ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

ウクライナ

「ウクライナ和平会議」は成功したか

 国際会議の場合、会議が成功か否かは参加者数、国数で測られるとすれば、92カ国、そのうち57カ国から大統領・首相級が出席したとすれば、その会議は規模からみて成功したといえるだろう。会議が紛争間の和平をテーマとしている場合、会議を開催すること自体が難しい。その意味でスイス中部ビュルゲンシュトックで15日から2日間の日程で開催された「ウクライナ和平サミット会議」は成功したといえるだろう。

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▲「ウクライナ和平サミット会議」のホスト、ゼレンスキー大統領とスイスのアムヘルト大統領(2024年6月15日、ウクライナ大統領府公式サイトから)

 和平会議のスイス開催案は、世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)でウクライナのゼレンスキー大統領が要請したことがきっかけだ。会議は中立国スイスとウクライナ政府が共催する形で開催された。

 スイスの和平会議は「和平への会議」であって、「和平会議」ではないと、インスブルック大学政治学者でロシア問題の専門家マンゴット教授が言っていたが、その通りだろう。まず、紛争当事国のロシアが参加していない以上、和平解決を議論することはできない。ゼレンスキー大統領自身が「スイスの和平会議はロシアに国際社会の団結を示すシンボル的な意味合いがある」と述べていたのは頷ける。

 和平会議の議題からもそのことが理解できる。原子力発電所の安全(ザポリージャ原発)、食糧の安全供給の保証、捕虜・囚人の交換などだ。ロシア軍のウクライナ占領地の領土問題やロシアの賠償問題などホットなテーマは議題ではない。その背景について、ゼレンスキー大統領は当初から「出来る限り数多くの参加国を招きたい」という趣旨があったからだという。ロシア軍の占領地の扱いをテーマとすれば、その是非で立場が分かれる。ロシアの意向を気にして会議に参加できなくなる国も出てくるからだ。実際、ロシアに武器関連物質を供与している中国は欠席し、インドやブラジルは次官級、大使級の派遣でお茶を濁していた。

 スイスの和平会議開催直前、ロシアのプーチン大統領は自身の和平案を発表している。曰く、.Εライナはロシアが占領した4地域を断念し、そこから軍を撤退させる、▲Εライナは北大西洋条約機構(NATO)の加盟を諦める、キーウ政府に親ロシア政権を発足させる、といった内容だ。プーチン氏自身、このような和平案をウクライナが受け入れるとは考えていないだろう。すなわち、ロシアはウクライナとの間で和平を実現する意図がないことを端的に明らかにしたわけだ。

 一方、ゼレンスキー氏は2022年10月に提示した10項目の「平和の公式」(Peace Formula)で、ウクライナの主権尊重、ロシアの占領地の返還を明記している。プーチン大統領は絶対に受け容れない内容だ。すなわち、ロシアもウクライナも今、交渉のテーブルに着いたとしてもそのスタートポジションは180度違い、妥協の余地がないのだ。ゼレンスキー氏は15日、ロシアの軍侵攻を「犯罪」と糾弾しているし、プーチン大統領をこれまで何度も「テロリスト」「戦争犯罪人」と非難してきた(「ゼレンスキー氏の愛する『平和の公式』」2023年12月15日参考)

 国際法から見るならば、主権国ウクライナに軍侵攻したロシアは明らかに加害者であり、ウクライナは被害国だ。しかし、公平の旗、正義の旗を振ったとしても、プーチン氏は自身のナラティブを放棄しないだろうし、ロシアを支持している中国共産党政権もモスクワ支援を止めないだろう。グローバルサウスは政治的、経済的思惑もあって態度を明確にせず、ロシアとウクライナの間を泳いでいるだけだ。

 イタリア南部プーリア州の先進7カ国首脳会議(G7サミット)、ブリュッセルのNATO国防相会議、ベルリンのウクライナ復興会議、そしてスイスの「和平サミット会議」と国際級の会議が続けて開催された。夏季休暇をエンジョイするために宿題に取り組む学生のように、参加国はウクライナへの継続的な支援で結束し、ウクライナ領に侵攻したロシアを批判した。

 目を戦場に移すると、ロシア軍のウクライナ南部・東部の攻勢は続いている。一方、ウクライナ軍は欧米諸国からの武器もようやく届き、武器不足を少し解消する見通しだ。そのうえ、米国や独仏英は供給した武器をロシア占領地への攻撃に使用することを承認した。しかし、ゼレンスキー大統領が主張する占領地の解放までにはほど遠い。

 マンゴット教授は「ロシアはあと2、3年は戦争できる力を有している。一方、ウクライナはどうか。ウクライナ軍は前線をキープできるが、もはや攻勢は期待できない。欧米諸国のウクライナ支援はあと何年続くだろうか。ウクライナ軍の兵士不足はどうなるのか」と指摘している。国際法は公平と正義をウクライナ側に認めているが、戦場では依然、ロシア側が攻勢に出、停戦の可能性は現時点では少ない。

 和平会議の会議場、ホテル「ビュルゲンシュトック・リゾート」からルシェルン湖が見える。美しい湖を書割とする会議場のテーブルには、中国外務省が2023年2月24日、ウェブサイトで掲載した12項目の和平案、ゼレンスキー氏がG7首脳に提唱した10項目から成る「平和の公式」、そしてプーチン氏の停戦案が、それぞれ相手の和平案を威嚇するように並べられている。

 スイスでの「和平サミット会議」は、ウクライナ国民が失った平穏な日々を取り戻すためにはまだ長い道のりがあることを示した会議でもあった。

ウクライナ和平サミット会議の行方

 スイスで今月15日、16日の2日間、「ウクライナ和平サミット会議」がルツェルン湖を望むホテル「ビュルゲンシュトック・リゾート」で開催される。サミット会議の開催地はスイスが誇る最高級のリゾート地だが、ウクライナ和平会議の成功に懐疑的な声が開催日が近づくにつれて大きくなってきた。

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▲ストックホルムで開催された第3回ウクライナ・北欧首脳会議サミットに参加したゼレンスキー大統領(2024年5月31日、ウクライナ大統領府公式サイトから)

 和平会議のスイス開催案は、世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)でウクライナのゼレンスキー大統領が要請したことがきっかけだ。会議は中立国スイスとウクライナ政府が共催する形で開催されるが、戦争の侵略国ロシアが招待されていないばかりか、ゼレンスキー大統領が期待していた中国も「ロシアの参加がない和平会議には意味がない」として参加を見送る意向を明らかにしたばかりだ。

 中国外務省の毛寧報道官は先月31日、「会談の性質は中国の要求や国際社会の期待を満たしていないため、中国の参加は困難だ。和平会議にはすべての当事者による平等な参加と、すべての和平計画に関する公正な議論が含まれるべきだ。そうでなければ、会議が平和を回復する上で実質的な役割を果たすことは困難になるだろう」と述べている。要するに、紛争当事国の一国、ロシアが欠席した和平会議では本当の解決は期待できないというわけだ。

 ロシアのプーチン大統領は先月16日に訪中し、習近平国家主席と首脳会談を行い、そこでスイス開催の和平会議には参加しないでほしいと強く要請してきたが、その甲斐があったわけだ。中国側はウクライナ戦争ではこれまで中立の立場を装ってきた経緯がある。中国が「会議に参加する」と決めたならば、ロシアとの関係が一挙に悪化することが予想されただけに、中国側は欠席以外の他の選択肢はなかったのが実情かもしれない。欧米の情報機関は、中国がロシアに武器などの軍事物質を支援していると指摘している。

 ちなみに、中国外務省は2023年2月24日、ウェブサイトで12項目の和平案を掲載し、両国に紛争の「政治的解決」を求めている。「和平案」という言葉は響きがいいが、実際は中国共産党政権の思想と合致している内容を「和平」という言葉でカムフラージェしているだけだ。和平案第12項目では、「一方的な制裁と圧力は問題を解決できず、新しい問題を生み出すだけだ」と明記している(「中国発『ウクライナ和平案』12項目」2023年2月25日参考)。

 クレムリンのドミトリー・ペスコフ報道官は、「中国は当初から、ロシアの参加なしではこのような首脳会談は無益だと警告してきた。ロシアなしでの平和の模索はまったく非論理的で、無意味で、時間の無駄だ」と主張した。

 ゼレンスキー大統領はスイスのサミット会議で、ロシア抜きで米国バイデン大統領、中国の習近平国家主席の参加のもと、ウクライナ側の和平案の支持を勝ち取り、プーチン大統領に圧力を行使するという青写真があったはずだ。開催前からサミット会議の成功が揺れ出してきた感はするが、「中国の欠席」はサプライズではない。

 ゼレンスキー大統領はここにきて欧米諸国だけではなく、ロシアの友好国にも接近し、ウクライナの立場に理解を得るための外交に力を入れ出している。サウジアラビアを訪問し、シンガポールで開催されたアジア安全保障会議にも参加し、キーウの和平への意向を伝えるなど、アラブ・イスラム国の支持を募っている。

 プーチン大統領は、キーウ政府と西側諸国がウクライナ東部での領土獲得を認めることを条件に、交渉する用意があることを呼びかけてきた。ロシアは2014年にクリミア半島を併合し、ウクライナの東部と南部の4地域を不法に占領している。

 一方、ゼレンスキー氏は2022年10月11日、主要7カ国先進諸国(G7)の首脳に対し、10項目から成る「平和の公式」を提唱し、クリミアを含むすべての占領地からのロシア軍の即時撤退などを要求している(「ゼレンスキー氏が愛する『平和の公式』」2023年12月15日参考)。ロシアとウクライナの和平交渉へのスタートポジションはまったく異なっているわけだ。

 ウクライナを取り巻く状況は厳しい。ロシア軍はウクライナで攻勢をかけ、武器と兵力不足のウクライナ軍は守勢に回されている。ウクライナ側の強い要請を受け、米国や英、仏、独はここにきて、「ウクライナに供与した武器をロシア領土内の軍事施設への攻撃に使用してもいい」とその姿勢をチェンジしたばかりだ。

 なお、サミット会議前に実施される欧州議会選挙(6月6日〜9日)ではウクライナ支援に懐疑的な極右政党がその勢力を伸ばすことが予想されている。そして今年11月5日に実施される米大統領選挙がある。「もしトラ」となった場合、ウクライナの最大援助国米国からの武器支援が途絶える可能性も考えられる。

 開催国スイスのメディアは「スイス政府がサミット会議開催を提案したことは国際的な評判を維持するための崇高な努力ではあるが、失敗に終わる可能性が高まっている」と、悲観的に報じ出してきた。

黒海の真珠・オデッサ市が危ない!

 ウクライナの首都キーウからオーストリアの首都ウィーンまで直線距離は約1050キロしかない。ロシア軍が2022年2月、ウクライナに侵攻して以来、オーストリアにも数万人のウクライナ避難民、主に女性と子供が逃げてきた。

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▲オデッサのシンボル、リシュリュー公爵の像をロシア軍の攻撃から守る市民たち(2022年3月当時)=オデッサ当局の公式サイトから

 ウクライナ避難民はオーストリアでドイツ語を学びながら、生活費を稼ぐためにさまざまな職業についてきた。ロシア軍の攻撃がウクライナ東部に限定されていた時、ウィーンに避難していた若い女性が「私は故郷に戻る」と決意し、出身地のオデッサに戻っていった。当時、オデッサやリヴィウはまだ戦争の影響は少なく、域内避難民も集まってきていた。ロシア軍のミサイルが飛んでくる恐れは少なかった。オデッサに戻ったウクライナ女性は「オデッサは大丈夫だ」という判断と、「故郷に置いてきた両親に再会したい」という思いが重なって、ウィーンからウクライナに戻っていったわけだ。戦争中だが、望郷の念が強いウクライナ人は少なくない。

 そのオデッサが現在、ロシア軍によって激しい攻撃を受けている。

 インスブルック大学政治学者のロシア専門家マンゴット教授は1日、ドイツ民間ニュース専門局ntvとのインタビューの中で、ロシア軍が先月29日、ウクライナ南部オデッサでクラスター弾を使用したと指摘、クラスター弾が落下した広い範囲で爆薬が散布された可能性があり、市民にとって危険な状況だと述べていた。

 クラスター弾は「ストロイミュニション(Streumunition)」とも呼ばれ、爆撃機から投下されるか、ハウビッツ砲、砲兵砲、ロケットランチャーからのロケットとして発射される。高い爆発力と柔軟な使用方法により、さまざまな目標を攻撃することができる。クラスター弾の不発率は最大45%と非常に高いため、周辺の住民にとって極めて危険だ。そのため、クラスター爆弾は国際的に非人道的な兵器とされている。クラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)は2010年8月1日に発効、2023年3月1日の段階で加盟国は111カ国だ。ただし、米国、ロシア、ウクライナはオスロ条約に加盟していない。

 クラスター弾を使用しているのはロシア軍だけではない。バイデン米政府も昨年、ウクライナにクラスター弾を供与しているし、ウクライナ軍も使用している。バイデン政権は当時、「兵力不足をカバーし、守勢にあるウクライナ軍を支援するためにはクラスター弾の供与しかなかった」と説明している。

 ちなみに、北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長は、「クラスター弾はロシア軍もウクライナ軍も使用してきた。違いはロシア軍は侵略のためにそれを利用し、ウクライナ軍は主権を守るために使ってきた点だ」と説明している。いずれにしても、クラスター弾でウクライナの土壌は既に汚染されている。

 地元メディアの報道によると、オデッサ市の港で1日、ロケット弾の着弾により大規模な火災が発生した。報道の一つによると、運送会社ノワ・ポシュタの倉庫が被害を受けたという。これまでのところ、少なくとも13人が負傷している。ノワ・ポシュタは、同社の選別センターの1つに弾道ミサイルが着弾したと発表した。従業員に怪我はなかった。

 オデッサ市がロシア軍の攻撃ターゲットとなってきた。オデッサはウクライナ第3番目の都市であり、戦争勃発前までの人口は100万人。同国最大の湾岸を有し、穀物の主要輸出港だ。また同国を代表する工業都市であると共に、リゾート地、文学都市としても知られている。「黒海の真珠」とも呼ばれてきた。

 ちなみに、オデッサ市には、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)前は米ニューヨーク、ポーランドのワルシャワに次いで世界3番目に大きいユダヤ人コミュニティーがあった。同市だけで当時、40以上のシナゴーグがあったという(「オデッサのユダヤ人たちの『話』」2022年3月15日参考)。

 ところで、米国務省は1日(現地時間)、ロシアがウクライナで化学兵器を使用したと非難した。それによると、ロシアは化学兵器禁止条約に違反してウクライナ戦争で刺激性ガスCSを使用したという。ロシアは軍事用化学兵器をもはや保有していないと宣言してきた。

 ロシア軍は米国のウクライナへの軍事支援が届く前に、ウクライナへ大攻勢をかけてきている。米シンクタンクの戦争研究所(ISW)は、「ウクライナが米国の支援が前線に到着するのを待っている間、ロシアは今後数週間で明らかな戦術的利益を得るだろう」と分析している。ロシア国防省は先月28日、ドネツク地域の小さな町、ノヴォバフムティウカを占領したという。

 戦争が長期化し、兵力の消耗が激しくなると、戦場にクラスター弾や化学兵器など非人道的な武器が投入されるケースが出てくる。2011年から始まったシリア内戦ではロシア軍はアレッポを兵器の実験場としてさまざまな武器を投入した。その結果、シリア第2の都市で世界最古の都市の一つだったアレッポは完全に破壊された。ロシア軍は今、黒海の真珠のオデッサを第2のマリウポリ市(ウクライナ南部)のように破壊するために攻勢をかけてきている。

米国の軍事支援で解決しない兵力不足

 バイデン米大統領は今月24日、ウクライナ支援法案に署名した。これを受け、米国は約610億ドル規模のウクライ支援に乗り出す。ロイター通信によると、第一弾として約10億ドルの兵器供給として、車両、対空ミサイル「スティンガー」、高機動ロケット砲システム向けの追加弾薬、155ミリ砲弾、対戦車ミサイル「TOW」および「ジャベリン」などが既に承認されたという。
 ウクライナへの最大の支援国・米国は議会内の共和党の強い反対もあってウクライナ支援法案は下院、上院での可決が遅れてきた経緯がある。米国の支援法案が通過したことを受け、ウクライナのゼレンスキー大統領は感謝を表明した。

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▲立入禁止区域とスラブチチ市の治安状況で会談するゼレンスキー大統領(2024年4月26日、ウクライナ大統領府公式サイトから)

 ただし、ウクライナ軍が米国からの軍事支援を受けて勢いを回復し、ロシア軍に反撃できるか否かは西側軍事専門家で意見が分かれている。米国の軍事支援が即、戦場でのゲームチェンジャーとなるかは実際、不確かだ。ドイツの主用戦車「レオパルト2」と米国の主力戦車「M1エイブラムス」のウクライナ供給が昨年1月25日、決定した時、西側では「米独の主用戦車は戦線でのゲームチェンジャーとなるだろう」といった楽観的な観測が聞かれたが、ウクライナ軍が昨年開始した反攻は期待したほど成果はなく、昨年後半からはロシア軍の攻撃を受け、ウクライナ軍は逆に守勢に回ってきた。

 戦争は長期化し、ウクライナ軍は現在、弾薬不足と兵力不足に直面している。NATO外相会議に参加したウクライナのクレバ外相はロシア軍のミサイル攻撃、無人機対策のために「対空防衛システムの強化」の援助を訴えた。ゼレンスキー大統領は4月2日、動員年齢を「27歳」から「25歳」に引き下げ、予備兵を徴兵できる法案に署名したばかりだ。ちなみに、ウクライナ議会では予備兵の徴兵年齢の引き下げ問題は昨年から議論されてきたが、ゼレンスキー氏は国民への影響を考え、最終決定まで9カ月間の月日を要した。

 インスブルック大学の政治学者、ロシア問題専門家のマンゴット教授は28日、ドイツ民間ニュース専門局ntvでのインタビューで、「米国から輸送される武器がウクライナに届くまでには時間がかかる。急速なチェンジは難しく、部分的な成果しか期待できないのではないか」と指摘、「ウクライナ軍の兵士不足は欧米の軍事支援では解決できない問題だ。ウクライナ軍は少なくとも10万人の兵力が新たに必要だ」という。

 同教授はまた、「ウクライナ側が現在最も必要としているのは対空防衛システムのパトリオットミサイルだ。ゼレンスキー大統領はパトリオット型対空防衛システム25台を必要だと訴えてきたが、ここにきて最低限でも7台が必要だと言い出している。ウクライナ側の強い要請を受けで、ドイツから3台、米国から1台がウクライナに供与された。パトリオット対空防衛システムはキーウに集中している。例えば、ギリシャは多くのパトリオット対空防衛システムを保有しているが、ウクライナへの提供を拒んでいる。ギリシャの対空防衛システムは隣国トルコの攻撃を想定しているから、自国の防衛上、それをウクライナに供与できないからだ」という。ちなみに、ギリシャとトルコ両国はNATO加盟国だが、領土資源問題で対立している(「東地中海の天然ガス田争奪戦の行方」2020年9月9日参考)。

 ロシア軍は米国の軍事支援が届く前にウクライナへの攻撃を激化させている。米国の戦争研究所(ISW)のシンクタンクは、「ウクライナが米国の支援が前線に到着するのを待っている間、ロシアは今後数週間で明らかな戦術的利益を得るだろう」と分析している。実際、ロシア国防省は28日、ドネツク地域の小さな町、ノヴォバフムティウカを占領したと述べている。

 なお、ゼレンスキー大統領は28日、アメリカとの二国間の安全保障協定を締結するために具体的な文書を作成中だ。目標は、「全ての安全保障協定の中で最も強力なものにすることだ」と述べている。キーウ政府は過去、複数の欧州諸国と同様の安全保障協定を結んでいる。

 ウクライナに軍事支援する欧米には統一した戦略的コンセプトがない。バルト3国、ポーランド、英国、ルーマニアなどの国は、クリミア半島を含み、ロシア軍をウクライナの国境外に追い払うまで戦争を遂行すべきだと主張し、積極的な軍事支援を支持している。一方、欧州の盟主ドイツは戦闘のエスカレートを警戒し、ロシア軍から全領土を解放するまで戦争を推進するという考えには消極的だ、といった具合だ。

 いずれにしても、ウクライナは米国からの軍事支援が届くまで領土を死守する一方、ロシアは可能な限り新たな領土を奪うために軍の攻勢を掛けてくるだろう。

軍最高司令官が弱気を吐き出した時

 大統領は軍の最高司令官の立場だ。そのトップが「戦は厳しい。ひょっとしたら敗北するかもしれない」と呟いたとする。軍関係者、側近たちはどのような反応をするだろうか。「大統領、大丈夫です。わが軍は必ず勝利します」と答えるだろうか、それとも「敗北した場合、われわれはどのようになるだろうか」といった後ろ向きの論議が飛び出すだろうか。

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▲NATO外相会合に招待されたウクライナのクレバ外相(左)
2024年4月4日、NATO公式サイトから

 ウクライナのゼレンスキー大統領は7日、政府の資金集めイニシアチブであるユナイテッド24が主催したビデオ会議で、「米国からの更なる軍事援助がなければ、ウクライナは戦争に負けるだろう」と述べた。同大統領には「戦争に敗北する」といったシナリオはこれまでテーマにはならなかった。欧米諸国に武器の支援を要請する時も「戦いに勝つために・・」と説明するなど、強気を崩さなかった。その大統領が「米国の支援がなければ、ウクライナは敗北する」と嘆いたのだ。欧米諸国は大きな衝撃を受けている。

 ゼレンスキー氏はオンラインネットワークで中継された演説で、「米議会の支援がなければ、われわれが勝利すること、さらには国として存続することさえ難しくなるだろう」と強調した。その上で「ウクライナが敗北すれば他の欧州諸国も(ロシア軍に)攻撃されるだろう」と警告している。

 「戦略分析センター」議長の軍事専門家バルター・ファイヒティンガー氏は8日、ドイツ民間ニュース専門局ntvとのインタビューで、「大統領の表現は確かにドラマチックだが、内容自体は新しいことではない。ウクライナ戦争の勃発後、米国は欧州諸国と共にウクライナを支援してきた。最大支援国の米国が援助を止めた場合、ウクライナが厳しくなるのは明らかなことだ。ゼレンスキー氏はウクライナの戦場での現実を踏まえ、米国議会に再度、迅速な支援をアピールしただけだ」と解釈している。

 米国に代わって欧州がウクライナ支援の主導権を握るという可能性について、同氏は「欧州諸国もウクライナ支援ではそれなりの役割を果たしているが、米国に代わることはできない」と説明、「欧州諸国は自国の軍事力をアップし、米国依存から抜け出すために努力しなければならない」という。

 米議会の共和党は昨年以来、今年11月の再選を目指すドナルド・トランプ前米大統領の圧力を受けて、600億ドル(約550億ユーロ)相当の新たなウクライナ支援策を阻止してきた。目を戦場に移すと、ウクライナ軍はロシア軍の激しい攻勢を受け、守勢を強いられてきている。第26砲兵旅団のオレフ・カラシニコフ報道官は7日、ウクライナのテレビで、「激戦が続いているチャシフ・ヤル市付近の状況はかなり困難で緊張している」と証言している。

 同時期、北大西洋条約機構軍(NATO)のストルテンベルグ事務総長はロシアと停戦交渉の可能性をもはや完全には排除しなくなった。同事務総長はこれまで「侵略国が報酬を受けるような和平交渉には絶対に応じるべきではない。和平交渉への条件はウクライナ側が決定することだ」と主張してきた。

 ちなみに、紛争当事国が停戦や和平交渉に応じる場合、3通りの状況がある。(響莵餞屬寮錣い互角の場合、∧響莵颪琉貶が圧倒的に強く、相手側を押している場合、B茖街颪紛争国間の和平の調停に乗り出す場合だ。ウクライナ戦争の場合、昨年半ばまでは,世辰燭、現在はロシア側が戦場では有利に展開してきた。の場合、米国、中国の2大国がウクライナとロシア間の和平交渉の調停役に乗り出すシナリオだ。

 欧米の軍事専門家たちは「ロシア軍は今年5月以降から攻勢を再開する計画だから、その前の和平交渉は目下、考えられない」と見ている。「プーチン氏は国内の治安対策のためにも戦争が必要だ」というのだ。

 ウクライナ戦争は長期化してきた。ロシア側だけではなく、ウクライナ側にも厭戦気分が漂ってきている。両軍とも兵力不足だ。ウクライナ側は動員年齢を下げる法令が採択されたばかりだ。ロシア側もこの夏以降、志願兵と新たな徴兵で兵力を増強する予定だ。戦時経済体制に再編したロシアには目下、武器、弾薬不足はないが、ウクライナ軍のフロントでは武器不足が深刻だ。

 米紙「ワシントン・ポスト」によると、トランプ前米大統領が大統領選に勝利し、再選を果たした場合、ウクライナ側に圧力をかけ、領土の一部をロシア側に与え、迅速に和平を実現させるというのだ。ウクライナ国内ではトランプ氏の和平案に強い批判と反発の声が聞かれる一方、国力を削減する戦争を継続するゼレンスキー氏のリーダーシップに懐疑的な声も聞かれる。

 いずれにしても、ゼレンスキー氏もプーチン氏も戦争の終結へのシナリオを描くことが出来ずにいる。その一方、両国国民の忍耐は次第に限界に近づいてきている。

ウクライナ戦争の大義と欧州の再軍備

 ブリュッセルで3日から2日間の日程で北大西洋条約機構(NATO)加盟国の外相会議が開催された。4日にはNATO創設75周年の祝賀会が挙行された。フィンランド、スウェーデンの北欧2カ国を加え、NATOは32カ国体制となった。創設75周年にはブリンケン米国務長官をはじめ、加盟国の外相が一同結集した。NATOは1949年4月4日に12か国が条約に署名して設立された。ストルテンベルグ事務総長は創設75周年を歓迎し、「我々は歴史上最も強力で最も成功した同盟である」と述べている。

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▲ブリュッセル本部で開催されたNATO外相会議(2024年04月04日、NATO公式サイトから)

 NATOはロシア軍の侵攻以来、ウクライナを軍事支援してきた。外相会議では如何にウクライナを持続的に支援するかが焦点となった。ストルテンベルグ事務総長は会議前にウクライナへの軍事支援のために今後5年間で1000億ユーロの基金を設立させる案を発表した。

 各外相が会議前後で国の立場、見解を記者団に述べたが、その中でベアボック独外相の発言が光っていた。同外相はNATOによる1000億ユーロ相当のウクライナ援助基金の提案に慎重な反応を示し、「NATOと欧州連合(EU)の約束が重複してはいけない。ここで個々の数字を議論しても意味がない」と強調。そのうえで、「信頼できる財政援助がウクライナに提供され続けなければならないことは明らかだ。自由と民主主義の保護は、次の選挙日までにのみ適用されるべきではない。私たちの子供たちの将来に関わるものだ。安全保障には信頼性が必要だ」と語っている。同外相によると、ドイツはすでにウクライナへの民事・軍事支援として320億ユーロを提供している。米国についで2番目の支援国だ。

 ウクライナ軍は現在、弾薬不足と兵力不足に直面し、ロシア軍の攻勢に守勢を余儀なくされてきた。NATO外相会議に参加したウクライナのクレバ外相はロシア軍のミサイル攻撃、無人機対策のために「対空防衛システムの強化」を訴えた。なお、ゼレンスキー大統領は2日、動員年齢をこれまでの「27歳」から「25歳」に引き下げ、予備兵を徴兵できる法案に署名した。

 ウクライナ議会では予備兵の徴兵年齢の引き下げ問題は昨年から議論されてきたが、ゼレンスキー氏は国民への影響を考え、最終決定まで9カ月間の月日を要したことになる。 動員年齢引き下げが実施されれば、40万人が対ロシア兵役に徴兵される可能性が出てくる。ゼレンスキー氏は兵役の資格基準を調整する法律にも署名している。

 なお、キーウの一人の中年の女性はドイツ民間ニュース専門局ntvのインタビューに、「自分は一人の息子しかいない」と述べ、徴兵年齢の引き下げに該当する息子が兵役に就くことに懸念を吐露していた。

 ウクライナ支援問題がアジェンダとなる会議では常にテーマとなるのは、トランプ前米大統領が11月の米大統領選で勝利し、ホワイトハウスにカムバックした場合、NATOはどうなるか、ウクライナ支援はどうなるかだ。ストルテンベルグ事務総長が1000億ユーロ構想を提案したのは、NATOが米国から独立し、欧州の軍事力をアップさせるためだ。ちなみに、NATO諸国の国防支出レポートによると、過去75年間、米国はNATOの国防予算に21兆9000億ドルを拠出している。

 ちなみに、米国は現在、ウクライナへの武器供与の調整を主導している。独ラインラント=プファルツ州のラムシュタイン米空軍基地やブリュッセルなどで定期的に会議を開催してきたが、トランプ氏が勝利した場合、米国がウクライナへの関与を大幅に縮小、あるいは停止する可能性がある。そこで軍事支援で各国の調整を行ってきたウクライナ防衛諮問グループ(ラムシュタイン・グループ)の仕事をNATOが主導していく計画が出てくるわけだ。

 北大西洋軍事同盟NATO創設75周年を機に、ドイツ、フランス、ポーランドの3国、通称ワイマール・トライアングルの3外相(ベアボック外相、セジュルネ仏外相、シコルスキー・ポーランド外相)は共同書簡の中で、「米国は長い間、他の同盟諸国よりも大きな負担を背負ってきた。集団的防衛は共同の努力が必要だ。欧州は防衛力を強化し、大西洋横断の安全保障に貢献する必要がある」と記している。もはや国内総生産(GDP)の2%を防衛に費やすといった公約の域を超え、欧州の再軍備化宣言だ。

 戦争が長期化すれば、欧米諸国でも国民経済が厳しく、ウクライナ支援への余裕を失う国が出てくるだろう。ハンガリーやスロバキアはウクライナ支援には消極的、ないしは拒否している。そのような中、NATO加盟国には「ウクライナ戦争は民主主義を守り、次の世代の安全のための戦いだ」という大義を見失わないことがこれまで以上に重要となってきている。

ウクライナ戦争を巡る「風刺と皮肉」

 ドイツのショルツ首相は欧米諸国の対ウクライナ支援では「対応が遅い」といった批判を受けてきた。ウクライナ側がドイツの主力戦車「レオパルト2」の供与を強く要請した時もそうだった。最終的にはバイデン米大統領との間で米国の主力戦車「M1エイブラムス」と同時に供与することで合意して、「レオパルト2」をキーウに供与することを決めた。そして現在、長距離巡航ミサイル「タウルス」の供与問題でウクライナ側の重なる要請をも今日まで拒否し続けている。イギリスとフランス両国は自国の巡航ミサイル「ストームシャドウ」と「スカルプ」を既に供与済みだ。両国からはドイツの優柔不断な姿勢に批判的なトーンが聞かれる。

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▲トルコ実務訪問中、ゼレンシキー大統領はウクライナ海軍用のコルベットが建造されている造船所を訪問(2024年3月8日、ウクライナ大統領府公式サイトから)

 それに対し、ショルツ首相は、「タウルスは射程距離500キロだ。ウクライナ領土を超えてロシア領土まで飛行した場合、ロシア側の反発が予想される」として、対ウクライナ武器支援では常に「ウクライナ戦争をこれ以上エスカレートさせない」というレッドラインを堅持しなければならないという論理だ。

 そのショルツ首相は19日、与党社会民主党(SPD)関連のイベントで激しいプーチン大統領批判を展開した。ロシア大統領選でプーチン大統領の5選が確定した後、このように厳しい批判を公の場で吐露した欧米首脳はショルツ首相が初めてではないか。

 以下、ドイツメディアに報じられた首相の発言を紹介する。

 「ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はウクライナに死と破壊をもたらしただけでなく、自身の『権力への狂気』のために多くのロシア兵士を犠牲にした。プーチン大統領は自国の兵士たちを犠牲にし、その代わりに歴史書に『プーチン大統領はさらに10センチの追加領土を征服した』と記されることを願っている。プーチン大統領は、国境はもはや力によって動かされないという、ヨーロッパに数十年にわたって存在してきた原則を破った。だからこそ私たちは必要な限りウクライナを支持するつもりだ」

 興味深い点は、欧米諸国の政府首脳はプーチン大統領に対して従来の外交的批判といったカテゴリーから出て、皮肉と風刺を込めて批判する傾向が見られることだ。欧州連合(EU)のシャルル・ミシェル大統領は15日、ロシアのプーチン大統領の5選に対して祝意を表明したが、投票が始まったばかりでまだ当選が確定していない時にだ。ロシア大統領選挙は仮想選挙に過ぎない。真の対抗候補者はなく、プーチン氏の5選は英国のブックメーカーも掛け率(オッズ)が良くないから関心が低いことを知った上で、ミシェル大統領は投開票が終わっていない前に「おめでとう」という祝意を表明したわけだ。

 同じように、ショルツ首相は、「プーチン大統領は10センチの追加領土をウクライナから奪ったロシア大統領という称号を受けるために権力の狂気に動かされている」と、辛辣に批判しているのだ。すなわち、ミシェル大統領もショルツ首相も3年目に入ったウクライナ戦争の責任者プーチン氏に対して、もはや外交上やプロトコール上の儀礼、規則を重視することをやめ、皮肉を込めて相手国首脳を酷評しているわけだ。ウクライナ戦争での政府首脳陣のコミュニケーションは既にエスカレートしてきているわけだ。

 風刺や皮肉はシンプルな批判より時には相手を傷つける。風刺や皮肉の対象となったプーチン氏は心穏やかではないかもしれない。嘲笑を受けたと思って激怒するかもしれない。それとも「あなたは自分が正しいと思う事をしなさい。どのみち批判されるのだから」といったルーズベルト米大統領の夫人の言葉を引用して、プーチン氏は納得顔で「私のことをいっている」と思って笑い出すかもしれない。

 ウクライナ戦争も3年目に入ると、戦争は消耗戦となり、関係者にも疲れが見え出し、もはや何も建設的なことが思いつかなくなる。だから、政府指導者は相手を直接批判するより、気の利いた風刺や皮肉のひとつでも、ということになる。ただ、その間も戦場では多数の兵士たちが犠牲となっている。

 参考までに、親ロシア派の鈴木宗男参院議員はプーチン氏の5選を祝う祝意を表明し、「史上最高の得票率での圧倒的勝利は、プーチン氏の手腕と能力が評価された結果だ。西側メディアが反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の獄死に関連してロシアに対する批判を強めたことによって、ロシア国民が『プーチン氏を守りたい』という思いを強めた」(時事通信)と述べたという。このようなプーチン崇拝のコメントが日本の参院議員から出てきたことに驚いた。欧州の左派系政治家もきっと顔負けする異次元なコメントだ。

人は統計上の死者に涙を流せるか

 ウクライナのゼレンスキー大統領は先月25日の記者会見で、ロシア軍の侵攻で過去2年間、約3万1000人のウクライナ兵が死亡したと発表した。米国側は昨年8月の段階で、ウクライナ軍に約7万人、ロシア軍に約12万人の兵士が死亡したと発表していた。

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▲ウクライナのゼレンスキー大統領「占領者に安らぎの場所があってはいけない」(ウクライナ大統領府公式サイトから、2024年3月11日)

 パレスチナ自治区ガザの保健当局が2月29日発表したところによると、パレスチナ自治区ガザを実効支配しているイスラム過激派ハマスが昨年10月7日、イスラエルに侵攻し、イスラエル軍とハマスの戦闘が勃発した以降、ガザ区で3万人のパレスチナ人が死亡したという。

 上記の2件のニュースは偶然にも死者数が3万人だから列記したのではない。繰り返すが、ロシアのプーチン大統領が2022年2月24日、軍をウクライナに侵攻させて以来、ウクライナ側に3万人以上の兵士が亡くなり、ガザ紛争ではハマス壊滅に乗り出した出したイスラエル軍の攻撃で3万人を超えるパレスチナ人が亡くなったという死者の統計を紹介したのだ。

 前者はウクライナ兵の死者数だけであり、実数はそれをはるかに超えている可能性が高い。民間人の犠牲者数を計算に入れれば、死者数はひょっとしたら2倍以上かもしれない。ガザ紛争のパレスチナ人死者数も同様で、実数はもっと多いだろう。いずれにしても、3万人の死者数だけでも如何に多いか。そして亡くなった兵士、その家族関係者にとっては取り返しのつかない痛みを与えてきた悲劇だ。同じことがガザ区のパレスチナ人の犠牲者数にもいえる。多くの女性、子供たちがその死者の中に含まれている。

 「いかに必要であろうと、いかに正当化できようとも、戦争が犯罪だということを忘れてはいけない」と語った米小説家ヘミングウェイの言葉を思い出す一方、ソ連の独裁者スターリンの「1人の人間の死は悲劇だが、数百万の人間の死は統計上の数字でしかない」という言葉を苦々しい思いで再確認するのだ。

 人は祖国の防衛のために亡くなったウクライナ兵士の全ての名前を思い出すことは出来ないし、ガザ紛争で犠牲となったパレスチナ人の死者でも同じだ。彼らの死は「過去2年間のロシアとの戦いで亡くなった3万人の兵士」のカテゴリーに入るだけであり、パレスチナ人の死者も同じだ。戦闘を世界に配信するメディアは死者数と負傷者数を報じるが、戦争の悲惨さ、その規模を知る上で死者数が必要であり、負傷者数が求められるからだ。

  死者の場合、そのプロフィールが分かれば、それだけ亡くなった人間への共感や想像力が湧いてくるが、数十万人の死者という統計上の死者には共感するということは難しい。何百万人の苦難よりも、1人の悲劇の方が人々の心を動かすものだ。だから、BBCなどのメディアは戦争報道では戦争に駈り立てられた兵士、軍関係者をピックアップし、戦争の事態を関係者の生の声で語らせる努力をしている。ある時は、戦争をドラマ化するといった批判の声も聞かれるが、視聴者の心を掴むのには特定の死、犠牲が不可欠だからだ。

 例えば、ドイツ民間ユース専門局ntvは昨年8月3日、「若い医師の悲劇」という見出しの記事を報じた。25歳の医師、ウクライナ人のドミトロ・ビリィさんの話だ。ビリィさんは8月2日、ウクライナ南部へルソン市にあるカラベレス病院に初出勤した。その日、ロシア軍が病院を直撃し、勤務中のビリィさんは死去した。2日はビリィさんの初出勤の日であり、同時に最後の日となった。若い医師の死がソーシャルメディアで報じられると、その死を惜しむ声が溢れるなど、大きな反響を呼んだ。

 特定の1人の死については、われわれは涙を流すことができるが、数千、数万人の死者について涙を流すことが出来るだろうか。スターリンがいったように、それは単なる統計上の数字であり、死者はその統計の中に組み込まれ、非人間化されてしまう。だから、「ウクライナで3万人の兵士が死亡した」と聞いても、驚くが、涙が流れることは少ない。

 ウクライナ戦争ではキーウ近郊のブチャ虐殺事件、廃墟化したマリウポリなどを報じる時、特定の死者を取り上げて紹介するケースがある。死者がどこで、どのようにして亡くなったか、可能な限り特定化することで、死者を統計上の世界から救い出そうとする。

 イスラエルはハマスの奇襲テロで亡くなったギブツのユダヤ人の名前、顔写真を重視するし、ハマスに拉致された130人余りのイスラエル人の人質でも名前と顔写真を掲げて、その解放を訴える。大量虐殺されたユダヤ人の歴史を有するイスラエルは死者が追悼される前に忘却されることを恐れ、死者の特定化に力を注ぐ。「600万人のユダヤ人がナチス・ドイツ軍によって虐殺された」という事実は人類に忘れることが出来ない出来事として刻印されているが、イスラエル人は倦むことなく600万人の1人1人を特定化し、その悲惨さを世界に訴えてきたわけだ。

 共産革命で数億人が粛清され、虐殺されてきた。その1人1人の命に対して人類は涙を流さなければならない。それはスターリンに対抗するためではない。同じ悲劇を繰り返さないためにも、死者を可能な限り特定化することで涙を流し、死者を追悼しなければならないからだ。死者を統計上の世界から救済することは生きている人間の責任だ。

バチカン「白旗を掲げる」で新解釈を

 ローマ・カトリック教会最高指導者フランシスコ教皇はウクライナに対し、「白旗」を掲げてロシアと戦争の終結を交渉する勇気を持つよう呼び掛けた。フランシスコ教皇がスイス公共放送局RSIとのインタビューで発言した。同インタビューは文化番組の一環としは今月20日に放送される予定だ。教皇の発言の一部が9日、公表された。

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▲フランシスコ教皇と会談するゼレンスキー大統領(2023年5月13日、ウクライナ大統領府公式サイトから)

 ウクライナ戦争では、「ウクライナはロシア軍を撃退できないので諦めるべきだ」と主張する人々と、「勝利するまで戦うべきだ」と檄を飛ばす声で議論が分かれているが、フランシスコ教皇はどちらの意見を支持するかという質問に対し、「状況を見つめ、国民のことを考え、白旗の勇気を持って交渉する人が最も強いと思う」と述べ、「国際社会の協力を得て交渉が行われるべきだ」と付け加えた。

 同教皇は、「交渉という言葉は勇気のある言葉です。自分が敗北し、物事がうまくいっていないと分かった時は、交渉する勇気を持たなければならない。事態がさら​​に悪化する前に、恥ずかしがらずに交渉してください」と語っている。

 フランシスコ教皇は2月中旬に行われたインタビューの中で、ウクライナやロシアといった国名を呼んではいないが、発言の流れから「白旗を掲げる」ように求めている国は明らかにウクライナに対してだ。だから、ドイツ通信(DPA)はリード文の中で「ロシアを喜ばし、ウクライナを怒らす内容だ」と報じているほどだ。

 フランシスコ教皇の発言について、ウクライナのゼレンスキー大統領はどのように答えるだろうか。これまで教皇の発言に対するウクライナ側の反応は報じられていないので断言できないが、プーチン大統領との如何なる交渉も応じないと主張してきたゼレンスキー大統領がフランシスコ教皇の発言をプーチン大統領を擁護するもの、と受け取ったとしても不思議ではない。

 「白旗を掲げる」とは戦場では降伏を意味する。ボクシングで自分側の選手が相手に連打され、もはや反撃は難しいと判断したトレーナーがリングにタオルを投げて試合をストップさせるのと同じ意味だろう。ウクライナ側が白旗を掲げれば、ロシア軍がこれまで不法に占領してきた領土を奪い返すチャンスを失うと共に、ロシア側の更なる要求に譲歩を強いられることになる。ロシア軍のウクライナ侵攻を自由民主国家と独裁専制国家との対立と受け取っているゼレンスキー大統領にとって、ロシア軍の不法な軍事活動に褒章を与えるような「白旗」を掲げることは甘受できないはずだ。

 ちなみに、フランシスコ教皇の「白旗を掲げる」という表現がウクライナ側に誤解されることを恐れたのか、バチカン教皇庁側は「戦闘を停止し、交渉することを意味する」とわざわざ説明している。もし、そのような意味ならば、「白旗を掲げる」という表現は使わない。

 それでは、フランシスコ教皇の発言は間違っているのだろうか。ロシア軍の激しい攻勢を受け、国民に更なる犠牲が出てくる状況が生じれれば、ゼレンスキー大統領といえども戦い続けることは苦しくなる。そのような状況が生まれてこないために、ゼレンスキー氏は欧米諸国に武器の供与を何度も要請しているわけだ。ただ、この最悪のシナリオは完全には排除できないのが戦争だ。祖国防衛の意気に燃え、戦ってきたウクライナ軍も武器と兵力不足でロシア軍の攻勢に苦しんでいる。その一方、ウクライナを支援してきた欧米同盟国の中で結束が緩んできている。戦いが長期化し、消耗戦となればなるほどウクライナ側は苦しい。

 ゼレンスキー大統領は2023年5月13日、フランシスコ教皇と一度、対面会談している。ウクライナ戦争の和平ではゼレンスキー氏と教皇は決して同一の立場ではない。ウクライナ戦争の和平調停について語る時、教皇がロシアを戦争の加害国であるとは明確には非難してこなかったために、ゼレンスキー氏は強い不満を持っている。

 ゼレンスキー大統領はフランシスコ教皇との会談後、テレビとのインタビューの中で、「ウクライナには調停者は必要ない」と明言、教皇の調停の申し出を断る趣旨の発言をした(「ゼレンスキー氏『教皇の調停不必要』」2023年5月15日参考)。

 戦争は「負けるが勝ち」というわけにはいかない。敗北すればそれなりの代償を要求される。祖国防衛のために檄を飛ばしてきたゼレンスキー氏にとって、戦争犯罪を繰り返し、多くの国民を殺害してきたプーチン大統領と停戦の交渉に臨むことは悪に屈服することを意味する。

 ウクライナ戦争の場合、相手国の主権を蹂躙して侵攻してきたロシア側は国際法からみても被告の立場だ。プーチン氏が独自のナラテイブ(物語)を振り回したとしてもロシア側には正義はない。にもかかわらず、ウクライナ側が白旗を掲げてロシアと停戦交渉に応じるということは「正義が悪に敗北する」ことを意味することにもなる。一方、ウクライナ側が正義を死守し、悪に勝利するまで戦い続けるならば、ウクライナ側にも多大な犠牲が出てくるだろう。戦闘で敗北を絶対に甘受しないプーチン大統領は状況が危機となれば大量破壊兵器の使用も辞さないかもしれない。そうなればこれまで以上の大惨事が予想される。

 ここまで考えてくると、「善」と「悪」の世界に生きる宗教指導者のフランシスコ教皇にとっても国際法上からみても正義の立場にあるウクライナに白旗を掲げて、というのは心苦しいことだろう。しかし、現段階でそれ以外のカードがない場合、白旗を掲げ、可能な限りの有利な交渉をするために欧米大国の支持を受けてロシアと交渉テーブルに着くべきだ、というフランシスコ教皇の論理はある意味で理にかなっている。

 誰でも勝利を願い、敗北を嫌う。国家同士の戦いでも同じだ。ただ、完全な勝利が期待できない状況ではやはり妥協と譲歩の原理に基づいた交渉に応じる以外にない。プーチン大統領は世界に多大な損害を与えてきた。ロシア民族に対しても、自身に対してもだ。ウクライナ戦争でプーチン大統領の国家指導者としての評価は地に落ちた。もはや回復できない。ロシアではポスト・プーチンが始まるだろう。

 一方、ゼレンスキー大統領は正義、公正を前面に出さず、停戦と和平の実現に乗り出すべきだ。正義と公平の立場にある者が犯しやすい過ちは、自身が悪をやっつけるという傲慢さとそれで生じる勇み足だ。3年目に入ったウクライナ戦争はウクライナ側につらい決定を強いてきている。「白旗を掲げる」には勇気はいらない。歴史的大局に基づいた冷静な判断だ。

欧米の懸念「ロシアが敗北した場合」

 欧米諸国はウクライナに武器を供与してきたが、戦闘機やロシア領土まで届くミサイルの供与は拒否してきた。それは北大西洋条約機構(NATO)がウクライナ戦争に介入し、NATOとロシアの戦争に発展することを恐れているからだといわれてきた。その説明には一理あるが、それ以上に欧米諸国が恐れていることがある。「ウクライナの敗北」以上に「ロシアの敗北」を恐れているのだ。

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▲ウクライナとNATOの旗(NATO公式サイトから)

 ロシア軍がウクライナに侵攻した直後、ウクライナのゼレンスキー大統領は、「ロシアとの戦争は単に我が国とロシアの戦争ではない。民主主義世界をロシアの侵攻から守るための戦争だ。ウクライナ軍は欧米諸国の安全のためにロシア軍と戦っているのだ」と主張し、欧米諸国に武器を提供するようにかなり強い口調で要求してきた。ここにきてウクライナから米戦闘機やドイツの空中発射巡航ミサイル「タウルス」の供与を求める声が強まってきている。

 しかし、ロシア軍との戦闘が長期化し、消耗戦となってきた後、欧米諸国でウクライナ支援への結束が緩んできている。ゼレンスキー大統領は欧米諸国を可能な限り訪問し、国際会議に参加してウクライナ支援を訴えている。同大統領は欧米諸国の支援疲れが見られ出してきたことを感じてきたからだ。

 問題は、その支援疲れは決して戦争の年月の結果だけではないことだ。プーチン大統領のロシア軍がウクライナ軍に敗北した場合、その後どのような展開が予想されるかというシナリオが現実味を帯びて差し迫ってきたのだ。プーチン大統領は敗北を甘受できないから、核兵器を導入するかもしれない。ポーランドやバルト3国に攻撃を始めるかもしれない、等々の悪夢が再び浮上してきたのだ。

 ドイツ国営放送「ドイチェ・ヴェレ」の東欧専門家は25日、討論番組で、「欧米諸国はウクライナの敗北以上にロシアの敗北を懸念し出している」と述べていた。すなわち、米国を含むNATO諸国はロシアがウクライナ戦争に敗れた場合どうなるかという懸念が、ウクライナ軍がロシア軍に敗北を喫した場合より深刻なテーマとなってきているのだ。

 欧米諸国のウクライナへの武器供与がキーウが望むようにスムーズにいかないのは、第2次世界大戦後、西側諸国では軍需産業が武器の生産を縮小していることもあるが、それ以上にロシアがウクライナ軍との戦いで守勢に追い込まれ、敗北が回避できないという状況になった場合、モスクワが核兵器を導入する危険性が出てくるからだ。ウクライナ戦争敗北後のプーチン政権のその後の展開が読めないため、米国を含む西側諸国は恐れを感じ出してきたというわけだ。

 一方、ウクライナの敗北の場合、NATOは対ロシア国境への防衛強化に乗り出し、防備を強化することになる。すなわち、西側にとって選択の問題になる。NATO加盟国の国境警備を一層強化するか、ロシアとの全面衝突の危険を甘受するかだ。ドイチェ・ヴェレによると、欧米諸国は前者に傾いてきているというわけだ。

 ところで、ロシアのプーチン大統領が2022年2月24日、ウクライナに侵攻したが、その日を期して、欧米メディアは「ウクライナ戦争2年目」の総括を特集しているが、2年目は欧米諸国には当てはまるが、ウクライナ国民にとって今年は2014年から10年目にあたる年だ。欧米諸国にとって、ロシアの2022年2月24日のウクライナ侵攻はサプライズだったかもしれないが、プーチン大統領がクリミア半島の併合後はウクライナ東部・南部だけではなく、オデーサやキーウをも占領しようとしていることをウクライナ側は知っていた。戦いは2014年から続いてきているのだ。欧米メディアは「ウクライナ戦争2年目」ではなく、「ウクライナ戦争10年目」の特集を張るべきだったのだ。

 第2次世界大戦後、70年以上の戦争のない平和の時を享受してきた欧州諸国では、軍事産業は縮小し、最新兵器の開発には投資してきたが、戦車や装甲車、弾薬やミサイルといった通常兵器の生産は限定されてきた。だから、ウクライナに武器を提供するといっても即大量に戦車やミサイルを生産できる体制はない。ウクライナと武器の生産で合意して、武器の大量生産に乗り出しても戦争がいつまで続くか不明のため、軍需産業に投資する企業は出てこない。例外は、米国だけだ。

 ちなみに、ロシアは現在戦時経済体制を敷いている。国内総生産(GDP)比6%の国防費を支出している。一方、NATO加盟国は軍事費をGDP比2%を目標としている。
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