ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

英国

あの“エリザベス・ライン”を見よ

 英国人がこんなに忍耐強く、規律ある国民だとは思わなかった。35時間も列に並び、不平を言わず、ましては暴動を起こすことなく、時には笑顔をみせながら待っているシーンは奇跡のように感じる。

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▲ウェストミンスターホールに運ばれるエリザベス女王の棺(2022年9月14日、バッキンガム宮殿サイトから)

 当方は1980年代、半年余りイギリスの都市リバプールに住んでいた。湾岸都市で市内の路上にはフィッシュ・アンド・チップの紙袋が至る所に散らばって、清潔な街という印象からはほど遠かった。国民はパブでビールを飲んで騒ぐことが好きだ。そんな姿を見聞きしてきたこともあって、英国民の国民性を過小評価していたのかもしれない。その印象が激変したのだ。

 ロンドンのテムズ川沿いにエリザベス女王の棺が安置されているウェストミンスター・ホールまで長い人々の列が続いている。それを見て驚かされた。さぞかし人々はイライラしているだろうと思ったが、列の人々は穏やかな表情で自分の番が来るのを待っている。英メディアはその人々の列を「エリザベス・ライン」と呼んでいるのだ。

 エリザベス女王は8日、スコットランド・バルモラル城で96歳で亡くなった。その後、その棺は11日にはバルモラル城を出発し、13日にはエジンバラから英空軍機でロンドンに運ばれ、バッキンガム宮殿に、そして14日にウェストミンスターホールに到着、そこで4日間安置されている。女王の国葬は19日午前11時(現地時間)、ウェストミンスター寺院で行われる。その日まで英国民はエリザベス女王に弔意を捧げることができる。

 そこで英国各地ばかりか、オーストラリア、カナダ、ニュージランドなど英連邦からも女王に最後の別れを告げようと殺到してきているわけだ。その数は最終的には200万人を超えるだろうと推測されている。

 列の話に戻る。上空から撮影した写真をみると、エリザベス女王の棺が安置されているホールまで7キロ余りの長い列だ。ホールの棺に到着して弔意を表明するまで30時間以上の時間がかかるという。

 最初に弔意をした英国女性はテレビのインタビューで、「数日前から弔意が始まるまで待っていた。少し疲れたが、満足している。歴史的な出来事に少しでも参与して感謝している」と答えていた。長い列の中にいる別の女性は、「自分は列を作って待つことは好きではないが、今回は例外だ。多くの人々は静かに自分の番がくるのを待っている」と証言していた。

 1時間でも待たされれば、一言不満を吐露したくなるものだが、BBCの報道をフォローしている限りでは、そのようなシーンは見当たらない。もちろん、数千人の警察官が列を見守っていることもあるが、列の人々は黙々と一歩一歩、女王の棺があるホールに向かっていることに満足しているのだ。当方はそのシーンを見て、“エリザベス・ラインの奇跡”と呼びたくなった。

 「人の列」ということで思い出すエピソードがある。ウィーンの韓国大使館でナショナルデーの祝賀会が開かれた。招かれた外交官、ゲストで大使館裏の広い庭は一杯となった。ゲストをもてなす食事が用意されていた。ゲストは好きな料理コーナーで列を作って料理を受け取る。当方はその時、ウィーン大学東アジア研究所の北朝鮮問題専門家、ルーディガー・フランク教授と並んだ。教授は笑顔を見せながら、「列に並ぶことも楽しいですよ」というではないか。教授は旧東独生まれだ。食事の配給から全て列を作ることに慣れてきたという。「たまたま列に並んだ人と知り合い、話すことが出来ることは楽しいものですよ」という。一見、ネガティブなことも角度を変えればポジティブとなることを教えてもらった。

 ところで、“エリザベス・ライン”に並ぶ人々はなぜ長時間、数秒の弔意を表明するために列に並ぶことができるのだろうか。テレビ放送では王室関係者やエキスパートから貴重な話も聞けるにもかかわらず、30時間、外で長い列に並んでいる。BBCはエリザベス女王が如何に国民から愛されてきたかの証明だ、と解説している。たぶん、そうだろうが、列の人が全てそうだとは限らないだろうが。

 興味深い点は、列を作る人々が頻繁に口にする「歴史的出来事に自分も参席したい」というコメントだ。同時代に生きてきた1人の人間として、時代を先導してきた女王の姿を一目見たい、歴史的な存在の女王と自分との間に何らかの接点を結びたい、といった思いがあるのかもしれない。歴史的出来事の瞬間、眠っていることはできない。会社を休んでもその瞬間を自分も共有したい、というのだろう。“歴史的出来事”という言葉に人々の心は動かされ、長い列をも苦にならない。英国民は“歴史”を重視し、“歴史的出来事”をこよなく愛する人々なのかもしれない。

 いずれにしても、エリザベス・ラインは英国民の気質、メンタリティーを学ぶ上で貴重な出来事であることは間違いない。

ルイ王子の話から学ぶ「死後の世界」

 この2日前のコラム欄で書いたが、英国のキャサリン皇太子妃が次男ルイ王子から聞いた話は非常に教えられる、というか、考えさせられた。4歳のルイ王子は、国家元首として70年間歩んだ後、亡くなっ曾祖母のエリザベス女王が今、昨年4月に99歳で死去した夫フィリップ殿下のもとに行っている、と母親キュアサリン妃に語ったというのだ。ルイ王子はその光景を見たのだろうか、それともキャサリン皇太子妃から眠る前に聞いた童話の話を覚えていて、おばちゃんも死後、おじいちゃんのもとに行ったと考えて自然にそのように答えただけだろうか。ひょっとしたら、ルイ王子は曾祖母と曾祖父が会っている場面を見たのではないか。

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▲英王室関係者(バッキンガム宮殿サイトから)

 デンマークの王子ハムレットは、「あの世から戻ってきたものは1人もいない」と嘆いたが、聖書の世界では少なくとも3人が死後復活している。十字架上で亡くなった「イエスの復活」のほか、イエスの友人ラザロは死んだ4日後に蘇り、そして病死した12歳の娘もその父親の信仰ゆえに復活の恵みを得た。新約聖書の世界では少なくとも3人が死から生き返っている(この場合、肉体復活)。 

 臨死体験(体外離脱現象)の話はよく聞く。その体験者の話には共通点が多いことに驚かされる。「死後の世界」と現世の間には“三途の川”や“鉄のカーテン”はなく、非常に交差しているのではないかと考えさせられる(立花隆氏がいう「臨死体験は死の直前に衰弱した脳が見る『夢』に近い現象」という見解があるが、同氏が期待する脳神経学の発展によって「死後の世界」の全容が解明されるとは思わない)。

 ルイ王子は、曾祖母の国葬で忙しい家族たちには見えない、別の世界の光景を見ていたのではないか。残念ながら、「別の世界」を見る能力は年月を経ていくうちに減少する一方、「この世の世界」を追う視力だけが発展していく。ルイ王子が10歳を過ぎると、曾祖母の姿がもはや見えなくなるかもしれない。「この世」で酷使してきた視力は年を取るにつれて弱まり、眼力を完全に失った「死」後、「別の世界」が光をもって迫ってくるのではないか。

 ルイ王子には見え、チャールズ国王やキャサリン皇太子妃たちには見えないのは、年齢の差もあるだろう。人生でさまざまな出来事や体験を繰り返すことで「別の世界」の様相が見えなくなるのではないか。思い煩い、ストレス、悲しみ、特に恨み、ねたみなどがカーテンを下ろし、「この世の世界」の住人になりきることでもう一つの世界の五感は失われていくのではないか。もちろん、例外的に、両世界の視力を有する人はいるが、その数は少ない。

 「この世の世界」と「死後の世界」の関係が理解できるようになると、この世で味わうさまざまな煩いは消えていくかもしれない。同時に、「この世の世界」でいかに生きていくべきかも自然に理解できるのではないか。

 現代人は「死の世界」を忘れるように腐心している。あたかも「この世の世界」が全てであるかのように。「死」の世界に忙しいのは胡散臭い宗教者だけだというばかりにだ。しかし、束の間、忘れることが出来ても「死の世界」は必ず訪れてくる。仏教でいう四苦八苦の世界はリアルだ。耐用年数を伸ばすことはできてもやはり「死」は訪れてくる。

 日本のメディアは現在、安倍晋三元首相の銃殺事件後、容疑者追及ではなく、本来被害者の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)をバッシングしているが、旧統一教会の創設者文鮮明師は、死は神のもとに帰る時だから、悲しいときではなく、喜ぶときであり、新しい人生の出発点だと指摘、葬儀を「聖和式」と呼び、見送る人々は黒色の喪服ではなく、白色の服を着て見送るべきだと述べている。「死」は誰にとっても最も身近なテーマであり、「この世の世界」の「死」を如何に乗り越えて生きていくかは、生きとし生ける者の永遠の課題だ。

 どうか笑わないでほしい。ルイ王子の話は啓示的な内容が含まれている。ルイ王子が見える世界を失ってしまったわれわれは、4歳の王子から学ぶべきだろう。「この世の世界」と「死後の世界」は決してかけ離れてはなく、両者間に本来、コミュニケーションが可能とすれば、死をもはや恐れることはない。ただ、生きている時、与えられた才能、性質をフルに活用して全力で走りきることだろう。

新国王は自動車免許と旅券を失う

 在位70年の最長期間を全うされた英国エリザベス女王の死去は英国国民にやはり大きな喪失感をもたらしているようだ。BBCはほぼすべての番組がエリザベス女王の追悼番組とそれに関連したニュースだ。多くは女王の偉大さを称えるものだ。チャールズ新国王は国王としてのスピーチの中で「私の母、愛するエリザベス女王」の思い出を振り返りながら、新国王としてその歩みを継承していく考えを表明していた。

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▲エリザベス女王(バッキンガム宮殿公式サイトから)

 エリザベス女王の棺は11日、スコットランド・バルモラル城を出発し、13日にはエジンバラから英空軍機でロンドンに運ばれ、14日ウェストミンスター宮殿に到着、そこで4日間安置される。その間、英国民は女王に最後の別れをすることが出来る。そして死後10日目の9月19日、ウェストミンスター寺院で国葬が挙行される。19日はバンクホリデーとなって公休日となる。多くの国民が沿道や寺院周辺、テレビ中継を通じて葬儀を見守っていく。

 父国王ジョージ6世の急死を受け、25歳から亡くなる96歳まで女王の地位にあって、その厳格なプロトコールをこなしていくのは大変なことだ。チャールズ皇太子が母エリザベス女王を継承し、新国王に即位したが、「もはや皇太子時代のような自由はなくなる」といわれている。ちなみに、チャールズ国王は国王となることで3つを失うといわれている。国内の政治動向に中立が求められ、直接、間接的にも自身のオピニオンを表明できなくなる、そしてパスポート、自動車免許を失う。自身の旅券を見せて飛行機に搭乗することも、愛車を自分で運転することもなくなる。1日の生活は全てプロトコールに基づいて側近が伝達する公務に専心しなければならない。

 英国のメディアによると、エリザベス女王は亡くなる前に遺書を残したという。財産(主に城、館など不動産のほか、宝石など)の分割のほか、チャールズ国王の任期を80歳になるまでとし、その後はウィリアム皇太子に継承することが明記されていたという。すなわち、チャールズ国王は現在73歳だから、7年間の任期となり、その後、長男ウィリアム皇太子が国王の地位を継承するというのだ。

 エリザベス女王は、自身の死後、ウィリアム皇太子が即国王に即位する案に対しては、「ウィリアムにも時間が必要だ。子供たちはまだ小さい」と説明して難色を示していたという。70年間公務に従事してきたエリザベス女王は国王の地位がいかに責任の大きい、厳しいものであるかを誰よりも知っていた。ちなみに、女王が保有してきた多くの宝石類はキャサリン皇太子妃に渡されるという。

 欧州の代表的メディア、独週刊誌シュピーゲル最新号(9月10日号)は表紙をエリザベス女王で飾り、女王の歩みを振り返っている。興味深いことは、エリザベス女王の性格についての箇所だ。「女王はインテリではないし、想像力に富んだ女性ではなかった。ただ、自身を律し、言われたことを遵守する意思力と規律があった」と記述している。

 身長160センチの小さな女王は25歳で女王に即位するまで正式の勉強を受ける機会はなかった。女王が想像力に溢れた女性だったら、70年間も公務を黙々とこなすような歩みはしなかっただろうというわけだ。参考までに、女王は生前、自動車のタイヤと油の交換を知っている唯一の王室関係者だったことを誇っていたという。シュピーゲル誌はエリザベス女王を「最も無力でありながら世界の最強者であった」と評している。 

 なお、エリザベス女王は王女時代、21歳の誕生日、近い将来の女王即位を考えながら、「私の生涯は長いか、短いかは分からないが、国のために献身していく」と決意を語ったといわれる。

 エリザベス女王の70年間で最大の危機はダイアナ妃の交通事故死だった。エリザベス女王がダイアナ元皇太子妃の事故死(1997年)に対して沈黙を続けていたため、多くの国民から批判の声が出、「英王室を廃止しろ」といった声まで飛び出した。王室の危機を感じたエリザベス女王はそこで沈黙を破り、国民に向かってダイアナ妃の事故死に悲しみを表明した。「沈黙が金」であった時代は過ぎ去り、コミュニケーションの時代となったことを英王室はダイアナ妃の事故死から学んだといわれる。

 特筆すべきことはエリザベス女王とフィリップ殿下の夫婦関係が良かったことだ。常に女王の陰にいなければからなかった軍人出身のフィリップ殿下は家庭生活が始まった初期は戦いがあったというが、エリザベス女王との仲は最後まで良好だったという。

 非常に心温まる話が掲載されていた。キャサリン皇太子妃が息子ルイ王子(4)におばあちゃん(エリザベス女王)が亡くなったことを教えようとすると、ルイ王子は「おばあちゃん(曾祖母)は今、おじいちゃん(フィリップ殿下=曾祖父)のところにいるよ」と話したという。ルイ王子からみてもエリザベス女王夫妻は仲が良かったのだろう。ただ、女王夫妻の子供たちには多くの不祥事、スキャンダルが起き、エリザベス女王夫妻の心痛は大きかったはずだ。

 英国国民は、ポスト・エリザベス女王時代の到来を迎え、歴史の大きな転換であるこを薄々感じ、不確かな未来への不安と共に、70年間の女王時代の懐かしさに浸っている。

「ロンドンブリッジ・イズ・ダウン」

 エリザベス女王は8日、滞在中のスコットランド・バルモラル城で死去した。96歳だった。女王は「眠るように」に亡くなったという。今年6月、女王即位70年の記念行事が華やかに行われたばかりだ。女王の死去後、王位継承第1位のチャールズ皇太子(73)が新国王チャールズ3世として即位した。

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▲エリザベス女王(バッキンガム宮殿公式サイトから)

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▲エリザベス女王の死去を聞いて献花する英国民(バッキンガム宮殿公式サイトから)

 女王に即位後、70年間公務を大切にしながら歩んできたエリザベス2世の死に対し、英国民ばかりか、世界から弔意と共に、尊敬の意が表明されている。メディア報道によると、バイデン米大統領、グテーレス国連事務総長、ショルツ独首相、カナダのトルドー首相などのほか、ロシアのプーチン大統領からも弔意が表明されるなど、世界各地からエリザベス女王の死を惜しむ声が聞かれる。

 エリザベス女王は6日、トラス新首相を任命しているが、それが最後の公務となった。女王は既に体調が良くなかった。側近が、「新首相の任命はチャールズ皇太子に代行をお願いすれば」と助言した時、エリザベス女王は、「首相の任命は国家元首しかできない」と主張し、公務を優先したという。首相任命式を撮影した写真を見ると、女王の右手が紫色だったことから、女王の健康を懸念する声が聞かれた。その2日後、女王は亡くなったわけだ。トラス新首相はエリザベス女王の任期70年間で15人目の首相だった。
 
 トラス新首相は8日午後、「ロンドンブリッジ・イズ・ダウン」(ロンドン橋が倒れた)というコートフレーズを入手すると、首相官邸(ダウニング街10番地)前で、「エリザベス女王が只今亡くなった。女王の70年間で英国は発展し、繁栄してきた。エリザベス女王はその礎だった」と、女王の功績を称えている(「ロンドンブリッジ」はエリザベス女王を意味するコードフレーズ)。

 英国は欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)後、首相交代、新政府の発足、そしてエリザベス女王の死去、新国王の即位と短期間で大きな変化に直面している。エネルギー危機など国内では多くの難問に対峙している。その嵐が荒れ狂う時、チャールズ新国王の時代が始まったわけだ。

 エリザベス女王が1952年2月、父ジョージ6世が急死したため、国王に即位したとき、女王はまだ25歳だった。女王となったエリザベス2世には戸惑いがあったはずだが、新鮮さとダイナミックな印象を国内外に与えた。エリザベス女王の即位70年間で最大の危機は、1997年、ダイアナ元皇太子妃の交通事故死の時だったろう。その時、エリザベス女王への批判の声すら聞かれたが、その後、「開かれた王室」を目指し、「英国の母」として不動の人気を獲得していった。

 一方、母親エリザベス女王の死を受け今回即位したチャールズ国王は既に73歳だ。“永遠の皇太子”と揶揄された新国王には新鮮さやダイナミックな印象はない。国民的人気のあったダイアナ妃との離婚は大きなダメージとなったことは間違ない。

 チャールズ3世は皇太子時代から英王室問題から政治的テーマに至るまでエリザベス女王と同様、過激な言動を控え、中立的なポジションをキープしてきた。新国王は母エリザベス女王が残した王室への国民の信頼感を継承しながら、新しい王室の在り方を模索していくことになる。国民の中には「新国王は国民との間で新しいコミュニケーションを開くかもしれない」と期待する声が聞かれる。

 英国の国王は、 英国、カナダやオーストラリアを含む英連邦(コモンウェルス)に加盟する15カ国の国家元首を務める。スコットランドの独立問題のほか、オーストラリアでは共和制運動、カナダでも一部で立憲君主制から共和国への移行を主張する動きが出てきている。新国王を取り巻く環境は容易ではないことは事実だ。

 なお、エリザベス女王の棺はロンドンのウェストミンスター宮殿に運ばれ、そこで3日間安置される。その間、英国民は女王に最後の別れをすることが出来る。死後10日目の9月19日、ウェストミンスター寺院で昨年4月亡くなったフィリップ殿下の時と同じように国葬が挙行される。

 なお、チャールズ新国王の即位を受け、国歌の中の歌詞「God save the Queen」は再び「God save the King」に戻る。

メーガン妃は「リリベット」に拘った

 ヘンリー王子とメーガン妃の間に長女が誕生した。その朗報はロンドンのエリザベス女王の元に届けられた。もちろん、孫夫婦の娘誕生を喜ばない祖母はいないだろう。それでは英王室関係者は皆、お喜びかというとそうとは言えないのだ。英王室が一般社会と異なっているからだ、というわけではない。ヘンリー王子とメーガン妃が長女につけた名前が明らかになった時、エリザベス女王だけではなく、多くの王室関係者は、「どうして、なぜ……」といった困惑だけではなく、「英王室をバカにしている」とメーガン妃の無神経な言動に驚きを禁じ得なくなったからだ。

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▲バッキンガム宮殿(バッキンガム宮殿公式サイトから)

 それではなぜ「リリベット・ダイアナ」(Lilibet Diana)という名前が英王室関係者に戸惑いばかりか、憤りさえもたらしたのか。英王室作家アンジェラ・レビン氏の説明によると、「リリベット」はエリザベス女王の愛称だ。それもごく限られた家族間、フィリップ殿下との夫婦間で使われる愛称という。その愛称をヘンリー王子とメーガン妃が長女の名前に付けたのだ。

 当方は最初、「ヘンリー王子とメーガン妃には米移住後、英王室を批判してきたこともあって祖母エリザベス女王に対して申し訳ないという思いがあったはずだ。だから、同夫妻からの和解のシグナルではないか」と受け取っていたが、事実はどうやらそんな簡単なストーリーではないようだ。

 ヘンリー王子夫妻は事前にエリザベス女王に子供の名前に祖母の名前を使う予定だと連絡していたという。その時、「エリザベス」という名前だろうと、女王を含む多くの王室関係者は考えていた。しかし、実際は「エリザベス」ではなく、「リリベット」だった。

 ヘンリー王子の母親「ダイアナ」は当然理解できる。ウイリアム王子の娘(シャーロット王女)のミドルネームにも「ダイアナ」がつけられている。ところで、ヘンリー王子夫妻の場合、それだけではなく、女王自身の愛称を長女のファーストネームにつけたのだ。英王室関係者は、「ヘンリー王子夫妻はリリベットを自分の子供の名前につけることで、女王の愛称すら奪い取ることができることを誇示している」と、批判的に受け取っているほどだ。

 冷静に判断すれば、「リリベット」の名前に拘ったのはヘンリー王子ではなく、メーガン妃だったはずだ。ヘンリー王子は「リリベット」が祖母の愛称であり、祖父フィリップ殿下が好んで使っていたプライベートなニックネームという事を知っていたはずだ。だから、自分の娘に祖母の愛称をつけるといった発想は生まれてこないはずだ。その愛称に拘ったのはメーガン妃だったはずだ。なぜか。答えは一つ、ロイヤルファミリーとの繋がりを失わないためだ。また、ヘンリー王子と離婚した場合、メーガン妃に残るものは娘の「リリベット」という名前が英王室との繋がりを保証することになるからだ。

 少し深読みをする。エリザベス女王は英王室の代表であり、シンボルだ。その女王の愛称を付けた娘を「リリちゃん」と呼ぶ時、メーガン妃は英王室が自分のもとに跪くのを感じ、一種のカタルシスを覚えるのではないか。

 メーガン妃はヘンリー王子と知り合った時、「彼が英国の王子だったと知らなかった」とインタビューの中で答えているが、嘘だ。ヘンリー王子であることを知っていたので近づいたのだ。その際、ヘンリー王子の亡き母親ダイアナ元妃が好きだった香水、服の色などを研究したはずだ。そして見事、ヘンリー王子のハートを掴むことができた、というのが事実だろう。キャサリン妃の場合、ウイリアム王子と同じ学校に通い、ウイリアム王子と結婚したいという願いが最初からあったことは良く知られている。キャサリン妃の両親が娘を何とかして英王室に入れようと腐心していたからだ。だから、多くの資金を投資しても娘をウイリアム王子が通う学校に通わせたのだ。

 ここまでくると、別の憶測も紹介せざるを得ない。メーガン妃は本当に子供を自分で出産したのか、それとも代理母に依頼したのではないか、といった情報が流れているのだ。39歳のメーガン妃は、「自分はヨガをしてきたので、体力的に出産は問題ないわ」と説明しているが、ある人は、「妊娠中、メーガン妃のお腹は6カ月の時のほうが7カ月の時より大きかった」と証言している。もっと驚くのは、王室関係者が子供を出産した場合、「……to  ヘンリー王子・メーガン妃」というべきだが、実際は「…… for ヘンリー王子、メーガン妃」と宣布書に記述されていたというのだ。すなわち、「ヘンリー王子夫妻のために(誰かが代わりに出産した)娘」という意味にも解釈できるというのだ。上記のニュースはメーガン妃嫌いのフェイク情報の可能性があるが、完全には排除できない迫力があることも事実だ。

 「リリベット」という女王の愛称を使用する一方、メーガン妃の母親系の名前は一切使われていない。メーガン妃は実の母親といい関係でないからではないかという。自分の子供の名前に女王の愛称を使い、ロイヤルファミリーとしての市場価格を高めることに腐心している。メーガン妃は自身の母親の名前を使えば、その価値が落ちることを誰よりもよく知っているはずだ。

 ヘンリー王子夫妻が娘に「リリベット」というエリザベス女王の愛称を付けたというニュースが流れると、英国の国民には感動というより、批判が多かった。ヘンリー王子夫妻はこれでロンドンに戻れなくなったという声さえ聞かれる。興味深い点は、メーガン妃の言動に対する受け取り方で英国と米国では異なっていることだ。心の世界の全てを公開することを好む米国文化と、それらをオブラートで包みながら、ユーモアや時には皮肉を交えながら吐露する英国民のメンタリテイとの間には国民性の相違が顕著だ。米国でメーガン妃支持派が多い一方、英国ではメーガン妃批判が強いのは当然かもしれない。

 女優業では米TV番組「スーツ」(Suits)でレイチェル・ゼイン役を演じた以外に、これといった作品に出演していないメーガン妃は今、自身が脚色した英王室ドラマでサセックス公爵夫人役を懸命に演じているのではないか。

ヘンリー王子は「犠牲者役」の脱皮を

 ヘンリー英王子夫妻に第2子の長女が誕生したニュースが届いた。朗報の時に今回のコラムのテーマは相応しくないかもしれないが、書き出した。

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▲ヘンリー王子の近況を報じたオーストリア日刊紙クローネン日曜版表紙(2021年6月6日から)

 英王室があるロンドンとヘンリー王子夫妻が住む米国カリフォルニア州との間には約9000kmの距離があるが、それが単なる地理的隔たりだけではなく、英王室関係者と米移住者ヘンリー王子夫妻との人間的繋がりの疎遠化とならないことを願いたい。

 問題はヘンリー王子夫妻が昨年、突然英王室を去り、米国に移住を決めた時から始まるが、英王室との葛藤は今年3月8日、米国の有名なトークショーのオプラ・ウィンフリーさんとの長時間インタビューが火をつけた。メーガン妃(39)がインタビューの中で「英王室の人種差別」を批判し、「王室に入って以来、英王室の慣習に慣れるために苦労したが、助けを求めても、誰も助けてくれなかった」と述べ、英王室での孤独な日々を語った。「絶望から自殺も考えた」と吐露した時、彼女の目が少し潤んだ。

 メーガン妃の人種差別批判は英王室関係者には驚きとショックを与えたことは間違いない。その後もヘンリー王子はポッドキャスト番組やドキュメンタリーシリーズに登場して祖父母エリザベス女王夫妻の子供教育についても批判し、その悪影響はチャールス皇太子だけではなく、3代目のウイリアムと自分へと世代に継承されてきたというのだ。

 ヘンリー王子(36)のエリザベス女王夫妻への批判に及んで、英国民はもはや平静ではおられないだろう。英王室内のさまざまな問題点をメディアを通じて全世界に告発するヘンリー王子夫妻に対して、英国民の忍耐も切れかかっている。心の世界の全てを公開することを好む米国文化と、それらをオブラートで包みながら、ユーモアや時には皮肉を交えながら吐露する英国民のメンタリテイとはもともと相いれない。それ以上に、ヘンリー王子夫妻には「我々は犠牲者だ」といった犠牲者メンタリティが強く、自身のメンタルヘルス問題すら公表することを躊躇しない。ヘンリー王子の場合、母親ダイアナ元妃の悲劇も重なってくる。

 ヘンリーとウイリアムは独身時代、仲のいい兄弟と言われてきた。ウイリアム王子が冗談で「僕は国王になりたくないよ」と言うと、ヘンリー王子は「それなら、僕にくれて」といったという。兄弟の間では、「ヘンリーは自由を、ウイリアムは特権を」と、一種の棲み分け、役割の分担が行われてきた。

 それがメーガン妃とヘンリー王子が婚姻することで、ウイリアム王子夫妻とヘンリー王子夫妻の間には一種の対立が浮かび上がり、両夫妻の間に隙間風が吹き出してきた。ヘンリー王子がメーガン妃の助言に乗って、英王室の負の輪を断ち切るために米国に移住していったわけだ(「英王室に住む『幽霊』の話」2021年3月10日参考)。

 オーストリア最大の日刊紙クローネン日曜版(6月6日)ではヘンリー王子の近況を特集していたが、その中でオーストリアの心理療法士、マルティーナ・ライボヴィチ博士は、「ヘンリー王子は自身の内的葛藤、英王室での生活を赤裸々に公開し、聴取者や聞き手に同情を勝ち取ってきたが、その一方、自分は犠牲者だというメンタリテイが自身の中で固定化していった」と分析している。すなわち、ヘンリー王子は常に「自分は犠牲者だ」と考えるようになっていく。その結果、ヘンリー王子は犠牲者ステイタスから抜け出せなくなり、犠牲者メンタリテイの犠牲者となるというわけだ。

 それでは犠牲者メンタリテイはどこに起因するのだろうか。聖書学的にはカインとアベルからともいえる。神の祝福を受けたアベルと祝福を得られなかったカインとの戦いから始まったというわけだ。それがヤコブの時代に入って、兄エソウとのヤコブの和解が成立したことから、勝利者を意味するイスラエルという呼称が与えられたといわれている。

 聖書の話をしなくても、英国民なら兄弟間の葛藤と言えば、英ロックバンドのスター、オアシスの兄ノエル・ギャラガーと弟リアム・ギャラガーとのいがみ合いを思い出す人が多いかもしれない。ギャラガー兄弟のいがみ合いから最終的にはグループは解散に追い込まれていった(最近になって、兄弟の和解が進んでいて、グループの再結成という話も流れてくる)。

 ただ、犠牲者メンタリティはカインとアベルの兄弟間の戦いよりもっと広範囲の世界、神から愛されている者とそうではない者の間の葛藤から生まれてくるのもではないだろうか。米国では少数派の権利を擁護する人種差別反対運動や性少数派(LGBT)擁護が広がっている。民主党が選挙対策の一環として「黒人は常に犠牲となっている」と口癖のように主張してきたこともあって、多くの黒人は、「自分たちは犠牲者だ」と信じている。「自分はあなたよりもっと犠牲となった」と、犠牲者争いのような状況すらみられる。その犠牲という言葉の背後には、「私はあなたのように愛されてこなかった」という告発が潜んでいることを見逃してはならないだろう。そのため、「ブラック・ライブズ・マター(BLM )」運動は時には攻撃的な言動に走る。アピールではなく、告発だから、加害者を見つけ出して訴えなければならないからだ。

 欧米社会では弱者、犠牲者を過大に擁護する傾向がある。その結果、そのステイタスに甘んじる少数派が増えてきている。社会学者はそれを「犠牲者メンタリティ」と呼んでいる。犠牲者メンタリティは「われわれは多数派によって迫害され、虐待されてきた。全ての責任は相手側にある」という思考パターンだ。フェミニズム、ミートゥー運動もその点、同じだ。しかし、それが行き過ぎると、弱者、少数派の横暴となる一方、強者=悪者説が広がり、強者は守勢を強いられる。社会は活力を失い、健全な社会発展にもブレーキがかかる(「成長を妨げる『犠牲者メンタリテイ」2019年2月24日参考)。

 ヘンリー王子の「犠牲者精神」に戻る。36歳の王子の話を聞く世界の聴取者は彼に涙と同情を禁じ得なくなる。ヘンリー王子がメーガン妃のように俳優出身だったら、その役を終わると、化粧落としをする。そして次の台本に基づいた新しい役作りに取り組む。しかし、ヘンリー王子は俳優ではないので、いつまでその役を続けるべきか分からない。俳優業の先輩、メーガン妃は、ヘンリー王子が犠牲者役に疲れてきたら素早く助言すべきだろう。「あなた、その役は終わったのよ」と。

フィリップ殿下演出の自らの「葬儀」

 エリザベス女王の夫、英国のフィリップ殿下(99)の葬儀が17日、ロンドン近郊ウィンザー城内の聖ジョージ礼拝堂で執り行われた。当日はロンドンにしては珍しく快晴に恵まれていた。新型コロナウイルスの感染を防ぐために、葬儀参加者は30人と制限された(筆者は2時間余りの葬儀式典をオーストリア国営放送を通じてフォローした)。

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▲フィリップ殿下の葬儀風景(2021年4月17日、オーストリア国営放送の中継から)

 エリザベス女王はフィリップ殿下とは73年間、公的にも私的にも生涯を共に過ごした。女王は13歳の時、フィリップ殿下と初めて知り合っている。当時王女だったエリザベス女王は、その時「将来の相手はこの人と」と考えたという。一言で言えば、女王の「一目惚れ」だったわけだ。

 殿下は海軍出身で軍人としてのキャリアを積んでいきたい夢があったという。婚姻後、しばらくは2人でゆっくりと新婚生活を過ごせると考えていたが、エリザベス王女(当時)の父親、国王ジョージ6世の突然の崩御(56歳)で人生の設計は激変した。長女のエリザベス王女は25歳の若さで「女王エリザベス2世」に即位し、殿下は海軍キャリアを放棄せざるを得なくなった。

 妻がエリザベス2世に即位した後、殿下は公務では常に妻の2、3歩後ろからついていく立場となった。この時期、フィリップ殿下が単独で外遊するなど、夫婦関係が厳しくなった、といった憶測が流れたほどだ。

 73年間、エリザベス女王と共に歩んできたフィリップ殿下はある晩餐会で「夫婦生活を支えるのはやはり相手に対する寛容だ」と述べている。公務では妻の後を歩くフィリップ殿下だったが、家庭に戻ると「殿下が主人だった」という。賢明な女王は殿下の主人ぶりを快く受け入れてきたという。エリザベス女王にとって、フィリップ殿下は本音を語れる唯一のパートナーだったわけだ。BBC放送記者は「Great Partner」と呼んでいた。
 
 英国民は殿下に対し「我々の女王を常に世話して大切にしてくれた」として尊敬を払っている。そして殿下と会った人々は等しく「ユーモアのある殿下だった」という。殿下のユーモアは多分、公務で疲れた女王の心を解す瞬間でもあったのだろう。

 ところで、米小説家マーク・トウェインは「ユーモアの源泉は喜びではない。苦しさや寂しさからだ」と述べている。貧しい貴族出身の家庭に生まれ、家族が傍にいない環境で育った殿下が生き延びるために学んできたのがユーモアだったのかもしれない。殿下のユーモアは時には物議をかもしたこともある。

 殿下と女王の間には3人の息子と1人の娘が生まれたが、殿下は長男のチャールズ皇太子より、アン王女が好きだったという。チャールズ皇太子が繊細で傷つきやすい性格だったのに対し、アン王女は男性的で活動的だったからだ。殿下は海軍出身者であり、強くたくましい子供を願っていた。ちなみに、殿下は亡くなる直前、そのチャールズ皇太子に「あとは君の責任だ。女王をケアしてほしい」という願いを託した。

 エリザベス女王と殿下は「我々の子供たち夫婦はなぜ離婚するのか」と悩んできたという。長男チャールズ皇太子、次男アンドルー王子、長女アン王女の夫婦が離婚し、破綻したことが辛かったのだ。チャールズ皇太子とダイアナ妃の婚姻はメディアで大きく報道され、アンドルー王子の醜聞、そしてアン王女の離婚と多くの波乱があった。

 殿下は自身の葬儀を自ら計画し、オーガナイズした。国葬としないこと、棺を運ぶ専用車に自身が愛する車を準備し、ゲストは直接の家族関係者に絞った。葬儀の式典は、追悼の空砲と鐘が鳴らされた後、始まり2時間あまりで終わった。多くの国民はテレビの中継を通じてフォローした。葬儀中、エリザベス女王は顔を沈めていた。米国から葬儀に参席したハリー王子が目を拭うシーンが写った。殿下が愛した孫だ。

 なお、エリザベス女王は宮殿関係者に「コロナ禍のため公務が少なくなったので、殿下と一緒の時間を多く持つことができたことは幸いだった」と語っている。

英国王室に住む「幽霊」の話

 当方はウィーン時間8日午後1時50分からCBS放送のヘンリー王子とメーガン妃とのインタビュー番組を観た。ヘンリー王子夫妻がテレビ放送との長時間インタビューを受けるのは昨年3月、英王室を出て以来初めて。司会者は米国で有名なトークショーのオプラ・ウィンフリーさん。

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▲ヘンリー王子とメーガン妃の結婚式(2018年5月19日、英BBC放送の中継から)

 ヘンリー王子夫妻が英王室を出ていくことになった背景に質問が集中した。司会者のウィンフリーさんはメーガン妃との対談の最初に「メーガン妃のスタッフ虐め」というメディア報道の真偽を聞いた時、メーガン妃は「事実ではない」と否定する一方、メーガン妃が欧州に入って以来、英王室の慣習に慣れるために苦労したが、「助けを求めても、誰も助けてくれなかった」と述べ、英王室での孤独な日々を語った。「絶望から自殺も考えた」と吐露した時、彼女の目が少し潤んだ。

 当方がインタビューの中で関心を引いた点はメーガン妃が英王室を「Institute」(インスティテュート)という表現で何度も呼んでいたことだ。英国国民は英王室を「会社」「カンパニー」と呼んでいる。英王室という「会社」を如何に守るかが英王室関係者にとって至高の使命という。インタビューの後半、対談に加わったヘンリー王子も「自分も兄ウィリアム王子も(そのインスティテュートに)囚われている身だ」と語っていたのが印象深かった。

 メーガン妃は息子アーチーに王子の称号が与えられないということをヘンリー王子から聞いて、驚いた。王子の称号がなければ、英王室からの保護が得られないことを意味するからだ。その理由について「誰も答えてくれなかった」という。メーガン妃がアフリカ系米国人の母を持つ血統であり、「子供の肌の色がどうなるか」で英王室関係者の間で話し合われていたことを知って、さらにショックを受けた。

 メーガン妃は恣意的かどうかは別として「英王室の人種差別的発言」というテーマに拘っていた。司会者が別のテーマに話を移そうとするとき、メーガン妃は「肌の色」という問題に戻そうと腐心している。実際、同対談を報じた外電は「メーガン妃が英王室を人種差別的と批判」と速報を流していた。

 同時に、ヘンリー王子が英王室から追放されたため、その保護がなくなったことを指摘し、メーガン妃は「ヘンリーには保護が必要だ」と訴えていた。司会者が数回、「どのような保護を必要としているのか」と訪ねたが、彼女からは曖昧な答えしか戻ってこなかった。メーガン妃は対談では英王室関係者の具体的な名前を挙げて批判することを避けていた。

 ヘンリー王子だけではない。メーガン妃も自身の歩みをヘンリー王子の母親ダイアナ元妃の悲劇にオーバーラップさせている面がある。同時に、ダイアナ妃の息子ヘンリー王子の保護を求めるメーガン妃には、ダイアナ妃が単に交通事故死ではなかったという思いが強いのかもしれない。

 英王室でアフリカ出身の血統が広がることを警戒する何者かが暗躍しているのだろうか。その何者かは英王室を管理する人物、組織、会社経営者ということになる。エリザベス女王も英王室の存続を担当するメンバーに過ぎないとすれば、英王室関係者を牛耳っている何者かが背後にいるはずだ。「ヘンリーには保護が必要だ」というメーガン妃の発言の真意は英王室から出ていった王子に具体的な危険があるからかもしれない。

 バチカンは「秘密の宝庫」といわれてきた。長い歴史を通じ、時の教皇を通じてその組織を陰でコントロールする存在が暗躍している、といわれてきた。米大統領選でもメディアでは頻繁にダークステート(DS)という言葉が登場してきた。この場合、米大統領選を陰で牛耳っている組織、国家、グループの存在を意味していた。彼らはあらゆる手段を駆使して目的を全うする。英王室にもそのような影の支配者がいるのだろうか。

 メーガン妃との対談を聞いていて、「メーガン妃は英王室で幽霊を見たのではないか」と漠然と感じた。メーガン妃は英王室に住んでいる霊的な存在に恐怖を感じ、王室から逃げていったのではないか。「子供の肌の色」について話していたという情報について、ヘンリー王子もメーガン妃もその発言者名を明らかにしなかったのは、英王室関係者の名誉を守るという目的からではないことは確かだろう。ひょっとしたら、一種の幻聴かもしれない。ヘンリー王子はその声を聞き、メーガン妃に伝えた、というのが真相ではないか。ちなみに、英メディアは「子供の肌の色」問題を取り上げたのは失言が多いフィリップ殿下ではないかと推測している。

 影の支配者、幻聴、そして幽霊といった言葉を使用すると、「当方氏はいよいよおかしくなった」と冷笑されるかもしれないが、当方は真剣だから、もう暫く忍耐してほしい。長い歴史を誇る欧州の王室には至る所に幽霊がいるのだ。人が神に話しかければ、「あの人は信心深い人」といわれるが、神が彼に話しかけたといえば、「彼は狂人だ」と冷笑されてしまう。ヘンリー王子もメーガン妃も「英王室で出現する幽霊の話」はタブーだ。誰だって「狂人」と思われたくないからだ。

 ただし、ヘンリー王子夫妻には結婚後、幽霊が付きまとうことになる。エリザベス女王はヘンリー王子夫妻に結婚祝いに新居を与えている。イギリスのノーフォーク州にある王室所有のサンドリンガム別邸だ。周辺は美しい自然に恵まれている。外観は素晴らしいが、実は幽霊屋敷として知る人ぞ知る謂れのある屋敷だった。

 その屋敷にエドワード7世の息子、アルベルト・ヴィクター(クラレンス公)が生まれた。アルベルトは家族からエディ(Eddy)という愛称で呼ばれていた。彼は学校ではあまり成績の良くない子供だった。大学では豊富な自由時間にポロを興じたり、様々な享楽に耽った。女性から男性、アルコールから麻薬まで全ての享楽の世界に入り込んでしまった。そして1892年、肺炎で死んでしまった。28歳だった。歴史家によると、死因は肺炎ではなく、梅毒だったという。

 問題はエディが亡くなっても彼は自分の屋敷から離れようとしなかったのだ。エディの死後、弟のジョージ(ヨーク公)家族が住んだが、彼らは「屋敷に暗いオーラが漂い、心地よくなかった」という。それ以降、誰もその屋敷に住む者がいなくなったというわけだ。

 エリザベス女王はエディの話を知っていたはずだが、その屋敷をヘンリー王子とメーガン妃の結婚祝いに贈呈したわけだ。女王には悪意がなかったはずだ。当方の解釈だが、「若い彼らならば幽霊が出ようが問題ないだろう」と女王は軽く考えていたのではないか。その話を聞いた直後、ヘンリー王子夫妻は別の屋敷を探しているというニュースが流れた。

 幽霊は英王室だけに出現しているわけではない。スウェーデンのカール16世グスタフ国王の妻シルビア王妃は、首都ストックホルム郊外のローベン島にあるドロットニングホルム宮殿について「小さな友人たちがおりまして、幽霊です」と述べている。2017年1月4日放映のスウェーデン放送の番組の中で語った。ドロットニングホルム宮殿は17世紀に建設され、世界遺産にも登録済み。王妃は、「とても良い方々で、怖がる必要なんてありません」と強調した。国王の姉クリスティーナ王女も同じ番組で、「古い家には幽霊話が付きもの。世紀を重ねて人間が詰め込まれ、死んでもエネルギーが残るのです」と主張。王妃の話を支持したという(「欧州王室に『幽霊』と『天使』が現れた!」2017年1月6日参考)。

 最後に、なぜ幽霊はヘンリー王子とアフリカ系の母親を持つメーガン妃の間から生まれる子供の肌の色について囁いたのか。幽霊は英王室の歴史と関係があるはずだ。アフリカ大陸から欧州に連れてこられた人物かもしれない。それとも何らかの不祥事で亡くなった英王室関係者かもしれない。幽霊の出自を調査するのは難しいが、英王室には幽霊が住んでいるとみて間違いないだろう。

 王室育ちのヘンリー王子にとって「王室に住む幽霊」との出会いは初めてではなかっただろうが、米国の女優世界から英王室入りしたメーガン妃にとって文字通りショックだったはずだ。その幽霊が「生まれてくる子供の肌の色」に関心があることを知って、メーガン妃は恐怖を感じたはずだ。それが、英国国民を震撼させたメグジット(メーガン妃と英国EU離脱=ブレグジットを繋ぎ合わせた表現)の真相ではないか。

英野党指導者「中国に損害賠償請求を」

 ナイジェル・ファラージ氏(56)は英国の欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)を積極的に推進し、長い間欧州議会議員を務めてきた政治家だ。同氏が12月27日、ニューズウイークに、新型コロナウイルスの感染問題をテーマに「今年のクリスマスを台無しにしたのは中国共産党政権だ」と強調し、新型コロナ感染によって生じた損害の賠償を北京政府に求める記事を寄稿している。同氏の大衆迎合的な姿勢には批判もあるが、新型コロナ感染問題で中国の責任を追及する論調には拍手を送りたい。以下、同氏の主張の一部を紹介する。

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▲中国を厳しく批判するファラージ氏(ウィキぺディアから)

 EUがワクチン接種開始を宣言した直後、英国内で感染力が強い新型コロナウイルスの変異種が見つかり、英仏海峡が一時的に閉鎖されたが、同時に、認可され、接種が始まったワクチンの有効性に懸念を表明する声が飛び出すなど、クリスマスを祝う人々の移動は再び制限されてしまった。

 よほど頭ににきたのだろう。ファラージ氏は、「クリスマスの祝日は中国によってキャンセルされてしまった」と怒りを発し、同時に「驚くべきことは、クリスマスを台無しにされたにもかかわらず、中国への批判の声が余り聞かれないことだ」と指摘する。

 同氏は、「新型コロナウイルスが中国からもたらされたことは明確だ。中国共産党政権はそれを隠蔽し、その間多くの中国人が世界を飛び歩いてきた。中国は嘘をつき、人々は死んでいった」と強調し、「今週、人々の不気味な沈黙の背後に何があるのかをを見つけた」という。そしてジョンソン英首相が国民にクリスマスの日に家族で集まるのをやめ、各自、家に留まるべきだとアピールしているのを聞いて、「高まる怒りを感じた」と吐露。そこでツイッターで「クリスマスはキャンセルされた。中国のせいだ」と発したというわけである。

 ファラージ氏によれば、4万5000の人々がリツイートしてきたという。同氏は、「私への膨大な支持は多くの人々が新型コロナウイルスへの中国側の対応やウイグル人への残虐な政策に怒り、この残虐非道な政権に対して可能な限り関わらないことを願っていることを端的に示している」と解説したうえで、「それにしてもなぜ西側の政治指導者は中国共産党政権に批判の声を挙げないのか」と問いかけている。

 同氏のツイート後、中国国営メディアの「チャイナ・デイリー」記者から同氏への攻撃的で下品な言葉の非難が飛んできたという。たとえば、「マスクを着けて、話すのを止めろ」、「トランプのような民族主義者め」といったものだ。

 このコラム欄では海外に派遣されている中国外交官の品性のなさ、ヤクザのような言動について「戦狼外交」と呼んで報告してきたが、中国外交官だけではなく、中国人ジャーナリストにも「戦狼ジャーナリスト」がたむろしているわけだ(「世界に恥を広める中国の『戦狼外交』」2020年10月22日参考)。

 中国のメディアでは、「中国は素晴らしい政府のおかげで国民の日常生活は正常化したが、西側民主主義国では新型コロナ感染で国民経済は完全に混乱している」といった揶揄ったトーンがある。ファラージ氏は、「自分は批判や中傷には慣れているが、問題は、公の立場にある多くの人々がこの種の中傷批判を避けるために沈黙という安易な選択に陥っていることだ」と指摘している。

 ファラージ氏は、「私は今、中国の監視網に入ったので、今後様々な嫌がらせが来るだろう。私のケースは細やかな例に過ぎない。東南アジア地域では中国の覇権の手が伸びてきているから、懸命にそれに応戦している。トランプ米政権は台湾や東南アジア諸国に巨大な支援をしている。ジョー・バイデン氏のホワイトハウスは中国に対し、はっきりと対抗姿勢を見せることができるだろうか」と述べている。

 同氏は、「私が恐れることは、西側政府の中に中国の横暴な強権政治に対して立ち上がる勇気のある政府がないことだ。我々は中国に依存してきた。中国共産党政権は自国民さえ無慈悲に殺害し、一党独裁政治に従わせている国だ。実際、西側の多くの政治家は中国に買われている」と批判する。

 そして最後に、「このパンデミックは中国のせいだ。西側は世界経済に与えた損害の賠償を要求すべきだ。これこそ私の2021年、追及していきたいテーマだ。中国共産党政権が私を嫌うことはハッピーだ。私に対する称賛を意味するからだ。しかし、どれだけの人々が中国と対抗し、北京から非難を浴びても耐えられる準備があるだろうか」と、重ねて問いかける。

 ジグマ―ル・ガブリエル独外相(当時)が2018年2月17日、独南部バイエルン州のミュンヘンで開催された安全保障会議(MSC)で、中国の習近平国家主席が推進する「一帯一路」構想に言及し、「新シルクロードはマルコポーロの感傷的な思いではなく、中国の国益に奉仕する包括的なシステム開発に寄与するものだ。もはや、単なる経済的エリアの問題ではない。欧米の価値体系、社会モデルと対抗する包括的システムを構築してきている。そのシステムは自由、民主主義、人権を土台とはしていない」、「現代で中国だけが世界的、地政学的戦略を有している。一方、欧米諸国はそれに対抗できる新しいグローバルな秩序構築のアイデアを提示していない」と語り、大きな反響を呼んだことを思い出す。ファラージ氏の今回の記事は、それに匹敵する鋭い中国批判だ。(「独外相、中国の『一帯一路』を批判」2018年3月4日参考)

ジョンソン首相「親中路線」見直しか

 当方はこのコラム欄で「ジョンソン首相と太永浩氏に注目」(2020年4月19日参考)を書き、ジョンソン首相に対しては、中国発新型コロナウイルスに感染して入院、集中治療室での治療から回復体験した首相がその後の対中政策にどのような変化を見せるか注目したいと述べた。

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▲新型コロナ問題に言及するジョンソン首相(英首相府ダウニング街10番公式サイトから、2020年5月10日)

 欧州連合(EU)離脱交渉で躓いたテリーザ・メイ首相の後継として、昨年夏に就任したボリス・ジョンソン首相(55)は新型コロナに対しては当初、トランプ米大統領と同じく楽観的な受け取り方をしていたが、新型コロナが欧州で猛威を振るい、首相自身が感染して入院する羽目になった。退院後の発言などから、ジョンソン首相はかなり重症で集中治療室(ICU)に入り、命の危険もあったことが判明した。

 首相は4月12日に退院すると、官邸のダウニング街10番地には戻らずロンドン北西にある首相公式別荘「チェッカーズ」で静養を続け、その数週間後、日常の政治活動を再開した経緯がある。

当方の関心はロンドン市長時代から親中派だったジョンソン首相が新型コロナに感染し、生命の危機を体験したことでその政治路線が変わるだろうかにあった。サウロがパウロに変わった話は有名だが、人は大きな体験をすれば「その後」必ず変わるものだ。ジョンソン首相も例外ではないと考えたからだ。そして、その予想はどうやら当たりそうなのだ。 

 英紙ガ―ディアンが24日報じたところによると、ジョンソン首相は2023年まで3年以内に中国通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)を英国の第5世代移動通信システム(5G)網から完全に排除する計画だという。

 トランプ米大統領はファーウェイが国家の安全を脅かす危険性があるとして市場からの排斥を進めてきたが、米国と親密な同盟国の英国ジョンソン首相は今年1月28日、国内5G網整備について、「コア部分を除き、その他周辺機器については中国の華為技術の参入を容認する」と決定し、トランプ政権を少しがっかりさせた。英国与党・保守党議員からもジョンソン首相の決定に反対する議員がファーウェイ排除の法案を提出したが、否決されている。それから4カ月後「今後3年の間にファーウェイの5G網の関与を完全に排除する」と方針を変えたわけだ。

 ジョンソン首相の親中路線に変化が見えたのは、新型コロナ感染体験があったからではないか。ガ―ディアンは「英国家サイバーセキュリティ・センター(NCSC)が24日、ファーウエイの脅威に対して見直しを実施した結果」と説明していたが、その背後には、ジョンソン首相の中国共産党政権への見直しがあったのだろう。

 中国発ウイルスで英国でも多数の感染者、死者数が出てきている。同時に、新型ウイルスの実態を隠蔽してきた中国共産党政権に対して国内で批判的な声が高まってきている。そして今、ジョンソン首相は中国傾斜路線の見直しを示唆したわけだ。

 ジョンソン首相はロンドン市長時代から中国寄りだった。習近平国家主席が推進する新しいシルクロード「一帯一路」を高く評価してきた。その中で、ファーウエイは昨年、「人工知能研究センター」、そして「5Gイノベーション&エクスペリエンスセンター」を開設するなど、ロンドンを拠点として着実に基盤を構築してきている。

 ジョンソン首相はEU離脱(ブレグジット)後の国民経済の活路を中国市場に見出し、中国企業との関係を強化してきた。ロンドン市長時代(在任期間2008〜16年)には、ロンドンと上海の2大金融拠点の連携を強化、その結果、昨年年6月17日、上海・ロンドン株式相互接続(ストック・コネクト)が正式に始まっている。ちなみに、昨年1〜8月にかけて、中国企業に買収されたイギリス企業は15社、買収価格は83億ドルに上る。

 ガ―ディアンによれば、ジョンソン首相の親族関係者には中国と関係が深い人物が多い。ジョンソン首相の父親スタンリー・ジョンソン氏は駐ロンドン中国大使と面識があり、首相の弟ジョー・ジョンソン氏は大学担当大臣在任中、イギリスの大学代表団を率いて中国視察ツアーを行い、中国の教育大臣らと対談し、レディング大学と南京情報科学技術大学(NUIST)との提携を取り付けた。首相の異母弟、マックス・ジョンソン氏は北京大学でMBAを取得した後、香港のゴールドマン・サックスに入社。現在は中国向けに製品を販売する企業を対象とした投資会社を運営している、といった具合だ(海外中国メディア「大紀元」4月20日参考)。

 ジョンソン首相は欧米指導者の中で唯一、新型コロナを自分の身体で体験している。その首相がこれまでの親中政策から決別すれば、北京にも大きな影響を与えるだろう。ジョンソン首相の親中路線の見直しがうまくいくかどうかは現時点では不確かだが、注目すべき変化だ。
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