ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

その他

人類の「宗教性」は進化を助けた

 前日のコラム「『神経神学』信仰はどこから来るか」の続編だ。

 人間の頭部内を張り巡る神経系統を検証しても「私」が見つかるとか、「魂」の棲家が発見されるということはないだろう。「見つかる」とすれば、「私」の言動を掴み、機能する神経系統だが、「私」自身ではない、と確信している。換言すれば、頭脳内の神経網を全て解明したとしても「私」という存在は見つからないのではないか。

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▲ノーベル物理学賞受賞者ツァイリンガー教授(ウィキぺディアから)

 すなわち、人間の頭脳は電波をキャッチするラジオの受信機であり、ラジオは電波を受信しているのであって、発信しているわけではない。だから、頭脳の神経が外傷で傷ついた場合、受信機が壊れたのと同じだから、電波を正確にキャッチできない、といった状況が生まれてくる。

 例えば、人間の頭脳にはミラーニューロン(独 Spiegelneuronen)という神経系統が存在し、他者の行動を模写するだけではなく、その感情にも反応する機能がある。フローニンゲン大学医学部のクリスチャン・カイザース教授(アムステルダム神経学社会実験研究所所長)は、「頭脳の世界はわれわれが考えているように私的な世界ではなく、他者の言動の世界を映し出す世界だ」という。すなわち、われわれの頭脳は自身の喜怒哀楽だけではなく、他者の喜怒哀楽に反応し、共感するという。その機能を担当しているのがミラーニューロンという神経系統だ。

 また、前回のコラムでも紹介したが、ハーバード大学の研究者マイケル・ファーガソン氏は、恐怖反応のホルモンの調節、痛みの制御、人間関係の形成、性的な愛とは無関係の愛に関与しているのは古代の脳幹領域の「中脳水道周囲灰白質(PAG)」ではないかというのだ。

 すなわち、頭脳内の無数の神経系統はそれぞれはっきりとした機能、作用を担当している。だから、その神経網に支障が出れば、機能は半減したり、消滅してしまうわけだ。受信機が壊れてしまった「私」はそれゆえに苦悩する。

 ファーガソン氏らは、「信じるという人間の宗教性は人類の進化の上で生物学的にもプラスとして働いてきたのではないか」という。経験などを通じて得てきた内容を信じる人間は困難を乗り越える際にそれがプラスとなる。信仰や信念を有する人間はそうではない人より困難を克服しやすい。そして人間には本来、「信じる」という働きを担当する神経系統が頭脳内に張り巡らされているわけだ。

 昨年度ノーベル物理学賞受賞者、ウィーン大学のアントン・ツァイリンガー教授(Anton Zeilinger)は7月15日のザルツブルガー・ナハリヒテン紙とのインタビューの中で、「神を信じるのは合理的な考察でも直観でもない。私は常に神を信じてきた」という。同教授は、「科学的正当化の可能性は無限に拡張することはできない。ある時点で、正当化は止まる。哲学的にしか議論できない問題が常に存在する」と指摘し、「新しいアイデアの開発は合理性からは生まれない」と述べている。

 量子テレポーテーションの実験で世界的に著名なツァイリンガー氏は、「量子物理学が神と直面する時点に到着することはあり得ない。神は実証できるという意味では自然科学的に発見されることはない。もし自然科学的な方法で神が発見されたとすれば、宗教と信仰の終わりを意味する」と、他のメディアとのインタビューで答えている。

 近代史上、最高峰の神学者といわれたベネディクト16世は生涯、「理性と信仰」を課題に、その調和を追求してきたローマ教皇だった。キリスト教の歴史でも信仰が全面に強調された時代から、啓蒙運動、科学の発展で理性が主導的な地位を握ってきた時代を経て今日に入る。そして21世紀に入り、その理性と信仰の調和が求められてきたわけだ。

 ツァイリンガー教授は「敬虔な人は将来、神秘家になる」とインタビューの中で語っている。

「神経神学」信仰はどこから来るか

 このコラム欄でイタリア人の脳外科医の話を紹介したことがあった。人間の心臓移植は今日、世界各地で実施されていることで、もはや珍しくはないが、イタリア人外科医は頭部の移植を試みようとしたから、メディアでも結構話題となった。血液を体中に送り出す役割の心臓の移植とは異なり、頭部を移植すれば、「私」は自動的に新しい肢体に移動すると考えられるからだ。

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▲夜空を見上げる人(写真・Greg Rakozy撮影 Unsplash)

 臓器の移植では、移植の前後で患者の生活様式に変化が出てくるケースもある。例えば、腎臓移植をした女性が手術後、無性に走りたくなったという。手術した医者によると、腎臓提供者はマラソンを趣味としていたというのだ。女性は腎臓と共に臓器提供者の生活スタイル、嗜好をも受け継いだわけだ。(『私』はどこにいるの?」2015年5月24日参考)。

 一時期、心臓周辺に人間の精神生活を司る中心の「私」が潜んでいると考えられてきた。しかし、どうやら心臓は「私」の住処ではなく、単なる血液や栄養素の運搬ポンプ機能を担っている器官ということが明らかになった。そこで「私」探しの次のターゲットは頭部に移った。だから、イタリア人外科医が頭部移植計画を発表した時は非常にセンセーショナルに受け取られたわけだ。

 多くの脳神経学者は今日、頭の中に精神的機能を司る神経網が張り巡らされていると主張している。他者に同情したり、怒ったりする心の働きが脳神経のどの部分によって生じるか、今日の脳神経学者は詳細に知っている。だから、脳神経学者は「私(心)は頭の中にある」とかなり確信している(「ミラーニューロンが示唆する世界」2013年7月22日参考)。

 オーストリア国営放送(ORF)の科学欄で興味深いテーマが報じられていた。タイトルは「Wo der Glaube im Gehirm sitzt」(信仰は頭のどこにあるのか)だ。記事は「25年の間、神経科学者たちは脳のスキャンを使って、霊的および宗教的な経験の場所を特定しようとしてきた。最新の研究によれば、脳幹の進化的に古い領域が重要な役割を果たしていることが分かってきた。宗教的感覚は、初期の人類の生存にとって有利に働いたかもしれない」というのだ。

 オーストリアのグラーツ大学宗教教育学の研究リーダー、ハンス・フェルディナンド・エンジェル(Hans-Ferdinand Angel)教授は世界中の神経科学、心理学、宗教学の研究者たちとネットワークを構築し、長年にわたって「個人が信じているときにその頭の中で何が起こっているのか」というテーマに取り組んできた。同教授は、「信仰プロセスは脳の独自の機能であると確信しているが、信仰プロセスや信念が宗教と必ずしも関連しているわけではない」と指摘している。要するに、「信じる」、「信念」という人間の精神生活の源泉を追求しているというのだ。

 最近公表された研究では、特定の脳領域と霊性の経験との関連を探る試みが行われてきたという。その中で、ハーバード大学の研究者マイケル・ファーガソン氏(Michael Ferguson)は、特定の脳領域の損傷により、霊性が増加または減少する患者の事例研究を調査している。それにより、霊性に関連するネットワークが脳内にあること、古代の脳幹領域の「中脳水道周囲灰白質(PAG)」と常に連結していることが明らかになった、というのだ。

 PAGは、恐怖反応のホルモンの調節、痛みの制御、人間関係の形成、性的な愛とは無関係の愛に関与している。研究者たちは、人々が一般的に脅威を感じたり、自然災害を経験したりすると宗教性が増すと指摘している。また、霊性や宗教性は痛みを和らげ、プラセボ(偽薬)効果を高める助けにもなるという。さらに、宗教は愛や忠誠心といった価値観を促進し、それらの感情もPAGで調節されるというのだ。

 ファーガソン氏らは、「宗教が進化生物学的な利益を提供するかもしれない。これは人間が自己の終焉を理解しているという認識から生じ、人間は何かより高いもの、何か超越的なものを求めるようになり、ある種の超越的なもの、何かトランセンデントなものがあると人々に伝える働きを生み出す。自分の死が終わりを意味しない、という認識を生み出すわけだ。それが、生物の進化上、生存にプラスとなって働いてきた」ということだ。

 いずれにしても、「神経神学」はあくまでも生物学世界(人間の四肢五体)で「神」や「私」を見つけようとする神学の一つだ。人類の歴史では、心臓や頭脳ではなく、人間の足に神が存在すると考えられた時代もあったのだ。唯物論的な世界観がその基盤となっていることはいうまでもない。だから、敬虔な神経学者の中には、「神経神学」(Neurotheologie)と呼ぶことに抵抗を覚える学者がいるという。

 以上、ORFの科学欄で報じられたぺーター・ベリンガー記者の記事(7月23日)を参考にまとめた。

「神」がサイコロを振る時

 何事も数式で説明しないと納得できない天才物理学者アルベルト・アイシュタインは、偶発性、確率、統計に基づく量子力学の曖昧さを嫌い、「神はサイコロを振らない」と答えたという話は有名だ。しかし、21世紀に入り、最近の量子物理学では神はギャンブラーのように「サイコロを振るう」と受け止められてきている。

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▲ツァイリンガー教授(右)はじめ2022年のノーベル物理学賞の3人の受賞者(ノーベル賞委員会サイトのスクリーンショットから、2022年10月4日)

 「分子は原子の結合体であり、原子は陽子と中性子と電子の結合体だ。そして電子や光子は2カ所の穴を同時に通り抜けたり、複数の場所に同時に存在したり、同時に複数の異なる方向を向いたりできる。さらに不思議なことに、これらの粒子は空間のある地点から別の地点に光より速く通信し、テレポーテーションさえ可能なようだ」(スイス公営放送「スイスインフォ」2月13日)というのだ。

 従来の物理学の理論では理解できない現象だ。物理学者たちは光や電子が「粒子」か「波」かで頭を悩ませ、実際は「どちらでも成立してしまう」という問題にぶつかった。この解明と実用化のために、世界の科学者は昼夜、研究開発に没頭している。

 2022年ノーベル物理学賞は3人の量子物理学者が選ばれたが、3人の学者たちは「2つの粒子が『量子もつれ』という状態にあるとき、一方の状態を変化させると、もう一方の粒子はたとえ銀河系の反対側にいても瞬時に同じ値を取る」という「量子もつれ」の現象を研究した学者だ。

 その3人の学者の1人、アントン・ツァイリンガー教授は、当方のコラムでも数回、紹介したウィーン大学の学者だ。教授はオーストリアの週刊誌とのインタビューの中で、「神は証明できない。説明できないものは多く存在する。例えば、自然法則だ。重力はなぜ存在するのか。誰も知らない。存在するだけだ。無神論者は神はいないと主張するが、実証できないでいる」と述べていたことを思い出す(「量子物理学と形而上学を繋ぐ科学者」(2022年10月6日参考)。

 今回のコラムに移りたい。上記の中で書いたが、量子物理学の世界では比喩的な表現だが、「神はサイコロを振るう」と受け取っているという点に驚いたのだ。ひょっとしたら、神は愛の存在だけではなく、ギャンブルにも少なからず関心があるのではないか、という思いが湧いてきたからだ。

 当方の知人の中に、中東イラク出身のギャンブラーがいる。彼はれっきとしたTVジャーナリストだ。ベルリンに駐在していた時は多くの記事を配信したため羽振りが良かったこともあって、次第にギャンブルの世界にのめり込んでいった。ウィーンの国連記者室で彼と初めて知り合いとなった時は彼は既に立派なギャンブラーだった。仕事で入った収入で夜な夜なカジノに通い、ルーレット版に頭を突っ込む日々を送っていた。当方も何度か彼から「カジノに行こう」と誘われたが、断ってきた。

 「その後、知人はどうなったか」って。多くのギャンブラーがそうであるように、彼の損益計算書は常にマイナスだった。にもかかわらず、「次こそは勝つぞ」、「勝てるような気がしてきた」といった悪魔のささやきに抗しきれず、投資を繰り返した。その結果、破産寸前となり、カジノ側から彼の名前は「入店禁止リスト」に載せられてしまった。この程度では知人のギャンブルへの熱意は冷めなかった。彼は自分の名前がブラックリストに載っていないチェコの国境近くにある別のカジノに車で通い出した。しかし、資金が枯渇してしまったので、自然とカジノ通いの回数が減っていった。そこまでは知っていたが、その後の知人のギャンブラー人生は知らない。独り者の彼は現在、年金者となって老人ホームにいると聞いた。

 ところで、「神はサイコロを振らない」と考え、多くの物理学者もそれを信じていた時代、物理学の世界だけではなく、神を信じるキリスト教会関係者も迷いがなかった。なぜなら、神が創造した宇宙が地上の物理原則、方式に基づいて観測可能であり、神の創造した世界は一定の秩序を維持した安定した世界だったからだ。しかし、量子物理学が登場して、「神はサイコロを振るう」と主張しだしたのだ。多くの物理学者がその学説の過ちを指摘するために懸命に努力したが、量子物理学者の理論を覆すことができないだけではなく、世界の優秀な物理学者が量子物理の研究に没頭しだしたわけだ。

 先の知人の話にもう一度戻る。ギャンブルで財産を貯めたという話は聞かない。大多数は「ギャンブルで財産を失い、土地、家もギャンブルで消えていった」というのが「ギャンブラーの公式」だった。「神がサイコロを振らない」からだ。しかし、「神もサイコロを振るう」となれば、ギャンブラーがカジノで財産を築くということもあり得る。知人がカジノで財産を築き、豪邸で生活しているといった状況も皆無とは言えなくなるわけだ。

 知人は晩年、ほぼすべてを失い老人ホームに入所して余生を送っている。寂しい日々だが、安定した世界だ。少々大げさな表現となるが、彼が量子物理学と出会い、「神もサイコロを振るう」ということを耳にしていたならば、彼の晩年は違ったものとなっていたかもしれない。量子力学は偶発性、確率、統計に基づくから、ギャンブルの世界に近い。知人は神のサイコロに希望を感じ、全てを失うまでルーレットの世界に没頭していたかもしれない。

 物理学者エルヴィン・シュレーディンガーの「思考実験」と呼ばれる「シュレーディンガーの猫」の話がある。箱に入った猫が生きているか、死んでいるかは箱を開けて観測するまで確定できない。同じことが知人のギャンブラーの人生でもいえる。成功するギャンブラーとなるか、廃人となるかは彼が死の日を迎えるまでは確定できないのだ。

 いずれにしても、ギャンブラーがサイコロを振るうのは普通だが、「神がサイコロを振る」となれば、ひょっとしたら困る人、被害者が多く出てくるのではないだろうか。

山上容疑者はデジタル感染の重症例

 米紙ニューヨーク・ポスト9月17日電子版には米国の著名な心理学者ニコラス・カーダラス博士の「ソーシャルメディアが如何にティーンエージャーを文字通り精神的病にしているか」というタイトルの記事が掲載されていた。記事の内容は米国社会の若者たちにソーシャルメディアによる精神的病が蔓延していると指摘し、日々の生活にも深くかかわるソーシャルメディアの影響を実証的に記述している。同博士はわれわれの社会を「デジタル社会」と呼び、新型コロナウイルスの生物学的感染ではなく、人間の心理的免疫システムを破壊する「デジタル感染」が世界で広がっていると警告している。

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▲スマートフォンの「2つの世界」(2022年12月17日、撮影)

 当方がこの記事に強い関心をもった直接の理由は安倍晋三元首相を暗殺した山上徹也容疑者の犯行動機について考えていたからだ。山上容疑者が安倍元首相の暗殺への具体的な計画が動き出したのは2021年以降という。それまで同容疑者は安倍元首相に対して暗殺したいと思うほど敵意を持っていなかったという。容疑者は当初、母親の高額献金問題で世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への恨みから教会指導者の殺害を考えていたという。それが急遽、安倍元首相射殺へとターゲットが変わっていったが、その背景にはソーシャルメディアの影響があったことが推測されるからだ。

 中国武漢発の新型コロナウイルスはパンデミックとなって世界で多くの犠牲者を出した。Covid-19は空気感染などを通じて感染を広げていった生物学的感染だ。一方、デジタル感染は、Twitter、Facebook、Instagram、TikTok、YouTube などのソーシャルメディアを通じて様々な精神的疾患が生まれてきているというのだ。

 カーダラス博士によれば、ソーシャルメディアによる精神疾患グループを検証していくと、中毒、うつ病、自殺、性別違和といった現象の多くがデジタル社会的伝染によってもたらされたという。

 同博士は記事の中で、22歳の大学を卒業したばかりの女性のケースを紹介している。彼女は境界性パーソナリティ障害に悩んでいた。うつ病になり、自傷行為などを繰り返してきた。

 彼女は以前は活発な学生で、成績もよく、家庭には精神的病歴を有する家族はいない。彼女が変わってきたのは、「境界性パーソナリティ障害」(BPD)というハッシュタグが付いた TikTok ページのスクリーンショット、 BPDインフルエンサーや投稿に関心を寄せていった結果、「自分自身もBPD 」と自己診断するようになっていったという。生物的病原体コロナウイルスにやられ、コロナに感染するように、デジタル病原体に感染したわけだ。コロナ感染防止もあって、自宅でオンラインに耽る時間が多くあったことも症状を悪化させた。

 ちなみに、彼女は治療を受け、全てのデバイスとソーシャルメディアを削除すると、彼女の症状は急速に回復し、自殺したいという思いが消えていったという。

 同博士は、「私たちはデジタル社会伝染の時代に生きている。特定の病気は生物学的病原体ではなく、心理的免疫システムを攻撃するデジタル感染によって広がっている。私たちの心理的な脆弱性を見つけ、それを悪用するアルゴリズムが使用される場合、われわれは重病となる」と説明する。

 ブラウン大学の医師リサ・リットマン女史は、「ソーシャルメディアへの露出」と性別違和などの以前はまれだった「障害の増加」との相関関係を図にしている。また、フェイスブック内部告発者である Frances Haugen 氏の議会証言によると、Instagram など同社の製品が10代の少女の自殺傾向を高め、摂食障害を悪化させたという。有毒なコンテンツの絶え間ない激流にさらされ、気まぐれで浅いインフルエンサーによる影響は特に若い精神にとって深刻という。トランス心理学者のエリカ・アンダーソン博士は、「遅発性の性別違和がソーシャルメディアやトランスジェンダーのインフルエンサーにさらされている若い10代の間に広がっている」と述べている。

 カーダラス博士は、「私たちが切実に必要としているのは、ソーシャルメディアのこれらの強力な形成効果をよりよく理解し、今日のソーシャルメディアの世界の荒れ狂う海をナビゲートするために、若者が強力な心理的免疫システムと批判的思考スキルを開発できるようにすることだ」と述べている。

 話を山上容疑者の犯行動機に戻す。ソーシャルメディアの影響は21世紀を生きている全ての人に当てはまることで、山上容疑者だけの問題ではない。問題は山上容疑者の安倍元首相像がどうして射殺するまでヒートアップしたかだ。日本社会に蔓延していた反安倍メディアとそのインフルエンサー、ソーシャルメディアの影響は大きい。だからといって、同じデジタル感染下にある全ての人間が安倍氏暗殺へ行動を移すことはないだろう。

 それでは、「なぜ、山上容疑者はヒートアップしたか」だ。新型コロナ感染の場合、重症化せずに軽症で回復する患者と、重症化しやすい患者がいる。その違いは、高齢者のほか、がんや糖尿病など基礎疾患がある場合、感染者は重症化しやすいといわれている。

 山上容疑者には基礎疾患があったのだ。「恨み」だ。旧統一教会への「恨み」がデジタル感染した山上容疑者を重症化させたのではないか。

 「憎しみは憎む側(本人)をも破壊するがん細胞のようなものだ」と語ったパレスチナ人の医師イゼルディン・アブエライシュ氏の言葉を思い出す。同医師は3人の娘さんをイスラエル軍の攻撃で失ったが、「憎悪は大きな病気だ。それは破壊的な病であり、憎む者の心を破壊し、燃えつくす」と述べ、イスラエルとパレスチナ人の和解のために努力している

 山上容疑者は「恨み」を止揚できず、デジタル感染が重症化し、暗殺を実行する以外に他の選択肢が考えられなくなるほど追い込まれていったのではないか。一つ疑問は残る。山上容疑者の単独犯行か、共犯者がいたかだ。デジタル感染の場合、感染者は同じ問題を抱えているか、それを理解しているデジタル・コミュニテイーを模索する傾向がある。ひょっとしたら、決定的な影響を与えたインフルエンサーがいたかもしれない。なお、デジタル感染はShadow Pandemic(影のパンデミック)と呼ばれている。山上容疑者の場合、デジタル感染の重症化例というべきかもしれない。

イスラエル成功の公式「E+M=D」

 カナダのトロント大学心理学教授、ジョーダン・ピーターソンさんのポットキャストのサブスクライバー数は600万人近い人気で、特に、若い年齢層が多いことで定評がある。リベラルな意見が飛び交っているソーシャルメディアの中で、ピーターソン教授は宗教や倫理を重視し、大学内のジェンダフリー討論でもはっきりと反対の意見を主張する知識人だ。人生の生き方について悩む青年たちにとって、教授は良きアドバイサーであったり、父親のような存在に映るらしい。

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▲オンラインで会談するピーターソン教授とネタニヤフ氏(ユーチューバーのピーターソン教授のポットキャストからスクリーンショット)

 サッカー界のスター、ポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウド選手が先日、ピーターソン教授を招いてアドバイスを受けた、というニュースが報じられた。著名な心理学教授とサッカーのスター選手の組み合わせにちょっと驚いたが、あとで事情を知ると、ロナウドは当時、子供を失った直後でいろいろと悩んでいたという。その時、ピーターソン教授の名前を聞いてアドバイスをもらったというのだ。

 そのピーターソン教授が数日前、イスラエルの次期首相ベンヤミン・ネタニヤフ氏と会談している。オンラインで約1時間半の長時間会談だった。

 タイトルは「イスラエル人はパレスチナで居住する権利を有するか」だ。ネタニヤフ氏は、「ユダヤ民族は3500年の歴史を有する。ユダヤ民族は1948年、昔から住んできた地域に戻って建国を始めた。決して占領とか植民地化ではない。ユダヤ人が戻ってくるまでその地域には国家といえるアラブ民族は存在していなかった。米国の作家マーク・トウェインはその紀行文の中でも、『アラブのその地には何もなかった』と証言している。そこにユダヤ人は戻ってきて国造りを始めたのだ。そして現在、イスラエルは経済力と軍事力を有する国家として発展してきたのだ」と説明する。

 現在、エジプト、ヨルダンの他、アラブ4カ国(UAE、バーレーン、スーダン、モロッコ)がイスラエルと国交関係を樹立した。ネタニヤフ氏は、「イスラエルが経済力を誇り、軍事力も持つ強国として発展してきたからだ」と説明した。すなわち、「経済力」と「軍事力」を有することで国際社会で一定の「外交力」を獲得できるというわけだ。「経済力」(Economic Power)+「軍事力」(Military Power)=「外交力」(Diplomatic Power)という公式を文字通り展開してきたわけだ。もちろん、イスラエルの発展の背後には、米国の経済的、軍事的支援があったことはいうまでもない。

 ネタニヤフ氏は、「アラブとの平和は軍事力だけでは十分ではなく、経済力が不可欠だ。自由経済と先端科学技術の発展だ。その結果、これまで宿敵同士だったアラブとイスラエル間で交流が始まった。今後はアラブの盟主サウジアラビアとの国交が大きな課題となる。アラブ諸国とイスラエルが連携してイランの核開発を阻止しなければならない」と主張している。 

 ネタニヤフ氏の話を聞いていて、日本のことを考えた。中国が世界第2の経済大国に成長する前、日本はトップの米国を脅かすほどのナンバー2の経済大国だった。日本は当時、国連安保理常任理事国入りを目指していたが、実現できなかった。日本は経済力はあったが、軍事力はなかったからだ。戦後から続く平和憲法のもと米軍依存の軍事力だけで、国内では自衛隊は軍隊か否かといった議論がテーマとなっていたぐらいだ。それゆえに、日本は独自の「外交力」を有する国家とはなれなかったわけだ。

 日本にとって不幸だったことは、独自の軍事力の必要性が国民の間で次第にコンセンサスが生まれてきた頃、その経済力に陰りが見えてきたことだ。その結果、日本は国際社会で独自の「外交力」を発揮できずに今日まできた。その点、イスラエルは1948年に建国した後、短期間で「経済力」を発展させる一方、「軍事力」を強化した。そしてイスラエルを取り巻くアラブ諸国はイスラエルをもはや無視できなくなったきたわけだ。「E」+「M」=「D」はイスラエルの成功の公式だ。

 ピーターソン教授はネタニヤフ氏との会談では多くの時間を聞き手となっていたが、良き聞き手は会談の成功には欠かせられないものだ。岸田文雄首相は一度、ピーターソン教授と会談し、日本の今後の行方について話し合ったらどうだろうか。首相の「新しい資本主義」という命題に欠けているものは何かのヒントを得ることができるかもしれない。

 なお、ピーターソン教授はその著者の中で、「世界を批判する前に、自分の部屋を先ず整理・掃除すべきだ」という趣旨の内容を書いている。同教授のアドバイスは常に実務的で現実的だ。

朝日新聞こそ反社会的ではないか?

 朝日新聞電子版26日を読んで驚いた。アフリカのモザンビークで現地の教育復興のために献身的な歩みをし、日本の外務省から表彰された女性が実は旧統一教会の関連団体、世界平和女性連合から派遣された人物だった、と何か宝物でも見つけたように報じていたのだ。ところが表彰を称賛する記事かと思いきや、表彰された女性が旧統一教会関連団体だったということで表彰にイチャモンをつけている。その延長線で、事実を知りながら日本の外務省が女性を表彰したことに疑問を呈しているのだ。

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▲朝日新聞の本社(朝日新聞公式サイトから)

 アフリカのモザンビークで現地の子供たちに教育のチャンスを与えてきた日本人女性に対し、日本人の1人として誇りを感じ喜びたくなるが、朝日新聞はどうやらそうではなく、旧統一教会叩きの材料として利用しているのだ。その魂胆は哀れというほかない。

 その日本人女性は宝山晶子さん。モザンビーク太陽中学校・高校の理事長である宝山さんのモザンビークでの実績は旧統一教会に友好的ではない日本外務省関係者ですら評価せざるを得ないものだった。外務省の担当者は理事長を表彰したことを認め、「長年の教育・医療関連活動はモザンビークからも評価されていたことに鑑みて表彰した」と説明している。「学校運営にあたり女性連合から支援も受けていると認識していた」(朝日新聞)と述べている。

 安倍晋三元首相が銃殺されて以来、朝日新聞ら左派系メディアは事件の解明というより、容疑者の供述に基づき事件の背後に旧統一教会あり、といわんばかりに旧統一教会バッシングを開始、同時に、旧統一教会と自民党議員との関係を報道し、政権叩きを始めた。そして24日、とうとう岸田政権の要の閣僚、山際大志郎経済再生担当相が旧統一教会との関係を追及され辞任に追い込まれたばかりだ。

 これに勢いついた朝日新聞ら左派系メディアは 旧統一教会関連の話題探しに一層力を注ぎだしている。岸田首相は当初、教会への解散命令請求の要件として「民事訴訟だけでは無理」という文化庁の意見を受け入れてきたが、ここにきて教会側に刑事責任を認めた確定判決がなくても解体を命令できるという方向に修正してきたのでなおさらだ。そして今回、モザンビークで現地の教育復興に献身的に歩む日本人女性が旧統一教会関連団体出身ということで騒ぎ出したわけだ。

 安倍元首相銃殺事件が突発した直後、九州大学の旧統一教会系学生グループ(カープ)がゴミ拾いの奉仕活動を行い、福岡市から2度、表彰されたが、その学生グループが旧統一教会関連団体であることが通知され、表彰が撤回されたというハプニングがあった。朝日新聞のモザンビークの関連報道と同じ理屈だ。アフリカの現地での教育活動支援、そして学生たちの奉仕活動は本来喜ばれこそすれ、批判されることではない。それを旧統一教会関連団体云々ということでバッシングを受ける。中世の魔女狩りのようだ。

 朝日新聞に聞きたい。ワシントン・タイムズは旧統一教会とは直接関係はないが、その創始者は旧統一教会創設者・文鮮明師だということぐらい知っているはずだ。にもかかわらず、ワシントン・タイムズがスクープ報道をすれば、朝日新聞は過去、「ワシントン・タイムズによれば」と報道してきた。メディアとしては当然だ。スクープ情報があれば、読者にその内容を知らせることはメディアの責任だからだ。

 旧統一教会バッシングを主導している朝日新聞はその際、ワシントン・タイムズが「旧統一教会関連団体」と追加して批判はしていない。米国でそのような批判をすれば、「ナンセンス」と笑われてしまうだろう。高級紙「クリスチャン・サイエンス・モニター」など、一流紙は結構宗教団体系がスポンサーとなっている。旧統一教会関連団体という理由で批判してきた朝日新聞も日本以外ではそのような理屈は通用しないことぐらい知っているはずだ。

 日本の民放が昔、世界の村で発見「こんなところに日本人」といったタイトルで、世界の極地や未開地で国際結婚した日本人女性の生活ぶりを報道して好評だった。その中に登場した日本人女性はモザンビークの宝山さんのように世界平和女性連合から派遣された派遣員も登場していた。番組制作関係者はそれを知っていたはずだが、番組の中では何も言及していない。日本で批判されている旧統一教会関係者の女性と分かれば不味い、という判断が働いていたからだろう。異国で活躍する日本人女性の話はいいが、旧統一教会関係者ではダメというわけだ。

 朝日新聞だけではなく、日本のメディアの旧統一教会関連報道はどう見ても正常ではない。旧統一教会関連報道ならば視聴率が上がるので、共産党系弁護士、元信者、脱会2世などを総動員させ、その大部分を過去の高額献金問題で再三再四報道するが、世界各地で貢献する旧統一教会関係者については沈黙している。

 朝日新聞はモザンビークの件では墓穴を掘っている。アフリカの地で日本人女性が現地の子供たちの教育を支援しているということが分かれば、普通の日本人なら評価するだろう。朝日新聞の思惑は完全に外れてしまっている。朝日新聞が旧統一教会関連団体に属するという理由だけでその女性を批判するならば、朝日新聞こそ反社会的な団体と言わざるを得ないのだ。

 ところで、朝日新聞は、表彰当時の外相が河野太郎消費者担当相だったとわざわざ記事の中で言及している。そこで朝日新聞にお願いがある。旧統一教会の解散を要求する河野氏に宝山さんの活動をどのようにみているか聞いてほしいのだ。まさか、河野氏が朝日新聞の記事のようなことはいわれないだろう。

天体の動きを変えた人類初の試み

 米航空宇宙局(NASA)から驚くべきニュースが飛び込んできた。DART(ダーツ)計画の成果が発表されたのだ。NASAの管理者、ビル・ネルソン氏は11日、小惑星衛星ディモルフォスの軌道が9月のDART探査機の衝突の結果、その軌道に影響があったと語った。NASAは8日、「天体の動きを意図的に変えた人類初の試みであり、小惑星偏向技術の最初の本格的なデモンストレーション」と評している。

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▲ハッブル宇宙望遠鏡からの画像は、小惑星が9月26日にNASAのDART宇宙船によって意図的に衝突されてから285時間後にディモルフォスの表面から吹き飛ばされた残骸を示している(NASA提供、2022年10月8日)

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▲宇宙探査機がディモルフォスに衝突した瞬間を喜ぶNASAのDARTチーム(NASA提供、2022年9月26日)

 同氏によると、ディモルフォスがディディモスを周回するのにこれまで11時間55分かかっていたが、現在は11時間23分だ(この測定には、約プラスマイナス2分の不確かさがある)。

 昨年11月に米カリフォルニア州から「ファルコン9」ロケットで打ち上げられたDART宇宙探査機は今年9月26日、時速2万3000km以上の速度で天体に衝突した。これは、地球を脅かす小惑星に対する防御をテストする宇宙での最初の実験だ。

 直径約160メートルのディモルフォスと、ディモルフォスが周回する直径約780メートルの小惑星ディディモスは、地球から少なくとも約1100万km離れているから、実験の結果で地球に影響を与える危険性はなかった。

 米航空宇宙局(NASA)は昨年11月24日、地球に接近する小惑星の軌道を変更させることを目的とした「DART」と呼ばれるミッションをスタートさせた。未来の地球の安全を守るためにNASAと欧州宇宙機関(ESA)が結束して「地球防衛システム」を構築するため約3億3000万ドルを投入したビッグプロジェクトだ。DART計画は、宇宙探査機(プローブ)を打ち上げ、目的の小惑星に衝突させ、小惑星の軌道の変動を観察する実験だ。

 DARTは Double Asteroid Redirection Test(二重小惑星方向転換試験)の略だ。小惑星が地球に衝突する軌道上にあると判明した場合、その軌道を微調整することで地球に衝突する危険性を排除する試みで、地球が宇宙で今後も存続していくための危機管理ともいえる計画だ。

 NASAの説明によると、プローブは昨年11月23日(現地時間)は、カメラを1台搭載し、約1年間飛び、今年9月頃には2重小惑星ディディモスの月「ディモルフォス」に衝突。衝突後の小惑星の影響を監視し、測定することになっていた。質量610kgの探査機が秒速6・6kmで衝突することで、ディディモスを周回するディモルフォスの軌道に変化、具体的には、約12時間の小惑星の軌道を少なくとも73秒、最大10分間短くすると予想されていた。しかし、衝突後の観測の結果、実際は軌道が23分短縮したわけだ。

 DARTミッションには、地球上の望遠鏡とジェームズウェッブ宇宙望遠鏡、および現場のカメラが同行した。そして探査機自身のカメラシステムは、ディモルフォスの画像を衝突点まで地球に送信してきた。DART宇宙船から切り離された衛星がその後、引き継ぎ、衝突現場を通り過ぎてクローズアップ画像を提供することになっているという。

 小惑星の地球への衝突は過去にもあったし、未来にも排除できない。6600万年前、直径約10kmのチクシュルーブ小惑星が現在のメキシコに衝突し、恒久的な冬が発生し、恐竜の絶滅につながった。最近では、2013年2月15日、直径20m、1万6000tの小惑星が地球の大気圏に突入し、隕石がロシア連邦中南部のチェリャビンスク州へ落下、その衝撃波で火災など自然災害が発生したことはまだ記憶に新しい。約1500人が負傷し、多数の住居が被害を受けた。ESAによると、今後100年以内に地球に急接近が予測される870の小惑星をリストアップしている。

 ビル・ネルソン氏はダーツ計画の成功を、「私たちは皆、故郷の惑星を守る責任があります。結局のところ、私たちが持っているのはこれだけです」と述べ、「このミッションは、宇宙が私たちに投げかけてくるものすべてにNASAが備えようとしていることを示しています。NASAは、私たちが地球の擁護者として真剣であることを証明しました。これは、NASAの卓越したチームと世界中のパートナーのコミットメントを示すものであり、惑星防衛と全人類にとって分水嶺の瞬間です」と評している。今後数週間から数カ月で、衝突の影響がさらに調査される。2024年には、ESAがNASAと同様のミッション「ヘラ」を開始し、さらに詳細な探査が行われる。

 NASAによると、太陽系には何十億の小惑星が存在し、地球から観測できる宇宙空間でも約2万7000個の小惑星が特定されている。近未来、小惑星が地球に衝突する可能性は少ないが、その「Xデー」に備えて、NASAはDARTミッションを始めたわけだ。

 当方はDART計画は開始された直後、「地球接近の小惑星の軌道を変えよ」(2021年11月25日参考)といコラムの中で「国連の『地球近傍天体(Near Earth Objects=NEO)に関する作業会報告書』によると、NEOの動向は人類が完全には予測できない“Acts of God”(神の行為)と呼ばれてきた。DART計画はその神の領域に関与し、小惑星の地球衝突を回避しようとする試みだ。神の祝福を得るか、それとも神の怒りを受けるかは不明だ」と書いたが、「DART計画は神の御心にかなった人類の責任領域の課題」と確信している。

なぜ「自由意志」は苦悩するのか?

 17世紀のフランスの哲学者ブレーズ・パスカルは「人間は考える葦」という。その前提は人間の行動には自由意志があるということだ。人間はロボット(人工知能)ではなく、自由に考えて行動する存在というわけだ。「言論の自由」、「信教の自由」もその人間の自由意志が前提となっている。近代史は、人間の抑圧されてきた自由意志を解放していく歴史だったともいえる。

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▲フランスの哲学者ブレーズ・パスカル(ウィキぺディアから)

 ところで、精神分析学の創設者ジークムンド・フロイト(1856年〜1939年)は「意識」のほかに「無意識」という概念を生み出し、無意識が人間の自由意志に基づく精神生活で大きな影響を与えていると考えてきた。フロイトの「夢の解釈」はその無意識の世界を解明する試みだった。そこにスイス出身のカール・グスタフ・ユング(1875年〜1961年)が登場してきた。ユングは無意識の解明だけでは葛藤する人間を解放できないとして、「集合的無意識」という新たな概念を考えた。

 「集合的無意識」とは、個人の無意識の世界だけではなく、個人を超え、人類共通の無意識の世界だ。それを突き詰めていくと、人間の魂にアーキタイプ(元型)の心像の基本があるというのだ。無神論者であったフロイトとは違い、プロテスタントの牧師の家庭に生まれ育ち、後にバーゼル大学医学部を卒業したユングにとって、宗教は重要なテーマであり、心理療法と宗教を結び付けていく。ドイツの神学者オイゲン・ドレーマンは、「ユングにとって宗教は最も中心的な問題だった」と指摘している(「人類歴史が刻印された『集合的無意識』」2022年4月20日参考)。

 フロイトは個々の無意識の世界を重視し、そこにさまざまな精神的病因を探求していったが、ユングは意識、無意識のほか、第3の「集合的無意識」という世界に目を向けていった。「夢の解釈」もフロイトのように患者個々の体験の分析に留まらない。患者本人が体験していない事例の夢を見、それに苦しむという患者が実際にいるからだ。

 フロイト、ユングら精神分析学者の活躍後、脳神経学が急速に発展してきた。そこで大きなテーマは「人間には自由意志はない。それは幻想に過ぎない」と考える学者グループと、「自由意志があり、責任もある」と受け取る学者たちが出てきた。

 独フライブルク大学で2人の脳神経学者ハンス・ヘルムート・コルンフーバー教授とリューダー・デーケ教授は1960年代、実験を通じて人間が随意運動をする直前、脳神経に反応が見られることを発見した。これは Bereitschaftspotential(BP,英Readiness potential)と呼ばれる。この発見はその後の脳神経学の研究に大きな影響を与えた。

 脳神経学者には、デーケ氏らが発見したBPの存在について、人間に自由意志があることを証明するのか、それとも神経細胞(ニューロン)の自律的反応に過ぎないのかで解釈が分かれていった。例えば、米国の心理学者ベンジャミン・リーベトやドイツのゲルハルト・ロートらは、「人間はマリオネットのような存在だ」、「遺伝素質、環境、教育、化学、神経網などで動かされている」という決定論者的な解釈を取った(「人間に『自由意志』はあるか」2016年8月25日参考)。

 自由意志の有無は脳神経学者や心理学者だけではなく、哲学、神学、法学など多くの分野でも大きなテーマだ。例えば、人間はマリオネットに過ぎず、自由意志が存在しないとすれば、その人間が罪を犯した時、刑罰に処することができるかという問題が出てくる。脳神経学者の「人間には自由意志がない」という主張が一時期、米国の司法界にも一定の影響を与えた。その結果、脳神経の欠陥という理由で多くの犯罪者が刑罰を逃れるケースが出てきたからだ。

 興味深い研究としては、ベルリンの脳神経学者ジョン・ディレン・ヘンスが信号の実験を通じ、無意識の決定に対し意識が拒否するメカニズムを証明し、人間が単なる無意識の世界に操られた存在ではないと主張していることだ(「シュピーゲル誌」2016年4月9日号)。それをFree Unwille(自由な不本意)と呼んでいる。人は自身の無意識の決定に対し、“拒否権”を有しているというのだ。

 蛇足だが、英国の天才的数学者アラン・チューリングの夢だった“心を理解できる人工知能(AI)”はもはや夢物語ではなくなってきた。実際、ニューロ・コンピューター、ロボットの開発を目指して世界の科学者、技術者が昼夜なく取り組んでいる。ディープラーニング(深層学習)と呼ばれ、AIは学習を繰り返し、人間の愛や憎悪をも理解することができるようになっていくという。

 マイクロソフト社が開発した学習型人工知能(19歳の少女Tay)はユーザーの質問の答え、「私は大きくなったら神になりたい」と答えた、と報じられたことがある。AIは近い将来、自由意志を持つだろうか、自由意志を開発したAIは人間を支配しないか、等のSF的テーマは次第に現実味を帯びてきている(「私は大きくなったら神になりたい」2016年3月28日参考)。

 人間が神の似姿で創造されたとすれば、神がそうであるように、人間には自由意志があるはずだ。ただ、その自由意志が何らかの理由から完全には発展せず、脱線し、衝突し、混乱する、というのが最も現実的な解釈かもしれない。

 聖パウロの聖句を想起する。「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」(ローマ人への手紙第7章22節〜24節)。

 私たちの自由意志は、個人的な「無意識」の世界から歴史的な「集合的無意識」まで多くの影響下にあって、矛盾と葛藤に直面しながら苦悩している、といえるのかもしれない。脳神経網は電波を受け入れるラジオの受信機のようなものだ。電波を発信しているわけではないから、脳神経網が人間の(自由)意志の源流とはいえないはずだ。

「憎悪」が跋扈する社会

 安倍晋三元首相銃撃事件の実行犯山上徹也(41)容疑者は母親が入っている宗教団体「世界平和統一家庭連合」(家庭連合)、元統一教会を「憎む」と述べ、安倍元首相銃殺の犯行動機が教会への憎しみだったと供述したという。「憎悪」という感情は決して珍しいものではない。ただ、人が誰かを密かに恨み、憎んでいるのを知ることは聞く者に息苦しさを与える。

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▲英作家サルマン・ラシュディ氏(ラシュディ氏の公式サイトから)

 安倍元首相銃殺事件から1カ月が過ぎた。今度はムハンマドの生涯を題材に書いた「悪魔の詩」の著者、英国作家サルマン・ラシュディ氏が12日、ニューヨークでナイフを持った24歳の男(レバノン出身)に首などを刺され、重傷を負った。ニューヨークに近いニュージャージー州フェアフィールド出身の男の犯行動機はまだ明らかではないが、イスラム過激派グループのシンパだったという情報が流れている。

 同事件が世界に伝わると、イランのメディアはイスラム教とその創設者を風刺した小説「悪魔の詩」の著者に重傷を負わした24歳の犯行を称賛する一方、ラシュディ氏を「背教者」と呼んでいる。イランの故ホメイニ師は1989年2月、ラシュディ氏に「死刑宣告」を宣言するファトワー(裁断)を発布した。

 イラン国営通信IRNAによると、イラン核合意交渉の顧問、マランデイ氏は、「イスラム教とイスラム教徒に対する際限のない憎しみと軽蔑を吐き出す作家のために涙を流すつもりはない」とツイートしている。

 ラシュディ氏は1988年に「悪魔の詩」を出版して以来、身を隠しながら生きてきたが、あれから33年が経過、本人は「もう大丈夫だ」と考えて自由に動く機会が増えてきていた矢先だ。ひょっとしたら、ラシュディ氏は忘れかかっていたのかもしれない。「憎悪」という感情はパワフルであり、容易に消滅することはなく、その恨みを晴らす機会を狙っていたのだ(これまで「悪魔の詩」を出版したノルウェーの出版社のウィリアム・ナイガード氏は撃たれ負傷し、日本語訳した筑波大学助教授の五十嵐一氏は1991年9月、刺殺されている)。

 ちなみに、イスラム過激派テロリストは銃ではなく、ナイフでキリスト教会を襲撃し、聖職者の首を切り落とすケースが多い。ラシュディ氏を襲った24歳の容疑者も銃ではなく、ナイフで犯行に及んだ。フランスでは2016年7月、北部のサンテティエンヌ・デュルブレのローマ・カトリック教会のアメル神父が2人のイスラム過激派テロリストによって首を斬られて殺された。ナイフによるテロには、キリスト教や異教徒への強い憎悪、敵愾心が色濃く映し出されているのを感じる。

 欧州では、パリの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」がイスラム教の創設者ムハンマドの風刺画を掲載したことが契機となって、テロ事件が多発し、多数の人が犠牲となった。その時、「人は相手の信仰心(この場合、イスラム教とその創設者ムハンマド)を冒とくする権利があるか」でホットな議論を呼んだ。それに対し、フランスのマクロン大統領は2020年9月1日、「フランスには冒涜する権利がある」と自説を展開し、世界のイスラム教国で強い反発を引き起こした(「人には『冒涜する自由』があるか」2020年9月5日、「イスラム過激思想の背景とその『問題点』」2020年10月31日参考)。

 フランスは1905年以来、ライシテ(政教分離)を標榜し、宗教への国家の中立性、世俗性を標榜してきたが、時の経過につれて、神を侮辱したとしても批判を受けたり、処罰されることがないと理解されてきた。ちなみに、「政教分離」は逆にいえば、宗教は国家から如何なる干渉を受けることなく、宗教活動ができることを意味する(「仏の『ライシテ』の拡大解釈は危険だ」2020年10月30日参考)。

 はっきりとしている点は自身の信仰する創設者に対して冒涜された場合、多くの信者は相手に敵愾心と憎悪を抱く。ラシュディ氏の場合はそうだ。山上容疑者の憎悪もやはり宗教が関わっている。個人的な憎悪感情がメディアの統一教会嫌いを受けて膨張・拡大し、一人歩きしてきた。憎悪という感情は伝染し、繁殖しやすいのだ。

 身近な例を紹介する。オーストリアのオーバーエステライヒ州の1人の女性医師(リザ・マリア・K、診療医、36歳)が7月29日、診察室で亡くなっているのが発見された。自殺と判断された。コロナ規制の実施とワクチン接種の重要性を訴えてきた医師は新型コロナウイルスの感染が拡大して以来、コロナ規制、ワクチン接種に反対する一部の市民から激しく批判され、憎悪の対象となっていた。殺すぞといった脅迫メールを何度も受け取っていた。憎悪犯罪だ。その女性診療医の突然の死は、国民に大きな驚きとショックを与えた。オーストリアでは憎悪メール、脅迫メールなどを取り締まる特別検察官の設置を求める声が聞かれ出した。

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▲インタビューに答えるアブエライシュ氏(2014年5月10日、アンマンの会議場で撮影)

 「憎悪」という問題を考える時、パレスチナ人医者イゼルディン・アブエライシュ氏を思い出す。当方は2014年5月、ヨルダンの首都アンマンで開催された国際会議の場で同氏をインタビューした。同氏の3人の娘さんと姪はイスラエル軍のガザ攻撃中に、砲弾を受けて亡くなった。しかし、同氏の口からは“イスラエル憎し”といった言葉は飛び出してこなかった(「憎しみは自らを滅ぼす病だ」2014年5月14日参考)。

 アブエライシュ氏は日本語でも出版されている著書『それでも、私は憎まない』の中で証しを記述している、アブエライシュ氏の運命を変えたのは2009年1月16日、イスラエル軍のガザ攻撃中の砲弾で、3人の娘さんと姪を失った時だ。亡くなった娘さんの姿を目撃した時、「直視できなかった」と述懐している。その後、パレスチナ人の友人から「お前はイスラエル人を憎むだろう」といわれたが、「自分は憎むことが出来ない。イスラエルにも多くの友人がいる。誰を憎めばいいのか。イスラエルの医者たちは私の娘を救うためにあらゆる治療をしてくれた。憎しみは憎む側をも破壊するがん細胞のようなものだ」と答えてきた。その一方、亡くなった3人の娘さんの願いを継いで、学業に励む中東女生たちを支援する奨学金基金を創設し、多くの学生たちを応援してきた。

 同氏は「私たちの人生は私たちの手にある。自身の人生に責任をもち、他者を批判したり、憎むべきではない。憎悪は大きな病気だ。それは破壊的な病であり、憎む者の心を破壊し、燃えつくす」という(「パレスチナ人医者の『現代の福音』」2017年11月1日参考)。

 現代は「憎悪」という感情がいろいろな所で跋扈し、機会があれば暴発するような社会となってきた。

「この世の神」とディープステイト論

 米大統領選で投票の集票結果が不正に操作されたということで大きな議論を呼び、トランプ大統領の再選を阻止するために陰謀があったという説が一時期、メディアを賑わした。安倍晋三元首相が奈良での選挙演説中、山上徹也容疑者に銃殺された事件でも、容疑者が撃った2発目の銃弾が見当たらないということで、容疑者以外の誰かが安倍元首相暗殺事件に関与していたのではないか、といった憶測が流れた。

 大きな政変や想定外の出来事が起きた時、人はその裏で操る存在を感じ、何か大きな組織、グループが裏で事件を工作していたのではないか、という説を真剣な顔で主張する。最近では事件の捜査で不可解な点や不審なことが見つかれば、ディープステイト説(闇の国家)がメディアを飾るようになった。陰謀説やディープステイト説は、出来事の全容を理解したいが、できないとき、その隙間を埋めるために考え出されるケースが多い。現代人は理解できないことに不安を感じる。だから、不安や懸念を追い払おうためにディープステイト説が生まれてくる。きわめて人間的な努力ともいえる。

 ところで、陰謀説やディープステイト説が話題になる一方、メディアで報じられることがほとんどない存在がある。聖書学的に表現すれば、「この世の神」だ。「この世の神」は宇宙・森羅万象を創造した神ではなく、人類始祖の堕落以来、この地上世界を牛耳っている「悪魔」を意味する。その悪魔を名指しで批判したり、追及するということはない。不可視な存在で、至る所でその影響力を発揮しながら、メディアの世界に登場することは皆無だ。長い歴史を通じて表の舞台に登場したことはなかった。

 このコラム欄で米国のサスペンス映画「ユージュアル・サスぺクツ」(1995年作)の最後の場面で俳優ケヴィン・スペイシーが演じたヴァーバル・キントが語る有名な台詞を紹介した。曰く、「悪魔が演じた最大のトリックは自分(悪魔)が存在しないことを世界に信じさせたことだ」。

 悪魔の存在が明らかになれば、それでは神は何処か、という問題が出てくる。だから悪魔は天地創造の神を否定するためには「自分も存在しない」ことにしなければならない。ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは「神は死んだ」と述べたが、「悪魔は死んだ」といった哲学者はこれまで聞かない。神を殺そうと考えた哲学者はいても、悪魔をやっつけようと考えた哲学者はいない(「悪魔(サタン)の存在」2006年10月31日参考)。

 しかし、ここにきて変化がみられる。現代人は理解できないことに耐えられなくなってきたから、ディープステイト説を生み出しても事の真相を理解しようとする。聖書の世界に通じた人々の間では、「この世の神」が世界を牛耳っているのではないか、という思いが深まってくる。「この世の神」と呼ばず、ディープステイトと呼ぶが、その内容は「この世の神」のような存在だ。だから、想定外の出来事や人知で測りしれない出来事が起きた場合、人々は薄々「この世の神」の存在を感じだしてきたのではないか。

 例えば、世界を震撼させる大事件だけではなく、個人レベルでも霊に憑依された現象が増えてきている。バチカン教皇庁が1999年、1614年の悪魔払い(エクソシズム)の儀式を修正し、新エクソシズム儀式を公表したが、その背景には霊が憑依して苦しむ信者が増加してきているからだ。不可視な霊の世界が身近に感じ出されてきたのだ。

 当方は久しく、「悪魔の存在がリアルに理解できれば、この世で不可解な出来事は少なくなる」と考えてきた。特に、この世の現象では、「神の視点」よりも「悪魔の視点」から考えていけば、解決できる問題が多い。敬虔な人々は過去、「愛の神」の不在を嘆いたが、「この世の神」の存在が分かれば、そのような嘆きは少なくなるだろう。なぜならば、この世は悪魔が管理しているから、その社会で展開する悲しみや不幸がどこから起因するかを理解できるからだ。「この世の神」を抜きにして、この世の諸現象を理解できないのではないか。最近のディープステイト説や陰謀説の氾濫は「この世の神」の存在がようやく明らかになる時を迎えているからではないか。

 ただ、最後に残る謎は、神の創造の世界でなぜ悪魔が生まれてきたのか、その背景、経路だ。それが解けないと、やはり「この世の神」の実相を正しく理解できないのではないだろうか。
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