ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

ユダヤ人

「イスラエル」と「ユダヤ民族」の関係

 イランのマフムード・アフマディネジャド元大統領は2010年9月の国連総会で、「イスラエルを地上の地図から抹殺してしまえ」と暴言を発し、国際社会の反感を買ったことがあった。一方、パレスチナ自治区を実効支配しているイスラム過激テロ組織ハマスは10月7日、イスラエル領内に侵入して1200人余りのユダヤ人を虐殺し、200人以上を人質として拉致した。ハマスは「ユダヤ民族の撲滅」をその創設文に明記するテロ組織だ。

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▲国民向けに声明を発表するイスラエルのネタニヤフ首相(2023年12月5日、イスラエル首相府公式サイトから)

 両者に違いがあることに気が付く。イラン元大統領はシーア派のイスラム教徒であり、ハマスはスンニ派グループに属する。それだけではない。元大統領は「イスラエルを地上の地図から抹殺」と呼び掛け、後者は「ユダヤ民族の撲滅」を標榜していることだ。すなわち、憎悪の対象が前者は「イスラエル」であり、後者は「ユダヤ民族」の違いだ。一見、ささやかな違いのようだが、相違はある。

 イスラエルの呼称は旧約時代のヤコブまで遡る。旧約聖書の創世記によると、神はヤコブに「イスラエル」という呼称を与えている。

 神はサラにも1人の息子イサクを与える。そのイサクからヤコブが生まれた。ヤコブは母親の助けを受け、父イサクから神の祝福を受けた。そのため、イサクの長男エサウは弟ヤコブを憎み、殺そうとしたので、ヤコブは母親の兄ラバンの所に逃げる。そこで21年間、苦労しながら、家族と財産を得て、エサウがいる地に戻る。その途中、夢の中で天使と格闘し、勝利する。その時、神はヤコブに現れ、「イスラエル」という名称を与えたのだ。

 「あなたは、もはやヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」(創世記32章28節)と記述されている。「イスラ」は「戦う、支配する」を、「エル」は「神」を意味する。

 一方、「ユダヤ民族」はイスラエルの12部族の一つ、「ユダ部族」を指していた。ヤコブの12人の息子から始まったイスラエル民族はエジプトで約400年後、モーセに率いられ出エジプトし、その後カナンに入り、士師たちの時代を経て、サウル、ダビデ、ソロモンの3王時代に入ったが、神の教えに従わなかったイスラエル人は南北朝に分裂し、捕虜生活を余儀なくされる。北イスラエルはBC721年、アッシリア帝国の捕虜となり、南ユダ王国はバビロニアの王ネブカデネザルの捕虜となったが、バビロニアがペルシャとの戦いに敗北した結果、ペルシャ王クロスはBC538年、ユダヤ民族を解放し、エルサレムに帰還することを助けた。なぜ、ペルシャ王は当時捕虜だったユダヤ人を解放したかについて、旧約聖書のエズラ記に説明している。ユダヤ人という言葉は、バビロン捕囚以降、イスラエル12部族全体を指すようになった。

 このように説明すると、「イスラエル」と「ユダヤ民族」はほぼ同じ意味と受け取れるが、1948年に建国したイスラエルの人口構成をみると、3つの異なった出自がある。2022年5月のイスラエル中央統計局によると、.筌灰屬侶貪引く生粋のユダヤ人(約74%)、▲▲薀峽呂妊ぅ好薀┘觜饑劼鰺する国民(約21%)、キリスト教徒など少数派(5%)で、全人口は約950万人だ。だから、たとえ、ユダヤ人が全体の4分の3を占めているといっても、イスラエル=ユダヤ民族というわけにはいかないわけだ。

 イスラエルでユダヤ人と呼ばれるには母方の血統が問われる。母親がユダヤ人だったら、父親には関係なくユダヤ人と呼ばれる。ユダヤ民族は母親の血統重視なのだ。アブラハムを“信仰の祖”とするキリスト教やイスラム教は教えを広げようとするが、ユダヤ教には宣教という考えはない。なぜならば、ユダヤ人となるためには母親の血統が不可欠だからだ。

 興味深い点は、イスラエルでは18歳から男性(3年間)だけではなく、女性(2年間)も兵役義務があるが、それは主にユダヤ人国民だけを対象としたもので、キリスト教徒やアラブ系のイスラム系国民は兵役が免除されていることだ。国家の安全を守る兵役義務は他民族出身の国民には任されないという考えがその根底にあるのだろう。リベラルな国民が増えてきた現在のイスラエル社会ではキリスト教徒やアラブ系のイスラム系国民にも兵役義務を課すべきだという声が出ているという。

 参考までに、アフマディネジャド元大統領の「イスラエルを地上から抹殺」発言はユダヤ、アラブ系を含む全てのイスラエル国民の殺害を意図し、ハマスの「ユダヤ民族撲滅」宣言はイスラエル内の4分の3を占めるユダヤ人だけの抹殺を意味している、と解釈できるわけだ。

キリスト教会とイスカリオテ・ユダ

 復活祭を前にもう一度考えたいテーマがある。イエス・キリストを銀貨30枚で引き換え、ローマ側に引き渡したイスカリオテ・ユダのことだ。イエスが十字架上で処刑された「聖金曜日」に当たる7日夜、オーストリア国営放送の宗教番組の中で、十字架の意味、イスカリオテ・ユダの言動などについて神学者たちの考えを紹介していた。

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▲イタリアの画家ポリドーロ・ダ・カラヴァッジョの「カルバリーへの道」1530年頃、バチカン美術館

 新約聖書によれば、12弟子の1人「イスカリオテのユダ」が30枚の銀貨を受け取り、イエスを祭司長らに引き渡し、イエスは連行され、十字架上で亡くなった。そこでキリスト教では久しく、ユダを猯∪擇蠎圈鼻◆肇汽織鵝匹箸靴栃了襪靴討た。その一方、ユダは本当に金銭のためにイエスを裏切ったのかを疑問視する神学者、聖職者が出てきた。2017年に出版された統一「新改訳聖書」の中ではユダは「裏切り者」といった表現だけではなく、「引き渡した者」という言葉でも呼ばれ出してきた。

 ウィーン大学のヴォルフガング・トライトラー教授は、「ユダは裏切り者ではなく、大きな希望を抱いてきた使徒だった。イエスの12弟子の中でユダは最も強くイエスに期待していた使徒だった。具体的には、異教徒から解放してくれるメシアだと考えていた。だから、イエスを引き渡すことでイエス自身にメシアであることを公表させたいと考えていたのではないか」と解釈している。

 イエスを裏切ったイスカリオテ・ユダの名前が「ユダ」だったことから、「金銭に固守する守銭奴」という「ユダ」のイメージが「ユダヤ民族」一般の気質と受け取られ、反ユダヤ主義の発祥源ともなっていった面は否定できない。例えば、イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピア(1564〜1616年)の喜劇「ベニスの商人」に登場する金貸しシャイロックは当時の典型的なユダヤ人像だった。

 ちなみに、イスカリオテとは、「イス」(Isch)は人(男)を意味し、「カリオテ」(Kariot)は地域名だ。すなわち、カリオテ出身の男という意味になる。南部パレスチナ地方のカリオテはイエスが福音を伝えていたガリラヤまでには地理的に離れている。にもかかわらず、「イスカリオテのユダ」はイエスの群れを求めてやってきたわけだ。

 イエスの他の弟子たちは主にガリラヤ出身で漁師などをしていたが、「イスカリオテのユダ」は知識人だったのではないかという説から、過激な政治活動をしていた青年だったという推測も聞かれる(ウィーン大学の聖書学者マルチン・シュトヴァサー氏)。考古学的には、1978年、エジプト中部のある洞窟に「ユダの福音書」(新約聖書の外典)と呼ばれる写本が発見され、イスカリオテ・ユダの人間像に新たな光を投じた。

 十字架による処刑が残忍であることから、処刑手段として十字架が廃止されていくが、それとほぼ同時期に、キリスト教会では十字架のイエス像を教会に飾るようになった。すなわち、キリスト教会は恣意的か否かは別として、ユダヤ民族がイエスを磔刑にしたという記憶を信者たちに刻み込んでいったわけだ。

 ここで指摘したい点は、ユダヤ民族が殺したイエスは最初のキリスト者であり、同時に、ユダヤ人だったという事実だ。それではどうしてそれが反ユダヤ主義となって世界的に広がっていったのか。答えは、世界宗教に発展していったキリスト教会が自身の出自であるユダヤ民族の伝統、教えから距離を置く必要があったからだ。イスカリオテ・ユダの存在はその大きな助け手となった。

 新約聖書の福音書にはユダを批判する箇所が多い。「ルカによる福音書」ではイエス自身がユダに「人の子を裏切るのか」と言っている。「ヨハネによる福音書」では、ユダは金銭欲が強く、イエスの弟子の中では金を管理し、詐欺師のような人物を示唆している。「ヨハネによる福音書」13章2節には「悪魔は既にシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた」と記述している。いずれにしても、新約聖書のユダ像は重く、暗いイメージが付きまとっていった。

 ただし、キリスト教会のユダ像は教会の基本的な教えと矛盾する部分が出てくる。キリスト教はイエスの十字架の死によって人類の救済の道が開かれたと教えるが、ユダがイエスを引き渡し、イエスが十字架上で殺害されなければ、十字架救済は成就できなかったはずだ。ユダはイエスの十字架救済を実現させた立派な功労者ということになる。にもかかわらず、キリスト教会では久しく、「イスカリオテ・ユダ」は忌み嫌われてきたのだ。

 なお、ローマ・カトリック教会は教会の近代化促進とユダヤ教を含む他宗派との和解の流れの中でユダヤ民族を「メシア殺害民族」と評さないことを正式に決定している。

2人のユダヤ人と「集団的罪悪感」

 オーストリアには多数のユダヤ人が住んでいたが、ナチス・ドイツに1938年3月に併合された後、多くのユダヤ人が強制収容所に送られ、そこで亡くなった。オーストリアは第2次世界大戦の敗北後、占領国4カ国(米英仏ソ)による10年間の統治期間を経たのち、再独立を獲得した。ナチス・ドイツから逃れるために海外に亡命していたユダヤ人の一部はオーストリアに戻ってきたが、大多数のユダヤ人はオーストリアの地を再び踏み入ることはなかった。

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▲ナチ・ハンターと呼ばれたサイモン・ヴィーゼンタール(1995年3月、ウィーンのヴィーゼンタール事務所で撮影)

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▲1950年代のヴィクトル・フランクル(ウキぺディアから)

 そのオーストリアには戦後、当方がぜひとも会いたいと思っていたユダヤ人が2人いた。2人とも既に亡くなったが、1人は“ナチ・ハンター”と呼ばれ、終戦後海外に逃げたナチ幹部たちを追跡したことで有名なサイモン・ヴィーゼンタール(Simon Wiesenthal)だ。もう1人は神経科医で精神科医だったヴィクトル ・エミール・ フランクル(Viktor Emil Frankl)だ。両者ともホロコーストから生き延びたユダヤ人だ。

 ヴィーゼンタールは1908年、ウクライナのガラシア生まれ。父親は第1次世界大戦中に死亡。ガラシアは戦後ポーランド領土に併合された。大学卒業後、建築家になったが、ナチス軍がポーランドに侵攻、家族と共に強制収容所送りに。45年6月、米軍によってマウトハウゼン強制収容所から解放された。その後の人生を、世界に逃亡したナチス幹部を追跡することに費やした。1100人以上の逃亡中のナチス幹部の所在を突き止め、拘束することに成功している。そのため、同氏はナチ・ハンターと呼ばれるようになった。反ユダヤ主義の言動を監視する「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」(SWC)は彼の名前からとったものだ。2005年死去。

 ヴィーゼンタールとは生前、2度会見することができた。文藝春秋社の月刊誌「マルコポーロ」がホロコーストの記事を掲載し、その中で「ガス室」の存在に疑問を呈したことが契機で、同誌が廃刊に追い込まれたことがあった。当方はヴィーゼンタールの見解を聞くために事務所で会見した。同氏はマルコポーロ誌事件について、「ユダヤ人社会に大きな痛みを与えたばかりか、日本・イスラエル両国関係にも将来マイナスの影響を与える恐れがある」と警告した。ヴィーゼンタールの警告は日本でも大きく報道された。

 ヴィーゼンタールと会見した時、彼の口からもう1人のユダヤ人の名前、フランクル博士が飛び出した。ヴィーゼンタールは事務所の壁に飾られていた名誉博士号を当方に誇らしげに見せながら、「自分は20以上の名誉博士号を得たが、私以上に名誉博士号を得たユダヤ人がいる、それはフランクルだ」と述べた(当方は当時、フランクルについて余り知らなかった。フランクルがまだ生きていた時、一度でも会見できていたら良かったと今は後悔している)。

 フランクル(1905年〜1997年)が第2次世界大戦中のアウシュヴィッツを含む4つの異なる強制収容所での体験をもとに書いた著書「夜と霧」は日本を含む世界で翻訳され、世界的ベストセラーとなった。独自の実存的心理分析( Existential Analysis )に基づいたフランクルの「ロゴセラピー」は世界的に大きな影響を与えていた。

 フランクルは、「誰でも人は生きる目的を求めている。心の病はそれが見つからないことから誘発されてくる」と分析している。強制収容所で両親、兄弟、最初の妻を失ったフランクルだが、その人生観は非常に前向きだ。彼の著書「それでも人生にイエスと言う」やその生き方に接した多くの人々が感動を覚えた理由だろう。

 フランクルは強制収容所から解放された後、「全てのドイツ人が悪いのではない。実際、強制収容所でもいいドイツ兵士がいた」と語り、ホロコーストに対する「ドイツ人の集団的罪悪感」( collective guilt)を否定する発言をした。そして、ナチス・ドイツの戦争犯罪に関与した容疑を受けていたクルト・ワルトハイム大統領(1918〜2007年、元国連事務総長)から1988年、ホロコーストの生存者としてオーストリア共和国への奉仕の星付き大銀メダルを授与されたことが報じられると、世界のユダヤ人からフランクル批判の声が飛び出した。

 ヴィーゼンタールも世界のユダヤ人から批判を受けたことがあった。ワルトハイム大統領がナチス・ドイツの戦争犯罪に関与していたとして激しい批判の声が上がっていた時、ヴィーゼンタールは、「彼は自身の過去を偽って語ったが、ナチス・ドイツ軍の戦争犯罪に関わっていた事実はない」と述べたからだ。ユダヤ人で、ホロコーストを体験した著名な人物が、ワルトハイム氏は戦争犯罪に関与していないと発言することは当時、大変な勇気がいった。世界ユダヤ協会を筆頭に、世界の主要メディアはワルトハイム氏の戦争犯罪を激しく批判していた時だ。ワルトハイム氏は大統領再選を断念せざるを得なくなった(ヴィーゼンタール氏の1周忌」2006年10月2日参考)。

 フランクルが終戦後、ナチス・ドイツの戦争犯罪に関連した「ドイツ人の集団的罪悪感」を否定したことを改めて思い出す。戦後80年余りが経過したが、今なお世界的に反ユダヤ主義が席巻している。ユダヤ人であるという理由で、多くのユダヤ人が批判にさらされ、時には迫害されている。フランクルは「ドイツ人の集団的罪悪感」を否定することで、無意識に「ユダヤ民族の集団的罪悪感」を超克しようとしていたのかもしれない。

 フランクルとヴィーゼンタールはほぼ同時代に生き、それぞれの分野で世界的な歩みをしてきたユダヤ人だ。同時に、ユダヤ社会から生前、批判の声を聞かざるを得なかった点で似ている。なお、3月26日はフランクルの118歳の誕生日だった。

「ホロコースト」を如何に記憶するか

 人は記憶したいものとそうではないものとを無意識に選り分けるものだ。記憶したい内容は一般的には良き思い出、成功した出来事だが、苦しかった出来事や敗北、自身が後悔している言動はできるだけ早く忘れたい。シャーロックホームズの「マインド・パレス」で保管される記憶の世界は厳密に選択された事例、出来事だけだ。それ以外の事例は時間の経過と共に忘却の川に流され、時には変質されていく。

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▲「ホロコースト記念館」の犠牲者の名前と写真を連ねた部屋(ウィキぺディアから)

 1月27日は「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」 (International Holocaust Remembrance Day) だ。国連総会は2005年、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所が解放された1月17日を「ホロコースト(大量虐殺)犠牲者を想起する国際デー」と決めた。

 ナチス・ドイツ政権が倒れ、第2次世界大戦が終わって今年で78年目を迎える。27日の「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」、ニューヨークの国連本部や欧州の各地で関連のイベントが挙行された。国連本部では26日からホロコーストで殺害された480万人の犠牲者の名前が記された本が掲示され、犠牲者を追悼している。ヤド・ヴァシェム記念館とイスラエル国連代表団の協力により、来月17日までマンハッタンのイーストリバーの国連の中で「名前の書」を見ることができる。訪問者は、ナチスによって殺害された人々の名前をアルファベット順に閲覧できる。多くの場合、彼らの生年月日と死亡場所が記載されている。

 国連のアントニオ・グテーレス事務総長は27日、「ホロコーストを直接証言できる人はますます少なくなってきた。記憶のたいまつを運ぶ新しい方法を見つけ出す必要がある」と述べ、今回の展覧会を通じて追悼の文化の再生を呼び掛けている。「新しい記憶の文化」の創造ともいえる。

 第2次世界大戦中、600万人のユダヤ人が殺害された。そのホロコーストの記憶を世代を超えて受け継いでいくべきだ。国連事務総長が述べたように、「世界は今日でも憎悪に対しての免疫を持たない。人間の残虐性の潮流を食い止め、反ユダヤ主義、人種差別と闘わなければならないのだ。アウシュビッツの元収容者は、「世界はアウシュビッツから何も学んでいない。その後もボスニア・ヘルツェゴビナ紛争など民族戦争が繰り広げられていった」と指摘する。

 「ユダヤ人対独物的請求会議 」(Jewish Claims Conference)がこのほど発表した最新の調査結果によると、例えば、オランダ人の89%はアンネ・フランクの名前を知っていた。アンネ・フランクはアムステルダムの家に家族と共にナチスから身を隠し、自分の人生について日記を書いた。しかし、オランダ人の27%はアンネがベルゲン・ベルゼン強制収容所で終戦直前の1945年に死亡したことを知らなかった。そしてオランダの若者の23%は「ホロコーストは神話、ないしは誤解か誇張された内容」と考えていることが判明した。ナチス時代に関するオランダでの広範な知識のギャップが明らかになった。

 同会議の調査は18歳から40歳までの2000人を対象に行われた。多くの回答者はホロコーストの全貌を知らず、全回答者の54%とオランダの若者の59%は、600万人のユダヤ人が殺害されたことを知らなかった。合計29%がホロコーストで殺されたユダヤ人は200万人以下であると信じていた。若者の間では、その割合は37%になる。

 ユダヤ対独物的請求会議のドイツ代表リューディガー・マーロ氏は 、「ホロコーストの知識と意識は衝撃的な速さで侵食されている」と述べている。

 オランダのマルク・ルッテ首相は「ショックを受けた」と語り、ヴォプケ・ヘクストラ外相はツイッターで、「オランダの若者のほぼ4分の1がこれらの事実に疑問を呈していることは驚くべきことであり、非常に心配だ」と書いている。また、デニス・ヴィアーズマ教育相は、「若者たちが第2次世界大戦の残虐行為について事実を知ることができるように、学校で教えていく必要がある」と述べている。

 オランダでは、世界大戦中のユダヤ人迫害において自国民が果たした役割について「歴史の再考」が進められてきている。2021年にはアムステルダムで戦争中に殺されたオランダ系ユダヤ人のために「ホロコースト記念碑」が設置された。オランダではナチス・ドイツの占領中、多くの国民、警察、政治家たちがナチスと積極的に協力した。

 第2次世界大戦から80年が過ぎようとしている時、ホロコーストの生存者から直接、生の体験談を聞く機会はなくなりつつある。オーストリアでは生存者が過去、話したビデオを集めた「ビデオ図書館」を計画中だ。同時に、生存者が書いた証言、書簡を集めている。忘れられ、失われていこうとする記憶を必死に留めておこうとする試みだ。過去の出来事やそれに関連した記憶では未来を歩み出すために忘れるほうがいい場合もあるが、忘れてはならない記憶がある。ホロコーストはその一つだ。

独大統領「犠牲者は追悼される権利」

 国連総会は2005年、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容者が解放された1月27日を「ホロコースト(大量虐殺)犠牲者を想起する国際デー」(International Holocaust Remembrance Day)と指定する決議を採択した。それに基づき、各国で毎年、追悼集会やさまざまな会議が開かれてきた。ベルリンの連邦議会では27日、追悼集会がもたれた。

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▲「ホロコースト記念館」の犠牲者の名前と写真を連ねた部屋(ウィキぺディアから)

 ドイツのフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー大統領は26日、強制収容所の跡地にあるザクセンハウゼン強制収容所を訪ね、「ステーションZ」処刑現場の記念碑に花輪を捧げた。ザクセンハウゼン強制収容所では1936年から1945年の間、約20万人のユダヤ人が投獄され、命を落とした。

 シュタインマイヤー大統領は、「人は忘れる権利はない。それに対し犠牲者は追悼される権利を持っている。責任は、憶えることで終わるのではなく、あらゆる形態の反ユダヤ主義と人種差別に反対することを意味する」と強調している。

 NGOユダヤ機関と世界シオニスト組織が24日発表した年次報告書によると、2021年は世界で反ユダヤ主義的な行為件数は過去10年間で最も多く、1日平均10件以上が発生した。そのほぼ半分がヨーロッパで、約30%が米国で発生している。多くの場合、破壊行為、落書き、または墓石の冒涜に関するものだ。

 国際ホロコースト記念日の3日前に発表された報告書は、「物理的および言葉による攻撃は、記録された事件の3分の1未満を占める一方、ソーシャルネットワークでは反ユダヤ主義の陰謀説が著しく増加した」と記述している。

 報告書によれば、「過去1年間の反ユダヤ主義的行為の増加はパンデミックに起因する。 コロナ規制に反対する抗議集会では、参加者はナチス政権下のユダヤ人への迫害を彷彿させるプラカードなどを掲げて叫んだ。明らかにホロコーストを陳腐化するものだ」と批判している。

 報告書の著者は、「反ユダヤ主義行為の増加は、イスラエルと過激なイスラム教徒グループのハマスとの間の紛争にも関連している」と説明する一方、「いくつかの国では、反ユダヤ主義と戦うための新しい法律が可決された」と評価している。

 ホロコーストを考える時、これまでは「ヒトラー政権がなぜ、ユダヤ人排斥主義を取ったのか」、「どうしてドイツ国民はナチス政権を支持したか」等に関心が集まる。換言すれば「犯罪人の分析」だ。その一方、ホロコースト後、生き残ったユダヤ人の中には、「どうして神はわれわれを見捨てたもうたのか」と「神の沈黙」について苦悩する信者たちが少なくなかった、といわれる。「犠牲者の分析」だ。著名なユダヤ人学者リチャード・ルーベンシュタイン氏は、「アウシュヴィッツで神は死んだ」と著書の中で述べている。

 「なぜ多くのユダヤ人が犠牲とならざるを得なかったか」――。その問いに対し、ユダヤ人は必死に答えを探してきたはずだ。全てを1人の狂人ヒトラーの蛮行で済ませるにはあまりにも重い内容があるからだ。ユダヤ人が「ホロコースト」の悲劇を繰り返し叫び続けることに不快を感じる知識人もいる。彼らは「ユダヤ人のホロコースト産業」と揶揄する。しかし、「なぜわれわれは犠牲となったか」、「神はその時、どこにいたのか」等に満足いく答えが見つかるまでは、ユダヤ人は絶対、ホロコーストを忘れないだろう。精神分析学の創始者ジークムント・フロイトも生涯、「なぜユダヤ人は迫害されるのか」を考え続けたユダヤ人知識人の1人だった。フロイトは出エジプトの主人公モーセに強い関心を注ぎ、研究したという。

 当方は2度、世界のナチ・ハンターと呼ばれていたサイモン・ヴィーゼンタール氏と会見したことがある。小柄ながら鋭い眼光で相手を見つめる姿には一種の威圧感があった。当方は当時、聞きたい質問があった。「戦後、半世紀が過ぎるが、何故いまもナチス幹部を追跡するのか」ということだ。それに対し、同氏は笑顔を見せながら、「生きているわれわれが死者に代わってナチスの罪を許すことなどはできない。それは死者を冒涜することになるからだ」と答えた。シュタインマイヤー大統領の「犠牲者は追悼される権利がある」という発言内容にも通じるものだ(「ユダヤ人問題と『ヴィーゼンタール』」2021年7月24日参考)。

「クリスラム」と「アブラハムの家」

 クリスラム(Chrislam)という言葉をご存じだろうか。キリスト教とイスラム教を合わせた合成語で、新しい混合宗教の名前だ。そのような新しい宗教の創設が計画されているという。この話は当方には初耳だった。事実となれば、非常に興味深いが、どうやらフェイクニュースだ。

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▲「アブラハムの家族のハウス」の完成予想図(オーストリア・カトリック教会公式サイトから)

 バチカンニュース(1月17日)によると、エジプトの裁判官モハメド・マフムード・アブデル・サラム氏は、「そんな計画は存在しない。フェイクニュースだ」と主張している。同氏によると、アブダビで署名された「人間の友愛に関する文書」とアラブ首長国連邦(UAE)で建設中の「アブラハムの家族の家」プロジェクトに対する偽情報キャンペーンだという。バチカンの報道機関であるフィデスによれば、同テーマに関しては多くの偽ニュースがインターネット上で流通しているという。

 興味深い点は、フェイクニュースとはいえ、その背景だ。「人間の友愛に関する文書」(通称アブダビ文書)は、2019年2月にアブダビでフランシスコ教皇とアルアズハルのグランドイマームのアフメド・アルタイエブ師(Grosimam von Al-Azhar, Scheich Ahmad Al-Teyyeb)によって署名された。アブラハムから派生した全ての宗教を統合した世界宗教の促進を明記した文書だ。そこから「クリスラム」という合成語が出てきて、そのニュースが中東地域だけではなく、西側世界でも広がっていったのだろう。

 「クリスラム」という用語は、キリスト教とイスラム教の融合へのアプローチとして、20世紀のディストピア小説で登場していた。また、ナイジェリアの最大の都市ラゴスでは、1970年代に「クリスラム」と呼ばれるグループが出現したが、その動きは地理的領域に限定されていた。

 2019年2月に署名された「アブダビ文書」の目的は、「宗教、肌の色、性別、民族性、言語の多元主義と多様性を有する賢明な神の意志に対応するため、すべての人々を受け入れ、団結し、平等な世俗的な共存を目指す」という精神だ。その精神に基づき、アブダビのサディヤット島に「アブラハムの家族のハウス」を建設するという膨大なプロジェクトが生まれてきたわけだ。

 「アブラハムの家」は、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒と、すべての信者の父である家長アブラハムとのつながりを表す名前で、アブラハムは3大唯一神教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教から「信仰の祖」と呼ばれている。イスラム教の創設者ムハンマド(570年頃〜632年)は、「アブラハムから始まった神への信仰はユダヤ教、パウロのキリスト教では成就できなかった」と指摘し、「自分はアブラハムの願いを継承した最後の預言者」と受け取っていたほどだ。アブラハムはヘブライ語で「多数の父」を意味する。

 「アブラハムの家」はアラブ首長国連邦の最大都市であるアブダビに建設される異教徒間の複合施設であり、教会、モスク、シナゴーグ、文化センターが同じ場所に並んでいる。3つの建物は互いに分離され、各建物はそれぞれの信仰コミュニティとのつながりを明確に表現している。礼拝所では、儀式や典礼が彼ら自身の伝統に従って行われる。ちょうど、多くの中東の都市では、教会、シナゴーグ、モスクが何世紀にもわたって同じ土地に共存してきたようにだ。

 イスラム寺院は「アルタイブ」(Al-Tayeb Moschee)、キリスト教会は「聖フランシス教会」、そしてユダヤ教は「モーゼス・ベン・マイモン・シナゴーク」( Moses ben Maimon Synagoge)と呼ぶ。今年には完成する予定だ。構造は、伝統的な建築を想起させ、3つの信仰のそれぞれの固有の伝統を維持しながら、3つの宗教の統一された交わりと共存を表すという。ちなみに、教会はアッシジの聖フランチェスコに捧げられる。アッシジの聖フランチェスコは「すべての人々の友愛」のパトロンだ。

 ちなみに、アブダビの「人間の友愛に関する文書」の署名について、カトリック教会では亀裂を引き起こしたことはまだ記憶に新しい。例えば、元米ワシントン教皇大使だったカルロ・マリア・ビガーノ大司教は、「アブダビの庭園には、反キリスト教の教えに基づいたシンクレティズムの新宗教として世界の寺院が建設中だ。これは、神の敵によって考案されたバビロニアの計画だ」と批判していた。

 なお、3宗派、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教を一つの屋根のもとに集めた「一つの家」建設計画がドイツの首都ベルリン中心部のペトリ広場(Petriplatz)でも進行中だ。「一つの家」建設計画の発端は、ベルリンのペトリ広場で中世以降の複数の教会の遺跡が発掘されたことによる。


<参考資料>
『アブラハム家』3代の物語」2021年2月11日
欧州社会は『アブラハム文化』だ!!」2021年6月20日
如何にして『ユダヤ人」となりしか」2021年8月14日 

“So Gott will”の宗教的背景について

 今回のコラムは純粋に宗教的テーマだ。当方は最近、Netflixでウルトラ・オーソドックスユダヤ教徒の家族の話「シティセル」と救い主を描いた「メシア」を観た。その2本のTV番組の中で頻繁に登場する“So Gott will”(=独語、英語ではGod willing)という表現に非常に心を惹かれた。日本語に訳すとすれば、「神が願うように、神のみ心に委ねて…」という内容になる。明日、明後日はどうなるか、私たちは知らない。次の週、数カ月後、何があるかを、私たちは確かに分からない。私たちは一生懸命働き、多くのことを成し遂げるが、人生の多くの本質的な側面には影響を与えることはできない。何が生じるかといった事に対して、神の手に委ねる。それが“So Gott will”といった表現となるわけだ。

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▲「シティセル」の中で息子アキバが祈る場面  NetflixのTV番組から 

 少し無責任な生き方のような響きも感じるが、So Gott willの背景を調べると、なかなか深い意味合いがあることが理解できる。そこで、“So Gott will”について読者の皆さんと考えてみたい。

 ドイツ語圏では昔、将来や未来のプロジェクトについて話す時、人々は“So Gott will”といった内容の言葉を付け加えた。旅行計画やその他の将来のプランを扱った手紙では、最後に「SCJ」という3つの文字が追加されることがよくあった。ラテン語の略語:sub conditione Jacobea(=ヤコブの条件で)だ。

 それでは「ヤコブの条件で」とは何を意味するのか。“So Gott will”という内容は、おそらく新約聖書「ヤコブの手紙」の中で詳細に説明されているからだ。ヤコブは使徒たちに自信を持ちすぎて傲慢になることを警告し、「計画されたすべては『もし神が願われるならば…』という条件のもとで行動すべきだ」と諭しているのだ。そこから「ヤコブの条件で」という表現が生まれてきたのだろう。

 ただし、そのような表現は今日、ドイツ語ではめったに聞かない。ただ、オーストリアに住むアラビア系住民の間では頻繁に聞くことができる。So Gott willの内容はアラブ語ではイン・シャー・アッラー(In schā' Allāh)だ。この表現は、オーストリアのイスラム教徒の間では珍しくない。ドイツ語の辞書Dudenにも掲載されている。

 それでは、ユダヤ教ではどうだろうか。ヘブライ語聖書や旧約聖書には、多くの神の名前が登場する。神はモーセに「YHWH」という固有名詞を明らかにする。モーセの前に生きていたアブラハム、イサク、ヤコブでさえ神の名前を知らなかった。4文字のYHWHを発声することにより、Yahwehという名前が再構築されていったわけた。

 ヘブライ語では、YHWHという名前は、「彼はそこにいる」または「彼はそこにいるだろう」と聞こえる。第三者の単数形または未来形での動詞「to be」ハジャ(またハワ)のように聞こえる。もちろん、神は一人称で自分のことを語っているので、「私はそこにいます」と言うわけだ。

 旧約聖書では、この神YHWHの正式な名前は6828回出てくる。しかし、一般名エロヒム(神)は2602回しか出てこない。ポツダム大学のユダヤ教の宗教哲学教授であり、ユダヤ神学部の所長のダニエル・クロイエルニク教授によると、「YHWHは旧約聖書の中では最も一般的な名詞だ」という。

 新約聖書、タルムード(口伝律法)、コーランでは、神の個人名は、もはや表示されていない。カトリック神学者であり、スイスのエジプト学者であるオトマール・ケーㇽ氏は、「3宗派は一神教だから、名前は必要ないからだ」と述べている。人々や子供たちが「パパ」と叫ぶとき、神が意味されており、他の神がいないことを既に知っているからだ。他の神々がいる場合、適切な名前が必要となる。それは一神教が誕生する前の古い時代を意味することになるわけだ。

 ユダヤ人はYHWHを発音しない。聖書を読んでYHWHと書いてあるのに、代わりに「アドナイ」(主)と言い、祈りでも同じだ。日常のコミュニケーションでは、YHWHの代わりにハシェム(名前)と言う。したがって、「もし神が願うならば」の代わりに、「もし名前が願うならば」(eem yirtzeh haShem)と言うわけだ。

 畏敬と尊敬の念から、神に対して固有名詞で呼びかけることはしない。なぜならば、通常、固有名詞ではなく「父/パパ」または「母/ママ」で、父と母に話しかけるように、神の場合もそうだというわけだ。

 2008年6月29日に発表されたカトリック教会司教会議のガイドラインによると、旧約聖書の神の名前「YHWH」は、ユダヤ教とキリスト教の伝統を尊重するために、カトリックの典礼でも発声されるべきではないと指摘している(英YHWH、独JHWH)。

 ちなみに、イスラム教には99の神の名前(特性)がある。例えば、病人の場合、99の神の特性の中から「病を癒す神よ」と呼びかけて祈る。敬虔なイスラム教徒は99の神の特性を諳んじている。アッシジのフランチェスコは1219年、旅先のエジプトでイスラム教には99の神の特性があることを知って感動している。ただし、神の100番目の名前(特性)は言い表せないものであり、人々はそれを知らないということになっている。

 以上、So Gott willの背景について、宗教学的に言われている内容を紹介した。“So Gott will”(God willing)―この表現には途方もない力がある。「神の手に委ねる」という考えは、われわれの肩から重荷を取り除く。それは弱さや諦めを意味するのではなく、「私はそこにいる」という神を信頼し続ける“強さ”を意味しているからだ。

 現代人はストレスの多い社会に生きている。時には、疲れを覚える。そのような時、神に委ねる、自分は神の手の中にある、といった世界で生きて行けるならば、少しは楽だろう。

TV番組「シティセル」ブームを探る

 イスラエルが制作したTV番組「Shtisel」(2013〜2021年、3シーズン、33話)は首都エルサレムのゲウラ(Geula)に住む通称ウルトラ・オーソドックス・ユダヤ人(ユダヤ教超正統派)と呼ばれるユダヤ教徒たちの日々を描き、イスラエル国内ばかりか、中東イスラム教圏、そして米国にまで人気を博し、Netflixは第1、第2シーズンを購入し、第3シーズンを制作したが、「米国版シテイセル」の制作にも意欲を示しているといわれる。なぜ超正統派ユダヤ人の家族ドラマ「シティセル」が宗派、国を超えて人気を呼ぶのか。「シティセル」について考えてみた。

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▲「シテイセル」の登場人物たち(エルサレム・ポスト紙、写真はNetflixから)

 「シティセル」は1、2のシーズンが終わった段階で完了する予定だったが、Netflixが番組の人気を考え、継続を決め、5年の空白後、第3シーズンを制作した経緯がある。「シティセル」の俳優たちが第3シーズンの撮影を終えた後、米国ユダヤ系テレビ番組にゲスト出演したが、司会者からは「なぜシティセルは人気があるのか」という質問に出くわした。彼らは異口同音に「分からない」と笑顔を見せて答えていた。なぜならば、製作者も俳優も「超正統派ユダヤ人の家庭物語がヒットするとは考えてもいなかったからだ。その中で女優は「もっともセクシーではない映画だからだ」と笑いながら述べていたほどだ。

 英BBCは2019年4月に「シティセル」を発見し、「Why Shtisel has captured the global Imagination」(「シティセル」がグローバルな想像力を捉えた理由)という記事を掲載し、イスラエルの英字日刊紙「エルサレム・ポスト」は今年9月4日、「What 'Shtisel' teaches us」(「シティセル」は何を我々に教えているか」という解説記事を書くなど、欧米のメディアは「シティセル」に関心を示しているのだ。

 第3シーズンは英語の字幕をつけ、英語圏の視聴者にも俳優名などが分かるように配慮されている。ファンから「俳優の名前が読めない」という声が多数寄せられたからだ。イスラエルでは第4シーズンが計画されているという。

 「シティセル」家の父親役(Shulem Shtisel)を演じた、イスラエルで有名な俳優ドフ・グリックマン氏は、「家族でパリに行きレストランで食事をしていた時、3人の女性が近づいてきて『イスラエルからきたのか』『俳優ではないか』『ひょっとしたらシティセルに出演していた?』と話しかけてきた。その通りだと答えると、『シティセルを観たが、自分たちにも共通していることがあって、とても良かった』と言う。3人はレバノンからパリに旅行に来たイスラム教徒だ。“シティセル”がイスラム圏でも観られてきたことを知って感動した」と証している。

 イスラム教徒がNetflixを通じて「シティセル」を観ているというのだ。その人気の理由は「シティセル」家で展開する人間ドラマは宗派の違いを超えて共感を呼ぶからだ。例えば、「シティセル」では息子たちが婚約する時の場面、相手の家とのやり取り、息子や娘たちが親と葛藤するシーンは超正統派ユダヤ教徒の家族だけはなく、イスラム教の世界でもよく見られることだ。イスラム教徒も「シティセル」を観て、「ユダヤ人の家庭でも同じ問題で悩んでいるのだ」という一種の共感を呼び起こすわけだ。

 ギティ(娘)役を演じた女優ネタ・リスキンさんは撮影後、エルサレム市内を男友達と腕を組んで歩いている時、超正統派ユダヤ教徒が近づき、「ギティ、ショックだよ そんなことするとは!」と言われてしまったという。路上で男性と手を繋いで歩くことなどは超正統派ユダヤ人女性はしない。だから、ギティ役の女優の普段の姿を見た超正統派ユダヤ人はギティの姿の変わりように“ショック”を感じたというわけだ。超正統派ユダヤ人も家ではテレビで「シティセル」を観ていたことになるし、しかも多くの超正統派ユダヤ人は「シティセル」に好感をもっているという(超正統派ユダヤ人では普通、家にはテレビがないが、最近ではテレビを見ている家も増えたという)。「超正統派ユダヤ人の物語が初めて商業シリーズとなり、多くの人々から前向きに受け取られた」と評価されているほどだ。

 「シティセル」に登場する俳優は全員、世俗ユダヤ人だ。彼らは「番組のために超正統派ユダヤ教徒の日常生活、宗教的な言動について学んだ」という。「シテイセル」の成功は俳優たちの素晴らしい演技にあることは間違いない。一人一人が見事にその役割を果たしているからだ。衣装は男性は黒い帽子に黒いスーツ、長い髭の姿で登場する。グリックマン氏は「朝5時に撮影に入るが、髯を付けたりして準備しなければならない。1日12時間、撮影することが多いので大変だったが、自分にとって『シティセル』の父親役は俳優生活でも最もやりがいのある仕事だった」と述懐している。

 もちろん、映画が成功した背景には、「シティセル」の脚本を書いたオリ・エロン氏とヨナタン・インダースキー氏の功績が大きい。2人は元々超正統派の家庭で育った後、世俗社会に移住した人間で、超正統派の生活、風習等に熟知しているのだ。

 「シティセル」はユダヤ教という宗教を信じる人々の物語だが、そこで展開される内容は宗派を超えた人間ドラマだ。親の紹介でマッチングされる若いユダヤ人の葛藤はイスラム教徒の家庭でも見られる。超正統派では通常18歳から21歳までに結婚する。世代間の違いも浮かび上がる。また、家庭での女性の役割も描かれている。家の名誉を守るために必死にがんばるギティの姿は多くのイスラム教の女性たちの姿とも重なる。

 マーラーの音楽に惹かれ、将来音楽家になりたかった父親の弟、教会合唱で歌がうまく将来歌手になることが夢だった長男。末息子アキバ(Akiva)は画家になりたい夢を持っていた。しかし、父親の弟は得意ではないビジネスで失敗し、長男はユダヤ教の指導者になる為に日々、律法を学ぶ。末息子のアキバだけは最後に自分の夢を果たし、画家の道を歩みだす。

 超正統派ユダヤ教徒のコミュニティでは律法を学ぶ以上の最高の仕事はないと考えられてきた。だから通常の男性は律法を教える宗教学校(イェシバ)にいく道をベストと考える。アキバのように芸術の道を模索するユダヤ教徒は超正統派の家族や社会から理解されないから、苦悩する。父親はアキバが芸術の世界に没頭するあまり、ユダヤ教の教えを忘れてしまうのではないか、という不安を持っている。

 ウルトラオーソドックスといえば、何か特殊な宗教集団と受け取られることが多いが、「シテイセル」を見れば、彼らも世俗ユダヤ教徒、イスラム教徒と同じ問題に悩み、戦っていることが分かる。超正統派ユダヤ教徒への偏見が消えていくのを感じる人が多いという。超正統派ユダヤ教徒のコミュニティは決して異次元の世界ではない。ユダヤ教という宗教の書割を排除すれば、そのドラマは宗派、民族の壁をこえた普遍的な人間ドラマが描かれているからだ。

 犯罪ものや喜劇やインフェルノ的な世界を描いた映画やテレビ番組が多い一方、通常の家庭の日常生活を描きながら、人間ドラマを描いたテレビ番組、映画は少なくなった。その点、「シティセル」は書割こそ超正統派ユダヤ教の世界だが、人間の普遍的なテーマを描いている。

 「シティセル」で興味深い点は、亡くなった母親や妻が頻繁に登場し、家族と会話を交わす場面が多いことだ。死者も重要な役割を果たしている。幽霊とか幻想といった立場ではなく、生き生きとした人間として死者が家族と対話するシーンは興味深い。その点、カナダの映画に少し似ている。

 アキバが妻の肖像画を描いている時、椅子に座っている妻と会話するが、妻はその時、既に死んでいたのだ、アキバは死んだ妻と会話していたのだ。描いた妻の肖像画を画廊に出すが、その絵を売ることを強く拒否する場面がある。愛する妻を思うその世界はユダヤ教を信じるユダヤ人の特別の想いというより、ユダヤ教を全く知らない人にとっても理解されるテーマだ。

 グリックマン氏は米国のユダヤ系テレビ番組の中で「『シティセル』は宗派間の戦いや民族間の紛争が多い世界に平和のインスピレーションを与えるかもしれない」と述べている。

 日本人が「シティセル」を観れば、どのように感じるだろうか。Netflixで観ることが出来るので、ぜひとも観てほしい。そして感想を知りたいものだ。

“エルサレム症候群”とメシア探し

 メシアという言葉は知っていたが、通称“エルサレム症候群”(Jerusalem-Syndrom)と呼ばれる現象は知らなかった。世界から聖地エルサレムを訪れる巡礼者は多いが、エルサレムを訪ねたキリスト教巡礼者の中には「自分はメシアではないか」「自分は神に選ばれた」といった思いが突然湧いてくるケースが報告されている。精神科医の間では“エルサレム症候群”と呼ばれている内容だ。この現象はメシア・コンプレックスとはちょっと違う(メシアはヘブライ語で「油を注がれた者」という意味で、そのギリシャ語訳がキリストだ)。

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▲エルサレムの神殿の丘(ウィキぺディアから)

 エルサレムはユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の3大唯一神教の聖地だ。聖地を巡って過去から現在に至るまで、宗派間で争いが続いてきた。その聖地を舞台に“エルサレム症候群”と呼ばれる特異な現象が見られるのだ。

 エルサレムにはイエスだけではなく、自分を聖母マリア、ダビデ王、モーセと宣言する巡礼者が現れてくる。聖書の登場人物だけではなく、「最後の審判」を叫び出す巡礼者もいるという。要するに、聖書の舞台となったエルサレムを訪れた巡礼者の中には突然、精神的に異変が生じるのだ。自分をメシアだと思った青年がエルサレムの聖地周辺を放浪し、オリーブ山で世界の平和を訴えた時、アラブの若い青年たちに殴打されたという事件が報じられたことがあった。青年はもちろんメシアではなかった。エルサレム当局は青年の旅券に入国禁止のスタンプを押したという。

 人は心で考えていたこと、見たいことが外に現れてくる。人生で困窮下にある人が聖地を訪れれば、イエスが自分の悩みや苦しみに答えてくれると期待する巡礼者も出てくる。そしてエルサレムの市街を歩き回る時、突然にひょっとしたら自分はメシアではないかという思いが心の底から湧き上がってくるキリスト者もいるというのだ。

 エルサレム症候群は1980年代、イスラエルの医師 Yair BarEl によってクファールショール病院で精神病と診断された。正統派ユダヤ人地区であるギバ・シャウルの郊外にある同病院の精神科医グレゴリー・カッツ氏(Gregory Katz)はエルサレム症候群を2つのタイプに分けている。第1はエルサレムを訪れる前は精神的な病気はなかったが、聖地を訪れているうちに躁状況に陥るケースだ。第2は以前から躁鬱症か統合失調症に悩まされてきた人で、エルサレムを訪ねてそれが激しく出てくる場合という。

 同病院の調査報告によると、「エルサレム症候群に陥る人は、自身の病理学的な傾向もあって、宗教的な色合いのある物語と、幻覚などが交差し、自分には特別の使命があると考えだす傾向がある」と分析している。エルサレム症候群を頻繁に誘発する場所として、「神殿の丘」、「岩のドーム」、「嘆きの壁」が挙げられている。同病院の調査報告によると、1980年から93年の13年間で1200人のエルサレム症候群の疑いのある患者が同病院に運び込まれている。

 エルサレムという街の雰囲気が人々にエルサレム症候群を生じさせる契機となっているのは間違いないだろう。宗教的なキリスト信者にとって、エルサレムは天と地が出会う場所であり、イエスが十字架にかかって亡くなった場所に自分が立っている思いで心が激しく動かされるのだろう。神の子を産むためにエルサレムに来たと主張する女性、「最後の晩餐」を準備するようにホテルの料理人に命令した男性巡礼者など、様々なケースがあったという。エルサレム症候群に罹る人は男性より女性が多く、平均35歳、米国や北欧から来たプロテスタント系キリスト信者が数的には多いという。

 興味深い点は、エルサレム症候群はけっして最近見られる症候群ではなく、昔から聖地を訪れた巡礼者に目撃され、“エルサレム熱”と呼ばれていた時代もあったという。聖地エルサレムは巡礼者をイエスが生きていた時代に呼び戻し、時にはメシアに変身させる魔法を有しているのだ。ただし、エルサレムの街自体が昔の風情を次第に失い、世俗化されてきたこともあって、エルサレム症候群の患者数は近年、減少してきているという。

 蛇足だが、Netflixが2020年に制作した「メシア」という10回シリーズの映画が人気を呼んでいる。21世紀の今日、メシアと呼ばれる人物が現れた場合、現代人はどのように反応するかがそのテーマだ。メシアと呼ばれる男は奇跡を起こす。それを見て信じる人々が出てくる一方、疑う人間が出てくる。両者の言動を映画が描いている。メシアと呼ばれる男の奇跡を見て、「この人物こそ神が遣わしたメシア」と考えたテキサスの牧師は彼に従う一方、米中央情報局(CIA)の女性捜査官は男を潜在的な危険なテロリストを考え、男の身辺調査を行う、といったストーリー展開をする。映画は、最後の場面で、ひょっとしたらこの男はメシアではないか、といった思いを誘発させて終わっている。

 21世紀の社会は世俗化し、宗教界は低落し、腐敗してきたが、「メシア」という言葉は死語とはならず、映画界、メディアの世界だけではなく、政治、社会のさまざまな分野で登場してきた。世界には百人以上の自称メシアと名乗る人間がいるといわれる。時代の閉塞感もあって、人々は知らず知らずにメシアを探し出そうとしているのかもしれない。

※注:エルサレム症候群については、独紙ターゲスシュピーゲル(2011年11月21日)と「ヴェルト」(2010年8月16日)の記事を参考した。

ユダヤ民族と「イザヤ書53章」の話

 ヘブライ聖書といえば、通称旧約聖書のことだが、その聖書には「禁止された聖句」があることは余り知られていない。「イザヤ書53章」だ。イザヤは紀元前8世紀の預言者の1人だ。ユダヤ教ラビはイザヤが語ったといわれる53章の聖句を信者には敢えて語らないし、省略されるケースがほとんどだ。なぜ、ユダヤ教は「イザヤ書53章」を追放したのか。これが今回のテーマだ。

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▲ヘロデ王時代の神殿の壁「嘆きの壁」(ウィキペディアより)

 考えていく前に「禁止された聖句」「イザヤ書53章」に何が書かれているのかを見る。ユダヤ人は久しく民族の救い主メシアの降臨を待ってきた。その来るべき救い主の運命について記述されているのだ。問題は、救い主が民から迫害され、捨てられ、最後は「われわれの罪を背負って殺される」と書いてあるのだ。ちょっと長いが「イザヤ章53章」を紹介する。

 「だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。彼はしいたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした」

 「イザヤ章53章」を読めば、イザヤは来るべき救い主の運命について預言していることが薄々理解できるだろう。敬虔なキリスト信者ならば、直ぐにイエスの降臨と十字架への処刑が預言された箇所と考えるだろう。一方、ユダヤ教徒は「この人物は我々の罪を背負って亡くなったのか」とため息をつくが、それが「イエスだった」と答える信者は多くいない。なぜならば、ユダヤ教徒は「イザヤ書53章」について全く教えられていないからだ。

 イスラエルの「Tree of Life ministries」というキリスト教団体の青年がエルサレム市民に「イザヤ書53章」の内容を知っているかと質問すると、1人のラビ以外、知らなかった。誰を思い浮かべるかとの問いに「イエスのこと」と答えたのは1人の市民だけだった。当然かもしれない。先述したように、学校やシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)で「イザヤ書53章」については何も教えていないからだ。イザヤ書53章は「禁止された聖句」だからだ。

 「彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ」という聖句は文字通り、「イエスがユダヤ人の罪を背負って十字架にかかり、それを信じる者が救われる」というキリスト教の中核の教えに通じる内容だが、ユダヤ教ではイエスの十字架の救済も復活の話も余り教えられない。なぜなら、イエスを虐げ、嘲笑し、鞭打って十字架に追いやったのは、イエスが生きていた時代のユダヤ人だったからだ。

 そのユダヤ民族が、「われわれが虐げ、迫害した者の死によって救いの道が開かれた」という内容を後孫に教えることはできない。だから、イエスの降臨とその後の運命について言及した「イザヤ章53章」は久しく「禁止された聖句」と受け取られてきたわけだ。

 ユダヤ人たちはイエスが自分たちが待ってきたキリストであり、神が降臨させた救い主だったとは信じていない。イエスがメシアだったならば、ユダヤ人がメシアを殺害したりしないだろう。「イエスはキリストだった」という教えはキリスト教会にとっては信仰の中心だが、ユダヤ教にとっては異教の教えと受け取ってきたからだ。

 興味深い点は、「イザヤ書9章」には来るべき救い主の運命について、「イザヤ書53章」とは全く異なった内容の預言が記述されていることだ。

 「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる」。

 すなわち、イザヤは53章では「迫害され、虐げられる」というイエス像を記述する一方、9章では「栄光の王として降臨する」と述べている。

この難問を解くカギは、メシアを迎えるべきユダヤ人がキリストが降臨した場合、彼を受け入れるか、それとも迫害し、殺害するかで決定するからだ。預言者イザヤはそのため2通りの預言を語らざるを得なかったわけだ。実際は、「イザヤ書53章」の預言が成就され、「イザヤ書9章」の内容は再臨時まで待たなければならなくなったわけだ(イザヤ書は複数の書き手がいた、という説がある)。

 それ以降、ユダヤ教には「イザヤ書53章」が削除されたのだ。ユダヤ教徒はイエスがユダヤ人が待っていた民族の救い主だったとは考えないが、同時に、ひょっとしたらイエスは救い主であったのかもしれない、という苦い思いと後悔が払しょくできずに苦慮していたのかもしれない。

 ローマ・カトリック教会の総本山バチカンはユダヤ教との対話を通じ、ユダヤ教徒にメシア殺害の咎を押し付けないことで合意している。ただ、キリスト教根本主義グループは依然、ユダヤ民族を「メシア殺人」として酷評してきた。

 参考までに、ペルシャのクロス王はBC583年、捕囚されていたユダヤ人を解放し、エルサレムに帰還することを助けている。クロス王の助けを受けて、ユダヤ教はその後、発展していった。「神が選んだ人物」という意味から、ペルシャ王クロスは神が準備したメシアだったと受け取るユダヤ人もいるという(「ユダヤ教を発展させたペルシャ王」2017年11月18日参考)。

 ユダヤ民族は神が選んだ民族ゆえに、その責任は大きかった。ユダヤ民族はディアスポラ(離散)として人類の罪を背負って多くの迫害を受けてきた。イエス以後のユダヤ人の苦難はメシア殺害の罪を償うためだったというより、人類の救済を一歩でも前進させるために払わざるを得なかった犠牲と受け取るべきだろう。

 いずれにしても、「彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだ」という預言の聖句は救い主を待ち望むユダヤ民族の嘆きとも重なって一層心を痛める箇所だ。
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