ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

バルカン

「デイトン和平協定」が民族統合の障害に

 ボスニア・ヘルツェゴビナで4日、連邦、共和国レベルの議会選挙が実施された。現地からの報道によると、民族主義政党が依然として優勢を維持している。中央選挙管理委員会(CIK)の集計90%以上の段階で、大きな情勢の変化は見られない。投票率は41.5%に留まり、過去最低を記録した。

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▲クロアチア系住民とボシュニャク系住民間を結ぶボスニアの「スタリ・モスト橋」(2005年11月、ボスニアのモスタル市で撮影)

 ボスニアでは人口の約半数を占めるイスラム教徒のボシュニャク人、3分の1を占める正教徒のセルビア人、そして15%を占めるカトリック教徒のクロアチア人の3民族間で対立が起き、セルビアが引き起こした内戦は1992年から1995年まで続き、約20万人の犠牲者、200万人の難民・避難民を出した。1995年、パリでデイトン和平協定が締結されて一応終戦を迎えた。その後、ボスニア・ヘルツェゴビナはボシュニャク系とクロアチア系両民族から構成された「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア系の「スルプスカ共和国」(RS)の2つの主体から成り、高度な自治権を持つ2つの構成体に分かれた。

 3人から構成される国家元首(幹部会)メンバーには、ボシュニャク人のデニス・ベチロヴィッチ氏とセルビア人のジェリャカ・ツヴィヤノヴィッチ氏が再選され、、クロアチア人枠のメンバーとしては、ダリヤナ・フィリポヴィッチ氏が新たに選出された。

 ボシュニャク人枠の選挙戦では、社会民主党のベチロヴィッチ氏が得票率38・1%を獲得し、イスラム系民族主義政党SDAの党首バキル・イゼトベゴヴィッチ氏(得票率34%)を破った。

 セルビア人枠では、セルビア人構成体の民族主義与党SNSDに所属するジェリャカ・ツヴィヤノヴィッチ氏が55.6%の得票率で圧勝した。対立候補である穏健な民族主義政党SDSのマリンコ・ボゾヴィッチ氏の得票率は26.8%に留まった。

 クロアチア人枠でHDZ BiH(ボスニア・ヘルツェゴビナ・クロアチア民主同盟)のダリヤナ・フィリポヴィッチ氏が48.2%の得票率を得て、社会民主党のスラヴェン・コヴァチェヴィッチ氏(得票率28.8%)に大差をつけた。

 なお、セルビア人居住地域(構成体)では、同地域の有力者ミロラド・ドディク氏率いるSNSD(独立社会民主同盟)が権力基盤を固めた。同党の候補者サヴォ・ミニッチ氏が大統領選で圧倒的な勝利を収めたほか、議会選挙でも得票率39%(2022年の34.6%から上昇)を獲得し、引き続き地域議会における支配的な勢力としての地位を維持している。長年にわたりスルプスカ共和国の大統領を務めたドディク氏は昨年10月、分離独立を志向する活動を理由に、昨年サラエボの裁判所によってその職を解任された。


【一口解説】
 ボスニアの選挙結果について、メディアの扱いは控えめで、選挙結果を報道するだけで終始している。すなわち、ボスニアの政情に大きな変化がないばかりか、近未来の見通しも見えないからだ。イスラム系、クロアチア系、そしてセルビア系の3民族の分割はさらに強固となり、民族の統合といった期待はさらに遠ざかった感じがする。同国は2022年後半から、EU加盟候補国だが、加盟交渉は久しく停滞している。

 各民族集団から1人ずつ選出される3人構成の国家元首(幹部会)に加え、国家レベルの議会、そして国内の2つの構成体(エンティティ)である「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」(クロアチア人とボシュニャク人が多数を占める)と「スルプスカ共和国」(セルビア人が支配的)の議会が選出された。さらに、連邦内の10の「カントン(州)」の議会や、スルプスカ共和国の指導者(大統領)の選挙も実施された。立候補者数は合計7,028人に上る。

 多くの重要な権限は中央政府ではなく、構成体(エンティティ)やカントン(州)に属しているから、権限の所在が不明確になりやすく、政治的な決定が阻まれるケースが多い。実質的な政策課題よりも、民族的アイデンティティが中心的な位置を占めている。ボシュニャク系住民の多くが中央政府の権限強化を支持する一方で、セルビア系およびクロアチア系の民族主義者たちは、より広範な自治を強く主張している、といった具合だ。

 政治の停滞は、汚職、脆弱な統治機構、経済的展望の欠如、そして教育や医療における不備となって出てきている。そのため、若者の間では国外へ移住する傾向が強まっている。低い投票率は国民の政治への不信感を反映している。デイトン合意以来、上級代表が広範な権限を行使してきたが、5月に退任したクリスチャン・シュミット氏の後任人事が決まらず、現在は暫定的に職務が代行されている。

 ボスニア紛争でセルビア軍が8000人以上のボシュニャク男性と少年を虐殺した通称「スレブレニツァ虐殺事件」について、同虐殺に関与したボスニアのセルビア軍ラトコ・ムラディッチ司令官は2011年以来、オランダのハーグにある旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)で有罪判決を受けて収監されてきたが、ハーグで今年8月27日病死した。その司令官を民族の英雄とするスルプスカ共和国やセルビアで国葬が挙行されたばかりだ。ボスニア紛争の歴史について、3民族間で共有されていないのだ。

 ウォルフガング・ぺトリッチュ元ボスニア和平履行会議上級代表は2005年、当方とのインタビューで、「ボスニアでは冷たい和平が支配している。ボスニア紛争は内戦だった。外部の侵略を契機に始まり、勝利者と被占領者に分かれる戦争とは異なり、内戦には勝者はなく、敗者しか存在しない」と語り、「冷たい和平」の前途が厳しいことを示唆した。

 「ウィーン国際比較経済研究所」(WIIW)の上級エコノミスト、ウラジミール・グリゴロフ氏は、「ボスニアがうまくいかない最大の原因はデイトン和平協定だ」と述べ、同協定がその後の民族間の統合、発展を妨げる最大の障害になっていると指摘した。和平協定が停戦をもたらした功績は大きいが、ボスニアの現状を見るにつけ、グリゴロフ氏の苦い指摘に同意せざるを得ないのが実情だ。

バルカン半島とクシュナー氏の投資計画

 トランプ米大統領の娘婿であるジャレッド・クシュナー氏は、自身の投資会社アフィニティ・パートナーズ(Affinity Partners)などを通じてバルカン半島を中心に巨額投資を展開している。ただし、同氏の投資計画は現地の政治家や住民から強い抵抗に直面し、暗礁に乗り上がるケースも出てきている。

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▲米ホワイトハウス(2025年)、クシュナー氏、ウィキぺディアから、

 クシュナー氏(45)は2年前、アルバニア政府から「戦略的投資家」の地位を付与され、アドリア海沿岸などの手つかずの自然や軍事跡地を対象に、総額14億〜50億ドル規模とされる大規模な観光開発を進めている。それによると、かつて共産主義政権の秘密軍事基地であったサザン島を、高級ホテルブランド「アマン」を冠した華麗な観光地に変貌させるとともに、アルバニア南部の沿岸地域および潟湖湖畔(ビョッサ・ナルタ自然保護区近傍)のズヴェルネツに、高級ホテルや別荘群を建設するという内容だ。

 その計画が明らかになると、今年1月には、約40の環境保護団体が生物多様性への脅威を理由に、このリゾート計画の中止を求め、各地で抗議デモが始まった。 開発の地元では、絶滅危惧種やフラミンゴの生息地である脆弱な生態系が破壊されるとして「フラミンゴ革命」と呼ばれる大規模な反対デモが連日発生。さらに、用地取得を巡る偽造文書疑惑について組織犯罪対策機関(SPAK)が捜査に乗り出すなど、政治・汚職スキャンダルへ発展し激しい反発が続いている(イラン対アルバニアのホットな戦い」2026年6月13日参考)。

 アルバニアのラマ首相は、経済効果や観光業の近代化、EU加盟の後押しになるとしてプロジェクトを強く後押ししている。クシュナー投資プロジェクトの承認後、アルバニア政府はこの地域の土地を保護区から外し、クシュナー投資会社の名前を特別投資パートナーリストに加え、建設のための法的許可取得を免除している。

 クシュナー氏はまた、セルビアの首都ベオグラードの中心部にあった旧ユーゴスラビア軍参謀本部跡地に、ホテル、高級住宅、商業施設からなる3棟のタワー(トランプブランド)を建設する約5億ドル規模の再開発計画を進めてきた。メディアによると、クシュナー氏の投資会社はセルビア側との間で99年間の賃貸契約を締結したという。

  セルビアのヴチッチ大統領は、ホテル建設プロジェクトを擁護し、「我々は彼らに土地を与え、彼らは少なくとも6億5000万ユーロを投資する。これは我が国にとって巨額の投資だ。これは売却ではなく長期リース契約だ」と強調した。同大統領によると、「ベオグラードのあらゆるものの価値が高まり、さらに多くの観光客が訪れることになるだろう。このプロジェクトは即座に10億ユーロ以上の価値を生み出す」と説明してきた。

 ところが、昨年11月11日、数百人が旧陸軍司令部があった建物の取り壊しに反対する抗議活動を行った。同司令部建物は1999年のコソボ紛争中、北大西洋条約機構(NATO)空軍に爆破され、破壊されたが、セルビア政府は2005年、同司令部建物の残骸を保存するために文化遺産に指定した。しかし、セルビア議会が昨年11月に入り、その取り壊しを認め、その後に高級ホテルを建設する計画を「重要なプロジェクト」と認定したため、国民の一部で批判の声が上がってきた。

 それだけではない。さらに、開発を強引に進めるために建物の保護指定を違法に解除したとして、セルビアの閣僚や政府高官ら4人が汚職などの罪で起訴される事態に発展した。

 昨年12月23日のロイター通信によると、クシュナー氏の投資会社は「意義あるプロジェクトは分断ではなく結束をもたらすべき」として申請を取り下げ、同プロジェクトから完全に撤退している(「燻り続けるセルビア人の「反米感情」2025年11月13日参考)。

 ちなみに、一部のセルビア人が米投資会社による高級ホテル建設計画に強く反対する背景には、セルビア人特有の反米傾向がある。コソボ紛争中のNATOのベオグラード空爆に遡る必要があるだろう。

 コソボ自治州の独立問題で、NATOは1999年3月24日、セルビアの民族浄化の阻止と人道上の理由からベオグラード空爆(アライド・フォース作戦)を始めた。米軍が主導したNATO軍のベオグラード空爆は、セルビア人に強い反米感情を植え付けた。セルビアのインフラに大きな被害が生じ、多くのセルビア人が犠牲になった。そのうえ、国連安保理の承認を得ずにNATOが軍事行動を行ったこともあって、セルビア側の米国憎しの感情を生み出したわけだ。

 クシュナー氏はセルビアでの投資計画を発表後、数か月で計画を撤回したことになる。セルビア人の反米傾向の強さを考慮に入れなかった結果だ。アルバニアの開発計画は依然、進められているが、その前途は不確かだ。

 多民族、多宗教が混在するバルカンは昔から「欧州の火薬庫」と呼ばれ、恐れられてきた。そのバルカンでクシュナー氏は資金力を持って開発計画を提示したわけだが、現地の政治家、住民から強い反発が出てくるとは計算外だっただろう。ちなみに、バルカン地域は基本的にはロシア正教圏に入る。ロシアとは伝統的な関係を有する国が多い。

スロべニア下院選で親EU与党が首位

 「スロベニア」といえば、「スロバキアではないですよ」と言われる。当方が住む「オーストリア」はオーストラリアではないようにだ。旧ユーゴ連邦共和国は6共和国、2自治州から構成されていた。その中でスロベニア共和国は最北部に位置し、最も経済発展していた共和国だった。人口は全体の10%にも満たなかったが、国内総生産は全体の20%、外国貿易では30%を占める文字通り旧ユーゴ連邦の国民経済を支える共和国だった。自主管理社会主義システムを積極的に推進し、経済は潤っていた。他共和国からは“優等生”として羨まれていたほどだ。

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▲「勝利宣言」をしたスロベニアのゴロブ首相、スロベニアTVから(PopTV)

 スロべニアは地理的にはオーストリアに近く、首都リュブリャナはオーストリアの南部ケルンテン州のクラーゲンフルトとその町の風情がよく似ている、ただ、人口は211万人と小国であり、政治情勢は他のバルカン諸国と比べると、安定していることから、日本のメディアでスロベニアが登場する機会が少なかった。ただ、トランプ米大統領の奥さん、ファーストレディのメラニア夫人はスロベニア出身だということで、スロべニアに関心を持つ人が増えたともいわれている。

 前口上はこれで終え、コラムのテーマであるスロべニア国民議会(下院、定数90)の結果を報告する。欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の加盟国スロベニアでの選挙は接戦となった。 スロベニアで22日、国民議会の投開票が実施され、ロベルト・ゴロブ首相が率いる中道左派「自由運動党(GS)」が中道右派のヤネス・ヤンシャ党首「スロベニア民主党(SDS)」に僅差で勝利した。ただし、暫定結果によると、ゴロブ首相率いる連立政権は過半数を失ったため、連立交渉が難航することが予想されている。連立交渉次第ではSDSの政権交代のチャンスはある。

 開票率99.9%の時点で、自由運動党(GS)は28.6%の得票率で「スロベニア民主党」(SDS)27 .95%を破り、勝利を収めた。党に対する中傷キャンペーンの圧力にさらされながらも、ゴロブ氏は最終局面でSDSを抜いた。これにより、GSは29議席、SDSは28議席を獲得した。ゴロブ首相は22日夜遅くに勝利宣言を行った。

 ゴロブ氏は22日夜、首都リュブリャナの党本部で、「有権者は自由運動だけでなく、民主主義そのものに投票した」と述べた。その後、議会で記者団に対し、政権樹立に向けて「議会内のすべての民主政党」と協議する意向を表明した。同氏は、可能な限り幅広い政党による連立政権を目指すという。

 59歳のゴロブ氏は、2022年に政界の新人として政権に就き、現在は3党による中道左派連立政権を率いている。一方、ヤンシャ氏は2004年から3期にわたり首相を務めたが、2022年の選挙でゴロブ氏に大敗を喫した。

 GSとSDSに加え、5つの政党が議席を獲得した。その中には、親ロシア・反欧州政党のResni.ca(真実)が議席を獲得した。第3党にはキリスト教民主派NSiが率いる保守連合で、次いで社会民主党、そして元副首相アンジェ・ロガル氏の民主党が続いた。いずれの二大政党も単独では90議席中46議席という絶対多数を獲得する見込みがないため、4%の得票率を突破した小政党がキングメーカーの役割を担うことになる。

 社会民主党と左派によるこれまでの連立政権はもはや過半数を維持できない。しかし、ヤンシャ氏が右派ブロックと組んだとしても過半数を確保できる見込みはない。ヤンシャ氏はすでに僅差の選挙結果に異議を申し立てる意向を示している。STA通信によると、同氏は「すべての投票所のすべての票を再集計する」と述べた。

 両陣営は選挙前、今回の選挙を国の将来を左右する重要な決定だと位置づけていた。ゴロブ政権下では、スロベニアは社会改革に重点を置いた自由主義的で親欧州的な路線を歩んできた。ゴロブ政権下でスロベニアでは同性婚が合法化された。外交政策においては、パレスチナ独立国家を支持し、イスラエルに対する武器禁輸措置を課した。

 一方、ヤンシャ氏は法人税減税を掲げ、政府の財政浪費を非難し、今回の選挙を「腐敗に対する国民投票」と位置づけた。さらに、「伝統的な家族」といった「スロベニアの価値観」の回復と、一部の非政府組織への国家補助金の削減計画を発表した。ヤンシャ氏はハンガリーのオルバン首相の盟友であり、ドナルド・トランプ米大統領の強力な支持者と目されている。そのため、ヤンシャ氏が勝利すれば、スロベニアの外交政策は大きく方向転換する可能性が高い。

 なお、選挙運動は、外国による干渉疑惑が表面化した。当局は、イスラエルの企業ブラックキューブが、ゴロブ政権の腐敗ぶりを描いた動画作成に関与していたかどうかを捜査している。ヤンシャ氏はブラックキューブの代表者と会ったことは認めたものの、動画の公開への関与は否定した。

スレブレ二ツァ虐殺30年目の「冷たい和平」

 第2次世界大戦後、欧州で起きた最大の民族戦争、バルカン半島のボスニアヘルツェゴビナ紛争で、ボスニアのセルビア軍が8000人以上のボシュニャク男性と少年を虐殺した通称「スレブレニツァ虐殺事件」が起きて今月11日で30 年目だ。同虐殺に関与したボスニアのセルビア軍の当時の指導者、ラドヴァン・カラジッチと軍指導者ラトコ・ムラディッチ将軍ら数十人はオランダのハーグにある旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)で有罪判決を受けている(カラジッチとムラディッチの2人は終身刑、ラディスラフ・クルスティッチ将軍は懲役35年の刑を受けた)。

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▲クロアチア系住民とボシュニャク系住民間を結ぶボスニアの「スタリ・モスト橋」(2005年11月、ボスニアのモスタル市で撮影)

 ボスニア紛争では20万人の犠牲者、200万人の難民・避難民を出した。1995年、パリでデイトン和平協定が締結されて一応終戦を迎えた。ボスニア・ヘルツェゴビナはボシュニャク系とクロアチア系両民族から構成された「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア系の「スルプスカ共和国」(RS)の2つの主体から構成された国家となった。

 スレブレニツァ虐殺に対して、ICTYは2004年、そして3年後に国際司法裁判所(ICJ)がジェノサイドと認定したが、セルビアのアレクサンダル・ヴチッチ大統領はボスニア紛争の再解釈を要求する一方、ボスニア・ヘルツェゴビナのミロラド・ドディク大統領(スルプスカ共和国所属)は、ジェノサイドの否定が法律で禁じられているにもかかわらず、今日に至るまでジェノサイドを認めていない、といった具合だ。

 オーストリア国際問題研究所(OIIP)のボスニア問題専門家、ヴェドラン・ジヒッチ氏はオーストリア国営放送(ORF)で、「スレブレニツァ虐殺は歴史的に事実として認知されているが、その過去の記憶に対してボスニアでは依然共有されていない」と述べている。同氏によると、ボスニアで過去の出来事に対する記憶の共有も可能だという声が政治レベルや市民社会レベルで聞かれたことがあったが、「最近は、その声は後退してきた」という。

 国家の統合には歴史の共有が不可欠だ。その役割を担うのが学校では歴史教育だが、ボスニアでは、教科書も中央政府によって規制されておらず、各機関の責任となっている。そのため、クロアチア人、ボシュニャク人(ボスニア・ムスリム)、セルビア人の生徒は、ボスニア戦争だけでなく、スレブレニツァでの大量虐殺についても、それぞれ異なる物語を教えられている。

 国際的な圧力を受けて、2003年に中央慰霊碑(The Srebrenica-Potocari Memorial Center)がスレブレニツァから数キロ離れたポトチャリに開設され、そこには約7,000人の犠牲者が埋葬されている。また、国連総会は、7月11日を「スレブレニツァ虐殺の国際追悼の日」とする決議を採択している。

 デイトン和平協定は3民族間の紛争を停止させたが、民族間の和解の道は依然見えず、RSではデイトン和平協定から離脱する動きが出てきている。「ウィーン国際比較経済研究所」(WIIW)の上級エコノミスト、ウラジミール・グリゴロフ氏は、「ボスニアがうまくいかない最大の原因はデイトン和平協定だ」と断言、和平協定がその後の国の発展を妨げる最大の障害となっていると主張していた。

 ウォルフガング・ぺトリッチュ元ボスニア和平履行会議上級代表は2005年、当方とのインタビューで、「ボスニアでは冷たい和平が支配している。ボスニア紛争は内戦だった。外部の侵略を契機に始まり、勝利者と被占領者に分かれる戦争とは異なり、内戦には勝者はなく、敗者しか存在しない」と語り、「冷たい和平」の前途が厳しいことを示唆した。スレブレ二ツァ虐殺から30年の年月が経過したが、残念ながら民族間の「暖かい和平」はまだほど遠い。

30年目迎えた「デイトン和平協定」の危機

 ボスニア・ヘルツェゴビナは1995年のデイトン和平合意後、ボシュニャク系とクロアチア系両民族から構成された「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア系の「スルプスカ共和国」(RS)の2つの主体から構成された国家だ。和平履行は、民生面を上級代表事務所(OHR)が、軍事面はNATO中心の多国籍部隊(SFOR)が担当した後、欧州部隊が継続、3民族間の共存を促進してきた。ところで、和平協定から今年12月で30年を迎えるが、ここにきてスルプスカ共和国のボスニア離脱の動きが出てきたのだ。

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▲シュミット上級代表、OHR公式サイトから、2025年2月25日 
 
 ボスニア連邦裁判所は26日、スルプスカ共和国のミロラド・ドディク大統領に対して、ボスニア上級代表事務所(OHR)を無視して独自の法令を施行したとして、1年の禁固刑を言い渡し、6年間の政治活動の禁止を命じた。ドディク氏は判決を拒否し、控訴する見込みだ。ドディク氏とボスニア・セルビアの官報の責任者ミロシュ・ルキッチ氏は、2023年7月、クリスティアン・シュミット上級代表(OHR)の決定を無視した罪で裁判にかけられていたが、ルキッチ氏は無罪判決を受けた。

 ドディク氏は当時、ボスニア憲法裁判所の決定がボスニア・ヘルツェゴビナ内のセルビア人主体の構成体であるスルプスカ共和国内では適応されないこと、シュミット上級代表の決定も無視できることを明記した2つの法律を署名し、公布した。
 ロシアのプーチン大統領の友人としても知られるドディク氏は、判決が下される前から、「もし有罪となれば、スルプスカ共和国は中央政府の司法機関や軍などの多くの機関から撤退する」と強調している。

 ドディク氏は「スルプスカ共和国議会は中央政府の司法機関、警察、情報機関の活動をスルプスカ共和国で禁止する法案を提出する」と発表している。

 一方、シュミット上級代表は25日、サラエボで「国際社会は引き続き平和と安定に向けた断固たる姿勢を貫く」と述べ、「ボスニア・ヘルツェゴビナの領土一体性は交渉の余地がない」と明言し、RSのボスニアからの離脱の動きに警告を発している。
 なお、シュミット代表はボスニア・ヘルツェゴビナにおけるロシアの影響力の拡大を警戒する発言をしており、ドディク氏の「反欧州的な態度とプーチン氏との密接な関係」を非難してきた。

 3年半以上にわたって3民族(セルビア系、クロアチア系、ボシュニャク系)間の紛争を続け、戦後欧州最悪の民族紛争となったボスニア紛争では20万人の犠牲者、200万人の難民・避難民を出した。1995年、パリでデイトン和平協定が締結されて一応終戦を迎えた。

 ボスニアの複雑な政治システム、選挙システムは1995年のデイトン和平協定から生まれたものだ。国連安全保障理事会は、和平合意の実施を監督する上級代表を任命し、ボスニアの統治を監督してきた。現在、ドイツ人のクリスチャン・シュミット氏は2021年以降、そのポストを務めている。上級代表は、法律の制定や廃止、選挙で選ばれた政治家の解任などの権限があり、和平合意の履行を監視している。
 シュミット上級代表は選挙法を改正し、ボスニアの政治停滞を打破し、連邦機能を改善し、3民族間の政治的、経済的共存メカニズムを促進させたいところだが、選挙法の改正には強い反対がある。

 今回の裁判は、スルプスカ共和国の政治にも大きな影響を与えている。年末年始には、同地域の議会が「政治的動機に基づく裁判」が終わるまで、ボスニアのEU統合に必要な法改正を阻止する決議を採択した。シュミット氏はこの決定を違法とし、「すべての人が法律の下にあることを理解しなければならない」と強調した(オーストリア国営放送のヴェブサイドから)。

 デイトン和平協定後、民族間に境界線が引かれ、分断は固定化された。ボスニアは2022年12月に欧州連合(EU)加盟候補の地位を得、24年3月に加盟交渉が開始されたが、ブリュッセルとの間で加盟交渉はまったく進展していない。
 デイトン和平協定は3民族間の紛争を停止させたが、民族間の和解の道は依然見えず、RSのデイトン和平協定から離脱する動きが出てきているのだ。

コソボは米ロの代理紛争地に

 「民族の火薬庫」と恐れられてきたバルカンで再び、不穏な動きが見え出した。セルビアと同国から2008年2月に離脱して独立したコソボとの間で民族紛争の再発の動きが出てきた。オーストリア国営放送は「コソボとセルビアの間の状況は日に日に悪化してきた」と報じている。

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▲コソボ北部のセルビア系住民地域の道路封鎖(オーストリア国営放送のスクリーンショットから)

 セルビアのヴチッチ大統領は軍に厳戒態勢を敷くように命令する一方、コソボ国境近くのラシュカの町にある軍の兵舎を訪問した。そして訪問に関するInstagramの投稿で、同大統領は、「コソボのセルビア人を保護するためにセルビア軍はできる限りのことをする」と書いている。今月初めには、セルビアのアナ・ブルナビッチ首相は、コソボのアルビン・クルティ首相がコソボのセルビア人を危険にさらし、この地域の武力紛争を危機に陥れたと非難し、公然と警告している。一方、コソボ側はセルビアへの最大の国境検問所を閉鎖するなど、セルビア人少数民族の本拠地であるコソボ北部の緊張は12月以来、夜間の警察官への発砲、多数の道路封鎖などで懸念が高まってきた。

 セルビアとコソボ間の紛争がエスカレートしたきっかけは、車のナンバープレートをめぐる争いだ。コソボ政府は、国の領土内の交通を完全に制御するために、国の北部に住むセルビア人の少数派のメンバーに、セルビア人のナンバープレートをコソボのものに交換するよう強制した。欧州連合(EU)の調停を受け、コソボ政府が11月、EUへの加盟申請も視野に入れて、ナンバープレートの改革を断念し、延期したことで一応幕を閉じたかのようみえた。

 しかし、北部地域の何百人ものセルビア人の警察官、裁判官、その他の役人が、プリシュティナの政府に抗議し、セルビアの主要政党は、12月18日にコソボ北部のセルビア人が多数を占める地域で予定されていた地方選挙のボイコットを発表した。約2週間前から、セルビア人はコソボ北部の重要な田舎道にバリケードを築いた。これまで銃撃事件が3件発生している。ヴチッチ大統領はその直後、セルビア人の少数派に対する故意の差別についてクルティ政権を非難した。一方、コソボ政府は、ブチッチ大統領がコソボのセルビア人を扇動し、状況を不安定化させようとしていると反論した、といった具合だ。

 ただ、セルビアのヴチッチ大統領は29日、コソボとの紛争の契機となったコソボ北部でのセルビア系住民による道路封鎖を解除することでセルビア系住民との間で合意し、解除作業が同日にも開始するという。実行されるかは現時点では不明だ。

 セルビアとコソボの両政府は2013年、EUの仲介により正常化協定に合意したが、それ以来、これほど対立が激化したことはない。ベオグラードとプリシュティナの間の通信経路は現在、明らかにブロックされている。ただ、バルカンウオッチャーは、「プリシュティナの政府もベオグラードの政府も、状況が軍事的にエスカレートする危険を冒すことはないだろうが、現在の展開を非常に注意深く観察する必要がある」と受け取っている。北大西洋条約機構(NATO)の管轄下のコソボ治安維持部隊(Kfor)は現在、3400人の兵士がコソボに駐留し、紛争の防止に当たっている。

 コソボは90%以上がアルバニア系住民だが、同国北部には約5万人のセルビア人が住んでいる。セルビアは2008年に独立を宣言したコソボを認知せず、コソボを離脱領土と見なし、その領土の権利を主張してきた。

 EUはセルビアとコソボ両国に対し、関係の正常化をEU加盟の最大の条件としてヴチッチ大統領とコソボのアルビン・クルティ首相に圧力をかけてきた。具体的には、セルビアに対してはコソボの独立の認知、その見返りにEUからの財政支援だ。参考までに、コソボの主権認知をしている国は目下110カ国余りだ。ロシアや中国は拒否し、EU加盟国でも国内の少数問題もあって認知を拒否している国がある。

 米国はバルカン半島ではコソボを重視し、昨年からコソボ問題に通じた外交官、クリストファー・ヒル氏をベオグラードの米国大使に送っている。ヒル氏は1999年のコソボ交渉のコンタクト・グループのメンバーだった。

 一方、ロシアはセルビアとは伝統的な友好関係を維持してきている。クレムリンのドミトリー・ペスコフ報道官は、「われわれは歴史的にも精神的にも、セルビアと同盟国として非常に緊密な関係を築いている。わが国はベオグラードがとる全ての措置を支持する」と述べている。それに対し、コソボ政府は「ロシアはセルビアに影響を与え、コソボの不安定化を図っている」と受け取っている。

 ヴチッチ大統領は12月初旬の西バルカン首脳会議で、ウクライナ戦争でロシアの味方だったという事実をきっぱりと否定し、「私たちはEUに対する義務を認識している。セルビアは独立国であり、国益を重視する。コソボ問題では、ロシアはセルビアにとって特に重要だ。拒否権を持つロシアは、コソボの国連加盟を阻止することができるからだ」と述べ、欧米とロシアの両陣営に対して国益重視の外交を強調している。

 セルビアは最大の貿易相手であるEUへの加盟を目指しているが、NATO加盟は望んでいない。NATO軍が1999年、コソボ戦争の時、ベオグラードなどを空爆した際に多くの被害を受けたトラウマが払しょくできないこともあって、セルビアはNATOに強い反発を有している。ただし、NATOの「平和のためのパートナーシップ」(PfP)プログラムには参加している。

 旧ソ連共産党時代からバルカンはロシアの勢力圏と受け取られてきた。ウクライナ戦争下のロシアはバルカンの盟主セルビアをロシア支持に留めておくためにプロパガンダ工作を増強し、コソボ問題では故意に火に油を注いでいる面がある。プーチン大統領は、EUとNATOによる西バルカン半島のさらなる統合を阻止するために緊張を高く保ちた狙いがある。その最前線がセルビアとコソボ間の紛争だ。ロシアは万一に備えてセルビアへの支援を既に約束している。

 セルビアとコソボ間の問題は米国とロシアの小さな代理紛争のような様相がある。そして米ロ間の狭間にあって、EUはセルビアとコソボに欧州統合というカードを駆使して両国関係の正常化を推し進めるために圧力を行使している、といった構図だろう。

加速する西バルカンの欧州統合

 欧州連合(EU)27カ国の加盟国首脳は15日から始まるサミット会談でボスニア・ヘルツェゴビナのEU加盟候補国入りを正式に決定する。同時に、コソボとジョージアの2カ国に「潜在的な候補国」のステイタスを付与する予定だ。

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▲ボスニアのファディル・ノヴァリッチ連邦首相(ボスニア・ヘルツエゴビナ連邦政府公式サイトから)

 欧州委員会は10月、ボスニアの加盟候補国入りを推奨していた。欧州委員会のウルスラ・フォン・デア・ライエン委員長は今月6日、アルバニアの首都ティラナで開催されたEU・西バルカン諸国サミット会議で、「加盟プロセスがここにきて再び勢いを増している」と述べ、西バルカン6カ国、アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、北マケドニア、モンテネグロ、セルビアの国家元首と政府元首に対し欧州統合への希望を提示したばかりだ。EUは6月の首脳会談でウクライナとモルドバ2カ国を加盟候補国に引き上げた。

 EU加盟の新規拡大に対してはこれまでフランスなどは慎重な姿勢を崩してこなかった。フランスのマクロン大統領は、「先ずEU27カ国内の結束の強化を優先すべきで、新規拡大はその後だ」と主張してきた。

 一方、ドイツやオーストリアは西バルカン諸国の欧州統合推進派だ。オーストリアのカール・ネハンマー首相は、「西バルカン諸国のEU加盟国促進は歴史的な一歩」と称賛し、旧ユーゴスラビア共和国のEU加盟候補国の地位を支持してきた。その理由として、「欧州の入口の西バルカンの地域安全と安定は極めて重要であり、それを構築するのは欧州の責任だ」と説明している。

 ちなみに、オーストリアのファスルアーベント元国防相は11月11日、当方とのインタビューで、「ロシアのウクライナ侵攻で軍事力を行使して国境線を変更する軍事的試みは失敗した。そして将来も成功することはあり得ないことを教えている。欧州は統合と多様性のあるシステムを構築し、各民族の特徴を維持する政治、社会体制を築いていくことが大切だ。その観点から、EUは西バルカン諸国の安定問題では大きな役割を担っている」と述べている。

 西バルカンを含むバルカン全域は過去、「民族の火薬庫」と呼ばれ、民族間の紛争が絶えなかった。ボスニア紛争(1992年3月〜95年12月)やコソボ戦争(1998年2月〜99年6月)が勃発し、多数の犠牲者を出してきた。その西バルカン諸国の安定は欧州にとって死活的問題であり重要な意味がある。

 ところで、フォン・デア・ライエン委員長の「新規加盟プロセスがここにきて勢いを増してきた」とは具体的に何を意味するのか。ズバリ、ロシアが2月24日、ウクライナに軍事侵攻したことだ。同委員長にはロシアのウクライナ侵攻を前に、西バルカンの欧州統合を急ぐ必要が出てきた、という戦略的な判断が働いていることは間違いない。同時に、西バルカンでの中国の経済的影響力の拡大が大きな懸念材料として浮かび上がっていることだ。

 フォン・デア・ライエン委員長は、「ウクライナ戦争は独裁政治が勝つのか、民主主義と法の支配が勝つのかの問題を提示している。どちらの側にいるかを決定する必要がある。後者はEU加盟だ」と述べ、西バルカン諸国のリーダーに欧州統合への意欲を促している。

 EU加盟候補国は現在、8カ国だ。トルコ(2005年以来、EUとの加盟交渉は現在凍結中)、モンテネグロ(2012年)、セルビア(2014年)、北マケドニアとアルバニア(2022年)の5カ国にウクライナとモルドバ(2022年6月)、そして今回のボスニアを入れて8カ国だ。2008年にセルビアから独立宣言したコソボはジョージアと共に「潜在的な候補国」の立場だ。

 ただ、加盟候補国にとってEUへの道のりは決して平坦ではない。ボスニアの場合、デイトン和平協定は3民族間の紛争を停止させたが、民族間の和解の道は依然、見えてこない。ただ、10月2日に実施されたボスニアの国政選挙で親欧州派の候補者が民族主義派の候補者を破った。コソボの場合、“バルカンの盟主”セルビアから2008年独立したが、コソボ北部に住むセルビア系住民(約5%)とコソボの多数派アルバニア系住民(約90%)との間で小競り合いが絶えない。ベオグラードは今なお、コソボを独立国として認知していない。コソボを主権国家と承認した国は100カ国を超えた程度だ。EU加盟国の中でもスペインばコソボの独立を認めていない。

 西バルカン諸国にとってハードルの一つは、EUの対ロシア制裁だ。旧ユーゴスラビア連邦の盟主セルビアは歴史的に親ロシア派だ。セルビア正教会はロシア正教会と密接な関係を有している。ブリュッセル(EU本部)はまた、西バルカン諸国に対し、EUに渡航する第3国国民のビザの円滑化を終了するよう要求している。西バルカン・ルートを介した不法な移民の入国問題が深刻だ。

 セルビアの首都ベオグラードで11月16日、オーストリア、ハンガリー、セルビア3カ国の首脳会談が開催された。目的は、不法移民との戦いで強力な軸を形成し、国境保護のための措置を共同で講じることだった。10月の欧州国境沿岸警備機関(Frontex)によると、年初以来、10万人を超える人々がEUに不法入国しており、その数は2016年以降で最も多い。

不法移民対策の強化に乗り出す3国

 本題に入る前に「モーセの話」をする。モーセはエジプトで奴隷生活を強いられていた同胞イスラエル民族を解放するためにパロ宮廷生活を捨て神が約束したカナンに向かって60万人の同胞を引き連れて出エジプトする話は旧約聖書の「出エジプト記」に記述されている。モーセの「出エジプト」の話は名優チャールトン・ヘストンが出演した映画「十戒」(1956年公開)になっているから良く知られている。

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▲ベオグラードで開催された移民問題の3国首脳会談(2022年11月16日、オーストリア国営放送のスクリーンショットから)

 モーセの「出エジプト」はひょっとしたら人類最初の移民の話だったのかもしれない。ただ、考古学的にはモーセの出エジプトは実証されていない。60万人のイスラエル民族を率いた移民がエジプトを出発してカナンに向かったという話が実話だったら、そのルートには必ずそれを裏付けるなんらかの物証、痕跡が見つかっていなければならないが、考古学者の努力にもかかわらず現在まで発見されていない。

 2015年に中東・北アフリカから100万人以上の移民が欧州に殺到したが、彼らの足跡はバルカン・ルートのいたる所に残されている。60万人という当時では考えられない多くのイスラエル人がエジプトの地から紅海を渡ってカナンに入ったことが実際にあった物語だとすれば、何らかの証拠が残っていなければならない。モーセの出エジプトは後世の学者が創作した話ではないか、と解釈する聖書学者もいるほどだ。曰く「イスラエル民族はもともとパレスチナ地域に住んでいた民族だが、神の選民として異教の地エジプトから逃げてきたという話が必要だったから、出エジプトという話が生まれてきた」というのだ。

 本題に入る。セルビアの首都ベオグラードで16日、オーストリア、ハンガリー、セルビア3カ国の首脳会談が開催された。3国首脳サミットの目的は、不法移民との戦いで強力な軸を形成し、国境保護のための措置を共同で講じることだった。

 カール・ネハンマー首相、セルビアのアレクサンダー・ヴチッチ大統領、ハンガリーのヴィクトル・オルバン首相の3首脳は3国間の移民対策で協力を強化することを目的とした「了解覚書」に署名した。その目的は、不法移民、テロ、組織犯罪と戦うことだ。また、難民と移民の明確な区別だ。

 ネハンマー首相は「欧州連合(EU)の移民対策は失敗した」として、難民旅行者を拒否すべきであり、経済難民はジュネーブの難民条約に合致しないと主張。ハンガリーのオルバン首相も、「移民は管理すべきではなく、防止すべきだ。我々はセルビアと運命を共にしている」と指摘、「不法移民の阻止はわれわれが生き残るための問題のため、3国は協力が不可欠だ」と述べている。

 ちなみに、「難民条約」は1951年に採択された条約で、「難民の地位に関する1951年の条約」の第1条で、難民とは「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分な理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖があるために国籍国の保護を受けることを望まない者」と定義されている。

 そして同条約には、「難民を彼らの生命や自由が脅威にさらされるおそれのある国へ強制的に追放したり、帰還させてはならない(難民条約第33条、「ノン・ルフールマン原則」)。庇護申請国へ不法入国しまた不法にいることを理由として、難民を罰してはいけない(難民条約第31条)等が明記されている。

 よりよい生活を求めて欧州に殺到する移民は経済難民と呼ばれ、難民申請をしても認知される率は少ない。最近では、「環境難民」と呼ばれる移民も増えてきた。同時に、多くの移民を欧州に不法に送る人身売買業者が暗躍している。

 冷戦時代、東西両欧州の間に位置するオーストリアにはソ連・東欧共産圏から200万人以上の政治亡命者が殺到し、オーストリアは「難民収容国」と呼ばれた。冷戦後も同国には政治亡命者ではなく、経済難民が流入。今年既に9万人の難民申請者がいるという。
 ネハンマー首相は、「難民の殺到は収容できる限界を超えている」と述べている。難民を収容所で収容出来ないため、テントで収容する地域も出てきたが、難民の人権擁護団体やテントが立てられた地域住民から強い反対の声が聞かれる。

 ネハンマー首相は「欧州人権条約(EMRK)は暗礁に乗りあげている」として、難民問題の解決には適していないと発言したため、与野党で議論を呼んでいる。与党「国民党」出身の欧州議会議員カラス議員は「EMRKの人権擁護の内容の修正を求めるという意見は容認できない」とネハンマー首相の発言を批判するなど、保守派政党の国民党内で意見の相違が浮かび上がってきている。

 難民がいったん欧州内に入った場合、難民申請が却下されるまで強制送還もできないし、その間他の国に移動させることもできない。そこで国境警備を強化して、難民の流入を防ぐことを最優先すべきだというわけだ。

 モーセと60万人のイスラエル人はジュネーブの難民条約から見た場合、エジプトに戻れば奴隷生活を強いられ、悪くすれば殺される危険性があることから、政治難民というカテゴリーに入るかもしれない。

「元」大統領・首相経験者が集合した

 政治の世界では選挙に落選すれば“タダの人”と受け取られる。だから“タダの人”にならないために政治家は選挙の度に有権者の前に頭を下げ、必死になって票集めに腐心する。欧州では選挙システムの違いもあって、政治家は日本のような過酷な試練は少ない。大統領や首相を一期でも経験すれば、もう立派な「元大統領」であり、「元首相」として一定の尊敬を受ける。

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▲ウィーンで開催された「西バルカン諸国の安全と欧州統合」に関する国際会議風景(2022年11月11日、ウィーンで撮影)

 その元大統領、元首相がウィーン市4区にある「外交アカデミー」に結集するというので取材に出かけた。同アカデミーは1754年、国際的な指導者を育成する目的で創設された由緒あるアカデミーだ。
 
 音楽の都ウィーンで11日、国連経済社会理事会における総合協議資格を有する非政府機関(NGO)、天宙平和連合(UPF)と西バルカン諸国(アルバニア、ボスニアヘルツェゴビナ、コソボ、北マケドニア、スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ)の大統領経験者が集まった「Podgoricaクラブ」が共催し、「西バルカンと欧州連合(EU)との関係、挑戦と展望」を主題として西バルカンの安全問題に関する国際会議が外交アカデミーで開催された。

 まず、元大統領としては、アルバニアのモイシ元大統領、クロアチアのメシッチ元大統領、ボスニアのイバニッチ元大統領、モンテネグロのヴヤノヴィッチ元大統領らだ。そのほか、クロアチアのコソル元首相、ボスニアのラグムジヤ元首相、セルビアのシヴィラノビッチ元外相、コソボのホジャイ元副首相、それにオーストリアからファスルアーベント元国防相ら閣僚経験者だ。これだけの「元」をこの時に結集させることは容易なことではないだろう。

 それらの「元」大統領、首相、外相らが結集したのは「西バルカン諸国の欧州統合の展望」について話し合うためだ。ポドゴリチャ・クラブの創始者、モンテネグロのヴヤノヴィッチ元大統領は、「西バルカンの安定と繁栄なくして欧州の安定・繁栄もあり得ない」と強調し、西バルカン諸国が結束して明確なメッセージを発信すべきだ」と述べ、西バルカン諸国から元大統領、首相経験者が結集したウィーン会議に期待を表明した。また、大塚克己UPF欧州会長は、「ウクライナの戦争で欧州の平和が破壊されていることに遺憾」を表明し、平和を実現するためには紛争間の対話と相互尊重の精神が重要であると強調した。

 会議は3部から構成され、第1部ではオーストリアのファスルアーベント元国防相、アルバニアのモイシウ元大統領、クロアチアのメシッチ元大統領、ボスニアのイバニッチ元大統領、セルビアのシヴィラノビッチ元外相、コソボのホジャイ元副首相ら大統領や閣僚経験者が参加し、ロシアのウクライナ侵攻後のEUと北大西洋条約機構(NATO)の欧州の安全保障体制と西バルカン諸国の立場について意見を交換した。

 ボスニアのイバニッチ元大統領は、「西バルカン諸国は民主主義を体験していない」と指摘し、バルカン諸国間の平和的共存の道が容易ではないという。コソボのホジャイ元副首相は、「ウクライナ戦争は欧州のリバイバルをもたらしている。バルカン諸国も変化の時を迎えているが、現実は過去の未解決の民族紛争が再び蘇っている」と語り、コソボでの少数派セルビア系住民との紛争を示唆した。

 午後の第2部では西バルカン諸国のEU加盟への展望、現状についてモンテネグロの ヴヤノヴィッチ元大統領やアルバニアのメイダニ元大統領、クロアチアのコソル元首相とボスニアの ラグムジヤ元首相らのほか、マンドル欧州議会議員らが参加して話し合った。

 第3部では、西バルカンの次の世代の代表たち、北マケドニアの国会議員、アルバニアから民族青年代表らがバルカンを取り巻く情勢についてそれぞれ意見を述べた。

 バルカン半島では昔から多民族が交差する地域として民族紛争が絶えなかった。冷戦後もボスニア紛争、コソボ紛争が勃発し、多くの犠牲者がでた。同時に、西バルカン諸国は欧州統合に乗り出す一方、NATOに加盟するなど、バルカンの安定構築の動きもみられる。アルバニアのモイシウ元大統領は当方の質問に答え、「アルバニアにとってEU加盟が最大の課題だ。加盟することで過去の様々な問題も解決する道が開かれると信じている」と答えた。

 バルカン諸国では、例えばセルビアはロシア寄りの姿勢を見せる一方、EU加盟を模索するダブル戦略を取っている。またモンテネグロのように中国の新シルクロード構想(一帯一路)に接近し、中国側の投資に期待する国もあるなど、西バルカン諸国ではまだ統合された政治的戦略は見当たらない。ちなみに、正教(セルビア)、カトリック(クロアチアなど)、イスラム(アルバニア、ボスニアなど)といった宗教の相違がバルカン諸国の統合を一層難しくしている面は否定できない。

 元大統領、元首相らの意見を聞いて感じたことは、彼らが現職ならば、さまざまな思惑や駆け引きがあって自由に自身の意見を言うことが出来ないが、「元」であるゆえに、自由に自身の信念、考えを吐露できるメリットがある、ということを改めて知った。

 ウクライナ戦争、エネルギー危機、物価の高騰から地球温暖化など、世界は現在大きな挑戦を受けている。それゆえに、元大統領、元首相ら政治経験者の知恵は貴重だ。

ボスニア「冷たい和平」と「政治停滞」

 欧州では1日にラトビア議会選、2日はブルガリアの総選挙が実施された。ところで、バルカンのボスニア・ヘルツゴビアでも2日、選挙が行われたが、メディアの関心が余り注がれなかった。もちろん、それなりの理由は考えられる。ボシュニャク(イスラム)系、クロアチア系、セルビア系の3民族から構成されたボスニアでは過去、選挙は行われたが、大きな変化はなく、各民族の分断がより強固になっただけだ。すなわち、選挙前と後ではボスニアの政情に変化は生じなかった。その結果、メディアの関心は次第に遠ざかっていったわけだ。

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▲クロアチア系住民とボシュニャク系住民間を結ぶボスニアの「スタリ・モスト橋」(2005年11月、ボスニアのモスタル市で撮影)

 ボスニアといえば、3年半以上にわたって3民族(セルビア系、クロアチア系、ボシュニャク系)間の紛争を続け、戦後欧州最悪の民族紛争となったボスニア紛争(1992〜95年)を思い出す読者が多いだろう。20万人の犠牲者、200万人の難民・避難民を出したボスニア紛争は1995年、パリでデイトン和平協定が締結されて一応終戦を迎えた。今年12月で和平協定27年目を迎える。

 ボスニアは1995年のデイトン和平合意後、ボシュニャク系とクロアチア系両民族から構成された「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア系の「スルプスカ共和国」の2つの主体から構成された国家となって今日まで続いている。和平履行は、民生面を上級代表事務所(OHR)が、軍事面はNATO中心の多国籍部隊(SFOR)が担当した後、欧州部隊が継続、3民族間の共存を促進してきたが、実際は各民族間の和解は遅々としたもので、「冷たい和平」と呼ばれる状況が続いてきた。

 ボスニアでは、「ボスニア連邦」と「スルプスカ共和国」の2国から連邦政府を構成し、3民族代表で選ばれた大統領評議会メンバーは8カ月ごとに同評議会議長、すなわち国家元首のポストを担当する。例えば、ボシュニャク系・クロアチア系のボスニア連邦では、二院制議会の選挙が行われ、その後、大統領と2人の副大統領が任命される。有権者は、連邦を構成する10のカントン州(県)の議会のメンバーも選ぶ。一方、中央政府は、軍事、司法制度、税制、対外貿易、外交に責任を負う。州には独自の警察、教育、医療システムがある、といった具合だ。人口 330万人のボスニアには連邦、共和国で約 180人の閣僚がいる。

 選挙システムは複雑なうえ、民族主義者が有権者の支持を主に獲得するから、選挙後の他民族との共存促進といったことは望み薄となり、大きなサプライズはこれまで期待できなかった。その結果、政治停滞、民族的利益に基づく腐敗と縁故主義が、何年にもわたってボスニアの政治を支配した。クロアチア代表は「ボスニア連邦でボシュニャク系に比べ不利な立場にある」と苦情し、スルプスカ共和国は分離主義政策を追及する、といった具合だ。

 ボスニアの複雑な政治システム、選挙システムは1995年のデイトン和平協定から生まれたものだ。国連安全保障理事会は、和平合意の実施を監督する上級代表を任命し、ボスニアの統治を監督してきた。現在、ドイツ人のクリスチャン・シュミット氏がそのポストを務めている。シュミット上級代表は選挙法を改正し、ボスニアの政治停滞を打破し、連邦機能を改善し、3民族間の政治的、経済的共存メカニズムを促進させたいところだが、選挙法の改正には強い反対がある。

 ボスニア紛争後の過去27年はサクセス・ストーリーではなかった。多くの国民は国外に逃げていった。昨年だけで約17万人が国を去った。失業率は今年16・8%と予測。ボスニアに流れ込んだ資金は海外出稼ぎ組の送金と国際社会からの経済支援だ。「ウィーン国際比較経済研究所」(WIIW)の上級エコノミスト、ウラジミール・グリゴロフ氏は、「ボスニアがうまくいかない最大の原因はデイトン和平協定だ」と断言、和平協定がその後の国の発展を妨げる最大の障害となっていると主張していた。

 ボスニアでは久しく、3民族が共存し、同じ言語(セルボ・クロアチア語)を使用して意思疎通できたが、デイトン和平協定後、民族間に境界線が引かれ、分断は固定化された。ボスニアは2016年以来、欧州連合(EU)加盟候補の地位を得ているが、ブリュッセルとの間で加盟交渉はまったく進展していない。

 参考までに、WIIWのボスニアの経済予測は、今年のインフレ率は平均10%、経済成長率は1.5%にとどまると予想されており、春の予測から0.3ポイント下方修正された。物価の上昇もあって個人消費は落ち込んでいる。さらに、公共投資と民間投資は国内および外国の政治的リスクの高まりを受け減速が予想され、それが新しい公共投資を抑制しているという。

 デイトン和平協定は3民族間の紛争を停止させたが、民族間の和解の道は依然、見えてこない。なお、サラエボからの情報では、ボスニア連邦の大統領評議会選で親欧州派の候補者が民族主義派の候補者を破ったという。投票の最終的結果は3日以降になる見込みだ。
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