ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

日常雑感

遥かな宇宙から私たちへのメッセージ

 ビックバンの大爆発で宇宙が形成されたのは今から約138億年前という。私たちが住む地球が誕生したのは約46億年前だ。その地球に人類が誕生したのは約500万年前だ。宇宙の形成プロセスを振り返ると、ビックバンから飛び出した莫大なエネルギーから水素、それからヘリウム、そして様々な素粒子、原子、分子が生まれ、星が誕生していった。インフレーション論によれば、宇宙は今日も膨張を続けている。最も興味深い点は、宇宙に広がった最初のエネルギーは完全に消え失せることなく、形態を変えながらも今も存在し続けているという事実だ。

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▲「地球」NASA公式サイトから

138億年、46億年という天文学上の数字を振り返る時、私たちの前に、悠久な歴史が既に経過してきたという事実が胸に迫ってくる。長い天文学的年数から見たならば、私たちが生きてきた歴史は瞬きするほどだろう。

 思考を宇宙の世界に拡大していくと、人類の歴史が瞬間に過ぎず、そこで生きている人間が微々たる存在に感じ、心細くなってしまう。

 天才の物理学者アインシュタインは教会の教えや聖書の世界の神を信じなかった。それらは伝説に過ぎないと受け取っていたからだ。しかし、神の存在は否定していなかった。彼はオランダの哲学者スピノザの神観(汎神論)に感動していた。アインシュタインは眼前の宇宙、森羅万象が余りにも秩序正しく、一定の公式に基づいて運営されていることに感動し、敬意すら払っていた。サムシング・グレートな存在への敬意とでもいえるかもしれない。その意味で、彼は無神論者ではなかった。

 2022年、ノーベル物理学賞を受賞した世界的な量子物理学者アントン・ツァイリンガー教授は、「偶然でこのような宇宙が生まれるだろうか。物理定数のプランク定数(Planck Constant)がより小さかったり、より大きかったならば、原子は存在しない。その結果、人間も存在しないことになる」と指摘している。宇宙全てが精密なバランスの上で存在しているというのだ(「量子物理学者と『神』の存在について」2016年8月22日参考)。

 悠久な時間が織りなす宇宙は時に人を威嚇することもあるが、地球という惑星で居住する人類は選ばれた存在ではないかと感じる。なぜならば、ツァイリンガー教授がいうように、地球には全てが整い、その一つでも欠けていたなら人は存在すらできなかっただろうと思うからだ。

 満天の夜空を見ることができるなら、ビックバンが起きた138億年前や地球が誕生した46億年前が昨日の出来事のように私たちの心を捉えるかもしれない。

 宇宙空間には銀河が至るところにあり、それぞれが数十億の星、惑星、衛星を持つ独自の世界を広げている。人間という“種”や冥王星までの太陽系全体も大宇宙の中では砂漠の砂粒にもならない、という思いが自然に沸いてくる。それは人間や地球を卑下するものではなく、圧倒的な宇宙の広がりへの畏敬、といったほうが当たっているだろう。

 宇宙は喧噪な日々を生きる私たちの心を解放し、無限な空間まで広げてくれる。私たちが生まれるずっと前から、宇宙は存在してきたということは、私たちは宇宙の孤児ではなく、私たちが生まれてくるために長い準備があったことを教えてくれる。

言葉(ロゴス)の話と量子の世界

 ドイツ語圏での話だ。若い女の子がマクドナルドでハンバーガーを食べている。「美味しいね。とてもグートよ」と言った。その数年後、別の女の子が同じようにハンバーガー食べて「これはウア・グートね」と親指を立てる。数年後、別の女の子が「フォル・グート!」と言いながらハンバーガーを食べる。そして最近、若い女の子がハンバーガーを食べて「これはブルタールよ」と感動したのだ。

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▲言葉の宝庫、オーストリア国立図書館内のプルンクザール、2025年2月15日、ウィ―ンで撮影

 すなわち、女の子はハンバーガーを食べて「good」、「urgood」、「vollgood」、そして「brutal」と叫んだのだ。意味することはほぼ同じで、「ハンバーガーは美味しい」ということを表現したものだ。しかし、「good」から「brutal」まで時間の経過がある。言語学者によると、「美味しい」という意味の形容詞によって、その女の子が1990代生まれか、2000年世代か、それとも2010年の世代かがおおよそ検討が付くというのだ。例えば、1990年代の女の子の場合、ハンバーガーを食べても決してフォルグートとは言わない。

 言葉は進化する。進化しなくなった言葉はラテン語のように死語となってしまう。上の例で分かるように、「美味しい」という感動を表現する場合も時代によって少しずつ変わっていく。それだけではない。時代の経過と共に言葉の意味も変わっていくケースがある。例えば。「ゲイ(Gay)」は21世紀では同性愛者を意味するが、それは最近のことだ。ゲイは本来、「陽気な」「快活な」「明るい」 という意味だった。現在の「同性愛者」という意味は1945年前にはなかった。言葉の発展史を観ていくと、時代と共に言葉もその意味も少しずつ変化していくことが分かる。

 ところで、ユーチューブのシンプリィライフの動画「量子と脳」によると、「量子の世界からみると、世界は情報から成り立っている」という。物質の局所性も実存性も存在せず、脳内で処理された情報だけが存在する。世界はひょっとすると2次元のホログラムではないかといった世界を紹介していた。ただ、情報も言葉によって認識されて作成されたものだから、大きく言えば、世界は言葉から成り立っているといえる。

 そこで新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章の書き出しの「初めに言(ロゴス)があった。言は神と共にあった。すべてのものは、これによってできた」という有名な聖句が思い出される。同聖句は、現代の最先端を行く量子力学の「世界は情報から成り立っている」という世界観と重なってくる。

 ロゴスに関して興味深い聖句がある。一つは旧約聖書創世記第3章だ。人類の始祖アダムとエバが神の戒めを破ったことを知った神は人類が神のように善悪を知るものとなったことを憂い、人が命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれないことを恐れ、人をエデンの園から追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて命の木の道を守らせられた、と記述されている。 

 もう一つは同じ創世記第11章には「バベルの塔」の話が記述されている。 人びとは天にも届く高い塔を建てようとした。人間の高慢さに怒った神は,言語を混乱させ,人びとを各地に散らして完成を妨げたという話だ。

 「バベルの塔」の話から、神がケルビムと回る炎で守ろうとした「命の木」とは、神のロゴスではなかったか。なぜならば、「ヨハネによる福音書」第1章によれば、宇宙、森羅万象、全てが神の言葉から成っている。その神のロゴスが創世記で創造の源という意味から「命の木」として象徴的に表示されているのではないか、という解釈が出てくる。

 聖書「すべてはロゴスから成り立っている」は量子力学「世界は情報から成り立っている」と酷似している。ただ、神の創造した世界(宇宙)が平坦で、ホログラムの世界かは分からない。

 ロゴスは即情報とはいえない。ロゴスが集合して情報が生まれてくるのではないか。戦争や紛争は情報の混乱であり、ロゴスが恣意的に悪用された結果ともいえるのではないか

「良心の囚人」と呼ばれた人々

 冷戦時代、旧ソ連・東欧共産圏では多くの政治囚人が刑務所に拘束されていた。欧米メディアは政治囚人を「良心の囚人」と呼んでいた。自身の政治信念、信仰ゆえに共産政権から拘束され、刑務所や牢獄に監禁されてきた人々だ。反体制派の政治指導者、キリスト教会の指導者など、その出自は多様だったが、共通していた点は自身の良心の声に従って語り、行動した人々だ。

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▲ウィーンの国連で開催されたホロコースト追悼集会で祈るユダヤ教のラビ、2015年1月27日、ウィーン国連で撮影

 「良心の囚人」という表現は、実際に犯罪を犯したわけではなく、主に冷戦時代に、政治的、宗教的、または哲学的な信念を理由に不当に拘束された人々を指す言葉として使われた。アムネスティ・インターナショナル(国際アムネスティ)が広めた概念でもあり、「良心の囚人」と認定された人々の釈放を求める活動を行ってきた。

 ソビエト連邦下の活動家、1980年代初頭のポーランドの「連帯」運動、中国の民主活動家は良心の囚人のカテゴリーに該当した。1989年の天安門事件後、民主的改革を求める活動を行っていた多くの学生や市民が中国政府によって逮捕され、その多くは「良心の囚人」だった。

 最近では、昨年2月16日、刑務所で獄死したロシアの反体制派活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏だ。毒殺未遂を経験し、病が癒えるとすぐにロシアに戻っていった人間だ。戻れば死が待っていることを知りながら、祖国ロシアに帰国した。ナワリヌイ氏は誰かからそれをいわれたからそうしたのではなく、自身の心の内からの声、良心の囁きに耳を傾けて生きていった人間だ。それを良心の囚人と呼んできた。

 イギリスの小説家ジョージ・オーウェルの小説「1984年」を思い出した。ビック・ブラザーと呼ばれる人物から監視され、目の動き一つでも不信な動きがあったら即尋問される。何を考えているのか、何を感じたかなどを詰問される世界だ。そこでの合言葉は「ビック・ブラザー・イズ・ウオッチング・ユー」だ。2+2=5を信じなければならない世界だ。過去の多くの良心の囚人はその世界を体験した。

 中国では非常にモダンな監視システムが既に実行されている。中国の「社会信用スコア」システムだ。中国共産党政権は2014年、「社会信用システム構築の計画概要(2014〜2020年)」を発表した。それによれば、国民の個人情報をデータベース化し、国民の信用ランクを作成、中国共産党政権を批判した言動の有無、反体制デモの参加有無、違法行為の有無などをスコア化し、一定のスコアが溜まると「危険分子」「反体制分子」としてブラックリストに計上し、リストに掲載された国民は「社会信用スコア」の低い二等国民とみなされ、社会的優遇や保護を失うことになる。

 昔も現在も、独裁国家では国民を監視するシステムを構築されている。「密告社会」はその典型だろう。親が子を、子が親を、そして妻が夫を密告する社会だ。それを通じて、人を信じる、愛することが難しくなっていく。そのような中でも、良心だけは依然、誰にも宿しているから、その良心の声に耳を傾ける人間が出てくる。彼らの多くは独裁者によって抹殺されたり、殉教の道を行く。

 それでは、「良心の囚人」は無意味か。そうではない。アウシュビッツ強制収容所で他の囚人のユダヤ人のために身代わりになったマキシミリアノ・コルベ神父がいた。同神父は神の声をその良心で聞き、それに従った。その話はアウシュビッツ収容所が解放された後、多くの人々に述べ伝えられ、多くのユダヤ人を慰めた。

 独裁者は人間の中にある良心の声を恐れるから、徹底的に人間の尊厳を傷つける手段でその良心を黒いカバーで覆い隠そうとする。しかし、良心を抹殺することは出来ない。人間の魂に刻印された良心は民族、国家を超えて全てに埋め込まれている。だから、神はその良心というチャンネルを通じて語りかけることができるわけだ。良心がなければ、神も人間に働きかけることはできないはずだ。

 1月27日は「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」 (International Holocaust Remembrance Day)であり、追悼行事が各地で開催された。そして来月16日はナワリヌイ氏の2周忌を迎える。

新年のモットーは「希望」を救えだ

 2024年もあと2日を残すばかりとなった。そこで最近聞いたり、読んだりして感動した2つの話を忘れないために書いておく。

 ドイツ高級紙「ツァイト」オンラインから定期的に記事が送られてくるが、今回は2025年に向けてポジティブな声が特集されている。それも「ツァイト」オンライン編集記者たちの生の声が紹介されている。その中で一人の女性記者の話が心に響いた。彼女は妊娠している。ジャーナリストの彼女は世界の情勢や人間の尊厳が傷つくような世相の中に生きていることを知っている。「このような世界に新しい命を迎えることができるだろうか」といった不安があるはずだが、「私は年の初め、暗くて寒い季節、春がまだ遠い時期が好きではありません。でも2025年は2月が楽しみです。私たちは第一子を期待しています」と書いている。

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▲火星から観た地球と月の画像
 NASA公式サイトから 

 もう一つの話を紹介する。ナチス・ドイツが台頭してきている時代に生きた2人のユダヤ人作家の話だ。希望を見いだせなかった時代だ。ヨーゼフ・ロートとシュテファン・ツヴァイクの2人の作家は友人で、頻繁に書簡を交換していた。ロート(1894年〜1939年)は東欧ウクライナ出身ののユダヤ人であり、家族はユダヤ教正統派だった。彼もユダヤ教を信じていたが、後半、カトリック教会にひかれていく。ジャーナリストとして活躍しながら小説を書く。そのような生活の中で次第にアルコール中毒となっていく。住む家もなく、ホテル住まいの生活の中で多くの著名な作品を書いていく。一方、ツヴァイク(1881年から1942年)は豊かなユダヤ人家庭の出身で、金には困らなかった。ベストセラー作家として人気を博していた。ロートから助けてほしいという手紙をもらうと、彼はお金を送って助けている。ロートが金が入るとすぐに酒を買い、他の貧しいユダヤ人に金をばらまくのを知っていたので、後半はホテル代を払うが、余分なお金がロートのもとに残らないようにしながらも支援している。

 文学評論家たちによると、ツヴァイクはロートの才能を高くかっていたという。「ロートならば、酒を飲まず本を書けば凄い小説が生まれる」と信じていたからだ。ロートは神を信じていたが、苦しい生活の中でアル中毒が原因で最後は亡命先のパリで40代半ばで亡くなる。一方、ツヴァイクは人間を信じていた。困った人間がいればいつも助けようとしたが、ナチスが台頭する頃には彼を裏切る友人も出てきた。ロートは神を信じ、アル中で死去、ツヴァイクは人間を信じ、最後は亡命先のブラジルで妻と共に、 自分で亡くなった。希望が見いだせないナチス・ドイツの台頭時代に生きた才能ある2人のユダヤ人作家の生涯は壮絶なものがあった。

 2024年は激動の年だった。ロシア軍のウクライナ侵略戦争は依然停戦の見通しはなく、目を中東に移すと、イスラエルとパレスチナ自治区ガザのイスラム過激テロ組織「ハマス」との戦い、そして戦火はレバノンにも広がった。シリアでは50年以上独裁世間を続けてきたアサド父子政権は崩壊し、反体制派勢力による暫定政権が発足したばかりだ。シリアが来年。民主化の道を歩みだすか、それとも武装勢力間の内戦が再発するかは分からない。スーダンでも内戦状況が続いている。その一方、中国共産党政権は核戦力を強化し、台湾再統合を狙っている。北朝鮮の金正恩総書記はロシアとの軍事協定を締結し、軍事大国化の道を歩み出そうとしている。

 バチカンは24日、新たな「聖年」の幕開けを宣言した。「聖年(Holy Year)」とは、カトリック教会において特別な霊的恩恵を受けるための年を意味し、ローマ教皇によって宣言される。「聖年」は、罪の赦し(免償)を得たり、信仰を深めたりするために設定される特別な年で、カトリック教会の伝統だ。「聖年」の幕開けは、ローマ教皇が大聖堂にある「聖なる戸」(Holy Door)を開ける象徴的な儀式から始まる。これは、神への道が特別に開かれることを象徴的に見せているという。

 バチカンは2025年の「聖年」のテーマに「希望」を選んだ。私たちは「希望」に飢えているからだ。コロナ・パンデミックで世界で700万人以上が犠牲となった。戦争や紛争だけではない、世界至る所で貧富の格差は拡大する一方、情報は溢れ、心の安らぎを見出すことが容易ではない。私たちは今、持続的な「希望」を必要としている。閉塞感を乗り越え、明日に対する希望をどこに見つければいいのだろうか。

 ここまで書いてきて、「希望を探す」のではなく、「希望を失わないこと」ではないかと思わされた。このコラム欄でも数回紹介したが映画「希望を救え」のタイトルを思い出したのだ。病院で最高の外科医と言われていた主人公が交通事故でコマ状況(昏睡)に陥り、体から霊が抜け出し、霊人と対話できるようになったことからこの映画のドラマは始まる。霊人との交信を通じて、患者たちを救っていくストーリだ。テーマは「希望」を探すのではなく、既にある「希望」を失わないように、救済することだ。私たちの周囲には本来、希望が至る所に顔を出しているのではないか。

 2024年の一年間、お付き合いしてくださいまして有難うございました。新年が皆様に希望溢れる年となりますように。 

石破首相と「公邸の幽霊」の相性は?

 日本のメディアは27日、石破茂首相が間もなく公邸に引っ越しする予定だと報じた。引っ越しに際しての石破首相の説明がいい。「自分はオバケのQ太郎世代だから、(幽霊は)たいして怖くない」というのだ。「公邸」と「幽霊」の話は長い。首相時代に公邸に住んだ首相もいたが、さまざまな理由から公邸に引っ越しするのを避けた首相もいた。当方は11年前、「公邸の幽霊は人を選ぶ」というコラムを書いた。首相の立場からではなく、幽霊の視点から、幽霊も首相を選んで出現するという内容だ。

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▲自由民主党総裁選で当選が決まり、祝福の拍手を受ける石破氏 
 自民党公式サイト、2024年09月27日

 このコラム欄の読者の皆さんは既にご存じだと思うが、当方は過去、幽霊については結構、頻繁に書いてきた。幽霊は当方には欠かせられない現実の存在だからだ。幽霊の存在や彼らの考えを理解しないと、問題が解決できないことがあるからだ。それだけ、幽霊は地上で生きている人間にさまざまな影響を与えているのだ。

「幽霊」といえば、どうしても書かざるを得ない話がある。スウェーデンの国民作家と呼ばれるヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(1849〜1912年)は霊魂をキャッチするためにガラス瓶をもって墓場に行ったというのだ。また、スウェーデンのカール16世グスタフ国王の妻シルビア王妃は、首都ストックホルム郊外のローベン島にあるドロットニングホルム宮殿について「小さな友人たちがおりまして、幽霊です」と述べたことがある。ドロットニングホルム宮殿は17世紀に建設され、世界遺産にも登録済み。王妃は、「とても良い方々で、怖がる必要なんてありません」と強調している。国王の姉クリスティーナ王女は『古い家には幽霊話が付きもの。世紀を重ねて人間が詰め込まれ、死んでもエネルギーが残るのです』と説明しているほどだ。日本の皇室関係者が「幽霊」の話をしたとは聞かない。日本には幽霊がいないのではなく、幽霊が反社会的な存在として嫌われているからかもしれない。

 欧米の映画やTV番組では幽霊はまだ生きている人間と同じように取り扱われるケースが多い。その意味で、幽霊は欧米社会では市民権を有している。日本の場合、幽霊は単に好奇心や恐怖心の対象として取り扱われることがまだ多いのではないか。

 当方が好きな映画「希望を救え」では病院で最高の外科医と言われていたチャーリーが交通事故でコマ状況(昏睡)に陥り、体から霊が抜け出し、霊人と対話できるようになったことからこの映画のドラマは始まる。事故から回復し、再び勤務するチャーリーは手術中に意識を失った患者が霊人となって自分の前に現れ、話しかける体験をする。患者は自分の病歴などをチャーリーに話したり、家族問題を相談する。チャーリーは最初は驚いたが、霊の存在を次第に生きている人間のように感じ、コマ状況で霊が肉体から離れてしまった患者の人生相談に応じる。チャーリーが手術前から患者の病気の原因を知っていることに同僚の医師たちは驚く。チャーリーには患者が教えてくれたのだ。

 また、カナダのTV映画には霊人(幽霊)が出てくる番組が多い。カナダ騎馬警察官の活躍を描いた「Due South」や、劇団の世界を演出した「スリングス・アンド・アロウズ」もそうだ。それもホラーな怖い話ではなく、霊人が日常生活の中で自然に出てきて、生きている人間と会話を交わすストーリーが多い。   

 日本のメディアでは一時期、安倍晋三氏が首相時代、なぜ公邸に住まず、私邸から首相官邸に通っているのかで話題を呼んだことがあった。その際、公邸には幽霊が住んでいるからではないか、といわれたほどだ。それなりの理由が報じられた。産経新聞によると、「公邸は昭和11年、旧陸軍の青年将校が起こしたクーデター『2・26事件』の舞台となっており、犠牲者の幽霊が出るとの噂話がある」という。

 安倍さんの後継者の菅義偉元首相は議員宿舎に寝泊まりしていたという。岸田文雄前首相は公邸に住んでいたが、幽霊騒動は聞かない。要するに、公邸の幽霊は誰でもいいというわけではないのだ。相性の合わない首相の前には出現しない。出てきてもそれが幽霊だと分らない首相の前には出てきたくないのではないか。

 幽霊の特性を知らなければならない。幽霊が出る場合、幽霊とその人物の間には何らかの関係があるはずだ。自分の性格を理解できないような人物の前に幽霊は出て来ない、というより出てこれない。幽霊が傍にきてもそのような人物は分からないからだ。幽霊は何らかのメッセージを地上の人物に託したいと願っている場合がある。地上で出来なかったことがあったら、地上の人物を通じて成し遂げたいと願うこともある。公邸の幽霊の場合も同じだろう。

 当方は石破首相の生い立ちや性格、政治家としてのキャリアを知らないから、石破さんと「公邸の幽霊」の相性は分からない。石破さん自身は「オバケのQ太郎の世代」だから、「幽霊は怖くない」と言われている。幽霊を漫画やTVの主人公のようなキャラクターと誤解されているのかもしれない。いずれにしても、石破さんが公邸に引っ越しされ、「昨夜、幽霊を見たよ」と記者団に語ることも決して排除できない。

 米テレビ番組「Dr・House(ドクター・ハウス)」でハウスが「人が神に話しかければ、『あの人は信心深い人』」といわれるが、神が彼に話しかけたといえば、『彼は狂人だ』と冷笑される」と語っていた。石破さんが「昨夜、幽霊を見たよ」といえば、「首相は度胸がある」と言われるかもしれないが、「幽霊が自分に話しかけてきたよ」と言って、その内容を語り出したら、記者団は「首相が可笑しくなった」といった記事を速報するかもしれない。

「4月の夏」が到来した

 オーストリアは筆者が住み始めた40年前はまだ春・夏・秋・冬の4つの四季が定期的に訪れたが、季節の移り変わりが次第に薄れ、カレンダーでは冬が到来したのに雪が降らないといったシーズンが増えてきた。今年もウィーンでは数回の雪しか降らなかった。

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▲散歩道の花壇(2024年4月5日、ウィ―ン16区で撮影)

 このコラム欄で数回書いたが、1980年初めごろ、オーストリアに住みだした時、知人が「ここに住むには冬には厚い外套(マンテル)が必要だよ」とアドバイスしてくれた。そこでかなり重いマンテルを買ったが、マンテルが必要な冬が到来しなくなったこともあって、マンテルをどこに仕舞ったか忘れてしまった。

 今年の2月、3月は気象庁観測史上もっとも暖かな月となった。そして4月に入った。本来ならば厳しい冬を終え、花や虫が出てきて一年でも最も過ごしやすい季節だが、5日の日中の最高気温は24度、7日には30度に迫るという。地中海からの高気圧に覆われ、週末には北アフリカから非常に暖かい空気がオーストリアに流れ込むというのだ。4月に真夏日が到来するわけだ。ちなみに、最も早い猛暑日(最高気温が35℃以上)はザルツブルク市で1934年4月17日に測定された。

 オーストリア気象庁の予測では、今後数日間の気温は、4月の第1週の平均値より約15度高くなる。標高1500メートルの山では最高20度、標高2000メートルでは15度まで気温が上がる。グロースグロックナー山頂でも気温は氷点以上になるという。少々異常な状況だ。4月も観測史上最も暑い4月となることは間違いないという。このトレンドが続くと7月、8月はどんな猛暑となるだろうか。

 当方は欧州で数回、40度以上の気温を体験した。チェコの首都プラハで40度以上を体験した時、ムーンとした熱風が頬を包む。風景がボーと沸騰しているように感じたことを思い出す。2018年の8月はウィーンでも40度を超えた(「『地球』に何が起きているのか」2018年8月8日参考)。

 「2022年地軸大変動」(松本徹三著)というSFを読んだことがある。地軸の大変動で熱帯地域から極寒帯地になるアフリカ大陸の人々を救うために世界の指導者たちは英知を結集。地軸の変動が開始する前にアフリカ国民を安全な地域に移住させようと史上最大規模の移住計画が立てられる。アフリカは多くの犠牲を払いながらも、アフリカ連邦共和国として存続していくという話だ。ハッピーエンドだが、非常に啓蒙的な話だ(「『2022年地軸大変動』を読んで」2021年11月7日参考)。

 東日本大震災(2011年3月11日)では地球の地軸が僅かだが動いたと聞いたことがある。地球温暖化は久しく警告されてきた。地球温暖化には人類の責任が問われるかもしれないが、地軸変動は人類の責任というより、惑星地球の運命と受け取るべきかもしれない。

 参考までに、米航空宇宙局(NASA)は2021年11月24日、地球に接近する小惑星の軌道を変更させることを目的とした「DART」と呼ばれるミッションをスタートさせた。未来の地球の安全を守るためにNASAと欧州宇宙機関(ESA)が結束して「地球防衛システム」を構築するためのビッグプロジェクトだ。DART計画は、宇宙探査機(プローブ)を打ち上げ、目的の小惑星に衝突させ、小惑星の軌道の変動を観察する実験だった。NASAの管理者、ビル・ネルソン氏は2022年10月11日、小惑星衛星ディモルフォスの軌道が9月のDART探査機の衝突の結果、その軌道に影響があったと語ったのだ。ディモルフォスがディディモスを周回するのにこれまで11時間55分かかっていたが、現在は11時間23分だ。人類は惑星の運命すら変えようとしているのだろうか(「天体の動きを変えた人類初の試み」2022年10月13日参考)。

 当方は「4月の夏」を迎えたアルプスの小国オーストリアの気象の変動から人類の終末、黙示論的な世界を描く意図は全くないことを断っておく。名探偵シャーロック・ホームズが友人ワトソン博士に「君は僕と同じように見ているが、僕のようにそれを観ていない」と語る場面がある。当方は努力して少しでも観ていきたいのだ。

 4月に30度の気温を体験することは気象学的には少なくとも正常ではない。めったにないことだから、「4月の夏」をエンジョンすればいいだろう、という意見もある。長い地球の歴史には過去、同じようなことがあった。驚くことはない、と楽観視することも可能だろう。

 ところで、イエスは「いちじくの木から譬を学びなさい。その枝が柔らかになり葉が出てくると、夏が近いことが分かる」(「マルコによる福音書」第13章)と述べ、時の徴(しるし)を見逃してはならないと警告を発している。当方は「4月の夏」の訪れに一種の緊張感と戸惑いを感じている。

キーボードから「T」が消えた

 あったものが無くなることは寂しいことだ。それだけではない。無ければ仕事ができなくなる場合が出てくる。当方のノート版PCのキーボードの「T」が使えなくなったのだ。文字キーの劣化だ。当方は現在のコンピューターを10年余り使用しているから、キーボードの文字の一つ、二つが使用できなくなることは十分あり得ることだ。

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▲接続した新旧キーボード(2023年8月14日、撮影)

 ところで、当方は15年余り、ほぼ毎日、少なくとも1本はコラムを書いてきた。総数は約6000本ぐらいだ。いつも同じPCでコラムを書き続け、キーボードを叩き続けてきた。そのキーボードで「T」の文字が叩いても出てこなくなったのだ。最初はウイルスでも入ってきたかと考えた。幸い、他の文字は普通通りだったので、「T」の時だけ他のコラムの箇所から文字をコピーしてカバーしてきた。

 しかし、毎回使用できなくなった「T」代わりの文字コピーでは追いつかなくなってきたのだ。今回のコラムの見出しの中に、何度「T」が必要か計算してほしい。たった一行の文章に4回の「T」が必要となる。30行のコラム全体で何回の「T」が必要か考えみてほしい。代わりの文字を探したり、他の箇所からコピーする仕事は少々原始的であり、やはり疲れてくるものだ。

 1本のコラムを1時間でほぼ書き終えてきたが、「T」が消えてしまった後、コラムを書き終えるのに2時間以上かかるようになった。時間と共に、神経がイライラし、同時に、持病の高血圧が上がってくる。「T」がキーボードから消えて以来、コラム書きが健康を害する仕事となってきたのを感じ出した。抜本的な対策が急務となってきたのだ。

 それでも「T」が消えた後も苦戦しながらコラム書きに精を出していたら、なんと「T」の上方の数字「5」も出なくなったのだ。時たま、思い出したように出てくるが、その回数は次第に増え、とうとう数字「5」は「T」と共にうんともすんとも反応しなくなったのだ。

 「5」の不在は深刻なハードルをもたらした。PCのスイッチを入れると、パスワードが要求される。普通の場合、全く問題がないが、キーボードから「T」と共に消えてしまった「5」はパスワードのメンバーだったのだ。「5」を叩かない限り、PCは起動しない。もはやアウトだ。幸い、キーボードには普段は使用しない別の「5」があるのに気が付いたので、それをタイプしたところ、PCはしばらく新しい「5」に戸惑い、直ぐには起動しなかった。しかし、書き手の必死の願いを感じたのか、PCは新しい「5」を受け入れてPCを起動させてくれたのだ。

 「T」と「5」が消えた後も、汗をかきながらコラムを書く姿を哀れに感じたのか、訪ねてきた息子が「アマゾンで新しいキーボードを注文すればいいよ」と言ってくれたのだ。当方はPCに新しいキーボードが利用できるとは思っていなかったので、「デスクトップと違うから、ノートパソコンの場合、新しいキーボードが接続できないのではないか」というと、息子は笑いながら、「大丈夫だよ。ワイヤーレスのキーボードを注文したから、明日には届くよ」というのだ。若い世代はIT関連の危機管理は素早い。

 今、アマゾンから届いた中国製のキーボード(Arteck)を使いながらコラムを書いている。使い方はシンプルだ。PCのUSBポートにワイヤレスのソケットを差し込むだけでキーボードは接続できる。

 新しいキーボードで「T」を押して、画面に「T」が写った時、感動した。「放蕩息子の話」ではないが、戻ってきた「T」と「5」にウエルカムするとともに、新しいキーボードを迅速に送ってきたアマゾンと息子に感謝した次第だ。

 当方は3日間、文字「T」と数字「5」のない苦しい生活を体験した。この3日間、日本語の文章には「T」がなんと多く使われているのかを学んだ。「T」の復活を願った3日間の戦いは決して無駄ではなかったと受け取っている。

 東京の知人は「自分の場合、KやFの文字キーが劣化したことがあるが、Tが劣化するとは珍しい」という。意識していなかったが、当方のコラムには「T」が通常より多く登場しているのかもしれない。今後は「T」をタイプする場合、優しく打たなければならない。

ウィーンから観た「スーパームーン」

 頭が疲れたりした時、独仏共同出資のテレビ局(アルテ)でよく宇宙に関する動画を観る。アメリカ航空宇宙局(NASA)の関係者が登場して宇宙開発の現状、現在進行中のプロジェクトについて丁寧に説明してくれる。どの動画だったかは忘れてしまったが、30年余り一つのプロジェクトに関わり、その成果ともいうべき宇宙観測機を搭載したロケットをスタートさせたばかりだった。その技術研究員が「今、スタートした宇宙開発機は数年後には目標の新しい銀河に到着する。そして搭載した宇宙観測カメラが写真を撮影して地球に送信してくれるはずだ。私自身はその写真を見ることが出来ないが、新しい世代の研究員がその写真を見るだろう」と語ったのだ。そのコメントに非常に新鮮な驚きを感じた。

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▲スーパームーン(2023年8月2日早朝、ウィーンで撮影)

 NASA研究員は自身の仕事の成果を見るまで地上で生きていないが、後輩の研究員がその成果を見て、新たなプロジェクトを作成していくことになるわけだ。宇宙を仕事の職場としている研究員、科学者は自分の世代でその仕事の実りを見ることがなく、次の世代に託していくことになる。寂しくはないのだろうかと思ったが、大きな課題に向かって、一人一人のその能力を発揮し、次の世代に成果を継承させていくことに奢ることもなく、失望することもなく、世代から世代へと継承していく姿に感動した。NASA研究員から「自分たちの仕事は次の世代の研究員に確実に継承されていく」という強い確信を感じた。 

 そのような仕事は現代、あまり多くはない。直ぐに結果が求められ、その是非が問われる仕事のほうが多いのではないか。その意味で、宇宙を見つめながら仕事に励むNASA関係者は特別な祝福を受けているわけだ。

 世代から世代へ継承しながら課題を解決していくといえば、神はその代表かもしれない。人類の始祖アダムとエバが神の戒めを破って、エデンの園から追放されたが、神はその1600年後、第2のアダム家庭としてノアの家庭を召命している。そのノア家庭も失敗すると今度は400年後にアブラハムを選び、自身の計画を継承させている。1600年、400年といっても現代の暦カレンダーを意味するのか否かは分からないが、明確な点は世代から次の世代と継承しながら課題の成就に向かっていることだ。イエス・キリストの福音は初期キリスト教時代の数世代を経過した後、定着していったように、偉大な課題であればあるほど、ある一定の時間が欠かせられなくなるわけだ。

 身近な例を挙げるとすれば、人類は昔はピラミットを建設するのに長い時間を要した。また、ウィーンのローマ・カトリック教会の精神的シンボル、シュテファン大聖堂は12世紀から建造が始まり南塔が完成したのは1359年だった。世代から次の世代に継承した仕事だった。

 科学技術の進展で建設の場合は時間を短縮できるようになったが、プロジェクトが大きくなればなるほど時間、時には数世代が必要となる課題がNASA関係者の他にもあるだろう。

 欧州宇宙機関(ESA)が打ち上げた宇宙望遠鏡「ユークリッド」からの初めての画像が7月31日に届いた、という外電が流れてきた。「地球から約150万キロ離れた目的の軌道に達し、搭載する赤外線観測装置を調整する際に撮影された試験的な画像で、無数の星の他、銀河の姿も捉えられていた。赤外線観測装置や可視光カメラを搭載するユークリッドは、7月1日に打ち上げられた。そのミッションには、宇宙空間の約70%を占めると考えられている『暗黒エネルギー(ダークエネルギー)』や同25%の『暗黒物質(ダークマター)』の謎に迫ることも含まれる」(時事通信)。

 2日未明、目を覚ました。居間が変に明るい。誰かまだ起きているのかと思ったが、月光が部屋に差し込んでいたのだ。忘れていたが、2日は月がスーパームーンの時だったのだ。クレーターが見えるほど大きく、はっきり見える。天文学ではペリジー・ムーンとも呼ばれ、通常の満月より7%大きく見え、17%ほど明るく見えるという。窓越しでしばらくスーパームーンを眺めた。黄金の時間だった。

 宇宙森羅万象は世代から世代へと長い時間帯で動いている。地上の人間はその日、その日の生活で喜怒哀楽を感じながら生きている。宇宙の様相はそんな人間に束の間だが世代から世代へと静かに流れる時間を感じさせてくれる。

 喧噪な社会に生きている私たちの人生はほんの束の間に過ぎない。ただ、次の世代が始まることで私たちの仕事も継承されていく、と思えば安堵感がくる。同時に、次の世代のために生きている人々に連帯感が湧く。同世代への愛こそ、民族愛、愛国心を止揚できるのではないか。当方はそれを「同世代の連帯愛」、ないしは「宇宙愛」と名付けたいほどだ。

21世紀の「ミニマリスト」の生き方

21世紀の「ミニマリスト」の生き方
 当方は最近、若者たちから「ミニマリズム」という言葉をよく耳にする。正直言ってその意味が分からなかった。美術界では「ミニマニズム」という芸術運動があったが、「ミニマリズム」は社会学的な意味を含んだ人生の生き方だ。そして若い世代でミニマリストと自称する人が結構増えてきているのだ。

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▲灼熱の太陽と一輪の花(バルコニーから、ウィーンで撮影)

 資本主義社会の消費文化で多くの商品(アイテム)、物質に囲まれて生きる日々から別れ、最低限度の物質だけを所持し、満足して生きていく脱消費文化とでもいえるかもしれない。ただ、1960年代から70年初めの「アンチ物質主義」、ヒッピーの出現といった社会現象ではなく、21世紀のミニマリズムは、物質の能率的な利用と快適な過ごし方を追求する「ポスト物質主義」の生き方といえるだろう。

 特に、コロナ禍の中で人々は生きていくうえで、何が必要で何がそうではないかを学んできた。20代、30代といった若い世代はコロナ禍時代の3年間で人生の生き方で再考を余儀なくされたのではないだろうか。

 生きていくうえで、どれだけの物質や機材が必要か。「絶対に必要なもの」、「あれば良い物」、「なくても生きていける物」、「ある必要がない物」、等々に分類できるかもしれない。オーストリアの日刊紙スダンダードによると、欧州の平均的な家は約1万点のアイテムを所有しているという。アメリカの平均的な家になると、なんとその3倍のアイテムを所持しているというのだ。アイテムに囲まれた生活だ。

 ミニマリズムは「シンプルは美しい」という哲学を人生で実践する生き方ではないか。地球温暖化による気候不順もミニマリズムを発破かける契機となったことは間違いないだろう。

 換言すれば、「人間と万物の関係」の再考だ。人が人生で悩むのは、多くは万物と関係する。若いミニマリストは自分の住居には最低限度の家具しか買わない。直ぐに引っ越しするからではない。生きていくうえで必要な家具は多くはない、という認識があるからだ。収集家以外、多くの腕時計を持っていても意味がない。腕時計は一つで十分だ、といった具合だ、出来るだけ物を買わないし、所持しないようにする。商売人は客がミニマリストと聞けば、顔をしかめるだろう。「豊かさ」、「幸せ」はどれだけ多くの万物を所持するかで決まるものではない、という人生哲学が多くの人々の心を捉えればに、商売人はお手上げとなる。

 仏教では「捨てる」、「捨離」という言葉がある。不必要な万物、思考を捨て、そこから自由になることが幸せに通じるというのだ。その意味で、ミニマリズムの歴史は長い。出家して修道院にこもり、真理を追究する人生もその時代のミニマリストだったといえるかもしれない。私たちは多数の不必要な万物に囲まれている。例えば、20枚、30枚のTシャツを持っていても、着用出来るシャツは1枚だけだ(ウィーンでは慈善団体「カリタス」や「フォルクスヒルへェ」が不必要な衣服を集めて、困っている人に提供している)。

 参考までに、ミニマリズムは中国で現在、若い世代で広がる「低欲望主義」とは違う。「躺平(タンピン)主義」の日本語訳の「低欲望主義」は、「食事は日に2回でいいし、働くのは年に1〜2カ月でいい。寝そべり(低欲望)は賢者の行動だ」といった哲学だ。ミニマリズムは低欲望主義ではなく、溢れる万物から解放され、快適な生活を享受するための積極的な対応だ。だから、ミニマリズムがニヒリズムに陥る危険は本来少ないはずだ(「『ニヒリズム』と中国の『低欲望主義』」2021年7月18日参考)。

 ただ、21世紀のミニマリズムは決して容易ではない。独週刊紙ツァイトは2020年1月30日、「なしでやっていく余裕がなければならない」という見出しで、ミニマリズムが「捨てる」という本来の世界とは別の新しいビジネスへの入り口となっている、と警告を発していた。同紙は「ここにきてミニマリズムは広告業界に完全に乗っ取られ、意味のない形で再解釈されている。今日のミニマリズムへのオマージュは、超富裕層や国際企業によってもたらされている」と批判している。

 「ミニマリスト」を自負する若い世代が増えてきたが、コマーシャルに乗って多目的の高級品に代えただけ、といった生き方が少なくないのかもしれない。いずれにしても、万物を愛をもって管理することは、多くの人にとってハードルが依然高いのだ。

“夏の暑さにも負けぬ丈夫な体”

 居間の壁に宮沢賢治の有名な詩「雨ニモマケズ」が掛かっている。その詩の中に「夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち……」がある。当方はその言葉を繰り返しながら、ウィーンの暑さに耐えているところだ。

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▲宮沢賢治の詩「雨二モマケズ」とわが家の古い扇風機

 オーストリア国営放送(ORF)の夜のニュース番組のトップはここ数日は「暑さ」だった。異常な高温に悩む欧州各地の状況を報道していた。ギリシャでは14日、44・2度を記録したという。イタリア南部のシチリア島では今週46度から48度まで気温が上がると予測されている。普段は欧州でも30度を超える日はほとんどなかった英国でもこの夏の暑さに苦しんでいるという。

 中欧に位置するウィーンは昔は30度を超える日は少なかった。だから、ウィーンの建物は厳しい冬を凌ぐために暖房を重視して建てられている。一方、暑さ対策は設計段階でほとんど検討されないという。

 1980年、ウィーンを初めて訪ねた時、友人は「冬を乗り越えるためにはしっかりとしたマンテル(マント)が必要だ」と助言してくれた。だから、少々重たかったがしっかりしたマンテルを買った。しかし、知人は夏の暑さ対策ではなにもアドバイスしてくれなかった。

 ウィーンで今年に入って既に16日間の猛暑日が記録されている。猛暑日の数は増加傾向にあり、今年のペースは1990年代の猛暑日の平均値を上回っている。最高は2015年で42日間の30度以上の猛暑日があった。ウィーン内で10日、36・6度と最高値を記録したという。夜でも20度を上回る熱帯夜が続く(GeoSphere Austriaのデータベース)。

 ORFの気象担当官ヴァッダック氏は、「オーストリアには250年以上にわたり、世界でも最も長い気温記録を持つ国の一つだ。過去250年のデータからいえることは、過去20年間で気温は上昇してきていることだ」という。「これは気候変動の結果であり、その主因は人為的な原因に基づく」と説明する(ORF公式サイト7月15日)。

 高温や熱風は子供、高齢者、既往症の人々にとって熱中症や心血管虚脱などのリスクがある。ウィーンはクールダウン策を実施し、最近では市内300カ所にミストシャワーを設置し、冷却ゾーンをつくっている。そして中長期計画として、公園で植林、樹木を増やしていくという。

 当方はこのコラム欄で数回、夏の暑さ対策として「幽霊」の話をした。この分野は当方の得意とする世界だが、幽霊など信じない人が増えてきた。そこで実際的な助けとして、夏のシーズンにウィーンを訪問した観光客向けに市内でどこが最も涼しいかを書いた。古いキリスト教会内だ。幽霊もでるかもしれないが、教会内はひんやりしている。一休みのために最寄りの教会の中に入って30分も座っていれば、汗は吹っ飛んでしまう(「猛暑を少し和らげる『幽霊の話』」2018年7月24日参考)。

 キリスト教会の聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発して、教会に通う信者の数は年々、減少してきたが、夏のシーズンに入ると、信者ではないが、避暑のために教会建物に足を踏み入れる人が結構見られる。教会の神父さんも「教会で一休みしていきませんか」と宿屋の主人のように行きかう客に声をかけている、というわけだ。

 しかし、正直言って、幽霊も教会内も今年の暑さにはどれだけ役に立つかは自信がない。当方は過去、2回、40度以上の灼熱を体験した。ひょっとしたら、3度目の体験をウィーンでするかもしれない。

 オーストリア大衆紙が「暑さ対策にはシエスタで乗り越えよう」と書いていた。シエスタ(Siesta)はラテン語で、スペインなど南欧では「昼寝」を意味する。当方はここ数日、シエスタを実践している。確かに、昼食後、1時間から2時間ほど休むと、疲れが取れるが、長く寝過ぎて貴重な午後の時間を失ったしまったこともある。いずれにしても、先述したように、ここ暫くは「夏の暑さにも負けぬ丈夫な体……」と唱えながら秋の訪れを待っている日々だ。


【編集後記】

 スウェ―デンで15日開催予定だった、イスラエル大使館前でのトーラーと聖書を燃やす抗議デモは開始直前になって中止された。
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