ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

雑感

世界各地で不穏な動きが多発する時

 ここにきて世界各地で不穏な動きというか、紛争や政変が多発してきている。ひょっとしたら、「世界の歯車が狂い出しているのではないか」といった漠然とした不安すら感じてきた。

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▲陸軍2024年国際軍事技術フォーラムの開会式で演説するプーチン大統領(2024年8月12日、クレムリン公式サイトから)

 「昔もそのような時代があったよ。特別なことではない」と慰めてくれる人がいるかもしれない。当方は45年余り欧州に住んできて、バルカン半島でボスニア・ヘルツェゴビア紛争、コソボ紛争を身近に目撃してきたが、それらの民族紛争は限定された地域で発生し、その原因も明らかだった。しかし、世界各地で紛争と戦争が同時進行している現代のような状況はなかっただろう。

 当方が感じ出した時代の閉塞感は突然襲ってきたというより、ロシア軍がウクライナに侵攻して以来、じわじわと世界各地に広がってきたと思う。それに先駆け、中国武漢から新型コロナウイルスが発生し、あっという間にパンデミックとなった。これまで約700万人が感染して亡くなった。その後遺症は今でも続いている。ポスト・コロナという言葉も聞かれ出したが、新型コロナウイルスの発祥地の中国側がコロナウイルスに関連する過去のデータを機密にしていることもあって、コロナウイルスへの脅威はまだ完全には終焉していない(「張永振氏の研究室立入禁止の理由は?」2024年5月2日参考)。

 一方、ロシアのウクライナ戦争を契機に、世界各地で戦争が拡散し、多くの死者が出てきた。そして火の粉は中東に飛び、パレスチナ自治区ガザを2007年から実質支配するイスラム過激派テロ組織「ハマス」がイスラエル領に侵入し、1200人のユダヤ人を殺害、250人以上を人質に拉致するテロ事件が起きた。そしてイスラエルとハマスのガザ紛争、そしてレバノンの民間武装組織ヒズボラが紛争に関与して、戦場が拡大していった。ハマスとヒズボラに軍事支援してきたイランもイスラエルに軍事攻撃をするなど、中東の紛争の火は鎮火するどころか、拡散してきた。シリアで反体制派過激派組織「シャーム解放委員会」がシリアの第2の都市アレッポを再占領し、アサド政権打倒に乗り出してきた。アサド政権はロシアとイランの支援を要請して苦境を乗り越えようとしている。

 2024年は「選挙のスーパー年」だったこともあって、欧州でも欧州議会選、総選挙が次々と実施された。当方が担当する地域だけでもブルガリアやルーマニアで大統領選と議会選が行われたが、選挙後の政情はその前より不安定を増してきている。ジョージア(前グルジア)では過去1週間、欧州連合(EU)への加盟を支持する国民による抗議デモが続いている。フランスでは内閣不信任が可決されたことで政情は混とん。「欧州の盟主」ドイツでは3党連立政権のショルツ政権が崩壊し、来年2月23にに早期総選挙の実施が決まったばかりだ。欧州では右派傾向が進み、欧州議会選でも極右勢力が勢力を伸ばした。ドイツでは極右「ドイツのために選択肢」(AfD)が伸び、オーストリアでは「自由党」が9月末の議会選でついに第1党に躍進したばかりだ。

 それだけではない。欧州ではギリシャなどを除くと、いずれも国民経済が厳しく、欧州経済の原動力となるべきドイツ経済はリセッションから立ち直れずに苦労している。特に、輸出大国ドイツのカギを握ってきた自動車産業が中国市場の停滞、電気自動車(EV)への切り替えが遅れたこともあって、収益を大きく失った。フォルクスワーゲン社は工場閉鎖、生産一部停止まで追い込まれている、といった状況だ(「大変動期に突入した独自動車産業界」2024年11月4日参考)。

 世界の政治、経済の行方を握る米大統領選ではトランプ氏が再選された。再選後、トランプ氏は‘アメリカ・ファースト’を実行に移し、米国に入る輸入品に対して特別関税をつけるなど、保護貿易指向を強めている。来年1月20日のトランプ氏の就任式を前に、第2期トランプ政権への対応のため世界は躍起となっている。

 そのような中、韓国で3日、尹大統領が突然戒厳令を布告したが、その6時間後、戒厳令の撤回といったドタバタ劇を演じ、韓国のイメージを傷つけたばかりだ。韓国の6時間戒厳令のニュースを聞いて、当方は「韓国、お前もか」といった嘆きが飛び出してきた。

 世界はグローバリゼーションの到来を歓迎したが、グローバリゼーションは一部の国や地域で経済成長を促進させたが、その恩恵は不均等に分配されている。特に、先進国と発展途上国、都市部と農村部、グローバル企業の利益と労働者の賃金の格差が広がっている。富裕層がグローバリゼーションの恩恵を大きく享受する一方、低所得層や一部の国々はその利益をあまり享受していないため、社会的・経済的不平等が拡大している。この不平等が各国での政治的不安やポピュリズム、反グローバリゼーション運動を引き起こし、国際協力や自由貿易体制への不信感が強まっている。また、情報技術の発展は、グローバリゼーションを加速させたが、同時に「デジタルデバイド」(技術格差)を拡大させている、いった具合だ。

 グローバリゼーションがもたらす多文化主義や国際協力に対する反発として、ナショナリズムやポピュリズムが多くの国で勢いを増してきた。こうした動きは、自国第一主義や国境の強化、移民政策の厳格化につながり、国際協力の妨げとなっている面がある。また、グローバリゼーションは、文化の均質化や西洋的価値観の普及をもたらし、多くの地域でローカルな文化やアイデンティティが脅かされている、という批判がある(文化的なアイデンティの危機)。

 だからといって、目を閉じ、耳を塞ぎ、コンピューターやスマートフォンのスイッチを切っては生きていけない。世界のグッド・ニュースだけを受信できるアプリを開発すればいいが、誰がニュースを鑑定し、発信するか、といった別の問題が出てくる。共産政権下での情報の管理、検閲が如何に非人間的かを既に体験済みだ。

 イエスは2000年前、イチジクの木を例に挙げて、「イチジクの木からこの譬(たとえ)を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる」(「マタイによる福音書」第24章)と語り、時の訪れを知れと諭したが、インターネットで結ばれている現代ならば、世界で何が起きているかは一目瞭然だ。問題はどうしたら時代の閉塞感を乗り越えることができるかだ。

「気候変動と精神疾患」の不気味な関係   

 オーストリア精神医学・精神療法・心身医学会(OGPP)は21日、気候変動が健康システム、特に精神的健康にとってますます大きな課題となっていると発表した。新しい科学的データによると、気温が1度上昇するごとに精神疾患のリスクが0.9%増加する可能性があるという。また、暑さにより攻撃性が増加することも実証されている。オーストリア日刊紙スタンダート電子版が同日、報じた。

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▲フランス作家アルベール・カミュ(ウィキぺディアから)

 発表内容によると、気候変動は環境だけでなく、身体的および精神的健康にも直接的な脅威をもたらす。現在観測されている極端な気象現象は、うつ病、不安障害、トラウマ後遺障害などの精神疾患の増加と関連しており、気温の上昇とともに自殺者数も増加している。

 最近の科学的データは、気温の上昇が精神科治療の需要を高めることを裏付けているわけだ。熱波は精神疾患による病院入院を最大10%増加させ、医療システムにさらなる負担をかけているというのだ。

 OGPPの会長であるマーティン・アイグナー氏とクリスティアン・コーベル氏は、「精神疾患を持つ人々は特に脆弱なグループであり、したがって気候変動の影響を強く受けやすい。このことは、将来の精神科ケアの計画や開発において考慮されるべきだ。我々には、特に精神的健康を保護するための対策を含む熱波対策計画が必要だ」と強調した。

 この記事を読んでフランスのアルベール・カミュの小説「異邦人」の主人公ムルソーの殺人事件を思い出した。彼は自身の犯行動機について「暑さや太陽の影響によって引き起こされた」と暗示しているのだ。オーストリア精神医学・精神療法・心身医学会(OGPP)が指摘した「気温の上昇が精神的健康に悪影響を及ぼし、攻撃性を増加させる」という研究結果と一致するのだ。

 アルベール・カミュ(1913〜1960年)の小説「異邦人」は、20世紀の文学において極めて重要な作品であり、実存主義や不条理主義の代表的な作品とされている。この小説は、主人公ムルソーの非情で冷淡な態度や、社会の慣習や道徳に対する無関心さを通じて、人生の不条理と人間の孤独を描き出している、と評されてきた。

 ところで、ムルソーがアラブ人を殺害した動機を説明する場面は、非常に象徴的だ。彼は、自分の行動に合理的な理由を見出そうとせず、外部の環境や偶然の出来事に動機を求める。これは、カミュが「不条理」という概念を探求する上での重要な要素であり、人間が世界の中で感じる疎外感や孤独感を象徴しているといわれる。

 ムルソーは犯行動機について質問された際、「太陽のせいだ」と言ったわけではないが、彼が太陽の影響を受けてアラブ人を撃ったことが強調されている。科学的データは、暑さが攻撃性を増加させることを示しているが、このメカニズムはムルソーの行動にも反映されている。彼が太陽の強烈な光の下で殺人を犯す場面は、暑さによって感覚が鈍くなり、正常な判断力を失った結果として解釈できる。

 ムルソーは、アラブ人を撃つ前に、太陽が彼の額に汗をにじませ、目を痛めつけ、耐え難い暑さと眩しさの中で感覚が麻痺していく様子を語っている。そして、彼は引き金を引く衝動を説明する際に、太陽の照りつけが決定的な役割を果たしたことを示しているのだ。

 気温の上昇が精神疾患のリスクを高め、攻撃性を増加させる可能性があるというOGPPの科学的データは、ムルソーの行動の背景にある心理的メカニズムを現実の文脈で裏付けている。極端な暑さが精神状態に与える影響について、カミュの文学的描写と現代の医学的研究は共通の見解を示しているわけだ。

 「異邦人」における太陽は、ムルソーにとって外的な圧力や疎外感の象徴であるが、同時に現実の気温上昇による精神的圧迫とも解釈できる。太陽が彼の理性を奪い、感情を麻痺させたように、現代の科学は極端な暑さが理性を超える攻撃性を誘発することを実証してきているのだ。

 ムルソーだけではない。欧州では理由なき殺人事件や殺傷事件が増えてきている。路上で突然ナイフを振り回し、多くの人々を襲撃するという事件がドイツでもオーストリアでも起きている。ウィーン市10区当局は外出時のナイフ携帯禁止を決定している。異常気象は無数のムルソーを生み出してきている。気候変動と「精神疾患と犯罪の増加」は不気味な関係を見せてきている。

モーセと「神の娘(バト・ヤー)」の話

 キリスト教最大の祝日「復活祭」(イースター)が終わった。1日は聖月曜日だったので、オーストリアなどカトリック教国では休日だった。そこで前評判の高かった3部構成のネットフリックスのシリーズ「神と交わした約束: モーセの物語」をストリーミングポータルで観た。3月27日から観ることが出来る。


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▲ネットフリックス「神と交わした約束: モーセの物語」でモーセ役を演じるアヴィ・アズライ氏(ネットフリックスから Kath.ch)

 エジプトから神の約束の地カナンに向かってモーセが60万人のイスラエル人を率いて「出エジプト」するスケールの大きい物語はこれまでも何度も映画化されてきた。当方も昔、名優チャールトン・ヘストン主演の映画「十戒」を観たことがある。

 ネットリックスのシリーズは「神と交わした約束: モーセの物語」というタイトルが付き、第1部「預言者」、第2部「災い」、第3部「約束の地」の3部作から構成、各1時間半程度だ。テキストパネルを使って、各エピソードでは神学者や歴史家が登場し、モーセの物語についてその見解を語るから、モーセの人柄やその歴史的背景がより理解できるようになっている。

 第1部「預言者」では、イスラエル人がエジプトに定住し、約400年間にわたって奴隷生活を強いられてきた。その当時、エジプトのファラオは国内でユダヤ人が強くなりすぎることを恐れ、ヘブライの新生児を殺すよう命じた 。モーセの母親は生まれたばかりの息子を生かすために籠に入れてナイル川に流す。ファラオの娘がそれを見つけ、赤ん坊を王宮で育てる。モーセはエジプトの王子として成長するが、奴隷のユダヤ人がエジプト人によって虐待されているのを目撃し、エジプト人を殺す。その結果、王宮から追放される。シナイ山を通って逃亡し、ミデヤンの地で定着した。そしてミデヤンの祭司の娘チッポラと結婚し、子供もできた。ホレブ山に登ったモーセの前に神が現れ、エジプトに戻って自分の民を解放し、約束の地に導けと語りかける。神は「私は、アブラハム、イサク、ヤコブの神であり、有って有る者」と言う。

 第2部「災い」では、モーセは神の命を受けてエジプトに戻り、ファラオにイスラエルの神に供え物を捧げるためにイスラエルの民を解放してほしいと頼む。ファラオはそれを拒否するが、その度にエジプト全土に災いが起きる。映画ではイスラエルの神のパワーに恐れを抱くシーンがうまく描かれている。ファラオは「イスラエルの神の言いなりになれば、自分の神とそれによって築かれたエジプト全土の王国は崩壊してしまう」と言い、さらに頑なになっていく。

 第3部では、ファラオから解放されたイスラエルの民を率いて約束の地カナンに出発する。途中、水がない、食べ物がないと嘆くイスラエル人を説得しながらモーセはカナンの地を目指す。神はモーセに「十戒」を与える。そしてマナを降らせてイスラエルの民に食糧を与えるなどをして、神の業を見せる。聖書ではカナンを目の前にしながらモーセは死に、後継者ヨシュアが民を率いてカナンに入る。

 モーセはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3大唯一神教で預言者、解放者として崇拝されている唯一無二の存在だ。映画では主なプロットは、旧約聖書のヒーローの生涯を時系列で描いており、イスラエルの俳優アヴィ・アズライ(Avi Azulay)がモーセ役を演じている。

 「神と交わした約束: モーセの物語」の中で興味深かった話は、ファラオの娘Bithiaだ。Bat Yahと言われた。Yahはヘブライ語で神を意味することから、Bithia姫は「神の娘」という意味だ。ヘブライ聖書の准教授であるヘブライ・カレッジのラビ、レイチェル・アデルマン氏は「聖書解釈(ミドラーシュ)ではファラオの娘は、神によって『神の娘』として養子にされたという。バト・ヤー、ヘブライ語の『神の娘』を意味する。彼女以外に『神の娘』という呼称を持つ人はなく、その名前は唯一無二だ」という。

 Bithiaは妊娠したが、流産した、悲しみからナイル川で死のうとしていた時、赤ん坊の泣き声を聞く。流れてきた籠を引き上げると、そこには男の子の赤ん坊がいた。Bithia姫はその赤ん坊の自分の子として王宮で育てることにする。モーセはヘブライ語ではMosheで、「水から引き上げた」という意味がある。モーセが逃亡から王宮に戻った時、彼女はモーセを抱擁する。モーセが神の命でイスラエル人をカナンに導かなければならないことを知って驚くが、ファラオとモーセの間にあって何とか両者を和解させようとする。解放者モーセの背後に、神の娘(バト・ヤー)の存在があったわけだ。

 モーセがカナンの地を目の前にしたが、入ることが出来ないことを嘆くと、妻チッポラは「子供たちが約束の地に入るだろう」と答え、3部作は終わる。

若者の“ミッドライフ・クライシス”

 欧州社会は“アブラハム文化”だ。アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信仰の祖だ。イスラム教では3月11日から5行の一つ「ラマダン」(断食の月)が始まっている。キリスト教では明日31日は復活祭(イースター)だ。十字架で亡くなったイエスが3日後に復活したことを祝うキリスト教最大の祝日だ(東方教会は5月5日が復活祭)。

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▲日本庭園があるウィーンの世田谷公園(2024年3月16日撮影)

 今年はイスラエルとイスラム過激派テロ組織ハマスの間で戦闘が続き、ロシアとウクライナの間の戦争は3年目に入った。世界は激動の時を迎えている。ユダヤ教徒、イスラム教徒、そしてキリスト者にとっても試練の時だ。

 ところで、今月20日は「世界幸福デー」だった。それに合わせて慣例の国連「年次世界幸福度報告書」(調査期間2021年〜23年、143カ国を対象)が発表されたばかりだ。同報告書を担当した専門家の1人は「西側諸国では過去、若者が最も満足しており、主観的幸福度は成人初期に減少し、中年以降に再び大幅に増加するというものだったが、今回発表された報告書は、この『U字カーブ』が当てはまらず、場合によっては若者の幸福度が低下している」と指摘し、「若者がミッドライフ・クライシス(中年の危機)のような状況を経験している」と述べていた。

 その原因について、ソーシャルメディア利用の増加、所得格差、住宅危機、戦争や気候変動への懸念が若者の幸福度に影響を与えている可能性があるというのだ。未来に対する不安がソーシャルネットワークで増幅され、若者が希望を失っていく。

 ローマ・カトリック教会の前教皇ベネディクト16世は2011年、「若者たちの間にニヒリズムが広がっている」と指摘した。欧州社会では無神論と有神論の世界観の対立、不可知論の台頭の時代は過ぎ、全てに価値を見いだせないニヒリズムが若者たちを捉えていくという警鐘だ。簡単にいえば、価値喪失の社会が生まれてくるというのだ(「“ニヒリズム”の台頭」2011年11月9日参考)。

 人は価値ある目標、言動を追及する。そこに価値があると判断すれば、少々の困難も乗り越えていこうとする意欲、闘争心が湧いてくるものだ。逆に、価値がないと分かれば、それに挑戦する力が湧いてこない、無気力状態に陥る。同16世によると、「今後、如何なる言動、目標、思想にも価値を感じなくなった無気力の若者たちが生まれてくる」というのだ。

 フョードル・ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のカラマーゾフ家の次男イワンは「神がいなければ全てが許される」という。一方、ロシアの首都モスクワのコンサート会場を襲撃し、140人以上を殺害したイスラム過激派テロ組織「イスラム国」(IS)の戦闘士はアラーの神が唯一の「神」と考え、異教の神を信じる人間を殺害していく。イワンの世界とISテロリストの世界は全く異なっているが、両者とも自身の行動の正当化を「神」に置いている。

 イワンの世界は神、道徳、倫理などを失い、自己中心の欲望を制限する手段のない社会の恐ろしさを物語る一方、イスラム過激派テロリストの場合、神を信じている者が「自分の信仰こそ唯一正しい」と独善的、排他的に考え、その狭い宗教の世界に生きている人間の怖さを示しているといえるだろう。

 少し古くなったが、興味深い話を紹介する。独連邦議会の野党「左翼党」幹部のグレゴール・ギジ氏(Gregor Gysi)はZDFのマルクス・ランツ司会の娯楽番組に出演し、そこで、「自分は神の存在を信じていないが、神なき社会を恐れている。キリスト教会が主張するような価値観で構築された世界が全く存在しない世界に恐怖を感じるのだ。資本主義も社会主義もその恐怖心を取り除くことができるものを有していないからだ」という趣旨の話をしたことがある。

 ギジ氏(76)は1989年に東ドイツの支配政党であったドイツ社会主義統一党が改組して結成された民主社会党の初代議長に就任し、東西両ドイツの再統合後も左翼党をリードしてきた政治家だ。典型的な無神論者だが、その無神論者が神なき社会の台頭に一種の懸念を有しているのだ。

 無神論者はイワンのように「神がいなければ全てが許される」と考えても不思議ではないが、実際、神のない社会が台頭すると、「そのやりきれなさに耐えられなくなる」という声が彼らの口から飛び出してくるのだ。教会が生き生きしていた時、無神論者も多分、積極的に神を攻撃できたが、教会が勢いを失い、信者が脱会する時、無神論者は勝利の歌を歌うのではなく、教会の行く末、神の行く末に懸念し、神なき社会の台頭にひょっとしたら教会関係者以上に心配し出しているのだ。

 イエスはパリサイ人のニコデモというユダヤ人の指導者に「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることができない」(「ヨハネによる福音書第3章1節〜3節)と語った。新しく生まれ変わるためには、古い自分は一度は死ななければならない。そして古い自分を捨てることは誰にとっても容易ではないのだ。

バイデン米大統領の「マインドパレス」

 脳内で記憶を管理する場所は海馬と呼ばれる。2014年のノーベル生理学・医学賞に英ロンドン大のジョン・オキーフ教授、ノルウェー科学技術大のマイブリット・モーザーとエドバルド・モーザー夫妻の3人の脳神経学者が受賞したが、3氏は「場所細胞」と呼ばれる機能を有する脳内の海馬について研究し、記憶の仕組みを解明したことが授賞理由だった。

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▲超党派の上院国家安全保障協定に関して話すバイデン米大統領(2024年02月04日、ホワイトハウス公式サイトから)

 なぜ突然、海馬の話をするかというと、バイデン米大統領が過去に会談した政治家の名前が出てこなくなったり、最近では長男の亡くなった年月を忘れてしまうという状況がメディアで報じられ、世界最強国・米国大統領の海馬について懸念しているからだ。81歳と高齢だから、時には忘れることはある。しかし、バイデン氏は米大統領だ。そして今年11月の大統領選で再選を願っている人物だ。その海馬が正常に機能しないとすれば、バイデン氏個人の問題ではなく、世界の問題といわざるを得ないのだ。

 当方は脳神経学者でないから、音楽の都ウィーンからワシントンのバイデン氏の海馬の状況について遠距離診察をする考えはないが、やはり心配だ。世界は2024年に入り、多くの予言者が語っていたように、戦争、紛争、混乱、天災、人災が起きてきている。その時、米大統領の海馬がうまく機能せず、紛争解決や調停工作で支障が生じたらどうするのか。大統領選でバイデン氏が勝利しようが、トランプ氏(77)がホワイトハウスにカムバックしようが、両者は高齢者だ。トランプ氏の海馬は今のところ大きな支障がないみたいだが、決して大丈夫だとは断言できない。米国の政界には健全な海馬をもつ若い政治家はいないのか、とついつい呟きたくなる。

 当方はコナン・ドイルの名探偵シャーロック・ホームズとアガサ・クリスティ(1890〜1976年)の名探偵小説の主人公エルキュール・ポワロが大好きだ。彼らに共通していることは記憶力が抜群だという点だ。シャーロック・ホームズは「マインドパレス」(記憶の宮殿)という言葉をよく表現するし、ポワロは「小さな灰色の脳細胞」という言葉が口癖となっている。

 シャーロックは初めて会った人物のプロフィールをその外観や言動から素早く読み解く。彼は頭の中で事実を整理し、過去の情報を引き出しながらプロフィールを構築していく。その観察力はすごい。彼が「マインドパレス」を訪れている時、周囲に静かにするように求める。集中力が妨げられるからだ。シャーロックの記憶宮殿は脳内の海馬だろう。それも異常に発達した海馬ではないか。ポワロの場合も「小さな灰色の脳細胞」は海馬のことだろう。

 興味深い点は、超記憶力の持ち主がテレビや映画の犯罪シリーズで頻繁に登場することだ。例えば、米テレビ番組「クリミナル・マインド」のFBI行動分析課捜査官の1人、スペンサー・リード博士は先天的映像記憶力の持ち主で、1度読んだ書物の内容を忘れない。ニューヨークの大手法律事務所の世界を描いて人気を博した米TV番組「スーツ」では主人公の1人、青年マイク・ロスは六法全書を丸暗記している。最近では、犯罪サスペンス「アンフォゲッタブル」の女刑事キャリー・ウェルズもその1人だ。1度見た人間、風景を決して忘れないという超記憶力の持ち主だ。

 現代は記憶力のいい人を「頭のいい人」と評し、逆に記憶力の悪い人は「あの人は頭が悪い」というレッテルが貼られる世界だ。その意味で情報が氾濫している現代でバイデン氏が指導者の役割を果たすことは大変だ。同情に価する。日本最大の言論プラットフォーム「アゴラ」の主宰、池田信夫氏は「バイデン氏は裸の王様だ」と評している。米民主党は迅速にバイデン氏に「あなたのマインドパレスはもはや正常に機能していない」と告げて、彼の代わりの候補者を探すべきだというわけだ。

 外遊先でバイデン大統領が外国元首と会談する際、その傍にはブリンケン米国務長官が心配そうな顔をしながら、大統領の言動を追っている姿をニュース番組で見ることが多い。マクロン大統領をミッテラン大統領(1996年死去)と間違えたり、メルケル首相をコール首相(2017年死去)と間違ったりする話を聞く度にバイデン氏の海馬が正常に機能していないことを感じる。

 ところで、マクロン氏をミッテランと間違えた場合を考えたい。「マクロン」も「ミッテラン」も「M」から始まる名前だ。バイデン氏の海馬には無数の記憶の棚があって、それらがアルファベット順に整理されているとすれば、バイデン氏は海馬の中で国別では「フランス」を選んだ後は「M」から始まる棚を開けたまでは良かったが、「マクロン」という記憶の傍にあった「ミッテラン」を引き出してしまったのだ。メルケル首相をコール首相と間違えた場合、ドイツの政治家に関する記憶が保管されている棚から引き出すまでは良かったが、情報がアルファベット順に整理されていなかったので、「コール」という名前を選んでしまったのではないか。

 バイデン氏は「マインドパレス」の無数の記憶の棚からカテゴリーを先ず選別し、そこからサーチしている情報を引き出す作業プロセスに支障があるのではないか。例えば、バイデン氏が日本の岸田文雄首相に言及しようとした時、パレスの個人名のアルファベットの「K」を開けばいいが、国別の棚から「K」を探せば、韓国という国名が先ず目に入る。その結果、バイデン氏の口から「韓国の岸田首相は」といった話が飛び出す。笑い事では済まない。

 参考までに、最近は公聴会や聴聞を受けた政治家が「記憶はありません」と発言し、責任や追及を逃れるケースが見られる。記憶を司る「海馬」をもてあそぶようなことは慎むべきだろう。

「口から出るものが人を汚す」時代

 新約聖書「マタイによる福音書」第15章には、「口に入るものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚す。口に入ってくるものは、みな腹の中に入り、そして、外に出て行くことを知らないのか。しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、これらのものが人を汚すのである」というイエスの聖句が記述されている。 

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▲ウィーンのカールス教会の夕景(2024年1月23日、撮影)

 現代人は日々の3回の食事メニューに心を配り、健康への影響について関心を寄せてきている。同時に、女性への蔑視や憎悪感情を刺激する用語を使用しないといった傾向が見られ出している。米国ではその傾向が行き過ぎた面もあるが、口から出る言葉に対して人々は慎重になってきている。

 すなわち、前者は「口に入るもの」に対して、後者は「口から出るもの」に対して、人々の認識と内省は進んできているわけだ。その意味で、イエスの上記の聖句に対し、十分とはいえないが、人類の歴史は少しは前進してきている。ちなみに、歴史的発展は最初は外的な世界(口に入るもの)に展開され、その後、内的な世界(口から出てくるもの)へと広がっていく。時には、時間差がある場合もあるし、同時期に生じることもある。

 ここでは、後者の「口から出てくるもの」について少し考えてみたい。オーストリアのローマ・カトリック教会の最高指導者シェーンボルン枢機卿は「言葉の残虐性」という表現で、最近、われわれは思いやりを忘れて相手を批判することに専心していることに懸念を表明していた。 

 口から出てくる言葉はある時は武器以上に相手を傷つける。昔受けた言葉を忘れることが出来ず、生涯、その言葉を脳裏の中で繰り返しながら生きている人がいる。ナイフで刺された場合、時間の経過と共に癒されるが、言葉はそれが残虐的な内容であればあるほど、忘れることが難しく、心の深いところに留まっている。心ない言葉はナイフ以上に人を傷つける残虐性がある。

 「言葉」の影響の大きさには驚かさせる。新約聖書「ヨハネによる福音書」の最初の書き出しを思い出す。「初めに言があった。すべてのものは、これによってできた」という有名な聖句だ。言葉は人を幸せにすると共に、人を殺すこともできる。言葉もデュアル・ユースだ。

 ここにきて言葉の混乱が見られる。例えば、ジェンダーフリー運動は歴史的に軽視されてきた「女性の権利」の回復に貢献したが、同時に、ロゴスの破壊を生み出してきている。なぜならば、男性、女性といった性別に拘る一方、その性差を明確にする言葉、表現、その内容に対しては激しく拒絶反応を示しているからだ(「初めにジェンダーがあったのか?」2021年5月10日参考)。

 IT技術が進み、言葉から成る多くの情報が氾濫している。そして多くの人がそれを共有できる時代に生きている。それは人類にとって至福の時といえるが、同時に、それをコントロールできない場合、殺人や淫乱や憎悪が拡散する世界になってしまう。

 IT時代のシンボルでもある米メタ(旧フェイスブック)のザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)は先月31日、SNSでの子どもの性的虐待への規制を巡る上院司法委員会の公聴会で、被害者やその家族に陳謝した。そのシーンをニュースで見て、フェイスブックやインスタグラムなどで配信される無数の情報、画像が未成年者に大きな被害を与えている現実が改めて浮かび上がってくる。

 21世紀に生きる私たちは分岐点に立たされている。科学技術の急速な発展で人間を取り巻く生活環境は改善され、通信技術の発展で世界中の人々が相互理解を深めることができる時代圏にいる。しかし、多くの人々は幸せではなく、苦悩している。それは単に経済的な理由からだけではない。私たちの「口から出てくる」言葉や感情表現が誤解を生みだし、カオスを生じさせているからだ。ロゴスは本来の意味を失い、フェイクニュースがまかり通っている。私たちは再度、「口に入れるもの」への注意だけではなく、「口から出るもの」への再考の時をもつべきではないか。

人類に残された未開発の「97%の世界」

 いつ、どこで、誰から聞いたのかは思い出せないが、通常の人間は自身に備わっている能力の3%しか使用できず生涯を終えるという。すなわち、脳細胞に含まれた生来の能力の97%は再び土に返るというのだ。それを聞いた時、当方は「ほー、まだ97%の脳細胞は未使用というわけか」と考え、「(学校で成績不振に悩まされていた劣等生の)僕にもまだチャンスはある」と、漠然とだが希望を感じて嬉しくなったことを思い出す。当方の人生は自身の中に埋没するといわれる97%の脳細胞の発掘に汗を流してきたわけだ。まさに、金塊探しの採掘業者のような人生だ。

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▲宇宙を覆う暗黒物質(NASA公式サイトから)

 英国の推理作家アガサ・クリスティ(1890〜1976年)の探偵小説の主人公の元ベルギー警察署長のエルキュール・ポワロは「小さな灰色の脳細胞」を駆使して難解な事件を次々と解決していく。ポワロは20世紀初期時代の主人公だったから多分、「灰色の脳細胞」を3%だけ駆使している自分という認識はなかっただろう。ポワロが当時、自身の中には97%の灰色の脳細胞がまだ未使用のままになっていることを理解していたならどのように感じただろうか。

 ところで、慣例となっている世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)が15日から開幕した。世界から政治家、経済学者、実業家、ジャーナリストなどが一同に集まって世界的な諸問題について意見の交換をする国際会議だ。今年のダボス会議のテーマの一つには人工知能(AI)の未来がある。マイクロソフトのトップ経営者やAI開発専門家たちがその最新の開発現場からの情報を披露していた。「人類とAI」の問題は最新テーマだ。

 オーストリアの日刊紙スタンダードは17日、AIが人間の脳神経網を完全にマスターしたならば、何が生じるかといった非常に刺激的な問題を提示していた。人間の精神生活、創造性が脳神経細胞から起因するとすれば、そのネットワークを完全に解析し、再現できれば、AIは第2の人類ということになるかもしれない。

 そのAIの近未来像について、大きく分ければ、AIの進歩を制御しなければ危険だという説と、AIを規制しながら共存できるという説が考えられる。欧州連合(EU)は昨年12月9日、世界で初めてAI規制の枠組みで合意した。欧州委員会のフォン・デア・ライエン委員長は、「AI規制法(AIAct)は世界初のもので、信頼できるAI開発のための独自の法的枠組み」と、その意義を説明している。AI規制法は欧州市場に投入され、使用されるAIシステムの安全性、基本的権利と民主主義の尊重を遵守しつつ、欧州のAI企業の成長を促進していくことが狙いだ。

 世界的ベストセラー「サピエンス全史」の著者、イスラエルの歴史家、ユヴァル・ノア・ハラリ氏(Yuval Noah Harari)は独週刊誌シュピーゲルとのインタビューの中で、「人類(ホモ・サピエンス)は現在も進化中で将来、科学技術の飛躍的な発展によって“神のような”存在『ホモ・デウス』(Homo Deus)に進化していく」と考えている。同氏の未来像は明るいか、というとそうとも言えないのだ。時代の潮流に乗れる一部の人間(少数派)とそれに乗り切れない落ちこぼれの無用の人類(多数派)が出てくると考えているからだ。

 参考までに、ローマ教皇フランシスコは昨年12月14日、AIについて「人工知能の利用を悪魔化すべきではない、技術の進歩について議論するときは、人工知能が人間の尊厳にどのような影響を与えるか、また平和構築にどのように貢献できるのかという観点から論議する必要がある」と述べている。

 2024年が始まった。ロシアとウクライナ戦争は長期化し、イスラエル・ガザ紛争も依然、停戦の見通しがない。イエメンの親イラン武装組織フーシ派の紅海での船舶攻撃は世界経済に影響を与え、イランとパキスタンの間で険悪な動きが見え出した。北朝鮮の独裁者金正恩総書記は核戦争も辞さない強硬姿勢を見せ、韓国を「主敵」として軍事的に威嚇してきた。台湾総統選挙で与党・民主進歩党(民進党)の頼清徳氏が当選したことを受け、中国共産党政権の台湾の武力統一への動きが一層懸念されてきた。世界の最大軍事国・米国は今年11月、大統領選挙を控え、世界で新たな戦争や台湾海峡での有事の際、それに対応できる余裕があるかは不確かだ、等々、世界各地から発信される戦争・紛争情報が日々、氾濫している。このような情報環境圏に生きている私たちはおのずと憂鬱になってしまう。ベネディクト16世が警告していたように、最悪のケースは人類はニヒリストで溢れてしまうのではないか。

 しかし、現在の世界情勢は人類の脳細胞が3%しか使用されていない結果とすれば、人類にはまだ希望がある。人類には依然97%の“金鉱”が埋蔵しているからだ。ただし、人類は楽観的になるにはまだ早すぎるだろう。その埋蔵した97%の脳細胞を如何に覚醒させ、実際の人類の発展に役立たせるか、という課題があるからだ。

 シンプルに表現すれば、人間は程度の差こそあれ良い思い(善)と悪い思い(悪)という矛盾した性向を抱えている。その人間が作る創造物はそれを反映して、同じようにデュアル・ユース的存在となる。AIの未来も同様だろう。「善いAI」と「悪いAI」の登場だ。人間の矛盾する性向がどこから起因するか、その原因について解明しない限り、人類の発展はあり得ないし、戦争・紛争も解決できない。残された97%の可能性を駆使して、未解決問題の解明に全力を投入しなければならない。

 ちなみに、宇宙物理学者は「宇宙は暗黒物質で覆われている。宇宙の起源についてわれわれはこれまで数%しか分かっていない」と語っている。

プーチン氏と「カント300年生誕祭」

 ロシアのプーチン大統領がウクライナに軍を侵攻させてから来月24日でまる2年目を迎える。短期間でキーウを制圧できると考えていたプーチン氏の予想に反し、ウクライナ軍との戦いは長期化してきた。戦争はロシアにとってもウクライナにとっても大きな人的、経済的損失をもたらしている。

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▲ロシア正教会のクリスマスを祝うプーチン大統領(2024年01月07日、クレムリン公式サイトから)

 ところで、このコラム欄でも紹介したが、近代哲学の基礎を築いたイマヌエル・カント(1724〜1804年)は今年4月22日、生誕300年を迎えるが、世界各地でそれを祝う国際会議、シンポジウムが開催される予定だ。カントは300年前、プロシア(現ドイツ)のケーニヒスベルク市に生まれたが、同市は現在はロシア領土でカリーニングラードと呼ばれ、リトアニアとポーランドに挟まれたロシアの半飛び地だ。

 プーチン大統領がウクライナ侵攻を始める前はカリーニングラードで2024年のカント生誕300年の記念会議を開催する予定だったが、ウクライナ戦争が勃発したことでロシア開催は難しくなった。何よりも「平和の哲学」と呼ばれるカント生誕祭をロシアで開くことはどうみても不都合というわけだ。

 プーチン氏はウクライナに軍侵攻した理由として、「キーウ政府の非武装化、非ナチ化を実現するためだ」と強調してきた。プーチン氏の精神的支え、ロシア正教会の最高指導者キリル1世はウクライナ戦争勃発後、プーチン大統領のウクライナ戦争を「形而上学的な闘争」と位置づけ、ロシア側を「善」、退廃文化の欧米側を「悪」とし、「善の悪への戦い」と解説してきた。同時に、キリル1世はウクライナとロシアが教会法に基づいて連携していると主張し、キーウは“エルサレム”だといい、「ロシア正教会はそこから誕生したのだから、その歴史的、精神的繋がりを捨て去ることはできない」と主張してきた。

 プーチン大統領がウクライナに軍侵攻を命令した時、世界はロシアが侵略者(加害者)であり、ウクライナはその軍事行動の犠牲者だと素早く判断した。一方、加害者側のプーチン大統領は昨年5月9日、モスクワの赤の広場で開かれた第78回対独戦勝記念日の演説で、「わが国は犠牲国だ。西側がわが国を脅かしたからだ。国民は結束して祖国を守らなければならない」と檄を飛ばした。プーチン氏の加害者と犠牲者の区別は世界のそれとは180度違うことが改めて明らかになった(「プーチン氏の『ナラティブ』の終焉?」2023年5月11日参考)。

 国際カント協会の理事を務めるウィーン大学の哲学者ヴィオレッタ・ワイベル氏は1月4日のオーストリア国営放送とのインタビューの中で、「記念会議は当初、4月にカリーニングラードで開催される予定だった。実際、そこでも300生誕祭が開かれるだろうが、それは国際カント協会が主催するものではない。ロシアのウクライナ攻撃方法はカントの精神に反していることが明確になった。だから国際カント協会は2024年の記念大会を別の場所、つまりボンで開催することを決定した」と説明している。

 なぜロシアのウクライナ戦争がカントの精神に反するかについて、ワイベル氏は、「カントは1795年の著作『永遠の平和について』の中で、戦争が繰り返される理由と、どうすれば戦争を停止させることができるかについて考えている。その中で彼は多くの興味深いアイデアを開発した。彼にとって、理想的な国家憲法は共和制であり、これはよく機能する現代の民主主義にほぼ相当するものだ。そして彼の考えは、人々が条約によって結ばれる国家連合がなければならないというものだ。第2次世界大戦後までかかったが、現欧州連合(EU)はまさに戦争を防ぐ同盟だ。そして、カントが許すべき唯一の戦争は、侵略戦争に対する防衛だ。誰もがこの戒めを遵守すれば、戦争はなくなる。ウクライナに対する侵略戦争は、カントの永遠平和の思想とは正反対だ」と語った。

 ウクライナ戦争勃発以来、ロシアは欧米諸国から制裁を受け、プーチン氏は昨年3月、国際刑事裁判所(ICC)から戦争犯罪人として逮捕状を発布され、著名な予言者からは「今年は死を迎える」と通達された。そして国際カント協会は「平和の哲学」と称される「カントの精神」と一致しないとして、カント生誕300年祭のロシア開催を中止したわけだ。

生誕300年カントの著書に関心高まる

 「戦争を止めさせたいと考える人はイマヌエル・カント(1724〜1804年)の本を読むべきだ。300年前に生まれた哲学者カントの平和哲学は今もなお現代的で、特に世界が最悪の状況にあり、人間の中に極悪なものが現れる時に輝きを放ちます」

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▲独哲学者イマヌエル・カントの肖像画(1768年)ウィキぺディアから

 今年生誕300年を迎えることもあって、プロイセン生まれ(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授だったカント(Immanuel Kant )の著書への関心が高まっている。上記の文章はドイツ週刊誌ツァイト(オンライン、2024年1月6日)に掲載されていた。カントは『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、近代哲学の骨格を築いたドイツ哲学者だ。

 当方はカント哲学の専門家ではないので、生成人工知能(AI)のGPT3・5に「カント哲学の要旨」と、その哲学の「現代における意義」について質問した。以下、その回答だ。

【質問】イマヌエル・カントの哲学の要旨を説明してください。カントは今年、生誕300年を迎えますが、その哲学が現在、戦争が勃発し、人々が閉塞感に陥っている時、非常に意義を持っているというのです。

【回答】イマヌエル・カントの哲学の中心的な概念は、理性と倫理の基盤を探求したことです。彼の最も重要な著作の一つである『純粋理性批判』では、私たちの知識の枠組みや理性の限界について議論しました。カントは、人間の知識は経験から得られるが、その知識を構築するためには、経験を解釈するための「先験的な形式」が必要であると主張しました。また、カントは道徳哲学においても重要な貢献をしました。彼の『純粋理性批判』に続く著作『実践理性批判』では、倫理的な行為の基準としての「カテゴリカル・インペラティブ」(定言命法)という概念を提唱しました。これは、自己を含めた他者に対して普遍的な道徳法則を適用する原則です。カントの哲学は、現代の閉塞感や戦争のような複雑な問題に対しても示唆を与えることがあります。特に、カテゴリカル・インペラティブのような普遍的な道徳原則は、個人や社会が行動する際の基盤となる価値を提供できるかもしれません。カントの哲学は、人々が個人的な価値観や社会的な基盤を見直し、より広い視野で道徳的な判断を下すことを奨励するかもしれません。

【質問】カントが主張した「カテゴリカル・インペラティブ」は人間が生来もっている良心のようなものですか。

【回答】カントの「カテゴリカル・インペラティブ」は、良心や直感とは異なる概念です。カントは、「カテゴリカル・インペラティブ」を合理性に基づく普遍的な道徳法則として捉えています。これは、自己を含めた他者に対して適用されるべき普遍的な道徳的な原則を指します。良心や直感は個々の経験や感情に基づくものであり、人々が個々の状況に応じて異なる判断をすることがあります。一方で、「カテゴリカル・インペラティブ」は普遍的であり、自己を含めたすべての人々に適用される普遍的な道徳法則を提供しようとします。それは人々が合理的に考え、普遍的な原則に基づいて行動することを奨励します。したがって、カントの「カテゴリカル・インペラティブ」は、個人の感情や直感とは異なる、合理的で普遍的な道徳的な原則を指すものです。

【質問】それでは「カテゴリカル・インペラティブ」はどこから起因するのですか。神からですか、それとも人間の理性ですか。カントは性善説者ですか。

【回答】カントの「カテゴリカル・インペラティブ」は、人間の理性から派生するものであり、神から来るものではありません。彼は、倫理的な原則や道徳的な規範は人間の理性によって発見され、理性によって普遍的かつ合理的に根拠づけられると考えていました。カントは性善説者とも性悪説者とも一概には言えません。彼は人間には理性的な可能性があり、道徳的な判断を行う能力を持っていると信じていましたが、同時に人間は情動や欲望に影響されやすく、時には道徳的な原則から逸脱することもあるとも述べています。カントの見解では、人間の理性は普遍的な道徳法則を理解し、それに従うことが可能であり、そのような理性に基づく道徳的な判断が重要だと考えられています。ただし、彼は人間の性質について単純化することなく、理性と感情の複雑な関係性にも着目しています。

【質問】ドイツ週刊誌ツァイトはカントの哲学を平和の哲学と言っていますが、善にも悪にも傾斜する、矛盾する人間の理性の道徳的な判断を普遍的、合理的と評することができますか。

【回答】カントの哲学が「平和の哲学」と呼ばれることは理解できます。彼の道徳理論は普遍的かつ合理的な道徳法則を提唱しましたが、その実際の適用や人間の行動において、善にも悪にも傾斜する状況も考慮しています。カントは人間の理性が普遍的な道徳法則を理解し、それに従う能力を持っていると信じていましたが、同時に人間の感情や欲望がその判断に影響を与えることも認識していました。人間は時には道徳的な原則から逸脱し、自己の利益や欲望に従うこともあります。このような矛盾や傾斜が、道徳的な判断を難しくしたり複雑にしたりすることをカントも理解していました。したがって、カントの理論は人間の理性が普遍的な道徳原則を把握できると同時に、その実際の行動や判断においては時に矛盾や傾斜が生じることも認めています。この複雑な人間の性質を考慮しつつも、普遍的な道徳原則を基盤とした合理的な判断を目指すことが重要だという点で、平和の哲学と言われる理由があるのかもしれません。

【質問】最後に、カントは宗教に対してどのようなスタンスを有していたのですか。

【回答】カントは宗教に対して非常に興味を持ち、その考え方に深い影響を受けました。彼の宗教観は複雑であり、一貫した見解を持っていたわけではありませんでしたが、彼の著作や講義からいくつかの重要な考え方を見ることができます。カントは宗教を道徳的な行動や人間の倫理的な基盤と関連付けました。彼は宗教の真の本質は倫理的な行動との関係にあると信じていました。特に、彼の著作『純粋理性批判』では、宗教的信念や神の存在についての議論があります。カントは宗教体験を重視し、人間が道徳的価値観を確立するために宗教が果たす役割を考察しました。一方で、カントは宗教的信念を純粋な理性から導かれるものとして、信仰を神秘的な領域として捉えることには懐疑的でした(理性宗教)。彼は神の存在や超自然的な事象を理性的に証明することはできないと考え、信仰に基づく宗教的な体験と理性的な考察のバランスを模索しました。そのため、カントは宗教について深い興味を持ち、道徳や倫理におけるその役割を認識していましたが、宗教に対するアプローチは彼の哲学全体の中でも複雑な側面を持っていました。

【質問】カントは反ユダヤ主義者、白人優先主義者という批判の声がありますが、その是非はどうですか。

【回答】カントの考え方や著作の中には、時代背景や文化的な枠組みの影響を受けた側面もあります。彼の一部の発言や文脈から、反ユダヤ主義や白人優先主義的な見解を持っていたと解釈されることがありますが、それらの見解を単純化するのは難しいです。
例えば、カントは一般的な道徳的普遍性や人権の考え方を強調していますが、同時に特定の文化や民族に対する彼独自の見解も持っていた可能性があります。彼の作品の中で、人類の進歩や異なる文化の相互理解の重要性についても議論しています。
ただし、彼の一部の発言や文脈から見える差別的な見解は、現代の視点から見ると問題視されることがあります。時代背景や個々の言葉の解釈は重要ですが、過去の哲学者の考え方を現代の価値観と比較する際には、文脈を含めた包括的な検討が必要です。
カントの思想や著作に対する批判は多岐にわたりますが、その是非を判断するためには彼の全体像を理解し、特定の文脈や言葉の解釈だけでなく、より広範な視点から検討することが重要です。

 以上。

 参考までに、独週刊誌シュピーゲル(2022年10月29日号)に啓蒙的なインタビュー記事が掲載されていた。イスラエルの哲学者オムリ・ベーム氏(現ニューヨーク社会調査ニュー・スクール教授)は新著「Radikaler Universalismus.Jenseits von Identitat」(過激な普遍主義、アイデンティティを越えて)の中で、アイデンティティに代わって、カントが主張した道徳法則について“自身の義務と考える自由を有し、それゆえにわれわれは責任を担っているという普遍主義”を主張している。

 ベーム教授は、「プライベートなアイデンティティを最高の価値に置くのではなく、“わたしたちのアイデンティティ”の世界を越えたところにある法則、われわれは平等に創造された存在であるという絶対的な真理のもとで考えるべきだ。そうなれば、他国を支配したり、植民地化し、奴隷にするといったことはできない」という“過激な普遍主義”を提唱している(「クルド民族を考える」2022年12月26日参考)。

海外は日本の実力を評価している

 欧州ではクリスマスが過ぎると、あとは大晦日にシャンパンを飲み、踊って楽しんだ後、2024年零時を待つ。そして「待っていました」とばかり花火が夜空に一斉に打ち上げられ、その夜景を見ながら新年を迎える。過ぎ去る1年を振り返り、新しい年を迎えるといった哲学的で厳粛な雰囲気はない。近くの神社にお参りして新しい年を迎える日本の大晦日・新年の風習が時には懐かしくなる。

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▲大晦日の花火(2024年1月1日、ウィーンで)

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▲花火が嫌いなメーアーティラ(雌猫)

 若い時は零時の花火を見上げるのも楽しかったが、最近は花火の音が耳に突き刺さってくるので苦痛になってきた。だから、数回の花火を見たら、「今年も花火を見た」と自分を納得させ、窓を閉じて自分の部屋に戻る。

 大晦日の花火は慣例だが、動物たちにとっては苦痛の時だ。花火の音が大きく響いて動物たちには怖いのだ。大きな犬も怖くて部屋の隅にいって身動きせずジッと耐えている。猫も同様だ。飼い主がシルベスターのイベントで家を留守にする場合、独りで飼い主が戻ってくるのを待っている。動物愛護協会は大晦日になると、「動物の近くでは花火を控えてください」と懸命にアピールする。

 戦争が続くウクライナに住むカラスたちは砲弾が近くで炸裂しても、もはや飛び立たなくなった、ということを聞いた。そのニュースを初めて聞いた時、キーウのカラスたちの生命力、適応力に脱帽したものだ。欧州の社会で生きている動物はそうはいかない。最近の花火は音が煩いし、その爆発力はスゴイ。大晦日、毎年、花火の打ち上げによる事故で手などを負傷するケースが報告される。

 「2024年は世界的な激動の年」といった声が予言者だけではなく、政治学者、経済学者からも聞かれる。日本はGDP(国内総生産)でドイツに抜かれて第4位に、1人当たりのGDPではイタリアに抜かれ主要7カ国首脳会議(G7)の中で最下位に落ちる、という専門家の予測を読んだばかりだ。欧州で40年余り過ごしてきた当方は驚くというより、ショックを受けた。

 日本の経済が中国に抜かれた時、人口大国の中国に抜かれるのは仕方がない、と受け取って納得してきたが、現在リセッション(景気後退)下にあるドイツに抜かれ第4位に落ちるという予測はやはりショックだ。「こんな日本に誰がした」といって嘆いても仕方がないが、日の出の勢いで「米国を抜いて世界一になるか」といわれた時代が遠い昔の物語のように感じ出してきた。

 世界での日本の外交プレゼンスは脆弱だが、経済分野ではまだ世界第3位だ、といった誇りはあった。その誇りももはや時間の問題となってきたのだ。もちろん、一国の国力は経済力だけではない。軍事力だけでもない。経済・政治、文化、軍事などを合わせた総合力だ。毎年公表される「世界で一番幸せな国」は米国ではないし、中国でもない。フィンランドやデンマークの北欧諸国が常連だ。

 日本国民は今、どうしたら閉塞感を突破し、再び活気ある社会、国づくりが出来るか真剣に考える時ではないか。ひょっとしたら、海外住まいの当方が知らないだけで既に多くの提案が出てきているのかもしれない。とにかく、日本社会は新しく生まれ変わる気持ちで少子化問題、社会福祉問題などの難問に対応してほしい。

 日本国民は世界にもまれなほど優秀な民族だ、と海外に住んでいると実感する。メイド・イン・ジャパンは欧州でメイド・イン・ジャーマニーに匹敵する高品質のトレードマークだ。当方は日本民族を尊敬する多くの外国人を目撃してきた。日本人は自信をもってほしい。

 国の舵取りは政治家の役割だ。政治家は国の伝統を相続しながら、新しい時代の要請に対応できる柔軟性をもち、党派性、個人的利害を乗り越えて利他的な生き方を見せてほしい。それを支えるパワーは精神力であり、宗教性だ。心と体の統合がなければ、試練がくれば直ぐに倒れてしまう。

 終戦後、国民経済の復興を掲げて日本国民は大奮闘し、成果はあった。その過去の財産を相続しながら、第2次の活性化が求められているのではないか。主権国家として経済力だけではなく、国防力のアップも不可欠だ。課題は多い。2024年は激動の年となるだけに、チャンスの到来ともいえる。日本が世界に多くの幸せを輸出できる国として再び活性化することを願う。
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