ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

日常雑感

ニシキヘビと大使夫人の「平手打ち」

 外電によると、カナダでは50度を超える気温の日々が続き、至るところで山火事が発生しているという。アルプスの小国オーストリアでも6日、36度を超える真夏の気温だ。ここしばらくこの気温が続くという。幸い、湿気はすくないので、昼には部屋のカーテンをして窓を閉めておくと、暑い風が部屋に入らないので、クーラーや扇風機がなくても生活できる。オーストリアでは自宅でクーラーを設置している家はほとんどない。ここ数年、暑い夏が続いたこともあって、扇風機を買う国民は増えた。当方は数年前に扇風機を買ったが、それまではクーラーはもちろんのこと扇風機なしでも夏シーズを過ごしてきた。

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▲便器に侵入したニシキヘビの騒動を報じる記事(オーストリア日刊紙ホイテ7月6日付から)

 さて、カーテンを閉めて暑さが部屋に入ってこないようにしてから仕事にとりかかった。時事通信のサイトを開けるとなんと「ウィーン発」の記事が掲載されていた。オーストリア南部グラーツ市に住む住人が5日、トイレで便器に座ったところ性器周辺に痛みがきた。隣人が飼っていたニシキヘビが住人のトイレに出現し、便器に座った時、性器を噛んだのだ。

 オーストリアでは夜のニュース番組で被害にあった住人の生々しい証言を報じていたので当方も知っていたが、時事通信がこの出来事を報じたロイター電を訳して配信したことを知って驚いた。「ウィーン発」で書けるテーマと言えば国際原子力機関(IAEA)関連のイランや北朝鮮の核問題以外はほとんどない中、「ニシキヘビ騒動」の記事が読者アクセスリストで上位を走っていたのだ。

 昔、オーストリア連邦議会選挙の結果が日本のメディアでは報道されなかったことがある。オーストリアの内政には日本の読者は関心がないことは知っていた。配信される「ウィーン発信」のロイターや時事の記事は一部の音楽関連とIAEA関連の記事だけだ。冷戦時代、日本の大手メディアはウィーンに特派員を常駐させていたが、今はその数は少なくなってきた。時事通信も久しく特派員を帰国させ、ウィーンや西バルカン関連の記事はベルリンでフォローしている。

 そのような中で、久しぶりにオーストリア国内で生じた「ニシキヘビ騒動」が日本で報じられたわけだ。状況が状況であり、ニシキヘビが突然、便器から顔を出せば、驚くだろう。「人が犬を噛んだ」ような状況に読者も驚き、好奇心を呼び起こす出来事だ。それを訳して日本に配信した時事通信記者もいい記者センスの持ち主だ。読者が何に関心があるかを冷静に判断しているわけだ。クルツ首相の記者会見には関心を示さない日本のメディアも「ニシキヘビ騒動」は即配信したわけだ。

 思い出したが、昨年、ウィーン発でおならをした青年が罰金を科せられたという話が日本でも報じられた。「おなら青年」の記事は世界に配信された。その結果、おならをして罰金刑を科せられた青年は一躍、有名人となった。

 読者のために事件を再現する。昨年6月5日の夜中、M君は 友達とウイーン8区の 公園のベンチでビールを飲んでいたところ、夜回りの警官が 質問をしてきた。協力的でないだけでなく、挑発的な態度の彼に、身分証明書の提示を要求した。ところが、M君は突然立ち上がって 警官をにらむと、警官に向かってわざと 思いっきりガスを一発 放った。侮辱と態度の悪さに 警官も気分を悪くした。公共の規律に触れたのか、500ユーロの罰金が科せられたのだ。

 ウィーン発「おなら青年」事件が伝わると、アメリカのニューズウィーク、イギリスBBC、ガーディアンをはじめ カナダのCBC、アイルランドなど、世界中のメディアが一斉に報じた。青年はウイーン大学の学生だ。

 蛇足だが、「ウィーン発」ではないが、最近笑った出来事を報じた記事を紹介する。駐韓ベルギー大使の夫人(63)がまた騒動を起こしたのだ。今回はソウル市龍山区の清掃員と揉み合いになった。今回も大使夫人は清掃員に平手打ちをくらわした。清掃員の箒が大使夫人の体に触れたというのが騒動の発端だ。口論の末、清掃員が夫人を地面に倒した。警察が駆け付けて、夫人がベルギー大使夫人であることが分かって、事を荒立てないために双方を和解させて出来事は一応、解決した。

 大使夫人は中国人女性だ。夫人は先日も買物中、店員に万引きした疑いをかけられたことに激怒し、謝罪する店員の顔を平手打ちしている。同出来事は韓国メディアでも結構大きく報道された。ベルギー大使館は夫人の言動を謝罪して一応解決した。ちなみに、駐韓ベルギー大使は今夏、任期を終えてベルギーに帰国する予定という。参考までに、大使夫人は1958年生まれの中国出身で、大使とは中国で知り合った。主人が2018年に駐韓大使に任命されたので、夫とともにソウルに住んでいた。

 「ニシキヘビ騒動」、「おなら青年」、そして「大使夫人平手打ち劇」も、それを報じる記事へのアクセスは政府首脳たちの会見や記者会見よりもはるかに多い。読者はこの種の出来事、騒動を報じる記事を読みながら、一緒になって怒ったり、笑ったり、ハラハラしているわけだ。

 ところで、当方は毎日、日本の読者の関心が少ないテーマを意図的に選んでコラムを書いているわけではない。住んでいるところがウィーンだから、ウィーンを拠点にテーマを探さざるを得ない事情がある。これは当方の嘆き節ではない。現実だ。「ニシキヘビ騒動」や「おなら青年」事件はめったに起きるものではない

 ここしばらく暑い日々が続く。コロナ禍で困難な状況で生活している読者も少なくないだろう。それらの読者の心を解し、喜びと笑いを提供するコラムを書きたいものだ。ニシキヘビには負けないぞ。

ワクチン接種後の死亡者の司法解剖

 欧州では昨年末から新型コロナウイルスへのワクチン接種が始まった。ワクチンを製造する製薬大手アストラゼネカの拠点英国ではワクチン接種が加速され、欧州で最初のコロナ感染地となったイタリアでは既に200万人がワクチン接種を受けたという。

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▲独ビオンテック社のコロナ・ワクチン(ビオンテックの公式サイトから)

 ワクチン接種が開始された直後から、英国発のウイルス変異種(B.1.1.7)が感染を拡大し、接種が開始されたワクチンの有効性が問われたが、米製薬大手ファイザーと独バイオ医薬品企業ビオンテックが共同開発したワクチン(BNT162b2)の有効性には問題がないといわれ、ワクチン接種を願う人々を安心させた。その直後、今度は南アフリカ発のウイルス変異種(B.1.351)が欧州にも感染を広め、オーストリアのチロル州では165人の変異種による感染が確認された。メディアの情報によると、南アの変異種は英国発のような感染力はないが、攻撃的でこれまで接種されたワクチンの有効性が減少する懸念があるという専門家の意見も報じられている。

 ところで、ドイツのケルン市でワクチン接種後、3人が死亡したという。ケルン市検察局は3件の死亡を重視し、その司法解剖を命じたという。現地メディアによると、その目的は、死因がワクチン接種の副反応か、それとも患者に持病があり、ワクチン接種を受けてそれが悪化し、死をもたらしたかなどを調べることだ。同時に、ワクチン接種した医師側の医療ミスはなかったことをはっきりとさせる狙いがある。

 ケルン法医学のロートシルド教授によると、「3件とも過去、かなり重い既往症を抱えていた患者だった」という。2件の直接の死因は重度の肺感染症であり、1件は脳出血が死を引き起こした。明確な点は、3件とも最初のワクチン接種を受けたが、「その数日後、容態が悪化して死んだ」という。

 ドイツではコロナ・ワクチンの接種は昨年12月27日に開始された。それ以来、ワクチン接種後の死亡例は今年1月末時点で69件が報告されているが、いずれも既往症の高齢者で、老人ホームに保護されていた。平均年齢は84歳、最年少者は56歳、最高齢者は100歳という。そのため「ワクチン接種後死亡した人はいずれも既往症を抱えていたから、その基礎疾患が死をもたらしたと考えるのが最も合理的だろう」というわけだ。

 死亡例のほかに、ワクチン接種後、22件の副反応が報告されている。例えば、顔面麻痺だ。メディアで大きく報道されて注目された。その主因は不明だが、アレルギー反応と受け取られている。そのため、ワクチン接種センターは接種後のアレルギー反応に即対応できる態勢を整えるようにという要請を受けている。例えば、アストラゼネカと英オックスフォード大学が共同開発したワクチンについては「65歳以上の高齢者への接種」について注意を呼びかける声もフランスやベルギーなどで聞かれる。

 ちなみに、 独連邦保健省ポール・エールリヒ研究所 (PEI) によると、ドイツでは昨年12月27日から今年1月24日までに、1232件の副反応が、ファイザー・ビオンテックと 米製薬会社モデルナのワクチン接種の合併症と思われるケースが報告されているという。一方、独国立感染症研究所「ロベルト・コッホ研究所」(RKI)によると、同時期、ワクチン接種後、3404件の「副反応」が生じたという。1211件はビオンテック製ワクチンで、17件はモデルナ製のワクチンだ。ドイツでは既に107万人以上の国民がワクチンの投与を受けている。

 PEIは「ワクチン接種とその後の急死との関連はまだ調査されていないので何も言えない」と指摘し、国民の間でパニックが生じることを警戒している。ちなみに、ノルウェーでも33件のワクチン接種者の死亡が起きている。そのため、同国政府は既往症を抱える国民の健康チェックの強化を要請している。(ケルン市のワクチン接種後の死亡問題については、「大紀元」独語版2月7日のラインハルド・ベルナー記者の記事を参考)

  ところで、オーストリアのワクチン接種は遅れている。接種希望者が多いが、欧州連合(EU)から提供されるワクチンの量が少ない。そこでクルツ首相はドイツ紙ウェルト日曜版でのインタビューの中で「ロシア製や中国のワクチンの国内生産の可能性」を言及し、注目されたわけだ。

 隣国ハンガリーではロシア製ワクチンが既に輸入されている。ロシア製ワクチン(スプートニクV)の場合、バイオテックのワクチン(mRNAワクチン)のように超冷温下で保管する必要はなく、保管、輸送も簡単ということで重宝されている。ロシア製の場合(遺伝子組み換えDNAワクチン)、有効性も90%を超えるというから非常に高い。気になる点は、ロシアのプーチン大統領はスプートニクVのワクチンを世界に宣伝しているが、本人が接種したというニュースをまだ聞かないことだ。一方、クルツ首相はヴェルト日曜版の会見で「ロシア製のワクチンが認可されれば、接種する」と公言したという。

 いずれにしても、ロシアや中国のワクチンの場合(中国医薬集団、シノファームとシノバック・バイオテックのワクチン)は、臨床試験に関する情報が一切公開されていないため、有効性も不明だ。そのため、フォン・デア・ライエンEU委員長は、「ロシア製と中国製のワクチンが欧州で認可を得るためには全て情報を開示すべきだ」と述べているのは当然だろう。

YouTubeで観る日本の正月風景

 私事で恐縮するが、欧州に住むようになって今年で41年目を迎えた。その間、数回しか日本に戻っていないこともあって、「日本に今戻ったら、現代の浦島太郎だろう」と考えている。10年前、日本に帰って東京の渋谷に立った時、その人の数と街の賑わいに圧倒された。当方は当時、地下鉄の切符をどのように買うのかすら分からず、自動切符売場の前で戸惑ったことを思い出す。

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▲無観客のニューイヤーコンサート風景(2021年1月1日、オーストリア国営放送の中継から)

 音楽の都ウィーンでは1日、ニューイヤーコンサートがあった。無観客の楽友協会で演じるウィーンフィルの音楽を聴きながら、やはり異様な雰囲気を感じた。音楽の専門家でもない当方が言うのは可笑しいが、ウィーンフィルの音楽が例年とは違うのではないかと思った。その理由は、新型コロナ感染防止のために観客がホールにいない、というシンプルな事実に拠る。世界最高級の音響施設を誇る楽友協会でも観客がいない場合、オーケストラが奏でる音調にも変化が生じると考えたからだ。人は演奏家が奏でる音を体全体で吸収しながら聴く。音を吸収する人がホールにいない場合、演奏家の音はホール全般を彷徨うことになる。その結果、ウイーンフィルの音楽自体が変わってくるはずだ、と勝手に解釈したからだ。

 2時間余りのウィーンフィルの音楽を楽しんだ後、ユーチューブで日本の正月風景を見ることにした。当方は2人のユーチューバーの動画を定期的に見てきた。1人の動画は「Rambalac」、もう一つは「Japan 4K」だ。彼らは何もしゃべらず、もっぱら日本の都市を歩き、街の風景を撮影し、それを放映してくれる。だから、当方はウィーンにいて数時間前の渋谷の風景や浅草の雷門参拝風景を見ることができるのだ。まさに時代の恩恵だ。

 1日は浅草の雷門に参拝する日本の人々を90分余り観た。浅草はどこも多くの人々で溢れていた。同時に、「日本は本当に大丈夫だろうか」といった懸念を感じてしまった。

 当方が知っている日本の正月と21世紀の正月風景は明らかに違う。それだけではない。新型コロナウイルスの感染防止のために厳格な第2ロックダウン中のウィーンからみると、浅草の明るい店舗や銀座のイルミネーションで輝く風景には違和感を覚えた。全く「新型コロナの影響を感じない」からだ。街を行く人々はほとんど100%、マスクを着用している。その点、ウィーン市民とは比較にならないほど徹底している。しかし、ウィーン市内はどこも閑散としているが、浅草や新宿周辺には多くの人々が歩いている。買物する姿も見られる。彼らは一様に速足に歩く。のんびりと散策するのが好きなオーストリア国民の歩き方ではない。ウィーン子が浅草の正月風景を見たらビックリするだろう。ひょっとしたら羨ましく感じるかもしれない。

 2日、日本の知人にラインで電話した。知人は「日本は新型コロナの感染拡大で大変だ」という。欧州では昨年末、ワクチンの接種が始まったが、日本ではまだそこまできていないという。「病院崩壊」の話も飛び出した。国営・公営経営の病院が主のオーストリアとは違い、日本の医療機関は民営が多いこともあって、「病院崩壊」は現実的な問題という。病院機関の連携、結束が難しいというのだ。

 それにしても、浅草や渋谷の風景を見る限りでは、「日本はまだ深刻ではないのではないか」といった思いが湧いてくる。欧州ではパリ、ベルリン、ウィーンなどメトロポールは一様にロックダウン中だ。買物したくても、全ての店は閉まっている。

 不思議な点は、累計感染者数、新規感染者数、死者数では日本は人口比で欧州諸国の平均値より圧倒的に少ないことだ。問題は、「日本の新型コロナ対策が効果的だからというより、日本国民の気質、清潔好きなどの他の要因が大きく働いているからではないか」と推測せざるを得ないことだ。ノーベル医学・生理学賞を2012年に受賞された山中伸弥氏は「ファクターX」と主張されているが、何らかの理由から日本の新型コロナ感染による死者数が抑えられているというのだ。

 その日本でも年末から年始にかけ、新規感染者数の急増は続いている。それを受け、東京都などは政府に「緊急事態宣言」を出すように要請中という。同宣言をすれば、国民経済への影響は大きいことは明らかだ。経済がダメージを受ければ、国からの経済支援は難しくなるし、失業者は増加するだろう。オーストリアや他の欧州諸国と同じ困難に直面するだろう。新規感染者数が相対的に抑えられているドイツでも今月10日以後もロックダウン規制措置の延長は避けられないといわれている。欧州では少なくとも危機感は強い。

 日本も新規感染者の急増は避けられないだろうから、中短期的に考えれば、日本も早急にワクチン接種体制を整え、国民にワクチン接種を呼び掛けていく以外にないだろう。

 ユーチューブで浅草の雷門で列を作って賽銭箱にコインを投げ、“新型コロナ祓い”をする日本人の姿を見ていて、「そこに『ファクターX』が隠されているのではないか」と当方は感じた。欧州のウイルス学者は「新型コロナに対して正しく恐れるべきだ」と指摘し、感情的な恐れに振り回されないように警告していた。ひょっとしたら、日本人は新型コロナに対する恐れや不安を払拭するため、賽銭箱にコインを投げることで昇華させているのではないだろうか。

ウィ―ン市長から誕生日カード届く

 私的なことで申し訳ないが、当方はウィ―ン市のミヒャエル・ルドヴィク市長から誕生日カードを頂いた。今月は当方の誕生日の月だ。手紙は10日前に届いた。ウィ―ン市議会選(10月11日)も終わったばかりだから、選挙運動ではない。当方は同市長を個人的には知らない。封筒を急いで開けると、中身は誕生日カードだった。仕事柄「どうしてウィーン市長は当方の誕生日を知っているのだろうか」と先ず疑ったが、誕生日カードをもらって文句を言うのは品性がないと考え直した。ちなみに、当方宛ての誕生日カードは今年は市長のカードが第一号だった。

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▲ルドヴィク市長から届いた誕生日カード

 当方の誕生日は11月だが、これまでウィ―ン市長から誕生日カードをもらったことがない。どうして今年に限って、と考えてしまう。新型コロナウイルスがウィ―ン市でも急速に拡大しているが、それと誕生日カードとは関係がないだろう。

 カードの内容は個人的なものはなく、「誕生日おめでとう。健康な日々をお過ごしください」といった文句が印刷されていた。そうだ。多分、この誕生日カードは宛名と住所を変えればどこでも通用するようになっているのだろう。その意味で、当方は驚いたり、特別感謝すべきことではないのかもしれない。

 日本の政治家は選挙区の住民の誕生日や記念日には手紙などを送ると聞いたことがある。政治家であるためには選挙区民の誕生日をリストアップして、こまめにカードを送るぐらいの気配りがなければ当選はおぼつかない、といわれている(真偽は知らない)。

 ウィーン市議会選は大方の予想通り、ルドヴィク市長の社会民主党がダントツでトップ、戦後から続いてきた“赤の砦”を守った。第2党は連邦与党の国民党、そして「緑の党」と続く。ルドヴィク市長は選挙後、「緑の党」との連立をやめ、リベラル政党「ネオス」と初の連立政権を樹立したばかりだ。現地のメディアは「社民党、初のリベラル政党との連立」と報じていた。ウィーン市議会で新しい風が吹くかもしれない(「コロナ禍の選挙で極右『自由党』大敗北」2020年10月13日参考)。

 当方が忘れることが出来ないウィ―ン市長といえば、ヘルムート・ツィルク氏(Helmut Zilk)だ。オーストリア国営放送のジャーナリスト出身で教育相を歴任し、奥さんは有名な女優さんだ。1984年から10年間、ウィ―ン市長を務め、国民から絶大の人気があった。

 ツィルク市長は親日家として有名で、ドナウ川地域開発計画で日本の野村開発関連企業と連携していた。当方は市長と市長室で会談したが、会見が終わる前に「君、新しい住居を探しているのなら、僕が世話してあげるよ」と突然言い出した。当方は当時、住んでいるアパートに満足していたので「ありがとうございます。目下、大丈夫です」と答え、丁重に断った。ツィㇽク氏は親分肌で世話好きの性格で有名だったが、市長からアパートの紹介を受けた時はやはり驚いた(「元ウィ―ン市長のスパイ容疑」2009年3月24日参考)。

 ウィーンでは引っ越しがつきものだ。モーツァルトもベートーヴェンもウィーンでは10回以上引越しを繰返している。彼らは居住ではやはり苦労したのだろう。今年生誕250年を迎えたベートーヴェンは「衣服を着替えるように、住居を転々した」といわれている。そのお陰というべきか、ウィ―ン市内にはベートーヴェン所縁のハウスや場所が多く、どこも観光客で溢れる。

 ウィーンでは同じ住居に長く住むことが難しいのかもしれない。だから、ツィルク元市長は異国からのジャーナリストにも「引っ越ししなければならないことがあれば、お世話するよ」と気を遣ったのかもしれない、と今は考えている。

 同市長は手紙爆弾テロ事件で指を失うなど、波乱万丈の生涯を全うして2008年10月、亡くなった。当方はその後、ウィーン市長との個人的な接触はほとんどなかった。ミヒャエル・ホイプル前市長はワイン好きでサッカーでは「FKオーストリア」ファン、24年間市長の座に君臨した。その後釜にルドヴィク市長が就任した。派手さはないが、仕事を確実にする実務派タイプだ。「労働者の政党」社民党出身といった看板を掲げることは少なく、左派臭くない政治家だ。

 「誕生日カードの話」に戻る。最近はスマートフォンで誕生日メッセージが送られてくる。ルドヴィク市長のような手紙で誕生日カードを送るといったやり方は珍しくなった。それだけに、というか印象は残る。Eメールで誕生日メッセージが送られていたならば、当方は間違って消却していたかもしれない。手紙は送り手には少々手間かかるが、それだけに受け手の注意を引き付けることができる。効果という点では手紙はメールを凌ぐかもしれない。少なくとも、当方にとってはそうだ。

 最後に、「誕生日」に関連するマーク・トウェインの言葉を記す。

「人生で一番大切な日は二つある。生まれた日と、なぜ生まれたかを分かった日」

ザイ・フライ(煩いから解放されよ)

 スイスに関するニュースや情報を発信しているウェブサイト「スイスインフォ」によると、ホームシックはスイス人の200年前の国民病だった。「牧人の歌に故郷への思いを馳せ、スイスの代表的児童文学作品『アルプスの少女ハイジ』の主人公の少女もこの病に悩まされた」という。

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▲朝の光が雲の間から降り注ぐ瞬間(2018年7月27日、ウィーンで撮影)

 当方は欧州に居住して約40年を迎えるが、幸い、ホームシックとなって発熱したり、鬱(うつ)になったことはこれまでなかった。ところが、ここ数カ月、少し気分が落ちてきた。このような症状をオーストリアでは「秋の憂鬱」と呼ぶ。夏から秋に移り変わる時に陥る気分の低下だ。季節が変われば、再び活力が戻ってくるから、それほど深刻ではないと受け取られている。

 なぜ当方は「秋の憂鬱」に陥ったかは薄々分かっている。左目の手術後だ。先月8日、左目の網膜・硝子体矯正手術を受けた。外科手術は上手くいったが、その手術後、左目の硝子体は赤く、膿は止まらない。定期的に清潔な紙で目の周りを拭く。視力は次第に回復してきたが、コンピューターでの仕事は長時間は難しい。光の反射が目に良くないからだ。

 当方は20代に胆嚢を摘出し、40代に泌尿器系のがんになった。まだ若かったこともあって手術後の療養はしんどいとは思わずに過ごしたが、60代に入って右目の網膜剥離を患い、今度は左眼の手術を受けたが、その後の療養で体力の減退を感じる年齢となった。

 目の病気は他の病気より、患者に様々な負担を与えることを実感している。がんの手術後、当方は普段と同じように取材で飛び歩いていたが、目は体のセンサーだ。そのセンサーが故障すると方向感覚が可笑しくなるだけではなく、目に入る情報が著しく減少する。目を悪くすると、生きていく上で大きなハンディを背負うことになるからだ。

 「秋の憂鬱」下にあった先月末、いつものように朝5時半ごろ、駅前に新聞を取りに行った。その時、広告塔の宣伝文句が目に入った。曰く「ザイ・フライ……」(煩いから解放されよ)だ。それを読んだ瞬間、「その通りだ」と雷に打たれたようなショックと新鮮な感動を覚えた。同時に、言葉は言霊といわれているように、人間に大きな影響を与えるのを改めて実感した。

 新約聖書「ヨハネによる福音書」の有名な聖句を思い出した。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。すべてのものは、これによってできた」というのだ。この聖句を少し現代的に表現すれば、言葉を発するためにはエネルギーが不可欠だ。その結果、言葉は物質化する。質量を帯びた言葉に人がぶつかったり、触れば、その言葉の影響を否応なく受ける、というわけだ。

 このコラム欄でも書いたが、精神分析学のパイオニア、ジークムント・フロイト(1856〜1939年)は言葉を非常に重視してきた学者だ。診察台に横たわる患者が発する言葉からその人の潜在的な考えや感情を読み取り、分析する。

 フロイトは精神分析でも視覚的な現象からだけでなく、患者が語る言葉の意味、その背景を重視して精神病患者を治療している。先ず、思考が“霧と靄に包まれて”浮かび上がる。それを言葉を通じて形態を付与する。フロイトは、「言葉は本来、人間を治癒する魔法」と信じていたが、「言葉がその魔法を次第に失ってきた」と懸念をも表している(「フロイト没後80年と『ノーベル賞』」2019年9月7日参考)。

 朝の広告塔の宣伝文句に戻る。「ザイ・フライ……」がなぜ秋の憂鬱にあった当方に新鮮な驚きと一種の感動を与えたのかを考えた。目の手術後、当方も人並みに思い煩いに囚われていたのだろう。その「囚われから自由になれ」というメッセージだったからだ。

 イエスは「明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう」(「マタイによる福音書」第6章)と述べている。その時、その瞬間を全力を出して生きていくべきだという考えだ。大げさに表現すれば、一種の悟りだ。

 いずれにしても、当方は両目の手術を受けることで、目の大切さと共に、目の特殊な病によって失明し、右目を摘出し、義眼を移植した知人の息子さんの痛み、悲しみの一部を分かったように感じた。

盲目の犬を助ける小犬の「話」

 いかに素晴らしい文を書いたとしても、1枚の写真に負けてしまうことがある。メディアの世界でもそうだろう。今回紹介する写真には、「今年最高の感動的な写真」という賞があれば贈りたい、と当方は勝手に考えている。

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▲盲目の犬を世話する小犬マベリック(オーストリア日刊紙クローネン)

 初めて見た瞬間、感動して何も言えなかった。撮影したカメラマンに拍手を送りたい。それだけではない。その被写体の動物の仕草は名俳優だって出来ないだろうと思うほど、素晴らしく自然体なのだ。

 あまりにも素晴らしい写真だったので新聞から切り抜いて部屋の戸に張り付けている。気分が塞ぐ時や嫌なことがあった時、その写真を見て元気を取り戻すためだ。この世界にもこんな素晴らしい存在がいる、というだけで希望が出てくるからだ。申し訳ないが、ここでは「復活したイエス」の話ではなく、「犬」の話だ。

 前口上はこれまでにして、話はその写真の主人公の犬に入る。

 オーストリア日刊紙クローネン日曜版に掲載されていた盲目の犬(11歳、ゴールデンレトリバー、チャーリー)とそれをお世話する小犬(マベリック)の日々の姿を撮ったものだ。舞台は米国のノースカロライナ州だ。

 目が見えないということはやはり苦痛だ。人生の喜びの多くは視覚からくるからだ。美しい山、川、夕日、香りを放つ花など、全ては目を通じてキャッチする。その目が見えないということは考えられないほどの十字架だろう。人間だけではない、犬も同じだ。チャーリーは緑内障で両目の視力を失った。それ以後、元気を失い、生きる力もなくなったように見えたという。当然だろう。その姿を見た飼い主がチャーリーの遊び相手としてベビーのマベリックを連れてきたのだ。

 元気を失いかけていたチャーリーはマベリックが来ると、次第に生きる力を取り戻し、一緒に散歩にも出かけるようになった。マベリックは盲目のチャーリーの紐を口にくわえ、散歩する。彼は眠ると傍で一緒に眠る。そのような姿をカメラマンが撮ったのだ。

 チャーリーが自分より小さなマベリックに連れられている姿を見るたびに,「良かったね」と言いたくなる。一方、マベリックにはただただ頭が下がる。「どうして君はそんなことができるのか」と聞いてみたくなる。

 マベリックは「為に生きる」ことを実践している。自慢もせず、奢ることもない。それこそ為に生きる極地を行く姿だ。オーストラリアの哲学者ピーター・シンガー氏は「他の為に生きる」のは自分の為になるからだ、という`効率的利他主義`を提唱している。為に生きるのは決して英雄的な行為ではなく、自分の為になるからだというわけだ。

 人は為に生きるためには教育と自己規制、そして時には宗教が必要だが、マベリックはいつそれらを学んできたのだろうか。当方は心的外傷後障害(PTSD)に悩んでいたゴールデンレットリバーの雄犬を知っている。ボスニア紛争から拾われてウィーンに運ばれた犬も知っている。人間の世界でもそうだが、犬の世界でも生まれてから現在まで幸せ一杯だったという犬は少ないだろう。何らかの痛み、悲しみ、時には恨み、つらみをもって生きている(「『心的外傷後障害』に悩む犬と猫の話」2018年12月10日参考)。

 その痛みが少しづつ緩和され、本然の姿を取り戻すプロセスを見るほど美しい瞬間はない。ひょっとしたら、マベリックはそのプロセスを肌で感じるから「為に生きる」ための力を得ているのだろうか。

  生きるためにはパワーが必要だ。そのエネルギーは自己発電ではなく、他との関係から得る、という宇宙の原則から考えると、マベリックはきっとチャーリーから「為に生きる力」を得ているはずだ。人間の世界では、それを「愛」と呼び、動物の世界では「本能」と呼んでいるわけだ。

「心的外傷後障害」に悩む犬と猫の話

 幼い時に経験した強烈なショックや心の痛みはその人の生涯を付きまとい、癒されることがない。イラクやアフガニスタン帰りの米軍兵士は帰国後、心的外傷後障害(PTSD)に悩まされる。残念ながら戦場帰りの元米軍兵士による襲撃事件が頻繁に発生している。戦場での強烈な場面や出来事は容易には癒されず、時には暴発する。

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▲ウィ―ンの「動物ハイム」いたボスニアの犬 2008年8月16日、ウィーンで撮影

 ところで、PTSDに悩まされるのは帰国した米軍兵士や幼少時代に聖職者によって性的虐待を受けた人たちだけではない。人間の友である犬も猫も同じようにPTSDに悩まされているのを目撃する。当方が直接見てきた犬と猫のPTSDの状況を少し報告する。

 ゴールデンレットリバーの堂々とした雄犬をお世話したことがある。犬の持ち主が緊急時のため犬を世話できないので当方宅で暫く世話をすることになった。大きな犬で散歩していても通行人が振り返るほど立派な犬だった。犬は基本的には散歩を好む。都会生活で狭い空間にいる犬などは特にそうだ。「彼」も例外ではないかった。そこまでは通常の犬だ。しかし、散歩中に彼が普通の犬ではないことが分かった。子供を恐れるのだ。特に、スケートボードなどの音が近づくと恐れてその場に座り込み、絶対に動かない。歩道を渡っていた時だ。「彼」は突然、歩道の真ん中で座り込み、一歩も動かなくなった。当方は焦った。車が来るし、周囲の人々も何が起きたのかを聞いてくる。仕方がなかったので当方は重い「彼」を担いで歩道を渡り切った。

 「彼」はショック状況だった。「彼」を激励して急いで帰路に向かった。犬は通常、散歩から家に戻る時に抵抗するものだ。帰りたくないからだ。もっと外で遊びたいわけだ。しかし、「彼」はそうではなかった。一刻も早く家に戻りたかったのだ。

 「彼」は子犬時代から一人で家で留守番をすることが多かった。飼い主が時間がないこともあって、「彼」は一日中、一人で家の中にいた。夜遅く帰ってきても、飼い主は疲れて散歩もできない。それでも「彼」は主人が帰ってくると、しっぽが切れるのではないかと心配するほど尾を振った。

 幼少時代の孤独な日々、一度体験したスケートボードなどに興じる子供との体験があって、「彼」は普通の犬でなくなった。幸い、「彼」は2度目の持ち主に愛され、ウィーンからドイツに引っ越していった。そこで数年後、亡くなったと聞く。

 犬だけではない。猫の「彼女」もそうだった。猫の場合、多産のケースが多いので、知り合いからもらうケースがほとんどだが、「彼女」の場合、飼い主はネットで見つけてお金を払って買ってきた。飼い主が頭をなでようとすると「彼女」は爪を出して威嚇する。猫の場合、飼い主に抱っこされることに抵抗がないものだが、「彼女」はそうではなかった。常に警戒し、知らない人が家に来ると、ベットの下に潜り込む。特に、子供が好きではない、というより怖がる。

 飼い主にはなついたが、訪問客に愛想のよくない子猫に飼い主は少々辟易している。「彼女」の場合、多分最初の飼い主に叩かれ、蹴られたりしたのだろう。人に無防備で身を委ねることがない。常に何かに怯え、警戒心を解かないのだ。

 犬の「彼」も猫の「彼女」もイラクやアフガニスタンで戦場を体験し、強烈な体験をしてきたわけではないが、生まれた直後の最初の飼い主との出会い、扱われ方が「彼ら」の生涯、癒されることない痛みとなっているわけだ。

 PTSDの犬猫は決して少なくない。飼い主から愛された犬や猫はその天来の美しさ、愛らしを発揮し、飼い主に美と喜びを返すが、そのような人生を送ることができず、生涯、その痛みを背負って生きている犬や猫がいる。

 ジョージ・H・W・ブッシュ元米大統領が愛してきた介助犬サリーはブッシュ氏が先月30日に亡くなり、棺にその遺体が納められた後も別離を惜しんでその場から離れず座り込んでいる写真が世界に配信された。サリーは飼い主のために全力を投入した幸せな日々を振り返っているのだろうか。犬が飼い主に最後まで忠実な姿勢を崩さないシーンは感動を呼ぶ。一方、PTSDに苦しむ犬や猫はそのような感動を体験できず、自身に刻印された過去の痛みを背負っている。不公平だといえば、不公平だが、そんな不満を決して漏らすことなく、「彼ら」は生きている。

「散歩」とピープルウォーカーたち

 散歩も学問だと初めて知った。独週刊誌シュピーゲル(6月9日号)が「散歩」について興味深い記事を書いていた。人間だけが目的がなくても、歩みだす、すなわち、散歩する存在だというのだ。「今からちょっと外に散歩する」と言い残して出かける愛犬や猫は多分、いないだろう。

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▲夜の闇に浮かぶ教会の塔(2018年7月27日、ウィーンで撮影)

 散歩学は独語で Promenadologie(英 Strollology)と呼ばれ、スイスの社会学者 Lucius Burckhardt が1980年代に考え出し、独カッセル大学で学問として広がっていった。散歩学は、人が環境をどのように認識し、人と環境の間の相互作用などを分析する学問という。それだけではない。散歩は「何か大きなことを考える手段」となるという。日常茶飯事の出来事や災いに思考を集中せず、宇宙とは、何のために生きるのかなど、喧騒な日々、忘れてしまった「大きなテーマ」について、歩きながら考えるのが散歩学の醍醐味という。

 確かに、文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749〜1832年)もデンマークの哲学者セーレン・キュルゲゴール(1813〜55年)も、あの“楽聖”ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827年)も毎朝、目が覚めると、朝食前に30分ほど散歩したという。ウィーンの森には「ベートーヴェンの散歩道」と呼ばれる場所があるほどだ。そして「大きなテーマ」について考え、特にはインスピレーションを得たわけだ。ベートーヴェンは散歩時には常に鉛筆と紙を持参していたという。われわれはキュルゲゴールでもベートーヴェンでもないが、それでも「大きなテーマ」について懸命に思考を集中するのもいいだろう。

 欧米社会では愛犬と散歩する時間がない人に代わって犬と散歩する人がいる。もちろん、手数料を払う。ところで、シュピーゲル誌によると、散歩したくても1人ではしたくない人のために一緒に散歩する人々が出てきた。新しいビジネスだ。一緒に散歩する人は People Walker と呼ばれるプロの散歩人だ。話しながら、何か大きなテーマについて語り合う。現代は全てがビジネスとなる時代だ。

 当方も散歩に出かけた。大きなテーマについて考えるためだ。今考えているテーマは、どうして「暗闇」が生まれたかだ。電気を消せば、部屋は暗くなるし、太陽が隠れれば暗くなる、なんて言わないでほしい。聖書の「創世記」によれば、「神は『光あれ』と言われた。すると光があったという。そして神は光とやみとを分けられた」というのだ。

 そこら辺の神の創造プロセスについて、米TV番組「スーパーナチュラル」(Supernatural)のシーズン11は興味深いストーリーを展開させている。神は光を創造するために妹の「暗闇」(ダークネス)を押し込めてしまった。神は大天使ルシファーと連携して妹「暗闇」を閉じ込めることに成功するが、終わりの時には閉じ込められていた暗闇が出てくる。その暗闇(アマラ)は兄に負けないほどパワフルな存在だ。「神」と「悪」の2元論の世界ではなく、“神のファミリー物語”として描かれている点が非常にユニークだ。

 宇宙には暗黒物質が存在する。寿命が切れた星はブラックホールに吸収され、消滅していく。暗黒は決して空想の存在ではなく、宇宙のかなりの部分が暗黒物質で満ちているというのだ。

 散歩しながらここまで考えてから自宅の仕事場に戻ってきた。次の散歩では「光と闇はどのようにして共存できるか」について考えていこうと思っている。

「不安」はどこからやってくるか

 人間はいつ頃から「不安」を感じるようになったのだろうか。出生と共にDNAに刻み込まれていた「不安」が飛び出してきたのだろうか。それとも成長し、社会経験を積み重ねていくプロセスで「不安」が生まれてきたのだろうか。

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▲エドヴァルド・ムンクの「叫び」

 人はスーパーマンを考え出し、それに憧れるのはスーパーマン自身が「不安」から遠い存在だからではないか。困った人を救う一方、自身は無敵だ。たとえ撃たれたとしても死なないし、明日の生活のために眉間に皺を寄せることもない。
 私たちが密かにスーパーマンに憧れるのは、彼の超能力ではなく、彼が「不安」から解放された存在だからではないか。

 もちろん、「不安」にはさまざまなカテゴリーがあるだろう。生活の糧、健康問題、将来の行方など、いろいろな状況は考えられる。仏教の釈尊が指摘した四苦(「生」「老」「病」「死」)は人間の原始的な「不安」の本源かもしれない。

 マイクロソフト創設者・世界的富豪のビル・ゲイツ氏には「不安」はないだろうか。明日の糧は大丈夫だ。自身の健康状況は常に世界最高の医者によって管理してもらっている。何か生じたら即対応できる体制が敷かれている。それではゲイツ氏はスーパーマンのように「不安」がない存在だろうか。想像するだけだが、彼にもやはり「不安」があるはずだ。

 世界最強国の米大統領、トランプ氏に「不安」はないだろうか。明らかに「ある」だろう。70歳を超えた人間が感じる体力の衰えから政治の世界での権力抗争まで、「不安」はひょっとしたら通常の平均的人間より多いかもしれない。トランプ氏の一貫性のない言動や物議を醸すツイター発信は自身の「不安」を隠蔽するための一種のガス抜きかもしれない。

 社会のトップ層から最下層まで人は等しく「不安」を感じながら生きていると考えて間違いないだろう。「不安」を共有しているという点で人間は平等だ。文豪フョードル・ドストエフスキーは「不安は人間への天罰だ」と述べた。

 宗教の世界はこの世の「不安」から解脱を願い、至上の存在に帰依することを求めるが、この世の宗教人も残念ながら「不安」から解放されていない。
 オウム真理教に入った青年は「信仰生活が長くなり、グループ内の問題が見えてきてもそこから脱退することは至難だった」と証言している。「不安」が脱退を阻止し、問題をカムフラージュし、正当化することで生きてきたというのだ。宗教指導者は信者に「不安」を煽ることで組織への忠誠を求める。いずれにしても、赤子の寝姿は平和で安寧のシンボルのように受け取られるが、赤子に「不安」がないと誰が確信もっていえるだろうか。

 経済人、政治家、宗教者、その社会的階層、職務とは関係なく、「不安」は社会に席巻し、人々の言動をコントロールしている。ドイツ語で「不安は最悪のアドバイサー」(Angst ist ein schlechter Ratgeber)という表現があるが、私たちの日々の生活、その活動は「不安」によって誘導され、操作されている面が少なくない。社会はさまざまな「不安」で充満しているから、それがある日、暴発したとしても不思議ではない。

 どのような社会保険、災害保険、生命保険に加入したとしても、「不安」は消えない。「人間の宿命」として「不安」を迎え入れ、諦観するしか選択肢がないのかもしれない。
 もちろん、「不安」という感情は決してマイナスだけではない。一種の自己保存として人間の原始的反応と受け取ることができる。「不安」のない存在は無意味な冒険で命を失う危険性が高い。「不安」があるから、人は知性的に反応し、安全を求め出すわけだ。ワイルド資本主義社会では「不安」も大きなビジネスとなる。

 世界の動きを見ていくと、その原動力が「不安」に基づいているケースが多いのを感じる。難民・移民問題から政治紛争まで、「不安」への対応だ。論理的思考の結果ではなく、愛や利他、連帯から誘発されたものでもない。言動の最大動機は「不安」なのだ。人間は生来、そのような存在か、それとも何かを失ってしまった結果だろうか。

 人は「不安」を動機した言動に自然と反発を感じることがあるが、人を無条件に感動させるのはやはり「愛」や「利他心」に基づいた言動だろう。

人生をやり直しできたら……

 最近、2本の映画を観た。一本は「僕だけがいない街」(原作三部けい)というタイトルの日本のサスペンス・シリーズ、もう1本は2017年公開「アメイジング・ジャーニー、神の小屋より」という映画だ。舞台も登場人物、そのセッティングも違うが、共通点は主人公が過去の失敗、挫折した問題を“その時”に戻り、やり直し、修正し、最後は過去の問題を克服していくという点だ。

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▲アラスカのオーロラ(米空軍関係者が撮影)ウィキぺディアから

 前者は、売れない漫画家・藤沼悟がリバイバルという特殊能力(タイムリープ)で過去に戻り、自分とその周囲で発生した連続殺人事件の犯人を見つけ出すストーリーだ。過去に生じた殺人を回避し、犯人に殺された母親や友だちを救っていく。後者は、主人公マック(サム・ワーシントン主演)はキャンプに3人の子供たちと出かけた時、愛する末娘を悪者に誘拐され、殺されるという悲劇に遭遇し、自己責任を感じてきた。その若き父親マックにある日、神からの招待が届き、山小屋に行き3人の男女(神)と出会う。神とのやり取りを通じて次第に自責に悩む心を癒し、末娘の死後、バラバラとなった家族関係を取り戻していく。原作は世界的にベストセラーとなったウィリアム・ポール・ヤングの小説「神の小屋」だ。

 ここまで書いていくと、米映画「オーロラの彼方へ」(原題 Frequency、2000年)を思い出す読者がいるだろう。人生をやり直し、失った家族や人間関係を回復していくストーリーのパイオニア的作品だ。
 あの米俳優ジェームズ・カヴィーゼルが警察官役で登場している。オーロラが出た日、警察官になった息子が無線機を通じて殉職した消防士の父親と話す場面は感動的だ。ストーリーは父親の殉職と殺害された母親の殺人事件を回避し、最後は父親、母親と再会する。
 同映画は人生の失敗、間違いに対してやり直しができたら、どれだけ幸せか、という人間の密かな 願望を描いた名作だ。

 サクセスフルな人生を歩み、多くの富と名声を得た人でも、「あの時、こうしておけば良かった」「どうしてあのようなことをしたのか」と時に呟くことがあるだろう。生まれて死ぬまで100%計画通りに歩んできた人間などいない。程度の差こそあれ、さまざまな後悔や無念の思いを抱きながら生き続けている(「敗北者の『その後』の生き方」2016年11月20日参考)。

 話は飛ぶ。21世紀の宇宙物理学者たちは、宇宙がビックバン後、急膨張し、今も拡大し続けているというインフレーション理論を提唱している。宇宙誕生当時に放出されたさまざまなマイクロ波が現在、地球に届いているという。
 ところで、宇宙が直線的に膨張、拡大しているのであれば、いつか終わりを迎えると考えざるを得ない。直線運動には始まりがあると共に、終わりを想定せざるを得ないからだ。その点、円形運動は永続性がある。

 漫画家・藤沼悟、マック、そして警察官ジョンは人生をやり直し、失敗や過ちを修正し、本来願ってきた状況に戻っていったように、人間の一生、大きく言えば、人類の歴史は、同じ状況を繰り返しながら、過ちを修正し、本源の世界にたどり着こうとしているプロセスではないか。

 その内容をキリスト教的にいえば、人類始祖のアダム家庭で生じた全ての問題(アダムとエバの原罪問題やカインのアベル殺人など)を清算し、やり直し、アダム家庭が失敗しなかった状況まで元帰りする道ともいえるのではないか。大著「歴史の研究」で知られている英国の歴史学者アーノルド・J・トインビーは、「歴史は何か同じ内容を繰り返しているように見える」と喝破しているほどだ。

 人類の歴史が「アダム家庭」への回帰プロセスと考えれば、現代人が久しく失ったと感じてきた「理想」が蘇り、われわれに希望があることに気が付く。たとえ、タイムリープの特殊能力がなく、過去と無線機で通話できるオーロラが現れず、「神の小屋」への招待状が届かなかったとしても、一日一日、本源の地を目指し感謝しながら歩んでいきたいものだ。
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