ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

ロシア

ウクライナ和平サミット会議の行方

 スイスで今月15日、16日の2日間、「ウクライナ和平サミット会議」がルツェルン湖を望むホテル「ビュルゲンシュトック・リゾート」で開催される。サミット会議の開催地はスイスが誇る最高級のリゾート地だが、ウクライナ和平会議の成功に懐疑的な声が開催日が近づくにつれて大きくなってきた。

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▲ストックホルムで開催された第3回ウクライナ・北欧首脳会議サミットに参加したゼレンスキー大統領(2024年5月31日、ウクライナ大統領府公式サイトから)

 和平会議のスイス開催案は、世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)でウクライナのゼレンスキー大統領が要請したことがきっかけだ。会議は中立国スイスとウクライナ政府が共催する形で開催されるが、戦争の侵略国ロシアが招待されていないばかりか、ゼレンスキー大統領が期待していた中国も「ロシアの参加がない和平会議には意味がない」として参加を見送る意向を明らかにしたばかりだ。

 中国外務省の毛寧報道官は先月31日、「会談の性質は中国の要求や国際社会の期待を満たしていないため、中国の参加は困難だ。和平会議にはすべての当事者による平等な参加と、すべての和平計画に関する公正な議論が含まれるべきだ。そうでなければ、会議が平和を回復する上で実質的な役割を果たすことは困難になるだろう」と述べている。要するに、紛争当事国の一国、ロシアが欠席した和平会議では本当の解決は期待できないというわけだ。

 ロシアのプーチン大統領は先月16日に訪中し、習近平国家主席と首脳会談を行い、そこでスイス開催の和平会議には参加しないでほしいと強く要請してきたが、その甲斐があったわけだ。中国側はウクライナ戦争ではこれまで中立の立場を装ってきた経緯がある。中国が「会議に参加する」と決めたならば、ロシアとの関係が一挙に悪化することが予想されただけに、中国側は欠席以外の他の選択肢はなかったのが実情かもしれない。欧米の情報機関は、中国がロシアに武器などの軍事物質を支援していると指摘している。

 ちなみに、中国外務省は2023年2月24日、ウェブサイトで12項目の和平案を掲載し、両国に紛争の「政治的解決」を求めている。「和平案」という言葉は響きがいいが、実際は中国共産党政権の思想と合致している内容を「和平」という言葉でカムフラージェしているだけだ。和平案第12項目では、「一方的な制裁と圧力は問題を解決できず、新しい問題を生み出すだけだ」と明記している(「中国発『ウクライナ和平案』12項目」2023年2月25日参考)。

 クレムリンのドミトリー・ペスコフ報道官は、「中国は当初から、ロシアの参加なしではこのような首脳会談は無益だと警告してきた。ロシアなしでの平和の模索はまったく非論理的で、無意味で、時間の無駄だ」と主張した。

 ゼレンスキー大統領はスイスのサミット会議で、ロシア抜きで米国バイデン大統領、中国の習近平国家主席の参加のもと、ウクライナ側の和平案の支持を勝ち取り、プーチン大統領に圧力を行使するという青写真があったはずだ。開催前からサミット会議の成功が揺れ出してきた感はするが、「中国の欠席」はサプライズではない。

 ゼレンスキー大統領はここにきて欧米諸国だけではなく、ロシアの友好国にも接近し、ウクライナの立場に理解を得るための外交に力を入れ出している。サウジアラビアを訪問し、シンガポールで開催されたアジア安全保障会議にも参加し、キーウの和平への意向を伝えるなど、アラブ・イスラム国の支持を募っている。

 プーチン大統領は、キーウ政府と西側諸国がウクライナ東部での領土獲得を認めることを条件に、交渉する用意があることを呼びかけてきた。ロシアは2014年にクリミア半島を併合し、ウクライナの東部と南部の4地域を不法に占領している。

 一方、ゼレンスキー氏は2022年10月11日、主要7カ国先進諸国(G7)の首脳に対し、10項目から成る「平和の公式」を提唱し、クリミアを含むすべての占領地からのロシア軍の即時撤退などを要求している(「ゼレンスキー氏が愛する『平和の公式』」2023年12月15日参考)。ロシアとウクライナの和平交渉へのスタートポジションはまったく異なっているわけだ。

 ウクライナを取り巻く状況は厳しい。ロシア軍はウクライナで攻勢をかけ、武器と兵力不足のウクライナ軍は守勢に回されている。ウクライナ側の強い要請を受け、米国や英、仏、独はここにきて、「ウクライナに供与した武器をロシア領土内の軍事施設への攻撃に使用してもいい」とその姿勢をチェンジしたばかりだ。

 なお、サミット会議前に実施される欧州議会選挙(6月6日〜9日)ではウクライナ支援に懐疑的な極右政党がその勢力を伸ばすことが予想されている。そして今年11月5日に実施される米大統領選挙がある。「もしトラ」となった場合、ウクライナの最大援助国米国からの武器支援が途絶える可能性も考えられる。

 開催国スイスのメディアは「スイス政府がサミット会議開催を提案したことは国際的な評判を維持するための崇高な努力ではあるが、失敗に終わる可能性が高まっている」と、悲観的に報じ出してきた。

中露首脳会談で保留された3つの問題

 ロシアのプーチン大統領は16日から2日間の日程で中国を訪問し、習近平国家主席と首脳会談をし、中露両国の関係強化などをうたった共同声明に署名するなど、それなりの成果を挙げてモスクワに帰国した。プーチン氏にとって通算5期目の最初の外遊地に中国を選んだのは、中国との関係がロシアにとって不可欠の関係となってきたからだ。

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▲会談後、共同声明に署名したプーチン大統領と習近平国家主席(2024年5月16日、北京で、クレムリン公式サイトから)

 ところで、モスクワから流れてくる情報によると、プーチン大統領と習近平国家主席との首脳会談では未解決問題として残された3つのテーマがあるという。以下、その3点を紹介しながら、「永遠の兄弟」と謳った両国関係の舞台裏をちょっと覗いてみた。

 |羚颪肇蹈轡⇔捷餞屬遼念廚漏菷な動きを見せている。その主因はロシアが2022年2月、ウクライナに軍事侵攻して以来、欧米諸国からの経済制裁を受け、必要な先端機材を欧州から輸入できなくなったため、中国から密かに輸入する一方、天然ガスや原油の地下資源を欧州諸国から中国に移動して、輸出してきたからだ。ロイター通信は今年1月、「 中国税関総署が公表した統計によると、2023年の中国とロシアの貿易総額は過去最高の2400億ドルだった」と報じている。

 問題は中国側から出てきた。貿易決算をどのようにするか、どの銀行が両国貿易の決算の窓口となるかだ。中国の大手銀行はロシアとの貿易決算が明らかになると、米国や欧州諸国から制裁され、国際取引から追放される危険性が出てくることから、躊躇しているといわれているのだ。

 中国側の不安はロシアと北朝鮮との貿易取引でも表面化している問題だ。米国情報当局者らによると、ロシアは、ロシアの金融機関に預けられている北朝鮮の凍結資産3000万ドルのうち900万ドルの放出を許可しただけではなく、北朝鮮がロシアの地方銀行に口座を開くことを承認するなど、金融分野でも北側を支援している。その結果、北側はロシア国内で開いた銀行口座を利用して貿易取引が可能となる道が開かれた、というのだ。果たして、中国の大手銀行が欧米の制裁の危険を冒してまで、中露貿易の取引に関与するかは不明だ(「中国『金正恩氏のロシアへの傾斜』懸念」2024年3月26日参考)。

 ▲好ぅ垢罵莊遑隠菊〜16日、ウクライナ戦争の平和的解決を目指す「ウクライナ和平サミット」が開催される予定だ。スイスの和平サミット会議の開催案は、世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)で、ウクライナのゼレンスキー大統領が要請したことがきっかけで、スイスとウクライナが共同発表した。

 問題は参加国だ。特に、ロシアのウクライナ侵攻で中立的な立場を取っている有力国をサミット会議に引っ張りだすことだ。第一は中国だ。そしてインド、南アフリカ、サウジアラビア、ブラジルなど「グローバル・サウス」が続く。ロシアが参加するのは非現実的だが、中国の参加は現時点ではまだ流動的だ。

 中国はこれまで正式には欠席も参加も表明していない。プーチン氏としては訪中で習近平主席から「スイスのサミット会議には参加しない」という言質を取りたかったはずだが、ロシアと中国のメディアから判断すると、成功しなかったようだ。

 プーチン大統領は中国に天然ガスや原油をもっと輸入してほしい。そのために「第2のパイプライン建設」を北京側に打診してきたが、これまでのところ北京からはいい返事が来ない。中国側は「ロシアの地下資源をこれ以上輸入すれば、エネルギーをロシアに依存することになる」と警戒しているという。ロシアは昨年、サウジアラビアを抜き、中国にとって最大の原油輸入元になった。

 北京の懸念は欧州のドイツを思い出せば理解できる。ロシアからバルト海峡を経由してドイツに天然ガスを送るパイプライン「ノルド・ストリーム2」は2021年秋に完成したが、ウクライナ戦争が起きたことから、ロシアからのエネルギー依存はドイツばかりか欧州の安全保障にもマイナスだという判断から、米国はショルツ独政府に「ノルド・ストリーム2」の操業開始を断念するように圧力を行使。ショルツ首相は「ノルド・ストリーム2の操業開始を停止する」と公表している。

 北京側はドイツのエネルギー政策を学習し、ロシアからの安価なガスをどんどん輸入していけば、第2のドイツのようになってしまう、という判断が働いているのだろう。今回、プーチン大統領の訪中団にはロシア国営エネルギー「ガスプロム」(Gazprom)関係者は入っていなかった。ということは、中露間の「第2のパイプライン建設」案は現時点では保留されているとみて間違いないだろう。

 以上、中露首脳会談の舞台裏を振り返ると、「永遠の兄弟」の中露間はけっして良好な関係とはいえないわけだ。中国側はウクライナ戦争で経済的にも窮地のロシアとの交渉では巧みに相手の譲歩を得る作戦に出てきている。西側では、ロシアは中国の「ジュニアパートナー」といった表現さえ聞かれるが、それだけではない。口の悪いジャーナリストは「中国にとってロシアは安価なガスや原油が手に入る給油所(ガスステーション)に過ぎない」と揶揄しているのだ。

ロシアは中国のジュニアパートナーに

 ロシアのプーチン大統領は7日、通算5期目の就任式を終え、最初の外遊先を中国と決め、16日から17日の2日間の日程で訪中した。初日の16日、プーチン氏は中国の習近平国家主席と北京人民大会堂で首脳会談を行い、両国間の関係深化を明記した合意文書に署名した。両首脳間の詳細な会談内容については公表されていないが、3年目に入ったウクライナ戦争の対応、中東問題などのトピックスの他、両国間の経済関係、軍事関係の強化が主要議題だっただろう。ロシアは中国から西側の制裁で入手できない半導体などの機材や武器を、中国側はロシアから天然ガス、原油などの地下資源のほか、ロシアの軍事、武器システムに強い関心を有していることは知られている。

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▲プーチン大統領を迎える中国の習近平国家主席(2024年5月16日、クレムリン公式サイトから)


 北京からの時事通信電によると、プーチン大統領は16日、北京で大規模交流行事「中露文化年」開幕を記念するコンサートで演説し、中国と国交を樹立した1949年当時にソ連で作られた歌の一節を引用し、「中露は永遠の兄弟」と述べたという。ソ連時代を含み、ロシアと中国は共産主義国として通称「兄弟国」と呼ばれてきた。兄はロシア、弟は中国といった兄弟関係が久しく続いた。

 両国関係は時代と共に少しづつ変わってきた。ロシアが発展途上の中国を軍事・経済両面で支援する関係が続いたが、中国の国民経済が世界第2の経済大国となってからは中露関係にも変化が出てきた。ロシアが軍事大国、中国が経済大国としてそれぞれ自国の得意とする分野で相互支援する関係となった。

 その関係が激変したのはやはりウクライナ戦争の勃発後だ。ロシアは国際社会からの制裁下、戦争経済体制を敷き、不足する武器や先端科学器材を中国経由で入手するようになってから、力関係で中国が上位となってきた。欧州の政治学者は「ロシアは中国のジュニアパートナーになってしまった」と指摘するほどだ。ロシアが中国を凌ぐ分野は核関連技術や軍事開発分野だけだというのだ。「永遠の兄弟」の中露パートナーシップも質的変化を遂げたわけだ。

 ロシアと中国両国は独裁専制主義、反民主主義国という点で共通している。そして両国関係を強固にしている要因はアンチ西側だ。ただ、中国の場合、国民経済の発展のためには欧米諸国との経済関係が不可欠だ。だから、欧米世界からの制裁を懸念して、ウクライナ戦争ではロシアを全面的支援することを巧みに避けてきた。

 中国共産党政権は「世界の平和実現のために国際貢献をする用意がある」と、中国外交を吹聴するが、紛争国とは常に一定の距離を置いている。ウクライナ戦争では独自の和平案を作成して仲介に乗り出す姿勢を示し、中東紛争では等距離外交に腐心している。中国外交が具体的な成果が乏しいのは、北京政府の軸が国益重視にあるから、掛け声とは異なり、中途半端な外交になってしまうからだ。

 米国、オーストラリア、日韓は中国が台湾に軍事攻勢を仕掛けるのではないかと懸念している。3期目の任期に突入した習近平主席としては歴史に残る「台湾再統合」という夢を実現したいところだろが、世界最大の軍事大国米国を敵に回す結果となる軍事的冒険に乗り出す決意はまだ固まっていない。換言すれば、今年11月の大統領選挙の結果待ちだろう。

 バイデン政権の継続かトランプ氏のホワイトハウスカムバックかでは中国側の対応もやはり変わらざるを得ないからだ。バイデン民主党政権の場合、次の一手が予測可能だが、トランプ第2次政権の場合、数年先どころか明日も分からないといった不安が一蹴できない。米国と貿易問題で対立している中国は、制裁を恐れ、どうしても外交では慎重にならざるを得ないわけだ。

 ロシアはウクライナに侵攻する一方、旧ソ連共和国だった地域への軍事介入を密かに進めている。中国共産党政権は長期の視点から世界制覇を夢見ている。だから、中国は必要ならば欧米諸国に譲歩したり、妥協もする。一方、プーチン大統領は西側諸国への譲歩は基本的にできない。頑固だからではない。プーチン帝国のナラティブの舞台は旧ソ連世界どまりだからだ。

 いずれにしても、ロシアでは遅くとも2036年にはポスト・プーチン時代に入る。中国の場合、習近平主席は終身制を狙っているかもしれないが、大国中国を完全に掌握し続けることは困難だ。実際、習近平主席暗殺未遂事件が多発している。その意味で、ロシアでも中国でも時がくれば、新し政治体制が出てくるかもしれない。ひょっとしたら、そう遠くないかもしれない。

 一方、自由・民主主義諸国はどうだろうか。自由・民主主義という「共通の価値観」を有すると自負するが、欧州連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国の現状をみると、「共通の価値観」で結び付いた関係とはどうしても言えないのだ。「永遠の兄弟」をスローガンとするロシア・中国に対して、米国を中心とした自由民主陣営にはどのような標語が相応しいだろうか。

露新国防相はウクライナには危険か

 インスブルック大学の政治学者、ロシア専門家のゲルハルト・マンゴット教授は13日、独民間ニュース専門局ntvで「ショイグ国防相の解任はサプライズではない」と語っていたように、同国防相の解任の噂が囁かれてきた。

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▲べロウソフ新国防相(ウィキぺディアから)

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▲留任されたミシュスチン首相と解任されたショルグ国防相(2024年05月07日、クレムリン公式サイトから)

 プーチン大統領は7日、通算5期目の就任後、新しい政府を組閣する。ミシュスチン首相やラブロフ外相など主要閣僚の留任は十分に予想されていたが、注目されたのはショイグ国防相だ。プーチン氏の最側近の一人、ショイグ国防相の左遷すら噂されていたからだ。曰く、「プーチン氏は軍が余りにも強力過ぎると考え、ショイグ国防相の権限を制限しようとしている」というのだ。ショイグ国防相の信頼者の一人、イワノフ副国防相は4月、収賄容疑で既に拘束されていた。(「プーチン氏の新たな6年間の始まり」2024年5月7日参考)。

 一方、ショイグ国防相の解任がサプライズと受け取られた理由としては、昨年末からロシア軍が攻勢をかけ、今年に入ってもロシア軍はウクライナ東部でかなりの領域を占領するなど、ウクライナ軍の武器・兵力不足もあって軍事的成果を挙げてきていた。そのうえ、戦時中にその担当の国防相を解任することは通常ではないからだ。

 ショイグ国防相を批判してきたロシア民間軍事組織「ワグネル」の指導者、エフゲニー・プリゴジンの反乱が昨年夏に生じたが、反乱は短時間で崩壊し、プリゴジンと傭兵部隊のリーダーが飛行機事故死で幕を閉じてからは、ショイグ氏の地位は強化されたと考えられていた矢先だ。

 結果として、ショイグ国防相は解任されたが、プーチン大統領が主導する国家最高意思決定機関の国家安全保障会議書記のポストを得た。人事的には一閣僚より高いポストだからショイグ氏は昇進したとも受け取れるわけだ。ただし、ショイグ氏には権限はない。

 ntvのウェブサイトでヤン・ゲンガー記者は13日、ショイグ国防相について、「ショイグ氏は長年にわたり緊急事態省の大臣を務め、軍務を経験していないにもかかわらず将官の階級を得た。2012年に国防相に任命された。ウクライナ侵攻中のロシア軍の多くの失敗や腐敗が広く知られているにもかかわらず、ショイグ氏はほぼ不可侵でその地位を維持してきた。それは主に、プーチン氏との親近感によるものだ。両者はショイグ氏の故郷で何度か一緒に休暇を過ごし、釣りをしている写真がある」と説明し、プーチン氏がショイグ国防相を信頼してきたことが伺えると分析している。

 一方、ショイグ国防相の後任に選出されたアンドレイ・ベロウソフ新国防相はウクライナにとって危険になる可能性があると指摘する声が聞かれる。ベロウソフ氏はショイグ国防相と同様、軍事キャリアを有していない。ショイグ国防相とベロウソフ新国防相との違いは、ゲンガー記者によると、前者が軍服を好み、後者は地味なスーツを好む点だという。 

 ベロウソフは経済学者だ。彼はソビエト連邦で経済学を学び、プーチン氏の経済顧問として仕えてきた。彼は2020年1月以来、第一副首相を務めている。 ロシア経済が西側の財政制裁にもかかわらず、プラス成長を実現した背後には、ベロウソフ氏の貢献があったことは間違いないだろう。旧ソ連・東欧諸国の経済統計分析で有名な「ウィーン国際比較経済研究所」(WIIW)によると、2023年のロシアの経済成長率は推定3.5%とプラス成長だった。

 それではなぜ新国防相はウクライナにとって危険な人物かというと、経済学者の新国防相は膨大な軍事支出をより効率的に活用することを主要任務としているからだ。ということは、戦時経済体制のロシアの膨大な軍事費を効果的に運営することでウクライナとの長期戦に耐え、戦いに勝利していくというプーチン大統領の計算があるからだ。プーチン氏は勝利するまで戦争を止める考えがないことを改めて明らかにしたわけだ。

 マンゴット教授は「ベロウソフ新国防相は軍事予算の効率的運営を担当し、戦場での戦略、作戦はゲラシモフ参謀総長が担当するだろう」と予想している。べロウソフ新国防相はロシアの軍事産業を強化し、ウクライナに圧力をかける意向というわけだ。

 以上、軍服よりスーツ姿を好む新国防相べロウソフ氏は、ゼレンスキー大統領とウクライナ軍にとって危険な人物といえる。

「自由」の価値を知るロシア人は何処に

 ロシアの著名な哲学者アレキサンダー・ジプコ氏(Alexander Zipko)は独週刊誌シュピーゲル(2023年7月8日号)とのインタビューの中で、「プーチン氏は生来、自己愛が強い人間だ」と述べる一方、「ロシア国民は強い指導者を願い、その独裁的な指導の下で生きることを願っている」という。同氏によると、「ロシア人は自身で人生を選択しなければならない自由を最も恐れている」というのだ。

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▲対独戦争勝利記念日の日、赤の広場で挙行された軍事パレード(2024年5月9日、クレムリン公式サイトから)

 現代人は「自由」を愛し、自分の願いを誰からも妨げられずに果たせる無制限な自由を恋い慕う。「自由」という言葉は多分、「歌の世界」でも「文学の世界」でも「愛」という言葉に次いで最も頻繁に飛び出す言葉(ロゴス)ではないか。その「自由」をロシア国民は最も恐れているというのだ。

 ロシア国民の心理状況を理解するためには、唯物論世界観の共産主義思想を国是として世界で初めて建設されたソ連共産党政権時代、その後継国ロシアの歴史まで戻らなければならないかもしれない。ロシア人は粛清と圧制下の100年以上の歴史に刻み込まれた生き方から脱皮できないでいるのかもしれない。

 自分の意思で人生を決めるような人間が出てくると、最悪の場合、彼らは粛清され、政治犯として収容所に送られていった。ロシア国民はそれを見、聞いてきたので、大多数の国民は「自由」を悪魔の誘惑のように感じてきたのかもしれない。

 そのような中でも「自由」を自身の命以上に重視するロシア人も出てきた。最近ではプーチン大統領の批判者、反体制派活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏の名を挙げることができるだろう。同氏は2月16日、収監先の刑務所で死去した。47歳だった。明確な死因については不明だ。同氏は昨年末、新たに禁錮19年を言い渡され、過酷な極北の刑務所に移され、厳しい環境の中で獄死した。

 一人のロシア人が「自分はナワリヌイ氏の政治信条には同意できないが、同氏がドイツで治療を受けた後、再びモスクワに戻ったその決意には尊敬せざるを得ない。彼はモスクワに戻れば死が待っていることを知っていたはずだ」と述べていた。

 当方は60万人のイスラエルの民を率いて神の約束の地カナンに向かったモーセの生き方に強い関心がある。エジプトのファラオ(王)の王子として成長したモーセは奴隷となって酷使されているイスラエルの民をみて心を痛める。ある日、奴隷のイスラエル人を殴打するエジプトの兵士を見て激怒し、その兵士を殺害する。そのことが伝わり、モーセは王宮を後にして逃避する。放浪生活後、ミデヤン人の祭司のイテロの家庭に拾われ、その祭司の娘チッポラと結婚して子供をもうけるが、エジプトに残してきたイスラエルの民を忘れることができないので、エジプトに戻り、ファラオにイスラエルの民の解放を願う。モーセの話は旧約聖書の「出エジプト記」に記述されている。

 出エジプトしたイスラエルの民は荒野でさまざまな困難に直面すると、「エジプトに戻りたい。あそこでは飢えることはなかった」と嘆く。それに対し、モーセは民の不信に激怒しながらも、エジプトからイスラエルの民を導いた神に問いかけるシーンがある。

 一人のラビが言っていた事を思い出す。「イスラエルの民は奴隷の身から解放されたが、『自由』の価値を知り、それを経験した者はいなかった。一方、モーセはエジプト時代、王子として自由を享受できる立場にあった。彼は自由を体験していた。荒野での試練に対して、モーセとイスラエルの民の反応が異なったのは、その自由体験の有無だ」という趣旨を述べていた。

 ロシア国民はモーセ時代のイスラエルの民と同じように、自由を体験していない。そのような中でもナワリヌイ氏のように「自由」を求めて立ち上がるロシア人が出てきた。ナワリヌイ氏はその強い意志力もあったが、自由を体験している。毒薬で殺害されそうになり、ドイツの病院で治療を受けたが、そのドイツ治療時代は同氏にとって自由だったはずだ。同氏は治療が終わるとモスクワに戻っていった。ちょうど、モーセがエジプトから荒野路程の生き方を選んだようにだ。自由を一度でも味わった人はそれを奪われると激しい抵抗をする。自由のために自身の命すら捨てることを厭わなくなるものだ。

 ゴルバチョフ大統領時代、外交問題の顧問チームの一員だったジプコ氏は、「ゴルバチョフ時代、共産党政治局員会議ではメンバー間で論争があったが、プーチン氏の時代になって、会議はプーチン氏の語る内容を傾聴するだけの場となり、議論があったことは一度もない」という。部下たちはプーチン氏が語る内容を「然り」と聞くだけで、西側社会では当然の「議論文化」はロシアではゴルバチョフ時代の短い期間を除けば育ったことがないという。民主主義が何かを理解しているロシア国民は少ないのだ(「『自由』はロシア国民を不安にさせる」2023年7月15日参考)。

 モーセはカナン入りを目の前にしながら約束の地に足を踏み入れることはできなかった。それを悔いるモーセに対し、妻チッポラは「あなたは入れないが、子供たちがカナンに入るだろう」といって慰めた。ロシア国民に「あなた方が自由を得るためにはポスト・プーチン時代の到来まで待たなければならない」といった慰めは非情だ。

 プーチン大統領は7日、通算5期目の新しい任期をスタートさせた、ロシアの憲法上から、プーチン氏は2036年まで現在の地位を維持できる。そのような中、「自由」のために立ち上がるロシア人が出てくるとしたら、そのロシア人は「自由」の価値を知り、体験した人間に違いないはずだ。

プーチン氏の新たな6年間の始まり

 ロシアのプーチン大統領は7日、新たな6年間の任期をスタートする。今年3月の大統領選では87.28%と西側の政治家が夢にも見ることが出来ない高得票率で通算5選を果たした。5選目となるとその喜びも定例化して大騒ぎして祝うということはないのかもしれないが、プーチン氏個人にとって心が高まる瞬間であることは間違いないだろう。

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▲正教会の復活祭の日、ロシア国民に祝意を表明するプーチン大統領=2024年5月5日(クレムリン公式サイトから)

 少し、プーチン氏の5月のスケジュールを見ると、クレムリンで7日の就任式後、8日には2014年5月に設されたロシア主導の「ユーラシア経済連合」の創設記念サミットが外国首脳を招いてモスクワで開催される。そして9日にはソ連の対独戦争勝利記念日の祝典が開かれ、プーチン大統領の演説の他、軍事パレードが挙行される。「キーウ政府のネオナチ政権」打倒を掲げて始めたウクライナ戦争は既に3年目に入っている。9日の式典でのプーチン大統領の演説内容が注目される。

 外交では、今月15日から16日にかけ中国訪問、習近平国家主席との首脳会談が予定されている(変更もあり得る)。米国を中心とした西側世界に挑戦するプーチン氏としては中国との関係強化が不可欠だ。プーチン大統領はオランダ・ハーグに本部を置く国際刑事裁判所(ICC)から戦争犯罪人として逮捕状が発布されている身だ。プーチン氏が外遊できる国は中国や北朝鮮といったICC未加盟国しかない。ソ連国家保安委員会(KGB)時代を過ごしたドイツにも行けなくなった。プーチン氏は訪中でロシアが国際的に孤立していないことを見せつけたいところだろう。

 プーチン氏は就任後、新しい政府を組閣するが、西側メディアによると、ミシュスチン首相やラブロフ外相など主要閣僚は留任すると見られている。注目されるのはショイグ国防相だ。四半世紀、25年余り政権を握っているプーチン氏の権力基盤はさぞかし安定しているだろうと想像するが、そうともいえないのだ。プーチン氏の最側近の一人、ショイグ国防相の左遷すらここにきて噂されているからだ。曰く、「プーチン氏は軍が余りにも強力過ぎると考え、ショイグ国防相の権限を制限しようとしている」というのだ。ショイグ国防相の信頼者イワノフ副国防相は収賄容疑で既に拘束されている。米国のシンクタンク、カーネギー研究所の政治学者、マクシム・サモルコフ氏は「全ては制御されているように見えるが、いつでも全てが崩壊・混乱する可能性がある」と述べている(ドイツ民間ニュース専門局ntv5月5日のニュース報道から)

 いずれにしても、ロシア軍の現在の進攻について、西側軍事専門家もロシア軍の戦術的成功を認めている。プーチン氏は今日、少なくとも東部のハルキウと南部のオデッサを占領し、ウクライナから黒海への海洋アクセスを奪うことを考えている可能性がある。

 ところで、欧米・日本など先進経済国から厳しい制裁を受けているロシアの国民経済はどうだろうか。経済統計を見る限りでは、リセッション(景気後退)に悩む欧州の経済大国ドイツの国民経済を尻目に、ロシア経済は2023年、前年のマイナス成長から約3.5%のプラス成長を達成した。プーチン大統領は欧米諸国の制裁の影響を聞かれる度に、「大した影響はない」と豪語してきたが、経済統計を見る限り、決して強がりだけとはいえない。

 ロシアは西側の禁輸措置以降、中国やインドなどに石油や天然ガスなどの資源を輸出している。また、戦時経済の活性化もあり、ロシアは今年約3%の成長を見込んでいる。

 旧ソ連・東欧諸国の経済統計分析で有名な「ウィーン国際比較経済研究所」(WIIW)は「2023年のロシアの経済成長率は推定3.5%で、昨年のマイナス1.2%からプラス成長を記録。強いマクロファンダメンタルズ(公的債務や外国債務の低さなど)と、中国や制裁に参加していない他の国々への貿易の流れの方向転換のおかげで、経済は西側の制裁に対して回復力があることが証明された」と指摘。そして「景気回復の主な原動力は戦争関連の鉱工業生産と政府投資であり、一部の試算によれば、これらは製造業の成長に60%、GDP成長に40%貢献した。マイナス面としては、財政拡大により連邦予算が赤字に陥り、昨年はGDPの1.9%に達した」という。

 ミュンヘンのIfo経済研究所とEconpol(経済財政政策研究のための欧州ネットワーク)は新しい報告書の中で、「ロシアは旧ソ連諸国、中国、そして北大西洋条約機構(NATO)加盟国であるトルコ経由で西側の経済制裁を巧みに回避している」と説明している。

 同報告書によると、「ロシアの近隣地域から重要な経済物品や軍事的に重要な部品の輸入は近年急増している。例えば、アルメニア、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、トルコは2022年にはロシア経済に不可欠な物品、または軍需産業にとって重要な物品を50倍もロシアに輸出した。ロシアは現在香港から大量の半導体を輸入している。中央アジアではカザフスタンが制裁回避において主要な役割を果たしている。カザフスタンからロシアへのデータ処理機器輸出は2022年以降、劇的に増加している」という。欧米諸国にとっての懸念は、トルコの企業が制裁回避に役割を果たしていることだ。

 欧米諸国の制裁は現時点では資源大国のロシア経済を危機に陥れるほどの影響を与えていないが、全く効果がないかというとそうとは言えない。ボクサーがボディーブローを受け続けると、ラウンドを重ねるのにつれて効いてくるように、欧米諸国の対ロシア制裁は多分、ボクサーのボディーブローだろう。その効果が出るまで制裁を続ける以外にない。懸念は、ボディーブローを受け続けているボクサー(ロシア)が倒れる前に、制裁を科す側(欧米諸国)が叩き疲れたり、息切れしないかという点だ。

黒海の真珠・オデッサ市が危ない!

 ウクライナの首都キーウからオーストリアの首都ウィーンまで直線距離は約1050キロしかない。ロシア軍が2022年2月、ウクライナに侵攻して以来、オーストリアにも数万人のウクライナ避難民、主に女性と子供が逃げてきた。

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▲オデッサのシンボル、リシュリュー公爵の像をロシア軍の攻撃から守る市民たち(2022年3月当時)=オデッサ当局の公式サイトから

 ウクライナ避難民はオーストリアでドイツ語を学びながら、生活費を稼ぐためにさまざまな職業についてきた。ロシア軍の攻撃がウクライナ東部に限定されていた時、ウィーンに避難していた若い女性が「私は故郷に戻る」と決意し、出身地のオデッサに戻っていった。当時、オデッサやリヴィウはまだ戦争の影響は少なく、域内避難民も集まってきていた。ロシア軍のミサイルが飛んでくる恐れは少なかった。オデッサに戻ったウクライナ女性は「オデッサは大丈夫だ」という判断と、「故郷に置いてきた両親に再会したい」という思いが重なって、ウィーンからウクライナに戻っていったわけだ。戦争中だが、望郷の念が強いウクライナ人は少なくない。

 そのオデッサが現在、ロシア軍によって激しい攻撃を受けている。

 インスブルック大学政治学者のロシア専門家マンゴット教授は1日、ドイツ民間ニュース専門局ntvとのインタビューの中で、ロシア軍が先月29日、ウクライナ南部オデッサでクラスター弾を使用したと指摘、クラスター弾が落下した広い範囲で爆薬が散布された可能性があり、市民にとって危険な状況だと述べていた。

 クラスター弾は「ストロイミュニション(Streumunition)」とも呼ばれ、爆撃機から投下されるか、ハウビッツ砲、砲兵砲、ロケットランチャーからのロケットとして発射される。高い爆発力と柔軟な使用方法により、さまざまな目標を攻撃することができる。クラスター弾の不発率は最大45%と非常に高いため、周辺の住民にとって極めて危険だ。そのため、クラスター爆弾は国際的に非人道的な兵器とされている。クラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)は2010年8月1日に発効、2023年3月1日の段階で加盟国は111カ国だ。ただし、米国、ロシア、ウクライナはオスロ条約に加盟していない。

 クラスター弾を使用しているのはロシア軍だけではない。バイデン米政府も昨年、ウクライナにクラスター弾を供与しているし、ウクライナ軍も使用している。バイデン政権は当時、「兵力不足をカバーし、守勢にあるウクライナ軍を支援するためにはクラスター弾の供与しかなかった」と説明している。

 ちなみに、北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長は、「クラスター弾はロシア軍もウクライナ軍も使用してきた。違いはロシア軍は侵略のためにそれを利用し、ウクライナ軍は主権を守るために使ってきた点だ」と説明している。いずれにしても、クラスター弾でウクライナの土壌は既に汚染されている。

 地元メディアの報道によると、オデッサ市の港で1日、ロケット弾の着弾により大規模な火災が発生した。報道の一つによると、運送会社ノワ・ポシュタの倉庫が被害を受けたという。これまでのところ、少なくとも13人が負傷している。ノワ・ポシュタは、同社の選別センターの1つに弾道ミサイルが着弾したと発表した。従業員に怪我はなかった。

 オデッサ市がロシア軍の攻撃ターゲットとなってきた。オデッサはウクライナ第3番目の都市であり、戦争勃発前までの人口は100万人。同国最大の湾岸を有し、穀物の主要輸出港だ。また同国を代表する工業都市であると共に、リゾート地、文学都市としても知られている。「黒海の真珠」とも呼ばれてきた。

 ちなみに、オデッサ市には、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)前は米ニューヨーク、ポーランドのワルシャワに次いで世界3番目に大きいユダヤ人コミュニティーがあった。同市だけで当時、40以上のシナゴーグがあったという(「オデッサのユダヤ人たちの『話』」2022年3月15日参考)。

 ところで、米国務省は1日(現地時間)、ロシアがウクライナで化学兵器を使用したと非難した。それによると、ロシアは化学兵器禁止条約に違反してウクライナ戦争で刺激性ガスCSを使用したという。ロシアは軍事用化学兵器をもはや保有していないと宣言してきた。

 ロシア軍は米国のウクライナへの軍事支援が届く前に、ウクライナへ大攻勢をかけてきている。米シンクタンクの戦争研究所(ISW)は、「ウクライナが米国の支援が前線に到着するのを待っている間、ロシアは今後数週間で明らかな戦術的利益を得るだろう」と分析している。ロシア国防省は先月28日、ドネツク地域の小さな町、ノヴォバフムティウカを占領したという。

 戦争が長期化し、兵力の消耗が激しくなると、戦場にクラスター弾や化学兵器など非人道的な武器が投入されるケースが出てくる。2011年から始まったシリア内戦ではロシア軍はアレッポを兵器の実験場としてさまざまな武器を投入した。その結果、シリア第2の都市で世界最古の都市の一つだったアレッポは完全に破壊された。ロシア軍は今、黒海の真珠のオデッサを第2のマリウポリ市(ウクライナ南部)のように破壊するために攻勢をかけてきている。

米国の軍事支援で解決しない兵力不足

 バイデン米大統領は今月24日、ウクライナ支援法案に署名した。これを受け、米国は約610億ドル規模のウクライ支援に乗り出す。ロイター通信によると、第一弾として約10億ドルの兵器供給として、車両、対空ミサイル「スティンガー」、高機動ロケット砲システム向けの追加弾薬、155ミリ砲弾、対戦車ミサイル「TOW」および「ジャベリン」などが既に承認されたという。
 ウクライナへの最大の支援国・米国は議会内の共和党の強い反対もあってウクライナ支援法案は下院、上院での可決が遅れてきた経緯がある。米国の支援法案が通過したことを受け、ウクライナのゼレンスキー大統領は感謝を表明した。

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▲立入禁止区域とスラブチチ市の治安状況で会談するゼレンスキー大統領(2024年4月26日、ウクライナ大統領府公式サイトから)

 ただし、ウクライナ軍が米国からの軍事支援を受けて勢いを回復し、ロシア軍に反撃できるか否かは西側軍事専門家で意見が分かれている。米国の軍事支援が即、戦場でのゲームチェンジャーとなるかは実際、不確かだ。ドイツの主用戦車「レオパルト2」と米国の主力戦車「M1エイブラムス」のウクライナ供給が昨年1月25日、決定した時、西側では「米独の主用戦車は戦線でのゲームチェンジャーとなるだろう」といった楽観的な観測が聞かれたが、ウクライナ軍が昨年開始した反攻は期待したほど成果はなく、昨年後半からはロシア軍の攻撃を受け、ウクライナ軍は逆に守勢に回ってきた。

 戦争は長期化し、ウクライナ軍は現在、弾薬不足と兵力不足に直面している。NATO外相会議に参加したウクライナのクレバ外相はロシア軍のミサイル攻撃、無人機対策のために「対空防衛システムの強化」の援助を訴えた。ゼレンスキー大統領は4月2日、動員年齢を「27歳」から「25歳」に引き下げ、予備兵を徴兵できる法案に署名したばかりだ。ちなみに、ウクライナ議会では予備兵の徴兵年齢の引き下げ問題は昨年から議論されてきたが、ゼレンスキー氏は国民への影響を考え、最終決定まで9カ月間の月日を要した。

 インスブルック大学の政治学者、ロシア問題専門家のマンゴット教授は28日、ドイツ民間ニュース専門局ntvでのインタビューで、「米国から輸送される武器がウクライナに届くまでには時間がかかる。急速なチェンジは難しく、部分的な成果しか期待できないのではないか」と指摘、「ウクライナ軍の兵士不足は欧米の軍事支援では解決できない問題だ。ウクライナ軍は少なくとも10万人の兵力が新たに必要だ」という。

 同教授はまた、「ウクライナ側が現在最も必要としているのは対空防衛システムのパトリオットミサイルだ。ゼレンスキー大統領はパトリオット型対空防衛システム25台を必要だと訴えてきたが、ここにきて最低限でも7台が必要だと言い出している。ウクライナ側の強い要請を受けで、ドイツから3台、米国から1台がウクライナに供与された。パトリオット対空防衛システムはキーウに集中している。例えば、ギリシャは多くのパトリオット対空防衛システムを保有しているが、ウクライナへの提供を拒んでいる。ギリシャの対空防衛システムは隣国トルコの攻撃を想定しているから、自国の防衛上、それをウクライナに供与できないからだ」という。ちなみに、ギリシャとトルコ両国はNATO加盟国だが、領土資源問題で対立している(「東地中海の天然ガス田争奪戦の行方」2020年9月9日参考)。

 ロシア軍は米国の軍事支援が届く前にウクライナへの攻撃を激化させている。米国の戦争研究所(ISW)のシンクタンクは、「ウクライナが米国の支援が前線に到着するのを待っている間、ロシアは今後数週間で明らかな戦術的利益を得るだろう」と分析している。実際、ロシア国防省は28日、ドネツク地域の小さな町、ノヴォバフムティウカを占領したと述べている。

 なお、ゼレンスキー大統領は28日、アメリカとの二国間の安全保障協定を締結するために具体的な文書を作成中だ。目標は、「全ての安全保障協定の中で最も強力なものにすることだ」と述べている。キーウ政府は過去、複数の欧州諸国と同様の安全保障協定を結んでいる。

 ウクライナに軍事支援する欧米には統一した戦略的コンセプトがない。バルト3国、ポーランド、英国、ルーマニアなどの国は、クリミア半島を含み、ロシア軍をウクライナの国境外に追い払うまで戦争を遂行すべきだと主張し、積極的な軍事支援を支持している。一方、欧州の盟主ドイツは戦闘のエスカレートを警戒し、ロシア軍から全領土を解放するまで戦争を推進するという考えには消極的だ、といった具合だ。

 いずれにしても、ウクライナは米国からの軍事支援が届くまで領土を死守する一方、ロシアは可能な限り新たな領土を奪うために軍の攻勢を掛けてくるだろう。

キリル1世のロシア正教会は「テロ組織」

 イスラム過激テロ組織「イスラム国」(IS)やパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム過激組織「ハマス」はテロ組織だが、それではロシアのプーチン大統領のウクライナ戦争を聖戦と呼び、プーチン氏の指導を無条件に支持するキリル1世が主導するロシア正教会モスクワ総主教庁はテログループかといえば、意見が分かれるところだろう。バルト3国の一国、エストニアのラウリ・レーネメッツ内相はモスクワに本拠を置くロシア正教会モスクワ総主教庁を「テロ組織」に指定したい考えを表明し、エストニアのロシア正教会の反発を受けるなど、物議を醸している。

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▲エストニアのラウリ・レーネメッツ内相「ロシア正教会モスクワ総主教府はテロ組織」=エストニア公共放送(ERR)から

 レーネメッツ内相は「ロシア正教会モスクワ総主教庁の言動を見ると、イスラム過激派テロ組織と同様にテロ組織と認定せざるを得ない。他の選択肢がない」とエストニア公共放送(ERR)で述べている。同内相は、バルト3国の正教会コミュニティーについて言及し、「これはコミュニティーに影響を与えず、教会が閉鎖されることを意味するものではないが、モスクワとの関係が断たれることを意味する」と明確に述べている。同内相によると、「モスクワ総主教庁は現在、基本的に世界のテロ活動を指揮しているプーチン大統領に従属していることを理解する必要がある」というのだ。

 ちなみに、ロシア正教会の最高指導者、モスクワ総主教のキリル1世は西側情報機関によると、KGB(ソ連国家保安委員会)出身者だ。キリル1世はロシアのプーチン大統領を支持し、ロシア軍のウクライナ侵攻をこれまで一貫して弁護し、「ウクライナに対するロシアの戦争は西洋の悪に対する善の形而上学的闘争だ」と強調してきた。ウクライナ戦争は「善」と「悪」の価値観の戦いだから、敗北は許されない。キリル1世はプーチン氏の主導のもと、西側社会の退廃文化を壊滅させなければならないと説明してきた。神の愛を説く聖職者が民間人や子供たちを殺害する戦争犯罪を繰り返すプーチン大統領のウクライナ戦争を全面的に支持するのは、キリル1世のアイデンティティーは聖職者ではなく、KGBだということを端的に証明しているわけだ。ロシア正教会は旧ソ連共産党政権時代から政権と癒着してきた。

 欧州連合(EU)の欧州委員会ウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は2022年5月4日、対ロシア制裁の第6弾目の内容を表明したが、その中で個人を対象とした制裁リストの中にロシア正教のモスクワ総主教キリル1世が入っていたことが明らかになって、大きな衝撃が広がった。

 レーネメッツ氏によると、エストニアにはモスクワに直接影響を受けていないさまざまなコミュニティーがあるが、モスクワへの従属はエストニアの安全保障に脅威を与える。同氏によると、バルト3国にあるモスクワ総主教庁の管轄下のエストニア正教会には10万人を超える信者がいる。イスラム教のテロ組織は西側世界の価値観に対して聖戦を呼び掛けているが、ロシア正教会のキリル1世も同じように反西側スタンスを維持し、「堕落する西側世界を打倒しなければならない」と常に主張してきた。モスクワ正教会総主教庁はイスラム・テロリストと何ら変わらないというわけだ。

 ERRの報道によると、モスクワ総主教庁下にあるエストニア正教会(MPEOC)の代表者は記者会見で、「MPEOCはモスクワ総主教庁に直接従属していない。ウクライナ戦争へのロシア正教会の発言にも同意していない」と強調する一方、「ロシア正教会から完全に離脱する意向はない」と述べている。

 ロシア軍のウクライナ侵攻、それを支持するロシア正教会モスクワ総主教府に抗議して、ロシア正教会離れが進んでいる。キリスト教東方正教会のウクライナ正教会は2022年5月27日、ロシア正教会のモスクワ総主教キリル1世の戦争擁護の言動に抗議して、ロシア正教会の傘下から離脱した。

 ウクライナ正教会は本来、ソ連共産党政権時代からロシア正教会の管轄下にあった。同国にはウクライナ正教会と少数派の独立正教会があったが、ペトロ・ポロシェンコ前大統領(在任2014〜19年)の強い支持もあって、2018年12月、ウクライナ正教会がロシア正教会から離脱し、独立した。その後、ウクライナ正教会と独立正教会が統合して現在の「ウクライナ正教会」(OKU)が誕生した。ウクライナにはモスクワ総主教のキリル1世を支持してきたウクライナ正教会(UOK)が存在してきたが、モスクワ総主教区から独立を表明したわけだ(「ウクライナ正教会独立は『善の勝利』か」2018年10月15日参考)。

 UOKはモスクワ総主教区傘下から離脱した動機として、「人を殺してはならないという教えを無視し、ウクライナ戦争を支援するモスクワ総主教キリル1世の下にいることはできない」と説明している。その結果、ロシア正教会は332年間管轄してきたウクライナ正教会を完全に失い、世界の正教会での影響力は低下、モスクワ総主教にとって大きな痛手となった。

軍最高司令官が弱気を吐き出した時

 大統領は軍の最高司令官の立場だ。そのトップが「戦は厳しい。ひょっとしたら敗北するかもしれない」と呟いたとする。軍関係者、側近たちはどのような反応をするだろうか。「大統領、大丈夫です。わが軍は必ず勝利します」と答えるだろうか、それとも「敗北した場合、われわれはどのようになるだろうか」といった後ろ向きの論議が飛び出すだろうか。

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▲NATO外相会合に招待されたウクライナのクレバ外相(左)
2024年4月4日、NATO公式サイトから

 ウクライナのゼレンスキー大統領は7日、政府の資金集めイニシアチブであるユナイテッド24が主催したビデオ会議で、「米国からの更なる軍事援助がなければ、ウクライナは戦争に負けるだろう」と述べた。同大統領には「戦争に敗北する」といったシナリオはこれまでテーマにはならなかった。欧米諸国に武器の支援を要請する時も「戦いに勝つために・・」と説明するなど、強気を崩さなかった。その大統領が「米国の支援がなければ、ウクライナは敗北する」と嘆いたのだ。欧米諸国は大きな衝撃を受けている。

 ゼレンスキー氏はオンラインネットワークで中継された演説で、「米議会の支援がなければ、われわれが勝利すること、さらには国として存続することさえ難しくなるだろう」と強調した。その上で「ウクライナが敗北すれば他の欧州諸国も(ロシア軍に)攻撃されるだろう」と警告している。

 「戦略分析センター」議長の軍事専門家バルター・ファイヒティンガー氏は8日、ドイツ民間ニュース専門局ntvとのインタビューで、「大統領の表現は確かにドラマチックだが、内容自体は新しいことではない。ウクライナ戦争の勃発後、米国は欧州諸国と共にウクライナを支援してきた。最大支援国の米国が援助を止めた場合、ウクライナが厳しくなるのは明らかなことだ。ゼレンスキー氏はウクライナの戦場での現実を踏まえ、米国議会に再度、迅速な支援をアピールしただけだ」と解釈している。

 米国に代わって欧州がウクライナ支援の主導権を握るという可能性について、同氏は「欧州諸国もウクライナ支援ではそれなりの役割を果たしているが、米国に代わることはできない」と説明、「欧州諸国は自国の軍事力をアップし、米国依存から抜け出すために努力しなければならない」という。

 米議会の共和党は昨年以来、今年11月の再選を目指すドナルド・トランプ前米大統領の圧力を受けて、600億ドル(約550億ユーロ)相当の新たなウクライナ支援策を阻止してきた。目を戦場に移すと、ウクライナ軍はロシア軍の激しい攻勢を受け、守勢を強いられてきている。第26砲兵旅団のオレフ・カラシニコフ報道官は7日、ウクライナのテレビで、「激戦が続いているチャシフ・ヤル市付近の状況はかなり困難で緊張している」と証言している。

 同時期、北大西洋条約機構軍(NATO)のストルテンベルグ事務総長はロシアと停戦交渉の可能性をもはや完全には排除しなくなった。同事務総長はこれまで「侵略国が報酬を受けるような和平交渉には絶対に応じるべきではない。和平交渉への条件はウクライナ側が決定することだ」と主張してきた。

 ちなみに、紛争当事国が停戦や和平交渉に応じる場合、3通りの状況がある。(響莵餞屬寮錣い互角の場合、∧響莵颪琉貶が圧倒的に強く、相手側を押している場合、B茖街颪紛争国間の和平の調停に乗り出す場合だ。ウクライナ戦争の場合、昨年半ばまでは,世辰燭、現在はロシア側が戦場では有利に展開してきた。の場合、米国、中国の2大国がウクライナとロシア間の和平交渉の調停役に乗り出すシナリオだ。

 欧米の軍事専門家たちは「ロシア軍は今年5月以降から攻勢を再開する計画だから、その前の和平交渉は目下、考えられない」と見ている。「プーチン氏は国内の治安対策のためにも戦争が必要だ」というのだ。

 ウクライナ戦争は長期化してきた。ロシア側だけではなく、ウクライナ側にも厭戦気分が漂ってきている。両軍とも兵力不足だ。ウクライナ側は動員年齢を下げる法令が採択されたばかりだ。ロシア側もこの夏以降、志願兵と新たな徴兵で兵力を増強する予定だ。戦時経済体制に再編したロシアには目下、武器、弾薬不足はないが、ウクライナ軍のフロントでは武器不足が深刻だ。

 米紙「ワシントン・ポスト」によると、トランプ前米大統領が大統領選に勝利し、再選を果たした場合、ウクライナ側に圧力をかけ、領土の一部をロシア側に与え、迅速に和平を実現させるというのだ。ウクライナ国内ではトランプ氏の和平案に強い批判と反発の声が聞かれる一方、国力を削減する戦争を継続するゼレンスキー氏のリーダーシップに懐疑的な声も聞かれる。

 いずれにしても、ゼレンスキー氏もプーチン氏も戦争の終結へのシナリオを描くことが出来ずにいる。その一方、両国国民の忍耐は次第に限界に近づいてきている。
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