ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

雑感

「誤解された人々」への一考

 フョ―ドル・ドストエフスキーの「虐げられた人々」を昔読んで感動したことがあるが、歳を重ねるうちに、「誤解された人々」について関心が行くようになった。確かに、世の中には、その本意が相手に伝わらないために「誤解された人々」がいる。

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▲クリスマスシーズンを迎え、賑わうウィーン市内の商店街風景(2023年12月9日、撮影)

 「虐げられた人々」はその出自、経済力などによって、より強い立場の人から迫害を受けたり、過小評価されたりするが、「誤解された人々」は自身の考えを正しく表現できないという事情が多い。現代風にいえば、情報発信力の欠如、ないしは不十分、という事情が考えられる。

 「虐げられた人々」の場合、その運命の多くは相手の手に委ねられているが、「誤解される人々」の場合、誤解というサークルから脱出するために自力でその輪をクリアして、「理解される人々」に変身できるチャンスはある。その意味で、後者は自力救済の道があるわけだ。「誤解された人々」で最悪の道は自己憐憫の虜になって、「自分はいつも正しく評価されない」といった嘆きを連発することだ。

 「誤解された人々」といえば、やはり2000年前のイエスの生涯を思い出す。イエスは33歳の生涯で、はたして他者から正しく理解されたことがあっただろうか。家族でも母親マリアからイエスは正しく理解されただろうか。母親マリアに対し、「私の母とは、誰のことですか」(マタイによる福音書13章)と問い返している箇所がある。そのマリアを聖母の地位まで引き上げたのは、マリア自身の言動からではなく、その後の教会側の決定だったのだ。

 「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」( ルカによる福音書9章57〜58節)とイエスは嘆いたことがある。イエスの教えが当時の指導者たちに受け入れられていたら、そのようなことはなかっただろう。イエスは最終的には「悪魔の頭ベルゼブル」と酷評され、十字架の道を行かざるを得なかった。その意味で、イエスは「誤解された人」の人生を最後まで歩んだわけだ。

 ところで、イエスの誤解の人生はそれで終わらなかった。イエスにとって「誤解」は復活後も続いている。今度は「悪魔の頭」ではなく、「救い主」のイエスは人類の救済のために十字架の道を選んだというふうに、イエスの33歳の生涯が受け取られ出したのだ。
 イエスは33歳ではなく、もっと長く生き、神の御心を果たしたかったのではないだろうか。婚姻して家庭も築きたかったはずだ、というふうに理解されることはなかった。イエスは神の子として33歳でその生涯を終えるようにプログラミングされていたというのだ。イエスは生きていた時だけではなく、死後も誤解され続けている。イエスは「誤解された人」の代表ともいえるわけだ。

 イエスの場合、誤解の主因は情報の発信力ではない。イエスはエルサレムに上京して神のみ言葉を当時の指導者に熱心に伝えている。それでもその誤解は解かれることがなかった。イエスの場合、通常の人間が誤解されるケースとはもちろん違った状況がある。イエスの教えが当時の社会のそれとは整合せずに、拮抗していた。換言すれば、イエスは革命家のように受けとられたために、当時の社会の権力者たちはイエスを警戒し出したわけだ。中傷、誹謗もあって、イエスは社会を混乱させる人間だと誤解された。そのため、イエスの残された道は十字架しかなくなったわけだ。好んで十字架の道を選んだのではない。俗にいうと、十字架の道はイエスにとってプランBだったわけだ。

 「誤解されている人々」は、自身の本意を誤解している人に正しく伝える努力が必要だろう。ただ、それで「誤解」が解ければいいが、一層深刻な状況に陥るケースもある。人生を長く歩んでいると、そのような体験をする人が多いはずだ。

 私たちはイエスではない。「誤解」の結果、十字架の道を歩むことはない。誤解による被害を最小限度に抑制しながら、自己憐憫、犠牲者メンタリテ―の虜になることなく、誤解を創造的な人生を模索する上のエネルギー源として利用していくべきだろう。

 人を理解することは容易ではない。誤解されている人はひょっとしたら相手を誤解していないか自己チェックが必要だろう。相手を理解していこうと努力することで、自分への誤解を少しでもなくしていくべきだ。相手を理解した分、自分への誤解も少なくなるからだ。

世論という「この世の神」に操られる国

 「世論」とは一体、いかなる存在だろうか。生き物ではないから、「世論」を存在と呼ぶことはできないが、その無生物の「世論」を背後で操っている存在は通常、人間であり、その集団だろう。

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▲ウィーン市庁舎前広場のクリスマス市場(2023年11月12日、撮影)

 例えば、岸田文雄首相は自身の信念に乏しく、「世論」の動向を見ながら政策を決定する首相だという声を聞く。「世論」が願わない政策はせず、「世論」を反映した政策を優先的に実行していく。指導力があり判断力のある政治家が「世論」に逆行するケースがあれば、必要ないばかりか歓迎されないのだ。

 その「世論」の動向は世論調査や意識調査などを通じて、今、国民の世論はどちらに向いているかを判断する。日本で性的少数者(LGBT)理解増進法案が2023年6月、国会で可決されたが、これなどは典型的な「世論」の操作の結果だろう。欧米社会のLGBTの流れに押され、LGBTをあたかも重要な法案といわんばかりに推進していった岸田政権は「世論」に動かされたわけだ。

 くせものは世論調査、意識調査といった類の調査だ。それらを通じて国民の総意、考えをはかり知ることができるだろうか。LGBT運動を見ても分かるように、社会の少数派は注目されるために声を大にして叫ぶ。LGBTとは普段関係のない大多数の国民は米国や欧州の実情を紹介され、LGBT関連法案が日本でも必要だといわれ続けたのだ。

 世論調査は質問の中に、調査する側にとって願わしい回答が直接的、間接的に示唆されているケースが多い。だから、「これが世論調査の結果だ」といわれても、ピンとこない沈黙の大多数の国民が出てくる。世論調査結果と自身が一致しない、といった現象が生まれてくるわけだ。

 「世論」は多くの国民に質問し、その結果、「社会にはこのような潮流がある」と見つけ出すものではなく、世論は恣意的に操作して作り出すものだといった傾向が最近はとみに見られる。そして作り出された「世論」はあたかも国民の過半数が支持したものだ、という誤解を生みだす。その誤解が個人レベルであるなら被害は大きくないが、国レベルでの誤解、例えば総理大臣となれば、国の運営を誤る危険性が出てくるわけだ。

 そのうえ、「世論」は常に正しい、というわけではない。むしろ、多くは一部の、特定の思想、世界観によって操作された「世論」が多く、事実とは一致しないケースが多い。「嘘も100回言えば真実となる」といった論理が世論操作側にはあるから、繰り返し繰り返し、にせ情報をこれでもか、これでもかと拡散していくわけだ。情報発信力の乏しいものは21世紀の世界では生き延びていくのが難しいのは、そのためだ。

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が解散命令請求を受けたが、岸田首相の側近の中には「もう少し、冷静に対応すべきだ」「解散命令請求ができる要件を満たしていない」といった声もあったが、岸田首相は「解散請求しなければ、世論が許さない」と答えたという。非常に正直な答えだが、同首相が事の是非を冷静に考えて判断する政治家ではなく、世論に動かされる首相であることを実証している。宗教法人法上の解散命令の要件となっている「法令違反」は本来、刑罰法令の違反に限られ、民法上の不法行為は含まれないにもかかわらず、首相は世論の圧力に屈して、その法解釈を書き直した。

 朝日新聞など左派メディアでは旧統一教会批判が氾濫し、同教会は反社会的団体といったイメージが拡散されていった。その行先が教会の解散命令請求だ。それを拒否すれば、朝日などの左派メディアが一斉に岸田降ろしを始めるだろう。岸田首相にとって旧統一教会の将来などはどうでもいい、自身の政治基盤を堅持することが最優先だ。それを支えるのが「世論」というわけだ。

 日本から旧統一教会に対して解散命令請求が出たというニュースが届いた時、40年あまり、ローマ・カトリック教会をフォローしてきた当方は、「それではカトリック教会はなぜ解散されないのか」と不思議に思った。旧統一教会への批判は主に高額献金問題だが、カトリック教会の場合、未成年者への性的虐待問題だ。前者は民事関連だが、後者は刑法問題だ。そしてその件数は数万件に及ぶ。にも拘わらず、前者は高額献金という問題で解散命令請求を受け、後者は聖職者の性犯罪を隠蔽してきたにもかかわらず解散命令請求を受けていないのだ。高額献金問題ならば、キリスト教会だけではなく、仏教など全ての宗教団体が抱えている問題だ。高額献金した後、信仰を失ったために、その献金を返してほしいという元信者たちの要求だ。

 旧統一教会への解散命令請求の件をフォローしていると、「世論」が如何に大きな影響を有しているかを改めて知ることが出来る、そして一旦「世論」が生まれてくると、それを覆すことは至難の業だ。「世論」はこの世の神だ。岸田首相は、地上で全能全知のパワーを有する「この世の神」に自身の政治生命を委ねてしまったのだ。首相本人にとっても、日本の行方にとっても、大きな躓きとなってしまった。

今年のクリスマス市場は大丈夫か

 音楽の都ウィーンに今年もクリスマスシーズンが訪れた。観光地の1区のケルンテン通りやショッピングストリートのマリアヒルファー通りでは既に華やかなイルミネーションが灯され、欧州最大のクリスマス市場といわれるウィーン庁舎前広場では樹齢115年、高さ28メートルのツリーにも10日、2000個のLEDのイルミネーションが点灯された。

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▲テロ事件後のストラスブール市のクリスマス市場周辺(2018年12月12日、仏内務省公式サイトから)

 ツリーへの点灯式にはウィーン市長のミヒャエル・ルートヴィヒ氏(SPO)と南チロル州知事のアルノ・コンパッチャー氏(SVP)が立ち会った。今年のツリーは南チロル州から贈られたものだ。ルートヴィヒ市長は、「今日私たちが美しい南チロルの木に灯す灯りは、私たちの社会の団結の徴となるはずです。テロの恐怖、憎しみが私たちを分断するのではなく、団結に焦点を当てるべきです」と語り、コンパチャー州知事は、「 この木はイタリアの南チロル州のウィーンとオーストリアとのつながりの徴です」と述べている(ちなみに、南チロルからのクリスマスツリーについては、「1カ月余りのクリスマス市場のために樹齢115年の木を切るとはなにごとか」といった声がソーシャルネットワークサービス(SNS)からは聞こえてくる)。

 ウィーンにはクリスマス市場は14カ所あるが、市庁舎前広場のクリスマス市場は最大で12月26日まで開催される。市場にはクリスマスの飾りやお菓子などの店の屋台が出て、訪れる市民や観光客を誘う。油で揚げたランゴシュ、そしてクリスマス市場では欠かせないプンシュ(ワインやラム酒に砂糖やシナモンを混ぜて温めた飲み物)のスタンドからはシナモンの香りが漂う。人々は友人や家族とプンシュを飲みながらクリスマス前の雰囲気を楽しむ。市場のスタンドでは1杯のプンシュは7ユーロ50セント(約1200円相当)という。ウクライナ戦争前だったら、昼食のメニューが楽しめる値段だ。

 ウクライナではロシア軍の侵略後、激しい戦争が続いている。戦争は2年目に突入し、停戦の見通しはまだない。そして10月7日にはパレスチナのガザ地区を実効支配しているイスラム過激派テロ組織「ハマス」がイスラエルに侵入し、1400人余りを殺害し、200人以上を人質にするというテロ事件が発生。イスラエル軍のガザ地区での報復攻撃が続く中、欧州各地で反ユダヤ主義的犯罪や蛮行が発生している。

 それだけではない。イスラエルとパレスチナでの戦闘の影響もあって、人が集まるクリスマス市場を狙ったイスラム過激派テロ事件が懸念されている。クリスマス市場襲撃テロ事件といえば、2016年12月のベルリンのクリスマス市場襲撃事件を思い出す。ドイツの首都ベルリンで同年12月19日午後8時過ぎ、テロリストが乗る大型トラックが市中央部のクリスマス市場に突入し、12人が死亡、48人が重軽傷を負った。また、フランス北東部ストラスブール中心部のクリスマス市場周辺でも2018年12月11日午後8時ごろ、29歳の男が市場に来ていた買い物客などに向け、発砲する一方、刃物を振り回し、少なくとも3人が死亡、12人が負傷するテロ事件が起きている(「欧州のクリスマス市場はテロ注意を」2018年12月15日参考)。

 ちなみに、フランスのニースのトラック突入テロ事件後は、イスラム過激派には「トラックをテロの武器に利用し、可能な限り多くの人間を殺害せよ」という檄が発せられたという情報が流れたこともあって、それ以後、公共建物やクリスマス市場に大型トラックの侵入を防止する「アンチ・テロ壁」の設置が進められてきた。例えば、ウィーン市庁舎前広場のクリスマス市場では路上から市場に大型トラックが侵入できないようにコンクリート製のポラードが設置されている(「大型トラックが無差別テロの武器」2016年12月21日参考)。

 ウィーンから数百キロしか離れていないウクライナで戦争勃発後2回目の冬が訪れている。ウクライナの冬は厳しい。ロシア軍の攻撃で多くのエネルギー・インフラが破壊されたため、ウクライナ各地で大規模な停電が発生し、暖房もない部屋で休まなければならない国民が多い。一方、イエス・キリストの生誕地の中東ではイスラエル軍とパレスチナのイスラム過激テロ組織「ハマス」との戦闘が続いている。女性、子供たちが犠牲となっている。ユダヤ教もイスラム教もアブラハムから派生した兄弟だ。そのイスラエル人とパレスチナ人の間で新たな憎悪が拡散されている。

「日刊紙」の紙媒体は終りを迎える

 冷戦時代、毎朝、目を覚ますと自宅に届く日刊紙プレッセとクリアに先ず目を通し、朝食後はドイツのヴェルトを読み、余裕があればフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)とスイス紙の高級紙ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング(NZZ)にも必要な記事には目を通した。週刊誌ではシュピーゲルを予約し、そのほか、オーストリアの週刊誌プロフィールやドイツのフォークス、そしてカトリック系週刊誌などを愛読していた。

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▲世界最古の現存する日刊紙「ウィーン新聞」(「ウィーン新聞」公式サイトから、2023年4月27日)

 当方は新聞が好きだった、というわけではないが、毎朝届く新聞は貴重な情報源だった。30年前以上の話だ。それがインターネットが登場して、世界のメディアが激変した。それに呼応して、当方の情報源も紙媒体の新聞・雑誌から次第にネットへと変わっていった。現在はシュピーゲル以外は紙媒体は予約せず、もっぱら日刊紙の電子版を読んでいる。歳をとるにつれ、新聞の活字を追うのが億劫になったうえ、インターネットから入る情報のほうが早く、コンパクトだからだ。

 新聞などの紙メディアの終焉が近い、ということはここ10年前ごろから言われてきたことだ。ところで、秋の賃金交渉に先駆け、オーストリアで紙メディアを経営するメディア業界は27日、「ジャーナリストとは賃金や待遇など労働条件の労働協約を解約する」と決定した。その理由は紙コストの高騰など経営問題も含め、紙メディアを取り巻く状況がこれまで以上に厳しくなってきたからだという。もちろんジャーナリスト労組は強く反対している。

 アルプスの小国オーストリアでもインターネット・メディアの攻勢もあって紙媒体のメディア業界は存続の危機に直面している。その象徴的な出来事は、今年6月30日を期して世界最古の日刊紙ウィーン新聞(ヴィーナー・ツァイトゥング)が紙媒体からオンライン電子版に移行したことだ。

 同紙は1703年に始まって2023年まで320年の歴史を有する「現在まで発行している世界最古の日刊紙」と受け取られてきた。320年間といえば、神童モーツァルトも楽聖ベートーヴェンも同新聞に目を通していただろうし、ハプスブルク王朝の栄枯盛衰を目撃してきたことになる。第1次、第2次の世界大戦を目撃し、1938年以降はヒトラーのナチス政権をフォローしたはずだ。同国が誇ってきた世界最古の新聞の終焉を告げる出来事は「時計の針をもはや戻すことはできない」ことを改めて追認させたわけだ。

 紙媒体のメディアは2010年には74紙があったが、2022年には53紙に減少した。例えば、今年に入りウィーン新聞のオンライン化、来年にはオーバーエステライヒ州の国民党機関紙フォルクスブラット(Volksblatt)も紙からオンラインに移行する、といった具合だ。

 ドイツのメディア業界の専門家たちは、「10年後にはドイツでは紙の日刊紙はなくなるだろう」と予言しているが、オーストリアのメディア問題専門家カルテンブルンナー氏は27日、オーストリア国営放送(ORF)の夜のニュース番組の中で、「ドイツが10年とすれば、わが国は13年後には同じような状況になるだろう」と述べていた。

 例えば、新聞を毎日読む年齢層を調査したとたところ、60歳以上は依然、70〜80%が新聞に目をやるが、14歳から19歳の若者は30%と少ない、若い世代はもっぱらインターネットのオンライン情報に集中し、紙の日刊紙を金を払ってまで読む習慣はない。ということはその若い世代の10年後、新聞を読む人が更に少なくなることは一目瞭然だ。

 米紙ニューヨーク・タイムズは久しくオンライン購読者の獲得に力を入れ、現在は同紙の購読者の80%以上がオンライン購読者だ。ローカル紙だった英紙ガーディアンが世界の主要メディアにまで発展できたのもインターネットへの進出があったからだ。

 10年後、長くても15年後には、日刊紙の紙媒体は消滅するだろう。昔の紙媒体の新聞を読みたければ、国立図書館に行くしかない。情報を提供するメディア側は毎日の情報を電子版で報じ、週刊誌、月刊誌の紙媒体で詳細な情報を提供する、といった「日刊紙」と「週刊誌・月刊誌」の間で暫くの間、棲み分けが進むのではないか。

 人間は情報への願望を持っているが、カルテンブルンナー氏は、「新聞が報じる情報を信頼すると答えた人は全体の40%に過ぎず、60%が情報の信頼性を疑っている。特に、新型コロナウイルスが席巻した過去3年間で多くの人はメディアが報じる情報を疑い出してきた」と述べている。「情報とその信頼性」はメディア業界が抱えているもう一つの大きな問題だ。

「不安」: 極右台頭と陰謀説の拡散

 欧州のテロ問題エキスパート、英国のキングス・カレッジ・ロンドン教授のドイツ人政治学者ペーター・ノイマン氏は29日、オーストリア国営放送の夜のニュース番組で欧州の政界でみられる極右派政党の台頭について、「彼らは一部のメディアがいうようなファシストではない。民主主義の政治枠組みを否定せず、それを利用しながら、司法・裁判所を弱体化し、メディアを統制することで権力を掌握しようとしている」と説明、実例としてオルバン首相のハンガリー、エルドアン大統領のトルコ、愛国主義派政党「法と正義」(PiS)が統制するポーランド、そしてイタリアのメローニ現政権などを挙げている。

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▲エドヴァルド・ムンク作「叫び」(ウィキぺディアから)

 同教授は最近、新著「不安の論理」を発表したばかりだ。同教授によると、現代は「不安」があらゆる分野で独占的な影響を与えている時代だ。コロナウイルスのパンデミック、不法移民・難民の殺到、地球温暖化と気候不順、ウクライナ戦争などがたて続きに生じ、多くの人々は未来に不安を感じている。そのような時代になると、人々はその不安の元凶を探し、犯人探しに乗りだす。極右派の政治家たちは、ー国に侵入する外国人(難民・移民)、そして▲螢戰薀襪淵ぅ鵐謄蝓▲┘蝓璽帆悗鬟好院璽廛粥璽箸箸垢襪海箸如不安に悩む人々の心を捉えていくというわけだ。

 「不安」は極右勢力を台頭させるだけではなく、新たなビジネスを生み出していくが、看過できないことは、「不安」の時代には無数の陰謀説も生まれてくることだ。既成の政党や政府への信頼感を失う一方、ドイツではポピュリズムと陰謀論が蔓延している。

 世論調査フォルサが7月、ホーエンハイム大学の依頼を受けて実施した調査結果(4024人をインタビュー)によると、ドイツ人の4人に1人は、政治は「秘密権力」によってコントロールされていると確信し、ドイツ国民の5分の1はマスメディアが「組織的に嘘を報じている」と信じているというのだ。(以上はドイツ民間放送nTVウェブサイト2023年8月29日の「Viele Deutsche glauben an "geheime Machte"」を参考にした)。

 コミュニケーション科学者のフランク・ブレットシュナイダー氏は、「ドイツ人の3分の1は広い意味で右翼ポピュリストの世界観を持っている」と調査結果を総括している。およそ6人に1人(16%)が、この国は現在「民主主義というよりも独裁国家に近い」状態であることに同意している。また、2022年から23年にかけて、民主主義の機能に対する満足度は10%減らし、連邦政府への信頼は、他のどの機関よりも大きく低下したというのだ。

 ブレットシュナイダー氏は、「人々はフラストレーション、不満が強まると、有罪者を捜し出し、人は自分の世界と真実を一緒くたにしてしまう」と説明している。

 「なぜ人は容易に陰謀説を信じるのか」をテーマにさまざまな研究が行われている。秘密のエリートが世界の運命を支配しており、コロナのパンデミックは存在しなかったし、2001年9月11日の米同時多発テロ事件は米政府自らが演出し、ニューヨークのツインタワーを破壊した、といった良く知られた陰謀論からそれに類似した無数の陰謀説が流れた(同上2023年6月26日の「Warum glauben Menschen an Verschworungstheorien?」)。

 問題は、なぜ一部の人はそれらを信じてしまうのかだ。学術雑誌「Psychological Bulletin」に掲載された新しい研究では、性格特性と動機の組み合わせが原因であるとされている。

 米アトランタにあるエモリー大学の筆頭著者ショーナ・ボウズ氏は、「陰謀論者は、ポップカルチャーがよく描くような単純な人や精神異常者ばかりではない。多くの人は、抑圧された動機を満たし、苦痛や障害を説明するために陰謀論に頼る」という。

 研究者らは調査のために、主に米国、英国、ポーランドからの15万8000人以上が参加した170件の研究のデータを分析した。主に、陰謀論信者の性格と動機を調べていった。その結果、特定の性格特性が人々を陰謀論に陥りやすくしていることを発見した。陰謀説を信じやすい人は、不安、偏執的、引きこもり、操作的、自己中心的な傾向があるという。逆に、オープンで良心的で自分の感情をコントロールできる人は、陰謀論的思考の傾向が低いという。

参考までに、フェイクニュースを信じやすいタイプとして、独ヴュルツブルク大学の心理学者ヤン・フィリップ・ルドロフ氏はダークパーソナリティトライアドを挙げ、ナルシシズム、マキャベリズム、精神病質の3つパーソナリティ特性を指摘している。ナルシストは優越感を感じ、注目の的になることを好み、マキャベリの人は権力と地位を求める。一方、サイコパシーの特性は、衝動的で恐れ知らずの行動が特徴だ。これらの特徴には共通の核があって、ダークファクターの性格が強い人は、他人のことを気にせず、自分の利益だけを考えている」と述べている(同上2022年11月19日のDunkle Personlichkeitstriade"から)

 「不安」はもちろん、ネガティブだけではない。「不安」を感じることでそれを解決するためにさまざな努力を繰り返すことで新たな可能性を見出すことが出来る場合もあるだろう。ただ、それを見出すまでは忍耐と時間がかかるから、どうしても現在の不安を取り除くためにインスタントな解決策、陰謀説に走る人々が出てくるわけだ。

「信教の自由」なき人権は完全に非ず

 「世界人権宣言」が1948年、国連総会で採択されて今年12月で75周年を迎える。「世界人権宣言」は、人権に関する最初の包括的な国際文書であり、その普遍的な原則と基準は国際社会において広く受け入れられてきた。

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▲「楽園を追放されるアダムとエバ」フランスの画家ジェームズ・ティソの画(ウィキぺディアから)

 同宣言は、人権と基本的な自由を保護するための普遍的な原則と基準を確立することを目的としている。生命、自由、尊厳の権利、公平な裁判、思想・良心の自由、教育の権利、労働の権利、社会保障、文化的な参加の権利などが含まれる。宣言はまた、人種、性別、言語、宗教、政治的意見などに基づく差別の禁止を主張している。

 人間の尊厳と平等な価値を認める考え方は古代から存在していたが、近代的な「人権」の概念は17世紀から18世紀にかけての啓蒙時代に発展した。フランスの啓蒙思想家であるヴォルテールやルソー、イギリスの哲学者であるジョン・ロックなどが人権の重要性を主張し、それが後の人権宣言や法律の基礎となった。

 一方、「宗教の自由」も古代から存在していたが、具体的な法的保護や国際的な合意としての「宗教の自由」については、20世紀の人権の国際的な枠組みの発展の中で確立されていった。1948年に国連総会が採択した「世界人権宣言」において、「宗教の自由」が人権として明示的に保障され、さまざまな国際的な人権法文書や条約においても「宗教の自由」が重要なテーマとして取り上げられるようになった。

 ただし、「人権」の概念が中世の固陋な宗教社会、教会支配社会に対抗する立場で発展したこともあって、「宗教の自由」という概念は「人権」の対立概念のように受け取られる傾向が強い。

 まとめると、「人権」は近代的な概念として17世紀から18世紀に発展し、「宗教の自由」は古代から存在していた概念だが、国際的な枠組み(例・世界人権宣言)において20世紀以降、重要な位置を占めるようになってきたわけだ。

 ところで、ドイツ司教協議会とドイツ福音主義教会(EKD)は世界的な「宗教の自由」に関する第3回の共同報告書を発表した。EKDのペトラ・ボッセ=フーバー司教によると、同報告書は「宗教の自由」を例に挙げて普遍的な人権教育を推進するためのものという。

 「普遍的な人権に対するキリスト教の視点」と題されたこの182ページの報告書は、異なる国々(ドイツも含む)における「宗教の自由」の状況を具体的に示している。同時に、「宗教の自由」は他の人権と対立させてはならず、同等な普遍的な人権として存在することを明らかにしている。同報告書の共同執筆者のハイナー・ビーレフェルト氏は、「宗教の自由を認識しなければ、人権は完全に人間らしくなり得ない」と述べている。非常に啓蒙的な表現だ。

 「人権」といえば、生命、自由、尊厳の権利、「言論の自由」が頭にすぐ浮かぶが、「『宗教の自由』なくして人権は完全となり得ない」「宗教の自由は社会の中心に位置すべきだ」といったキリスト教会関係者の主張はキリスト教文化圏に属さない日本人にとって少々違和感を覚えるかもしれない。

 参考までに、人類の文明史の発展をヘレニズムとヘブライズムに分類して分析する見方がある。アダム家庭でのカイン(長子)のアベル(次子)殺害以後、歴史はセツ(3子)の血統とカインの血統に分かれ、世界はヘブライズム(神主義)とヘレニズム(人本主義)の2大潮流を形成し、ヘレニズムは最終的には神を否定する無神論世界観を構築し、共産主義となって出現してきた。

 だから、共産主義はカインの系譜から生まれた思想であり、その根底には憎しみ、恨みが溢れている。労働者に資本家の搾取を訴え、その奪回を唆す。神を否定し、暴力革命も辞さない。そのカインの思想、共産主義を如何にソフトランディングさせるかが人類の課題となる。 

 一方、神の信仰を有してきた欧米諸国は神を失い、社会は世俗化し、肝心のキリスト教会は聖職者の未成年者への性的虐待事件の多発などでその土台が震撼、生きた神を証できなくなった宗教は生命力を失ってきている。

 ローマ・カトリック教会の前教皇ベネディクト16世は2011年、「若者たちの間にニヒリズムが広がっている」と指摘していたことを思い出す。欧州社会では無神論と有神論の世界観の対立、不可知論の台頭の時代は過ぎ、全てに価値を見いだせないニヒリズムが若者たちを捉えていくという警鐘だ。簡単にいえば、価値喪失の社会が生まれてくるというのだ(「“ニヒリズム”の台頭」2011年11月9日参考)。

 要するに、ヘレニズムもヘブライズムもここにきて発展の原動力を失ってきたのだ。人本主義と神主義を止揚する新しい世界観が求められてきている。換言すれば、理性と信仰の調和だ。「世界人権宣言」75周年を迎えた今日、ヘブライズムの復興(リバイバル)を叫ぶ新しい宗教が現れなければならない、という結論になるわけだ。

「認知症」とバイリンガルとの関係

 このコラム欄でユダヤ系米国人の認知科学(Cognitive science)の専門家レラ・ボロディツキー氏の「言語と思考」の関係について紹介した。同氏は「言語の違いが認知能力に影響を与える。人々が根本的に違った言語で話すなら、考え方も違ってくる」と主張し、「言語は、空間、時間、因果関係、他者との関係といった人間の経験の基本的な側面さえも形成していく」と述べ、世界には「7000の言語」があるから、7000の世界が存在することになるというのだ(「ペンテコステと『7000の言語』の世界」2023年5月30日参考)。

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▲認知科学者レラ・ボロディツキー氏(2017年11月、「TED」でのスクリーンショットから)

 ところで、言語学者や認知科学の世界では、母国語以外の外国語をマスターしている人(バイリンガル)は、そうではない人より認知症の進行を予防できるのではないか、という興味深いテーゼが囁かれているのだ。

 言語は考え、世界の動向を認知、観察するパワーを有している。認知症にかかることで母国語で形成された頭脳の中の思考パターンや世界観に支障が出て、物事を忘れたり、記憶を変形させたりといった症状が出てくる。一方、バイリンガル(2カ国語を話す人)、トリリンガル(3カ国語を話す人)は母国語以外の言語体系、それに伴う思考パターンや世界観を頭脳の中に有しているため、母国語の言語の世界が機能しなくなったり、支障が出てきた場合、他の言語体系にスイッチすれば認知症の進行を抑える可能性があるのではないかというのだ。

 例えば、目の前に1匹の猫がいる。日本人ならすぐに日本語で「ネコ」と発言する。しかし、バイリンガルの場合、英語でネコを「キャッツ」、独語では「カッツェ」という言語が記憶されているが、それを使用せずに予備として言語領域の頭脳に持っている。予備があるという言語状況は脳の働きの上でいい影響があるというのだ。その結果、バイリンガルの場合、たとえ、認知症を治癒できないとしても、抑える可能性が出てくる。バイリンガルの場合、頭脳の言語領域で複数の言語体系を持っているから、一つがダメになれば、別の言語体系を機能させることで失う記憶を少なくできるといえるわけだ。

 人間の記憶を担当するのは頭脳の中の海馬という領域だ。認知症はその海馬の機能に支障が起きる病だ。最近、認知症の進行を抑えることができる画期的な医薬品が製造されたというニュースが流れていた。アリセプトやイクセロパッチなどの医薬品を摂取できるが、それよりも母国語以外の外国語を多く学び、頭脳の中の言語スペアを増やしておくほうがいいのではないか。少なくとも、副作用を心配する必要はないうえ、経済的にもメリットだ。

 学生時代から記憶力が良くなかったこともあって、記憶力のいい人に出会うとそれだけで尊敬心が湧いてくる。同時に、人間の「記憶」ということに強い関心がある。人間の記憶には選択性が働いていること、忘却も記憶を保存するうえで重要な働きがあるという。コンピューターの消却機能は記憶すべき情報を保全するために必要な機能というわけだ。

 「記憶」といえば、エピジェネティクスという言葉がある。DNAの配列に変化はなく、細胞の分裂後にも継承される遺伝子に関するもので、「細胞記憶」と呼ばれている内容だ。例えば、恐怖心はその人間が遭遇した体験に基づくが、その心理状況が直接体験していない後世代にも継承されるという。「細胞が記憶している」というわけだ。その詳細なメカニズムはまだ解明されていない(「『細胞』は覚えている」2013年12月5日参考)。

 参考までに、独週刊誌シュピーゲル(5月13日号)はフランス人の睡眠研究の権威者、スタンフォード大学睡眠科学・医学スタンフォードセンター所長エマニュエル・ミニュー氏(Emmanuel Mignot)とのインタビューを掲載していた。同氏は「睡眠」が如何に重要かを述べていた。

 短い睡眠で大きな成果を上げた人間が尊敬されるような雰囲気が一部にある。フランスのナポレオン皇帝は1日4時間、レオナルド・ダ・ヴィンチは1日1時間半しか眠らなかったとか、チンギス・ハーンは騎乗している時ですら眠ることが出来たなど、偉人と睡眠時間についてはさまざまな伝説が報じられているが、ミニュー氏は「睡眠はスポーツのようなもので、よく眠ることは健康に繋がると理解すべきだ」と述べていた。記憶力を維持するためには十分な睡眠時間が欠かせないのだ。

ペンテコステと「7000の言語」の世界

 ユダヤ系米国人の認知科学(Cognitive science)の専門家レラ・ボロディツキー氏によると、世界には約7000の言語がある。その中には口述だけで、時間の経過とともに消滅していく言語がある。各言語はその民族の歴史、文化、生活環境などと密接に繋がっているから、一つの対象、概念、感情を表現するのに数千の異なった言語が存在し、それぞれ独自の意味、概念を内包している。

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▲イタリアの画家ファン・バウティスタ・メイノの「ペンテコステ」

 ボロディツキー氏は、「言語の違いが認知能力に影響を与える。人々が根本的に違った言語で話すなら、考え方も違ってくる」と主張する。一時期、言語と思考は人類の普遍的な共有物だといわれてきたが、実際は、言語は、空間、時間、因果関係、他者との関係といった人間の経験の基本的な側面さえも形成していくことが明らかになってきた。「7000の言語」があるということは、「7000の異なった世界」があるということを意味するというのだ。

 例えば、オーストラリア北部のヨーク岬半島の西端にあるアボリジニの小さな集落ポーンプラウでは、英語やドイツ語とは異なり、そこで話されるクーク・ターヨール言語には、左や右などの相対的な空間表現(左右)はなく、 「コップは皿の南東にある」とか「マリアの南に立っている少年は私の兄弟です」と言う。ポーンプラウでは自分自身を明確に表現するには、常に羅針盤を念頭に置く必要がある。

 また、言語が異なれば、時間の表現方法も大きく異なる。 英語を母国語とする人は未来のことを考える時、無意識に体を前に傾け、過去のことを考える時に無意識に体を後ろに傾ける。アンデスで話される先住民族の言語であるアイマラ語は、過去について話す時は「前方」を意識し、未来について話す時は「後方」を意味する。なぜならば、過去は目撃し、体験したことだから「前方」に知覚できるが、未来は未体験だから知覚できないので「後方」という考えになるわけだ。

 「ハンスが花瓶を割った」といった状況を考えてみる。日本語やスペイン語では、その原因について言及することを躊躇し、「花瓶が割れた」という。スペイン語と日本語を話す人は、英語を話す人よりも事故について積極的に説明する傾向は少なく、誰が事故を引き起こしたかを覚えている可能性は低いという。また、バイリンガルの人は、現在使用している言語に応じて「世界観」が変わると証言している。好き嫌いでさえも、質問される言語によって異なるという。

 なぜ、そんなことを書くかというと、28日は「教会が始まった日」と呼ばれる聖霊降臨祭(ペンテコステ)だったこともあって、ペンテコステを記述した新約聖書の箇所を再読して改めて驚いたからだ。以下、少々理屈っぽい話だが、読んでもらえば幸いだ。

 聖霊降臨祭とはイエスの十字架、3日後の復活、40日間の歩み、昇天、その10日後に五旬節を迎える。興味深いのは聖霊が降臨すると、集まっていた弟子たちは学んだことがない国の異言を語り出し、周囲の人々を驚かせたというのだ。学んだことがないロシア語が突然、スラスラと飛び出したならば、本人はびっくりするが、周りの人も驚くだろう。そのような奇跡が2000年前、起きたのだ。新約聖書「使徒行伝」第2章に記述されている。

 ちょうど、「7000の言語」の話を聞いた直後だったので、当方はペンテコステの話を別の視点で考えることができると思った。イエスの福音を伝達するためには言語は大切だ。“ユダヤ教のセクト”と呼ばれた初期キリスト教会が中東地域、そしてローマに広がっていき、世界宗教に発展するまで多くの言語の壁をクリアしなければならなかった。宣教師の最初の仕事は任地での言語をマスターすることだ。言語、すなわち、ロゴスが全ての初めだった。

 ところで、旧約聖書の「創世記」第11章には「バベルの塔」の話が記述されている。神の戒めを破った人間たちが神のようになるため、天まで届く高い塔を建設しだした。当時は「全地は同じ発音、同じ言葉であった」という。そこで神は建設している人間たちの言葉を混乱させて、意思疎通できないようにさせた。その結果、言語が多数生まれた。現在7000余りの言語が存在するわけだ。

 「ヨハネによる福音書」によれば、神が創造した世界は全てロゴスからできるというから、現存する言語が統合されれば、神が創造したロゴスが蘇生するのではないか。具体的には、7000の言語を統合した暁には「バベルの塔」前の世界に戻り、神の世界を今以上に理解できることになる。神が創造した直後、世界を覆っていたロゴスの世界に戻ることになる。

 「私たちは知っている」というが、それは7000の言語の中の一つの言語体系、限られたロゴスから理解しているだけに過ぎない。だから、言語が混乱していなかった前のロゴスの全体像からはほど遠い。ということは、多種多様に広がった言語体系が統合されれば、混乱していたロゴスが本来の姿を現すことになる。その時、私たちはその対象を「知っている」と言えるだろう。

 ペンテコステの奇跡はイエスの福音の全体を把握するためには、言語の統合が不可欠であるということを間接的に教えているように思われる。ただ、7000の言語を全てマスターしている人間はいないから、神を知っている人は誰もいない。いずれにしても、神が創造したロゴスの原型をそのまま理解するするためには言語の統合が避けられないということになる。

 聖霊が降臨するとは、全ての言語体系の源流の本来のロゴスが現れることを意味したのではないか。だから、イエスの弟子たちはイエスの教えを理解し、迫害を恐れない強い使徒として生まれ変わっていったのだ。逆に、聖霊が降りない限り、神が分からない。無数の言語に別れたロゴスでは神の一部しか理解できないので、神の定義一つを取っても対立し、神戦争が起きる原因となる。現在の世界はそれだろう。

 ここで、少し飛躍する。心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した「集合的無意識」という概念がある。歴史、民族を越え、カインの殺人、洪水神話の話など、同じ体験談や共通の記憶が世界至る所に残されている。ひょっとしたら、本源のロゴスが「集合的無意識」となって歴史、民族を越えて人間の中に記憶されているといえるのではないか。換言すれば、「集合的無意識」が言語体系によって異なってしまったロゴスを結びつける接着剤のような役割を果たしているというわけだ。

 オーストリアはローマ・カトリック教国だ。29日の月曜日も「ペンテコステの月曜日」で祝日だった。「言語の統一」と言えば、気が遠くなるようなテーマだが、“21世紀のペンテコステ”を迎えて、言語の壁を越えて完全な相互理解が実現し、今まで隠されてきた神の世界が鮮明に分かる時が到来することを願う。

AI時代のメーデーは誰が主人公か

 一昔前までは「労働者」といえば、汗をかきながら日々の糧を得る人、といったイメージがあったが、21世紀の今日、「労働者」といった言葉は死語とはなっていないが、そのイメージは希薄になってきた感じがする。「あなたは労働者ですか」と質問され、「はい、そうです」とすぐに答えられないような雰囲気が出てきた。人が汗をかかなくなってきたからだろうか。依然、多くの人は汗をかいている。

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▲オーストリア社会民主党のメーデーの集会風景(ウィーン市庁舎前広場で、2023年5月1日、オーストリア通信(APA)撮影

 マルクス・レーニン主義がまだ多くの人々に魅力があった時代、「労働者」という表現は「同志」という言葉と同じように、人々の口から飛び出した。そして「5月1日」はその労働者の祝典の日(メーデー)だった。世界各地で1日、さまざまな労働者の日を祝うイベントが開かれた。

 「労働者」という言葉が次第に希薄化していた理由は、資本家階級がそのパワーを失い、労働者階級に歩み寄ってきたからだろうか。中産階級が広がったからだろうか。実際は、資本主義社会では資本家は益々肥大化し、貧富の差は世界的に広がっている。

 ひょっとしたら、グロバリゼーションの時代に入り、世界は多様化することを通じ、人間の階級意識に変化が生じてきたからではないか。誰もが大金持ちになれるチャンスがある。IT企業の創立者をみればいい。マルクス・レーニン主義が人々に魅力を与えていた時代、その社会の階級は今のように流動的ではなく、固定していた。だから、多くの人々は労働者としての宿命を甘受するか、革命を起こして自身の運命を変えるかの選択を強いられ、一部の左派活動家や労働者は後者を選んでいった。

 労働者を支持基盤としてきたオーストリアの社会民主党の現状を紹介しよう、戦後のオーストリアの政界を主導してきた社民党は毎年、5月1日のメーデーの日にはウィーン市庁舎前広場で労働者の集会を開催する。その日には鉄鋼業界、商業業界などの各産業界の労組が旗を持って市内を行進し、最後はウィーン市庁舎前広場に結集。そこで社民党の代表が演説をし、労働者の連帯、結束をアピールするのが通例となってきた。

 ところが、ヴェルナー・ファイマン首相(当時、社民党党首)が2016年5月1日、ウィーン市庁舎前広場でメーデーの演説をした時、集まった労働者からブーイングが飛び出し、労働者たちから辞任を要求され、批判にさらされた。まるで、公開の場での人民裁判のような状況だった。同首相はその8日後、首相を辞任した。多分、労働者を看板としてきた社民党の崩壊がその日から始まったのかもしれない。

 社民党(前身『社会党』)はオーストリアの戦後政界をリードしてきた政党だ。ブルーノ・クライスキー(首相在任1970年から1983年)やフランツ・フラニツキー氏(首相在任1986年〜1997年)が長期政権を誇った時代があったが、ファイマン首相時代に入ると、党の支持基盤の労働者の党離れが見られ出した。

 ファイマン首相の突然の辞任後、クリスティアン・ケルン氏がファイマン政権の後継政権を引き受けたが、1年余りで国民党に政権を奪われて、社民党は下野して今日に至っている。社民党は7年前のメーデーの日のショックから立ち上がっていないのだ。

 なお、現社民党は、パメラ・レンディ=ヴァーグナー現党首、ブルゲンランド州のハンス・ペーター・ドスコツィル州知事、それにニューダーエステライヒ州のトライスキルへェン市のアンドレアス・バブラー市長の3人が党首争いを展開中だ。党内結束からはほど遠い状況下にある(「社民党『党首選』に73人の党員が出馬」2023年3月29日参考)。

 オーストリア社民党だけではない。労働者を支持基盤としてきた左派系政党は現在、「労働者」に代わる政党の核を見出していく必要を感じ出しているが、時代は既に本格的な人工知能(AI)時代に突入してきた。AIは単にブルーカラーから職場を奪うだけではなく、ホワイトカラーの職場も掌握する勢いを見せているのだ。

 AI時代は人間から「労働」を奪うだけではなく、人間の生きがい、創造、芸術といった世界の領域まで侵入してきた。一部のAIは「祈る」こともできるという。「祈るロボット」の登場は、近い将来、教会で牧会を担当する神父たちの仕事場を奪っていくかもしれない。平信者はもはや「告解室」で神父に罪を告白し、懺悔する代わりに、「祈るロボット」の前に列を作り、罪を告げ、懺悔することにもなるかもしれない(「AIのロボットが祈り出す時」2023年3月25日参考)。

 AIの登場に対し、人間はどのように対応すればいいのか。回答を求めて、急いで旧約聖書を紐解く。「創世記」によれば、戒めを破った人類の先祖、アダムとエバを、神は「エデンの園」から追放した。その結果、アダムは汗をかきながら日々の糧を得なければならなくなった。一方、エバは出産の際、生みの苦しみを味わうようになったというのだ。

 この「創世記」の話から結論を引き出すとすれば、汗をかきながら日々の糧を得なければならないのは、戒めを破った人類への制裁だったと解釈できる。エバの生みの苦しみも同様だ。AIの登場で人間が「労働」から解放されるということは、神の制裁の終わりを意味するとも解釈できるわけだ。聖書学的にいえば、終末の到来だ。文明史からいえば、人類の進化と呼べるかもしれない。

 にもかかわらず、私たちは一抹の不安に襲われる。AIの登場は神の人間への新たな制裁かもしれないという思いが湧いてくるからだ。世界的ベストセラー「サピエンス全史」の著者、イスラエルの歴史家、ユバル・ノア・ハラリ氏は独週刊誌シュピーゲル(2017年3月18日号)のインタビューの中で、「一部の人間は神のようにスーパー記憶力を有し、知性、抵抗力を有するようになる(ホモ・デウス)一方、大部分の人類はその段階まで進化できずに留まるだろう。19世紀、工業化によって労働者階級が出てきたが、21世紀に入ると、デジタル化が進み、新しい階級が生まれてくる。それは“無用者階級”だ」と述べている。

戦争と「同時代に生きる者」の責任

 独ノルトライン=ヴェストファーレン州の人口1万8000人の町フロイデンベルクのキリスト教会で22日、今月11日に殺された12歳のルイーゼの追悼が行われた。ルイーゼが通っていた学校の生徒たちは直接、教会には行かず、教室で追悼式をフォローした。

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▲「ブチャの虐殺」の犠牲者の慰霊の前に頭を下げられる岸田首相(ウクライナ外務省ツイッターから、2023年3月21日)

 地元の警察によると、ルイーゼは同級生の12歳、13歳の児童にナイフで複数回刺され、大量出血で亡くなった。今までにルイーゼは2人の児童からモビングされ、虐められ痛めつけられていたことが分かっている。

 ドイツ民間ニュース専門局Ntvでは22日、モビングされ、殴打されているシーンの一部が放映された。叩く児童の顔は分からないようぼかされていた。ルイーゼを殺害した2人の児童は14歳未満ということでドイツでは刑事責任は問われず、児童ユーゲンド関連の施設で一定の期間、収容される(「独国民が衝撃受けた2件の犯罪」2023年3月16日参考)。

 同級生を叩く児童たちの姿を見ていると、なぜ叩いたり、虐めたりするのか、という疑問が湧いてくる。児童の口からは大人たちが口にするような汚い脅しの言葉が飛び出している。社会、家庭、学校教育は大きく変わった。子供を取り巻く環境は、良くも悪しくもスマートフォン、インターネットで多大な情報が一瞬で手に入る。しっかり物事を見極める年齢になる前に様々な情報に踊らされる。「14歳未満以下には刑事責任が問われず」という何十年も前の法律は現状に合わなくなっているのだ。家庭の崩壊、行き過ぎた自由、個人主義、利己主義がまかり通っている社会の風潮だ。社会や家庭、学校でも親や教師から愛ある教育を受けないと心が成長できないし、人への同情や思いやり、助け合う喜び、向上心などは精神的にも良い影響(栄養)を受けないと育たない。犠牲となった12歳の少女があのような痛ましい形で命を終えたことは余りにも可哀そうだ。

 岸田文雄首相は21日、ウクライナン首都キーウを訪問し、ゼレンスキー大統領と会談した。その前、首相はキーウ近郊のブチャを訪問し、ロシア兵士に虐殺された犠牲者が葬られている場所で献花し、追悼した。短期間にキーウ制圧を考えていたロシア軍はブチャまで進攻したが、ウクライナ側の抵抗で後退を余儀なくされた。ブチャではロシア兵に目隠しされた後、頭を射たれたり、路上にいた市民たちも射殺された。ロシア兵が撤退した後のブチャには多くの犠牲者が路上や家屋内で見つかった。メディアは「ブチャの虐殺」と呼び、ロシア軍の戦争犯罪行為と報じてきた。

 兵隊と民間人の区別なく砲撃するロシア軍の無差別攻撃はよく知られている。ブチャの虐殺、ウクライナ南東部の湾岸都市マリウポリの廃墟化が報じられると、欧米諸国はショックを受けた。ゼレンスキー大統領は昨年9月のウクライナ東部ハルキウ州イジュムでの虐殺を挙げて、怒りを抑えきれないといった表情で、「戦争犯罪だ」と激しく批判したことを思い出す。イジュムでは少なくとも440体の遺体が見つかっている。

 ゼレンスキー大統領は西側でのビデオ演説ではウクライナの苦境を訴えた後、いつも武器の供与を求めてきた。「戦いは我々がするが、そのための武器を支援してほしい」というアピールだ。軍最高司令官としてゼレンスキー大統領としては外交辞令に拘る時間はないから、欧米諸国には単刀直入に「武器を送ってほしい」と訴えざるを得ないわけだ。

 戦後生まれの岸田首相は戦後首相としては初めて戦場に足を踏み入れ、戦争のむごさに圧倒されたのではないだろうか。戦争は政治、外交の失敗の結果ともいえる。紛争、対立を政治的、外交的に解決できない結果、武器をもって相手を牛耳ろうとする行動に出てくる。その意味で、政治家や外交官はウクライナ戦争には責任がある。

 それでは責任は政治家と外交官だけだろうか。一般の国民にも戦争の責任があるのではないか。同じ時代に生きているという「同時代の責任」ともいうべきものだ。

 教会内や寺院での祈祷だけではない。人は首(こうべ)を垂れて祈らざるを得ない時がある。岸田首相がブチャの犠牲者の慰霊の前で首を垂れている写真をみて、同じように感じた。犠牲となった人々に対し、同じ時代に生きている人間の1人として、許しを乞い責任を感じるからだ。

 ルイーゼの事件もそうだろう。12歳と13歳の児童だけではない。ルイーゼの家庭、学校関係者だけでもない、同時代の全ての人々が犯罪を防止できなかったことに責任があるのを感じる。

 21世紀の今日、私たちは共に生きている。同じ時代に命を与えられ、生きているという「同時代意識」を持つことができれば、生きている時代への「責任」感が自ずと湧いてくるのではないだろうか。
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