ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

スイス

スイス教会の聖職者の「性犯罪報告」

 ローマ・カトリック教会の聖職者による未成年者への性的虐待は国境の壁を越えて拡散している。アルプスの小国スイスで1950年以降、今日までに1002件の聖職者の性犯罪が起きている。チューリッヒ大学の2人の歴史学者が12日、調査した結果を公表した。もちろん、明らかになった範囲であり、「発覚した件数は氷山の一角に過ぎない」という。

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▲未成年者への性的虐待が多発するスイスのカトリック教会(バチカンニュースから)

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▲聖職者の性犯罪で最も多い被害者は未成年者(バチカンニュース独語版、2023年9月12日)

 報告によると、性犯罪を行った聖職者は510人、被害者数は921人に上っている。加害者は少数の例外を除き男性で、被害者は54%が男性だった。また、被害者の74%は未成年者だ。報告によると、教会上層部は教区内の聖職者の性犯罪をつい最近まで隠蔽してきた。

 歴史学者のモニカ・ドマン氏とマリエッタ・マイヤー氏は12日、「スイスのローマ・カトリック教会の環境における性的虐待の歴史について」というタイトルのパイロットプロジェクトに関する報告書を発表した。 報告書は135頁に及び、教会内外に衝撃を投じている。

 スイス代表紙ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング(NZZ)は12日電子版で、「チューリッヒの2人の歴史学教授と研究チームは昨年、教会のアーカイブを調査し、1950年から現在までの加害者と被害者に関する情報を見つけた。彼らはまた、教会の刑事手続きからのファイルが保管され、通常は司教のみに公開されている、いわゆる秘密アーカイブへのアクセスも獲得した。この試験的プロジェクトだけでも、教会が以前に認めたよりもはるかに多い1002件の虐待事件を見つけた」と報じている。

 歴史学者らの研究調査の準備作業は2019年に始まった。カトリック教会は、過去70年間の教会の歴史と虐待の歴史に関する歴史研究をチューリッヒ大学に依頼した。主な焦点は、個々の事件を明らかにすることだけではなく、教会内で大規模な虐待を可能にし、助長した組織的な原因を調査し、組織的な隠蔽につながった関連性を明らかにすることにあったという。

 歴史学者は、「スイスのカトリック教会は、アイルランド、フランス、ドイツの教会と同様に非人道的な陰謀を行ってきたことが、公開されたパイロット研究によって証明された。司教たちは『聖なる』教会の評判を守るためにできる限りのことをした。性的虐待を犯した聖職者が処罰されないことが多いのは、司教たちが共犯者になっていたためだ」と指摘している。

 バチカンニュースは12日、「136ページに及ぶこの研究は、スイスのカトリック教会における性的虐待を科学的に定義し、概説する初めての体系的な試みだ。今後のプロジェクトでは、追加のアーカイブ所蔵品を参照する必要があるだろう。それによって、性的虐待の頻度および時間的および地理的クラスターについて、より詳細な記述が可能となるだろう」と報じている。

 司教会議議長のフェリックス・グミュール司教は、「スイスのローマ・カトリック教会における性的虐待に関するチューリッヒ大学の最終報告書は衝撃的だ。あまりにも多くの教会指導者が何十年も無責任な行動をとってきた」と率直に述べている。

 バーゼル教区の責任者でもあるグミュール司教は、同教区でも過去、性的暴行疑惑事件の対応に誤りがあったことを認めている。同教区の助祭が1995年から98年にかけて未成年者への性的虐待を繰り返した。 2019年に被害者がカトリック教会に虐待を通報した。スイス司教会議(SBK)の補償委員会は被害者と認定し、1万5000フラン(約1万5678ユーロ)の補償金を支払った。しかし、加害者には何の処罰もしなかったという例だ。ちなみに、バーゼル教区は信者数が100万人を超えるスイス最大の教区だ。

 なお、同調査報告が公表される前、スイス教会では「6人の司教が性的虐待事件を隠蔽していた」という告発がなされ、大きな話題となったばかりだ。スイス司教会議は10日、「6人の司教が聖職者の性犯罪を隠ぺいしたという容疑を受けている」と認めている。
 グミュール司教会議議長は、「同件については、ローマに報告済みだ。バチカンは6月23日、この問題に関する予備的な教会調査を命じ、ジョゼフ・ボヌマン司教を調査責任者に任命した。ボヌマン司教の予備調査は進行中であり、年末までに完了する予定だ」という。

国際金融センター「スイス」の悩み

 「自分は一体、誰か」、「自分はなぜ生きているか」等、自身のアイデンティティに悩む若者は少なくない。アイデンティティに悩むのは個々の人間だけではなく、国も同じだろう。世界の多様化の中で、国もそのオリエンテーションに苦悩する。時代の流れに乗り切れずに、悩むケースが出てくる。

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▲UBSに買収されたスイスの第2銀行「クレディ・スイス」(「クレディ・スイス」の公式サイトから)

 新型コロナウイルスのパンデミック(世界流行)が席巻し、世界は苦戦した。そしてパンデミックがようやく峠を越えたと思えた時、今度はウクライナ戦争が始まった。ロシア軍のウクライナ侵略は単にロシアとウクライナといった旧ソ連共和国間の戦争ではなく、世界を巻き込む大戦の様相を深め、エネルギー危機、食糧問題など国際レベルでその解決が求められてきた。世界は第3次大戦に突入してきた、といった論調もメディアにみられる。

 ドイツのショルツ首相は時代の挑戦を「Zeitenwende」(時代の変わり目)と呼び、ロシア依存のエネルギー政策から再生可能エネルギーへの脱皮に腐心している。第2次世界大戦後から続いてきた安保政策も180度転換し、軍事費を増額し、ウクライナへの武器供与でも積極的な役割を果たしてきた。一方、北欧諸国に目をやると、スウェ―デンとフィンランドの両国は過去の中立主義から北大西洋条約機構(NATO)へ加盟と集団安全保障体制に舵を切った。当事国にとって文字通り、時代の変遷に直面し、新しいアイデンティティを模索することになる。

 アルプスの小国スイスも例外ではない。冷戦時代、世界から追われた人々の逃げ場を提供してきたスイスは中立国として世界の紛争や戦争からは距離を置いてきた。同じ中立国のオーストリアと共に“アルプスの聖地”と呼ばれてきた。そのスイスがここにきて国のアイデンティティで悩み出してきている。ウクライナ戦争ではその中立性が揺れる一方、クレディ・スイス銀行の没落は金融大国スイスのイメージを傷つけたばかりだ。

 スイス公共放送(SRF)のスイス・インフォ(5月7日配信されたニュースレター)でスイスの法学者マーク・ピエト氏は、「中立には疑問が付され、金融センターとしての地位も危うく、政治はビジョンに欠ける。スイスのアイデンティティーを支える柱が揺らいでいる」と警告を発し、「クレディ・スイスの終焉は、飛行停止に追い込まれ破綻したスイス航空の最後を思い出させる。両者とも経営陣が愚鈍で融通が利かないといった共通点はあるが、クレディ・スイスの没落はずっと劇的だ。クレディ・スイスの破綻危機はスイスの金融センターの根底を揺るがし、スイスのバリューチェーン(価値の連鎖)の中核を為す前提条件が疑問視されている」と受け取っている。

 スイスといえば、世界の資金が集まる金融立国だが、同時に、マネーロンダリング(資金洗浄)、権力者やオリガルヒ(新興財閥)などの不正資金が集まる拠点という好ましくない汚名がついてきた。ウクライナ戦争の影響もあって、欧米諸国からはスイスに対しロシアのオリガルヒの資金凍結などを実施するよう圧力が高まっている。そのような中、スイス第2の銀行クレディ・スイスが167年の歴史に幕を閉じ、最大手行UBSに買収された。世界の金融センターのアイデンティティが大きく揺れ出したのだ。

 ピエト氏は、「関心を払うべきテーマは危機管理だけではない。1291年の建国以来、スイスは国際的な批判を受けると要塞に立てこもり内向きな対応をとるのが常だが、この基本姿勢を根本から見直す必要がある。今こそスイスは仲間を作る努力をする時だ。欧州連合(EU)に今すぐ加盟しろというわけではない。早急に先手を打って、スイスと同じく民主主義や法治主義を重視する価値観が似た国に接近しなければならない」と述べている。かなり深刻な叫びだ。

 ウクライナ戦争でスイスの中立主義が批判の対象となっている。スイスは一応対ロシア制裁を実施しているため、ロシアはスイスをもはや中立国と見なしていない一方、西側諸国はスイス当局がウクライナへの武器再輸出を拒否しているため、スイスを信頼できる友好国とはみなしていない(「ロシア『スイスは中立国ではない』」2022年8月22日参考)。

 中立主義は長い間、平和と豊かさの秘訣とされてきたが、ウクライナでの戦争を機に、世界からご都合主義的で時代遅れと見なされている。スイス国内では保守派の国民党は厳格な中立主義の堅持を主張する一方、リベラルな政党は柔軟な中立主義を標榜している、といった具合だ。

 このコラム欄でも紹介したが、カシス連邦大統領(当時)は昨年5月末の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で、「スイスは『協調的中立』を追求する」と語ったことで注目された。ちなみに、1815年のウィーン会議でスイスに永世中立権が付与された際、戦勝国はスイスの領土を戦場にしない代わりに、スイスに紛争参加と傭兵の提供を禁止する取り決めを行った(「スイスの『協調的中立』の行方は」2022年7月2日参考)。

 スイスでの中立論議はまだ続くだろう。国連に加盟したが、EU加盟は中立主義の放棄にもつながることから、現時点では考えられない。スイスの中立論議を追っていると、同じ中立国の隣国オーストリアでは中立論議がほとんど聞かれないことに驚く。「オーストリアの中立主義は信仰だ」と揶揄される所以だが、ウクライナ戦争の勃発後、欧州の中立国がNATO加盟を模索し、スイスでも国内で激しい論議を呼んでいる中で、(中立主義の再考を考えない)オーストリアは「スイスの苦悩」をどのように受け止めているのだろうか。

徒歩30分圏内に核シェルターある国

 アルプスの小国、中立国のスイスでもロシアのウクライナ侵攻後、国家の安全問題に対する政府、国民の意識が高まっている。欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)にも加盟せず、国連にも20年前に加盟したばかりのスイスはロシアのプーチン大統領が「必要ならば核兵器の使用も辞さない」と示唆して以来、ロシアがウクライナで核兵器を使用した場合、国内の核爆発後の影響に対する備えが十分かについて協議が行われている。

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▲1964年10月16日の中国の最初の核実験(包括的核実験禁止条約機関=CTBTO公式サイトから)

 スイス公共放送(SRF)が発信するウェブニュース国際部からニュースレター(11月9日)が配信されてきた。「核の脅威の高まり、スイスの備えは?」という記事が目に留まった。欧米の軍事専門家の間では「ロシアの核兵器の使用は現時点では考えられない」という意見が支配的だ。隣国オーストリアで10年間の国防相を務めたファスラアーベント氏は、「ロシアの指導者は核兵器の使用が何を意味するかを知っているから、現時点では使用は考えられない。プーチン大統領は合理的な思考をする政治家だ」と見ている。一方、「ロシア軍が守勢を強いられ、戦争の敗北が現実味を帯びてきた場合、プーチン氏は核兵器のボタンを押すことも躊躇しないだろう」といった見方もある。

 スイスの連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)安全保障研究センター(CSS)で核兵器を専門とするスティーブン・ヘルツォーク氏は、「核兵器が使用される危険性はますます高まっている。核戦争が起きれば、ウクライナや欧州、そして世界に壊滅的な影響を与える。こういったシナリオを想定し、備えることが必要だ」と警告を発している1人だ。SRFのニュースレターによると、「スイス政府は2011年の福島第一原発事故以来、核・生物・化学兵器(NBC兵器)の脅威や危険に対する防護対策を強化してきた」という。

 ニュースレターを読んて驚いた点は、スイス国内で有事の際に全国民を収容できる核シェルターが全土に36万カ所以上あるということだ。国民人口比の核シェルター数はおそらく世界一だろう。旧東欧諸国では地下鉄やガレージが核シェルター的役割を果たしている。一方、「スウェーデンやフィンランドでは核シェルターの数こそスイスと同じぐらいだが、収容能力ではスイスより劣る」という。

 スイス側にも問題があるという。「連邦政府は全住民の徒歩30分圏内にシェルターの設置を法律で義務付けているが、全ての州が対応できているわけではない。中でも、ジュネーブ、バーゼル・シュタット、ヌーシャテルの3州が最も遅れている。また、国防省の最近の報告書では、核シェルターなどの民間防衛施設のメンテナンスの悪さも指摘されている」というのだ。

 それにしても国内に全国民を収容できる核シェルターがあり、国民が徒歩30分圏内で行ける場所に核シェルターを配置するというスイスは核の脅威に対する備えは多分、世界でもトップ級だろう。

 核の脅威と言えば、スイスにとってはロシアの核だろう。世界9カ国が核保有と推定され、その核弾頭数は1万3000発、米国とロシア両国は全体の9割以上を占めている。ロシアの核弾頭数は5977発で、戦術核数は2000発以上と言われている。ロシアは核兵器の近代化、小型化を既に実現し、陸、海、空の運搬手段を使用して攻撃できる「核の3本柱(トライアド)」を敷いている。

 ロシアが核兵器を使用するとすれば、戦略核ではなく、戦術核だろう。その場合、スイスの専門家たちは、「放出される放射線は少ないため、国民は核シェルターに避難する必要がないかもしれない」と予想。そして、「核兵器の爆発以上に原発事故のほうが影響が大きい」という。ウクライナには欧州最大の原発、ザポリージャ原発がある。同原発は今年3月からロシア軍の管理下に置かれている。戦争で同原発が爆発されれば、チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)以上の被害が欧州全土に広がるから、放射能汚染はスイスにも及ぶことは必至だ。

 スイスの核対策に関するニュースレターを読んでいると、日本はどうだろうか、という思いが沸いてくる。日本に核シェルターがどのぐらいあるのか、国民が徒歩30分圏内の核シェルターに避難できるだろうか。どう考えてみても日本ではスイスのような備えは不可能だ。

 日本の周辺にはロシアのほか、中国、北朝鮮が核を保有している。北朝鮮の場合、弾道ミサイルを発射するだけではなく、7回目の核実験を計画している。日本はスイス以上に核の脅威にさらされているとみて間違いないだろう。そこで日本は米国との核シェアリングで抑止力を行使するという考えが出てくるわけだ。

 スイスのニュースレターは最後に「核兵器が爆発した場合、その影響を完全には回避できない」として、核兵器が爆発した時の「対処」ではなく、「予防」が重要だと指摘し、記事を締めくくっている。

ロシア「スイスは中立国ではない」

 米国は北朝鮮とイラン両国とは国交を樹立していないから、平壌での米国の権益を保護する利益代表部は北欧のスウェーデンが務め、イランでは1980年以来、スイスが米国の利益代表部となっている。

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▲スイスのルガーノで開催された「ウクライナの復興に関する国際会議」(日本外務省公式サイトから)

 ところで、1815年のウィーン会議で永世中立を承認されて以来、200年以上の歴史を有するスイスの「中立」が揺れ出したのだ。スイス公共放送(SRF)が発信するウェブニュースによると、ロシア外務省は11日、「スイスがウクライナの権益を保護する利益代表部の役割を果たすことを認めない」という趣旨の声明を発表した。この声明は第一は敵国ウクライナへの対策だが、スイス側にとって「スイスを中立国とは見なさない」というロシア側の宣言と受け取れるからだ。実際、ロシア側は「スイスは違法な対ロシア制裁に加担している」と説明し、同国が中立主義を破り、欧米側に立っていると非難しているのだ。

 ロシアのプーチン大統領が今年2月24日、ロシア軍をウクライナに侵攻させて以来、欧州の政治情勢に大きな変化が出てきた。その一つは北欧の伝統的中立国スウェーデンとフィンランドが北大西洋条約機構(NATO)に加盟申請をしたことだ。1300キロ以上の対ロシア国境線を有するフィンランドは冷戦時代からのロシアへの融和政策を放棄し、NATO加盟を決定。同じように、スウェーデンもNATO加盟を決めたことで、欧州では中立主義を国是としている国はスイスとオーストリアの2カ国となった(スイスの場合、NATOばかりか、欧州連合(EU)にも未加盟)。

 そのスイスの中立主義はウクライナ戦争とそれに関連した欧州の対ロシア政策で揺れ出してきた。ロシア軍のウクライナ侵攻以来、「ウクライナ戦争では中立というポジションは本来、考えられない」として、欧米諸国はウクライナ支援で結束してきた。そのような中、スイスはウクライナ戦争勃発直後、欧米の対ロシア制裁を拒否してきたが、欧米諸国からの圧力もあって3月5日から、対ロシア制裁を実施した。

 スイス政府は当時、「ロシアが欧州の主権国を攻撃するという前例のない事態は、連邦内閣が従来の制裁方針を変える決め手となった。平和と安全保障を守り、国際法を順守することはスイスが民主国として欧州諸国と共有・支援する上での価値観だからだ」と述べ、「国際法の順守は中立主義の堅持より重要」という判断を下した。
 
 スイスは7月4日と5日の2日間、同国南部のルガーノで「ウクライナの復興に関する国際会議」を主催したばかりだ。同国のカシス大統領は5月のダボス会議で、「スイスは今後、協調的中立を目指す」と表明し、スイスがウクライナ問題では全面的に欧米諸国と歩調を合わせていく意向を明確にしている。

 それに対し、ロシアはスイスの外交政策の変化をいち早く見破り、同国外務省が今回、「スイスは中立国ではなくなったので、ウクライナの利益代表部を務めることはできない」と警告を発したわけだ。スイスが「永世中立」から「協調的中立」に衣替えをしたと表明しても、欧米の対ロシア政策に加担する以上、もはや中立ではないというわけだ。

 ロシア外務省の声明はスイスにとって大きな意味合いがある。スイスはジュネーブに国連の欧州本部を置き、世界の紛争の仲介、調停者的役割をこれまで果たしてきたが、今後はスイスはその役割から降りざるを得なくなることが予想されるからだ。

 蛇足だが、スイスが中立国ではないとなれば、中立主義に固執するオーストリアの仲介役としてのステイタスが高まる。国連都市ウィーンとジュネーブは過去、国際会議のホスト役争いを舞台裏で激しく競ってきた経緯があるだけに、ロシア外務省の今回の声明はオーストリアにとって願ってもないサポートだ。

 不思議なことは、オーストリアでは政府も国民もウクライナ戦争に直面しても中立主義を放棄するような動きはほとんど見られないことだ。一人の欧州外交官が、「オーストリアでは中立主義は宗教だ。だから、改宗することは難しいのだ」と解説していた。

スイスの「協調的中立」の行方は

 ロシア軍がウクライナに侵攻して4カ月が経過し、戦争は長期化の様相を深めてきたが、同時に、ロシア軍の攻撃を受け破壊されたウクライナの復興計画が欧米を中心に進められている。

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▲ルガーノでウクライナ復興会議を主催するカシス大統領兼外相(訪日したカシス大統領と会合する岸田文雄首相、2022年4月18日、首相官邸公式サイトから)

 戦闘が続き、停戦の見通しもついていない段階で復興計画は時期尚早という面もあるが、ウクライナ復興には天文学的な資金と人材が必要となる。第2次世界大戦後の最大のプロジェクトだ。当事国ウクライナばかりか、周辺の関係国にも大きな経済的インパクトを与えるだけに、復興計画を巡り外交の舞台裏で激しい主導権争いが展開されているわけだ。

 ウクライナ復興計画としては、欧州連合(EU)が先行している。EU欧州委員会のフォンデアライエン委員長は5月の「世界経済フォーラム」(通称ダボス会議)で、「EUがウクライナ復興では指導的役割を果たしていく」と表明済みだ。EUがウクライナをEU加盟候補国に認定したのは、停戦後のウクライナ復興で主導権を握るための第一歩だった、ともいえるかもしれない。

 EUの復興計画に対抗しているのは中立国のスイスだ。スイスのイグナツィオ・カシス大統領兼外相は同国南部ティチーノ州のルガーノでウクライナ復興会議を開催し、中立国の立場から復興計画を進める考えだ。キックオフ会議は今月4日から5日、参加国41カ国、世界銀行や国連など19の国際組織の代表がルガーノに結集する予定だ。「閣僚や首相、大統領レベルが参加する重要な会議になる」という。

 以下、スイス公共放送(SRF)のスイス・インフォが「ルガーノ復興会議」に関する最新ニュースレターを配信してきたので、「ルガーノ復興会議」の見通しやその課題について紹介する。

 ロシア軍のウクライナ侵攻以来、「ウクライナ戦争では中立というポジションは本来、考えられない」として、欧米諸国はウクライナ支援で結束してきた。そのような中、1815年のウィーン会議以来、中立主義を国是としてきたスイスはウクライナ戦争勃発直後、欧米の対ロシア制裁を拒否してきたが、欧米諸国からの圧力もあって3月5日から、対ロシア制裁を実施してきた。スイス銀行協会(SBA)によると、ロシア人顧客がスイス銀行に持つ口座に保有する資産は最大2000億フランに上ると推計、その大部分は制裁対象外だという。

 カシス大統領は5月のダボス会議で、「スイスは今後、協調的中立を目指す」と表明し、スイスがウクライナ問題では全面的に欧米諸国と歩調を合わせていく意向を明確にした。ちなみに、「復興会議」の開催地ルガーノはロシアとウクライナの鉄鋼取引の中心地で、同市には300人のロシア人(多くはオリガルヒ=新興財閥)が住んでいる。参考までに、世界有数の鉄鋼商社デュフェルコ・インターナショナル・トレーディング・ホールディング(DITH)の大株主は中国の鉄鋼メーカー河鋼集団だ。ロシアや中国の鉄鋼企業はルガーノに拠点を有している。

 ところで、復興会議となれば、その膨大な資金をどこから獲得し、誰がそれをまとめて運営していくかが大きなテーマだ。ウクライナのゼレンスキー大統領は5月23日、ダボス会議にオンラインで参加し、その中で、「ロシアの海外資産を見つけ出し、没収・凍結しなければならない」と訴えている。米下院では4月、オリガルヒの凍結された資産を没収・売却し、その資金をウクライナへの軍事・人道支援に充てるよう大統領に求める法案を可決している。

 ただし、オルガルヒが世界の銀行に保有している資金の没収案については、国際金融界をリードしてきたスイス銀行業界では抵抗が強い。スイス銀行の信頼を危機に落とす、という懸念があるからだ。また、ウクライナは戦争前、欧州で最も汚職・腐敗が拡大している国といわれてきた。それだけに、復興計画を推進する際にはその運営が大きな課題だ。資金が集まってても、それが効果的に使用されなければ、復興資金は枯れていくだろうし、国民の信頼も得られなくなる。

 スイスはEUにも北大西洋条約機構(NATO)にも加盟していない。同国が国連に加盟したのは2002年だ。国連に加盟して今年で20年目を迎えた。国連加盟国193カ国中、3番目に若い加盟国だ。そして今年6月9日、国連安全保障理事会の非常任理事国に初めて選出された。今回の非常任理事国候補に手を挙げる時も国内で意見が分かれた。非常任理事国となれば、同国の中立主義が揺れるのではないか、という懸念だ。保守系右派・国民党は昨年末、政府に立候補断念を要求する2件の動議を提出した。

 ウクライナ問題でも中立国の北欧2カ国、スウェーデンとフィンランドがNATO加盟に向かっている現在、「中立主義はもはや存在していない」、「中立主義はご都合主義的で時代遅れ」といった厳しい声も聞かれるが、スイスはオーストリアと共に、中立主義を堅持している。北朝鮮と外交関係がない米国のために在平壌のスウェーデン大使館が代行してきたように、スイスは近い将来、モスクワでウクライナの利益代行する、といった案も聞かれる。

 カシス大統領はルガーノの「復興会議」ではマーシャルプランに倣った「ルガーノ宣言」を採択したい意向という。いずれにしても、ルガーノの「復興会議」が成功するか否かは、スイスのその後の「協調的中立」の行方を左右することになる。

プーチン氏の愛人はスイスにいない?

 ちょっと週刊誌的なテーマから始めたい。ロシアのプーチン大統領の愛人の行方だ。欧州のメディアではアルプスの中立国スイスにプーチン氏の愛人、アリーナ・カバエワ氏が生活していると報じられてきた。新体操の元五輪代表アリーナ・カバエワ氏は2015年、スイス南部のティチーノ州ルガーノ市で女児を出産したが、女児の父親はプーチン氏だというのだ。ただし、ロシア大統領府報道官はカバエワ氏のスイス居住説も女児の父親がプーチン大統領説も否定してきた。

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▲スイスの観光地ツェルマットから眺めるマッターホルン(スイス政府観光局から)

 スイスはさまざまな噂や情報が生まれる土壌がある国だ。スイスには安楽死を願う人々が世界から集まる一方、世界から逃げてきた人々が住み着く“逃れの国”と呼ばれる。ウラジーミル・レーニンはスイスに逃れ、革命を計画し、ジャン・カルヴァンはスイスに逃れて宗教改革を起こした。

 カバエワさんがメディアの目から逃れるためにモスクワを脱出、アルプスの山脈を眺めながら静かな日々を送るためにスイスに居住していても不思議ではない。スイス国民は逃げてきた人に対しては懐が深いところがある。ひょっとしたら、プーチン大統領もウクライナ侵攻がうまくいかなくなった場合、軍部のクーデター説が流れ出しているから、スイスに政治亡命する日が出てくるかもしれない(プーチン氏は戦争犯罪でハーグの国際刑事裁判所(ICC)から起訴される可能性のほうが現実的かもしれないが)。

 話はロシア軍のウクライナ侵攻問題に入る。31日で既に開戦36日目を迎えた。トルコのイスタンブールでロシアとウクライナの外交交渉が開催されたが、大きな成果はもたらされていない。ロシア軍が首都キエフから部隊を一部撤退させたといった情報が流れる一方、西側の軍事専門家は、「4月1日はロシアで新しい徴兵が行われる日だ。これまでの兵士は去り、新しい徴兵のもとスタートする。ロシア軍はウクライナに派遣できる契約兵士を可能な限り広く徴兵する予定だ。そして4月中旬には新たな攻撃を開始できる体制を整えるはずだ。それまではマリウポリとドンバスでの行動を除けば、ロシア軍は地盤を固め、再編成し、ロジスティクスを管理しようとするだろう」と予想している。

 ところで、ロシア軍のウクライナ侵攻以来、欧州の4カ国の中立国では中立主義の見直し、北大西洋条約機構(NATO)加盟問題が新たにホットな政治課題となってきている。その一国、アルプスの中立国スイスはロシアがウクライナに侵攻した直後、欧州連合(EU)の制裁に全面的に追随することに消極的だった。だが米国やEU、国内世論の圧力を受け、スイス連邦政府は2月28日、欧米の対ロシア制裁に参加を表明した。そのニュースが流れると、「中立国スイスの伝統にも変化の兆しが見られてきた」と報じられたほどだ(制裁実施や紛争地への武器供給が即、中立主義の放棄を意味しない)。

 スイスは3月4日にはロシアからの輸入を禁止し、ロシアの銀行を国際銀行間通信協会(SWIFT)から排除するなど、金融活動に幅広い制限を課した。そして16日には、ロシアの個人や企業・団体に対する制裁対象を拡大し、ロシアとベラルーシのオリガルヒ(新興財閥)や著名な実業家を含む個人197人と9つの企業・団体がリストに追加された。ロシア人実業家のロマン・アブラモビッチ氏も含まれる。スイス・メディアによれば、新たに制裁対象となったロシア人のうち4人はスイスに住んでいる。

 スイスの首都ベルンで3月19日、ロシアのウクライナ侵攻に抗議するデモ集会があり、数千人が参加した。ウクライナのゼレンスキー大統領がキエフからライブストリーミングで演説し、スイスに対してはロシアのオリガルヒの資産と口座を凍結するように要求している。スイスのニュースサイト「スイス・インフォ」によれば、スイス国内の銀行が保有するロシア人顧客の資産は総額2000億フラン(約25兆円)に上るという。

 欧州の中立国の中でも、NATO加盟を模索し出した北欧のスウェーデンやフィンランドとは異なり、スイスは隣国オーストリアと同様、中立国の立場を放棄する考えはない。ロシア外務省から中立主義の堅持を要求されたオーストリアのネハンマー首相は、「わが国は軍事的には中立主義だが、政治的には中立ではない」として、ロシア軍のウクライナ侵攻を厳しく批判している。

くじ引きで「天の声」聞く?

 ポーランドの憲法裁判所が裁判官への懲戒処分を実施する権限を有しているとして、欧州連合(EU)から「司法の独立性に反し、EUの法に合致しない」と批判されているが、連邦裁判官を抽選で決めることの是非を問う国民投票を行おうとしている国がある。アルプスの小国スイスだ。

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▲占用のタロットカード(ウィキぺディアから)

 スイス放送協会のウェブサイト「スイス・インフォ」からニュースレター(11月2日)が送られてきた。スイスで現在、連邦裁判官の選出を抽選方式にするよう求めるイニシアチブ(国民発議)が提起されているというのだ。

 スイスでは裁判官は政党に属し、連邦議会で選出される。この制度を改革し、裁判官に対する政党の影響を少なくするために、抽選で連邦裁判官を選出すべきだ、というイニシアチブが提起されたのだ。

 今回の国民発議はスイスでも最も裕福な企業経営者の一人、アドリアン・ガッサー氏を中心とする市民委員会が提出したものだ。彼らの目的は司法の非政治化だ。現在の司法制度では三権分立が成立しておらず、司法は立法の延長線上にあるというわけだ。

 国民発議によれば、専門委員会が能力や資格を検討して連邦裁判官候補者を選び、その後、抽選で最終的に選出する。裁判官の再任選挙を廃止し、年齢制限は70歳まで。例外は、裁判官が病気で公務執行能力がなくなった時、汚職などを犯した場合には、連邦政府と議会が裁判官の解任を承認するという。

 抽選で連邦裁判官を決めるという発想はとてもユニークだ。同時に、民主主義という名目で汚職や腐敗がまかり通る現実の政界、司法界を刷新する手段として、抽選で裁判官ばかりか、政治家さえ選出する方法は案外、現実的ではないか。くじ引きで選出された場合、政党やしがらみから自由となる。無党派の政治家、裁判官が選ばれる道も開く。

 ドイツ語では「Der Mensch denkt Gott lenkt」(人は考え、神が導く)という諺がある。人間は決定を下すとき、様々な要因を考える。考えすぎて決定できなくなることも出てくる。一方、神はその人間に最善の道を提示する、という意味合いだ。くじ引き抽選という選出方法は人知を超えた神の働きを期待する意味合いがある。くじ引きは神の意思表示を提供するチャンスともなる。

 くじ引きで何かを決める方法は歴史が長い。例えば、新約聖書「使徒行伝」にはイスカリオテのユダがイエスを裏切ったために空席となったイエスの12番目の弟子を決める際、くじ引きが行われている。

 「使徒行伝」1章を読むと、2人の候補者、バルサバとマッテヤがたてられた。「全ての人の心をご存知である主よ、この2人のうちのどちらを選んで、ユダがこの使徒の職務から落ちて、自分の行くべきところへ行ったそのあとを継がせなさいますかお示し下さい」と祈った後、くじ引きを引いたところ、「マッテヤに当たった」と記述されている。

 ただ、スイス・インフォによれば、スイスの国民発議は支持される可能性は少ないという。くじ引きで連邦裁判官を選出する方法に何か無責任さを感じる国民が多いからかもしれない。それでは、有権者ともいうべき国民は常に正しい選択を下すことができただろうか。

 米国の作家マーク・トウェインは、「政治家とオムツは頻繁に代えるべきだ。さもなければ臭くなる」と名言を残している。要するに、権力を握る政治家は腐敗しやすいからだ。その政治家を民主的という名目でこれまで選挙で選出してきた。

 それでは、くじ引きで選出した政治家、裁判官の場合はどうだろうか。腐敗や汚職は減少するだろうか。冷静に考えると、有権者の投票で決めた政治家とくじ引きで選ばれた政治家の汚職度は大差はないだろう。スイスの多くの国民はこのように考えて、くじ引きによる連邦裁判官の選出に反対しているのだろう。民主主義の選挙システムがくじ引きによる選出より優れているという自信があるからではない。一国の首相、連邦裁判官をくじ引き、水晶占い、タロットで選ぶわけにはいかない、という民主主義国家のプライドがあるからだろう。

 話は少し飛ぶ。日本で1978年、自民党総裁選が行われ、現職の福田赳夫首相は対抗候補者の大平正芳幹事長に敗北した。その時、同首相は「民の声は天の声というが、天の声にも変な声がたまにはある」という台詞を残した。厳密に言えば、「民の声」は「天の声」ではないが、「天の声」という枕詞をつけることで権威を与えてきた。

 その「民の声」が揺れだしてきた。もはや誰も民主的選挙がベストとは考えなくなってきた。そのため、スイスのようにくじ引きを利用することで「天の声」を呼び戻そうといったアイデアが飛び出してくるのだろう。

スイス「同性婚合法化法」で国民投票

 スイスといえば、日本人が1度は訪問したい国の一つといわれてきた。アルプスの小国は永世中立国であり、直接民主制の国家で欧州連合(EU)にも加盟せず、独自の政治、社会体制を構築してきた。重要な法案は国民投票で決定してきた。同国では昔から世界から多くの難民、移民が避難してきた。避難民を収容する国としても知られている。レーニンはスイスに逃れ、革命を計画し、カルヴィンもスイスに逃れ、宗教改革を起こした。

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▲ミケランジェロの作品「アダムの創造」(ウィキぺディアから)

 しかし、ここにきてイスラム系移民の増加を受け、2009年11月29日、世界に先駆けてイスラム寺院のミナレット(塔)建設を禁止すべきかを問う国民投票を実施し、賛成57%でミナレット建設禁止を可決した国だ。スイスの外国人率は約25%だ。スイス国民はリベラルな傾向がある一方、非常に伝統を重視する保守的国民性を有している(「ミナレット建設禁止可決の影響」2009年12月1日参考)。

 ところで、大多数の欧州諸国が既に決定したが、スイスがまだ明確にしていない重要なテーマがある。同性婚の是非だ。そのスイスで今月26日、同性婚合法化に関する国民投票が実施される。ちなみに、世界でオランダが2001年4月1日、同性婚を最初に合法化した。その後、欧州を中心に同性婚を認知する国が増え、現在、29カ国が同性婚を認めている。欧州で同性愛者の婚姻を認めていない国は4カ国しかない。イタリア、ギリシャ、リヒテンシュタイン、そしてスイスだ。

 スイス連邦議会は昨年12月、同性婚合法化を盛り込んだ民法典改正案「全ての人に結婚の自由を」を可決した。同案が可決された直後、保守系政党「スイス民主同盟」(EDU/UDF)や「スイス国民党」らを中心に反対の声が上がり、国民投票が実施される運びとなった経緯がある。

 反対派は、「同性婚合法化は、社会的・政治的な裂け目を生み、男性と女性の間に築かれる永続的な関係としての婚姻の歴史的な定義を覆す」と指摘し、「婚姻は男性と女性の自然な関係であり、今後も保護されるべきである」(反対派の「国民投票委員会」の声明文)と強調。また、同性婚合法化が認められれば、女性への生殖補助医療の道が開かれ、近い将来代理出産の道が認められるようになる懸念が出てくる。法案はレスビアンには子供を持てることを認めているが、ゲイにはその道がないことから、「法改正で新たな男女差別を生み出す危険性がある」というわけだ(スイス公共放送協会のウェブサイト「スイスインフォ」日本語版)。

 同国の同性婚支持グループ「ピンク・クロス」が2020年実施した世論調査では、国民の約80%が同性婚合法化を支持している。同性婚の合法化に賛成する人々は、「同性愛者への不平等な差別をなくし、全てのカップルが同じ権利と義務を持つことが出来る」と主張する。

 なお、宗教界では、スイス福音教会連盟が2019年11月、同性婚の合法化に賛成を表明した。一方、スイスのカトリック教会司教会議やスイス福音ネットワークは同性婚合法化に反対している。

 スイスでも同性婚合法化問題では支持者が声を大に叫ぶ一方、反対者が自身の信念を表明することに躊躇する傾向が見られる。同性婚反対と言えば、“ポリティカル・コレクトネス”に反するといわれるからだ。だから、同性婚問題では多数派が口を閉じる一方、少数派は自身の権利を声高く叫ぶ、といった状況がスイスでも見られるわけだ。

 スイスではこれまで同性愛のカップルは「パートナーシップ制度」に登録できる。毎年約700組がこの制度を利用している。2018年以降は同性カップルでもパートナーの子供を養子縁組できる。

 以下は、当方が同性婚問題で考えている内容だ。

 民主主義では社会の多数派が政策や路線を決めていくが、性的少数派問題では多数派は沈黙し、少数派の声が傾聴されてきた。その結果、少数派はあたかも多数派のように受け取られ、ジェンダー問題で主導権を奪っていった。多数派は、寛容、連帯、多様性といった響きのいい言葉に酔いしれず、少数派と議論を交わすべきだろう。男女の性差は決して差別ではなく、生物的な相違だ。そして各性には生来与えられた機能、役割が備えられている。「位置」は社会によって多少の違いが出てくるとしても各性の「価値」は変わらない。同性婚は“与えられた条件”を放棄するものだ(ただし、生まれた時からホルモンの関係など生物学的な問題から性が明確ではないケースは少数だが存在することは事実だ)。

 同性婚の合法化問題を契機に、“与えられた性”に対して真摯に考えていくべきではないか。同性婚支持者は性をあたかも神のように自身で選択できると考えているが、現実はそうではない。繰り返すが、与えられたものだ。性を自身の好みで選択できるものではない。性的少数派への社会的差別は可能な限り除去しなければならないが、同性婚を男女間の異性婚と同列する法改正には反対せざるを得ない(「初めにジェンダーがあったのか?」2021年5月10日参考)。

「世界のエトス」キュング氏死去

 世界的神学者ハンス・キュング氏(Hans Kung)が6日、スイスのテュービンゲンの自宅で亡くなった。93歳だった。キュング氏といえば、ローマ・カトリック教会の第2バチカン公会議の合意に基づく教会の刷新に動いていたが、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(在位1978〜2005年)から聖職をはく奪された聖職者であり、神学者だった。カトリック教会で最も知られた教会改革者だった。晩年はパーキンソン病で公の場に姿を見せることはなかった。

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▲世界日報に掲載されたハンス・キュング氏との単独会見(2000年12月、ウィ―ンのホテルにて、撮影)

 キュング教授は1928年3月19日、スイスのルツェルツン州生まれ。神父。ローマのグレゴリアン大学で学び、ソルボン、パリ、ベルリン、ロンドンなどで勉学し、60年からテュービンゲン大学基礎神学教授に就任。第2バチカン公会議(1962〜65年)を提唱したヨハネ23世(在位1958〜63年)はキュング氏とヨーゼフ・ラッツィンガー氏(後日、教皇ベネディクト16世)を教皇アドバイサーに任命している。

 キュング氏の著書「教会」がベストセラーとなったが、バチカン教理省は当時、その本の翻訳を禁じた。キュング氏が「教皇の不可謬説」を否定したためで、79年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(当時)から聖職を剥奪された。その後、宗教の統一を目指して「世界のエトス」を提唱。「世界のエトス財団」の総裁をエバーハルト・シュティルツ氏に譲るまで世界の宗教界に大きな影響を与えてきた。1996年に退職するまでテュービンゲン大学神学教授を務めた。

 キュング氏は、「私はこれまで異なる宗教、世界観の統一を主張して『世界のエトス』を提唱してきた。宗教、世界観が異なっていたとしても人間の統一は可能と主張してきた。キリスト教、イスラム教、儒教、仏教などすべての宗教に含まれている共通の倫理をスタンダード化して、その統一を成し遂げる」と説明し、「宗教間の平和・統合がない限り、世界の平和もあり得ない」と主張してきた。

 ちなみに、べネディクト16世(在位2005〜13年)は2005年9月、教皇の別荘カステル・ガンドルフォにキュング氏を招き、会談したことがある。会談内容は公表されなかったが、当時キュング氏の名誉回復が近いのではないか、といった憶測が流れた。だが、同氏の生前中の名誉回復は実現しなかった。

 教授が聖職を剥奪された直接の原因は「教皇の不可謬説」や「教皇の絶対性」のドグマの否定だ。「教皇不可謬説」とは、カトリック教会の説明によると、ローマ教皇が教会の伝統として教えてきた信仰と道徳に関する内容を教皇座(エクス・カテドラ、ex cathedra)が宣言した場合(世界教会の霊的指導者として一定の手順を踏まえて語る場合)、「教皇は絶対に間違わない」というドグマだ。

 「教皇不可謬説」は1870年7月、第1バチカン公会議で教義(ドグマ)として宣言されたが、「教皇不可謬説」が公式にドグマと宣言されるまで紆余曲折があった。ピウス9世(在位1846〜78年)はカトリック教義の絶対性を主張し、教会改革派を批判、近代主義者、自由主義の誤謬を文書でまとめているほどだ。ちなみに、公会議では「教皇不可謬説」をドグマとする否かで協議されたが、意見が分かれ、多くの司教、神父たちが公会議から退出するというハプニングが起きている。「教皇不可謬説」がドグマとなれば、カトリック教義の乱用への道を開く、というのがその主要な批判点だった(「150年前「教皇不可謬」の教義宣言」2020年7月21日参考)。 

 キュング氏は教職資格を失った後も「自分は忠実なカトリック神学者だ」と主張し、「神は存在するか」「世界のエトス」など多数の著書を発表し、30カ国以上に翻訳された。ドイツカトリック教会司教会議のゲオルグ・べッツィンク議長は、「キュング氏はキリスト教や超教派との対話に努力してきた。彼は第2バチカン公会議の精神を実践してきた」と評価している。

 キュング教授が著書「7人の教皇たち」の中で、ローマ教皇フランシスコに対し、「フランシスコ教皇が実際、教会の改革を実施するのならば、司教や神父たちは教皇を支えるべきだ。改革は1人では難しい。それを支える多くの人々が必要だ。歴代のローマ教皇は語るだけだったが、フランシスコ教皇はスキャンダルの中にあったIOR(バチカンの資金 運営をつかさどる組織、宗教事業協会)を改革し、教会内の雰囲気も明るくしている」と語っている。

 当方は2000年12月、ウィーン訪問中のキュング氏と単独で会見する機会を与えられた。国連主導の「文明間の対話」というプロジェクトでキュング氏は指導的な役割を果たしていた。同氏は会見の中で、「私が主張する新しいパラダイムとは、対立から協調の世界であり、強国が弱小国家を制圧する世界に代わって、公平と平等に基づく世界だ。共通倫理は誰が決めるのではなく、我々の中に既に刻印されている。嘘をついてはならない、人を殺してはならない、といったモーセの十戒のような内容だ。これは聖書だけではなく、コーランの中にも明記されている。インド、中国の経典にも見出せる」と主張し、「世界の宗教者が一堂に結集して現代社会が直面している問題を協議することは国連を刷新する意味でも有益だ」と述べている(「世界的神学者キュング氏90歳に」2018年3月19日参考)。

 キュング氏が40年前に蒔いた教会の刷新への声は世界に広がり、聖職者の独身制の廃止や女性聖職者任命など様々な教会改革運動となって展開されてきた。キョング氏は自身が願ってきた「宗教の統合」を目撃出来なかったが、同氏が蒔いた種は着実に根を下ろしている。

葬儀屋はなぜヒーローになれないか

 スイス放送協会のウエブサイト「スイス・インフォ」からニュースレター(3月10日付)が届いた。その中にコロナ禍で遺体を運び、埋葬、火葬する葬儀屋の現況を報道した記事があった。コロナ禍で自身の感染リスクも顧みず、患者をケアする医師や看護師は英雄と称えられ、他の営業が閉鎖されている時も国民の食糧や日用品を販売しているスーパーの従業員に対しても感謝の声が聞かれるが、コロナ感染で亡くなった患者を運び、埋葬する葬儀屋さんに対しては感謝の声は聞かれない。スイス・インフォの記事は「葬儀屋はコロナ禍でなぜ英雄でないのか」を問いかけているのだ。

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▲スイスの葬儀屋さん(スイス・インフォ公式サイトから)

 欧州で最初に感染が拡大したイタリア北部ロンバルディア州のことを思い出す。コロナウイルスが猛威を振るい、多くの死者が連日、病院から葬儀場に秘かに運ばれていく。死者の数が多く、埋葬の場所がない。軍トラックで他の州に転送される写真が掲載されていた。医療は崩壊し、集中治療用ベッドもなくなり、どの患者に酸素呼吸器を提供するかを決定しなければならない医師たちは苦悩し、若い医師が病院のフロアに崩れ落ちて涙を流すシーンを撮った写真を見た。

 新型コロナは感染病だから、遺族関係者は亡くなった家人との一切のコンタクトが厳禁される。新型コロナの場合、妥協を許さないほど非常に厳格だ。新型コロナ患者は重症化した場合、集中治療室で人工呼吸器のお世話になる。不幸にも亡くなった患者は、家族、友人、知人に「さようなら」をいう時間すら与えられず、素早く火葬され、埋葬される。

 葬儀には、社会・地域で長い歴史を通じて培われた文化的内容が刻印されている。死者は厳粛な葬儀の洗礼を受けて旅立つ。しかし、中国武漢市で発生した新型コロナウイルスは新しい「死」を生み出したわけではないが、「死」を迎えた人と生きて送る人との別れの時を奪い取ってしまった。酷な業だ。

 オーストリア代表紙プレッセの科学欄(昨年4月25日付)は「新型コロナはウィルスで人を殺すだけではなく、残された遺族関係者には心的外傷後ストレス障害(PTSD)を与える」と述べている。PTSDはベトナム戦争やイラク戦争帰りの米軍兵士によく見られたが、新型コロナの場合にも遺族が死者との関係を断ち切られることで、消すことが出来ない精神的ダメージを受ける(「新型コロナは『人と死者』の関係断つ」2020年4月29日参考)。

 そのような状況下で、葬儀屋は感染リスクを顧みず、埋葬、火葬の責任を担当してきた。スイス・インフォは「葬儀屋は感染リスクに晒されながら最前線で貢献してきた。コロナ危機発生から1年経った今も、市民から拍手が送られたり、公に感謝の意を表されたりすることはない。一体なぜなのか?」と問いかける。その問いかけは決して僻みでも不平不満でもなく、葬儀屋さんの偽りのない現状だというのだ。

 「本来であれば遺族にしてあげられるはずのサポートを提供できないことが、葬儀屋自身をも不安にさせる。コロナ禍で公的に英雄視されないこと以上に、遺族関係者に対し葬儀のプロは負債感を持っている」という箇所を読んだ時、心が痛くなった。

 スイスの歴史学者ニック・ウルミ氏は、「この仕事で一番苦労するのは遺体の準備や埋葬・火葬ではない。遺体に触ることにはすぐ慣れるが、痛みや悲しみに慣れることはない。これはこの仕事をする限りつきまとう課題だ。葬儀屋の従業員は、皆口を揃えてそう言う」と証言している。

 欧州では感染リスクの職種に従事している国民が優先的にワクチン接種を受けるが、スイス連邦内務省保健庁(BAG/OFSP)はCOVID-19のワクチン接種優先グループから葬儀屋を外したという。それに対し、スイス葬祭業協会(SVB)のフィリップ・メッサ会長は、「我々は感染のリスクに晒されている。非常に残念だ」と嘆いている。この決定はコロナ禍で従事する葬儀屋さんの仕事が社会の認知を受けていないことを意味するだけに、辛いだろう。

 そこで今回のコラムのテーマだ。なぜ葬儀屋さんは社会的認知を受けないのだろうか。人間は死ぬ存在だ。だれにも等しく死が訪れてくる。その一方、死は久しくタブーの世界に追いやられてきた。だから、死を取り扱う葬儀屋さんの存在もあたかも存在しないかのように受け取られてきたのではないか。葬儀屋さんの職務が公の場で感謝されたり、英雄扱いされることは本来、考えられないのかもしれない。それ故に、といったらおかしいが、スイス・インフォの今回の記事は葬儀屋さんの現状を伝える貴重な証言だ。

 読者の中には日本の映画「おくりびと」(2008年、滝川洋二郎監督)を観られた方も多いだろう。そこでは納棺師の苦悩や日々が描かれ、多数の映画賞を獲得した作品だ。日本の納棺師とスイスの葬儀屋さんには文化、風習の違いがあるが、共通点もあるはずだ。ちなみに、同映画は第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞している。
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