ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

英国

チャールズ国王は“聖霊”を受けたか

 6日の土曜日は午前中は買い物した後、3時間あまりテレビの前に座って英国のチャールズ国王戴冠式を観ていた。バチカンの復活祭の記念礼拝は通常2時間で終わるが、戴冠式は3時間以上の長丁場となって、さすがに疲れた。BBCは1日中、戴冠式関連のニュースを流していた。その熱心さには敬服する。

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▲チャールズ国王の戴冠式(2023年5月6日、バチカンニュース公式サイトから)

 当方はテレビの前に座っていたのだが、バッキンガム宮殿から戴冠式が行われたロンドン中心部のウェストミンスター寺院までの道路沿いには多くの国民が旗をもち、戴冠式の様子を共有しようと前日から待っていた様子が映されていた。あいにく戴冠式の日は快晴ではなく朝から小雨が降っていたが大雨にもならず、戴冠式に大きな影響はなっかった。世界から数千人のゲストが集まった。戴冠式を警備する軍関係の警備員の数は4000人以上だったという。

 戴冠式は1000年の伝統に基づくもので、70年ぶりという。そのため王室問題専門家は、「戴冠式では全ての関係者が神経質になっていた。経験した者が誰もいないからだ」と評していたのが印象的だった。BBCは80歳を過ぎた女性にインタビューしていた。彼女は、「10歳の時、エリザベス女王の戴冠式が行われたことは聞いていたが、何も憶えていない。チャールズ国王の戴冠式が自分にとって初体験だ」と答えていたから国民の大半にとって戴冠式の様子を見るのは初めてということになる。

 当方が戴冠式で最も感動したシーンというか、驚いたのはチャールズ国王が金色の布の天蓋の下で、カンタベリー大司教から奉献された聖油を注がれる場面だ。囲まれた聖所のようなところに、国王は王衣をとり白い衣だけになって入った。外からは見えないように四方を囲まれている。周囲を守って囲んでいる関係者も天幕内の様子を見てはならないから、式が終わるまで首を垂れていなければならない。戴冠式で最も厳粛な場面だ。チャールズ国王はカンタベリー大司教から油を注がれ、聖霊を受けた瞬間、文字通り、英国国教会の首長となったわけだ。

 旧約聖書の「サムエル記上」第16章には、最初のイスラエル国王サウル王から「主の霊は離れ」、ダビデに国王が継承される瞬間を記述されている。聖霊を受けない限り、国王になれない。そして聖霊を受けた人物は神の願いにかなった歩みをしなければならない。さもなければ、サウル王のように、聖霊が出ていき、「悪霊が悩ます」というわけだ。

 聖霊といっても、多くの人にとって理解できないだろう。不可視であり、どこに存在するといったものではなく、あくまでも天から降臨するものだからだ。それを受けない限り、国王として神によって認知されない。油を注がれ、聖霊の祝福を受ける、このコースが戴冠式のエッセンスというわけだ。その点、米国大統領が議事堂前で宣誓式を経て大統領に就任するのとは異なっている。

 キリスト教では神は「父、子、聖霊という三つのペルソナ(位格)をもっておられる」と教える。聖霊はその神の3つのペルソナの一つといえるわけだ。具体的には、聖霊は人に神への信仰を呼び起こす役割があるうえ、「助け手」でもあるから、聖霊を受けた信者が喜びで溢れるということがあるわけだ。

 厳密にいえば、「戴冠式前」と「戴冠式後」ではチャールズ国王は異なった存在といえる。母親エリザベス女王が昨年9月8日、96歳で亡くなった後、国王を継承したのだから、時間と経費の無駄遣いの戴冠式を挙行する必要はない、といった批判が英国内でも聞かれたが、繰り返すが、戴冠式で聖霊を受けない限り、チャールズ国王は世俗的な国王になれても、英国国教会の首長とはなれないのだ。

 今月28日はペンテコステ(聖霊降臨日)だ。イエスが復活し、40日間、弟子たちを再び集めて福音を述べ伝えた後、昇天。その10日後の日曜日、聖霊が降臨した日を祝う祝祭日だ。迫害を恐れてきた弟子たちは聖霊を受けると異言を語り、命がけの伝道に出かける。まさに、聖霊降臨前と後では弟子達は180度変わったのだ。ペンテコステを期して、「教会は始まった」といわれる所以だ。

 例えば、迫害を恐れてイエスを知らないと言い逃れてきたペテロは聖霊を受けた後、逆さ十字架すら恐れない強い信仰者に生まれ変わった、という話が新約聖書に書かれている。多分、ひょっとしたら、このことはチャールズ国王にも当てはまるかもしれない、と考えた。

 欧州の王室は英王室も含め、21世紀の新しい時代を生き延びていくために苦闘している。君主制を維持するか、共和制に移行するか、英国でも議論を呼んでいる。

 チャールズ国王は戴冠式で聖霊を受けただろうか。国王の今後の歩みをみれば分かるかもしれない。

チャールズ国王戴冠式と「信仰の隣人」

 故エリザベス女王の後、国王を継承したチャールズ3世の戴冠式が近づいてきた。70年ぶりの戴冠式ということで英国内外で大きな話題を呼んでいる。戴冠式は6日、ロンドン中心部のウェストミンスター寺院で行われる。式典には、世界各地から2000人余りの要人が参加する。米国からはバイデン米大統領のジル夫人、日本からは秋篠宮ご夫妻が参列される。なお、英国王室からの情報によると、王室を離脱した国王の次男ヘンリー王子は出席予定だが、メーガン妃は欠席するという。

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▲6日に戴冠式を迎える英国のチャールズ3世(バチカンニュースから、2023年4月30日)

 戴冠式では、チャールズ国王は金色の布の天蓋の下で、カンタベリー大司教によって祝福され、奉献された聖油が注がれる。ウェストミンスター寺院の戴冠式は、非常に宗教的な行事だ。チャールズ国王の多くの称号の中には、イングランドがローマと決別した後も維持された英国国教会の「信仰の擁護者」が含まれる。

 メディアでは余り報じられていないが、聖公会が先月29日に発表したところによると、6日のチャールズ国王の戴冠式には宗教改革以来初めて、カトリック教会の司教が出席する。ウェストミンスターのカトリック大司教、ヴィンセント・ニコルズ枢機卿は戴冠式の終わりにチャールズ国王に祝福を与えることになっている。

 戴冠式には、カトリック教会の代表だけではなく、他のキリスト教の宗教団体の代表も出席する予定だ。英国ギリシャ正教会のニキータス・ロウリアス大司教、「自由教会」の指導者ヘレン・キャメロン議長もチャールズ国王を祝福する。戴冠式の後、他宗教の合同挨拶が読み上げられる。プログラムによると、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、シーク教の代表たちがチャールズ3世に「信仰の隣人」として挨拶することになっている。

 今回の戴冠式で注目される点は、チャールズ国王が宣言で「(全ての)信仰を保護する」と表明するか否かだ。チャールズ国王は皇太子時代の1994年、英国の宗教的多様性を反映させて「(英国国教会の)信仰の擁護者ではなく、(全ての)信仰の擁護者になる」と述べ、英国内で大きな議論を呼んだことがある。

 新国王は母親エリザベス女王の死後、「これまでの伝統を継承しながらも時代の変遷に応じた改革を実施したい」と語ってきた。英国国教会ではヘンリー8世以来、戴冠式では伝統的に「Defender of the Faith」と宣言してきた。チャールズ3世はそれを「Defender of Faith」と宣言するというのだ。「the」(英国国教会を指す定冠詞)を除き、「全ての信仰の擁護者」という意味合いを込めて「Defender of Faith」と宣言することになる。英国内の保守派からは抵抗があるといわれているが、英国民の過半数は「戴冠式の式典自体はキリスト教会の伝統に基づくものだから問題はない」と受け取っているという。

 英国の現政界を見れば、リシ・スナク首相はヒンズー教徒であり、ロンドンのサディク・カーン市長はイスラム教徒だ。そしてチャールズ3世は英国国教会の首長である。すなわち、英国は英国国教会を中心に他宗派の信者たちと共存しているわけだ。チャールズ3世はその現実を踏まえ、自身の戴冠式に「信仰の隣人」を招くことにしたのだろう。チャールズ3世にとって、英王室の最初の改革ともいえる。

 ところで、ローマ・カトリック教会の総本山、バチカン教皇庁のマッテオ・ブルーニ広報官が先月20日明らかにしたところによると、ウェールズの英国国教会100周年を記念して「バチカン教皇庁は4月初めに真の十字架の遺物の一部を英国王に寄贈した」という。同広報官の説明によると、「真の十字架の遺物の断片は、国王陛下のチャールズ3世への贈り物であり、ウェールズ聖公会の加盟教会であるウェールズ教会の100周年を祝うもの」という。贈り物の十字架の遺物は、バチカンに保管されてきた貴重なものだ(バチカンニュースから引用)。

 なお、聖公会(アングリカン・コミュニオン)は西暦597年、ローマ教皇の支配下でカンタベリー大主教が管理するローマ・カトリック教会所属の教会として始まったが、1534年、英国王ヘンリー8世はローマに離婚願いを申請したが、バチカンがその願いを拒否したことを受け、ローマ教会の支配から脱し、英国王を首長とする英国国教会を創設した。現在、世界に約7000万人の信者を有する。聖公会の教えは本来、ローマ・カトリック教会の教えを土台とし、宗教改革のプロテスタントの影響を受けてきたことから、新旧両教会の中道教会とも呼ばれる。

 参考までに、英国国教会では2002年まで再婚することが禁じられていた。チャールズ国王とカミラ王妃は2005年に通常の結婚式を挙げ、その直後にウィンザー城のセントジョージ礼拝堂でカンタベリー大司教から祝福を受けている。

誰がこんな英国にしたのか?

 当方は1980年初頭、数カ月間英国に住んでいた。ロンドンではなく、ビートルズの生まれたリバプールだ。中欧のオーストリアに常駐するようになってからは残念ながら英国をゆっくりと再訪する機会はなかった。ただ、英国発のニュースにはできるだけ目を通してきた。独週刊誌シュピーゲル(4月15日号)に英国の現状をルポした記事が掲載されていたのを読んで驚いたというより、「誰が英国をこんなふうにしてしまったのか」という憤慨の思いすら沸いてきた。

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▲ロンドンの英国首相府(10Downing Street)英国政府公式サイトから

 日本人にとって、英国は欧州の代表であり、産業革命の発祥地であり、モダンな近代先進国というイメージが強いが、シュピーゲルのルポ記事を読んでいると、「貧富の格差は大きく、国民の活力が減退し、貧困者の生活はこれが英国の現状かと疑いたくなるような状況だ。40年前の英国はもっと活力があったのではないか。ストやデモが多発した1980年代、サッチャーが登場して英国病といわれる国民経済を改革していった。サッチャー改革は短期的には英国病の回復に効果があったが、長期的には現在のような貧富の格差がある社会を生み出していったのか。EU離脱(ブレグジット、2020年1月31日以降)とコロナのパンデミックで英国は再び病んできた、という印象をシュピーゲルの7頁に及ぶルポ記事を読んで感じた。

 例えば、69歳の年金生活者のリンダさん(匿名)は看護師として働いた後、退職して年金(月700ポンド=11万7000円)で生活しているが、アパートを維持するのが精一杯で3食の食事は難しい。台所では料理しないという。電気代を節約するためだ。慈善団体などが運営する無料で食事を提供している場所でスープなど温かい食事をもらうのが日課となっている。曰く、「毎火曜日にはカレーライスが出るので楽しみにしている」という。孫たちが来る日だけ部屋の暖房にスイッチを入れ、それ以外は暖房なしの生活だ。「幸い、近くに友人がいるし、アパートもあるから」という。

 ロンドンの病院では医師や看護師不足で緊急治療は出来なくなった。ケガをしたので救急車に電話を入れたが、2日後に救急車がきたという。政府はテレビや新聞などを通じ、「ケガをしないように、危ないことはしないように」と国民にアピールしている。ケガをしても救急車はこないし、病院には医者はいないことが多いからだ。

 医師や看護師は待遇の悪さにデモをし、辞めていく者も多いという。700万人の国民が病院の予約待ちだ、そして裁判所では65万件の訴訟が公判が始まるのを待っているという。昨年12月以来、バスの運転手、病院の看護師、学校の先生、公務員などのストがない日はない。物価の急騰、巨額の債務、デモの多発などが生じた1970年代の英国の悪夢を思い出す国民もいるという。

 マーガレット・サッチャー時代(1979年〜1990年)の厳格な民営化政策、そして2008〜09年の金融危機もあって不動産の価格が急騰、家賃の高騰で国民は住居を探すのが困難だという。カビが生えたアパートに住んでいた家族の2歳の子供が亡くなったというニュースが流れたばかりだ。

 リシ・スナク首相が国民経済の現状を知るために現地視察に出かけたが、首相の公務車が通過する道路は穴だらけということで、首相の車の通過数分前に、道路にアスファルトを入れて穴を埋めたという。都市の道路の整備は遅れ、道がデコボコだという。労働者不足もあるが、市当局のミス・マネージメントがあるからだ。

 国民経済がどんなに厳しくても英国人はパブに通い、ビールなど飲みながら談笑するのが大好きだ。国民にとって日々のストレス解消の場所だったが、そのパブが昨年560カ所閉鎖に追い込まれ、数千のパブが今後同じ運命にあるという。英国人がパブに通えなくなりつつあるわけだ。ウォッカなしのロシア人を想像できないように、パブの灯が消えた英国の街は考えられない。その日が到来するかもしれないのだ。

 英国は貧困国家ではない。国内に億万長者(ビリオネア)が177人存在する。一方、数百万人の貧困者がいる社会だ。例えば、スナク首相はビリオネアであり、夫人もお金持ちで有名だ。首都ロンドンの中心街を見ている限り、分からないが、上記で記述したような生活環境下の国民が増えてきているのだ。テレビや新聞では安く料理できるレシピが紹介されている。例えば、有名な料理人ジェイミー・オリバーの「ワン・ポンド・ワンダース」(One Pound Wonders)の料理番組が人気を呼んでいる。

 世論調査Ipsosによると、コロナのパンデミック、ウクライナ戦争で欧州の多くの人々は「未来がなくなった」と感じ出しているといわれているが、「英国の国民ほど悲観的な思いに陥っている国はない」というのだ。

 英国の現状を最も反映している都市はブラックプール(Blackpool)といわれる。イングランド北西部、ランカシャー西部にある保養都市だったが、今は多くの店は閉鎖され、索漠とした都市となっている。ブラックプールは英国の没落のシンボルと受け取られている。シュピーゲル記者は、「貧しく、病気で、人生に疲れているならば、ブラックプールには来るな。誰も助けることができないからだ」という現地の声を紹介している。

 政治的に大混乱をもたらしたブレグジット、そしてコロナのパンデミックを迎えた。その後、英国は政治的、経済的、社会的各分野でカオス状況に陥っている。一体、誰が英国をこのようにしたのか(「『不法移民法案』は英国の命運を左右?」2023年3月10日参考)。

「不法移民法案」は英国の命運を左右?

 独週刊誌シュピーゲルが昨年、英国のスナク政権誕生(2022年10月25日)に関連して特集記事を掲載していたが、その中で「移民家庭出身の政治家、閣僚は移民問題ではハードだ」と書いていたことを思い出した。同誌の予測は当たり、スエラ・ブレイバーマン英内相は7日、新しい不法移民法案(The Illegal Migration Bill、不法移民対策の強化案)を下院に提出したが、その内容は「ノー移民」、「移民禁止法と同じだ」といった酷評が聞かれるほど、ハードな内容だ。

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▲不法移民法案を下院に提示したブレイバーマン英内相(2023年3月7日、英国内務省公式サイトから)

(スナク首相は祖父がインド生まれ、父親がケニア出身、母親がタンザニア出身の長男として出生。ブレイバーマン内相は父親インド、母親タミル系出身、1960年代に両親は英国に移民)。 

 「不法移民法案」は、正式な移民許可を有していない移民希望者、すなわち不法移民は一時収容された後、即ルワンダや他の外国の移民収容所に送られる。不法入国した前歴のある移民は英国では移民権をはく奪され、移民申請は出来ない。国外退去強制に対する上訴の可能性も制限される。そのうえ、英国は今後、合法的に移民できる移民の数の最上限を設定する、といった内容だ。

 新しい「不法移民法」は国内だけではなく、他の欧州諸国や国連の難民機関、移民問題を扱う非政府機関(NGO)からも批判にさらされている。アムネスティ・インターナショナルは「英国は移民問題の責任から逃避している」と指摘し、「この法律は移民を禁止することと同じだ」と批判。野党の労働党は「法律は人権に反するもので、法として成立できるか疑問視せざるを得ない」と述べている、といった有様だ。

 ブレイバーマン内相は、「私たちの海岸に数万人の不法移民を運んでくるボートを止めなければならない。わが国では不法入国した者は逮捕され、速やかに国外追放されることが世界に知られるまで、不法移民は英国に来るだろう」と述べている。ちなみに、同内相は不法移民の殺到を「侵略」と表現している。同内相自身、「不法移民対策は中途半端ではない」(No half measures)と認め、「不法移民法案は、われわれの法律と英国民の意志に違反してわれわれの海岸に何万人もの移民を運んでいる船を止めることができる」と強調した。同相によると、2018年以降、約8万5000人が小型ボートで不法入国し、2022年だけで4万5000人が英国に入国した

 ジュネーブの難民条約によれば、政治的、民族的、宗教的な理由などで迫害されている人は誰でも亡命する権利がある。英国にも本来、適用される国際条約だが、同内相が提示した「不法移民法」は明らかにそれらの権利すら拒否している、という声が強い。

 興味深い点は、不法移民法案が移民関連の国際条約や英国の人権法に違反している可能性があることを同内相自身が自覚していることだ。英紙ガーディアンによると、ブレイバーマン内相は保守党議員に自分の計画を提示したとき、その法案が人権法に「50%以上」違反していることを認めたというのだ。

 ガーディアン紙によると、英国で現在、16万6000人が移民申請の決定を待っている。英国通信社PAによると、既に今年これまでに約3000人の移民が英仏海峡を渡ってきた。2022 年には4万5755人だった(前年比60%増)。フランスは英国の要請でフランス側沿岸の取り締まりを警官を増員して強化したが効果を上げていない。

 国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR) も英国の不法移民法案について深い懸念を表明している。UNHCRによると、「この法律は移民禁止を意味し、英国に不法に到着した難民は、その主張がいかに真実で説得力があるものであっても、難民として保護される権利が認められないことになる」と指摘している。また、「英仏海峡を渡る男性、女性、子供の大半は、戦争、紛争から逃れるためにくる。新しい法案は海峡を渡ってくるボート難民のトラウマをさらに悪化させ、世界での英国の評判を損なうだけだ」という声すら聞かれる。

 英国は過去、不法移民をルワンダに収容するためにルワンダと協定を締結し、英国はルワンダに1億4000万ポンド(約1億5600万ユーロ)を支払っているが、欧州人権裁判所 (ECtHR) が介入して以来、英国からルワンダへの強制送還便は今のところない。

 なお、リシ・スナク首相は、「不法移民を止めることができない場合、将来、本当の難民を助ける可能性が制限されるだろう。これらの措置の厳しさについて議論があることを理解している。私が言えることは、私たちはあらゆる方法をこれまで試みたが、うまくいかなかったということだ」と述べている。

 ところで、スナク首相もブレイバーマン内相も移民家族の出身だ。ブレイバーマン内相は8日、「不法移民法」への批判に対し、「思いやりと共に、必要かつ公正な措置が重要だ」と説明している。スナク首相やブレイバーマン内相は、移民問題で厳しい政策を主張する保守党内の右派勢力の支持を得るために、厳しい移民政策を施行しようとしている、といった意見も聞かれる。いずれにしても、家族の出自が移民の場合、閣僚や政治家は「移民問題」では不自然なほど厳しく対応する傾向がみられる。

 同内相は下院での法案発表時に、「2015 年以来、英国は50万人近くの人々の移住を認めてきた。その中には、独裁政治から逃れた香港からの15万人、プーチンの戦争から逃れた16万人のウクライナ人、タリバンから逃れた2万5000人のアフガニスタン人が含まれている。実際、私の両親は何十年も前にこの国に移住し、安全と機会を見いだした。私の家族は永遠に英国に感謝している」と述べた。不法移民法案のプレゼンテーションの中でこの発言部分が最も印象的だった。

ウクライナ支援で蘇った英国の外交

 ロシア軍のウクライナ侵攻から今月24日で1年目を迎える。ロシアのプーチン大統領は軍の再編成を終え、大規模な軍攻勢を仕掛けてくるのではないかと予想されている。一方、ウクライナのゼレンスキー大統領は今月8日からロシア軍侵攻以来2回目の海外訪問に出かけ、英国、フランス、欧州連合(EU)の本部ブリュッセルを次々と訪問し、軍事支援を訴えてきた。

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▲ゼレンスキー大統領を歓迎するスーナク英首相(2023年2月8日、英首相官邸公式サイトから)

 興味深い点は、ゼレンスキー大統領が最初の欧州訪問先に英国を選んだことだ。ある意味で当然の選択ともいえる。ロシア軍がウクライナに侵攻して以来、英国は欧米諸国の中で最も早く支援を実施し、キーウが願う軍事支援を迅速に応じてきたからだ。攻撃用戦車の供与が問題となった時、ドイツのショルツ首相が世界最強の戦車「レオパルト2」の供与問題で国内のコンセンサスを得るのに時間がかかった。スーナク英首相は1月14日、同国の主力戦車「チャレンジャー2」の供与をいち早く申し出ている。ショルツ首相が「レオパルト2」の供与を決定したのはそれから11日後の1月25日だ。

 軍事的観点からいえば、ウクライナ軍にとって北大西洋条約機構軍(NATO)で最も広く配備されているドイツ製「レオパルト2」が最適だったが、英国の攻撃用戦車の供与はショルツ独政権や他の同盟国に戦車供与への圧力となったことは間違いない。その意味で、ゼレンスキー大統領は欧米諸国の中で常に先頭を切って支援を実施してくれる英国に感謝しているはずだ。

 一方、EU離脱(ブレグジット、2020年1月31日以降)後、英国は厳しい経済事情、国内問題を抱えていた時、ウクライナ戦争が勃発した。ジョンソン首相(当時)はいち早くキーウを訪問し、ウクライナへの軍事支援を世界に向かってアピール。ジョンソン氏は辞職後もキーウを再度訪問し、ゼレンスキー大統領と会談している。表現は不適切かもしれないが、ウクライナ戦争はEU離脱後の英国の外交を復活させる絶好の機会となったわけだ。

 インスブルック大学の政治学者、ゲルハルト・マンゴット教授はオーストリア国営放送とのインタビューで、「英国はウクライナ戦争に深く関与することで、往年の英国の外交力を回復させようとしている」と述べている。

 英国にとって対ロシア関係は久しく険悪な関係だったこともあって、英国の外交は全面的にウクライナ支援に傾斜していった。英国で2018年3月4日、亡命中の元ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)スクリパリ大佐と娘が、英ソールズベリーで意識を失って倒れているところを発見された通称スクリパリ事件が起きた。調査の結果、毒性の強い神経剤、ロシア製の「ノビチョク」が犯行に使用されたことが判明し、英国側はロシア側の仕業と判断し、ロシア側の情報機関の蛮行に対して、強く反発してきた経緯がある。

 英国の外交にとって有利な点は、EUの盟主ドイツが第2次世界大戦時のナチス・ドイツ軍の戦争犯罪という歴史的な負い目もあって、紛争地への軍事支援が難しい事情があることだ。ショルツ首相が「レオパルト2」をウクライナに供与するかどうかで多くの時間をかけた姿が世界に流れ、「ドイツはウクライナ支援にブレーキをかけている」といったドイツ批判がメディアで報道された。

 一方、ドイツの過去の負い目を巧みに利用し、欧州外交の主導権を狙うマクロン仏大統領にとってドイツ抜きでは経済支援を含めウクライナ支援は難しい。27カ国から構成されたEU加盟国の中には、フランス主導のパフォーマンスを中心としたEU外交を良しとしない国が少なくない。慎重だが、経済力を持つドイツ抜きではEUの問題を解決できないからだ。

 ゼレンスキー大統領は8日、ロンドンでスーナク英首相と会談し、議会で演説を行った。そこで同大統領は、「ウクライナの勝利のために戦闘機の供与を」と訴えた。スーナク首相はキーウの願いに対して快諾したわけでないが、検討を約束している。

 攻撃用戦車の供与問題でもそうだったが、欧州諸国が決定するまで時間がかかることを学んだゼレンスキー大統領は攻撃用戦車の供与が決定した直後、時間を置かず素早く「次は長射程ミサイルと戦闘機の供与を」と要求した。ゼレンスキー大統領がその最初のアドバルーンを英国で上げたのは当然だった。

 EU加盟国の間では、ウクライナを支援する点でコンセンサスはできているが、ハンガリーのオルバン政権はロシアのプーチン大統領に親密感を持ち、その人脈で低価のロシア産天然ガスを獲得するなど、加盟国内で対ロシア政策、制裁では一致はしていない。

 ちなみに、マクロン仏大統領がEU首脳会議の前日の8日、欧州歴訪中のゼレンスキー大統領をパリに招き、ショルツ独首相と共に会談し夕食会まで開催したことについて、招待されなかったイタリアのメローニ首相は9日、「不適切だ」と批判している。EUの首脳陣の中には、いがみ合い、嫉妬、嫌悪といった感情が皆無ではないわけだ。

 なお、EUのフォンデアライエン欧州委員長によると、EUは過去1年でウクライナ支援に670億ユーロ(約9兆4300億円)を拠出したという。EUは9日、対ロシア追加制裁として100億ユーロ(約1兆4000億円)超相当の輸出禁止措置を盛り込むことを明らかにしたばかりだ。

 英国はEUから離脱したこともあってブリュッセルの意向に拘束されず、フリーハンドでウクライナ支援を決定できる。これは、英国がウクライナ支援でEUのドイツやフランスより一歩先行している大きな理由だ。

 ウクライナで戦争が続く限り、英国の外交はEUの外交を上回るスピードと決断力を発揮するだろう。戦争が終わり、「ウクライナの復興」問題が前面に出てきた時、ドイツを中心としたEUの外交が英国に代わって主導的な役割を果たすのではないか。

英国王子と名誉教皇秘書の「暴露本」

 著名人の暴露本は人気がある。英王室から追放されたヘンリー王子(38)が英王室時代の出来事を書いた自伝「スペア」(SPARE)が10日、発表されるが、スペインで間違って早く公表されたこともあってメディアでは今年に入り、同自伝の中で興味深い話が既に報じられている。その結果、王子の自伝に関する関心は高まり、ベストセラー入りは確実で、出版社も大喜びといった状況だ

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▲ヘンリー王子の自伝「スペア」とゲンスヴァイン大司教の新著「Nothing but the Truth」

 王子の自伝の中には、ヘンリー王子がメガン妃の件でウィリアム皇太子(40)と喧嘩し、兄のウィリアム皇太子から暴力を受けたという話から、ヘンリー王子がアフガニスタンに従軍していた時、25人のタリバン兵士を殺害した、といったかなり際どい内容まで書かれているという。兄弟喧嘩はどこの社会でもあるから問題はないが、後者は英軍関係者も深刻に受け止めている。英国の国家安全保障を危険にさらす事態も予測される。タリバンも黙ってはいないからだ。

 また、ヘンリー王子は父・チャールズ国王(74)に対してもその人物評は厳しい。新国王は冷たい人間だと切り捨て、自分が生まれた時、ダイアナ王妃に対し「これで後継者(ウィリアム皇太子)とそのスペア(ヘンリー王子)ができた」と語ったという。ヘンリー王子はその話を聞いて、自分が英王室のスぺア的な存在に過ぎないと感じ、自虐的に受け止めたとしても不思議ではない。

 ヘンリー王子の暴露本を紹介するのが今回のコラムの目的ではない。読者の多くは既にご存じだろう。ここではもう一つの暴露本がまもなく出版されるという話を紹介したい。世界に約13億人の信者を有するローマ・カトリック教会の総本山、バチカン教皇庁は英王室と同様、閉鎖社会だ。その中心はペテロの後継者のローマ教皇だ。そして昨年末に死去した名誉教皇ベネディクト16世の私設秘書ゲオルグ・ゲンスヴァイン大司教がフランシスコ教皇とベネディクト16世に仕えてきた聖職者の立場から、両教皇の関係や問題などを暴露した本を出版したのだ。同暴露本「Nothing but the Truth」がフランシスコ教皇を批判していることから、バチカン関係者は心穏やかではない。予定では今月12日に出版される(電子版)。

 66歳のドイツ人聖職者ゲンスヴァイン大司教の本の狙いは亡くなったベネディクト16世の知られていない顔を読者に伝えるといった穏やかなものではなく、ズバリ、フランシスコ教皇批判に集中しているのだ。教理省内高官が2017年5月、自分は同性愛者だと告白して、バチカン内に広がる同性愛傾向を暴露した本(「最初の石、同性愛神父の教会の偽善への告発」)を出版した時、カトリック教会内外で大きな反響を呼んだが、ゲンスヴァイン大司教の本はカトリック教会最高指導者への批判が記述されているからその影響はさらに深刻だ。

 ゲンスヴァイン大司教の本を理解するためには同大司教とフランシスコ教皇との関係を知る必要がある。同大司教はベネディクト16世の在位期間、その公設秘書として常に同16世の傍で従事してきた。その同16世が2013年に生前退位し、南米出身のフランシスコ教皇が後継の教皇に選出された後、数年間はフランシスコ教皇の秘書の仕事を継続していたが、2020年、フランシスコ教皇は自身の秘書を選び、ゲンスヴァイン大司教を解任する形で教皇庁教皇公邸管理部室長の立場を停職させた。大司教の仕事を名誉教皇となったベネディクト16世のお世話係の地位(私設秘書)に限定したわけだ。フランシスコ教皇の人事について、同大司教は本の中で「大きなショックを受けた」と正直に告白している。

 本の中ではまた、フランシスコ教皇がラテン語のミサなどを完全に撤回した時、ベネディクト16世はショックを受けたという。また、フランシスコ教皇のジェンダ―政策に対し、ベネディクト16世が「社会のジェンダー政策は間違っていると、もっと明確に批判すべきだ」という趣旨の書簡をフランシスコ教皇に送ったが、フランシスコ教皇からは答えがなかったという。同大司教は、ベネディクト16世とフランシスコ教皇の関係がメディアで報じられるような兄弟関係ではなく、最初から厳しいものがあったことを示唆、その責任の多くをフランシスコ教皇に押しやっている、といった具合だ。

 バチカン関係者によると、フランシスコ教皇はゲンスヴァイン大司教の本の内容を不快に感じているという。同大司教はベネディクト16世以上に保守的な聖職者と言われている。バチカン教皇庁内では「大司教の本の出版は教会の統一を破壊する恐れがある」として、本の出版を阻止すべきだという強硬発言すら出てきている。

 オーストリア日刊紙スタンダートのドミニク・ストラウブ記者は8日付のローマ発の記事の中で、「フランシスコ教皇とは異なり、ゲンスヴァイン大司教はローマの上流社会を愛し、テニスをし、バチカンのジョージ・クルーニーとしての評判を楽しんできた」と記し、両者は生活スタイルから全く違っているという。

 いずれにしても、現教皇を批判した本を出版したゲンスヴァイン大司教は無傷では済まないだろう。バチカン教皇庁から追放され、ドイツ教会で空席となっている2つの大司教区のどちらかに左遷させられるかもしれない。ただ、改革志向のドイツ司教会議では保守派の任命には抵抗を示すだろう。教皇の大学で教授職を得るかもしれない。同大司教がフランシスコ教皇を過度に苛立たせたならば、彼は使徒使節として世界の遠隔地に強制派遣されるかもしれない。

 ヘンリー王子の英王室批判、ゲンスヴァイン大司教のフランシスコ教皇批判も基本的には個人的な恨みがその原動力となっている。悪いのは相手で自分は正しい、自分は犠牲者だという思いが両者には強い。現代社会で席巻している犠牲者メンタリティーだ。

 英王室の場合、社会からの批判に対して反論してはならない。ヘンリー王子の批判に対し、チャールズ国王もウィリアム皇太子も反論できないのだ。民主的社会ではフェアではないが、英王室の慣習だ。ヘンリー王子の中傷やフェイクに対しても沈黙しかない。フランシスコ教皇の立場も英王室のそれに似ている。教皇本人は論争に絶対加わらない。

 著名な人物の暴露本は多くの読者を獲得する。特に、英王室やバチカン教皇庁といった閉鎖社会の内輪話に読者は好奇心を煽られるからだ。ただ、暴露本の話が全て事実とはいえない。なぜならば、暴露本を出版する側には明確な目的、狙いがある。ヘンリー王子もゲンスヴァイン大司教もやはり自分を追い払った王室、教皇に対する批判的な思いを払しょくできないだろうから、公平で客観的な記述は難しい。読者は暴露本を通じてこれまで知らなかった事実、情報を発見して驚くかもしれないが、フェイク情報、憎しみに基づいた偽情報にも出くわす。暴露本の読者はその点を忘れてはならないだろう。

エリザベス女王の「葬儀」とその後

 エリザベス女王の国葬は19日午前11時(現地時間)、ロンドンのウェストミンスター寺院で挙行された。国葬には新国王のチャールズ3世ら王室関係者ら約2000人の参列者のほか、海外からは天皇・皇后両陛下、バイデン米大統領夫妻、マクロン仏大統領夫妻、カナダのトルドー首相夫妻ら多数の要人が参列した。女王は8日、滞在中のスコットランド・バルモラル城で死去した。96歳だった。

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▲ウェストミンスター寺院に運び入れられたエリザベス女王の棺(BBCのスクリーンショットから、2022年9月19日)

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▲エリザベス女王の国葬に参列する新国王チャールズ3世夫妻(BBCのスクリーンショットから)

 国葬は1時間15分余り厳かに行われ、その後、女王の棺はロンドン中心を通過し、国民に見送られる中、ウィンザー城に運ばれ、聖ジョージ礼拝堂で最後の追悼の儀が行われた後、昨年4月に死去した夫フィリップ殿下と同様、礼拝堂に納められた。

 国葬の前日まで、多くの人々が女王に感謝と弔意を表明するためにテムズ川沿いから女王の棺が安置されたウェストミンスターホールまで7キロ余りの長い列を作った。英メディアではエリザベス・ラインと呼ばれ、100万人以上の国民が集まった。列の中にはオーストラリアやカナダなど海外からきた人々の姿もあった。10数時間も外で待機している人々の規律ある姿は海外でも大きく報道され、話題となった。国葬の日もエリザベス女王の棺を乗せた車を一目見ようと多くの市民が沿道に繰り出した。

 父ジョージ6世の急死(1952年2月)を受け、当時王女だったエリザベス2世は女王に即位、その後70年間、公務を行ってきた。女王は21歳の誕生日、「自分はどれぐらい生きるか分からないが、国のために最後まで忠誠を尽くしたい」と述べたといわれる。女王はそれを実行したわけだ。

 エリザベス女王は6日、トラス新首相を任命したが、それが最後の公務となった。女王は既に体調が良くなかった。側近が、「新首相の任命はチャールズ皇太子に代行をお願いすれば」と助言した時、エリザベス女王は、「首相の任命は国家元首しかできない」と主張し、公務を優先したという。首相任命式を撮影した写真を見ると、女王の右手が紫色だったことから、女王の健康を懸念する声が聞かれた。その2日後、女王は亡くなった。トラス新首相はエリザベス女王の任期70年間で15人目の首相となった(女王70年間の任期中、7人のローマ教皇、14人の米大統領が入れ替わっている)。

 ちなみに、トラス新首相は8日午後、女王の訃報を聞くと、首相官邸(ダウニング街10番地)前で、「エリザベス女王が只今亡くなった。女王の70年間で英国は発展し、繁栄してきた。エリザベス女王はその礎だった」と、女王の功績を称えている。

 エリザベス女王の死去、チャールズ皇太子は新国王(チャールズ3世)に即位するとスコットランドやウェールズなど英国全土を訪問し、エリザべス女王の足跡を継承しながらポスト・エリザベス時代をスタートした。

 英国の国王は、 英国、カナダやオーストラリアを含む英連邦(コモンウェルス)に加盟する15カ国の国家元首を務める。スコットランドの独立問題のほか、オーストラリアでは共和制運動、カナダでも一部で立憲君主制から共和国への移行を主張する動きが出てきている。新国王を取り巻く環境は容易ではない。

 チャールズ3世は既に73歳だ。“永遠の皇太子”と揶揄された新国王には新鮮さやダイナミックな印象はない。国民的人気のあったダイアナ妃との離婚は大きなダメージとなったことは間違ない。エリザベス女王は国民から「国の母」として信頼されてきたが、新国王が国民から同様の信頼感を得るのは容易ではない。

 英メディアによると、エリザベス女王はその遺書の中で、チャールズ3世は80歳まで国王を勤めた後、ウィリアム皇太子にその座を移譲するように助言したという。それが事実とすれば、チャールズ3世の持ち時間は7年間と限定される。

 いずれにしても、欧州の王室ではスキャンダルや腐敗など不祥事が頻繁に報じられ、王室を見る目はどの立憲君主国でも厳しい。エリザベス女王は「開かれた王室」を掲げて国民から受け入れられたが、新国王のチャールズ3世が王室としての伝統、歴史を継承しながら新しい君主制の在り方を切り開くか、注視される。

あの“エリザベス・ライン”を見よ

 英国人がこんなに忍耐強く、規律ある国民だとは思わなかった。35時間も列に並び、不平を言わず、ましては暴動を起こすことなく、時には笑顔をみせながら待っているシーンは奇跡のように感じる。

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▲ウェストミンスターホールに運ばれるエリザベス女王の棺(2022年9月14日、バッキンガム宮殿サイトから)

 当方は1980年代、半年余りイギリスの都市リバプールに住んでいた。湾岸都市で市内の路上にはフィッシュ・アンド・チップの紙袋が至る所に散らばって、清潔な街という印象からはほど遠かった。国民はパブでビールを飲んで騒ぐことが好きだ。そんな姿を見聞きしてきたこともあって、英国民の国民性を過小評価していたのかもしれない。その印象が激変したのだ。

 ロンドンのテムズ川沿いにエリザベス女王の棺が安置されているウェストミンスター・ホールまで長い人々の列が続いている。それを見て驚かされた。さぞかし人々はイライラしているだろうと思ったが、列の人々は穏やかな表情で自分の番が来るのを待っている。英メディアはその人々の列を「エリザベス・ライン」と呼んでいるのだ。

 エリザベス女王は8日、スコットランド・バルモラル城で96歳で亡くなった。その後、その棺は11日にはバルモラル城を出発し、13日にはエジンバラから英空軍機でロンドンに運ばれ、バッキンガム宮殿に、そして14日にウェストミンスターホールに到着、そこで4日間安置されている。女王の国葬は19日午前11時(現地時間)、ウェストミンスター寺院で行われる。その日まで英国民はエリザベス女王に弔意を捧げることができる。

 そこで英国各地ばかりか、オーストラリア、カナダ、ニュージランドなど英連邦からも女王に最後の別れを告げようと殺到してきているわけだ。その数は最終的には200万人を超えるだろうと推測されている。

 列の話に戻る。上空から撮影した写真をみると、エリザベス女王の棺が安置されているホールまで7キロ余りの長い列だ。ホールの棺に到着して弔意を表明するまで30時間以上の時間がかかるという。

 最初に弔意をした英国女性はテレビのインタビューで、「数日前から弔意が始まるまで待っていた。少し疲れたが、満足している。歴史的な出来事に少しでも参与して感謝している」と答えていた。長い列の中にいる別の女性は、「自分は列を作って待つことは好きではないが、今回は例外だ。多くの人々は静かに自分の番がくるのを待っている」と証言していた。

 1時間でも待たされれば、一言不満を吐露したくなるものだが、BBCの報道をフォローしている限りでは、そのようなシーンは見当たらない。もちろん、数千人の警察官が列を見守っていることもあるが、列の人々は黙々と一歩一歩、女王の棺があるホールに向かっていることに満足しているのだ。当方はそのシーンを見て、“エリザベス・ラインの奇跡”と呼びたくなった。

 「人の列」ということで思い出すエピソードがある。ウィーンの韓国大使館でナショナルデーの祝賀会が開かれた。招かれた外交官、ゲストで大使館裏の広い庭は一杯となった。ゲストをもてなす食事が用意されていた。ゲストは好きな料理コーナーで列を作って料理を受け取る。当方はその時、ウィーン大学東アジア研究所の北朝鮮問題専門家、ルーディガー・フランク教授と並んだ。教授は笑顔を見せながら、「列に並ぶことも楽しいですよ」というではないか。教授は旧東独生まれだ。食事の配給から全て列を作ることに慣れてきたという。「たまたま列に並んだ人と知り合い、話すことが出来ることは楽しいものですよ」という。一見、ネガティブなことも角度を変えればポジティブとなることを教えてもらった。

 ところで、“エリザベス・ライン”に並ぶ人々はなぜ長時間、数秒の弔意を表明するために列に並ぶことができるのだろうか。テレビ放送では王室関係者やエキスパートから貴重な話も聞けるにもかかわらず、30時間、外で長い列に並んでいる。BBCはエリザベス女王が如何に国民から愛されてきたかの証明だ、と解説している。たぶん、そうだろうが、列の人が全てそうだとは限らないだろうが。

 興味深い点は、列を作る人々が頻繁に口にする「歴史的出来事に自分も参席したい」というコメントだ。同時代に生きてきた1人の人間として、時代を先導してきた女王の姿を一目見たい、歴史的な存在の女王と自分との間に何らかの接点を結びたい、といった思いがあるのかもしれない。歴史的出来事の瞬間、眠っていることはできない。会社を休んでもその瞬間を自分も共有したい、というのだろう。“歴史的出来事”という言葉に人々の心は動かされ、長い列をも苦にならない。英国民は“歴史”を重視し、“歴史的出来事”をこよなく愛する人々なのかもしれない。

 いずれにしても、エリザベス・ラインは英国民の気質、メンタリティーを学ぶ上で貴重な出来事であることは間違いない。

ルイ王子の話から学ぶ「死後の世界」

 この2日前のコラム欄で書いたが、英国のキャサリン皇太子妃が次男ルイ王子から聞いた話は非常に教えられる、というか、考えさせられた。4歳のルイ王子は、国家元首として70年間歩んだ後、亡くなっ曾祖母のエリザベス女王が今、昨年4月に99歳で死去した夫フィリップ殿下のもとに行っている、と母親キュアサリン妃に語ったというのだ。ルイ王子はその光景を見たのだろうか、それともキャサリン皇太子妃から眠る前に聞いた童話の話を覚えていて、おばちゃんも死後、おじいちゃんのもとに行ったと考えて自然にそのように答えただけだろうか。ひょっとしたら、ルイ王子は曾祖母と曾祖父が会っている場面を見たのではないか。

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▲英王室関係者(バッキンガム宮殿サイトから)

 デンマークの王子ハムレットは、「あの世から戻ってきたものは1人もいない」と嘆いたが、聖書の世界では少なくとも3人が死後復活している。十字架上で亡くなった「イエスの復活」のほか、イエスの友人ラザロは死んだ4日後に蘇り、そして病死した12歳の娘もその父親の信仰ゆえに復活の恵みを得た。新約聖書の世界では少なくとも3人が死から生き返っている(この場合、肉体復活)。 

 臨死体験(体外離脱現象)の話はよく聞く。その体験者の話には共通点が多いことに驚かされる。「死後の世界」と現世の間には“三途の川”や“鉄のカーテン”はなく、非常に交差しているのではないかと考えさせられる(立花隆氏がいう「臨死体験は死の直前に衰弱した脳が見る『夢』に近い現象」という見解があるが、同氏が期待する脳神経学の発展によって「死後の世界」の全容が解明されるとは思わない)。

 ルイ王子は、曾祖母の国葬で忙しい家族たちには見えない、別の世界の光景を見ていたのではないか。残念ながら、「別の世界」を見る能力は年月を経ていくうちに減少する一方、「この世の世界」を追う視力だけが発展していく。ルイ王子が10歳を過ぎると、曾祖母の姿がもはや見えなくなるかもしれない。「この世」で酷使してきた視力は年を取るにつれて弱まり、眼力を完全に失った「死」後、「別の世界」が光をもって迫ってくるのではないか。

 ルイ王子には見え、チャールズ国王やキャサリン皇太子妃たちには見えないのは、年齢の差もあるだろう。人生でさまざまな出来事や体験を繰り返すことで「別の世界」の様相が見えなくなるのではないか。思い煩い、ストレス、悲しみ、特に恨み、ねたみなどがカーテンを下ろし、「この世の世界」の住人になりきることでもう一つの世界の五感は失われていくのではないか。もちろん、例外的に、両世界の視力を有する人はいるが、その数は少ない。

 「この世の世界」と「死後の世界」の関係が理解できるようになると、この世で味わうさまざまな煩いは消えていくかもしれない。同時に、「この世の世界」でいかに生きていくべきかも自然に理解できるのではないか。

 現代人は「死の世界」を忘れるように腐心している。あたかも「この世の世界」が全てであるかのように。「死」の世界に忙しいのは胡散臭い宗教者だけだというばかりにだ。しかし、束の間、忘れることが出来ても「死の世界」は必ず訪れてくる。仏教でいう四苦八苦の世界はリアルだ。耐用年数を伸ばすことはできてもやはり「死」は訪れてくる。

 日本のメディアは現在、安倍晋三元首相の銃殺事件後、容疑者追及ではなく、本来被害者の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)をバッシングしているが、旧統一教会の創設者文鮮明師は、死は神のもとに帰る時だから、悲しいときではなく、喜ぶときであり、新しい人生の出発点だと指摘、葬儀を「聖和式」と呼び、見送る人々は黒色の喪服ではなく、白色の服を着て見送るべきだと述べている。「死」は誰にとっても最も身近なテーマであり、「この世の世界」の「死」を如何に乗り越えて生きていくかは、生きとし生ける者の永遠の課題だ。

 どうか笑わないでほしい。ルイ王子の話は啓示的な内容が含まれている。ルイ王子が見える世界を失ってしまったわれわれは、4歳の王子から学ぶべきだろう。「この世の世界」と「死後の世界」は決してかけ離れてはなく、両者間に本来、コミュニケーションが可能とすれば、死をもはや恐れることはない。ただ、生きている時、与えられた才能、性質をフルに活用して全力で走りきることだろう。

新国王は自動車免許と旅券を失う

 在位70年の最長期間を全うされた英国エリザベス女王の死去は英国国民にやはり大きな喪失感をもたらしているようだ。BBCはほぼすべての番組がエリザベス女王の追悼番組とそれに関連したニュースだ。多くは女王の偉大さを称えるものだ。チャールズ新国王は国王としてのスピーチの中で「私の母、愛するエリザベス女王」の思い出を振り返りながら、新国王としてその歩みを継承していく考えを表明していた。

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▲エリザベス女王(バッキンガム宮殿公式サイトから)

 エリザベス女王の棺は11日、スコットランド・バルモラル城を出発し、13日にはエジンバラから英空軍機でロンドンに運ばれ、14日ウェストミンスター宮殿に到着、そこで4日間安置される。その間、英国民は女王に最後の別れをすることが出来る。そして死後10日目の9月19日、ウェストミンスター寺院で国葬が挙行される。19日はバンクホリデーとなって公休日となる。多くの国民が沿道や寺院周辺、テレビ中継を通じて葬儀を見守っていく。

 父国王ジョージ6世の急死を受け、25歳から亡くなる96歳まで女王の地位にあって、その厳格なプロトコールをこなしていくのは大変なことだ。チャールズ皇太子が母エリザベス女王を継承し、新国王に即位したが、「もはや皇太子時代のような自由はなくなる」といわれている。ちなみに、チャールズ国王は国王となることで3つを失うといわれている。国内の政治動向に中立が求められ、直接、間接的にも自身のオピニオンを表明できなくなる、そしてパスポート、自動車免許を失う。自身の旅券を見せて飛行機に搭乗することも、愛車を自分で運転することもなくなる。1日の生活は全てプロトコールに基づいて側近が伝達する公務に専心しなければならない。

 英国のメディアによると、エリザベス女王は亡くなる前に遺書を残したという。財産(主に城、館など不動産のほか、宝石など)の分割のほか、チャールズ国王の任期を80歳になるまでとし、その後はウィリアム皇太子に継承することが明記されていたという。すなわち、チャールズ国王は現在73歳だから、7年間の任期となり、その後、長男ウィリアム皇太子が国王の地位を継承するというのだ。

 エリザベス女王は、自身の死後、ウィリアム皇太子が即国王に即位する案に対しては、「ウィリアムにも時間が必要だ。子供たちはまだ小さい」と説明して難色を示していたという。70年間公務に従事してきたエリザベス女王は国王の地位がいかに責任の大きい、厳しいものであるかを誰よりも知っていた。ちなみに、女王が保有してきた多くの宝石類はキャサリン皇太子妃に渡されるという。

 欧州の代表的メディア、独週刊誌シュピーゲル最新号(9月10日号)は表紙をエリザベス女王で飾り、女王の歩みを振り返っている。興味深いことは、エリザベス女王の性格についての箇所だ。「女王はインテリではないし、想像力に富んだ女性ではなかった。ただ、自身を律し、言われたことを遵守する意思力と規律があった」と記述している。

 身長160センチの小さな女王は25歳で女王に即位するまで正式の勉強を受ける機会はなかった。女王が想像力に溢れた女性だったら、70年間も公務を黙々とこなすような歩みはしなかっただろうというわけだ。参考までに、女王は生前、自動車のタイヤと油の交換を知っている唯一の王室関係者だったことを誇っていたという。シュピーゲル誌はエリザベス女王を「最も無力でありながら世界の最強者であった」と評している。 

 なお、エリザベス女王は王女時代、21歳の誕生日、近い将来の女王即位を考えながら、「私の生涯は長いか、短いかは分からないが、国のために献身していく」と決意を語ったといわれる。

 エリザベス女王の70年間で最大の危機はダイアナ妃の交通事故死だった。エリザベス女王がダイアナ元皇太子妃の事故死(1997年)に対して沈黙を続けていたため、多くの国民から批判の声が出、「英王室を廃止しろ」といった声まで飛び出した。王室の危機を感じたエリザベス女王はそこで沈黙を破り、国民に向かってダイアナ妃の事故死に悲しみを表明した。「沈黙が金」であった時代は過ぎ去り、コミュニケーションの時代となったことを英王室はダイアナ妃の事故死から学んだといわれる。

 特筆すべきことはエリザベス女王とフィリップ殿下の夫婦関係が良かったことだ。常に女王の陰にいなければからなかった軍人出身のフィリップ殿下は家庭生活が始まった初期は戦いがあったというが、エリザベス女王との仲は最後まで良好だったという。

 非常に心温まる話が掲載されていた。キャサリン皇太子妃が息子ルイ王子(4)におばあちゃん(エリザベス女王)が亡くなったことを教えようとすると、ルイ王子は「おばあちゃん(曾祖母)は今、おじいちゃん(フィリップ殿下=曾祖父)のところにいるよ」と話したという。ルイ王子からみてもエリザベス女王夫妻は仲が良かったのだろう。ただ、女王夫妻の子供たちには多くの不祥事、スキャンダルが起き、エリザベス女王夫妻の心痛は大きかったはずだ。

 英国国民は、ポスト・エリザベス女王時代の到来を迎え、歴史の大きな転換であるこを薄々感じ、不確かな未来への不安と共に、70年間の女王時代の懐かしさに浸っている。
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