ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

オーストリア

「11月のポグロム」から87年目

 1938年11月9日夜、ドイツ、オーストリア、チェコスロバキア(当時)でユダヤ人が経営する7000軒以上の店舗や約250のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)が燃やされ、ユダヤ人の墓や学校は破壊された。多数のユダヤ人は虐殺された。歴史家は「Novemberpogrome」(11月のポグロム)と呼び、路上の飛び散ったガラスが夜の明かりを受けて水晶のように光っていたことから、「水晶の夜」(クリスタルナハト)とも表現している。

Theodor_Herzl_retouched
▲シオニズムの父、テオドール・ヘルツル、ウィキぺディアから

 オーストリアでは1938年の初めまで約21万人のユダヤ人が住んでいた。当時の国の人口の3%を占めていた。そのうち、約6万5000人はナチス・ドイツ軍が支配する欧州大陸から逃げることができず、多くはダッハウ収容所とブーヘンヴァルト収容所に送られ、そこで亡くなった。

 あれから今年で87年目が経過した。パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム過激派テロ組織「ハマス」が2023年10月7日、イスラエルとの境界線を破壊して侵入、音楽祭に参加中のゲストや集団農園(キブツ)を襲撃して1200人以上のユダヤ人らを射殺、251人を人質にした「奇襲テロ」と、それに報復するイスラエル軍の軍事攻勢が始まって以来、世界的に反ユダヤ主義、反イスラエル主義的言動が再び広がってきた。

 ウィーン・ユダヤ人コミュニティ(IKG)の反ユダヤ主義通報センターは5日、2025年1月1日から6月30日までの半年間でオーストリアで合計726件の反ユダヤ主義事件を記録した。前年同期は808件、イスラエルでハマスによるテロ攻撃が発生する前の2023年上半期は311件だった。IKGのオスカー・ドイチュ会長は「反ユダヤ主義の津波は、もはや止まらない洪水のようになってしまった」と述べた。また、IKG事務局長ベンヤミン・ネーゲレ氏は、「反ユダヤ主義的な攻撃が恒常的な負担となっていることを目の当たりにする。多くのコミュニティメンバーの日常生活は、潜在的な不安感を伴っている」と証言した。

 報告期間中、身体的暴行5件、脅迫8件、器物損壊78件、反ユダヤ主義的メールなどを大量郵送203件、そして不快行為432件が記録された。最も多かったのはイスラエル関連の反ユダヤ主義であり、次いで反ユダヤ主義的他者化とホロコースト相対化が続いた。さらに、77件がユダヤ人に対するテロの扇動または賛美に関与していたことが明らかになった。これらの件数は氷山の一角で、未報告の事例が多数存在するものと想定されている。

 報告された反ユダヤ主義事件のうち202件は左翼的な政治的動機によるもの、195件はイスラム教を背景とした事件であり、147件は右翼的な政治的背景があった。182件については、思想的背景を明確に特定できなかった。

 ところで、独週刊誌「シュピーゲル」最新号(10月2日号)は「ハマスの奇襲テロ」2年目の特集の中で、イスラエルの著名な社会学者、エヴァ・イルーズ女史とのインタビュー記事を掲載している。同女史は2年前の出来事について、「事件を伝える報道を見て、我々(ユダヤ民族)は何と傷つきやすい民族だろうか、と改めて思い知らされた」と述懐。国際社会のイスラエル批判については、「イスラエルへの憎悪が美徳とみなされてきた」と指摘し、「反ユダヤ主義と反シオニズムを区別しなければならない、という考えが左派の新たなライトモチーフとなっている。彼らの政治的な反シオニズムは偽装された反ユダヤ主義だ」と主張している。

 ちなみに、オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人新聞記者・作家のテオドール・ヘルツル(1860〜1904年)はユダヤ人が迫害から逃れ、安全に暮らすためには、彼ら自身の独立した国民国家をパレスチナ地域に建設するしかないと考え、1896年に著書「ユダヤ人国家」を出版し、ユダヤ人国家建設の構想(シオニズム)を具体的に示した。ヘルツルの夢だったユダヤ人国家は1948年5月14日に実現した。イスラエルではヘルツルは「シオニズム運動の父」と呼ばれている。

 一方、反ユダヤ主義を掲げ、600万人のユダヤ人を虐殺したアドルフ・ヒトラー(1889〜1945年)はオーバーエスターライヒ州西北部のブラウナウ・アム・インで生まれている。すなわち、「シオニズム運動」創始者ヘルツルとナチス政権下でユダヤ人虐殺を実行したヒトラーは、いずれもオーストリアと深い関係があるわけだ。

 欧州に居住していたユダヤ人にとって、少数民族にも同等の権利を付与したハプスブルク帝国時代の首都ウィーンは憧れる都市だったが、第一次世界大戦で敗北し、ハプスブルク帝国が崩壊したことから、ユダヤ人は民族のアイデンティティと存続の危機に対峙していった。そして多くのユダヤ人はウィーンからロンドン、パリ、米国などに移住せざるを得なくなったのだ。

ハマスの欧州の武器庫、ウィーンで発見

 オーストリア国家保安情報局(DSN)は6日、イスラム過激派テロ組織「ハマス」が欧州でイスラエルの拠点やユダヤ人を標的としたテロ襲撃に使用する武器をウィーン市内に備蓄していた疑いがもたれていると発表した。同容疑で39歳の英国の国籍を有する男性が3日、ロンドンで逮捕された。英国のテレビ局ITVニュースの報道によると、英国で逮捕された男はドイツに引き渡される予定だ。逮捕された英国人はハマスの幹部の息子だという。

o_24275
▲オーストリア内務省の建物、内務省公式サイトから

 DSNによると、今回の逮捕は国際協力捜査の一環として行われたもので、ウィーン市内のレンタル倉庫にあったスーツケースから拳銃5丁と弾倉10個が押収された。この武器庫は、テロ組織ハマスの海外作戦組織の所有物とされている。

オーストリア内務省はその公式サイトで「DSNは、ハマスとつながりを持つ世界的に活動するテロ組織に対し、数週間にわたり、国際的に協調された広範な捜査を実施してきた。この捜査の結果、ある組織がヨーロッパでの潜在的なテロ攻撃に備えて武器を備蓄するため、オーストリアに武器を持ち込んでいた疑いが浮上した。捜査の現状によると、これらの攻撃の主な標的は、ヨーロッパにあるイスラエルまたはユダヤ系の施設だ」と説明している。

 なお、カーナー内相は、「今回の事件はDSNが国際的に優れたネットワークを構築し、あらゆる形態の過激主義に対して一貫した行動をとっていることを示した。その使命は明確だ。テロリストに対しては、一切の寛容を示さないことだ」と述べた。

 ちなみに、ドイツ連邦検察庁は10月1日、イスラム組織ハマスのメンバーとみられる3人を、ドイツ国内のイスラエルやユダヤ人関連施設への攻撃を計画した疑いで逮捕したと発表している。逮捕されたのは、ドイツ国籍の男性2人と、レバノン生まれの男性1人。3人はハマスのために攻撃用の武器と弾薬を調達したという。ドイツでは今年2月にも、欧州のユダヤ系施設への攻撃を計画した罪で、ハマス構成員4人が起訴されている。

 ドイツ連邦検察庁が6日に発表したプレスリリースによると、ロンドンで逮捕された英国人の容疑者は2025年夏にベルリンで3人のうちの1人と会い、武器と弾薬を受け取った。その後、これらの品々をオーストリアへ輸送し、ウィーンに保管した。容疑者はドイツへの身柄引き渡し後、連邦最高裁判所の捜査判事に召喚されるという。

 オーストリア駐在のイスラエル大使館は6日、「今回の武器押収はハマスがイスラエルとユダヤ人だけでなく、欧州に住む全ての人間にとって脅威となっていることを示している。ハマスは地域的な脅威にとどまらず、自由と民主主義が支配するあらゆる場所を攻撃しようとする世界的なテロネットワークの不可欠な一部だ」という声明を発表した。ダヴィド・ロート大使は「テロリスト集団の武装解除を恒久的に実現し、能力の再構築を阻止することによってのみ、中東、ヨーロッパ、そしてそれ以外の地域における安全と安定を確保できる」と述べている。

オオカミの生息保護と人や家畜の安全問題

 日本では熊が人が住んでいる居住地に出現し、これまでに12人が熊の襲撃で犠牲となったという。当方が住むオーストリアではオオカミが家畜を襲撃するケースが報告されている。オオカミをめぐる議論は、しばしば激しい議論を巻き起こす。オオカミの生息地の保護を求める声がある一方、人や家畜の安全を懸念する声がある。例えば、欧州連合(EU)はオオカミを絶滅危惧種として守る法律を施行している、といった具合だ。

thumbnail (9)
▲オオカミの出現、オーストリア国営放送(ORF)のニュース番組からスクリーンショット、2025年10月29日。

 ウィーン天然資源応用生命科学大学(BOKU)は、農業省の委託を受け、オーストリアにおけるオオカミの紛争リスクに関する初の調査を実施した。その目的は、オーストリアにおけるオオカミの生息域ポテンシャルと軋轢ポテンシャルを示す、科学的に健全なモデルの開発だ。これらのモデルは、動植物生息地指令(92/43/EEC、附属書V)に基づくオオカミの保護状況と、影響を受ける地域社会の利益の両方を考慮し、効果的なオオカミ管理のためのデータに基づく基盤を提供することにある。

 以下、BOKUの調査研究とその内容を報告したオーストリア国営放送(ORF)のウェブサイト10月29日の記事の概要を紹介する。

 ヨーロッパには2万1000頭のオオカミが生息している。一時期絶滅の危機に瀕していたオオカミだが近年、個体数は大幅に増加し、それに伴い家畜への襲撃が繰り返され、人口密集地域へのオオカミの再出現が相次ぎ、紛争のリスクが高まっている。オーストリアでは特に西部と南部の地域でオオカミの被害件数が多い。オーストリア南部で10月初旬、オオカミが家畜を襲撃し、射殺されたという出来事が起きたばかりだ。

 ノルベルト・トチュニック農業相は29日、ウィーンで行われた記者会見で「住民はオオカミの出現を安全保障上のリスクと認識している。我々にとって、自然と文化の景観のバランスを維持する一方、本来オオカミが人間に対して持つ警戒心を保持する必要があることが明らかになった」と述べた。

 BOKUの調査研究「オーストリアにおけるオオカミ(Canis lupus、タイリクオオカミ)の生息地と紛争潜在モデル」(123頁)は昨年4月に開始された。この研究は、「生態学的観点から、オーストリアのどの生息地がオオカミにとって潜在的に適しているか?」「社会経済的観点から、オーストリアにおいてオオカミとの潜在的な紛争はどこで発生するか?」「生息地と紛争潜在性によって特に影響を受ける地域はどこか?」といった疑問に答えることを目的としている。

 具体的には、オオカミの潜在的な生息地と潜在的な衝突エリア、そして両エリアが重なる地域の正確な地図を作製することで、衝突の可能性が高い地域と低い地域を特定することだ。

 同調査研究によれば、、オオカミはあらゆる方向からオーストリアに移動する可能性があり、たとえ今日すべてのオオカミが姿を消したとしても、明日にはさらに多くのオオカミがやってくる可能性があるという。その理由は、近隣諸国におけるオオカミの個体数増加と、この種の分散生態にあるという。「若いオオカミは、交尾相手を探すために長距離を移動するからだ」という。

 19世紀半ばにオーストリアでオオカミが絶滅した後、2016年に再び現れ、2024年までにはすでに9つの群れにまで増えている。2025年時点で、オーストリアでは8つの群れが確認されているという。オオカミの生息地、捕食、衝突の可能性に関するデータから、オーストリア西部と南部のホットスポット(主に西アルプス地方、特にフォアアールベルク州、チロル州、ザルツブルク州、ケルンテン州)が判明できるわけだ。

 「家畜捕食ポテンシャルモデルは、特定の地域がオオカミによる家畜捕食の影響を受けやすい程度を分析している。放牧地が広範囲に及ぶアルプス地方は、特に高い捕食ポテンシャルを示す。家畜(特にヒツジ、そして程度は低いがウシ)の存在は、高い捕食ポテンシャルを予測する最も強力な因子であり、次いでオオカミの避難所となり得る森林への近接性が続く」(調査報告書から)。

 トチュニック農業相は「私たちは現在、科学的な基盤を築いているところだ」という。チロル州のヨーゼフ・ガイスラー副知事は記者会見で、「オオカミ問題は感情に大きく左右される。都市部に住む人々は、農村部や山岳地帯に住む人々よりも影響を受けにくい。大型捕食動物との衝突が50キロメートル以内で発生すると、住民の警戒心は著しく高まる。したがって、イデオロギーを減らし、実利主義を高め、科学にも発言権を与えることが重要だ」と主張している。

 トチュニック氏は「家畜保護のためには、最終的には、オオカミの個体数を管理しなければ、実際には効果がないことを認識する必要がある」と述べ、ガイスラー副知事はまた、「過去とは異なり、家畜保護には非常に高度な組織的努力が不可欠だ」と強調した。

 ちなみに、世界自然保護基金(WWF)は、プレスリリースでこの調査研究発表の機会に、包括的な家畜保護イニシアティブを呼びかけた。WWFは「オオカミの駆除は持続可能な解決策ではない。例えば、スイスではオオカミ1頭あたりの家畜の殺処分数が87%減少した。オーストリアでは駆除がオオカミの最も頻繁な死因となっている。2024年だけで、オーストリアでは13頭のオオカミが殺された。一方、ドイツにはオーストリアの約30倍の縄張りを持つオオカミ(209の群れ、46つがい)がいるにもかかわらず、2024年に射殺されたオオカミは2頭にとどまった」と指摘している。

建国70周年オーストリアの「国体の変容」

 アルプスの小国オーストリアは26日、連合国軍(米英ロ仏)4カ国の10年間の占領時代を経て再独立してから今年で70周年の建国記念日を迎えた。同国は1955年5月、4カ国の連合国軍との間で「オーストリア国家条約」を締結し、再び独立国家(国家回復)が認められた。 条約の規定に従い、同年10月、「永世中立に関する連邦憲法法規」(中立法)を制定して永世中立を宣言した。当時のレオボルト・フィグル外相がベルヴェデーレ宮殿内で「オーストリア・イスト・フライ(オーストリアが自由に)」と叫び、再び独立国となった喜びを国民と共に祝った。

thumbnail (7)
▲世界最古の動物園シェーブルン動物園で3頭のチータ―の赤ちゃんが誕生した、2025年10月26日,シェーンブルン動物園で撮影

 建国記念日では首都ウィ―ンの英雄広場で毎年、連邦軍が戦車やヘリコプターを披露してウィーン市民に国防の実態を紹介する。多くの親子連れが見学にやってくる。文字通り、国民的祝日だ。

 オーストリアは再独立後、中立国家としてスタートしたが、同国の国体は時代の変遷の中で大きく揺れ動かされてきた。同国は中立国として軍事同盟には加盟せず、冷戦時代には東西間の架け橋的な調停外交を展開する一方、中東・バルカン半島の紛争時には国連平和維持軍に参加、また国連の専門機関をウィーンに誘致し、国連外交を推進してきた。

 ちなみに、ウィーン市にはイランや北朝鮮の核問題を監視する国際原子力機関(IAEA)、国連工業開発機関(UNIDO)、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)、国連薬物犯罪事務所(UNODC)などの本部や事務所がある一方、石油輸出国機構(OPEC)や欧州安全保障協力機構(OSCE)など30を超える国際機関がある。

 冷戦時代には中立主義がその価値を発揮できたが、ロシア軍が2022年2月末、ウクライナに侵攻して以来、中立主義の見直しが叫ばれ出した。欧州の4カ国の中立主義国のうち、フィンランドとスウェ―デンは中立主義を放棄して北大西洋条約機構(NATO)に加盟したが、スイスと共にオーストリアは依然、中立主義を堅持してきた。

 スイスは中立主義の定義の再考(「協調的中立主義」)や武器再輸出法案の是非を検討するなど試行錯誤。一方、オーストリアでは中立主義との整合が問われるような政治的動きが出てきた。例えば、欧州の空域防衛システム「スカイシールド」(Skyshield)へのオーストリアの参加だ。ちなみに、中立国オーストリアのESSI参加に対し、極右「自由党」キックル党首は、「スカイシールド参加と中立主義は一致しない。NATOとロシアが戦闘した場合、わが国はその戦禍を受けることになる」と強く反対した。

 オーストリアは冷戦時代、旧ソ連・東欧共産圏から政治難民が殺到、その数は200万人にも及び、「難民収容国家」と呼ばれた。冷戦の終焉後の2015年、中東・北アフリカから100万人の経済難民が欧州に殺到し、移民・難民の収容問題が大きな政治課題となった。

 ところで、オーストリアはローマ・カトリック教国だ。戦後直後、カトリック信者は国民の85%以上だったが社会の世俗化、教会の聖職者の性犯罪問題の発覚もあって、信者数は現在、50%台に急減し、あと10年もすれば過半数割れは確実視されている。同時に、イスラム系移民が急増し、ウィーンの小学校ではドイツ語を母国語としない生徒がクラスの過半数を占め、学力低下の原因ともなっている。

 政府はイスラム系移民の統合政策を促進させている。シュトッカ―政権は9月、14歳未満の女子に対して学校でスカーフの着用を禁止する法案を閣僚決定している。オーストリア、特に首都ウィーンの「都市の風景」は大きく変わってきた。

 まとめると、建国70周年を迎えたオーストリアでは今日、国是の中立主義はその価値を失い、国民の精神的支柱だったキリスト教の信仰は益々希薄化する一方、イスラム系移民が急増している。オーストリアの国体は変容してきている。

「SOS子どもの村」創設者の神話が崩れた

 第2次世界大戦後の困難と貧困下で全てを失った子供たちを守り、彼らが安全で安心できる環境で成長できるようにすることを目標に建設された「SOS子どもの村」の創設者ヘルマン・グマイナー(1919〜1989年)が生前、「SOS子どもの村」の男の子たちに性的虐待をしていたことが明らかになった。

 グマイナーは1949年、チロル州イムストに最初の「SOS子どもの村」を建設し、献身的な女性たちと男性たちと共に、世界的な人道支援の理念の礎を築いたことで有名となり、一時期、ノーベル平和賞候補にも挙がったことがあった。オーストリア国民はグマイナーの献身的歩みを誇らしく感じてきた。それだけに、「創設者の神話」が崩れ落ちていくのを感じ、大きな衝撃を受けている。
 
Kein-Titel-(2000-x-1125-px)
▲「SOS子どもの村」公式サイト 

 「SOS子どもの村」は今日、世界135カ国と地域で活動する国際NGOだ。「SOS子どもの村」は世界中に450箇所以上あり、全体では約170万人の子どもと家族を支援している。オーストリアに「SOS子どもの村インターナショナル」の本部がある。日本にも支部がある。

 ところで、「SOS子どもの村」で過去、子どもたちが虐待されていたというのだ。同事件を最初に報道したのはオーストリア週刊紙「ファルター」だ。同週刊誌は9月16日号でケルンテン州の「SOS子どもの村」で数年前に発生したとされる深刻な虐待疑惑を報じた。報道によると、「SOS子どもの村」の関係者は不祥事を知りながら、証拠と手がかりを隠蔽していた(「『SOS子どもの村』の虐待疑惑問題」2025年10月2日参照)。

 そしてここにきて「SOS子どもの村」のスタッフだけではなく、創設者グマイナーが生前、男の子に性的虐待を犯していたことが明らかになり、オーストリア国民もショックを受けている。オーストリア公営放送は23日、プライムタイムのニュース番組でトップで報じたほどだ。

 グマイナーに対し、少なくとも8人の未成年の少年に「性的暴力と虐待」を行った疑いがかけられている。暴行自体は1950年代から1980年代にかけてオーストリアの4か所で発生したという。さらなる被害者が出る可能性も否定できない。そして8人の被害者には最大2万5000ユーロの補償金が支払われ、セラピーセッションの費用も支払われたが、グマイナーは性的虐待容疑で起訴されることはなかった。「SOS子どもの村」での虐待疑惑は過去、内部で調査され、処理され、その調査結果や関連情報が公表されたことはなかった。

 グマイナーは1919年、フォアアールベルク州に生まれ、1949年、「ソシエタス・ソシアリス」(SOS)協会を設立した。これは後に「SOS子どもの村」と改名された。同年、イムストに最初の家庭施設の礎石が据えられ、1950年12月24日、最初の5人の孤児たちが収容された。1960年代には、「SOS子どもの村」の理念はヨーロッパを越えてアジアやラテンアメリカへと広がり、現在、「SOS子どもの村」は約135カ国に拠点を置いている。グマイナーは1986年、67歳で亡くなった。

 グマイナーは生前、「SOS子ども村」の創設者として世界から146の賞を受賞し、ダライ・ラマやマザー・テレサといった国際的な著名人とも親交を深めた。オーストリアでは、多くの学校、通り、公園がグマイナーにちなんで名付けられている。そのグマイナーが生前、村に住む男の子に性的不祥事を繰り返していたことが判明し、グマイナーの名前がついた通りや学校の名称変更がテーマとなってきた。

 同村のシュラック専務理事は「軽微な変更ではなく、組織の全面的な再編が必要だ。隠蔽や見て見ぬふりを好んだシステムと完全に決別する。そのためには創設者の神話を一掃しなければならない」と述べている。ちなみに、傘下団体である「SOS子どもの村インターナショナル」のドメニコ・パリシ会長は「ヘルマン・グマイナー氏とその卑劣な行為を、私は可能な限り強く非難する」という声明を発表している。
 
 「SOS子どもの村」における虐待疑惑が明るみに出た後、外部専門家から成る調査委員会が設立された。同委員会の議長を務める元最高裁判所長官イルムガルト・グリス氏は「我々は改革案を実施する責任を負う。調査結果は、被害者の保護を尊重しつつ公表される」という。

「ヒトラーの生家」改修工事、年内に完了

 オーストリア国営放送(ORF)が10日報じたところによると、アドルフ・ヒトラー(1889年4月20日〜1945年4月30日)の生家の改修工事が年内に完了する。オーバーエスターライヒ州西北部のブラウナウ・アム・インにある3階建ての建物の一室にヒトラーは1889年4月20日に生まれ、3歳までそこに住んでいた。オーストリアは2019年11月、「ヒトラーの生家」を警察の建物として使用するために改修することを決めた。同時に、ブラウナウ・アム・インは将来、ナチス迫害の犠牲者を追悼し、ナチス政権での戦争犯罪の実態を啓蒙する場所を設置する予定だ。

1200px-Volksbucherei_Braunau_03
▲ヒトラーの生家とその前に設置された石碑。 石碑には「ファシズムを繰り返すな」と刻まれている。ウィキぺディアから

 「ヒトラーの生家」を警察署に改築する案は最初からあったわけではない。「ヒトラーの生家」は戦後、障害者施設とその作業場として久しく使用されてきた。同施設が2011年に退去して以来、同建物をどのように利用するかが大きな問題となった。そして「ヒトラーの生家」を家主から強制収用できる法案が審査された時も国民の間で激しい議論が飛び出し、最終決着がつくまで数年が経過した。

 オーストリアは「ヒトラーの生家」がネオナチなどの過激な右派グループの巡礼地となることを恐れてきた。当方は1990年代初め、ブラウナウを初めて訪問した。駅に降りて近くのタバコ屋さんの主人にヒトラーの生家の場所を聞いたが、彼は「知らない」と言う。道行く人に聞いても「知らない」という返事しか戻ってこなかったが、実際はブラウナウ・アム・イン駅から数分歩いたところに「ヒトラーの生家」があった。

 ブラウナウの人々は「ヒトラーの生家」がどこにあるかを知っている。だが、外から来た人、特に外国人に「ヒトラーの生家」の場所を聞かれる時、何故か教えたくないようだった。オーストリア国民の中には、ヒトラーの生家を「悪魔のハウス」と呼ぶ人もいる。

 オーストリアは戦後、ヒトラーと関連する建物、歴史的遺産などを出来るだけ外国からのゲストの目に見えないよう腐心してきた。ヒトラーと関連する事例には平静に対応できないのだ。

 「ヒトラーの生家」だけではない。生家の周辺のストリート名がナチス時代を想起させるということから、周辺の通りが改名される予定だ。ただし、通り名を変えることで、土地登記簿や遺言書などの書類を変更する必要が出てくるから、通り名の変更は大変だ。それでも、改名するのだ。

 音楽の都ウィーン市の中心部に「英雄広場」(Heldenplatz)がある。「英雄広場」には、2人の歴史的英雄の騎馬像がある。対トルコ戦の英雄である「オイゲン公」像とナポレオンを破った「カール大公」の像だ。2人の英雄を讃える意味で「英雄広場」と呼ばれるようになったが、ヒトラーが1938年、その英雄広場で母国に凱旋して有名な演説をしたことから、ヒトラーと英雄広場がリンクされるようになった。そこで「英雄広場」を「共和国広場」とか何か新しい名称に改名すべきだ、という提案が出てきたわけだ。

 「英雄広場」の改名を支持する知識人は「ヒトラーは明らかにわが国の英雄ではない。英雄広場からヒトラーの亡霊を断つべきだ」と主張する。一方、改名に反対する歴史家たちは「歴史には明暗がある。喜ばしい時代もそうではない時代も歴史だ。その歴史的名称を現代人の目から判断して歴史を曲げることは良くない」という立場だ。

 また、ウィーン市の文化評議会は2012年4月、市内1区、議会から大学までのストリートをDr.-Karl-Lueger-Ring(ドクター・カール・ルエガー・リンク)からUniversitaetsring(大学リンク)に改名した。ルエガー(1844年〜1910年)は1897年から1910年までウィーン市長を務めた政治家だが、反ユダヤ主義者としても有名だった。彼は当時、「ウィーン市から全てのユダヤ人が出て行けば幸せだ」と発言した。反ユダヤ主義者の名前を付けた通り名は誤解を生む、ということで改名となった経緯がある。

 ちなみに、戦後オーストリアは、「モスクワ宣言」を拠り所として久しくヒトラーの戦争犯罪の被害国だと主張してきた。1943年の「モスクワ宣言」には、「ナチス・ドイツ軍の蛮行は戦争犯罪であり、その責任はドイツ軍の指導者にある」と明記されている。オーストリアがヒトラーの戦争犯罪の共犯者だったことを正式に認めたのはフラニツキー政権が誕生してからだ。同首相(任期1986年6月〜96年3月)がイスラエルを訪問し、「ナチス・ドイツ軍の戦争犯罪はオーストリアにも責任があった」と初めて正式に認めた。同国がそこまで到達するのに半世紀余りの歳月を要した。

「SOS子どもの村」の虐待疑惑問題

 「SOS子どもの村」の虐待疑惑問題について報告する。「SOS子どもの村」は1949年、ヘルマン・グマイナー(1919-1986)がチロル州イムストに最初の「SOS子どもの村」を建設し、献身的な女性たちと男性たちと共に、世界的な人道支援の理念の礎を築いた。第2次世界大戦後の困難と貧困下で全てを失った子供たちを守り、彼らが安全で安心な環境で成長できるようにすることを目標としてきた。

bild_ueberuns_history
▲第2次世界大戦終了直後、チロル州で最初の「SOS子どもの村」が設立された、「SOS子どもの村」公式サイトから

 「SOS子どもの村」の公式サイトによると、「子どもたちに尊厳と温かさに満ちた愛情あふれる家庭を提供し、困難な状況にある子どもたちとその家族を支え、危機からの脱出の道を探る。これらがSOS子どもの村の中心的な使命だ」と記述されている。同村では男性スタッフが父親役となり、女性スタッフは母親役となって家を失った子供たちをケアする。

 ちなみに、「SOS子どもの村」は今日、世界135の国と地域で活動する国際NGOに発展している。その活動範囲は非常に広範で、「SOS子どもの村」は世界中に450箇所以上あり、全体では約170万人の子どもと家族を支援している。オーストリアに「SOS子どもの村インターナショナル」の本部がある。日本でも支部が運営されている。

 その「SOS子どもの村」で数年前まで、子どもたちが虐待されていたというのだ。同事件を最初に報道したのはオーストリア週刊紙「ファルター」だ。同週刊誌は9月16日号でケルンテン州の「SOS子どもの村」で数年前に発生したとされる深刻な虐待疑惑を報じた。報道によると、「SOS子どもの村」の関係者は不祥事を知りながら、すべての証拠と手がかりを隠蔽していたという。

 「ファルター」誌は「殴打、屈辱、虐待」という見出しの記事の中で、「写真には幼い男の子が写っている。彼は校庭に立っており、Tシャツだけで下は何も着けていなく、性器を露出している。写真を撮影した教師は、個人用ノートパソコンを開くたびにこの写真を見ることができた。この画像は彼のデスクトップの背景画像になっていた。男はハードドライブに、浴槽に立つ少年のクローズアップなど、幼い子供たちのヌード写真を複数保存していた。仕事が終わると、教師は子供たちを自分のアパートに連れて行った。ある教師は3年間、毎晩、少女を部屋に閉じ込めていた」と報じている。

 同誌は9月23日号で続報している。新たな告発として2005年までケルンテン州モースブルクにある「SOS子どもの村」に住んでいた女性の話を紹介している。「私たちは手当たり次第に殴られ、よく鼻血が出た。私たちは冷たいシャワーを浴び、氷点下のバルコニーで裸で立たされ、何日も地下室に閉じ込められた。イースターにチョコレートを食べ過ぎて嘔吐した時、母親役のスタッフは吐いたものを食べるように強要した」と証言する。女性は現在成人し、2人の子供の母親となった。彼女は自身の幼少期の出来事に、今も苦しめられているという。女性は摂食障害を患い、セラピーを受けている。

 「SOS子どもの村」における虐待疑惑が明るみに出た後、外部専門家から成る調査委員会が設立された。同村の広報担当者によると、調査委員会には、経済学の専門家、医療・セラピーのバックグラウンドを持つ専門家なども参加する。元最高裁判所長官イルムガルト・グリス氏、児童保護の専門家ヘドヴィヒ・ヴェルフル氏、社会学者ヴェロニカ・ライディンガー氏らの名前が挙がっている。ただ、被害者代表が委員会に入っていないことで批判の声が出ている。

 グリス氏が率いる委員会は今後、「SOS子どもの村」組織内で改革案を実施する責任を負う。調査結果は、被害者の保護を尊重しつつ公表されるという。グリス氏は1日、「委員会の拡大と完全な独立性は包括的な見直しと持続可能な変革に向けた提言の提示にとって最重要条件だ」と述べている。

 ちなみに、「SOS子どもの村」での虐待疑惑は過去、内部で調査され、処理されたことがあったが、その調査結果や関連情報は公表されなかった。今回チロル州イムストとザルツブルク州ゼーキルヒェンの「SOS子どもの村」に対する疑惑が明らかになったわけだ。現在、クラーゲンフルト、インスブルック、ザルツブルクの検察当局が「SOS子どもの村」の虐待疑惑について捜査を行っている。

 当方は長い間、ローマ・カトリック教会の聖職者による未成年者への性的虐待問題をフォローしてきた。カトリック教会は閉鎖的な組織であり、その中の指導者は下位の存在(未成年者)に対し権威的に振る舞う。そして何らかの不祥事が生じると事件を隠蔽しようと腐心する。「SOS子どもの村」の虐待疑惑事件でも同じような状況展開があったわけだ。

14歳未満の女子のスカーフ着用禁止

 オーストリアで10日、14歳未満の女子に対して学校ではスカーフの着用を禁止する法案が閣僚決定された。スカーフ着用禁止は、学校教育法および私立学校法の改正によって制定される予定。政府の意向により、同法案は2026年の夏学期から施行される。ただし、同国では2020年、同様の法案が憲法裁判所によって覆されている。

ministerrat_pressefoyer_artikelbild
▲スカーフ着用禁止を発表するプラコルム欧州統合家庭相(中央)、2025年9月10日、公式サイトから

  クラウデイア・プラコルム欧州・統合・家庭相は10日の記者会見で、「スカーフは女子の視界と自由を制限する。スカーフは明らかに抑圧の象徴だ。世界中で女性がベールをかぶっている場所を見れば、イスラム過激派が台頭し、女性の権利が踏みにじられている所が多い」と説明し、「未成年の女子生徒を差別や抑圧から保護するべきだ。肌や髪を露出しすぎるからといって、宗教的なベールで覆うべきではない」と主張した。

 違反者に対しては段階的な罰則が設けられている。まず、学校側は生徒と面談を求め、両親、保護者には情報提供書が送付される。それでも解決しない場合は、教育局が介入する。極端なケースでは、150ユーロから1,000ユーロの行政罰金、または14日間の懲役刑を含む行政罰が科される。親が従わない場合は、義務教育の義務違反と同様に、罰則が科せられる。

 法的にスカーフ着用を禁止する試みは同国では今回が2度目だ。憲法裁判所は2020年、クルツ首相(当時)が率いる国民党・自由党の連立政権が2019年に可決した小学校におけるスカーフ着用禁止令を覆した。憲法裁判所は当時、「イスラム教徒の女性のみを対象としており、国家の宗教的中立の原則に反する」と主張した。

 現政府は、憲法裁判所の懸念に対処するため、専門家と連携し、法的選択肢の検討、法的枠組みの策定、専門家の経験収集のための集中的な作業などを行ってきた。少女のエンパワーメントを図るだけでなく、親、教師、少年、そしてイスラム教コミュニティの積極的な参加を促すことを目的とした付随措置が講じられる。

 一方、イスラム教共同体からは批判の声が上がっている。オーストリアの「イスラム教共同体(IGGO)」は、「計画されているスカーフ着用禁止措置は子どもと民主主義を犠牲にする象徴的な政治行為だ」と批判した。 IGGOによると、憲法裁判所は2020年に既に「このような禁止措置は、宗教的少数派を具体的に標的とし、平等の原則に違反するため、違憲であると明確に判断している」と述べている。

 ちなみに、フランスで2004年に導入されたスカーフ着用禁止令は、イスラム教徒の少女が教育システムから排除されることはなく、むしろ学業成績の向上と社会統合の促進につながったという。学校でのスカーフ着用禁止は女子の教育機会を向上させ、女子の卒業率は大幅に向上し、禁止措置によってイスラム教徒の女子の退学率は増加していないという。

 なお、オーストリアでは、成人年齢は14歳からであり、宗教的成熟も14歳から始まる。それ以降は、すべての若い女性がスカーフを着用するかどうかを自分で決めることができる。

 参考までに、2021年のオーストリア統計局の調査によると、国民の8.3%がイスラム教徒だ。ローマ・カトリック教徒(55%)に次ぐ数字だ。また、ウィーン市の公共学校ではイスラム系生徒の数がカトリック系生徒の数を上回っている。その結果、ドイツ語ができない生徒が増え、ひいては学力の低下がみられる。ウィーンのオーストリア人家庭では経済的に可能ならば、公共学校に子供を送らず、私立学校に通わせるケースが出てきている。

オーストリアで銃規制法の強化案

 オーストリアのゲルハルト・カーナー内相は4日、記者会見で銃規制法の強化案を発表した。同法案は同日、議会内務委員会に提出され、2週間の審査が承認された。同法案は国民議会で審議し、10月の連邦議会の決定を受け、同法案の最初の部分は直ちに施行される予定だ。

L_29391
▲記者会見で銃規制法の強化法案を発表するカーナー内相(中央)、オーストリア内務省公式サイトから、2025年9月4日

 銃規制法強化案によると、銃器のカテゴリーB(拳銃、連発散弾銃、半自動小銃)の購入年齢の最低年齢は従来の21歳から25歳に、カテゴリーC(ライフル銃または滑腔銃)は18歳から21歳にそれぞれ引き上げられる。ちなみに、カテゴリーAは禁止武器および軍需品で、一般国民は購入できない。銃器は今後、登録販売業者からのみ購入可能となり、個人からの購入はできない。狩猟者やスポーツ射撃者は対象外だ。「同法案は、安全性が強化される一方で、銃器を責任を持って扱わなければならない人々に不必要な制限が課されることはない」という。

 また、銃器当局が登録手続き中に精神疾患に関する情報を入手できるようにすると共に、銃器購入後配達までのクーリング・オフ期間は3日から4週間に延長される。

 同国が銃規制法の強化に乗り出すことになった直接の契機は、オーストリア南部シュタイアーマルク州の州都グラーツの高校で6月10日に発生した銃乱射事件だ。同学校の元生徒が突然、2丁の武器、拳銃と散弾銃を持って教室に乱入して乱射し、先生1人と生徒9人が死去し、十数人が重軽傷を負った。容疑者(当時21歳)は犯行後、校内のトイレで自殺した。

 警察当局によると、犯行は単独で、容疑者は前科はなく、武器も合法的に犯行直前に購入していた。オーストリアでは18歳以上になれば、武器を購入し、所持できる。容疑者は武器許可証を持っていた。武器法によると、武器は3分類され、容疑者が所有していた武器はカテゴリーBに入り、購入前には精神的診察を受けていた。ちなみに、同国内務省によると、オーストリアでは今年4月現在、約37万人が約150万丁の武器を所有している。

 オーストリアの戦後で最悪の銃乱射事件(犠牲者10人と容疑者1人、計11人が死去)を受け、ストッカー政権は「国の悲劇だ」と述べ、銃規制法の強化に乗り出すことになったわけだ。

 一部のメディアでは、オーストリアは欧州でも銃所有がかなり自由で、銃社会だと報じていたが、銃の購入と銃携帯には厳格な武器法が施行されている。ただ、バルカン半島のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の影響などもあって、かなりの武器がオーストリア国内に不法に流れ込んでいる。

 なお、政府の銃規制法の改正案について、野党第1党の極右政党「自由党」は4日、プレスリリースを通じ、「同改正案は国民の自由と市民権への不相応な干渉に当たる。また、改正法案は単なる場当たり的な立法だ」と指摘し、反対を表明している。それ以外の政党は同改正法案を支持している。

 オーストリア心理学者協会(BOP)はプレスリリースで、銃規制強化計画を歓迎する旨を表明した。特に、カテゴリーCの銃器にも臨床心理学的評価を義務付ける提案と、5年ごとの心理的フォローアップ検査の実施、年齢制限の引き上げと定期的な見直し等々も歓迎している。

 ちなみに、心理的適性検査の場合、遡及適用も可能となる。今年6月以降、カテゴリーBの武器の新規申請はすべて、適性検査を実施する必要がある。カテゴリーCについては、遡及適用は2年間まで適用される。

 カーナー内相は記者会見で、グラーツの学校で発生した銃乱射事件を想起し、「オーストリアの歴史における悲劇的な節目であった。社会と政治家にとって、現状維持では済まされないことは明らかだった」と述べている。

ガザ問題を巡り「外交官たちの蜂起」

 イスラエルのネタニヤフ首相がパレスチナ自治区ガザの完全制覇を決め、ガザへの攻撃を始めた。一方、ガザに住む50万人以上のパレスチナ住民はイスラエル軍の攻撃から避難する一方、食料や水、医療を手に入れるために苦戦、多くのパレスチナ人が飢餓状況下に陥っている。米国を除く国連安保理理事14カ国は27日、ガザで「飢饉が発生している」と報告されたことについて、「人為的な危機だ」と懸念する声明を発表したばかりだ。イスラエル軍のガザ攻撃を批判する声が国際社会ばかりか国内からも高まってきているが、ネタニヤフ首相は目下、ガザ攻撃を再考する考えはない。

csm_Alpbach_Slider_0e9834a621
▲マインル=ライジンガ―外相、アルプバッハ・フォールムで、2025年8月25日、オーストリア外務省公式サイトから

 そのような中、オーストリアの外交官や元外相たちがストッカー現政府宛てに公開書簡を送り、ガザ戦争に関する政府の方針を変え、イスラエルのネタニヤフ首相に政策変更を強く求めるだけではなく、イスラエルと欧州連合(EU)の連合協定の停止など制裁を支持すべきだと主張している。なお、同書簡はオーストリア代表紙「プレッセ」(8月27日付)に掲載され、大きな反響を呼んでいる。

 公開書簡では「国際社会は、ガザにおけるルールに基づく戦後秩序の崩壊をリアルタイムで目の当たりにしている。飢餓を戦争の武器として利用し、民間インフラを完全に破壊し、民間人、医療従事者、ジャーナリストを標的とした殺害を行っている。国連人権システムと国際刑事司法制度の関係者は過去2年間、中傷と脅迫を受け、公認の援助団体は信用を失墜させられた。イスラエル指導部は現在、パレスチナ住民の強制追放を公然と主張しており、これはイスラエルをパーリア国家へと変貌させるだろう」と警告を発している。

 公開書簡の署名者には、ベニータ・フェレロ=ヴァルトナー元外相、ペーター・ヤンコヴィッチ元外相、ヴォルフガング・ヴァルトナー元外相、元ボスニア国際代表のヴォルフガング・ペトリッチ氏とヴァレンティン・インツコ氏、元EU大使ハンス=ディートマール・シュヴァイスグート氏、元ワシントン大使エヴァ・ノヴォトニー氏ら26人の外交官、元外交官らが入っている。

 「オーストリアも、ガザにおける耐え難い苦しみを終わらせ、ハマスの手から残りの人質を最終的に解放するために、国際社会の圧倒的多数に加わるべき時が来た」と、現リビア大使バーバラ・グロッセ氏、ヨルダン駐在大使マリーケ・ジンブルク氏、そして外務省西バルカン担当特別代表ウルリケ・ハルトマン氏を含む外交官たちは述べている。
 
 公務員の立場で政治的発言することについて、ペトリッチ氏は「状況が極端で、国際法のあらゆるルールに違反し、文明国間で通常行われるあらゆる事柄を無視している場合、それは例外であると私は考える」と指摘、公務員も声を上げなければならないと主張している。

 26人の外交官の公開書簡に対し、ベアテ・マインル=ライジンガー現外相は28日、ガザ戦争に関するオーストリア政府のこれまでの方針を堅持すると発表した。

 同外相は7月、30カ国外相による敵対行為の即時停止を求める共同アピールに署名したが、今回の外交官たちの公開書簡に対して、「オーストリアは、イスラエルの安全保障、生存権、そして正当な自衛権に全面的にコミットしている。2023年10月7日にハマスが行った蛮行なテロ攻撃を強く非難し、全ての人質の即時解放を求める。同時に、パレスチナ民間人の苦しみは、無関心ではいられない。民間人の保護と国際法の尊重が不可欠だ」と説明している。

 なお、駐オーストリア・イスラエル大使のデイヴィッド・ロート氏は27日、公開書簡への憤りを表明している。曰く「この戦争の責任者であるテロ組織ハマスに責任を問う代わりに、この書簡はイスラエルを非難し、中東で唯一の民主主義国であり、オーストリアの緊密な同盟国であるイスラエルに対する前例のないEU制裁を支持するよう求めている」と公開書簡の署名者を批判している。

 公開書簡は最後、「オーストリアは決断を迫られている」として、「オーストリアもまた、今こそ自らの発言がどれほど真剣なものか、決断を迫られている。EU・イスラエル連合協定および資金プログラムの停止、そして貿易制限の導入は、真剣に検討されるべきである。とりわけ、人権侵害、戦争犯罪、そして人道に対する罪を犯したり支援したりする者に対する包括的な武器禁輸措置と制裁が不可欠だ。オーストリアもまた、ガザにおける耐え難い苦しみに終止符を打ち、ハマスの手から残された人質の解放を最終的に確保するために、国際社会の圧倒的多数の声に加わるべき時が来ている」と明記している。


 上記の問題について、当方の見解を少し書き足したい。まず、今回のガザ戦闘はハマスの「奇襲テロ」(2023年10月7日)が契機となって始まったことを忘れてはならないだろう。その意味で、イスラエルのハマスへの報復攻撃には正当性がある。同時に、アラブ諸国に取り囲まれたイスラエル国家の生存権を尊重すべきだ。

 問題は、ネタニヤフ首相は1200人以上のユダヤ人が虐殺され、120人以上が人質にされた「ハマスの蛮行」を絶対に許せない、という姿勢は理解できるが、報復、憎悪からは本当の解決は難しいことだ。ネタニヤフ首相は「ハマスの壊滅」を目指しているが、第2、第3のハマスがガザの廃墟から新たに生まれてくるだろう。ある時点で報復をやめ、共存の道を模索していかなければならない。さもなければ、戦いは永遠に続く。ユダヤ民族は受難の民族だが、パレスチナ人も同様だ。

訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Recent Comments
Archives
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ