ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

雑感

モーセと「神の娘(バト・ヤー)」の話

 キリスト教最大の祝日「復活祭」(イースター)が終わった。1日は聖月曜日だったので、オーストリアなどカトリック教国では休日だった。そこで前評判の高かった3部構成のネットフリックスのシリーズ「神と交わした約束: モーセの物語」をストリーミングポータルで観た。3月27日から観ることが出来る。


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▲ネットフリックス「神と交わした約束: モーセの物語」でモーセ役を演じるアヴィ・アズライ氏(ネットフリックスから Kath.ch)

 エジプトから神の約束の地カナンに向かってモーセが60万人のイスラエル人を率いて「出エジプト」するスケールの大きい物語はこれまでも何度も映画化されてきた。当方も昔、名優チャールトン・ヘストン主演の映画「十戒」を観たことがある。

 ネットリックスのシリーズは「神と交わした約束: モーセの物語」というタイトルが付き、第1部「預言者」、第2部「災い」、第3部「約束の地」の3部作から構成、各1時間半程度だ。テキストパネルを使って、各エピソードでは神学者や歴史家が登場し、モーセの物語についてその見解を語るから、モーセの人柄やその歴史的背景がより理解できるようになっている。

 第1部「預言者」では、イスラエル人がエジプトに定住し、約400年間にわたって奴隷生活を強いられてきた。その当時、エジプトのファラオは国内でユダヤ人が強くなりすぎることを恐れ、ヘブライの新生児を殺すよう命じた 。モーセの母親は生まれたばかりの息子を生かすために籠に入れてナイル川に流す。ファラオの娘がそれを見つけ、赤ん坊を王宮で育てる。モーセはエジプトの王子として成長するが、奴隷のユダヤ人がエジプト人によって虐待されているのを目撃し、エジプト人を殺す。その結果、王宮から追放される。シナイ山を通って逃亡し、ミデヤンの地で定着した。そしてミデヤンの祭司の娘チッポラと結婚し、子供もできた。ホレブ山に登ったモーセの前に神が現れ、エジプトに戻って自分の民を解放し、約束の地に導けと語りかける。神は「私は、アブラハム、イサク、ヤコブの神であり、有って有る者」と言う。

 第2部「災い」では、モーセは神の命を受けてエジプトに戻り、ファラオにイスラエルの神に供え物を捧げるためにイスラエルの民を解放してほしいと頼む。ファラオはそれを拒否するが、その度にエジプト全土に災いが起きる。映画ではイスラエルの神のパワーに恐れを抱くシーンがうまく描かれている。ファラオは「イスラエルの神の言いなりになれば、自分の神とそれによって築かれたエジプト全土の王国は崩壊してしまう」と言い、さらに頑なになっていく。

 第3部では、ファラオから解放されたイスラエルの民を率いて約束の地カナンに出発する。途中、水がない、食べ物がないと嘆くイスラエル人を説得しながらモーセはカナンの地を目指す。神はモーセに「十戒」を与える。そしてマナを降らせてイスラエルの民に食糧を与えるなどをして、神の業を見せる。聖書ではカナンを目の前にしながらモーセは死に、後継者ヨシュアが民を率いてカナンに入る。

 モーセはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3大唯一神教で預言者、解放者として崇拝されている唯一無二の存在だ。映画では主なプロットは、旧約聖書のヒーローの生涯を時系列で描いており、イスラエルの俳優アヴィ・アズライ(Avi Azulay)がモーセ役を演じている。

 「神と交わした約束: モーセの物語」の中で興味深かった話は、ファラオの娘Bithiaだ。Bat Yahと言われた。Yahはヘブライ語で神を意味することから、Bithia姫は「神の娘」という意味だ。ヘブライ聖書の准教授であるヘブライ・カレッジのラビ、レイチェル・アデルマン氏は「聖書解釈(ミドラーシュ)ではファラオの娘は、神によって『神の娘』として養子にされたという。バト・ヤー、ヘブライ語の『神の娘』を意味する。彼女以外に『神の娘』という呼称を持つ人はなく、その名前は唯一無二だ」という。

 Bithiaは妊娠したが、流産した、悲しみからナイル川で死のうとしていた時、赤ん坊の泣き声を聞く。流れてきた籠を引き上げると、そこには男の子の赤ん坊がいた。Bithia姫はその赤ん坊の自分の子として王宮で育てることにする。モーセはヘブライ語ではMosheで、「水から引き上げた」という意味がある。モーセが逃亡から王宮に戻った時、彼女はモーセを抱擁する。モーセが神の命でイスラエル人をカナンに導かなければならないことを知って驚くが、ファラオとモーセの間にあって何とか両者を和解させようとする。解放者モーセの背後に、神の娘(バト・ヤー)の存在があったわけだ。

 モーセがカナンの地を目の前にしたが、入ることが出来ないことを嘆くと、妻チッポラは「子供たちが約束の地に入るだろう」と答え、3部作は終わる。

若者の“ミッドライフ・クライシス”

 欧州社会は“アブラハム文化”だ。アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信仰の祖だ。イスラム教では3月11日から5行の一つ「ラマダン」(断食の月)が始まっている。キリスト教では明日31日は復活祭(イースター)だ。十字架で亡くなったイエスが3日後に復活したことを祝うキリスト教最大の祝日だ(東方教会は5月5日が復活祭)。

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▲日本庭園があるウィーンの世田谷公園(2024年3月16日撮影)

 今年はイスラエルとイスラム過激派テロ組織ハマスの間で戦闘が続き、ロシアとウクライナの間の戦争は3年目に入った。世界は激動の時を迎えている。ユダヤ教徒、イスラム教徒、そしてキリスト者にとっても試練の時だ。

 ところで、今月20日は「世界幸福デー」だった。それに合わせて慣例の国連「年次世界幸福度報告書」(調査期間2021年〜23年、143カ国を対象)が発表されたばかりだ。同報告書を担当した専門家の1人は「西側諸国では過去、若者が最も満足しており、主観的幸福度は成人初期に減少し、中年以降に再び大幅に増加するというものだったが、今回発表された報告書は、この『U字カーブ』が当てはまらず、場合によっては若者の幸福度が低下している」と指摘し、「若者がミッドライフ・クライシス(中年の危機)のような状況を経験している」と述べていた。

 その原因について、ソーシャルメディア利用の増加、所得格差、住宅危機、戦争や気候変動への懸念が若者の幸福度に影響を与えている可能性があるというのだ。未来に対する不安がソーシャルネットワークで増幅され、若者が希望を失っていく。

 ローマ・カトリック教会の前教皇ベネディクト16世は2011年、「若者たちの間にニヒリズムが広がっている」と指摘した。欧州社会では無神論と有神論の世界観の対立、不可知論の台頭の時代は過ぎ、全てに価値を見いだせないニヒリズムが若者たちを捉えていくという警鐘だ。簡単にいえば、価値喪失の社会が生まれてくるというのだ(「“ニヒリズム”の台頭」2011年11月9日参考)。

 人は価値ある目標、言動を追及する。そこに価値があると判断すれば、少々の困難も乗り越えていこうとする意欲、闘争心が湧いてくるものだ。逆に、価値がないと分かれば、それに挑戦する力が湧いてこない、無気力状態に陥る。同16世によると、「今後、如何なる言動、目標、思想にも価値を感じなくなった無気力の若者たちが生まれてくる」というのだ。

 フョードル・ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のカラマーゾフ家の次男イワンは「神がいなければ全てが許される」という。一方、ロシアの首都モスクワのコンサート会場を襲撃し、140人以上を殺害したイスラム過激派テロ組織「イスラム国」(IS)の戦闘士はアラーの神が唯一の「神」と考え、異教の神を信じる人間を殺害していく。イワンの世界とISテロリストの世界は全く異なっているが、両者とも自身の行動の正当化を「神」に置いている。

 イワンの世界は神、道徳、倫理などを失い、自己中心の欲望を制限する手段のない社会の恐ろしさを物語る一方、イスラム過激派テロリストの場合、神を信じている者が「自分の信仰こそ唯一正しい」と独善的、排他的に考え、その狭い宗教の世界に生きている人間の怖さを示しているといえるだろう。

 少し古くなったが、興味深い話を紹介する。独連邦議会の野党「左翼党」幹部のグレゴール・ギジ氏(Gregor Gysi)はZDFのマルクス・ランツ司会の娯楽番組に出演し、そこで、「自分は神の存在を信じていないが、神なき社会を恐れている。キリスト教会が主張するような価値観で構築された世界が全く存在しない世界に恐怖を感じるのだ。資本主義も社会主義もその恐怖心を取り除くことができるものを有していないからだ」という趣旨の話をしたことがある。

 ギジ氏(76)は1989年に東ドイツの支配政党であったドイツ社会主義統一党が改組して結成された民主社会党の初代議長に就任し、東西両ドイツの再統合後も左翼党をリードしてきた政治家だ。典型的な無神論者だが、その無神論者が神なき社会の台頭に一種の懸念を有しているのだ。

 無神論者はイワンのように「神がいなければ全てが許される」と考えても不思議ではないが、実際、神のない社会が台頭すると、「そのやりきれなさに耐えられなくなる」という声が彼らの口から飛び出してくるのだ。教会が生き生きしていた時、無神論者も多分、積極的に神を攻撃できたが、教会が勢いを失い、信者が脱会する時、無神論者は勝利の歌を歌うのではなく、教会の行く末、神の行く末に懸念し、神なき社会の台頭にひょっとしたら教会関係者以上に心配し出しているのだ。

 イエスはパリサイ人のニコデモというユダヤ人の指導者に「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることができない」(「ヨハネによる福音書第3章1節〜3節)と語った。新しく生まれ変わるためには、古い自分は一度は死ななければならない。そして古い自分を捨てることは誰にとっても容易ではないのだ。

バイデン米大統領の「マインドパレス」

 脳内で記憶を管理する場所は海馬と呼ばれる。2014年のノーベル生理学・医学賞に英ロンドン大のジョン・オキーフ教授、ノルウェー科学技術大のマイブリット・モーザーとエドバルド・モーザー夫妻の3人の脳神経学者が受賞したが、3氏は「場所細胞」と呼ばれる機能を有する脳内の海馬について研究し、記憶の仕組みを解明したことが授賞理由だった。

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▲超党派の上院国家安全保障協定に関して話すバイデン米大統領(2024年02月04日、ホワイトハウス公式サイトから)

 なぜ突然、海馬の話をするかというと、バイデン米大統領が過去に会談した政治家の名前が出てこなくなったり、最近では長男の亡くなった年月を忘れてしまうという状況がメディアで報じられ、世界最強国・米国大統領の海馬について懸念しているからだ。81歳と高齢だから、時には忘れることはある。しかし、バイデン氏は米大統領だ。そして今年11月の大統領選で再選を願っている人物だ。その海馬が正常に機能しないとすれば、バイデン氏個人の問題ではなく、世界の問題といわざるを得ないのだ。

 当方は脳神経学者でないから、音楽の都ウィーンからワシントンのバイデン氏の海馬の状況について遠距離診察をする考えはないが、やはり心配だ。世界は2024年に入り、多くの予言者が語っていたように、戦争、紛争、混乱、天災、人災が起きてきている。その時、米大統領の海馬がうまく機能せず、紛争解決や調停工作で支障が生じたらどうするのか。大統領選でバイデン氏が勝利しようが、トランプ氏(77)がホワイトハウスにカムバックしようが、両者は高齢者だ。トランプ氏の海馬は今のところ大きな支障がないみたいだが、決して大丈夫だとは断言できない。米国の政界には健全な海馬をもつ若い政治家はいないのか、とついつい呟きたくなる。

 当方はコナン・ドイルの名探偵シャーロック・ホームズとアガサ・クリスティ(1890〜1976年)の名探偵小説の主人公エルキュール・ポワロが大好きだ。彼らに共通していることは記憶力が抜群だという点だ。シャーロック・ホームズは「マインドパレス」(記憶の宮殿)という言葉をよく表現するし、ポワロは「小さな灰色の脳細胞」という言葉が口癖となっている。

 シャーロックは初めて会った人物のプロフィールをその外観や言動から素早く読み解く。彼は頭の中で事実を整理し、過去の情報を引き出しながらプロフィールを構築していく。その観察力はすごい。彼が「マインドパレス」を訪れている時、周囲に静かにするように求める。集中力が妨げられるからだ。シャーロックの記憶宮殿は脳内の海馬だろう。それも異常に発達した海馬ではないか。ポワロの場合も「小さな灰色の脳細胞」は海馬のことだろう。

 興味深い点は、超記憶力の持ち主がテレビや映画の犯罪シリーズで頻繁に登場することだ。例えば、米テレビ番組「クリミナル・マインド」のFBI行動分析課捜査官の1人、スペンサー・リード博士は先天的映像記憶力の持ち主で、1度読んだ書物の内容を忘れない。ニューヨークの大手法律事務所の世界を描いて人気を博した米TV番組「スーツ」では主人公の1人、青年マイク・ロスは六法全書を丸暗記している。最近では、犯罪サスペンス「アンフォゲッタブル」の女刑事キャリー・ウェルズもその1人だ。1度見た人間、風景を決して忘れないという超記憶力の持ち主だ。

 現代は記憶力のいい人を「頭のいい人」と評し、逆に記憶力の悪い人は「あの人は頭が悪い」というレッテルが貼られる世界だ。その意味で情報が氾濫している現代でバイデン氏が指導者の役割を果たすことは大変だ。同情に価する。日本最大の言論プラットフォーム「アゴラ」の主宰、池田信夫氏は「バイデン氏は裸の王様だ」と評している。米民主党は迅速にバイデン氏に「あなたのマインドパレスはもはや正常に機能していない」と告げて、彼の代わりの候補者を探すべきだというわけだ。

 外遊先でバイデン大統領が外国元首と会談する際、その傍にはブリンケン米国務長官が心配そうな顔をしながら、大統領の言動を追っている姿をニュース番組で見ることが多い。マクロン大統領をミッテラン大統領(1996年死去)と間違えたり、メルケル首相をコール首相(2017年死去)と間違ったりする話を聞く度にバイデン氏の海馬が正常に機能していないことを感じる。

 ところで、マクロン氏をミッテランと間違えた場合を考えたい。「マクロン」も「ミッテラン」も「M」から始まる名前だ。バイデン氏の海馬には無数の記憶の棚があって、それらがアルファベット順に整理されているとすれば、バイデン氏は海馬の中で国別では「フランス」を選んだ後は「M」から始まる棚を開けたまでは良かったが、「マクロン」という記憶の傍にあった「ミッテラン」を引き出してしまったのだ。メルケル首相をコール首相と間違えた場合、ドイツの政治家に関する記憶が保管されている棚から引き出すまでは良かったが、情報がアルファベット順に整理されていなかったので、「コール」という名前を選んでしまったのではないか。

 バイデン氏は「マインドパレス」の無数の記憶の棚からカテゴリーを先ず選別し、そこからサーチしている情報を引き出す作業プロセスに支障があるのではないか。例えば、バイデン氏が日本の岸田文雄首相に言及しようとした時、パレスの個人名のアルファベットの「K」を開けばいいが、国別の棚から「K」を探せば、韓国という国名が先ず目に入る。その結果、バイデン氏の口から「韓国の岸田首相は」といった話が飛び出す。笑い事では済まない。

 参考までに、最近は公聴会や聴聞を受けた政治家が「記憶はありません」と発言し、責任や追及を逃れるケースが見られる。記憶を司る「海馬」をもてあそぶようなことは慎むべきだろう。

「口から出るものが人を汚す」時代

 新約聖書「マタイによる福音書」第15章には、「口に入るものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚す。口に入ってくるものは、みな腹の中に入り、そして、外に出て行くことを知らないのか。しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、これらのものが人を汚すのである」というイエスの聖句が記述されている。 

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▲ウィーンのカールス教会の夕景(2024年1月23日、撮影)

 現代人は日々の3回の食事メニューに心を配り、健康への影響について関心を寄せてきている。同時に、女性への蔑視や憎悪感情を刺激する用語を使用しないといった傾向が見られ出している。米国ではその傾向が行き過ぎた面もあるが、口から出る言葉に対して人々は慎重になってきている。

 すなわち、前者は「口に入るもの」に対して、後者は「口から出るもの」に対して、人々の認識と内省は進んできているわけだ。その意味で、イエスの上記の聖句に対し、十分とはいえないが、人類の歴史は少しは前進してきている。ちなみに、歴史的発展は最初は外的な世界(口に入るもの)に展開され、その後、内的な世界(口から出てくるもの)へと広がっていく。時には、時間差がある場合もあるし、同時期に生じることもある。

 ここでは、後者の「口から出てくるもの」について少し考えてみたい。オーストリアのローマ・カトリック教会の最高指導者シェーンボルン枢機卿は「言葉の残虐性」という表現で、最近、われわれは思いやりを忘れて相手を批判することに専心していることに懸念を表明していた。 

 口から出てくる言葉はある時は武器以上に相手を傷つける。昔受けた言葉を忘れることが出来ず、生涯、その言葉を脳裏の中で繰り返しながら生きている人がいる。ナイフで刺された場合、時間の経過と共に癒されるが、言葉はそれが残虐的な内容であればあるほど、忘れることが難しく、心の深いところに留まっている。心ない言葉はナイフ以上に人を傷つける残虐性がある。

 「言葉」の影響の大きさには驚かさせる。新約聖書「ヨハネによる福音書」の最初の書き出しを思い出す。「初めに言があった。すべてのものは、これによってできた」という有名な聖句だ。言葉は人を幸せにすると共に、人を殺すこともできる。言葉もデュアル・ユースだ。

 ここにきて言葉の混乱が見られる。例えば、ジェンダーフリー運動は歴史的に軽視されてきた「女性の権利」の回復に貢献したが、同時に、ロゴスの破壊を生み出してきている。なぜならば、男性、女性といった性別に拘る一方、その性差を明確にする言葉、表現、その内容に対しては激しく拒絶反応を示しているからだ(「初めにジェンダーがあったのか?」2021年5月10日参考)。

 IT技術が進み、言葉から成る多くの情報が氾濫している。そして多くの人がそれを共有できる時代に生きている。それは人類にとって至福の時といえるが、同時に、それをコントロールできない場合、殺人や淫乱や憎悪が拡散する世界になってしまう。

 IT時代のシンボルでもある米メタ(旧フェイスブック)のザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)は先月31日、SNSでの子どもの性的虐待への規制を巡る上院司法委員会の公聴会で、被害者やその家族に陳謝した。そのシーンをニュースで見て、フェイスブックやインスタグラムなどで配信される無数の情報、画像が未成年者に大きな被害を与えている現実が改めて浮かび上がってくる。

 21世紀に生きる私たちは分岐点に立たされている。科学技術の急速な発展で人間を取り巻く生活環境は改善され、通信技術の発展で世界中の人々が相互理解を深めることができる時代圏にいる。しかし、多くの人々は幸せではなく、苦悩している。それは単に経済的な理由からだけではない。私たちの「口から出てくる」言葉や感情表現が誤解を生みだし、カオスを生じさせているからだ。ロゴスは本来の意味を失い、フェイクニュースがまかり通っている。私たちは再度、「口に入れるもの」への注意だけではなく、「口から出るもの」への再考の時をもつべきではないか。

人類に残された未開発の「97%の世界」

 いつ、どこで、誰から聞いたのかは思い出せないが、通常の人間は自身に備わっている能力の3%しか使用できず生涯を終えるという。すなわち、脳細胞に含まれた生来の能力の97%は再び土に返るというのだ。それを聞いた時、当方は「ほー、まだ97%の脳細胞は未使用というわけか」と考え、「(学校で成績不振に悩まされていた劣等生の)僕にもまだチャンスはある」と、漠然とだが希望を感じて嬉しくなったことを思い出す。当方の人生は自身の中に埋没するといわれる97%の脳細胞の発掘に汗を流してきたわけだ。まさに、金塊探しの採掘業者のような人生だ。

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▲宇宙を覆う暗黒物質(NASA公式サイトから)

 英国の推理作家アガサ・クリスティ(1890〜1976年)の探偵小説の主人公の元ベルギー警察署長のエルキュール・ポワロは「小さな灰色の脳細胞」を駆使して難解な事件を次々と解決していく。ポワロは20世紀初期時代の主人公だったから多分、「灰色の脳細胞」を3%だけ駆使している自分という認識はなかっただろう。ポワロが当時、自身の中には97%の灰色の脳細胞がまだ未使用のままになっていることを理解していたならどのように感じただろうか。

 ところで、慣例となっている世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)が15日から開幕した。世界から政治家、経済学者、実業家、ジャーナリストなどが一同に集まって世界的な諸問題について意見の交換をする国際会議だ。今年のダボス会議のテーマの一つには人工知能(AI)の未来がある。マイクロソフトのトップ経営者やAI開発専門家たちがその最新の開発現場からの情報を披露していた。「人類とAI」の問題は最新テーマだ。

 オーストリアの日刊紙スタンダードは17日、AIが人間の脳神経網を完全にマスターしたならば、何が生じるかといった非常に刺激的な問題を提示していた。人間の精神生活、創造性が脳神経細胞から起因するとすれば、そのネットワークを完全に解析し、再現できれば、AIは第2の人類ということになるかもしれない。

 そのAIの近未来像について、大きく分ければ、AIの進歩を制御しなければ危険だという説と、AIを規制しながら共存できるという説が考えられる。欧州連合(EU)は昨年12月9日、世界で初めてAI規制の枠組みで合意した。欧州委員会のフォン・デア・ライエン委員長は、「AI規制法(AIAct)は世界初のもので、信頼できるAI開発のための独自の法的枠組み」と、その意義を説明している。AI規制法は欧州市場に投入され、使用されるAIシステムの安全性、基本的権利と民主主義の尊重を遵守しつつ、欧州のAI企業の成長を促進していくことが狙いだ。

 世界的ベストセラー「サピエンス全史」の著者、イスラエルの歴史家、ユヴァル・ノア・ハラリ氏(Yuval Noah Harari)は独週刊誌シュピーゲルとのインタビューの中で、「人類(ホモ・サピエンス)は現在も進化中で将来、科学技術の飛躍的な発展によって“神のような”存在『ホモ・デウス』(Homo Deus)に進化していく」と考えている。同氏の未来像は明るいか、というとそうとも言えないのだ。時代の潮流に乗れる一部の人間(少数派)とそれに乗り切れない落ちこぼれの無用の人類(多数派)が出てくると考えているからだ。

 参考までに、ローマ教皇フランシスコは昨年12月14日、AIについて「人工知能の利用を悪魔化すべきではない、技術の進歩について議論するときは、人工知能が人間の尊厳にどのような影響を与えるか、また平和構築にどのように貢献できるのかという観点から論議する必要がある」と述べている。

 2024年が始まった。ロシアとウクライナ戦争は長期化し、イスラエル・ガザ紛争も依然、停戦の見通しがない。イエメンの親イラン武装組織フーシ派の紅海での船舶攻撃は世界経済に影響を与え、イランとパキスタンの間で険悪な動きが見え出した。北朝鮮の独裁者金正恩総書記は核戦争も辞さない強硬姿勢を見せ、韓国を「主敵」として軍事的に威嚇してきた。台湾総統選挙で与党・民主進歩党(民進党)の頼清徳氏が当選したことを受け、中国共産党政権の台湾の武力統一への動きが一層懸念されてきた。世界の最大軍事国・米国は今年11月、大統領選挙を控え、世界で新たな戦争や台湾海峡での有事の際、それに対応できる余裕があるかは不確かだ、等々、世界各地から発信される戦争・紛争情報が日々、氾濫している。このような情報環境圏に生きている私たちはおのずと憂鬱になってしまう。ベネディクト16世が警告していたように、最悪のケースは人類はニヒリストで溢れてしまうのではないか。

 しかし、現在の世界情勢は人類の脳細胞が3%しか使用されていない結果とすれば、人類にはまだ希望がある。人類には依然97%の“金鉱”が埋蔵しているからだ。ただし、人類は楽観的になるにはまだ早すぎるだろう。その埋蔵した97%の脳細胞を如何に覚醒させ、実際の人類の発展に役立たせるか、という課題があるからだ。

 シンプルに表現すれば、人間は程度の差こそあれ良い思い(善)と悪い思い(悪)という矛盾した性向を抱えている。その人間が作る創造物はそれを反映して、同じようにデュアル・ユース的存在となる。AIの未来も同様だろう。「善いAI」と「悪いAI」の登場だ。人間の矛盾する性向がどこから起因するか、その原因について解明しない限り、人類の発展はあり得ないし、戦争・紛争も解決できない。残された97%の可能性を駆使して、未解決問題の解明に全力を投入しなければならない。

 ちなみに、宇宙物理学者は「宇宙は暗黒物質で覆われている。宇宙の起源についてわれわれはこれまで数%しか分かっていない」と語っている。

プーチン氏と「カント300年生誕祭」

 ロシアのプーチン大統領がウクライナに軍を侵攻させてから来月24日でまる2年目を迎える。短期間でキーウを制圧できると考えていたプーチン氏の予想に反し、ウクライナ軍との戦いは長期化してきた。戦争はロシアにとってもウクライナにとっても大きな人的、経済的損失をもたらしている。

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▲ロシア正教会のクリスマスを祝うプーチン大統領(2024年01月07日、クレムリン公式サイトから)

 ところで、このコラム欄でも紹介したが、近代哲学の基礎を築いたイマヌエル・カント(1724〜1804年)は今年4月22日、生誕300年を迎えるが、世界各地でそれを祝う国際会議、シンポジウムが開催される予定だ。カントは300年前、プロシア(現ドイツ)のケーニヒスベルク市に生まれたが、同市は現在はロシア領土でカリーニングラードと呼ばれ、リトアニアとポーランドに挟まれたロシアの半飛び地だ。

 プーチン大統領がウクライナ侵攻を始める前はカリーニングラードで2024年のカント生誕300年の記念会議を開催する予定だったが、ウクライナ戦争が勃発したことでロシア開催は難しくなった。何よりも「平和の哲学」と呼ばれるカント生誕祭をロシアで開くことはどうみても不都合というわけだ。

 プーチン氏はウクライナに軍侵攻した理由として、「キーウ政府の非武装化、非ナチ化を実現するためだ」と強調してきた。プーチン氏の精神的支え、ロシア正教会の最高指導者キリル1世はウクライナ戦争勃発後、プーチン大統領のウクライナ戦争を「形而上学的な闘争」と位置づけ、ロシア側を「善」、退廃文化の欧米側を「悪」とし、「善の悪への戦い」と解説してきた。同時に、キリル1世はウクライナとロシアが教会法に基づいて連携していると主張し、キーウは“エルサレム”だといい、「ロシア正教会はそこから誕生したのだから、その歴史的、精神的繋がりを捨て去ることはできない」と主張してきた。

 プーチン大統領がウクライナに軍侵攻を命令した時、世界はロシアが侵略者(加害者)であり、ウクライナはその軍事行動の犠牲者だと素早く判断した。一方、加害者側のプーチン大統領は昨年5月9日、モスクワの赤の広場で開かれた第78回対独戦勝記念日の演説で、「わが国は犠牲国だ。西側がわが国を脅かしたからだ。国民は結束して祖国を守らなければならない」と檄を飛ばした。プーチン氏の加害者と犠牲者の区別は世界のそれとは180度違うことが改めて明らかになった(「プーチン氏の『ナラティブ』の終焉?」2023年5月11日参考)。

 国際カント協会の理事を務めるウィーン大学の哲学者ヴィオレッタ・ワイベル氏は1月4日のオーストリア国営放送とのインタビューの中で、「記念会議は当初、4月にカリーニングラードで開催される予定だった。実際、そこでも300生誕祭が開かれるだろうが、それは国際カント協会が主催するものではない。ロシアのウクライナ攻撃方法はカントの精神に反していることが明確になった。だから国際カント協会は2024年の記念大会を別の場所、つまりボンで開催することを決定した」と説明している。

 なぜロシアのウクライナ戦争がカントの精神に反するかについて、ワイベル氏は、「カントは1795年の著作『永遠の平和について』の中で、戦争が繰り返される理由と、どうすれば戦争を停止させることができるかについて考えている。その中で彼は多くの興味深いアイデアを開発した。彼にとって、理想的な国家憲法は共和制であり、これはよく機能する現代の民主主義にほぼ相当するものだ。そして彼の考えは、人々が条約によって結ばれる国家連合がなければならないというものだ。第2次世界大戦後までかかったが、現欧州連合(EU)はまさに戦争を防ぐ同盟だ。そして、カントが許すべき唯一の戦争は、侵略戦争に対する防衛だ。誰もがこの戒めを遵守すれば、戦争はなくなる。ウクライナに対する侵略戦争は、カントの永遠平和の思想とは正反対だ」と語った。

 ウクライナ戦争勃発以来、ロシアは欧米諸国から制裁を受け、プーチン氏は昨年3月、国際刑事裁判所(ICC)から戦争犯罪人として逮捕状を発布され、著名な予言者からは「今年は死を迎える」と通達された。そして国際カント協会は「平和の哲学」と称される「カントの精神」と一致しないとして、カント生誕300年祭のロシア開催を中止したわけだ。

生誕300年カントの著書に関心高まる

 「戦争を止めさせたいと考える人はイマヌエル・カント(1724〜1804年)の本を読むべきだ。300年前に生まれた哲学者カントの平和哲学は今もなお現代的で、特に世界が最悪の状況にあり、人間の中に極悪なものが現れる時に輝きを放ちます」

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▲独哲学者イマヌエル・カントの肖像画(1768年)ウィキぺディアから

 今年生誕300年を迎えることもあって、プロイセン生まれ(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授だったカント(Immanuel Kant )の著書への関心が高まっている。上記の文章はドイツ週刊誌ツァイト(オンライン、2024年1月6日)に掲載されていた。カントは『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、近代哲学の骨格を築いたドイツ哲学者だ。

 当方はカント哲学の専門家ではないので、生成人工知能(AI)のGPT3・5に「カント哲学の要旨」と、その哲学の「現代における意義」について質問した。以下、その回答だ。

【質問】イマヌエル・カントの哲学の要旨を説明してください。カントは今年、生誕300年を迎えますが、その哲学が現在、戦争が勃発し、人々が閉塞感に陥っている時、非常に意義を持っているというのです。

【回答】イマヌエル・カントの哲学の中心的な概念は、理性と倫理の基盤を探求したことです。彼の最も重要な著作の一つである『純粋理性批判』では、私たちの知識の枠組みや理性の限界について議論しました。カントは、人間の知識は経験から得られるが、その知識を構築するためには、経験を解釈するための「先験的な形式」が必要であると主張しました。また、カントは道徳哲学においても重要な貢献をしました。彼の『純粋理性批判』に続く著作『実践理性批判』では、倫理的な行為の基準としての「カテゴリカル・インペラティブ」(定言命法)という概念を提唱しました。これは、自己を含めた他者に対して普遍的な道徳法則を適用する原則です。カントの哲学は、現代の閉塞感や戦争のような複雑な問題に対しても示唆を与えることがあります。特に、カテゴリカル・インペラティブのような普遍的な道徳原則は、個人や社会が行動する際の基盤となる価値を提供できるかもしれません。カントの哲学は、人々が個人的な価値観や社会的な基盤を見直し、より広い視野で道徳的な判断を下すことを奨励するかもしれません。

【質問】カントが主張した「カテゴリカル・インペラティブ」は人間が生来もっている良心のようなものですか。

【回答】カントの「カテゴリカル・インペラティブ」は、良心や直感とは異なる概念です。カントは、「カテゴリカル・インペラティブ」を合理性に基づく普遍的な道徳法則として捉えています。これは、自己を含めた他者に対して適用されるべき普遍的な道徳的な原則を指します。良心や直感は個々の経験や感情に基づくものであり、人々が個々の状況に応じて異なる判断をすることがあります。一方で、「カテゴリカル・インペラティブ」は普遍的であり、自己を含めたすべての人々に適用される普遍的な道徳法則を提供しようとします。それは人々が合理的に考え、普遍的な原則に基づいて行動することを奨励します。したがって、カントの「カテゴリカル・インペラティブ」は、個人の感情や直感とは異なる、合理的で普遍的な道徳的な原則を指すものです。

【質問】それでは「カテゴリカル・インペラティブ」はどこから起因するのですか。神からですか、それとも人間の理性ですか。カントは性善説者ですか。

【回答】カントの「カテゴリカル・インペラティブ」は、人間の理性から派生するものであり、神から来るものではありません。彼は、倫理的な原則や道徳的な規範は人間の理性によって発見され、理性によって普遍的かつ合理的に根拠づけられると考えていました。カントは性善説者とも性悪説者とも一概には言えません。彼は人間には理性的な可能性があり、道徳的な判断を行う能力を持っていると信じていましたが、同時に人間は情動や欲望に影響されやすく、時には道徳的な原則から逸脱することもあるとも述べています。カントの見解では、人間の理性は普遍的な道徳法則を理解し、それに従うことが可能であり、そのような理性に基づく道徳的な判断が重要だと考えられています。ただし、彼は人間の性質について単純化することなく、理性と感情の複雑な関係性にも着目しています。

【質問】ドイツ週刊誌ツァイトはカントの哲学を平和の哲学と言っていますが、善にも悪にも傾斜する、矛盾する人間の理性の道徳的な判断を普遍的、合理的と評することができますか。

【回答】カントの哲学が「平和の哲学」と呼ばれることは理解できます。彼の道徳理論は普遍的かつ合理的な道徳法則を提唱しましたが、その実際の適用や人間の行動において、善にも悪にも傾斜する状況も考慮しています。カントは人間の理性が普遍的な道徳法則を理解し、それに従う能力を持っていると信じていましたが、同時に人間の感情や欲望がその判断に影響を与えることも認識していました。人間は時には道徳的な原則から逸脱し、自己の利益や欲望に従うこともあります。このような矛盾や傾斜が、道徳的な判断を難しくしたり複雑にしたりすることをカントも理解していました。したがって、カントの理論は人間の理性が普遍的な道徳原則を把握できると同時に、その実際の行動や判断においては時に矛盾や傾斜が生じることも認めています。この複雑な人間の性質を考慮しつつも、普遍的な道徳原則を基盤とした合理的な判断を目指すことが重要だという点で、平和の哲学と言われる理由があるのかもしれません。

【質問】最後に、カントは宗教に対してどのようなスタンスを有していたのですか。

【回答】カントは宗教に対して非常に興味を持ち、その考え方に深い影響を受けました。彼の宗教観は複雑であり、一貫した見解を持っていたわけではありませんでしたが、彼の著作や講義からいくつかの重要な考え方を見ることができます。カントは宗教を道徳的な行動や人間の倫理的な基盤と関連付けました。彼は宗教の真の本質は倫理的な行動との関係にあると信じていました。特に、彼の著作『純粋理性批判』では、宗教的信念や神の存在についての議論があります。カントは宗教体験を重視し、人間が道徳的価値観を確立するために宗教が果たす役割を考察しました。一方で、カントは宗教的信念を純粋な理性から導かれるものとして、信仰を神秘的な領域として捉えることには懐疑的でした(理性宗教)。彼は神の存在や超自然的な事象を理性的に証明することはできないと考え、信仰に基づく宗教的な体験と理性的な考察のバランスを模索しました。そのため、カントは宗教について深い興味を持ち、道徳や倫理におけるその役割を認識していましたが、宗教に対するアプローチは彼の哲学全体の中でも複雑な側面を持っていました。

【質問】カントは反ユダヤ主義者、白人優先主義者という批判の声がありますが、その是非はどうですか。

【回答】カントの考え方や著作の中には、時代背景や文化的な枠組みの影響を受けた側面もあります。彼の一部の発言や文脈から、反ユダヤ主義や白人優先主義的な見解を持っていたと解釈されることがありますが、それらの見解を単純化するのは難しいです。
例えば、カントは一般的な道徳的普遍性や人権の考え方を強調していますが、同時に特定の文化や民族に対する彼独自の見解も持っていた可能性があります。彼の作品の中で、人類の進歩や異なる文化の相互理解の重要性についても議論しています。
ただし、彼の一部の発言や文脈から見える差別的な見解は、現代の視点から見ると問題視されることがあります。時代背景や個々の言葉の解釈は重要ですが、過去の哲学者の考え方を現代の価値観と比較する際には、文脈を含めた包括的な検討が必要です。
カントの思想や著作に対する批判は多岐にわたりますが、その是非を判断するためには彼の全体像を理解し、特定の文脈や言葉の解釈だけでなく、より広範な視点から検討することが重要です。

 以上。

 参考までに、独週刊誌シュピーゲル(2022年10月29日号)に啓蒙的なインタビュー記事が掲載されていた。イスラエルの哲学者オムリ・ベーム氏(現ニューヨーク社会調査ニュー・スクール教授)は新著「Radikaler Universalismus.Jenseits von Identitat」(過激な普遍主義、アイデンティティを越えて)の中で、アイデンティティに代わって、カントが主張した道徳法則について“自身の義務と考える自由を有し、それゆえにわれわれは責任を担っているという普遍主義”を主張している。

 ベーム教授は、「プライベートなアイデンティティを最高の価値に置くのではなく、“わたしたちのアイデンティティ”の世界を越えたところにある法則、われわれは平等に創造された存在であるという絶対的な真理のもとで考えるべきだ。そうなれば、他国を支配したり、植民地化し、奴隷にするといったことはできない」という“過激な普遍主義”を提唱している(「クルド民族を考える」2022年12月26日参考)。

海外は日本の実力を評価している

 欧州ではクリスマスが過ぎると、あとは大晦日にシャンパンを飲み、踊って楽しんだ後、2024年零時を待つ。そして「待っていました」とばかり花火が夜空に一斉に打ち上げられ、その夜景を見ながら新年を迎える。過ぎ去る1年を振り返り、新しい年を迎えるといった哲学的で厳粛な雰囲気はない。近くの神社にお参りして新しい年を迎える日本の大晦日・新年の風習が時には懐かしくなる。

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▲大晦日の花火(2024年1月1日、ウィーンで)

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▲花火が嫌いなメーアーティラ(雌猫)

 若い時は零時の花火を見上げるのも楽しかったが、最近は花火の音が耳に突き刺さってくるので苦痛になってきた。だから、数回の花火を見たら、「今年も花火を見た」と自分を納得させ、窓を閉じて自分の部屋に戻る。

 大晦日の花火は慣例だが、動物たちにとっては苦痛の時だ。花火の音が大きく響いて動物たちには怖いのだ。大きな犬も怖くて部屋の隅にいって身動きせずジッと耐えている。猫も同様だ。飼い主がシルベスターのイベントで家を留守にする場合、独りで飼い主が戻ってくるのを待っている。動物愛護協会は大晦日になると、「動物の近くでは花火を控えてください」と懸命にアピールする。

 戦争が続くウクライナに住むカラスたちは砲弾が近くで炸裂しても、もはや飛び立たなくなった、ということを聞いた。そのニュースを初めて聞いた時、キーウのカラスたちの生命力、適応力に脱帽したものだ。欧州の社会で生きている動物はそうはいかない。最近の花火は音が煩いし、その爆発力はスゴイ。大晦日、毎年、花火の打ち上げによる事故で手などを負傷するケースが報告される。

 「2024年は世界的な激動の年」といった声が予言者だけではなく、政治学者、経済学者からも聞かれる。日本はGDP(国内総生産)でドイツに抜かれて第4位に、1人当たりのGDPではイタリアに抜かれ主要7カ国首脳会議(G7)の中で最下位に落ちる、という専門家の予測を読んだばかりだ。欧州で40年余り過ごしてきた当方は驚くというより、ショックを受けた。

 日本の経済が中国に抜かれた時、人口大国の中国に抜かれるのは仕方がない、と受け取って納得してきたが、現在リセッション(景気後退)下にあるドイツに抜かれ第4位に落ちるという予測はやはりショックだ。「こんな日本に誰がした」といって嘆いても仕方がないが、日の出の勢いで「米国を抜いて世界一になるか」といわれた時代が遠い昔の物語のように感じ出してきた。

 世界での日本の外交プレゼンスは脆弱だが、経済分野ではまだ世界第3位だ、といった誇りはあった。その誇りももはや時間の問題となってきたのだ。もちろん、一国の国力は経済力だけではない。軍事力だけでもない。経済・政治、文化、軍事などを合わせた総合力だ。毎年公表される「世界で一番幸せな国」は米国ではないし、中国でもない。フィンランドやデンマークの北欧諸国が常連だ。

 日本国民は今、どうしたら閉塞感を突破し、再び活気ある社会、国づくりが出来るか真剣に考える時ではないか。ひょっとしたら、海外住まいの当方が知らないだけで既に多くの提案が出てきているのかもしれない。とにかく、日本社会は新しく生まれ変わる気持ちで少子化問題、社会福祉問題などの難問に対応してほしい。

 日本国民は世界にもまれなほど優秀な民族だ、と海外に住んでいると実感する。メイド・イン・ジャパンは欧州でメイド・イン・ジャーマニーに匹敵する高品質のトレードマークだ。当方は日本民族を尊敬する多くの外国人を目撃してきた。日本人は自信をもってほしい。

 国の舵取りは政治家の役割だ。政治家は国の伝統を相続しながら、新しい時代の要請に対応できる柔軟性をもち、党派性、個人的利害を乗り越えて利他的な生き方を見せてほしい。それを支えるパワーは精神力であり、宗教性だ。心と体の統合がなければ、試練がくれば直ぐに倒れてしまう。

 終戦後、国民経済の復興を掲げて日本国民は大奮闘し、成果はあった。その過去の財産を相続しながら、第2次の活性化が求められているのではないか。主権国家として経済力だけではなく、国防力のアップも不可欠だ。課題は多い。2024年は激動の年となるだけに、チャンスの到来ともいえる。日本が世界に多くの幸せを輸出できる国として再び活性化することを願う。

政治家の「本音」は「嘘」より危険

 長期シリーズとなった米TV番組「スーパーナチュラル」(Supernatural)では霊が現れ、人々に本当のことを喋らせる魔法をかける。すると、人々は自身の本音や思いを語り出すから、家庭、会社、社会は大混乱する。人は通常、平気で嘘を言う。相手を騙すために、相手を傷つけないために、「嘘」を言う。内心考えていることや感じていることをズバリいえば、人間関係は険悪化することがある。「嘘」を賛美するつもりはないが、「嘘」にも一定の役割があることは間違いない(「『嘘』を言ってごらん」2020年2月18日参考)。

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▲アンチ・テロ工作について語るエルドアン大統領(2023年12月28日、トルコ大統領府公式サイトから)

 ところで、一国の指導者、政治家が会合相手に対して本音や人物評を語れば、険悪な関係に陥ることにもなる。最悪の場合、外交問題にまで発展する。世界の指導者は結構、記者会見や私的な会合の場で自身の本音や暴言を吐いているのだ。

 政治の世界では、敵対関係の国の政治家と会合する時にも相手に対して一定の礼儀をもって接するし、それなりのプロトコールを守るのが通常だ。その慣習を破って、敵対している国の指導者に対して、ズバリ「本音」を吐けば、まとまる話や商談まで破綻するケースが出てくる。

 最近では、トルコのエルドアン大統領が27日、アンカラでの演説の場で、イスラエルのネタニヤフ首相を「ヒトラーと変わらない」と酷評した。この発言は、イスラエル軍がパレスチナ自治区ガザで砲撃や空爆を繰り返し、多くのパレスチナ人を殺害していることに言及して、飛び出したものだ。ただ、イスラエルの首相を名指しで批判し、ユダヤ人を600万人虐殺したヒトラーと同列視する発言はやはり誤解を生むだろうし、イスラエル側からの強い反発が予想された。実際、ネタニヤフ首相はトルコ大統領の発言が伝わると、「お前(エルドアン大統領)はクルド人(トルコの少数派民族)を虐殺しているではないか」と反論している、といった具合だ。

 エルドアン大統領には本音発言が過去にも結構あった。フランスのマクロン大統領は2020年9月1日、訪問先のレバノンでの記者会見で、「(わが国には)冒涜する権利がある」と強調した。同大統領は、パリの風刺週刊誌シャルリー・エブドがイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載、イスラム過激派テロの襲撃テロを誘発したことに言及し、「フランスには冒涜する権利がある」と弁明したのだ(「人には『冒涜する自由』があるか」2020年9月5日参考)。
https://wien2006.livedoor.blog/archives/52284159.html
 マクロン大統領の発言を受け、エルドアン大統領は同年9月24日、同国中部のカイセリで党支持者を前に、「彼(マクロン大統領)は今、何をしてるのか知っているのだろうか。世界のイスラム教徒を侮辱し、イスラム分離主義として酷評し、イスラム教を迫害している。彼は宗教の自由を理解していない」と指摘し、「彼は精神的治療を受ける必要がある」と罵倒したのだ。

 それに対し、パリの大統領府は、「国家元首に対するエルドアン大統領の発言は絶対に甘受できない。無礼だ。われわれは侮辱を受け入れることができない」と反発し、駐アンカラのフランス大使を帰国させた。

もちろん、本音を吐く政治家はエルドアン氏だけではない。ウクライナのゼレンスキー大統領も今月19日の記者機会見でロシアのプーチン大統領を「病人だ」と吐き出すように語っている。プーチン氏は数多くの戦争犯罪を犯してきている政治家だ。ウクライナ大統領としては受け入れがたい人物だが、「彼は病人だ」という発言はやはりきつい。一般的に見れば、プーチン氏は正常な思考の持ち主ではないことは間違いない。独自の歴史観、世界観を有し、ウクライナをロシア領土と理解している。そして非武装化、非ネオナチ化を掲げてウクライナに侵攻していったわけだが、それをゼレンスキー氏は「プーチン氏は精神的な病にある」と診断したわけだ。理想的には、多くのメディアが書いているように「プーチン氏は自身のナラティブ(物語)に酔いしれている政治家」という表現に留めておくべきだった。相手を病人扱いにすることはその人間の尊厳を傷つけることになる。そのうえ、自身を酷評する相手と同レベルにおいて反論することになるから賢明ではない。

 バイデン米大統領は失言と危言を吐く政治家で有名だ。今年11月15日、中国の習近平国家主席との会談後の記者会談で習近平氏を「独裁者だ」との人物評を追認している。バイデン氏から「独裁者」呼ばわりされた習近平主席としては気分が悪いに違いない。中国外務省は即抗議している。ただ、バイデン氏は「中国は我々の政治形態とは全く異なる共産主義国だ。その国を治めている指導者・習近平氏はやはり独裁者だ」と説明している。バイデン氏らしくない(?)冷静な説明だ。

 政治家が記者会見や私的な場所で本音を語れば、その影響は内容の是非は別として大きな反響が出てくる。インターネット時代に生きる今日、発言内容は本人の意向とは全く別に解釈されて拡散する危険性もある。

 2024年は台湾総統選、ロシア大統領選、欧州議会選、自民党総裁選、米大統領選など重要な選挙日程が続く。それだけに、世界は政治家の発言に注目する、その時、政治家が「本音」を語れば、大きな波紋が出てくる事態も予想される。政治の世界では「本音」は「嘘」より危険だからだ。

「誤解された人々」への一考

 フョ―ドル・ドストエフスキーの「虐げられた人々」を昔読んで感動したことがあるが、歳を重ねるうちに、「誤解された人々」について関心が行くようになった。確かに、世の中には、その本意が相手に伝わらないために「誤解された人々」がいる。

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▲クリスマスシーズンを迎え、賑わうウィーン市内の商店街風景(2023年12月9日、撮影)

 「虐げられた人々」はその出自、経済力などによって、より強い立場の人から迫害を受けたり、過小評価されたりするが、「誤解された人々」は自身の考えを正しく表現できないという事情が多い。現代風にいえば、情報発信力の欠如、ないしは不十分、という事情が考えられる。

 「虐げられた人々」の場合、その運命の多くは相手の手に委ねられているが、「誤解される人々」の場合、誤解というサークルから脱出するために自力でその輪をクリアして、「理解される人々」に変身できるチャンスはある。その意味で、後者は自力救済の道があるわけだ。「誤解された人々」で最悪の道は自己憐憫の虜になって、「自分はいつも正しく評価されない」といった嘆きを連発することだ。

 「誤解された人々」といえば、やはり2000年前のイエスの生涯を思い出す。イエスは33歳の生涯で、はたして他者から正しく理解されたことがあっただろうか。家族でも母親マリアからイエスは正しく理解されただろうか。母親マリアに対し、「私の母とは、誰のことですか」(マタイによる福音書13章)と問い返している箇所がある。そのマリアを聖母の地位まで引き上げたのは、マリア自身の言動からではなく、その後の教会側の決定だったのだ。

 「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」( ルカによる福音書9章57〜58節)とイエスは嘆いたことがある。イエスの教えが当時の指導者たちに受け入れられていたら、そのようなことはなかっただろう。イエスは最終的には「悪魔の頭ベルゼブル」と酷評され、十字架の道を行かざるを得なかった。その意味で、イエスは「誤解された人」の人生を最後まで歩んだわけだ。

 ところで、イエスの誤解の人生はそれで終わらなかった。イエスにとって「誤解」は復活後も続いている。今度は「悪魔の頭」ではなく、「救い主」のイエスは人類の救済のために十字架の道を選んだというふうに、イエスの33歳の生涯が受け取られ出したのだ。
 イエスは33歳ではなく、もっと長く生き、神の御心を果たしたかったのではないだろうか。婚姻して家庭も築きたかったはずだ、というふうに理解されることはなかった。イエスは神の子として33歳でその生涯を終えるようにプログラミングされていたというのだ。イエスは生きていた時だけではなく、死後も誤解され続けている。イエスは「誤解された人」の代表ともいえるわけだ。

 イエスの場合、誤解の主因は情報の発信力ではない。イエスはエルサレムに上京して神のみ言葉を当時の指導者に熱心に伝えている。それでもその誤解は解かれることがなかった。イエスの場合、通常の人間が誤解されるケースとはもちろん違った状況がある。イエスの教えが当時の社会のそれとは整合せずに、拮抗していた。換言すれば、イエスは革命家のように受けとられたために、当時の社会の権力者たちはイエスを警戒し出したわけだ。中傷、誹謗もあって、イエスは社会を混乱させる人間だと誤解された。そのため、イエスの残された道は十字架しかなくなったわけだ。好んで十字架の道を選んだのではない。俗にいうと、十字架の道はイエスにとってプランBだったわけだ。

 「誤解されている人々」は、自身の本意を誤解している人に正しく伝える努力が必要だろう。ただ、それで「誤解」が解ければいいが、一層深刻な状況に陥るケースもある。人生を長く歩んでいると、そのような体験をする人が多いはずだ。

 私たちはイエスではない。「誤解」の結果、十字架の道を歩むことはない。誤解による被害を最小限度に抑制しながら、自己憐憫、犠牲者メンタリテ―の虜になることなく、誤解を創造的な人生を模索する上のエネルギー源として利用していくべきだろう。

 人を理解することは容易ではない。誤解されている人はひょっとしたら相手を誤解していないか自己チェックが必要だろう。相手を理解していこうと努力することで、自分への誤解を少しでもなくしていくべきだ。相手を理解した分、自分への誤解も少なくなるからだ。
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