ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

オーストリア

「ウィーン人権宣言」とモックさん

 「世界人権宣言」は1948年12月10日、パリで開催された国連第3回総会で採択されて今月10日で75周年を迎える。そして1993年6月25日には、ウィーンで「世界人権会議」が開催され、「世界人権宣言」の履行を監視するため、「ウィーン宣言および行動計画」として「ウィーン人権宣言」が採択された。

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▲オーストリアのアロイス・モック元外相

 「世界人権宣言」では、第1条「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」と記述され、第2条は「すべての人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」と明記されている(「『世界人権宣言』と『親の不在』」2023年3月13日参考)。

 当方にとって、「世界人権宣言」と聞けば、ウィーンの「世界人権会議」の議長役を務めたアロイス・モック外相(当時、Alois Mock)が「ウィーン人権宣言」を掲げて喜びを表していた報道写真をどうしても思い出してしまう。今年はその「ウィーン人権宣言」採択30周年目だ。そこで同会議議長を務めたモック外相(当時)との思い出を少し振り返った。

 モック外相はオーストリアでは同国の欧州連合(EU)加盟(1995年1月)の立役者であり、「ミスター・ヨーロッパ」と呼ばれてきた政治家だ。オーストリアは当時、社会民主党と国民党の連立政権だった。社民党のフラニツキー首相のもとで国民党党首だったモックさんは外相としてオーストリアのEU加盟交渉でブリュッセルとウィーンの間を飛び回っていた。その激務が後日、モック外相の健康を害することになった。オーストリア日刊紙プレッセは「モック氏はわが国のEU加盟実現の代償として自分の健康を失った」と述べていた。

 当方は1989年9月15日、モックさんが外相時代、外務省執務室で単独会見した。それがモックさんとの最初の出会いだった。モックさんが健康を悪化させ、外相の立場を辞任する時、辞任記者会見には多くのジャーナリストたちが集まった。モックさんが別れを告げるとジャーナリストたちから握手が起きた。別れを告げる政治家に記者たちが暖かい拍手を送る、といったことはこれまでなかったことだ。

 当方が最後にモックさんと会見したのは、モックさんが国民党の名誉党首を務めていた時だ。モックさんは当時、既にパーキンソン症が進んでいて、会話も容易ではなかった。話すことも辛そうなモックさんの姿を見て。「会見すべきではなかった」という思いが湧き、モックさんに申し訳なさを感じた。会話は10分余りで切り上げたが、モックさんは最後まで当方の質問に一生懸命答えようとされていたのを憶えている。

 モックさんがパーキンソン病の治療のために政界から引退した後は、公の場に姿を見せることはほとんどなかった。エディト夫人との間には子供がいなかった。そして2017年6月1日、“ミスター・ヨーロッパ”は82歳で死去した。オーストリア国営放送は同日夜、プログラムを急きょ変更し、モックさんを追悼する番組を放映した(「さようなら“ミスター・ヨーロッパ”」2017年6月3日参考)。

 ところで、「世界人権宣言」75周年、そして「ウイーン人権宣言」の30周年の今年、世界の人権状況は改善されただろうか。中国や北朝鮮などの独裁国家では人権弾圧は続き、国際社会の追及には「内部干渉」という理由で反発するといった状況が続いている。例えば、中国共産党政権は 新疆ウイグル自治区の少数民族ウイグル人への人権弾圧問題が人権理事会でテーマとならないように加盟国に圧力をかける、といった具合だ。

 21世紀の世界情勢をみると、残念ながら世界至る所で人権が蹂躙されている。ロシアのプーチン大統領はウクライナを兄弟国と言いながら、ウクライナに軍事侵攻し、民間人を恣意的に殺害し、人間が生きていくうえで不可欠なインフラを破壊している。東方正教会のコンスタンティノープル総主教、バルソロメオス1世は、「ウクライナに対するロシアの戦争は『フラトリサイド戦争』(兄弟戦争)だ」と述べている。

 ところで、ドイツ司教協議会とドイツ福音主義教会(EKD)は世界的な「宗教の自由」に関する第3回の共同報告書を発表したことがあるが、EKDのペトラ・ボッセ=フーバー司教によると、同報告書は「宗教の自由」を例に挙げて普遍的な人権教育を推進するためのものという。同報告書の共同執筆者のハイナー・ビーレフェルト氏は、「『宗教の自由』なくして人権は完全となり得ない」「宗教の自由は社会の中心に位置すべきだ」と述べている(「『信教の自由』なき人権は完全に非ず」2023年7月7日参考)。

 人権の基本法といわれる「世界人権宣言」、その履行状況を管理する「ウィーン人権宣言」は法的な権限はないが、その意義は益々高まってきている。同時に、人権を無視し、蹂躙する独裁国家は依然、存続している。日本のような先進諸国の民主国家でも「信教の自由」が白昼堂々と蹂躙されているのだ。モックさんなら世界の人権状況をどのように評価するだろうか。

戦時下のウクライナで2度目の冬到来

 雪が初めて降った日はこのコラム欄で必ず記したものだ。初雪の日を忘れないためという意味もあったが、雪が初めて降った日はやはり特別な思いが湧いてくるからだ(「雪が降る日、人は哲学的になる」2015年1月8日参考)。

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▲ドイツのショルツ首相と防衛政策の協調で電話会談するゼレンスキー大統領(2023年11月30日、ウクライナ大統領府公式サイトから)

 8年前のコラムの中で「『ベートーベンの生涯』を書いた作家ロマン・ロランは『ウィーンはどこか軽佻(けいちょう)な街だ」と表現している。非日常的なイベントで明け暮れる観光の街に住んでいると、人々は落ち着きを失い、内省する習慣もなくなっていく。例外は雪が降る日だ。ウィーン子は雪の降る日、人生について考え出すのだ」と書いたほどだ。

 その音楽の都ウィーンはここ数年、雪が余り降らなくなった。地球の温暖化のせいかは知らないが、暖冬が続いたので重いマンテル(外套)を着て冬用の靴を履く、ということはここ数年なかった。

 雪が降らなければ、雪掻きをするサイドビジネス(お小遣い稼ぎ)をしている人々にとっては収入源の喪失を意味する。雪掻きの仕事を希望する市民は市当局の担当部署に登録しておく。そして雪が降って、路上の雪掻きが必要となれば、市当局から登録していた市民に電話が入る。通常、早朝、3時、4時ごろから雪掻きが開始される。

 アルプスの小国オーストリアのチロルなどアルプス山脈地域は、ウインタースポーツのメッカだ。ただ、アルプスの地域でも雪が十分に降らないためにアルペンスキーW杯大会が開催できないという事態もあった。

 幸い、今年はそのようなニュースは届かない。今夏は例年にない暑い日々が多かったというニュースを聞いたばかりだったが、ここにきて「今年の冬は寒くなるだろう」という予測が出ている。

 今年のウィーンの初雪は11月25日から26日にかけて降った。ただ、太陽が昇るとすぐに消えてしまった。そして12月2日、本格的に雪が降った。自宅のベランダには約30センチの雪が積もった。本当に久しぶりの雪だ。その翌日(3日)、近くの教会から朝7時を告げる鐘の音がいつもより小さく響いてきた。教会の鐘の音が積もった雪に吸収されてしまったのだろう。路上から聞こえる音も3日が日曜日ということもあるが、静かだ。

 ところで、ウィーンから1000キロも離れていないウクライナでは既に冬が始まっている。「初雪だ」といって当方のようにのんきなことをいっている場合ではない。ウクライナの冬はウィーンより寒い。ウィーン大学で学生が「今日は寒いわ」と呟くと、キーウ出身の女学生が「寒い?この程度の寒さなど問題ではないわ。ウクライナではマイナス20度は普通」と答えたという。「ウィーンの寒さ」と「キーウの寒さ」では大きな差があるわけだ。

 ウクライナ国民にとって寒さだけではない。ロシア軍の攻撃を受け、電力・水道などの産業インフラが破壊されたこともあって、停電は日常茶飯事、自宅で温かいスープで寒さをしのぐといった贅沢なことは難しい。爆撃で窓が吹っ飛んでしまったアパートメントに住むキーウ市民は新しいガラスは直ぐに手に入らない。寒さがもっと厳しくなる前にビニールを貼って緊急処置をする。

 マイナス20度、停電、空腹の状況下に生きている人々がどんなに大変かは体験しないと理解できないだろう。ロシア軍と戦うウクライナ兵士は更に大変だ。生命の危機を常に感じながら、戦場でロシア軍兵士と闘っている。冬になれば、通常の戦闘は難しくなるから、無人機攻撃やミサイル攻撃が中心となってくる。兵力の増強を決定したロシア軍は戦時経済体制のもと武器を依然十分保有しているから、欧米諸国からの武器供与に依存するウクライナ軍はやはり不利だ。

 ウクライナ軍によると、ウクライナ軍とロシア軍の間の戦闘はここにきてウクライナ東部に集中している。アヴディウカ戦線では、過去24時間に20回のロシア軍の攻撃が撃退された。ウクライナ軍参謀本部の最前線報告によると、ロシア軍はバフムートを15回攻撃した。ウクライナ南部ヘルソン地域では、ウクライナ軍がドニプロ川南岸の新たな陣地を維持しているという。

 ウクライナ戦争は来年2月24日でまる2年目を迎える。ウクライナ国民の祖国への愛国心、防衛の決意は途絶えていないが、2022年上半期のような高まりはないだろう。犠牲者も増えれば当然のことだ。この冬を何とかして乗り越えなければならない。ゼレンスキー大統領はどのような思いを持ちながら、国の指揮をとっているのだろうか。同大統領は11月30日、AP通信とのインタビューの中で「期待した成果は実現していない」と、現状が厳しいことを認めている。

 欧米諸国はウクライナ支援の継続と連帯を繰り返し表明しているが、欧州諸国(EU)の27カ国でも対ウクライナ支援で違いが出てきている。スロバキア、ハンガリーはウクライナへの武器支援を拒否し、オランダでも極右政党「自由党」が11月22日に実施された選挙で第一党となったばかりだ。もはや前政権と同様の支援は期待できない。欧州の盟主ドイツは国民経済がリセッション(景気後退)に陥り、財政危機に直面している。対ウクライナ支援でも変更を余儀なくされるかもしれない。最大の支援国・米国では連邦議会の動向が厳しい。共和党議員の中にはウクライナ支援のカットを要求する声も聞かれる、といった具合だ。もちろん、イスラエルとハマスの戦闘は米議会の関心を中東に傾斜させているため、ウクライナへの関心は相対的に薄くなりつつあることは事実だ。

 ウクライナ国民は今、内外共に厳しい時を迎えている。ウィーンで空から静かに落ちてくる白い雪を見つめていると、キーウ市民はどのような思いで今、雪を眺めているだろうか、と考えざるを得なかった。

「新兵」は何分間、直立不動出来るか

 アルプスの小国オーストリアは第2次世界大戦後、中立主義を国是に掲げ、軍事同盟には加盟せず、冷戦時代には国連外交で紛争勢力間の仲介役を演じることで貢献してきた。

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▲オーストリアの建国記念日で宣誓式に臨む連邦軍の新兵たち(2023年10月26日、ウィーンの英雄広場で、連邦軍国防省公式サイトから)

 ロシア軍のウクライナ侵攻後、欧州の代表的中立国フィンランド、スウェーデンがいち早く北大西洋条約機構(NATO)加盟を決断したが、オーストリアはスイスと共にその中立国の立場を維持している。ただし、スイスは中立主義の定義の見直し(「協調的中立主義」)や武器再輸出法案の是非を検討するなど試行錯誤する一方、そのスイスと共にオーストリアは7月、欧州の空域防衛システム「スカイシールド」(Skyshield)への参加への意思表明書に署名したことはこのコラム欄でも報じた(「『中立主義』との整合を問う2つの試練」2023年7月5日参考)。

 「ヨーロッパ・スカイ・シールド・イニシアチブ」(ESSI)はドイツのショルツ首相が2022年8月末に提案したものだ。現在設置されている防護シールドは、基本的にイランからの潜在的な脅威に備えたものだ。例えば、弾道ミサイルとの戦いや、無人機や巡航ミサイルからの防御において欠陥があり、ロシアからの攻撃には対応できない。そのため、新たな空域防衛システムが必要というわけだ。ショルツ首相は、「高価で複雑な防空システムを独自に開発し、構築するより、欧州の共通防空システムは安価で効率的に利用できる」とアピールしてきた。

 ESSIに加盟を表明した国は現在、17カ国だ。(スウェーデンは正式にまだ加盟していないが)加盟国の全てはNATO加盟国だ。加盟国ではない国の参加はスイスとオーストリアだけだ。それだけに、野党の極右「自由党」キックル党首は、「スカイシールド参加と中立主義は一致しない。NATOとロシアが戦闘した場合、わが国はその戦禍を受けることになる」と強く反対しているが、「スカイシールド」参加はあくまでも国内の空域防衛を目的としたものだ。NATOのように加盟国への支援義務はないから、「中立主義とスカイシールド参加は矛盾しない」という声が現時点では支配的だ。

 オーストリアのネハンマー首相は14日、閣僚会議を招集し、欧州スカイシールド防空システムの一部として長距離システムの購入を決め、2027年に購入を開始することを決めた。ただ、射程50キロメートルを超える長距離システムは連邦軍の10カ年開発計画には含まれていなかったので、この決定を受けて正式に追加される。

 ところで、今回のコラムのハイライトはオーストリアのナショナルデーだった10月26日のことだ。ウィーンの英雄広場では連邦軍の新兵の宣誓式などの慣例の儀式が行われる一方、国民を招き、連邦軍のヘリコプターや特別部隊の活動状況などがデモンストレーションされた。

 後日になって判明したが、ネハンマー首相が先月26日、オーストリア共和国への忠誠を誓った女性兵士25名を含む950名の新兵の宣誓式に出席し、国の歴史、国防の意義などを語っていた時だ。オーストリアのメディアによると、80人の新兵が循環器系の不調のために早々と退席し、14人の新兵は意識を失い、その場で倒れたというのだ。緊張していたこと、天候が暖かく、ユニフォームが重く、苦しかったこともあるだろう。それにしても、若い新兵が1人ではなく、14人も次々と意識を失って倒れたというのだ、その度に、軍関係者が意識不明で倒れている新兵を運び出すシーンが見られた。

 首相の演説は14分間だった。予定では5分だったが、首相は持ち時間を大きくオーバーした。しかし、退席したり、倒れる新兵たちが続出するシーンはやはり問題だといわざるを得ないだろう。野党の社会民主党(SPO)議員が後日、議会でこの件をタナ―国防相に質問している。ネハンマー首相の予定以上に長った演説か、天候のせいか、それとも新兵たちの基礎体力の問題か、さまざまな意見が聞かれたという。

 それにしても、若い新兵たちが首相の14分間の演説を直立不動の姿勢で傾聴できない、ということは少々心細い、ロシア軍が侵攻してきた時、オーストリア連邦軍はウクライナ軍のように勇敢に祖国防衛のために戦うことが出来るだろうか、という一抹の不安が出てくる。

 最新の武器システムは購入できるが、祖国防衛のために戦うスピリットは買えない。戦後から中立主義を堅持してきたオーストリア連邦軍は国連平和活動以外、実戦体験はほとんどないから、新兵に多くは要求できない。それこそ“ないものねだり”といわれてしまう。

 いずれにしても、80人の兵士が気分が悪くなって退席し、14人の新兵たちが意識不明になって倒れた、というニュースを国民はどのように受け止めただろうか。最近の若者はだらしない、と叱咤する国民も出てくるだろう。一番いいことは、戦争が起きないことだ。

今年のクリスマス市場は大丈夫か

 音楽の都ウィーンに今年もクリスマスシーズンが訪れた。観光地の1区のケルンテン通りやショッピングストリートのマリアヒルファー通りでは既に華やかなイルミネーションが灯され、欧州最大のクリスマス市場といわれるウィーン庁舎前広場では樹齢115年、高さ28メートルのツリーにも10日、2000個のLEDのイルミネーションが点灯された。

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▲テロ事件後のストラスブール市のクリスマス市場周辺(2018年12月12日、仏内務省公式サイトから)

 ツリーへの点灯式にはウィーン市長のミヒャエル・ルートヴィヒ氏(SPO)と南チロル州知事のアルノ・コンパッチャー氏(SVP)が立ち会った。今年のツリーは南チロル州から贈られたものだ。ルートヴィヒ市長は、「今日私たちが美しい南チロルの木に灯す灯りは、私たちの社会の団結の徴となるはずです。テロの恐怖、憎しみが私たちを分断するのではなく、団結に焦点を当てるべきです」と語り、コンパチャー州知事は、「 この木はイタリアの南チロル州のウィーンとオーストリアとのつながりの徴です」と述べている(ちなみに、南チロルからのクリスマスツリーについては、「1カ月余りのクリスマス市場のために樹齢115年の木を切るとはなにごとか」といった声がソーシャルネットワークサービス(SNS)からは聞こえてくる)。

 ウィーンにはクリスマス市場は14カ所あるが、市庁舎前広場のクリスマス市場は最大で12月26日まで開催される。市場にはクリスマスの飾りやお菓子などの店の屋台が出て、訪れる市民や観光客を誘う。油で揚げたランゴシュ、そしてクリスマス市場では欠かせないプンシュ(ワインやラム酒に砂糖やシナモンを混ぜて温めた飲み物)のスタンドからはシナモンの香りが漂う。人々は友人や家族とプンシュを飲みながらクリスマス前の雰囲気を楽しむ。市場のスタンドでは1杯のプンシュは7ユーロ50セント(約1200円相当)という。ウクライナ戦争前だったら、昼食のメニューが楽しめる値段だ。

 ウクライナではロシア軍の侵略後、激しい戦争が続いている。戦争は2年目に突入し、停戦の見通しはまだない。そして10月7日にはパレスチナのガザ地区を実効支配しているイスラム過激派テロ組織「ハマス」がイスラエルに侵入し、1400人余りを殺害し、200人以上を人質にするというテロ事件が発生。イスラエル軍のガザ地区での報復攻撃が続く中、欧州各地で反ユダヤ主義的犯罪や蛮行が発生している。

 それだけではない。イスラエルとパレスチナでの戦闘の影響もあって、人が集まるクリスマス市場を狙ったイスラム過激派テロ事件が懸念されている。クリスマス市場襲撃テロ事件といえば、2016年12月のベルリンのクリスマス市場襲撃事件を思い出す。ドイツの首都ベルリンで同年12月19日午後8時過ぎ、テロリストが乗る大型トラックが市中央部のクリスマス市場に突入し、12人が死亡、48人が重軽傷を負った。また、フランス北東部ストラスブール中心部のクリスマス市場周辺でも2018年12月11日午後8時ごろ、29歳の男が市場に来ていた買い物客などに向け、発砲する一方、刃物を振り回し、少なくとも3人が死亡、12人が負傷するテロ事件が起きている(「欧州のクリスマス市場はテロ注意を」2018年12月15日参考)。

 ちなみに、フランスのニースのトラック突入テロ事件後は、イスラム過激派には「トラックをテロの武器に利用し、可能な限り多くの人間を殺害せよ」という檄が発せられたという情報が流れたこともあって、それ以後、公共建物やクリスマス市場に大型トラックの侵入を防止する「アンチ・テロ壁」の設置が進められてきた。例えば、ウィーン市庁舎前広場のクリスマス市場では路上から市場に大型トラックが侵入できないようにコンクリート製のポラードが設置されている(「大型トラックが無差別テロの武器」2016年12月21日参考)。

 ウィーンから数百キロしか離れていないウクライナで戦争勃発後2回目の冬が訪れている。ウクライナの冬は厳しい。ロシア軍の攻撃で多くのエネルギー・インフラが破壊されたため、ウクライナ各地で大規模な停電が発生し、暖房もない部屋で休まなければならない国民が多い。一方、イエス・キリストの生誕地の中東ではイスラエル軍とパレスチナのイスラム過激テロ組織「ハマス」との戦闘が続いている。女性、子供たちが犠牲となっている。ユダヤ教もイスラム教もアブラハムから派生した兄弟だ。そのイスラエル人とパレスチナ人の間で新たな憎悪が拡散されている。

貧しい子供は昼食にハンバーガーを

 王妃マリー・アントワネット(1755年〜93年)が、「貧しくてパンが食べられないなら、ブリオシュ(お菓子)を食べればいい……」といったという。貧しい人々の生活をまったく知らず、贅沢な生活を送っていた王妃のこの発言はフランス革命の引き金ともなった、といわれている(同発言は実際は王妃の言葉ではなかった、という説が有力)。

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▲国民党の新しい政治プラカード「オーストリアを信じよう」(国民党公式サイトから)

 ところで、これからの話はマリー・アントワネットの出身地オーストリアの2023年7月末のことだ。カール・ネハンマー首相は、「貧しくて暖かい昼食が食べられない子供はマクドナルドでハンバーガーを食べられる。1個1ユーロ40セントだ。お腹がすいていたらフライドポテトをつければ、3ユーロ50セントで食べられる」と発言したのだ。

 同首相はハンバーガーが1ユーロ40セントで食べられると言ったが、どんなに安いハンバーガーでも現在2ユーロは超えるし、フライドポテトをつけて3ユーロ50セントは子供にとって安くはない。貧しい家庭の子供にとってはかなり贅沢だ。月給2万ユーロの給料を得ているネハンマー首相はファーストフードの値段を知らないのではないか、と疑いたくなる。

 ネハンマー首相の発言は今年7月末、ザルツブルク州のハラインで首相が党首を務める「国民党」関係者、支持者が集まった席で飛び出した。首相が同発言をするシーンを放映したビデオが9月27日、SNSで拡散し、大きな物議を醸し出したわけだ。問題は、貧しい子供とハンバーガーの話だけではなく、「介護の責任がないにもかかわらずパートタイムで働く女性」を名指しで批判的に語ったため、家庭と職場、そして子供の世話で多忙な女性層から強い反発が起き、ネハンマー首相の2カ月前の動画での発言は政治問題に発展してしまったのだ。

 首相のハンバーガーの話が報じられると、野党の社会民主党、自由党、ネオスが一斉に首相の発言を批判、カリタスなどの慈善団体代表まで首相の発言を非難する、といった大騒ぎとなった。

 ネンハマー首相の発言が大騒ぎとなった背景には、与野党が来年秋の議会選を控え、既に選挙戦モードとなっていることがある。同国では、欧州連合(EU)の平均より高いインフレ、エネルギー価格の高騰、住居費の急騰で多くの国民は生活苦に陥っている。「国民党」と「緑の党」のネハンマー連合政権への批判が高まっている一方、世論調査では極右政党「自由党」がトップを独走といった同国の政情は選挙前夜の様相を深めている。そんな時、ネハンマー首相の動画が飛び出したのだ。野党はネハンマー首相に「冷酷な首相」のイメージを植え付けるチャンスと受け取っている。

 動画での発言が大きな波紋を広げていることを受け、ネハンマー首相は28日、「オーストリアには温かい食事が食べられない子供がいるという人は、この国に悪い印象を与えていることになる。私は子供の昼食まで政府が管理する旧東独のような国であってほしくない。国民は一人一人、仕事や子供の養育に責任を持って対応すべきだと考えている」と主張し、発言内容を謝罪せず、「個々の努力とその成果を評価する国であってほしい」と説明した。「攻撃が最大の防御」というわけだ。

 与党「国民党」は首相を擁護する一方、「私的な集会での首相の発言がどうしてSNSに流れたのか」という点を問題視している。オーストリアの政治学者トーマス・ホファー氏は28日、オーストリア国営放送の夜のニュース番組で、「わが国の政治家は政治家である以上、プライベートというものはないことを理解すべきだ」と指摘し、「首相が如何なる私的な場所で発言しても21世紀の今日、ソーシャルネットワークで直ぐに報じられてしまうことを忘れてはならない」と警告を発していた。

 日本では、池田勇人首相(在任1960〜64年)が「貧乏人は麦を食え」と発言して、国民から叩かれたことがあった。オーストリアのヴォルフガング・シュッセル首相(在任2000〜2007年)は「貧しい国民への思いやりが乏しい」と指摘され、冷たい首相というイメージがあった。その結果、同首相は再選できなかった経緯がある。

 貧しい子供に温かい昼食としてハンバーガーを勧めたネハンマー首相がシュッセル氏と同じ運命となるかは不明だが、野党が今回の首相の動画を攻撃材料として選挙戦で利用することは間違いないだろう。

独語圏2大「極右政党」の接触

 オーストリアの極右政党「自由党」(FPO)の招きを受け、ドイツの極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)のアリス・ワイデル共同党首が19日、ウィーン入りし、FPOのヘルベルト・キックル党首と会合すると、「2大極右党の接近か」といった憶測が流れるなど、欧州のメディアでは大きな話題を呼んだ。

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▲インタビュー番組に出演したキックル党首(左)とワイデル党首(右)、中央は司会者(2023年9月19日、FPO公式サイトから)

 AfdとFPO両党は現在、ドイツとオーストリアの政界を震撼させている。FPOは最新の世論調査では支持率30%を超え、与党の保守派政党「国民党」を抜いて第1位を独走している。一方、AfDはドイツ民間ニュース専門局ntvの最新世論調査によると、「キリスト教民主・社会同盟」CDU/CSU)の27%に次いで約22%で第2位に躍進し、ショルツ首相の社会民主党(SPD)の17%を大きく引き離している。すなわち、FPOもAfDも世論調査を見る限り、躍進中の政党だ。その両政党の代表がウィーンで会合したわけだから、メディアが騒ぎ出すわけだ(「極右『自由党』が支持率で独走」2023年9月3日参考)。

 AfDとFPOは極右政党と呼ばれる。両党は外国人排斥、難民移民の受け入れ反対、欧州連合(EU)に批判的であり、反米的といった政治信条は酷似しているが、相違点もある。AfDはドイツ連邦憲法擁護庁から2021年3月に「危険団体」として監視対象に指定されている。旧東独地域では30%を超える支持率を誇るが、連邦レベルでは政権に参画したことがない。一方、FPOはこれまで政権入り(例シュッセル政権、クルツ政権)を体験、現在は3州(ニーダーエステライヒ州、オーバーエステライヒ州、ザルツブルク州)で連立政権に入っている。ドイツとオーストリアの国民の人口比では10対1だが、政治キャリアではFPOは2013年2月に創立されたAfDのそれを上回っているわけだ。

 参考までに、ドイツで起きた事はある一定の期間の後、隣国オーストリアでも起きる、といわれてきた。モードや文化的な流行だけではなく、社会的な出来事でもそうだ。ドイツとオーストリアは言語が同じということで、両国は兄弟国と受け取られている。

 ただ、歴史的にみると、政治的な動向は弟のオーストリアが先行し、その潮流がドイツに流れていくケースが多い。例えば、オーストリアで画家の道を塞がれたアドルフ・ヒトラーはドイツに入って国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)を掲げて政権を掌握したように、現代ではオーストリアのFPOの政治運動が先行し、ドイツの極右政党AfDに影響を与えている、ということができるわけだ。

 AfDは旧東ドイツのテューリンゲン州のゾンネベルク郡で6月25日に行われた選挙で、AfDの候補がCDUの候補との決選投票を制し、首長に選出された。そしてザクセン=アンハルト州では市長に選出された。連邦レベルでは政権入りした経験がないが、党創設10年という短期間での実績としてはAfDの躍進は目を見張るものがあるといわざるを得ない。

 AfDとFPOの現在の悩みは、他の政党が悉く両党との連立を拒否していることだ。キックル党首は19日の記者会見で、「わが党もAfDも他の政党から非民主的政党との烙印を押され、国民から支持を得ながらも政権担当の道が閉ざされている」と指摘、「両党とも犠牲者だ」と述べている(「極右政党の“政権パートナー探し”」2023年6月14日参考)。

 独週刊誌シュピーゲルのAfD問題の専門記者アン・カトリ―ン・ミュラー氏は19日、オーストリア国営放送(ORF)とのインタビューに応じ、「AfDは外国人・少数民族への排斥などその政治信条は極右的だ。同党を支持する国民の票は単に現政権への抗議票ではない」と指摘し、警戒している。南ドイツ新聞が「AfDを解体すべきだ」と提言していることに対して、ミュラー氏は、「民主的なプロセスで選出されている限り、その政治的活動を禁止することは難しい。国が政党助成金という形で支援することを先ず中止すべきだ」と述べ、「禁止」の前に「政党助成金のストップ」を提示していた。

 ちなみに。ドイツの評論家ミハエル・フリードマン氏はORFの別のニュース番組で、「少数派をスケープゴートにして有権者の支持を集めるAfD、FPOは人権を無視している。民主的プロセスで躍進してきたとしても、両党を民主的政党とはいえない」と指摘している。

 なお、AfDのワイデル党首は19日夜、FPOの党アカデミーで講演し、ショルツ3党連立政権の無策を厳しく批判し、観衆からスタンディング・オベーションを受けていた。

 最後に、そのワイデル党首について少し紹介したい話がある。彼女は同性愛者で知られている。パートナーはドイツ人ではなく、スリランカ出身の外国人女性だ。AfDはこれまで同性婚には反対し、外国人排斥だ。ワイデル党首の生き方は、AfDの政治プログラムからみれば180度異なっている。その彼女が昨年6月以後、AfDの共同党首を務めているのだ。この矛盾をAfDはどのように止揚しているのだろうか。

三島由紀夫は極右青年たちに人気?

 前日に続いてオーストリアの極右問題に関連したコラムとなる。極右政党「自由党」(FPO)の青年団体がこのほど広告ビデオを作成してユーチューブに流したが、そのコンテンツはネオナチ的思想を賛美し、アドルフ・ヒトラーが1938年3月15日、オーストリアのドイツ併合(Anschluss)宣言を受け、凱旋演説をした通称「ヒトラーのバルコニー」などを映し出している。2分半の動画だ。そのビデオの中には彼らが模範とする思想家、知識人が出てくるが、その中に日本の作家三島由紀夫の写真が登場していた。改めて、欧州の極右青年たちの間に三島由紀夫が人気があることが明らかになった(「ヒトラー・バルコニーからの『歴史』」2021年3月15日参考)。

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▲セルナー氏のオンラインショップで売られる「三島由紀夫」のTシャツ

 この動画は、大量移民、環境汚染、ジェンダー問題、文化の喪失、欧州のイスラム化、人口移動と交換などに対するFPO青年団の広告ビデオだ。その映像や文体は恣意的にナチス時代を想起するように演出されている。オーストリア週刊誌プロフィール電子版(8月29日)は、「過激な環境保護グループ『最後の世代』は自分たちが環境を守る最後の世代という意識があるが、FPO青年グループは自身を『故郷と伝統』を守る最後の世代という思いが強い」と評している。極左も極右も一種の終末観に動かされている、というわけだ。

 動画に登場する著名な右翼知識人、思想家たちは、例えば、フランスの「新右翼」知識人アラン・ド・ブノワ、スイス人の保守革命の思想史家アルミン・モーラー、ドイツ人の思想家エルンスト・ユンガ―などだ。そして三島由紀夫の写真が出てくるのだ。

 オーストリア内務省の国家安全保障情報総局(DSN)は「ナチス禁止法」に違反する疑いで捜査に乗り出している。動画の内容はオーストリアの最大極右組織「イデンティテーレ運動」(IBO)の主張をコピーしたものだ。IBOは2012年に設立、本部はオーストリア南部で同国第2の都市グラーツ、会員数は約300人と推定されている。反イスラム、難民、外国人排斥の主要な扇動グループで、活動キャッチフレーズは「欧州のイスラム化の阻止」だ。ちなみに、セルナー氏は、ニュージーランド(NZ)のクライストチャーチで2019年3月15日、2カ所のイスラム寺院を襲撃し、50人を殺害したブレントン・タラント容疑者(当時28)から寄付金を受け取っていたことが判明し、物議をかもしたことがある

 三島由紀夫は欧州の極右の青年組織では人気がある知識人の一人だ。IBOのリーダー、マーティン・セルナー氏は「三島由紀夫」の大ファンで自身のオンラインショップ「Phalanx-Europa」で三島が刀をもってポーズしている写真をコピーしたTシャツ、ポスターなどを売っている。セルナー氏はツイッターで「僕は三島ファンです」と述べていた。

 同氏は、「ナチスヒトラーの国家社会主義にはもはや希望がない」と断言する一方、「民主主義で失ってしまった“大義の為に生きる”という三島の精神には心が動かされる」と証言している。セルナー氏はそれを「新しい右翼」と呼んでいる。

 三島由紀夫は1970年11月25日、民兵組織「楯の会」を引き連れて自衛隊市ヶ谷駐屯地に侵入し、東部方面総監を監禁し、戦後失われた日本の精神を回復し、国家刷新のために立ち上がろうと、バルコニーから呼び掛けたが、それに応じる者がいないと分かると、切腹自殺した著名な作家だ。三島事件は日本社会ばかりか、世界にも大きな衝撃を投じた。

 FPOのキックル党首は2日、党青年グループのネオナチ的なビデオについて「素晴らしい内容だ」と賞賛する一方、批判する与野党に対しては「与党国民党が躍進するFPOを落とすためにFPOバッシングを行っている」と指摘、国民党の選挙作戦の一環と受け取り、冷静を装っている。

 参考までに、隣国ドイツの南部、バイエルン州では現在、「自由な有権者同盟」(FW)の党首アイワンガー副首相兼経済相が17歳の時に学校で反ユダヤ主義のビラを作成していた、という非難を受け、大きな政治問題となっている。ビラの内容がメディアに流れると、同副首相の辞任を要求する声が高まってきている。同州では10月に州議会選挙が行われることもあって、論争は過熱している。

 「キリスト教社会同盟」(CSU)党首のゼーダー州首相は3日、記者会見を開き、アイワンガ―副首相に25項目の質問を提示し、その回答を受け取ったことを明らかにし、「完全に満足しているわけではないが、同副首相の辞任を要求しない」と述べた。なお、同副首相は「私は書いていない。魔女狩りに屈するつもりはない」と主張し、野党側の辞任要求を拒否している。

 バイエルン州副首相のナチスヒトラー賛美のビラ作成容疑、そしてオーストリアではFPO青年グループのネオナチ的な動画がメディアに報じられ、大きな政治問題となっているが、この種の騒動は今回が初めてではない。ナチス・ヒトラー政権の過去を引きずるドイツやオーストリアでは過去、頻繁に起きてきた。ただ、欧州で極右運動が躍進し、それを阻止しようとする保守派勢力と左派勢力の巻返しなどが絡んできて、事態は混とんとしている。9月に入り、両国は一足早くホットな政治シーズンに突入しきた。

極右「自由党」が支持率で独走

 当コラム欄ではドイツの極右政党「ドイツのために選択肢」(AfD)の躍進については何度か報道してきたが、隣国オーストリアでは同じ極右政党の「自由党」(FPO)が世論調査でトップを独走し、ここにきて30%の大台に支持率を伸ばし、第2位の社会民主党(SPO)の支持率を7%と大きく水をあけていることが明らかになった。

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▲政府の物価対策を批判する自由党のキックル党首(2023年8月31日、FPO公式サイトから)

 オーストリア日刊紙エステライヒが9月1日付けで報じた最新の世論調査(ラザルフェルド社、2000人を対象に8月28〜30日の期間)によると、FPOが30%で断トツで、前回(7月上旬)の調査比で3ポイント上昇した。それを追ってSPOが23%、ネハンマー首相の率いる中道右派の与党国民党(OVP)が22%でFPOとSPO2党の後塵を拝している。国民党の連立パートナー「緑の党」は10%、リベラル派政党「ネオス」は9%となっている。

 同世論調査からいえることは、ネハンマー連立政権は連立パートナーの「緑の党」と合わせても支持率32%の少数派政権に低迷し、キックル党首が率いるFPOは現在、連邦議会選挙が実施されれば、第1党はほぼ間違いないことだ。一方、今年6月に党首選を実施し、パメラ・レンディ=ヴァーグナー党首の後釜にバブラー新党首が選出されたSPOは物価・エネルギー高騰問題など国民の身近な問題に力を入れ、支持率を少し回復してきていることだ。

 ネハンマー政権の発足直後、ウクライナ戦争が勃発し、エネルギー価格の高騰、物価急騰に直面し、国民経済は厳しくなっている。新型コロナウイルス感染で3年余りコロナ規制を余儀なくされた国民にはフラストレーションが溜まっている。そこに月10%を超えるインフレ率で国民の日常生活は益々苦しくなってきた。

 ネハンマー首相の「国民党」とコグラー党首の「緑の党」の支持率が低下している理由ははっきりしている。「国民党」の場合、クルツ前政権時代の汚職、腐敗問題が表面化し、国民の信頼を失っている。一方、「緑の党」はこれまで政治家の腐敗問題の追及、クリーンな政治を看板にしてきたが、「国民党」との連立政権を重視するために野党時代のような批判はできなくなった。その結果、「緑の党」内でもコグラー党首の政権維持路線に批判的な声が聞かれる。

 野党や国民の一部から早期解散、総選挙の実施を求める声が聞かれるが、ネハンマー首相もコグラー副首相(緑の党党首)も政策の相違があるものの、早期解散には躊躇している。現時点で総選挙が実施されれば、国民党も緑の党も得票率を落とすことは必至だからだ。だから、任期満了(2024年9月)近くまで政権を維持する一方、支持率トップを走る自由党の失点を待つ、といった立場だろう。

 FPOの躍進はAfDと同様に厳格な移民・難民政策の推進、国境警備の強化などが挙げられるが、ネハンマー政権の経済政策での無策も大きい。例えば、オーストリアのインフレは一時期11%を記録、ここにきてインフレ率は少し低下したが、8月のインフレ率はガソリンン代の高騰もあって7・5%と依然高い。例えば、オランダのインフレ率は3%、ベルギーやスペインは2・4%とオーストリアに比べかなり低い。オーストリアと同様、インフレ高で苦しんできた隣国ドイツでも6・1%だ。

 国民の生活を直撃する物価高、エネルギー代の高騰、住居費のアップなどについて、ネハンマー政権はこれまでほぼ無策で、一時的な支援金の供与だけに終わり、エネルギ―代の上限、消費税の一時凍結などといった抜本的な対策は行わなかった。嵐が通り過ぎるのを待つといった姿勢に、国民はネハンマー政権への信頼を失っている。

 繰り返しになるが、FPOが次期選挙でトップとなったとしても、現時点ではどの政党もFPOとの連立を拒否しているから、FPO主導の政権発足の見通しはない。ただし、州レベルでは既にニーダーエステライヒ州、オーバーエステライヒ州、ザルツブルク州の3州では、国民党とFPOの連立政権が発足している。国民党が選挙で第2党、ないしは第3党に後退した場合、ウォルフガング・シュッセル政権(任期2000年2月〜2007年1月)の時のような変則な形で国民党とFPOの連立政権が発足する可能性は排除できない。国民党の場合、「緑の党」やSPOとの連立より、FPOとの連立のほうが政策的に近くて政権運営が容易であることは間違いない。

観光地と「オーバーツーリズム」

 オーストリアを初めて訪問した1980年代初頭、友人は「わが国はモーツァルトで国を維持している。天才モーツァルトら音楽家のおかげで財政赤字の半分を補填できるのだ」と説明してくれたことを思い出す。当方は当時、「モーツァルトは生前、ウィーン貴族からは余り好意的には評価されなかったと聞くよ。モーツァルトで国をもっているのならば、国民はモーツァルトにもっと感謝しなければならないね」とちょっと皮肉交じりで答えた。

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▲モーツァルトが生まれたザルツブルク市の風景(ザルツブルク市観光公式サイトから)

 オーストリアの首都ウィーンは「音楽の都」といわれ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどの音楽家たちの息遣いを感じることが出来るというわけで、ウィーンを訪ねてくる音楽ファンが多い。冬には、インスブルックやザルツブルクのゲレンデでスキーを楽しむ旅行者が集まってくる。オーストリアはサマーツーリズムだけではなく、ウインターツーリズムでも観光客が訪れる文字通り、観光立国だ。

 そのオーストリアで目下、“オーバーツーリズム”(Overtourism)と呼ばれる現象が大きな問題となってきている。“オーバーツーリズム”とは「特定の観光地において、訪問客の著しい増加等が、地域住民の生活や自然環境、景観等に対して受忍限度を超える負の影響をもたらしたり、観光客の満足度を著しく低下させるような状況」を意味する観光用語という(観光専門シンクタンク「JTB総合研究社」)。

 “オーバーツーリズム”が騒がれ出したきっかけは、世界遺産に登録されているオーストリア中部オーバーエースターライヒ州の小規模な基礎自治体、小村ハルシュタット(Hallstatt)への観光客の殺到だ。ハルシュッタでは8月末、住民たちが旅行者を拒否するデモ集会を行ったばかりだ。村の住民らがプラカードを持ってデモをしている様子がニュースに流れた。プラカードには「旅行者はもうごめんだ」、「我々に安息を与えてほしい」といった内容が記されている。そのプラカードを持つ住民の周辺を観光旅行の団体が通り過ぎる。

 人口1000人もない小村のハルシュタットで多い日には1万3000人の旅行者が訪ねてくる。今年に入り、100万人以上の旅行者が小村を訪ねているというのだ。昔は村は静かだったが、今は観光客で溢れ、騒音が一日中うるさい、という住民の声は理解できる。

 ハルシュタットのショイツ村長は、「州政治家に掛け合って何とか対策をしてほしいと要請しているが、これまで何も実行されていない。ハルシュタットは旅行者のために存在しているが、もはや私たち住民のためにではない」と嘆く。

 これから観光業で町興しをと考えている都市や地域の関係者にとって、「もう観光客は来ないでくれ」というハルシュタットの住民の声を聞いてどう感じるだろうか。「贅沢な悩み」という声もあるが、そこに住んでいる住民にとっては外から来た旅行者に村が取られてしまった、という感じかもしれない(「人々が殺到する『島』と『村』の悩み」2023年8月29日参考)。

 イタリア、スイス、ドイツ、フランスの観光地でも程度の差こそあれ同じような悩みを抱えている。スイス中央部の観光地ルツェルンの白鳥広場は毎日、観光客でにぎわう。人口約8万人の都市に年間約940万人の旅行者が来るが、中国人旅行者が圧倒的に多い。中国人旅行者が乗った観光バスが到着する度に、現地住民は当惑する。ルツェルンの住民の悩みもハルシュタットと同じだ。旅行者の多くは中国からの団体旅行者だ(「中国との付き合い方に悩むスイス」2018年10月26日参考)

 イタリアの水の都ヴェネツィア(ベニス)では2021年、大型クルーズ船の入港が禁止された。ヴェネツィアはローマ、フィレンツェとともにイタリアの3大観光地だ。観光スポットとなったヴェネツィアで連日、大型豪華船が大量の観光客を運び込んでくる。多くは日帰り旅行だ。街は落ち着きを失い、本来の風情も失ってきた。そこで大型クルーズ船の入港を禁止することで、住民たちの生活を取り戻そうという決定が下されたわけだ。もちろん、ヴェネツィアの住民の多くは観光業を生活の糧としているから、大型クルーズ船入港禁止問題では激しい議論があったという。

 ウィーンには隣国ドイツやイタリアからの旅行者が多い。コロナのパンデミック前は中国の団体旅行者が増え、ロシアの裕福な旅行者も結構多かったが、ウクライナ戦争の影響でロシア人旅行者は急減したという。「ゼロコロナ」明けでここにきて中国人旅行者が再び増えてきている。

 ベートーヴェン研究家としても有名なロマン・ロランはその著書「ベートーヴェンの生涯」の中で、「ウィーンは軽佻な街だ」と評していた。観光都市は常に観光客を喜ばすイベントを開き、イベントで暮れる。観光業は町の活性化や生活のために重要だが、心が落ち着く時が少ない。

 44年前、当方は米国を旅行した。ボストンからワシントン、マイアミ、ヒューストン、ロサンゼルス、サンフランシスコなど米国の中心都市を訪ね、最後はハワイまで足を延ばした。その時、一人の老女が「観光とは神の創造の光を観ることだよ」と教えてくれた。欧州の観光の地ウィーンに住むようになってからも時々、老女の言葉を思い出す。テーマパーク化した観光ではなく、持続可能な観光を創造していかなければならないのだろう。

人々が殺到する「島」と「村」の悩み

 オーストリア国営放送(ORF)のプレミアタイムの夜のニュース番組(Zeit im Bild)を観ていた。カメラは世界遺産に登録されているオーストリア中部オーバーエースターライヒ州の小規模な基礎自治体、小村ハルシュタット(Hallstatt)の風景を映していた。さらに村の住民らがプラカードを持ってデモをしている様子をテレビカメラが追っていた。プラカードには「旅行者はもうごめんだ」、「我々に安息を与えてほしい」といった内容が記されている。そのプラカードを持つ住民の周辺を旅行者らしい人々が通り過ぎる。

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▲オーストリアのハルシュタット湖畔の風景(2015年11月5日、撮影)

 ORF記者が住民に聞いている。彼らは異口同音に「昔は村は静かだったが、今は観光客で溢れ、騒音が一日中うるさい」という。ハルシュタットの村長は、「州政治家に掛け合って何とか対策をしてほしいと要請しているが、これまで何も実行されていない。ハルシュタットは旅行者のために存在しても、もはや私たち住民のためにではない」と嘆く。その口調には深刻さが伝わってくる。旅行者の訪問を制限してほしいというわけだ。世界遺産に指定された歴史的な観光地で「旅行者よ、来ないでくれ」という叫びが飛び出すところなどはないだろう。

 住民たちもORF記者も口にこそしなかったが、中国旅行者の殺到以来、世界遺産のハルシュタット湖などの美観が損なわれ出したといわれて既に久しい。中国人はオーストリアの湖畔の風景に魅了され、中国の企業が2012年6月、ハルシュタット湖畔の家並み、ホテル、教会、広場ばかりではなく、街の色彩までそのまま完全コピーし、中国で高級分譲地を建設し、販売を始めたことで話題になったことがあるほどだ(「オリジナルとコピーの“文化闘争”」2015年11月7日参考)。

 中国旅行者がハルシュタット湖の美しさを発見する前は、湖とその周辺は静かだったが、中国旅行者が殺到して以来、約900人の住民が住むコミュニティはチャイナ・ヴィレッジ(中国村)となったわけだ。ハルシュタットの住民は観光バスで降りてくる旅行者の圧倒的な数の前に少数住民のような思いを感じているわけだ。

 当方もハルシュタットを訪問したことがあるが、40年前の当時はアジア系団体旅行者の姿はほとんど見られなかったことを思い出しながら、ハルシュタットの住民の苦悩に同情した。

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▲北アフリカから地中海を渡って欧州に向かう難民たち(「国境なき医師団」=MSF公式サイトから)

 ORFのニュース画面はイタリア最南端の島ランペドゥーザ沖に不法移民が乗っているゴムボートと救助の船に移った。アナウンサーは「連日、多数の難民たちが島に殺到し、島の難民収容所は既にどこもパンク状況です」という。シチリア島南方にある同島の住民数は約5500人だ。イタリア通信(ANSA)によると、27日だけで4267人の難民が新たに収容された。ちなみに、ローマの内務省によると、イタリアで登録された今年の難民総数は10万7530人で、昨年同期の5万2954人を大きく上回っている。

 欧州連合(EU)は先月16日、チュニジアの首都チュニスで、北アフリカから地中海を経由して欧州に殺到する不法難民、移民問題、密航業者対策で協力を強化する一方、経済不況下にあるチュニジアに対し、EU委員会は最大9億ユーロの財政支援を実施することなどが明記された覚書に署名したことで、北アフリカからの移民・難民が減少するものと期待しているが、現実は何も変わらないのだ。実際、イタリア・ランペドゥーザ島沖で今月に入っても移民を乗せた船2隻が転覆する事故が起きたばかりだ。

 ランペドゥーザ島沖といえば、2013年10月3日、難民545人がボートに乗り、波の荒い秋の海をリビアのミスラタ海岸からスタートし、約140キロ先のランべドゥーザ島を目指したが、途中乗った船が火災を起こし沈没し、360人が犠牲となったでき事を思い出す。マルタのジョセフ・ムスカット首相(当時)は同月12日、イギリスのBBCとのインタビューの中で、「EUは空言を弄するだけだ。どれだけの難民がこれからも死ななければならないか。このままの状況では地中海は墓場になってしまう」と嘆いた(「地中海が墓場になる!」2013年10月17日参考)。

 偶然かもしれないが、27日夜のニュース番組では、ハルシュタットでは「観光客」、ランべドゥ―ザ島では「難民・移民」の殺到風景が映しだされていた。約900人のハルシュタットの住民も、約5500人のランべドゥーザ島民も外の世界から彼らの数を凌ぐ人々(観光客、移民・難民)を迎え、その対応で苦悩せざるを得ないのだ。
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