世界154カ国と地域に支部を持ち、トータル5448の「孔子学院」(大学やカレッジ向け)と1193の「孔子課堂」(初中高等教育向け)を有している(「『孔子学院』は中国の対外宣伝機関」2013年9月26日参考))。

 ウィーン大学にも「孔子学院」がある。そこで親中派の大学教授や知識人は中国共産党政府の政策を学会やメディアに広げる。中国側は定期的に親中派教授たちを北京に招待して、接待する。英語で「パンダハガー」(Panda Hugger)と呼ばれる「媚中派」が誕生するわけだ。「パンダハガー」のパンダは中国が世界の動物園に送っている友好関係のシンボルの動物だ。ハガーは「抱く」を意味する。その両者を結合して「中国に媚びる人」「中国の言いなりになる人」といった意味となる(「トランプ政権の『パンダハガー対策』」2020年8月1日参考)。

 媚中派は、中国の人権問題、法輪功信者への臓器強制摘出、チベット問題、ウイグル人の少数民族弾圧などのテーマは扱わず、中国政府の政策を支持する記事をメディアに寄稿する。その狙いは「中国脅威論」を払しょくすることだ。

 トランプ前米政権が「孔子学院」が中国共産党の情報機関であると暴露したこともあって、「孔子学院」は儒教思想の普及や研究とは関係なく、中国共産党のソフトパワーを広める道具と受け取られ出し、欧米で設置されていた「孔子学院」は次々と閉鎖されてきた(「米大学で『孔子学院』閉鎖の動き」2018年4月13日参考)。

 「孔子学院」について調査報告を発表した全米学識者協会のディレクター、レイチェル・ピーターソン氏によると、「孔子学院」の教材には、中国共産党が「敏感話題」と位置付ける事件や事案については取り上げない。1989年の天安門事件や、迫害政策下に置かれる法輪功などは明記がない。また、台湾や香港の主権的問題やチベット、新疆ウイグル地域における抑圧についても、共産党政権の政策を正当化する記述となっている。

 興味深い点は、仏上院の「孔子学院」報告書に先立ち、フランス国防省は先月20日、646頁に及ぶ「中国共産党政権の影響力を高める行動」の報告書を公表したことだ。同報告書では中国共産党は1948年から統一戦線をスタートし、あらゆる手段を駆使して影響力を広げる工作を実施してきたと指摘し、人権弾圧、法輪功信者への臓器摘出、孔子学院を通じて大学に浸透するなど、中国共産党の世界的戦略を暴露している。同報告書はフランス軍事学校戦略研究所(IRSEM)が50人の専門家による2年間に及ぶ研究調査結果をまとめたもので、フランスの対中政策の柱となる報告書だ。

 米国、英国、オーストラリア(豪)の3国は先月15日、新たな安全保障協力の枠組み(AUKUS=オーカス)を創設する一方、米英両国が豪に原子力潜水艦の建設を支援することを明らかにすると、原潜の開発で豪と既に締結していたフランス側は「契約違反だ」と激怒し、米仏、仏豪の関係は一時険悪化した。メディアは原潜契約問題に焦点を合わせ、米仏間の対立と大きく報道した。しかし、同時期、フランスでは対中政策の抜本的な見直しが進行中だったのだ。オーカスで浮上した問題は、原潜契約違反問題だけではなく、フランスのオーカス参加への模索が始まったことだ。フランス上院議員の台湾訪問団はその先頭部隊ではないか。

 バイデン大統領とマクロン大統領との電話会談(9月22日)で両国は関係修復の方向で努力することで一致、ブリンケン米国務長官は5日、訪仏して、オーストラリアの原潜開発計画で険悪化した米仏関係の修復に努力する一方、オーカス創設の目的、対中政策の協調について突っ込んだ話し合いが持たれたはずだ。今月末には欧州でバイデン・マクロン両大統領首脳会談が計画されているが、その時、フランスはオーカス参加の意思表明をするのではないか。

 ちなみに、フランスはニューカレドニアなどインド太平洋地域に領土を有するうえ、植民地時代に多くのアジア諸国を統治してきた国だ。インド太平洋地域での安保・防衛上の枠組みに参加することはフランスの国益と一致するはずだ。ただ、欧州の軍事大国・英国がフランスのオーカス参加には難色を示すことが考えられる。

欧州代表的カトリック教国の「汚点」

 世界13憶人の信者を誇るローマ・カトリック教会の総本山、バチカン教皇庁に5日、震撼が走った。欧州最大のカトリック教国、フランスで1950年から2020年の70年間、少なくとも3000人の聖職者、神父、修道院関係者が約21万6000人の未成年者への性的虐待を行っていたことが明らかになったからだ。教会関連内の施設で、学校教師、寄宿舎関係者や一般信者による性犯罪件数を加えると、被害者総数は約33万人に上るというのだ。

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▲CIASEのジャン=マルク・ソーヴェ委員長(CIASE公式サイトから)

 バチカンニュース(独語版)は5日、仏教会の聖職者の性犯罪報告書の内容をトップで大きく報道した。「フランス、聖職者の性犯罪に関する新しい報告書の恐るべき数字」という見出しだ。バチカンのマテオ・ブルーニ広報局長は、「フランシスコ教皇は報告書の内容にショックを受け、遺憾だと述べた」と伝えている。

 今回公表された報告書は独立調査委員会(CIASE)が2019年2月から2年半余りの調査結果をまとめたものだ。フランス司教会議が2018年11月、調査を依頼したもので、約2500頁に及ぶ。犠牲者の80%は10歳から13歳までの少年であり、20%は異なる年齢層の少女だ。その行為はほぼ3分の1はレイプだった。

 CIASEのジャン=マルク・ソーヴェ委員長(Jean-Marc Sauve、元裁判官)は5日の記者会見で、「犠牲者は恐るべき数に上る。犠牲者は苦しみ、孤立、そしてしばしば恥と罪悪感に苦しんできた。何年も経った今でも彼らの苦しみは続いている」と述べる一方、「教会は2000年初頭まで犠牲者に対して関心を示さず、沈黙してきた」と指摘し、教会は過去の蛮行に対し責任を認めるべきだと強調した。

 調査は21人の弁護士、医師、歴史家、神学者らが全国を巡回し、教会、司法、検察庁、メディア調査、被害者の証言のアーカイブ資料のデータに基づいている。その上、教会、裁判所、警察の犯罪記録と数百人の被害者への聞き取り調査が行われた。委員会関係者が調査で投資した総時間は2万6000時間にもなったという。

 報告書は現在、同国司教会議に提出されている。委員会は被害者への早急な補償を提案している。多くの訴訟は既に失効しており、法廷に持ち込むことはできない。調査委員会は、事件が法的に禁止されている被害者を含め、すべての被害者に対して補償するように推奨する一方、「教会法の改革と聖職者の教育と訓練の刷新が必要だ」(ソーブェ委員長)と主張している。報告書によると、「教会は過去、性犯罪を犯した聖職者を別の教区に移動させるなどをして事件を隠蔽した。過失、沈黙、教会の自己保身のアンサンブルだった」という。

 元裁判官のソーヴェ委員長は、「教会関係者は犠牲者に、教会信者に、そして社会に対して蛮行の責任を負わなければならない。聖職者の性的虐待はもはや貞操法の違反として糾弾されるのではなく、人の生命と尊厳への攻撃だ。教会法の改革が重要だ。現行の教会法では、司教が行使する権限が大きすぎて利益相反につながる可能性がある。教会法に基づく裁判では犠牲者はその場に参加できない。これを早急に是正すべきだ。また、教会の『告白の秘密厳守』についても聖職者の未成年者への性的虐待の場合、調査の障害となってはならない。同時に、教会の内部監視メカニズムの強化が重要だ」と具体的に助言し、教会内で支配的な従順原理の見直しを求めている(ちなみに、ローマ教皇庁は2019年12月に教会法を改定し、13世紀から施行されていた聖職者の「告解の守秘義務」を撤回している)。

 報告書を教会関係者に提出する際、犠牲者の代表の1人が、「あなた方は人類の恥だ」と述べている。委員会代表が、「聖職者の性犯罪に対して、素朴さと曖昧さが支配した時代は終わった」と強調したのは印象的だった。

 仏教会司教会議議長のエリック・ド・ムーラン=ビューフォート大司教は、「被害者に許しを乞いたい。このようなスキャンダルを再発させないために必要な措置を行う」と述べた。フランス教会司教会議は3月に開催した春季総会で聖職者の性犯罪対策の改善のため11項目からなる決議案を採択している。11月の司教会議では報告書内容を更に話し合うという。そして来年から犠牲者への補償金の支払いを開始することになっている。

 聖職者の未成年者への性的虐待が多発する背景には、「聖職者の独身制」があることは間違いない。バチカンで昨年10月、3週間、開催されたアマゾン公会議で既婚男性の聖職の道について話し合われ、アマゾン地域のように聖職者不足が深刻で教会の儀式が行われない教会では既婚男性が聖職に従事することが認められることになったが、聖職者の独身義務の廃止までは踏み込んでいない。

 カトリック教会の独身制は「ドグマ」ではなく、「伝統」に過ぎないことは前教皇ベネディクト16世も認めている。キリスト教史を振り返ると、1651年のオスナブリュクの公会議の報告の中で、当時の多くの聖職者たちは特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡る。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由があったという。

 カトリック国のフランスで過去4年間で7人の神父が自殺したという。同国司教会議が昨年実施した「聖職者の健康調査」で明らかになった。バーンアウト(燃え尽き症候群)、憂鬱、肥満、孤独などがフランスの聖職者が頻繁に直面する課題となっているという。具体的には、2%の神父は自身がバーンアウトと感じ、約40%はアルコール中毒であることを認めている。神父の多くは孤立し、孤独に悩んでいるのだ。

 参考までに、フランス教会を過去震撼させた聖職者の性犯罪事件としては通称「プレナ神父事件」と呼ばれる事件がある。元神父のプレナ被告は1971年から91年の間に、未成年者のボーイスカウトの少年たちに性的虐待をした容疑で起訴された。元神父は罪状を認めたことから、教会法に基づき聖職をはく奪された。公判では元神父に性的虐待を受けた犠牲者たち(当時7歳から10歳)が生々しい証言をした後、元神父は、「良くないことだと分かっていたが、衝動を抑えることができなかった。上司の聖職者に相談したが、適切な指導を受けなかった」と説明した。

 もっと衝撃だったことは、同元神父が公判で、「自分も少年時代、同じように聖職者から性的虐待を受けたことがあった」と告白したことだ。「プレナ神父事件」はフランソワ・オゾン監督により映画化「グレース・オブ・ゴッド」(2018年制作、フランス・ベルギー映画)されている(「元神父は性犯罪の犠牲者でもあった」2020年1月23日参考)。

「空気」を読めない政治家の失態

 民主主義国の主権者は国民であり、国民は定期的に実施される選挙を通じて国の政治に参画する。一方、選挙は政治家にとってこれまでの活動に対する国民の審判を受けることになるので、緊張の日々が続く。選挙直前の失言やスキャンダルは政治家にとって大きな痛手となることは間違いない。

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▲洪水被害の復興を訴えるラシェット党首(2021年7月17日、ラシェット党首公式サイトから)

 今年9月26日に連邦議会選挙(下院)が実施されるドイツで、与党「キリスト教民主同盟」(CDU)の首相候補者アルミン・ラシェット党首(ノルトラインウェストファーレン州首相)は17日、シュタインマイヤー大統領と大洪水の被害にあった被災地を訪ねたが、大統領が話している時、現地視察の付き添い関係者と笑顔を見せながら談笑している姿がカメラに撮られたことから、他政党から「不謹慎だ」と糾弾され、謝罪に追い込まれるという事態となった。

 多くの犠牲者を出した被災地を訪問し、悪気があったわけではなかったが、会話の際に笑顔がこぼれたわけだ。通常の選挙集会や会合では笑顔もいいが、大洪水で家屋を失い、家人も失った犠牲者たちの前で笑顔を見せたのは政治家でなくてもアウトだ。ドイツ16州で人口で最大州の首相を務めるベテラン政治家としては大失策だといわざるを得ない。

 ドイツでは野党「緑の党」のアンアレーナ・ベアボック共同党首は一時期は次期首相候補レースでトップを走っていたが、自身の学歴問題をメディアで大きく叩かれ、投票日が近付くにつれ支持率を急速に落としてきた。同党首の場合、公式の学歴と実際のそれとの違いが問題視され、有権者の信頼を失ったわけだ。投票日まで2カ月となった。ベアボック党首には有権者から信頼回復を勝ち取るウルトラCが急務となってきた。

 今回のテーマはドイツ連邦議会選の見通しを書くことではないが、CDUは相手側(「緑の党」)のオウンゴールもあって支持率を回復し、第1党に復帰してきた。難民・移民問題で外国人排斥を国民に訴えて前回連邦議会選では大躍進した極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)は新型コロナウイルス対策でマスクの着用を拒否するなど、シリアスな代案を提示できず、批判政党に落ちて支持率を失っている。一方、中道リベラルな「自由民主党」(FDP)が伸びてきた。CDUのラシェット党首の被災地視察の際に見せた「笑顔」が9月の連邦議会選で如何なる代価を払うことになるかは現時点では不明だ。

 ところで、フランスでも来年、大統領選挙(第1回目投票2022年4月10日、決選投票同月24日)が行われるが、マクロン大統領の再選に赤ランプが灯ってきた。そこでマクロン大統領はここにきて国民の支持を得やすいイスラム過激派テロ対策に再び力を入れる一方、新型コロナ感染で停滞する国民経済の回復に全力を投入し、有権者に支持を訴えているが、その成果はまだ表れていない。

 フランスの地域圏・県議会選挙の決選投票が6月27日に行われ、マクロン大統領が創設した与党・共和国前進(LREM)は海外領土を除いた全ての地域圏で敗北した。マクロン大統領の過去4年半への評価は同氏が期待したほど高くなく、再選を獲得するためには有権者の心をつかむウルトラCがここでも必要となってきた。

 メディアではあまり報じられていないが、マクロン大統領(43)は16日、ポルトガルの聖母マリア再臨地ファティマに並んで有名なカトリック教会の巡礼地ルルドを訪問した。フランス南西部、ピレネー山脈北麓にある小さな村だ。マクロン氏が訪問した16日は聖母マリアが少女ベルナデッドに現れた日に当たる。ルルドには病気を癒すといわれる「ルルドの水」を求めて世界から毎年500万人の巡礼者が訪れる。レオ13世(在位1878〜1903年)が1891年、ルルドを正式に聖母マリア再臨の巡礼地として認知している。

 バチカンニュースはマクロン大統領の巡礼地ルルド訪問を報じ、「第5共和制後、現職のフランス大統領がルルドを訪問したのはマクロン氏が初めて」という。ちなみに、マクロン氏は非宗教的な家庭に生まれたが、12歳の時、洗礼を受けている。

 興味深い点は、マクロン氏はルルドでは巡礼者と会っているが、ルルドにある2つのバシリカ聖堂には足を運んでいないことだ。マクロン氏がバシリカ聖堂に入って、聖母マリア像の前で祈りを捧げなかったら、ちょっとした問題になったかもしれない。メディアには、「苦戦している再選を勝ち取るために聖母マリアに祈りを捧げた大統領」と揶揄されるか、明確な政教分離(ライシテ)を国是とするフランスの現職大統領が聖堂で祈ったことは良くない事だといったリベラルなメディアから攻撃される機会を提供したかもしれないからだ。確認できないが、マクロン大統領は、「自分はカトリック信者ではなく、不可知論者だ」と主張しているという(「仏の『ライシテ』の拡大解釈は危険だ」2020年10月30日参考)。

 マクロン大統領は昨年9月1日、訪問先のレバノンでの記者会見で、「(わが国には)冒涜する権利がある」と語り、世界のイスラム教国で強い反発を引き起こした。パリの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことについて、マクロン氏は「フランスには冒涜する権利がある」と自説を展開して弁明してきた(「人には『冒涜する自由』があるか」2020年9月5日参考)。

 欧州の代表的なカトリック教国であり、欧州最多のイスラム教徒を抱えるフランスでは、宗教問題は常に多くの問題と紛争を引き起こしてきた。選挙を控えたマクロン大統領がルルド入りしながらも、バシリカ聖堂を訪れなかったことは正しい判断だったのかもしれない。少なくとも、ああだ、こうだといわれなくて済んだわけだ。

 政治家は多くの人々の前で自分の考えを語る機会が多い。特に、選挙を控えた政治家は自分がいる場所、その時の空気を読まなければならない。「空気」を読めない政治家はいつかは失態を晒すものだ。その点、16年間余り政権を運営してきたメルケル独首相にはスキャンダルばかりか、失言も少なかった。メルケル氏はメディアが喜ぶような面白い話は出来ないが、「空気」を読める冷静な政治家だ。

警察はなぜ「国民の信頼」失ったか

 フランスで「警察」に対する国民の信頼が揺れている。同国の下院は先月24日、警察官の職権強化を目的とする「新治安法案」を承認したが、同法案に反対する抗議デモが先月28日、フランス全土で拡大し、パリでも10万人以上の市民がデモに参加したばかりだ。彼らは警察官の権限拡大に強い不信感と警戒心を感じている。

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▲フランスの警察官(フランス内務省公式サイトから)

 やり玉に挙がっているのは同法案第24条だ。現場の警察官の顔を公開することを禁止し、警察官の画像を「物理的、精神的に危害を加える目的」で…ソーシャルメディアなどに流して拡散することを禁止しているからだ。彼らは「言論の表現を蹂躙し、警察力の横暴を許す」として反対している。

 同国で先月21日、黒人のプロデユ―サ―が路上でマスクなしで立っていたところを4人の警察官が視認。音楽家は急いで自分のスタジオに入ったが、4人の警察官はスタジオに入り、殴打など乱暴を始めた。そのシーンが動画に捉えられ、メディアに流れると、多くの国民が警察官の横暴を批判したのだ。また、パリの不法な難民キャンプのテント撤去作業が始まった時、警察官が難民に対し乱暴しているシーンが動画に撮られ、国民が知ることになった。「公平、平等、博愛」を国是とするフランスでは警察官の国民への乱暴な対応に怒りを発し、抗議デモが広がっていったことがある。

 米ミネソタ州のミネアポリス近郊で5月25日、黒人男性が白人警察官に強く抑え込まれた末、窒息死させられたシーンがテレビに放映されたことを契機に、米全土で警察官の蛮行に抗議するデモが行われ、大統領選を控えていた米国で「ブラック・ライヴズ・マター運動(BLM)」が米全土に広がっていったことはまだ記憶に新しい。同じように大西洋を渡ってフランスでも強権を振るう警察官への抗議デモが起きてきたわけだ。米国やフランスだけではない。程度の差こそあれ同じような状況が欧米各地で起きている。

 米国では警察官の強権行使にはっきりと「ノー」を言わないとして、トランプ大統領は白人主義者というレッテルを貼られ、リベラルな主要メディアから格好の攻撃対象となった。一方、フランスでは、「わが国は報道の自由ばかりか、冒涜する自由もある」と豪語し、イスラム教預言者ムハンマドの風刺画の掲載を擁護したマクロン大統領は警察官の横暴な対応を動画でみて「我々の恥だ」、「黒人音楽家への暴力はどのような理由があっても許されない」と非難するだけに留まっている。

 抗議デモをする人々を見ていると、警察官は権力を守る「悪者」といった印象さえ受ける。それは事実に反している。国民の生命、安全を守るために命がけで職務に奉仕する警察官が多い。それだけではない。公務中の現場を撮られた警察官が後日、モビングされたり、家族が被害を受けたという報告もある。警察官は加害者ではなく、実際、被害者のケースが出てきている。

 ドイツ西部トリーアで1日、乗用車が歩行者道路に突入して通行人を跳ね、幼児を含む5人が死亡、14人が重軽傷を負うという事件が起きた。暴走する車を止めたのはパトカーの警察官だ。命の危険にもかかわらず、暴走する乗用車にパトカーをぶつけて止めたのだ。暴走車が走り続けていたら、更に多くの犠牲者が出た可能性があった。自身の命を懸けて国民を守ったわけだ。警察官のこのような活動は報道されないだけで多くある。

 未成年者への性的虐待をする聖職者は数的には少数派だが、教会は聖職者の性犯罪の巣窟のように受け取られることがある。事実ではない。同じように、数人の警察官の逸脱した言動が「警察官は恐ろしい」、「警察官は横暴だ」と受け取られるとしたら、これまた大きな間違いだ。

 ただし、先述した黒人音楽家への暴力は職権限界を超えている。そこで警察官の活動を撮影し、必要ならば公表することで監視すべきだという意見が出る。その権利を禁止することは警察力の横暴を容認することにもなるという理屈だ。コントロールなき権力は腐敗するからだ。

 フランスの新治安法案を例に挙げて考える。批判を受ける第24条は修正、削除してもいいのではないか。実際、フランス与党「共和国前進(REM)」の国民議会(下院)議員団団長を務めるカスタネール前内相は11月30日、記者会見し、下院で可決した新治安法案の一部修正の意向を表明している。

 第21条には公務中の警察官は「ボディ・カメラ」をつけて職務に従事することを正当化する内容が記述されている。警察官が職務中にあった人、話した人を全てカメラが撮影するから、理由なき暴力を行使すれば、その警察官は規律違反として制裁を受ける。「ボディ・カメラ」を止めたり、動画ファイルを消去した警察官は後日、上司に説明する義務が出てくる。そうなれば、警察官以外の第3者が警察官の横暴を知らせるために撮影する必要はない。ただし、警察官の「ボディ・カメラ」に顔認証システムを導入するか否かで議論を呼ぶ可能性はある。

 要するに、第24条を削除し、第21条を施行すれば抗議デモ参加者の期待に応えることができる。ただし、極左過激主義者「アンティファ」のような集団は自分たちの暴力が警察官のボディ・カメラで撮影されるから、反対するかもしれない。ちなみに、「新治安法案」第22条ではドローン(無人機)を利用して大規模なデモ集会などを上から撮影することが記述されている。

 独の市場調査機関GfKの「2013年グローバル・トラスト報告」によると、ドイツ人が最も信頼する機関は警察で約81%、それに次いで司法65%、非政府機関(NGO)59%、公共行政機関58%、軍57%だった。秩序と規律を愛するドイツ国民らしい結果だ。ただし、ドイツでも今日、抗議デモと警察官の衝突が頻繁に起きているから、警察官の信頼は揺れているが、国民一般の警察官への信頼は変わらないのではないか(「ドイツ人は「警官」を最も信頼する」2013年2月11日参考)。

 欧州では2015年、中東・北アフリカから100万人以上の難民・移民が殺到し、大混乱が生じた、同時に、フランスではイスラム過激派テロ事件が多発し、多くの犠牲者が出た。その結果、公道や公共施設への警備強化のために警察官のプレゼンスが増えた。フランスでは2018年、281人の国民に対し1人の警察官の割合だった。その割合は今日、150人に対し1人の警察官だ。警察官のプレゼンスは犯罪防止にプラスだが、国民と警察官の間でいがみ合いや衝突が生じるケースも出てくる。「国民に信頼される警察官」はどの国の警察官にとっても重要なモットーだろう。

仏、過去4年間で7人の神父が自殺

 バチカン・ニュース(独語版)で27日、衝撃的なニュースが報じられていた。カトリック国のフランスで過去4年間で7人の神父が自殺したというのだ。同国司教会議が実施した「聖職者の健康調査」の結果だ。

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▲104歳の最高齢司教が11月24日、亡くなった(バチカン・ニュースのHPから)

 バーンアウト(燃え尽き症候群)、デプレッション(憂鬱)、肥満、孤独などがフランスの聖職者が頻繁に直面する課題となっているという。調査では93%の神父は肉体的、精神的に健康だと答えているが、聖職の過労とデプレッションが問題となると述べている。具体的には、2%の神父は自身がバーンアウトと感じ、約40%はアルコール中毒であることを認めている。神父の多くは孤立し、孤独に悩んでいる。インタビューを受けた神父の半分以上は一人暮らしだ。

 神父の肉体的、精神的健康度の調査は同国司教会議常設委員会が要請したもの。その目標は神父の心の状態を掌握し、神父の「生活の質」向上に役立つために予防措置を取ることにあるという。調査対象となった神父は105教区から75歳以下の約6300人。約42%はフランス人神父だ。

 フランス教会では神父の1日平均労働時間は9・4時間、約20%の神父は「仕事時間が長い」と感じている。神父の45%が自分は慢性疾患を抱えていると思っている。喫煙者は少ないが、43%は体重過多であり、20%は慢性疾患の危険が高い肥満という。約20%はデプレッションの兆候があり、7%は仕事で酷使に悩み、2%はバーンアウト状況だ。

 司教会議は神父の「生活の質」向上のために様々なアドバイスをしている。最も重要な点は孤独対策だ。一人住まいではなく、神父たちの共同生活などだ。また、悩む神父のために社会的健康と交流場所を提供するセンターの設置だ。

 いずれにしても、同国教会で過去4年間、7人の神父が自殺したという事実は重い。どのような経路から神父が自殺に追い込まれたか等の説明はない。聖職者にとって神が与えた生命を自ら断つことは罪と分かっていたはずだが、それを防ぐことができなかった。それだけ苦しみが深刻だったわけだ。

 神父だけではない。高位聖職者に入る司教にも精神的に悩む聖職者が増えてきている。米ローマ・カトリック教会リンカーン教区のジェームズ・コンリィ司教(64)がうつ病のため休職を申し出たというニュースが報じられていた。司教はうつ病になり、不安恐怖症の症状を呈し、数カ月前から不眠と耳鳴りが続く症状だという。同司教は教区関係者宛てに書簡を送り、「相談した結果、自分はうつ病の精神疾患に罹っていると判断し、治療を受けるべきだと考えた」と説明している(「米教会司教がうつ病で休職申し出」2019年12月16日参考)。

 フランス教会だけではない。世界の教会で悩んでいる聖職者が多数いる。小手先の対応ではなく、抜本的な改革が必要な時だろう。以下、当方の考えを少し書いてみたい。

 このコラム欄で何度も書いたが、最大の問題は「聖職者の独身制」だ。人は生来、一人で生きていくようにはなっていない。カトリック教会の独身制は「ドグマ」ではなく、「伝統」に過ぎないことはベネディクト16世も認めている。「聖職者の独身制」廃止が急務だ。

 バチカンで昨年10月、3週間、開催されたアマゾン公会議で既婚男性の聖職の道について話し合われた。公表された最終文書(30頁)では、「遠隔地やアマゾン地域のように聖職者不足で教会の儀式が実施できない教会では、司教たちが(相応しい)既婚男性の聖職叙階を認めることを提言する」と明記されている。ただし、同提言は聖職者の独身制廃止を目指すまでは踏み込んでいない。聖職者不足を解消するための現実的な対策の域を超えていない。

 キリスト教史を振り返ると、1651年のオスナブリュクの公会議の報告の中で、当時の多くの聖職者たちは特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡る。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由があったという。

 問題は、教会の独身制は聖職者の未成年者への性的虐待問題にもかかわると読み取れることだ。バチカン・ニュースは昨年12月、「バチカンは2001年以来、6000件の聖職者の性犯罪を調査してきた」と報じた。この数字は実際起きた聖職者の未成年者への性的虐待総数の氷山の一角に過ぎない。実数はその数倍と受け取られている。

 当方は、結婚と家庭を捨てて教会や修道院で神を求める信仰生活は本来の神の願いと一致しないと考えている。これからは家庭で神を迎えなければならない。出家して仏の道を模索したり、教会や修道院に入って神を探す時代は過ぎ去った。実際、若い修道僧・修道女の離脱が増えている。データは少し古いが、2001年から11年の過去10年間で79万2100人だった修道女数は71万3000人と約10%急減した。世界で毎年3000人の修道僧、修道女が離脱している(「修道院・出家時代は終わった」2013年11月5日参考)。

 もちろん、聖職者が家庭をもてば全てが解決するとは考えていない。家庭を築けばまた新しい問題が出てくるだろう。しかし、一人で悩むことはなくなるはずだ。フランスの司教会議の今回の調査結果は聖職者の独身制がもはや機能しないことをはっきりと示している。

 なお、バチカン・ニュースでは、104歳で11月24日亡くなったスペイン人の司教のニュースが報じられていた。その記事には1枚の写真が掲載されていた。当方は司教が如何なる道を歩んできたかは知らないが、写真の司教の後ろ姿から、強烈な孤独さを感じた。

イスラム過激派テロ事件と「勲章」

 新型コロナウイルスの感染第2波が欧州全土を襲っている中、フランスとオーストリア両国でイスラム過激派テロ事件が発生し、多くの犠牲者が出た。フランスでは10月16日午後、パリ近郊の中学校の歴史教師が18歳のチェチェン出身の青年に首を切られたテロ事件はフランス国民ばかりか、欧州全土に大きな衝撃を与えたばかりだ。一方、オーストリアでもウィ―ン市で2日午後8時、イスラム過激テロ事件が発生し、4人が犠牲となり、23人が重軽傷を負うテロ事件が起きた。

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▲ウィーン銃撃テロ事件の犯行の場で追悼する宗教関係者(2020年11月6日、ウィーン市内、オーストリア国営放送中継放送から)

 興味深い点は、フランスでは斬首された歴史教師が、オーストリアでは20歳のテロリストを射殺した特別部隊の2人のメンバーが、国から勲章が授与されたことだ。当方は、「イスラム過激派テロ事件」と「勲章」との関係が暫く納得できなかった。

 フランスのテロ事件では、殺害された教師サミュエル・パテイさんは授業の中でイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を描いた週刊誌を見せながら、「言論の自由」について授業をしていた。マクロン大統領は10月21日、テロの犠牲者、中学校の歴史教師パティさんに「言論の自由」を死守したとして勲章を授与し、国葬を挙行した。同国ではそれ以外にもイスラム過激派テロ事件は起きているが、犠牲者に勲章が授与されたケースは聞かない。

 マクロン大統領がパテイさんに勲章を授けたというニュースを聞いた時、当方は当時、正直いって驚いた。マクロン大統領は2022年の大統領選で再選するためにイスラム過激派テロ問題をテーマ化し、失った国民の支持を得るために政治パフォーマンスを演じているのではないか、と憶測したほどだ。

 ところが、フランス国民にとって「政教分離」(ライシテ)後は聖なる場所はもはや「教会」ではなく、「学校」を含む教育機関であることを知った。フランスでは高等学校卒業試験の日は国家的行事と受け取られ、国民やメディアの関心を集める。「学校」はフランスの未来を左右する重要な国家的機関と受け取られているというのだ。

 欧州では中世時代、カトリック教会の固陋な世界観に覆われ、社会全体が矛盾と閉塞感に包まれていた時、人間の英知を促す啓蒙思想が出てきた。その影響を受けて市民階級の意識が高まり、封建的階級支配は打破され、自由、平等、博愛を掲げたフランス革命が起きたことは歴史が教えるところだ。そして1905年、フランスで政教分離(ライシテ)が施行された。

 そのフランス革命の伝統を学校が継承してきた。それゆえに、殺害された歴史教師はフランスの伝統の継承者であり、その死は殉教と受け取られた。マクロン氏がパテイ氏を国葬し、勲章(最高勲章のレジオンドヌール勲章)を授与したのは当然の決定だったわけだ。

 ちなみに、フランスでは2016年7月、北部のサンテティエンヌ・デュルブレのローマ・カトリック教会でアメル神父が2人のイスラム過激派テロリストに首を切られて殺害されるテロ事件が発生した。同神父はその1年後、フランシスコ教皇から殉教者として聖人に列聖されている(「あの日から『聖人』になった老神父」2017年7月30日参考)。「政教分離」のフランスでは、パテイ氏はアメル神父と同じ立場だったのだ。

 ウィーンでは5日、イスラム過激テロ事件後、2人の内務省所属の特別部隊(WEGA)がテロ事件の解決に貢献した英雄としてクルツ首相とネハンマー内相から英雄勲章を受けた。クルツ首相は、「勇気と決意のある行動で自身の命の危険をも顧みずに市民の安全のために戦った」と、その活躍を称えている。

 ウィーンのテロ事件は正味9分間で幕を閉じた。WEGAとコブラ部隊がいち早く派遣され、重武装していたテロリストを素早く処分した。テロリストが9分以上、銃撃を繰返していたらもっと多くの犠牲者が出ただろう。その意味からも、2人のWEGAメンバーの活躍は市民の命を守った行為として異例の勲章授与に繋がったわけだ。

 ウィ―ン市中心部で起きた銃撃テロ事件では4人(21歳男性・24歳女性・39歳男性・44歳女性)が亡くなり、23人が重軽傷を負った。事件の捜査が進むにつれて、犠牲者のプロフィールが報じらてきた。

 ドイツからウィーンの芸術大学に入学したばかりで、学費を稼ぐためにガストハウスで働いていた24歳の女性が銃弾を受けて亡くなった。念願の大学の試験に受かり、これから学んでいこうとしていた矢先だ。若いテロリストは、射殺した女性が大きな夢をもって夜遅くまで働いていた、とは知らなかったはずだ。

 4人の犠牲者の中にはテロリストと同じ北マケドニア系オーストリア人の21歳の男性がいた。テロリストは彼に対して2回、計4発撃っている。死を確認するようにだ。テロリストと犠牲者はひょっとしたら知り合いだったのかもしれない。顔を見られたテロリストは同じ北マケドニア人の青年を生かしておけば自分の身元が割れると考えたのかもしれない。テロリストは執拗に倒れた青年に向かって撃った。

 テロ事件で犠牲者となった人の事情を振り返ると、人間の運命を感じてしまう。ある男性は、仕事を終えて近くのガレージに行ったが鍵を忘れていたことに気が付き、取りに戻ろうとしたため、狙撃者と出会わずに無事だった。一方、仕事帰りに犯人にたまたま遭遇した女性は射殺されている。

 旧東独ザクセン=アンハルト州の都市ハレ(Halle)で昨年10月9日、27歳のドイツ人、シュテファン・Bがユダヤ教のシナゴーク(会堂)を襲撃する事件が発生し、犯行現場にいた女性と近くの店にいた男性が射殺された。Bはシナゴークの戸を銃と爆弾を使って破壊し、会堂内に侵入する予定だったが、戸を破壊出来なかった。激怒したBは道路を歩いていた女性の背中に向かって発砲して殺害した。Bはまた目の前を歩いてきた男性を射殺しようとしたが、改造した銃が突然作動せず、男性は辛くも逃げることができた。ハレのテロ事件でも人々の運命に明暗が分かれた。

 国家の「勲章」は教師の遺族関係者にとって細やかな慰めになるかもしれないが、犠牲者を取り戻すことは出来ない。20歳の若いテロリストを射殺しなければならなかった2人のWEGAメンバーにとっても辛い経験だったろう。1人は、「自分にとって忘れることが出来ない日となった」と述べている。

イスラム過激思想の背景と「問題点」

 フランス南部のニースのノートルダム大聖堂で29日、21歳のチュニジア出身の男が教会にいた3人をナイフ(長さ約17cm)で殺害、1人の女性(60歳)の首を切るといった事件が発生、捜査当局はテロ事件として逮捕した男の背景などを調べている。

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▲テロの現場ニースを訊ね、イスラム過激派テロとの戦いを決意するマクロン大統領(2020年10月29日、フランス大統領府公式サイトから)

 男は9月末、イタリアのランぺドゥーザ島に着くと、10月上旬にフランスに入国している。警察隊の銃撃で負傷を負った。男は犯行現場で「神は偉大なり(アラー・アクバル)」と叫び続けていたという。マクロン大統領は同日、現場に駆け付け、イスラム過激テロを厳しく批判し、「フランスはテロには屈しない」と述べている。

 フランスでは10月16日午後、パリ近郊の中学校の歴史教師が18歳のチェチェン出身の青年に首を切られた殺人事件はフランス国民に衝撃を与えたばかりだ。殺害された教師は授業の中でイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を描いた週刊誌を見せながら、「言論の自由」について授業をしていた。

 同国では4年前の2016年7月、北部のサンテティエンヌ・デュルブレのローマ・カトリック教会で2人のイスラム過激派テロリストによるアメル神父(85)を人質とするテロ事件が発生した。テロリストは特殊部隊によって射殺された。神父は首を切られて殺されていたことが明らかになると、フランス全土に大きな衝撃を与えた。

 いずれにしても、イスラム過激派テロリストが教会を襲撃し、キリスト者の首を切るという犯行の背景には、キリスト教への強い憎悪と敵愾心があることは間違いないだろう。

 2015年1月7日午前11時半、パリの左派系風刺週刊紙「シャルリー・エブド」本社に武装した2人組の覆面男が侵入し、自動小銃を乱射し、建物2階で編集会議を開いていた編集長を含む10人のジャーナリスト、2人の警察官などを殺害するというテロ事件が発生して以来、同国ではイスラム過激派によるテロ事件が多発している。

 ところで、ロシアの文豪ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公、貧しい元大学生ラスコーリニコフは、「自分のような選ばれた人間は社会の道徳を踏みにじっても許される」と考え、金貸しの強欲狡猾な老婆を「存在する価値のない人間」と見て、殺す。主人公には「神がいなければ、全ては許される」という思想があった。一方、イスラム過激派テロリストは「神が命じるならば、全ては許される」と考え、関係のない人々を襲撃し、殺害、その首を切るという蛮行を行う。前者は神の不在を信じて犯行を行い、後者は神の願いを果たす使命感に燃えて殺害を繰返す。

 前者はキリスト教の世界を舞台に、「神の存在」云々が問われているが、後者の主人公はイスラム教の世界に生き、「神の存在」云々はテーマではなく、神の願いを行う戦士として戦場で向かう。「神の存在」で揺れる21世紀のキリスト教の知識人たちが時たまイスラム過激派の絶対信仰に恐れと同時に焦燥感を覚える、というのは理解できる。

 キリスト教の「聖書」もイスラム教の経典「コーラン」も共通している点は、神は唯一の存在であり、他の神を崇拝してはならないと、異教の神に対し繰り返し警告を発していることだ。ちなみに、旧約聖書に登場する神は「妬む神」(「出エジプト記」20章)という。

 著名なエジプト学(Agyptologen)のヤン・アスマン教授(Jan Assmann)は、「唯一の神への信仰( Monotheismus) には潜在的な暴力性が内包されている」という。「絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力に訴える行動が出てくる」と説明し、「イスラム教に見られる暴力性はその教えの非政治化が遅れているからだ。他の唯一神教のユダヤ教やキリスト教は久しく非政治化を実施してきた」と指摘し、イスラム教の暴力性を排除するためには抜本的な非政治化コンセプトの確立が急務と主張する(「唯一神教の『潜在的な暴力性』とは」2012年6月5日参考)。

 同教授は、「イスラム教はその絶対的真理を剣を振り回しながら広げようとする。同時に、終末が近い、神の敵を処罰しなければならない、といった切羽詰った終末的思考が生まれる。それに対し、ユダヤ教やキリスト教は唯一神教の政治的な要素を排除するプロセスを既に経過してきた。ユダヤ教の場合、メシア主義(Messianismus)だ。救い主の降臨への期待だ。キリスト教の場合、地上天国と天上天国の相違を強調することで、教えの中に内包する暴力性を排除してきた」という。だから、イスラム教国のシャリア導入はその教えの非政治化とはまったく逆の道となる(「『妬む神』を拝する唯一神教の問題点」2014年8月12日参考)。

 また、イスラム教専門家、イエズス会所属のサミーア・カリル・サミーア神父(Samir Khalil Samir) は、「コーランは平和的な内容だが、同時に攻撃的な個所もある」という。同神父によると、ムハンマドは610年、メッカ北東のヒラー山で神の啓示を受け、イスラム共同体を創設したが、メッカ時代を記述したコーランは平和的な内容が多い一方、ムハンマドが西暦622年メッカを追われてメディナに入ってからは戦闘や聖戦を呼びかける内容が増えたという。

 旧約聖書の「神」は厳格であり、妬む神だが、新約聖書では「愛の神」を具現化したイエスが前面に出てくる。コーランではメディナ時代とメッカ時代で内容が明らかに違うわけだ。イスラム過激派思想を理解するためにも、コーランが誕生した背景などの研究が不可欠だろう。

仏の「ライシテ」の拡大解釈は危険だ

 トルコのエルドアン大統領は時には血気に走る指導者だ。パリの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載し、それに対しマクロン大統領が24日、「わが国には冒涜する自由がある」と弁明したことがよほど頭にきたのだろう。「マクロン氏は精神の治癒が必要だ」と侮辱しただけではなく、イスラム教への批判を強めるマクロン氏に対し、26日には「フランス製品のボイコット」をイスラム教国に呼びかけたばかりだ。

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▲トルコのエルドアン大統領(トルコ大統領府公式サイトから)

 外交の世界では、欧米が“ならず者国家”に対して実施する資産凍結、入国禁止などの制裁は「スマート・サンクション」(Smart Sanction)と呼ばれ、一般国民に制裁の悪影響が及ばないように制裁範囲を限定する。実質的な制裁というより、象徴的な意味合いが強い。不買運動は制裁というより、いやがらせというべきかもしれない。ただし、国や政治家には効果はないが、国民の生活に影響が出てくる。スマート制裁は効果が期待できないとして、戦略的制裁へ格上げをした場合、制裁される側だけではなく、する側にも一定の痛みが伴う。マクロン大統領とエルドアン大統領の「言論の自由」に関する抗争がこれ以上激化しないことを願うだけだ。

 問題は、マクロン大統領が風刺画の掲載を「言論の自由」として一歩も譲歩する姿勢を見せていないことだ。その理由として同国では「政教分離」(ライシテ)が施行されているからだという。ライシテは宗教への国家の中立性、世俗性、政教分離などを内包した概念であり、フランスで発展してきた思想だ。

 フランスがライシテを標榜する権利はあるが、自分がそれで納得していても、相手が理解できない場合、説明する必要が出てくる。フランスとトルコの論争を見ると、その必要性を強く感じる。

 フランスは1905年以来、ライシテを標榜し、時間の経過につれて、神を侮辱したとしても批判を受けたり、処罰されることがないと理解されてきた。なぜならば、国家は如何なる場合でも宗教には関与しないからだ(宗教に対する中立性)。しかし、その考えはライシテを表明すれば他の国民の宗教性を完全に無視できるという論理にもなり、暴論になる。

 「政教分離」は逆にいえば、宗教は国家から如何なる干渉を受けることなく、宗教活動ができることを意味する。「宗教の自由」は保障されていることになる。ところで、信仰を有する国民が自身の信仰、その教祖への冒涜を容認できるだろうか、という問題が出てくる。少なくとも、自身の教祖を冒涜された国民への名誉棄損が成り立つ。神への「冒涜の自由」は認められるが、その神を信仰する個人の名誉棄損は許されない、という理屈は、人間中心主義を徹底化した考え方であり、神仏への極端な排他主義に通じる。

 フランス革命は世俗主義、反教権主義を主張し、人間の権利を蹂躙してきたローマ・カトリック教会とそれを背景にした王制貴族社会への抵抗だった。国民は自由、平等、博愛の人道主義を掲げて立ち上がった。

 ここで看過できない点は、人間の生来の宗教性は完全には無視できないことだ。反教権主義は既成のキリスト教会(この場合、カトリック教会)への抵抗であり、訣別を意味するが、国民の「神」からの決別ではなかったことだ。実際、フランスは欧州一のカトリック教国だ。

 少し説明する。何らかの理由で教会から距離を置いたとしても、神を批判したり、冒涜できる自由を正当化することはできない。教会=神ではないからだ。フランス人の宗教性は「教会の神」に抵抗したとしても、それで自身の宗教性を消滅させることはできないのだ(「人には『冒涜する自由』があるか」2020年9月5日参考)。

 人間は生来、宗教性を有しているから、神を求める。ライシテは既存の教会から決別を宣言したが、神と別れたわけではないから、ライシテは国民の宗教の自由を尊重せざるを得ない。神への冒涜は政教分離に基づいた「言論の自由」から認められるという理屈は、屁理屈に過ぎない。

 フランス革命が掲げた人道主義が最終的に行き着いた先は徹底した無神論国家の唯物主義を国是とした共産主義世界だった。フランスで共産主義国家が誕生しなかったのは、国民の「信仰の自由」を認めていたからだ。そうでなかった場合、フランスはロシアよりいち早く共産主義国家となっていたかもしれない。ライシテが非宗教性、中立性、世俗主義を標榜する一方、国民の「宗教の自由」を認めることで、共産主義の侵略を阻止できたわけだ、フランスを共産主義から救済したのは国民の宗教性であり、「信仰の自由」だった。

 繰り返しになるが、フランスが「政教分離」で決別した「神」はあくまでも中世時代に強権を誇った「教会の神」であって、「本来の神」とは全く関係がないから、神への冒涜はやはり許されない。特に、「他の神」を信じている国民に対し、「教会の神」ゆえに冒涜の自由を認めることはライシテの拡大解釈に過ぎない。

 例えば、現トルコは「政教分離」を宣言していない。彼らが信仰の対象としている神は「イスラム寺院の神」だとしても、その神への冒涜は許されない。なぜならば、「本来の神」とは国民一人一人が内包している宗教性に繋がっている存在であり、神への冒涜はそのアイデンティティへの攻撃にもなるからだ。エルドアン大統領の激怒は政治的パフォーマンスを差し引いたとしても、当然の反応といわざるを得ないのだ。

 「私はシャルリー・エブド」ではないし、「私は教師」でもない。「信仰(神)を冒涜する自由を認めない私」だ。そんなプラカードが見られる日がフランスで来るだろうか(「今こそ“第2のフランス革命”を」2020年9月29日参考)。

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