ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

その他

インド人は五輪より政治家を目指す

 8月初旬の午前、地下鉄の中でお父さんらしい男性とその息子らしい子供が座っていた。息子は父親に「どうして中国は多くのメダルを取れるの」と聞いた。メトロ新聞でパリ五輪大会でのメダルリストを見たのだろう。父親は「息子よ、中国は14億人の人口を有しているのだ。多くの国民がいれば、五輪でメダルを獲得する人間も多く出てくるのは当たり前だ」と答えた。息子は納得できないように又聞く。「お父さん、それではどうしてインドのメダル数は少ないの」というのだ。10歳前後の子供としてはかなり知恵があるようだ、とその話を聞きながら思った。

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▲インドの国旗(ウィキぺディアから)

 中国はもはや世界一の人口大国ではない。国連が2023年4月発表したところによると、インドの人口は14億2860万人で、中国の14億2570万人を超えた。

 ところで、中国は4日現在、16個の金メダルを含め、銀12、銅9で計37個のメダルを取っている。一方、インドは3個。金メダリストはなく、3個のメダルは銅だ。メダルリストのランキングでは北朝鮮(43番目、銀メダル2個)より低い54番目だ。先の子供が発した「それではどうしてインドはメダルが取れないの」という極めてシンプルな疑問が湧いてくるわけだ。

 インド人のスポーツ選手がメダルを取った競技種目をみると、混合エアピストル、女子エアピストル、男子ライフル3姿勢だ。陸上、体操,競泳といった五輪競技の主要競技とは言えない種目だ。五輪大会の開催期間は既に半分が経過した。

 ちなみに、インドは前回の東京夏季オリンピックで、合計7個のメダル(金1、銀2、銅4)を獲得した。特に、ネーラジ・チョプラさんが五輪大会の陸上競技でインド初の金メダル(男子槍投げ)を獲得している。
 インドで最も人気のあるスポーツはクリケットだ。クリケットは、インド全土で熱狂的なファンを持ち、国民的なスポーツとされている。他にも、バドミントン、フィールドホッケー、サッカー、レスリングなども広く行われているが、クリケットほどの人気はない。

 一方、五輪のメダル数では中国より見劣りするが、「政治の世界」ではインド人の台頭が既に各国で見られる。直ぐに思い出すのは英国でアジア系初の首相になったリシ・スナク氏だ。アフリカから移住したインド系の両親(父親は医師、母親は薬剤師)のもと、イギリスで生まれた政治家だ。先の下院選で敗北し、首相の座を失ったばかりだ。

 また、英国の元内相のプレティ・パテル氏は両親がウガンダ出身のインド系移民だ。アイルランドの元首相レオ・バラッカー氏は父親がインド・マハーラーシュトラ州出身。バラッカー氏はアイルランド史上初のインド系首相(在任2017〜20年)だった。また、一時期トランプ氏と大統領候補を競った元米国連大使ニッキー・ヘイリーさんの両親はインドのパンジャーブ州出身、といった具合だ。

 最近では米民主党大統領候補者のカマラ・ハリス副大統領の母親はインド出身の生物学者シャマラ・ゴーパランさんだ(父親はジャマイカ出身の経済学者ドナルド・ハリス氏)。2009年に亡くなったゴーパランさんは、インド南東部のタミル・ナードゥ州出身で、1958年から米国で学び、その後、癌研究者となった。彼女はバラモンの家系で、インドの四大主要カーストの中で最も高位のカーストに属していた。ハリス副大統領は自伝の中で「私たちの古典的なインドの名前は私たちの遺産を思い起こさせ、私たちはインド文化への強い意識と敬意を持って育てられた」と書いている。

 それだけではない。トランプ前大統領の「ランニングメイト」であるJ.D.バンス上院議員の妻、ウシャ・チルクリ・バンスさんもインド出身だ。彼女はタミル・ナードゥ州の北に隣接するアンドラ・プラデーシュ州出身だ。バチカンニュースによると、最新の米国国勢調査によると、米国には約440万人の純粋にインド系の出自を持つ人々が住んでおり、2010年から2020年の間にその数は50%増えた。

 いずれにしても、「ゼロ」を発見したインド人は目下、スポーツの世界より、IT関連分野にその能力を発揮し、政治の世界でその影響力を広げているといえる。先の10歳の男の子に「インド人は五輪大会でメダルを取るより、政治家になりたいのだ」と説明すれば分ってもらえるだろうか。

欧州の戦時下でのパリ夏季五輪大会

 パリ夏季五輪大会の開会式が26日、挙行された。100年ぶり、3回目となるパリ五輪には32競技、329種目に約1万1000人の選手がメダルを競う。開会式は今回五輪史上初めて競技場ではなく、屋外で行われ、選手団はセーヌ川を船で行進し、エッフェル塔前のトロカデロ広場でマクロン大統領は五輪開会を宣言した。式典には世界から元首や政府首脳たちも参加し、セーヌ河沿いには多くの市民、観光客が見守った。大会は8月11日まで17日間行われる。

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▲パリ夏季五輪大会の開会式の風景(2024年7月26日、ユーロスポーツの動画からスクリーンショット)

 ウクライナ戦争の制裁として、ロシアとベラルーシの選手は国家代表としては参加できず、中立の立場で競技を行う。ウクライナは約140人の選手団を派遣した。一方、パレスチナ側から五輪大会追放を要求されていたイスラエル選手団は参加した。国際オリンピック委員会(IOC)はパレスチナ側の要求を拒否した。

 前回の東京大会ではコロナウイルスのパンデミックで観客は競技場には入れず、閉鎖された場所と環境圏で行われたが、パリ大会では従来の通り、オープンされた五輪大会に戻った。同大会のテーマは「広く、開かれた」だ。なお、パリ大会の開会式直前の26日未明、パリと地方都市を結ぶ高速鉄道(TGV)が放火され、器材が破壊されるなど「組織的な悪意のある行為」があった。そのため、旅行者や五輪ツーリストたち約80万人がその影響を受けた。なお、パリ五輪大会関係者によると、テロ対策のために警察官、兵士たち7万5000人が大会の安全な運営のために動員されている。

 開会式をオーストリア国営放送(ORF)の中継でフォローしていた時、パリから約2000キロしか離れていないウクライナで連日、ロシア軍のミサイル攻撃、ドローン攻撃を受けているウクライナ国民の事が頭に浮かんだ。欧州大陸の一方ではスポーツの祭典が開かれ、他方では戦時下で電力は不十分、食糧・水道といった基本的な生活物質もままならない中で生きている人々がいる。

 ウクライナ戦争だけではない。中東のイスラエルでもガザ紛争が続いている。イスラム過激テロ組織「ハマス」はイスラエルに奇襲テロを行い、1200人余りのイスラエル人を殺害。イスラエル側の報復攻撃では多数のパレスチナ人が犠牲となっている。華やかな五輪大会の開会式に集まる人々と、戦争下にいる人々の間の不均衡さに心が落ち着かない。

 パリ五輪大会開会式から2日後の7月28日はオーストリア・ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告をした110年目に当たる。サラエボでフランツ=フェルディナント大公と妻のゾフィー夫人が1914年6月26日、セルビア人ナショナリストによって暗殺された。それが契機となり、同帝国とセルビア間で戦争が勃発すると、戦争は瞬く間に欧州全土に広がり、世界的な規模の戦争となっていった。同戦争で950万人以上の兵士がなくなり、650万人の民間人が犠牲となった。戦争では最終的には中欧を650年余り支配してきたハプスブルク王朝は崩壊した。

 歴史を振り返ると、人は何時も戦ってきた。砲丸の音が絶えた時、人はスポーツ祭典などのイベントを考える。ナチス政権下で行われたベルリン夏季五輪大会(1936年)もそうだった。パリ大会はウクライナで戦いが続き、中東やアフリカで紛争が起きている時だ。東京の夏季五輪大会(2021年7月開催)は世界で数百万人が犠牲となったコロナのパンデミック下の大会だった。ちなみに、IOCの要請にもかかわらず、紛争国間の‘五輪休戦’は実現されなかった。

 スポーツと政治は全く無関係だという人もいるが、人は限りなく政治的な存在だ。肌の色の違い、民族の違い、宗派の違いがスポーツの世界でも争いや紛争の種になることがある。オーストリア代表紙プレッセは26日の1面トップで「なぜ世界はオリンピック大会を必要とするのか」というテーマで記事を載せていた。「五輪大会は戦場ではなく、競技場での戦争だ。その意味で代理戦争だ」といった極端な主張も聞く。メダル獲得数の国別ランクリストをメディアは好んで掲載する。共産主義世界ではスポーツは国をアピールするプロパガンダの手段と受け取られてきた、といった具合だ。選手やアスリートから純粋なアマチュアリズムはもはや期待できない。

 いずれにしても、欧州の戦時下でのパリ五輪大会が始まった。大会が安全に運営され、参加するスポーツ選手は自身のベスト記録を目指し、スポーツの醍醐味、面白さを伝えてほしい。

‘本当’の「自由な共産主義」はどこに?

 イスラム過激派テロリストの3人が起こした仏週刊紙「シャルリーエブド」本社とユダヤ系商店を襲撃したテロ事件について、同国の穏健なイスラム法学者(イマーム)がジャーナリストの質問に答え、「テロリストは本当のイスラム教信者ではない。イスラム教はテロとは全く無関係だ」と主張し、イスラム教はテロを許してはいないと繰り返した。それに対し、「世界でテロ事件を犯しているテロリストは異口同音にコーランを引用し、アラーを称賛している。それをイスラム教ではないという主張は弁解に過ぎない。彼らはイスラム教徒だ」と反論する声が聞かれた。

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▲学生オンラインゼミで講演する志位和夫議長(「民青同盟」主催の講演ビデオからスクリーンショット)

 著名な神学者ヤン・アスマン教授は当時、「唯一の神への信仰(Monotheismus)には潜在的な暴力性が内包されている。絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力で打ち負かそうとする」と説明し、実例として「イスラム教過激派テロ」を挙げていた。すなわち、イスラム教とテロは決して無関係ではないというのだ(「『妬む神』を拝する唯一神教の問題点」2014年8月12日参考)。

 なぜ突然、パリのテロ事件でのイスラム教イマ―ムの言葉を思いだしたのかを説明する。日本の最大言論プラットフォーム「アゴラ」で加藤成一氏(元弁護士)が「共産党一党独裁は『自由な共産主義』と矛盾する」というタイトルのコラムを掲載し、志位和夫議長が出版した「Q&A共産主義と自由:資本論を導きに」(新日本出版社)に言及していたが、その中で赤旗(2024年7月11日)の志位氏の発言「旧ソ連や中国に自由がないのは、指導者が誤っていたこと、社会主義への出発が自由も民主主義もない後進国であったからであり、先進国である日本における社会主義建設とは根本的に異なる」という箇所の内容を読んだからだ。志位氏によれば、旧ソ連・東欧共産諸国の共産主義は‘本当’の共産主義ではなかったというのだ。

 旧ソ連・東欧諸国の共産政権はいずれも崩壊した。共産主義の敗北が明白となった時、日本の共産主義者やそのシンパの中から「旧ソ連、東欧の共産主義は本当の共産主義ではない」と、崩壊した共産主義国を修正主義者と糾弾する一方、「共産主義はまだ実現されていない」と、その希望を未来に託したことを思い出す。イスラム法学者の「テロリストは本当のイスラム教徒ではない」と反論する論理と何と酷似していることか。

 先のイスラム法学者も極東の共産主義者も「どこに“本当”のイスラム教、“本当”の共産主義世界が存在するか」といった疑問には答えていない。崩壊した旧ソ連・東欧の共産主義国は少なくとも共産主義思想を標榜した国であり、テロを繰り返すイスラム過激派テロリストも、少なくともアラーを崇拝するイスラム教徒である、といわざるを得ないからだ。

 共産主義は生産手段を国有化し、資本家による労働者の搾取をなくした社会の建設を標榜し、プロレタリアートの独裁と暴力革命をその運動の中核に置く点で今も現在も大きな変化はない。そのような国家建設を目標に掲げてきた旧ソ連・東欧共産圏では本当に「自由な共産主義」が実現されただろうか。ロシア革命以来、明らかな点は共産圏の歴史は人権弾圧、粛清の歴史であったことだ。

 加藤氏はそのコラムの中で共産主義社会では「言論の自由」は存在しないと指摘していたが、「言論の自由」だけではなく、「信教の自由」もそうだった。旧ソ連・東欧では憲法で「言論・信教の自由」は一応明記されていたが、実際は共産党独裁政権を震撼させる如何なる言論も宗教も認められなかった。ちなみに、中国の習近平国家主席は国民の宗教熱を完全には抑えられないとして、ここにきて「宗教の中国化」を求め出している。

 旧ユーゴスラビア連邦のチトー政権下で副大統領を務めたミロヴァン・ジラス(1911〜1995年)は共産主義者の生き方を見て「彼らは赤の貴族だ」と喝破し、反体制派に転身していった。共産主義では人間の自由が開花する理想的な社会となる、といった掛け声は実際は空言に過ぎなかった。マルクス・レーニン主義は人間が持つ理想への羨望を巧みに扇動する似非宗教思想だといわれる所以だ。

 志位氏は新著で「自由な共産主義」が存在するかのように述べているが、マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」が発表されて以来、抑圧のない、自由な共産主義社会は今だに現実化していない。それに対し、学生たちに共産主義を擁護し、アピールするのならば、説明する責任がある。「旧ソ連・東欧の共産主義は本当の共産主義ではなかった」という説明では納得できないだろう。

新紙幣発行と「お金」の宗教性について

 日本で3日、20年ぶりに新しい紙幣が発行された。海外に住んでいると、日本紙幣を手に入れる機会はほとんどない。ましてや3Dホログラムなどの最新の偽造防止技術を駆使して造られた新紙幣をウィーンでお目にかかることはここ暫くはないだろう。

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▲日本銀行本店(日本銀行公式サイトから)

 日本のメディア報道によると、キャッシュレス時代に新たな紙幣を発行することに疑問を呈する声がある。1万円札の肖像を飾った渋沢栄一については様々なゴシップが流れ、紙幣の顔には相応しくないといった指摘もあるという。いずれにしても、今回の新紙幣が最後の紙のお金で、今後はデジタル通貨が市場を席捲し、紙の紙幣は消えていくという予測が聞かれる。

 時代と共に「お金」に対する人間の概念、意識が大きく変わってきた。このコラム欄で9年前、ドイツ人哲学者クリストフ・トュルケ氏(Christopf Tuercke)の「お金」に対する宗教性について紹介した。「お金に潜む人間の贖罪意識」がデジタル通貨となった場合、どうなるだろうか。人間社会の発展に伴い「お金」に潜む贖罪感は霧消してしまうだろうか。

 9年前のコラムだが、ここに再掲載する。このコラムが問いかけているテーマは今でも変わらない。新しい紙幣が発行された。「お金」のルーツについて改めて考えることも悪くないだろう。

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 <「『お金』に潜む宗教性について」>2015年5月26日掲載

 ギリシャのブチス内相が、「わが国にはもはや支払う金がない」と慨嘆した記事を読んだ時、ドイツの哲学者 クリストフ・トュルケ 氏が独週刊誌シュピーゲルのインタビュー記事(5月16日号)の中で語った内容を思い出した。同氏は「お金」の宗教的ルーツを説明していた。以下、同氏の発言内容を紹介しながら、「お金」について考えていきたい。

 人類は「お金」を発見した、というか、考え出した。「お金」の最初はもちろん、今日流通している紙幣やコインではなかった。同氏は「なぜ、人々は金の話となれば冷静に話せなくなるのか。それはお金の誕生には宗教的起源があるからだ」と強調し、その宗教的ルーツについて語る。

 いつからか分からないが、人類は「高き天上にいましたもう存在(神々)」に対して罪意識があった(キリスト教では原罪)。そして、全てを無にし破壊する天災を恐れてきた。天災を回避するために、神々に対し、罪を償わなければならないと感じてきた。だから、神々の怒りを鎮めるため最も大切なものを供え物として捧げた。最初は人間が供え物となった(例・旧約聖書「創世記」のアブラハムのイサク献祭)。それから贖罪用の動物(古代ギリシャ時代は「牛」)を供え物とした(独語の「お金」Geldはラテン語ではPecuniaだが、その語源は「牛」を意味するPecusだ)。その後、金、銀、銅といった貴金属がその贖罪手段として登場した(金は太陽を、銀は月を、銅は愛と美の女神ビーナスを映し出すと信じられていた)。そして現在、流通している紙幣とコインの「お金」が生まれてきたわけだ。それらに共通している点は、贖罪手段だったということだ。すなわち、私たちが今、利用している「お金」は本来、贖罪手段であり、「支払う」とは、贖罪のために供え物を捧げることを意味していたわけだ。

 贖罪手段(支払手段)は時代が進むにつれて、より軽く、交換しやすく、人間に負担が少ない方法へと変わっていった。21世紀の今日、デジタル通貨も誕生した。それにつれて、「お金」のルーツ、贖罪という宗教性は希薄化していき、「お金」は単なる購買力を表す手段とみなされてきたわけだ。

 実物経済より多くの「お金」が市場に流れ、投機に走る人間も出た。使い切れないほどの「大金」を抱える富豪者が生まれてきた。しかし、巨額の富を抱える資産家も資産減少という悪夢に脅かされる。「お金」が購買力を失えば、その瞬間、紙屑に過ぎなくなるからだ。その意味で、古代から現代まで「お金」には常に恐れが付きまとってきたことが分かる。

 話を現代に戻す。トュルケ氏は、「巨額な工費で建設された欧州の欧州中央銀行は神殿であり、その銀行頭取は神父だ。彼は信者たちの罪の贖罪に耳を傾ける聖職者の役割を果たしている」というのだ。すなわち、銀行とは、「お金」の価値を集団で守る場所であり、預金者は銀行の「お金」の管理能力を信じなければならない。その信頼が崩れれば、銀行は存在できなくなる。世界で席巻している金融危機は顧客(信者たち)の銀行(神殿、教会)への信頼喪失がその根底にあるわけだ。

 興味深い点は、ギリシャの財政危機に対する欧州のリベラルな経済学者たちの主張だ。「債務者が困窮生活を余儀なくされたとしても、その債務は返済されなければならない」と説教する。贖罪には苦悩が当然含まれる、という考えがあるからだ。だから、彼らは非情なぐらい節約政策を債務国に迫ることができるわけだ。ギリシャの財政赤字問題を見ていると、「お金」には宗教的側面があることが理解できる。

 ところで、21世紀に生きる私たちは古代人のような罪意識や贖罪感も持ち合わせていない。使えきれないほどの資産を持つ大富豪が慈善活動に走る場合もあるが、多くは贖罪意識などない。だから人々の間に貯金通帳の厚さで格差が出てくる。「お金」に絡んで犯罪や紛争が絶えないのは、われわれが次第に「お金」の宗教的ルーツから遠ざかってきたからだろう。

 「お金」は神々の怒りを鎮め、天災を回避するため罪の償いとして支払われてきた。われわれが罪意識を失い、贖罪意識を無くしたとしても、天災は昔のように襲ってくる。現代人が感じる漠然とした「不安」とは、天災を回避するために必要な贖罪を支払っていない、という後ろめたさに起因するのではないか。経済学的にいえば、われわれは債務未払い状況にある、という不安だ。

 キリスト教会は、「お前たちは罪人だ。だから汗と涙を流して得たお金を供え物として捧げるように」と説教してきた。そして、教会の「献金」制度が出来た。ところが、献金制度の前提である信者たちの罪意識が乏しくなると、当然のことだが、献金は集まらなくなる。教会側は信者たちに、「お前たちは罪人だ」と繰り返し説教しなければならなくなる。現在のキリスト教会が財政危機に陥るのは、信者の減少、教会への信頼喪失の理由からだけではない。罪意識のない信者が増えてきたからだ。贖罪意識が伴わない「お金」が今、市場に溢れているのだ。

「信教の自由」の‘東京コール’を世界に

 今月9日から2日間の日程で人工知能(AI)の倫理問題に関する世界の宗教指導者たちの国際会議が広島で開催される。同会議は世界最大キリスト教会のローマ・カトリック教会が呼びかけたもので、AIの倫理問題を提示した通称「ローマコール」について、世界から宗教者代表、政治家、専門家が結集する。そこでAIの倫理問題の‘ローマコール’だけではなく、「信教の自由」を訴えた‘東京コール’を世界に配信する機会となることが願われるのだ。

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▲「信教の自由に関する最新の年次報告書」を公表するブリンケン米国務長官(左)(2024年6月26日、米国務省公式サイトから)

 安倍晋三元首相が暗殺されて、8日で2年となる。事件をきっかけに山上徹也被告が恨みを持っていたとされる世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)への非難・攻撃が強まり、岸田文雄政権は、同教団の解散命令請求に突き進んだ。同教団解散請求は信者の高額献金問題に根拠を置いたもので、同教団を反社会的団体と糾弾している内容だ。

 宗教法人法上の解散命令の要件となっている「法令違反」は本来、刑罰法令の違反に限られ、民法上の不法行為は含まれないにもかかわらず、岸田首相は世論の圧力に屈して、その法解釈を書き直した。法的な整合性を無視し、まず解散ありき、といった論理が先行していった。それを支えたのは朝日新聞などの左派メディアの教団バッシングだ。旧統一教会解散は岸田首相の政治的利権と左派メディアの連携で行われてきた結果だ。

 40年あまり、ローマ・カトリック教会をフォローしてきた当方は、「それではカトリック教会はなぜ解散されないのか」と不思議に思う。旧統一教会への批判は主に高額献金問題だが、カトリック教会の場合、未成年者への性的虐待問題だ。前者は民事関連だが、後者は刑法問題だ。そしてその件数は数万件に及ぶ。にも拘わらず、前者は高額献金という問題で解散命令請求を受け、後者は聖職者の性犯罪を隠蔽してきたにもかかわらず解散命令請求を受けていない。

 カトリック教会は解体すべきだという声はほとんど聞かれない背景には、聖職者の性犯罪は絶対に許されないが、「信教の自由」を無視することはできない、という前提があるからだ。性犯罪とは無縁で献身的に歩む大多数のカトリック教会聖職者と敬虔な信者たちの「信教の自由」を尊重しなければならないからだ。カトリック教会が直面する民事訴訟件数は旧統一教会の数十倍だ。そして刑事訴訟の件数にいたってはカトリック教会は圧倒的に多い。にもかかわらず、ローマ・カトリック教会の解体要求は聞かれない。それほど「信教の自由」は普遍的価値観に立脚しているからだ。

 一方、高額献金問題ならば、キリスト教会だけではなく、仏教など全ての宗教団体が抱えている問題であり、高額献金した後、信仰を失ったためにその献金を返してほしいという元信者たちの要求は過去も現在も起きている。にもかかわらず、高額献金問題で旧統一教会に「反社会的団体」というレッテルを貼って解散を強いているわけだ(「『お金』に潜む宗教性について」2015年5月26日参考)。

 当方は2012年11月、国連人権理事会の「普遍的・定期的審査」(UPR)の日本人権セッションとそのサイドイベントを取材するためにジュネーブに飛んだ。その時、国連内で開かれたサイドイベントで著名な国際人権活動家で「国境なき人権」(HRWF)の代表、ウィリー・フォートレ氏と会見できる機会があった。同氏は1年前、日本を訪問し、統一教会信者の拉致監禁問題の現地調査を行った専門家だ。HRWF報告書は当時、日本人権セッションの審査の基本文書に採用されていた。

 フォートレ氏は「私は1年前、日本を訪問し、新宗教の統一教会信者が強制改宗者や家族関係者から棄教目的で拉致監禁された問題の現場調査を実施した。拉致監禁に対しては日本政府を含む多くの関係者が否定しているが、調査目的は実際に行われている拉致監禁の証拠を見つけることだ。私たちは、過去5年間で拉致監禁された経験のある約20人とインタビューした。その結果、不幸なことだが、信者たちの拉致監禁は事実と判明した。ショッキングな点は、拉致監禁された信者たちがさまざまな迫害を受けているにもかかわらず、民主国家で警察当局や法関係者が必要な対策を講じていないということだ。全く無法状態なのだ」と語ってくれた。旧統一教会関係者によると、これまで4300人以上の旧統一教会信者が拉致監禁の犠牲となっている。メディアはこの問題を全く無視してきた(「日本『宗教の自由』の無法地帯」2012年11月3日参考)

 当方は12年5カ月監禁されたという後藤徹氏とも会見したが、同氏は「自分は1995年帰郷した後、ワゴン車で拉致され、アパートの一室で12年間以上、監禁された。当時31歳だった自分は監禁から脱出した時、44歳になっていた。自分は人生で最も貴重な30代を外の世界を見ることなく生きてきた」と述懐したのを今でも記憶する(「『30代』を奪われた男の決意」2012年11月2日参考)。

 岸田首相の旧統一教会解散請求の法的根拠問題、旧統一教会信者の拉致監禁問題の2点をみても、旧統一教会解散請求が政治的な動機やメディアの偏見から下された結果であることが分かる。フォートレ氏が当方とのインタビューで語ったように、日本は宗教の自由、信教の自由では無法状態だ。

 ローマコールは、平和のためのAIの倫理問題について世界の宗教者が協議し、その内容の文書に署名する。主催者は、教皇庁生命アカデミーのほか、Religions for Peace Japan、アラブ首長国連邦のアブダビ平和フォーラム、イスラエルの大ラビナートの宗教間関係委員会だ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つのアブラハム宗教指導者は昨年、「ローマコール」に署名した。広島の会議では東洋の宗教指導者も集まり、署名する予定だ。

 そこで世界の宗教者がAIの倫理問題で広島に集まって‘ローマコール’に署名する機会を利用して、「信教の自由」の無法地帯と呼ばれる日本で「信教の自由」の尊さを訴える‘東京コール’を世界に向かって配信すればいいのではないか。

 「信教の自由」を脅かす旧統一教会問題で他の宗教団体が旧統一教会に連帯し、擁護するといった動きは残念ながら見られなかった。

 それだけに、宗教指導者は東京コールを支持し、連帯を表明すべきだろう。今からでも遅くはない。

 岸田首相は内政より外交がお好きというが、外交の世界では「信教の自由」を蹂躙する国に対しては厳しい。米国務省が先月26日、信教の自由に関する最新の年次報告書を公表したが、そこでも旧統一教会解散請求の問題点が指摘されていたことを思い出してほしい。

<参考資料>
 米国務省公表の「2023年信教の自由に関する年次報告書」から旧統一教会問題に言及した箇所

 10月13日、東京地方裁判所は文部科学省(MEXT)からの請求を受け入れ、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の解散を命じた。これは異例のことで、これまでの解散命令は刑法違反に基づくものだったが、今回は民法違反に基づいている。盛山正仁文部科学大臣は、教会が宗教団体の地位を利用して信者に寄付や高額な購入を促し、1980年以来、公共の福祉を損ない、本来の目的から逸脱していると述べた。同相はまた、教会が法律上の解散条件を満たしており、その行為が「公共の福祉を著しく損なうことが明らかに認められ」、「法律に規定された宗教団体の目的から著しく逸脱している」として解散を判断したと述べた。10月16日、教会側は解散の根拠が法律に適合しないと反論した。

 世界平和統一家庭連合のメンバーは、2022年の安倍晋三元首相の暗殺以来、「偏向的」または「敵対的」な報道や全国霊感商法対策弁護士連絡会からの圧力により、信仰を公に表明できないと述べた。メンバーはまた、寄付が拒否されたり、教会との関係を避けたいと考える市やコミュニティーから地域の文化イベントへの参加を拒否された事例も報告した。

「忘れられた戦争」と飢餓の拡大

 アフガニスタン北部で大雨による洪水で、多くの人々が犠牲となり、家屋を失い、飢餓が広がっているというニュースレターを先月アフガンの非政府機関の「Afghan Institut of Leraning」(AIL)の責任者サケナ・ヤコービ博士(Sakena Yacoobi)から届いた。AILはアフガンのコミュニティに教育、医療、女性と子供の支援を提供してきた団体だ。当方はニュースレターの情報をコラムでまとめようと考えていたが、ウクライナ戦争やイスラエル軍とパレスチナ自治区ガザでのイスラム過激派テロ組織「ハマス」との戦闘関連の記事を書くことに集中していたこともあって、アフガンの災害状況を書くタイミングを失ってしまった。食物には一定の賞味期限があるように、ニュース情報も報告すべき時を失うと、記事やコラムに書くことが難しくなる。特に自然災害関連の場合だ。

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▲南スーダンのカリタスの「乳児授乳センター」(Baby-Feeding-Center)(オーストリアのカリタス公式サイトから、エリザベス・セルマイヤー氏撮影)

 ヤコービ博士に申し訳ないことをしたと思っていた時、オーストリア国営放送(ORF)の夜のニュース番組で南スーダンから現地報告を放映していた。記者は「多くの住民が飢餓に苦しんでいる」と報じながら、「南スーダンの危機はウクライナ戦争や中東戦争が発生したこともあって、世界のメディアの関心から外れてしまった」と述べ、南スーダンの紛争を「忘れられた戦争」と報じていた(「アフガンから緊急援助要請のメール」2023年10月12日参考)。

 残念ながら、世界各地で戦争や紛争が起きている。情報社会の今日、オフィスにいながら世界の政治情勢、紛争、自然災害などについて情報は流れてくる。アフガンで女性の教育に努力する博士の活動や状況報告は本来、貴重なニュースであるが、ロシア軍とウクライナ軍の戦闘やパレスチナ紛争のニュースの洪水の中でどうしても見逃されていく。多くの紛争や戦争がメディアの関心から外れ、忘れられた戦争になっているわけだ。

 ただし、ニュースにならなくても、紛争や災害に遭遇した人々が存在し、彼らは苦しみと悲しみを背負っているという事実は変わらない。ジャーナリストにはニュースの選択権はあるが、戦争や自然災害の犠牲者には選択権はない。生き延びていかなければならないだけだ。

 ウクライナのゼレンスキー大統領が「毎日、ロシアから100発以上のミサイルが飛んでくる。そのような中で生きていくことがどんなに大変かを考えてみてほしい」と述べていたことを思い出す。世界の人々はウクライナ国民の苦境をニュースを通じて知ることが出来るが、アフリカ大陸で起きている民族紛争や自然災害に遭遇した犠牲者の声は伝わりにくいのだ。

 ORFが報じていた南スーダンの報告に戻る。ローマ・カトリック教会の慈善団体「カリタス」の現地報告だ。南スーダンは2011年にスーダンから独立した人口約1100万人の東アフリカの国だ。世界で最も新しい国家であり、同時に最も貧しい国(2023年)の人々が人道支援を必要としているというアピールだ。民族間の緊張と限られた資源を巡る争いは、武装集団間の衝突に発展し、無実の人々が頻繁に巻き込まれている。カリタス関係者は「南スーダンでは紛争と気候危機のダブルパンチ(「不幸な同盟」と呼ばれている)を受けている」という。

 カリタスの海外援助事務総長、アンドレアス・クナップ氏は、「南スーダンのような国は、気候危機に最も関与していないが その影響を最も強く受けている」と述べていた。自然災害だけでなく、干ばつや極端な暑さの時期も増加している。戦争や紛争の再燃はまた、食糧不足と栄養失調を引き起こす。カリタス関係者によると、700万人以上が飢餓に苦しんでおり、100万人以上の子供が飢餓と栄養失調に苦しんでいるというのだ。
(カリタスによると、世界中で現在7億8300万人が慢性的な飢餓に苦しんでいる。国連によれば、昨年、急性の飢餓状態にある人々の数は世界で2億8160万人で、前年より2400万人多くなった。特に深刻なのは、5歳未満の子供1億5000万人が栄養不良のために成長と発育が阻害されている)

 カリタスは国際社会に責任を果たすよう訴えるだけでなく、一般の人々にも寄付を求めている。「飢餓のない世界は可能であり、小さな寄付でも大きな飢餓を解消する助けになる」と述べている。

 なお、当方にはスーダン出身の友人がいる。彼とは長い付き合いだ。そういうこともあって、スーダン(南スーダンを含む)関連の情報には強い関心がある。スーダンから紛争や飢餓のニュースではなく、楽しく、喜ばしいニュースが流れてくる日を願っている(「‘スーダンの春’はいつ到来するか」2013年10月5日参考)。


 以下、南スーダンの「独立」から現在までの政情の流れを<参考資料>としてまとめた。

<独立から南スーダン内戦まで>(2011年〜2013年)
 独立(2011年7月9日):住民投票の結果、南スーダンはスーダンから独立を果たした。サルバ・キール・マヤルディ氏が初代大統領に就任した。独立直後から、南スーダンは経済基盤の弱さ、インフラの欠如、教育や医療の整備不足などの課題に直面した。そしてサルバ・キール大統領とリヤク・マチャル副大統領間で政治的緊張が高まり、キール大統領は2013年7月、マチャル副大統領を解任した。

<南スーダン内戦>(2013年〜2018年)
 内戦の勃発(2013年12月):キール大統領とマチャル前副大統領の支持者間で2013年12月に武力衝突が発生し、内戦に発展した。内戦は民族間の対立(主にディンカ族とヌエル族)も含む。内戦により数万人が死亡し、数百万人が難民や国内避難民となった。2015年には和平合意が結ばれたが、度々破られた(「駐独の南スーダン大使に聞く」2016年2月25日参考)。

<平和への歩み>(2018年〜現在)
 新たな和平合意(2018年):キール大統領とマチャル前副大統領は2018年9月、再度和平合意に署名した。この合意により、マチャル氏は再び副大統領に任命された。2020年2月には移行政府が設立された。これは和平プロセスの一環であり、全ての主要な反政府勢力が参加した。 和平プロセスは進展しているが、不安定な地域が多く、武装集団間の衝突や人道危機が続いている。インフラ整備や経済再建、民族間の和解など多くの課題が残っている。

サッカーで‘不景気風’を吹っ飛ばせ

 「早く来い来い、お正月・・」ではないが、14日から7月14日までまる一カ月間、ドイツで欧州サッカー連盟(UEFA)主催の欧州選手権(ユーロ2024)が開催される。ホスト国のドイツでは既にサッカー・フィーバーが吹き荒れ、ウクライナ戦争や中東のガザ戦争のニュースから国民の目はナショナル・チームの一挙手一投足に熱く注がれている。欧州のサッカーファンの熱気に水を差すとすれば、テロの脅威だ。欧州のテロ専門家の間では「多くの関心と観衆が集まる欧州サッカー選手権はイスラム過激テロ組織の襲撃の格好のターゲットだ」と指摘し、主催者側のドイツ当局に警戒を呼び掛けている。

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▲ドイツ開催のユーロ2024(EURO2024公式サイトから)

 初日の14日午後9時(日本時間15日午前4時)、ホスト国ドイツとスコットランドの試合がバイエルンの本拠地のミュンヘンのアリアンツ・アレーナで始まる。開催地はミュンヘンのほか、ベルリン、ドルトムント、シュトゥットガルト、ハンブルク、ゲルゼンキルヒェン、フランクフルト・アム・マイン、ケルン、デュッセルドルフ、ライプツィヒの計10か所の競技場で試合が行われる。

 ファンはスタジアムだけではなく、ドイツ全土のファンゾーンやパブリックビューイング、バーやビアガーデンでチームを応援できる。UEFAによると、ユーロ2024の期間、計51試合が行われ、チケットは全試合既に完売という。パブリックビューイングだけでドイツ国内から最大1200万人が来場すると予想している。大型スクリーンで試合中継を行う大規模な無料ファンゾーンも設けられている。

 ユーロ2024を待ち望んでいるのはファンだけではない。テログループもそうだ。ドイツのフェーザー内相は13日、「治安当局は適切な態勢を敷いている。現時点で具体的な脅威情報は入っていない」と述べた。しかし、治安当局はイスラム過激派のほか、ロシアのウクライナ侵略戦争やガザ地区での戦争などの潜在的な脅威を理由に警戒を緩めていない。例えば、サッカーの試合ではフーリガンが暴れることもある。ドイツ当局は欧州の治安当局とフーリガン関連情報の交換、国境警備の強化に乗り出している。治安当局によると、「スタジアムやその他の会場へのドローン(無人機)による奇襲テロも十分考えられる」として対策を検討している、といった具合だ。

 一方、ホスト国ドイツではユーロ2024が国民経済を活性化させることを期待している。ユーロ2024の経済効果だ。同国は昨年リセッション(景気後退)に悩み、今年に入ってようやくプラス成長となったとはいえ、物価の高騰、エネルギー・コストの急騰などで消費者の購買意欲は停滞している。ドイツ連邦統計庁によれば、今年第1・四半期の国内総生産(GDP)は前期比(季節調整後)で0.2%増だったが、依然厳しい。2006年のドイツ開催のサッカーワールドカップ(W杯)ほどではないとしても、ユーロ2024は小売、ケータリング、宿泊施設などの消費者関連の経済部門を回復させるチャンスでもあるわけだ。

 欧州サッカー選手権はワールドカップ(W杯)に次いでビッグイベントだ。24チームが6グループに分かれ、グループ戦が行われ、グループ上位2位と各組3位のうち成績上位4チームがラウンド16に進出し、欧州最強の座をかけて本戦に入れる。前回2021年のロンドン主催の欧州選手権ではイタリアが決勝戦でイングランドに3対2で勝って2度目の欧州王者となった。

 ドイツはかってはサッカー強国と見られ、ブラジル、フランス、イングランドと並ぶサッカー王国だったが、前回のカタールで開始されたW杯ではグループ戦で3位となり、本戦にも行けず早々と帰国した。ドイツチームはビッグイベントの試合では最近は悉くファンの期待を裏切ったため、「サッカー王国」から「世界のサッカー界のBチーム」と酷評されてきた。それだけに、ホスト国となった今回は健闘を期待しているファンが多い。ただし、英国のブックメーカーによると、ドイツの優勝を予想する声は少ない。逆にいえば、期待されていない分、気楽に試合に臨めるというメリットがある。若い選手が多いだけに、思い切ってプレイできれば結果も期待できる(「『サッカー王国』ドイツのW杯予選落ち」2022年12月4日参考)。

 なお、優勝有力候補は前回のW杯の覇者フランスを筆頭に、イングランド、スペイン、フランスといったところだろうか。当方が住んでいるオーストリアはDグループでオランダ、ポーランド、フランスといった強豪が相手だけに予選通過は大変だ。ただし、各国チームの実力は拮抗しているので、勢いに乗ったチームが予想外の活躍をするのが欧州選手権だ。参加国の選手の活躍と安全を願う。

精神科医フランクルと「モーセの十戒」

 ウィーン生まれのユダヤ人精神科医ヴィクトール・フランクル(1905〜1997年)についてこのコラム欄でも書いたばかりだが、一つ大切なエピソードを忘れていたので、ここで紹介することを許してほしい。以下のエピソードはオーストリア国営放送(ORF)がウィーンの3人のユダヤ人精神科医について放映した番組の中でフランクル自身が語ったものだ(「3人のユダヤ人精神科医の『話』」2024年6月7日参考)。

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▲花咲かすぺラルゴ二ウム(2024年4月13日、ウィーンで撮影)

 時代はナチス・ドイツ軍がオーストリアに迫っていた時だ。フランクルは医者だったので、ナチス・ドイツ軍は彼に対し他のユダヤ人とは異なり、少しは融和的な扱いをしていた。フランクルのもとには「早く米国に逃げたらいい」というアドバイスとビザも届いていた。フランクルは亡命するべきか否かで悩んだ。自分が医者だからドイツ軍も自分の家族、父、母、妹たちを強制収容所送りをしないことを知っていたから、もし自分が亡命したならば、家族はどうなるかを考えていた。

 フランクルが米国に亡命しない決意を固めたのには理由があった。家に置いてあった石について父に尋ねると、それは破壊されたウィーンのシナゴークの瓦礫から見つけた石の破片を父親が持ち帰ったものだった。そこにヘラブライ語の文字が刻まれていて、それはモーセの十戒の「あなたの父と母を敬え」の一節だった。強く心打たれたフランクルは両親を残してアメリカに亡命することを止めてウィーンに残ることを決意したという。老齢になったフランクルは列車の中でインタビューでこの話をしながら涙ぐんでいた。

 しかし、ドイツ軍は次第に、医者であろうと関係なく全てのユダヤ人を強制収容所に送り出した。その結果、フランクルは家族と共に強制収容所送りとなった。ドイツ軍が敗走し、収容所から解放されると、妻や両親の安否を尋ねたが、家族全員が殺されてしまったのを知った。

 精神科医としてフランクルはナチス・ドイツ軍が侵攻する前から、精神科医として悩む人々の相談相手として歩んでいた。そのフランクルも収容所から解放された直後は、家族全てを失い、生きる意味、価値、喜びを無くして鬱に陥った。しかし精神科医として再び人々を助ける道に戻っていった。暫くして、オーストリア人でカトリック教徒の女性と知り合い、再婚する。フランクルは死ぬまで妻と共に生きた。世界で多くの読者を感動させたフランクルの著書「それでも人生にイエスと言う」はフランクル自身の体験談に基づいた証だ。フランクルは「人は人生で意味、価値を見いだせない時、悩む。人は先ず『生きる意味、価値』を見出していくべきだ」と語っている。

 フリードリヒ・ニーチェ(1844〜1900年)は「20世紀はニヒリズムが到来する」と予言したが、ローマ・カトリック教会の前教皇ベネディクト16世(在位2005〜2013年)は2011年、「若者たちの間にニヒリズムが広がっている」と指摘している。欧州社会では無神論と有神論の世界観の対立、不可知論の台頭の時代は過ぎ、全てに価値を見いだせないニヒリズムが若者たちを捉えていくという警鐘だ。簡単にいえば、価値喪失の社会が生まれてくるのだ(「“ニヒリズム”の台頭」2011年11月9日参考)。

 人は価値ある目標、人生の意味を追及する。そこに価値があると判断すれば、少々の困難も乗り越えていこうとする意欲、闘争心が湧いてくる。逆に、価値がないと分かれば、それに挑戦する力が湧いてこない、無気力状態に陥る。同16世によると、「今後、如何なる言動、目標、思想にも価値を感じなくなった無気力の若者たちが生まれてくる」というのだ。残念ながら、21世紀に入り、状況は次第にベネディクト16世が警告した世界に近づいてきている。

 バラの一片から‘神の善意’を感じた名探偵シャーロック・ホームズのように、私たちも自身の周囲にある数多くの‘神の善意’を見出し、生きていく意味を学ぶべきではないか(「バラの美は『神の善意』の表れ?」2024年4月12日参考)。

カフカ没後百年とユダヤ人の「運命」

 今年はプラハ生まれのユダヤ人作家フランツ・カフカ(1883〜1924年)の没後100年目だ。世界各地で様々な特集やイベントが行われている。カフカは40歳で結核で亡くなったが、3人の妹ら家族は後日、強制収容所送りになって、そこで全員が亡くなった。カフカはナチス・ドイツが侵攻する前に病死したので、ナチス・ドイツ軍の蛮行の直接の犠牲とはならなかった。カフカが強制収容所送りを体験しなかったことは、カフカ自身にとって幸せだったのかもしれない。

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▲没後100年を迎えたユダヤ人作家フランツ・カフカ(ウィキぺディアから)

 カフカの友人、ユダヤ人作家マックス・ブロート(1884〜1968年)はドイツ軍が西側行きの列車を閉鎖する直前、最後の列車に乗ることが出来て西側に亡命した。ブロートがナチス・ドイツ軍に拘束され、強制収容所送りになっていたならば、「審判」「変身」「城」といったカフカ作品は世に出ることがなかっただろう。カフカは生前、自身の作品をほとんど公表していない。カフカの作品の価値を理解していた友人ブロートはカフカの原文を鞄に詰めて国境を出ることが出来たわけだ。オーストリア国営放送(ORF)はカフカ没後100年を祝って6回のシリーズでTV映画を放映したが、ブロートがドイツの国境警察に鞄を開けさせられ尋問される場面があった。カフカ文学の運命の瞬間だったわけだ。

 第二次世界大戦中、杉原千畝氏は日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアで、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給した話は有名だ。ドイツ軍の侵攻前に亡命で来たユダヤ人、亡命が遅れたたために強制収容所送りになったユダヤ人など、様々な運命があった。

 7日のコラムでも紹介したが、精神分析学のパイオニアのジークムント・フロイト(1856〜1939年)、アルフレット・アドラー(1870〜1937年)はナチス・ドイツがオーストリアに侵攻する前にロンドンや米国に亡命できた。一方、ヴィクトール・フランクル(1905〜1997年)は家族と共に強制収容所送りになった。収容所から解放された直後、妻や母、姉妹たちが全て殺されたことを知って絶望し、一時期生きる力を無くして鬱に陥ったといわれる。フランクルは鬱を乗り越え、「それでも人生にイエスと言う」という本を出している。

 興味深い例としては、ユダヤ系作家フランツ・ヴェルフェル(1890〜1945年)は非常に太っていたために、山を越えフランスへ亡命するのが大変だった。そこで「この山を無事超えて亡命出来たらルルドの聖人ベルナデットの話を小説にする」と神に約束したという。ヴェルフェルは最終的に米国に亡命した後、神との約束を果たし、小説「ベルナデットの歌」を書いている。

 ところで、ユダヤ人を亡命に強いた張本人アドルフ・ヒトラー(1889〜1945年)はウィーンで画家の道を歩むことが出来たならば、ユダヤ人大虐殺といった蛮行に駆り立たれなかったかもしれない。アドルフ・ヒトラーは1907年、08年、ウィーン美術アカデミーの入学を目指していたが、2度とも果たせなかった。ヒトラーの入学を認めなかった人物こそ、グリーケァル教授だ。

 もしヒトラーが美術学生となり、画家になっていれば、世界の歴史は違ったものとなっていたかもしれない。ウィーン美術学校入学に失敗したヒトラーはその後、ミュンヘンに移住し、そこで軍に入隊し、第1次世界大戦の敗北後は政治の表舞台に登場していく。

 歴史で「イフ」はタブーだが、グリーケァル教授がヒトラーを入学させていたならば、その後の歴史は変わっていただろうか。ナチス・ドイツ軍は存在せず、ユダヤ民族への大虐殺はなかったかもしれない(「画家ヒトラーの道を拒んだ『歴史』」2014年11月26日参考)、「ヒトラーを不合格にした教授」2008年2月15日参考)。

 米映画「オーロラの彼方へ」(原題 Frequency、2000年)は、人生をやり直し、失った家族や人間関係を回復していくストーリーのパイオニア的作品だ。米俳優ジェームズ・カヴィーゼルが警察官役で登場している。オーロラが出た日、警察官になった息子が無線機を通じて殉職した消防士の父親と話す場面は感動的だ。ストーリーは父親の殉職と殺害された母親の殺人事件を回避し、最後は父親、母親と再会する。同映画は人生の失敗、間違いに対してやり直しができたら、どれだけ幸せか、という人間の密かな願望を描いている(「人生をやり直しできたら・・・」2017年12月30日参考)。

 「運命」が存在するか否かは分からないが、選択が間違ったゆえに、全く予期しない人生を歩みだす人も少なくない。サクセスフルな人生を歩み、多くの富と名声を得た人でも、生まれて死ぬまで100%計画通りに歩んできた人間はいないだろう。程度の差こそあれ、さまざまな後悔や無念の思いを抱きながら生き続けている。「運命はわれわれを導き、かつまたわれわれを潮弄する」と述べたフランスの哲学者ヴォルテールの言葉を思い出す。

3人のユダヤ人精神科医の「話」

 オーストリアの首都ウィーンはモーツァルト、シューベルトといった作曲家が活躍した‘音楽の都’として知られているが、同国はフロイト、アドラー、フランクルという3人の世界的な精神科医を輩出している。3人の精神科医はいずれもユダヤ人であり、精神分析学、心理療法を確立していったパイオニアだ。

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▲オーストリアの3人のユダヤ系精神科医(左からフロイト、アドラー、フランクル)(2024年6月4日のオーストリア国営放送(ORF)の「Kreuz und quer」からスクリーンショット)

 オーストリア国営放送(ORF)は4日夜、文化番組でジークムント・フロイト(1856〜1939年)、アルフレット・アドラー(1870〜1937年)、ヴィクトール・フランクル(1905〜1997年)の3人の精神科医を紹介する30分余りの短い番組を放映した。3人に共通しているのはオーストリアに住んでいたユダヤ人ということだ。

 フロイトは生前、毎水曜日、精神科医の集いを開いていたが、ある日、新しいゲストが入ってきた。カール・グスタフ・ユング(1875〜1961年)だ。ユングはユダヤ人ではなく、スイス人生まれの精神科医であることを知ったフロイトは喜んだという。なぜならば、当時、精神科医といえば“ユダヤ人の学問”と受け取られるほど、ユダヤ系学者が多数を占めていたからだ。

 ここで3人の精神分析学の業績を紹介するつもりはない。それらは既に知られていることで、世界には数多くの専門家が語りつくしているからだ。ここではアカデミックの世界では余り知られていない話を拾って紹介したい。

 3人の精神分析学者の中でもフロイトは文字通り精神分析学の創設者だ。彼は「無意識の世界」を分析し、夢の分析で知られている。患者をソファーに寝かせ、話を聞きながら患者の過去を分析していく。フロイトは骨や細胞ではなく、精神(魂)に刻み込まれた過去、無意識の世界を解析していった。それゆえに、フロイトは「魂の考古学者」と呼ばれたほどだ。

 フロイトはナチス・ドイツ軍が1938年3月、オーストリアに侵攻する直前、ロンドンに亡命したが、その時は既に末期がんに冒され、自由にしゃべることすらできなかった。亡命1年後、フロイトは亡くなった。

 興味深い点は、フロイトは当時、精神分析学の開拓者として絶対的な権威を有していたが、それゆえにというか、フロイトにひかれて集まってきたアドラーやユングは最終的にはフロイトと袂を分かっている。アドラーはフロイトのもとで学んでいたが、過去の原因論ではなく、現在、未来の課題を重視する未来志向の分析学を目指していく。専門家はアドラーの精神分析学を「個人心理学」と呼ぶ。フロイトの原因論ではなく、現実の課題を重視する目的論を標榜し、他者との比較などで生れる劣等感などを克服していく生き方を鼓舞した。21世紀の現代人にとってアドラー心理学は人気がある。アドラーは精神分析を社会生活の中で応用し、多くの貧者や少数派の人々を癒していくことに専念していった。

 ちなみに、ユングは個人的な過去の無意識の世界を模索するフロイトのもとで学んでいたが、無意識の世界の解明だけに満足せず、個人の無意識の世界を超えたものが現在の存在に影響を及ぼしていると感じたユングは後日、「集合的無意識における原型の理論」で有名となっていく(「人類歴史が刻印された『集合的無意識』」2022年4月20日参考)。

 フロイトとアドラーはナチス・ドイツがオーストリアに侵攻する前に米国やロンドに亡命したが、フランクルは家族と共に強制収容所に収容された。そこでの体験は名著「夜と闇」の中で描かれている。彼は生き延びるためには意味、価値を見出すことが不可欠と主張し、民族や国家の「集団的罪」を否定し、収容所にもいいドイツ兵士がいたと証言したため、他のユダヤ人から批判にさらされた。彼の精神分析はロゴセラピーと呼ばれる心理療法で、多くの学者が継承している。

 収容所で家族を全てを失ったフランクルは解放直後、深い鬱に悩んだという。人生の意味を見いだせなかったからだ。新しい女性と出会い、再婚することで人生に意味を再び発見していく。著書「それでも人生にイエスと言う」は世界で多くの人々に読まれている。

 フロイトは無神論者だった。アドラーは1896年にプロテスタントに改宗しているが、「神がいると思って生きるほうがいい」と述べていた。フランクルはユダヤ教徒だった。再婚した女性はオーストリアのカトリック信者だった。その相手とフランクルは死ぬまで50年余り共に生きた。

 当方の個人的なエピソードだが、ナチ・ハンターで有名なサイモン・ヴィーゼンタール氏とウィーンで会見した時、同氏は「自分は世界から多くの名誉博士号を得たが、私以上に多くの名誉博士号を得た人物が一人いる、それはフランクルだ」と述べていたことを思い出す。

 ユダヤ人の世界的物理学者アインシュタインはフロイトがノーベル生理学・医学賞を獲得したいと考えていることを知って、フロイトに「心理学は科学ではないよ」とノーベル賞受賞の対象外と諭す一方、「君はノーベル文学賞ならば得られるかもしれないよ」と述べたという。心理学は当時、まだ科学とは見なされていなかったからだ。同時に、フロイトの表現力、記述力にアインシュタインは感動し、フロイトの文才を高く評価していたという。

 なお、オーストリアでは過去も現在も反ユダヤ主義が根強い。パレスチナ自治区ガザを実効支配しているイスラム過激テロ組織「ハマス」がイスラエルで奇襲テロを実行して以来、オーストリア国内でも反ユダヤ主義的犯罪が急増、2023年は1147件が登録されている。実数はそれ以上多い。フロイト、アドラー、フランクルの3人のユダヤ人の世界的な精神科医を生み出したオーストリアは同時に、アドルフ・ヒトラーが生まれた国でもある。
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