ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

日常雑感

キーボードから「T」が消えた

 あったものが無くなることは寂しいことだ。それだけではない。無ければ仕事ができなくなる場合が出てくる。当方のノート版PCのキーボードの「T」が使えなくなったのだ。文字キーの劣化だ。当方は現在のコンピューターを10年余り使用しているから、キーボードの文字の一つ、二つが使用できなくなることは十分あり得ることだ。

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▲接続した新旧キーボード(2023年8月14日、撮影)

 ところで、当方は15年余り、ほぼ毎日、少なくとも1本はコラムを書いてきた。総数は約6000本ぐらいだ。いつも同じPCでコラムを書き続け、キーボードを叩き続けてきた。そのキーボードで「T」の文字が叩いても出てこなくなったのだ。最初はウイルスでも入ってきたかと考えた。幸い、他の文字は普通通りだったので、「T」の時だけ他のコラムの箇所から文字をコピーしてカバーしてきた。

 しかし、毎回使用できなくなった「T」代わりの文字コピーでは追いつかなくなってきたのだ。今回のコラムの見出しの中に、何度「T」が必要か計算してほしい。たった一行の文章に4回の「T」が必要となる。30行のコラム全体で何回の「T」が必要か考えみてほしい。代わりの文字を探したり、他の箇所からコピーする仕事は少々原始的であり、やはり疲れてくるものだ。

 1本のコラムを1時間でほぼ書き終えてきたが、「T」が消えてしまった後、コラムを書き終えるのに2時間以上かかるようになった。時間と共に、神経がイライラし、同時に、持病の高血圧が上がってくる。「T」がキーボードから消えて以来、コラム書きが健康を害する仕事となってきたのを感じ出した。抜本的な対策が急務となってきたのだ。

 それでも「T」が消えた後も苦戦しながらコラム書きに精を出していたら、なんと「T」の上方の数字「5」も出なくなったのだ。時たま、思い出したように出てくるが、その回数は次第に増え、とうとう数字「5」は「T」と共にうんともすんとも反応しなくなったのだ。

 「5」の不在は深刻なハードルをもたらした。PCのスイッチを入れると、パスワードが要求される。普通の場合、全く問題がないが、キーボードから「T」と共に消えてしまった「5」はパスワードのメンバーだったのだ。「5」を叩かない限り、PCは起動しない。もはやアウトだ。幸い、キーボードには普段は使用しない別の「5」があるのに気が付いたので、それをタイプしたところ、PCはしばらく新しい「5」に戸惑い、直ぐには起動しなかった。しかし、書き手の必死の願いを感じたのか、PCは新しい「5」を受け入れてPCを起動させてくれたのだ。

 「T」と「5」が消えた後も、汗をかきながらコラムを書く姿を哀れに感じたのか、訪ねてきた息子が「アマゾンで新しいキーボードを注文すればいいよ」と言ってくれたのだ。当方はPCに新しいキーボードが利用できるとは思っていなかったので、「デスクトップと違うから、ノートパソコンの場合、新しいキーボードが接続できないのではないか」というと、息子は笑いながら、「大丈夫だよ。ワイヤーレスのキーボードを注文したから、明日には届くよ」というのだ。若い世代はIT関連の危機管理は素早い。

 今、アマゾンから届いた中国製のキーボード(Arteck)を使いながらコラムを書いている。使い方はシンプルだ。PCのUSBポートにワイヤレスのソケットを差し込むだけでキーボードは接続できる。

 新しいキーボードで「T」を押して、画面に「T」が写った時、感動した。「放蕩息子の話」ではないが、戻ってきた「T」と「5」にウエルカムするとともに、新しいキーボードを迅速に送ってきたアマゾンと息子に感謝した次第だ。

 当方は3日間、文字「T」と数字「5」のない苦しい生活を体験した。この3日間、日本語の文章には「T」がなんと多く使われているのかを学んだ。「T」の復活を願った3日間の戦いは決して無駄ではなかったと受け取っている。

 東京の知人は「自分の場合、KやFの文字キーが劣化したことがあるが、Tが劣化するとは珍しい」という。意識していなかったが、当方のコラムには「T」が通常より多く登場しているのかもしれない。今後は「T」をタイプする場合、優しく打たなければならない。

ウィーンから観た「スーパームーン」

 頭が疲れたりした時、独仏共同出資のテレビ局(アルテ)でよく宇宙に関する動画を観る。アメリカ航空宇宙局(NASA)の関係者が登場して宇宙開発の現状、現在進行中のプロジェクトについて丁寧に説明してくれる。どの動画だったかは忘れてしまったが、30年余り一つのプロジェクトに関わり、その成果ともいうべき宇宙観測機を搭載したロケットをスタートさせたばかりだった。その技術研究員が「今、スタートした宇宙開発機は数年後には目標の新しい銀河に到着する。そして搭載した宇宙観測カメラが写真を撮影して地球に送信してくれるはずだ。私自身はその写真を見ることが出来ないが、新しい世代の研究員がその写真を見るだろう」と語ったのだ。そのコメントに非常に新鮮な驚きを感じた。

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▲スーパームーン(2023年8月2日早朝、ウィーンで撮影)

 NASA研究員は自身の仕事の成果を見るまで地上で生きていないが、後輩の研究員がその成果を見て、新たなプロジェクトを作成していくことになるわけだ。宇宙を仕事の職場としている研究員、科学者は自分の世代でその仕事の実りを見ることがなく、次の世代に託していくことになる。寂しくはないのだろうかと思ったが、大きな課題に向かって、一人一人のその能力を発揮し、次の世代に成果を継承させていくことに奢ることもなく、失望することもなく、世代から世代へと継承していく姿に感動した。NASA研究員から「自分たちの仕事は次の世代の研究員に確実に継承されていく」という強い確信を感じた。 

 そのような仕事は現代、あまり多くはない。直ぐに結果が求められ、その是非が問われる仕事のほうが多いのではないか。その意味で、宇宙を見つめながら仕事に励むNASA関係者は特別な祝福を受けているわけだ。

 世代から世代へ継承しながら課題を解決していくといえば、神はその代表かもしれない。人類の始祖アダムとエバが神の戒めを破って、エデンの園から追放されたが、神はその1600年後、第2のアダム家庭としてノアの家庭を召命している。そのノア家庭も失敗すると今度は400年後にアブラハムを選び、自身の計画を継承させている。1600年、400年といっても現代の暦カレンダーを意味するのか否かは分からないが、明確な点は世代から次の世代と継承しながら課題の成就に向かっていることだ。イエス・キリストの福音は初期キリスト教時代の数世代を経過した後、定着していったように、偉大な課題であればあるほど、ある一定の時間が欠かせられなくなるわけだ。

 身近な例を挙げるとすれば、人類は昔はピラミットを建設するのに長い時間を要した。また、ウィーンのローマ・カトリック教会の精神的シンボル、シュテファン大聖堂は12世紀から建造が始まり南塔が完成したのは1359年だった。世代から次の世代に継承した仕事だった。

 科学技術の進展で建設の場合は時間を短縮できるようになったが、プロジェクトが大きくなればなるほど時間、時には数世代が必要となる課題がNASA関係者の他にもあるだろう。

 欧州宇宙機関(ESA)が打ち上げた宇宙望遠鏡「ユークリッド」からの初めての画像が7月31日に届いた、という外電が流れてきた。「地球から約150万キロ離れた目的の軌道に達し、搭載する赤外線観測装置を調整する際に撮影された試験的な画像で、無数の星の他、銀河の姿も捉えられていた。赤外線観測装置や可視光カメラを搭載するユークリッドは、7月1日に打ち上げられた。そのミッションには、宇宙空間の約70%を占めると考えられている『暗黒エネルギー(ダークエネルギー)』や同25%の『暗黒物質(ダークマター)』の謎に迫ることも含まれる」(時事通信)。

 2日未明、目を覚ました。居間が変に明るい。誰かまだ起きているのかと思ったが、月光が部屋に差し込んでいたのだ。忘れていたが、2日は月がスーパームーンの時だったのだ。クレーターが見えるほど大きく、はっきり見える。天文学ではペリジー・ムーンとも呼ばれ、通常の満月より7%大きく見え、17%ほど明るく見えるという。窓越しでしばらくスーパームーンを眺めた。黄金の時間だった。

 宇宙森羅万象は世代から世代へと長い時間帯で動いている。地上の人間はその日、その日の生活で喜怒哀楽を感じながら生きている。宇宙の様相はそんな人間に束の間だが世代から世代へと静かに流れる時間を感じさせてくれる。

 喧噪な社会に生きている私たちの人生はほんの束の間に過ぎない。ただ、次の世代が始まることで私たちの仕事も継承されていく、と思えば安堵感がくる。同時に、次の世代のために生きている人々に連帯感が湧く。同世代への愛こそ、民族愛、愛国心を止揚できるのではないか。当方はそれを「同世代の連帯愛」、ないしは「宇宙愛」と名付けたいほどだ。

21世紀の「ミニマリスト」の生き方

21世紀の「ミニマリスト」の生き方
 当方は最近、若者たちから「ミニマリズム」という言葉をよく耳にする。正直言ってその意味が分からなかった。美術界では「ミニマニズム」という芸術運動があったが、「ミニマリズム」は社会学的な意味を含んだ人生の生き方だ。そして若い世代でミニマリストと自称する人が結構増えてきているのだ。

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▲灼熱の太陽と一輪の花(バルコニーから、ウィーンで撮影)

 資本主義社会の消費文化で多くの商品(アイテム)、物質に囲まれて生きる日々から別れ、最低限度の物質だけを所持し、満足して生きていく脱消費文化とでもいえるかもしれない。ただ、1960年代から70年初めの「アンチ物質主義」、ヒッピーの出現といった社会現象ではなく、21世紀のミニマリズムは、物質の能率的な利用と快適な過ごし方を追求する「ポスト物質主義」の生き方といえるだろう。

 特に、コロナ禍の中で人々は生きていくうえで、何が必要で何がそうではないかを学んできた。20代、30代といった若い世代はコロナ禍時代の3年間で人生の生き方で再考を余儀なくされたのではないだろうか。

 生きていくうえで、どれだけの物質や機材が必要か。「絶対に必要なもの」、「あれば良い物」、「なくても生きていける物」、「ある必要がない物」、等々に分類できるかもしれない。オーストリアの日刊紙スダンダードによると、欧州の平均的な家は約1万点のアイテムを所有しているという。アメリカの平均的な家になると、なんとその3倍のアイテムを所持しているというのだ。アイテムに囲まれた生活だ。

 ミニマリズムは「シンプルは美しい」という哲学を人生で実践する生き方ではないか。地球温暖化による気候不順もミニマリズムを発破かける契機となったことは間違いないだろう。

 換言すれば、「人間と万物の関係」の再考だ。人が人生で悩むのは、多くは万物と関係する。若いミニマリストは自分の住居には最低限度の家具しか買わない。直ぐに引っ越しするからではない。生きていくうえで必要な家具は多くはない、という認識があるからだ。収集家以外、多くの腕時計を持っていても意味がない。腕時計は一つで十分だ、といった具合だ、出来るだけ物を買わないし、所持しないようにする。商売人は客がミニマリストと聞けば、顔をしかめるだろう。「豊かさ」、「幸せ」はどれだけ多くの万物を所持するかで決まるものではない、という人生哲学が多くの人々の心を捉えればに、商売人はお手上げとなる。

 仏教では「捨てる」、「捨離」という言葉がある。不必要な万物、思考を捨て、そこから自由になることが幸せに通じるというのだ。その意味で、ミニマリズムの歴史は長い。出家して修道院にこもり、真理を追究する人生もその時代のミニマリストだったといえるかもしれない。私たちは多数の不必要な万物に囲まれている。例えば、20枚、30枚のTシャツを持っていても、着用出来るシャツは1枚だけだ(ウィーンでは慈善団体「カリタス」や「フォルクスヒルへェ」が不必要な衣服を集めて、困っている人に提供している)。

 参考までに、ミニマリズムは中国で現在、若い世代で広がる「低欲望主義」とは違う。「躺平(タンピン)主義」の日本語訳の「低欲望主義」は、「食事は日に2回でいいし、働くのは年に1〜2カ月でいい。寝そべり(低欲望)は賢者の行動だ」といった哲学だ。ミニマリズムは低欲望主義ではなく、溢れる万物から解放され、快適な生活を享受するための積極的な対応だ。だから、ミニマリズムがニヒリズムに陥る危険は本来少ないはずだ(「『ニヒリズム』と中国の『低欲望主義』」2021年7月18日参考)。

 ただ、21世紀のミニマリズムは決して容易ではない。独週刊紙ツァイトは2020年1月30日、「なしでやっていく余裕がなければならない」という見出しで、ミニマリズムが「捨てる」という本来の世界とは別の新しいビジネスへの入り口となっている、と警告を発していた。同紙は「ここにきてミニマリズムは広告業界に完全に乗っ取られ、意味のない形で再解釈されている。今日のミニマリズムへのオマージュは、超富裕層や国際企業によってもたらされている」と批判している。

 「ミニマリスト」を自負する若い世代が増えてきたが、コマーシャルに乗って多目的の高級品に代えただけ、といった生き方が少なくないのかもしれない。いずれにしても、万物を愛をもって管理することは、多くの人にとってハードルが依然高いのだ。

“夏の暑さにも負けぬ丈夫な体”

 居間の壁に宮沢賢治の有名な詩「雨ニモマケズ」が掛かっている。その詩の中に「夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち……」がある。当方はその言葉を繰り返しながら、ウィーンの暑さに耐えているところだ。

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▲宮沢賢治の詩「雨二モマケズ」とわが家の古い扇風機

 オーストリア国営放送(ORF)の夜のニュース番組のトップはここ数日は「暑さ」だった。異常な高温に悩む欧州各地の状況を報道していた。ギリシャでは14日、44・2度を記録したという。イタリア南部のシチリア島では今週46度から48度まで気温が上がると予測されている。普段は欧州でも30度を超える日はほとんどなかった英国でもこの夏の暑さに苦しんでいるという。

 中欧に位置するウィーンは昔は30度を超える日は少なかった。だから、ウィーンの建物は厳しい冬を凌ぐために暖房を重視して建てられている。一方、暑さ対策は設計段階でほとんど検討されないという。

 1980年、ウィーンを初めて訪ねた時、友人は「冬を乗り越えるためにはしっかりとしたマンテル(マント)が必要だ」と助言してくれた。だから、少々重たかったがしっかりしたマンテルを買った。しかし、知人は夏の暑さ対策ではなにもアドバイスしてくれなかった。

 ウィーンで今年に入って既に16日間の猛暑日が記録されている。猛暑日の数は増加傾向にあり、今年のペースは1990年代の猛暑日の平均値を上回っている。最高は2015年で42日間の30度以上の猛暑日があった。ウィーン内で10日、36・6度と最高値を記録したという。夜でも20度を上回る熱帯夜が続く(GeoSphere Austriaのデータベース)。

 ORFの気象担当官ヴァッダック氏は、「オーストリアには250年以上にわたり、世界でも最も長い気温記録を持つ国の一つだ。過去250年のデータからいえることは、過去20年間で気温は上昇してきていることだ」という。「これは気候変動の結果であり、その主因は人為的な原因に基づく」と説明する(ORF公式サイト7月15日)。

 高温や熱風は子供、高齢者、既往症の人々にとって熱中症や心血管虚脱などのリスクがある。ウィーンはクールダウン策を実施し、最近では市内300カ所にミストシャワーを設置し、冷却ゾーンをつくっている。そして中長期計画として、公園で植林、樹木を増やしていくという。

 当方はこのコラム欄で数回、夏の暑さ対策として「幽霊」の話をした。この分野は当方の得意とする世界だが、幽霊など信じない人が増えてきた。そこで実際的な助けとして、夏のシーズンにウィーンを訪問した観光客向けに市内でどこが最も涼しいかを書いた。古いキリスト教会内だ。幽霊もでるかもしれないが、教会内はひんやりしている。一休みのために最寄りの教会の中に入って30分も座っていれば、汗は吹っ飛んでしまう(「猛暑を少し和らげる『幽霊の話』」2018年7月24日参考)。

 キリスト教会の聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発して、教会に通う信者の数は年々、減少してきたが、夏のシーズンに入ると、信者ではないが、避暑のために教会建物に足を踏み入れる人が結構見られる。教会の神父さんも「教会で一休みしていきませんか」と宿屋の主人のように行きかう客に声をかけている、というわけだ。

 しかし、正直言って、幽霊も教会内も今年の暑さにはどれだけ役に立つかは自信がない。当方は過去、2回、40度以上の灼熱を体験した。ひょっとしたら、3度目の体験をウィーンでするかもしれない。

 オーストリア大衆紙が「暑さ対策にはシエスタで乗り越えよう」と書いていた。シエスタ(Siesta)はラテン語で、スペインなど南欧では「昼寝」を意味する。当方はここ数日、シエスタを実践している。確かに、昼食後、1時間から2時間ほど休むと、疲れが取れるが、長く寝過ぎて貴重な午後の時間を失ったしまったこともある。いずれにしても、先述したように、ここ暫くは「夏の暑さにも負けぬ丈夫な体……」と唱えながら秋の訪れを待っている日々だ。


【編集後記】

 スウェ―デンで15日開催予定だった、イスラエル大使館前でのトーラーと聖書を燃やす抗議デモは開始直前になって中止された。

ウィーンの「一杯のコーヒーから」

 中国武漢発の新型コロナウイルスのパンデミックの2年半、客は来なくなり、店を閉じた。国のコロナ対策支援金でかろうじて生き延びてきた。そしてコロナ禍が終焉して、ようやくゲストが戻り出したかと思っていた矢先、今度はロシアのウクライナ侵略でエネルギー価格、物価高騰だ。エネルギーコストは前年の約5倍に急騰する一方、インフレと人員不足は深刻だ。残念ながら、もはや店を維持することは出来なくなった。

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▲ウィーンの有名なコーヒーハウス「Cafe Landtmann」(Cafe LandtmannのHPから)

 4日夜のニュース番組で有名なウィーンの「コーヒーハウス」が閉鎖に追い込まれた、という話が報じられた。上記のコメントは店のオーナーの話だ。数回、その店でメランジェを飲んだことがある当方にとっても、店主の話を聞きながら「残案だな」とため息をつかざるを得なかった。

 閉鎖に追い込まれた伝統的な「コーヒーハウス」としては、ウィーン16区オッタークリングの「カフェ・リッター」、アルザーグルントの「グラン・カフェ」、美術館地区の「カフェ・ハレ」、そして「カフェ・フランセ」などの名前が挙がっている。それぞれ由緒ある伝統的ウィーンの「コーヒーハウス」だ。

 ウィーン市民にとって「コーヒーハウス」は欠かない。昔はコーヒーを飲みながら新聞を読んだものだが、今日では新聞はスマートフォンに代わった。それでも「コーヒーハウス」は常にやすらぎの場所として存在してきた。しかし、コーヒー・ファンは自宅にコーヒーメーカーをもち、さまざまなコーヒーを独自に作る時代に突入した。伝統的なコーヒーだけではお客を呼べなくなってきた。ウィーンのコーヒー文化(Kaffee Kulture)を支えてきた「コーヒーハウス」は時代の流れの中で変遷を余儀なくされてきている。

 ウィーンにコーヒー豆をもたらしたのはオスマン・トルコ軍だ。そして最初に開業された「コーヒーハウス」は1685年というから、ウィーンの「コーヒーハウス」の伝統は約340年に及び存在し、常に変化もしてきた。1960年代と70年代には、「コーヒーハウス」は大きな危機に直面したが乗り越えてきた。ウィーンの「コーヒーハウス」文化は現在、伝統的なカフェからスタンドアップカフェまで、多様性を誇っている。アルプスから流れる清涼な水にコーヒー豆が溶け込んでウィーンのコーヒーが生まれてきたわけだ。

 伝統的な「コーヒーハウス」では、Melange(ミルク・コーヒー)、Einspaenner(アインシュペンナー)、Kapuziner(カプチーナー)といったウィーンの伝統的コーヒーが楽しめるが、新しい「コーヒーハウス」ではCaffe Latte(カフェラッテ)、Cappuccino(カプチーノ)、Espresso(エスプレッソ)といったイタリア銘柄のコーヒーが伸びてきている。また、ウィーンのコーヒー・ハウスでは昔、ビリヤードやチェスを楽しむことができたが、今ではウィーン市内でビリヤードできるコーヒー・ハウスは限られている。米国のスターバックスが進出して以来、伝統的なウィーンのコーヒーではなく、若者が好むようなモダンなスペースや各国のコーヒーブレンドを楽しめる洒落たカフェに人々が集まるようになった。

 「コーヒーハウス」は待合場所であり、談笑する場所として好まれる。その点は今も昔も同じだ。昔は著名な小説家や芸術家たちがコーヒーを飲みながら談笑する風景がみられた。作曲家シューベルトは「カフェー・ミュージアム」で友人たちと談笑し、時には作曲したばかりの音楽を演奏したものだ。今はそのような風景は期待できない。

 ウィーン商工会議所のウィーンコーヒーハウス専門家ヴォルフガング・ビンダー氏によると、ウィーンでは毎年、10軒のコーヒー店が閉鎖に追い込まれれば、新しい10軒のコーヒー店がオープンする、という。コロナ禍の影響で閉鎖に追い込まれたのは全体の最大3%と推定されている。昨年、ウィーンには1666軒の「コーヒーハウス」があったが、そのうち206軒が閉鎖に追い込まれ、167軒の新しいコーヒー店が開いた。ウィーンでは昨年、「コーヒーハウス」が39軒減ったわけだ。

 ちなみに、戦前から戦後にかけて活躍した流行歌手の霧島昇さんの歌の中には「一杯のコーヒーから」というヒット曲があった。昭和14年の歌謡曲だ。一杯のコーヒーから「夢の花咲くこともある」という歌詞を聞いて、コーヒー一杯から夢が広がるような時代があったのだと懐かしく思った。21世紀の「一杯のコーヒー」からどのような夢が飛び出してくるだろうか。

灼熱の日を「シエスタ」で乗り越えよう

 アフリカから熱波が欧州大陸を襲い、フランスやスペインで40度を超える文字通りの歴史的な灼熱の日々が続いてきたが、その熱波がアルプスを超え、オーストリアまで広がってきた。オーストリア最西部のフォアアールベルク州のフェルドキルヒで19日、36・5度を記録した。6月の気温としては最高気温だ。今週はその熱風がウィーンにまで広がってくるという。

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▲灼熱の太陽と一輪の花(バルコニーから、ウィーンで撮影)

 記事になる話題が乏しい時は天気、気象に関連したテーマが取り上げられることが多い。夏季休暇が始まる頃になると、記事枯れのシーズンといわれ、紙面を埋める記事が少ないとデスクが悩む。ただ、この数日間の熱波報道は決して紙面を埋めるための記事ではなく、地球温暖化問題とも関連して深刻なニュースだ。

 フォアアールベルク州で36・5度を記録した日、ウィーンでも30度になった。市営プールは子供連れの家族や若者たちで一杯となった。19日にプールを利用した人はウィーン市で6万人という。6月としては記録的だ。ウィーンのメトロ新聞ホイテによると、暑さと戦っているのは人間だけではなく、シェーンブルン動物園では動物たちも日陰を探したり、白熊は水に入って気持ちよさそうに泳いでいる。

 気象専門家のマルクス・ヴァドザク氏は、「6月午前に32度というのは正常ではない。6月は最高気温は通常25度前後だ。都市部の6月の気温は過去60年間上昇してきた」と指摘、今年は熱中症で1000人以上が亡くなるかもしれないと予想している。

 同氏が推薦する灼熱の日々の過ごし方はシエスタ(Siesta)だ。スペインなど南欧では「昼寝」を意味するシエスタがライフ・スタイルに取り入れられている。シエスタはラテン語だが、昼寝をしなくても、昼食後、午後の仕事を再開する前に、1時間から2時間あまり「昼休み」を取ることを意味する。そして眠気を追っ払い、リフレッシュしてから午後の仕事に取り掛かるわけだ。午後2時ごろ、店に行ったが、閉まっていたという経験をした人もいる。スペインでは午後2時から5時までシエスタで、小売店や会社ではクローズという看板を掲げるところが多いという。

 ライフ・スタイル専門家がシエスタのプラス面とマイナス面について説明している。プラス面が多いが、昼寝時間を取りすぎると、仕事が夜遅くまで続く。夜の睡眠にも影響を及ぼすことから、ほどほどの昼寝時間を、と助言している。企業では生産性向上のために積極的にシエスタを取り入れているところもあるという。

 当方はここ20年あまり、朝4時ごろには目を覚まし、5時半過ぎにはその日の仕事に入るスケジュールで過ごしてきた。最近は昼ご飯後、疲れがでてきて仕事に集中することが難しく、ぼんやりとすることが多くなった。そこで1時間から2時間程度、昼寝する。外に出かけて、取材したり、人と会う予定がない場合、昼寝後、午後4時か5時ごろから再び仕事に取り掛かる。シエスタという意識はなかったが、実際はシエスタを実践してきた。体調のいい時などは、シエスタなしで夕食までスルーで働く。

 このコラム欄で「『地球』に何が起きているのか」(2018年8月8日参考)を書いた。2018年の7月、8月は40度を超える日々も続いた。2019年の夏も欧州で40度を超える灼熱の日々が続いた。マクロン仏大統領は2019年8月22日、先進7カ国首脳会議(G7)開催前の記者会見で、「私たちのハウスは燃えている」というドラマチックな表現で南米ブラジルの熱帯林の大火災について懸念を表明したが、燃えているのは熱帯林だけではなく地球が燃え出したという感じすらあった。

 新型コロナウイルスが発生した後はその対策に追われ、夏の暑さについての報道はメディアから一時消えていたが、2022年6月に入ると、再び熱いシーズンの到来を告げる日々が続いてきたわけだ。

 いずれにしても、ここ数年で新型コロナウイルスのパンデミック、ウクライナ戦争の勃発に直面し、我々を取り巻く環境では40度を超える灼熱の日々、洪水、山火事の多発、旱魃などの自然災害が頻繁に発生してきた。パニックを煽る意図はないが、過去5年間で自然災害、人災などが集中的に起きている。

 旧約聖書の「出エジプト記」には「エジプトの十災禍」の話が記述されている。神がエジプトで奴隷生活をしていたイスラエル人を救うためにエジプトに十の災禍をもたらした、という話だ。コロナ禍、戦争、洪水、山火事、旱魃、灼熱の日々のほか、食糧危機、エネルギー価格の高騰などが続く現在はひょっとしたら「21世紀の十災禍」ではないだろうか。

 「エジプトの十災禍」の場合、イスラエル人を神の約束の地カナンに導くという目的があったが、それでは「21世紀の十災禍」の場合、神はわれわれをどこへ導くために災禍をもたらしているのだろうか。

 ウィーンは21日午後、33度まで気温が上がるという。シエスタでも取って、「21世紀の十災禍」の目的は何かをジックリと考えてみたい。

「生きる」にも「死ぬ」にも大変な時代

 「風が吹けば桶屋が儲かる」というわけではない。ロシアのプーチン大統領がロシア軍をウクライナに侵攻させて以来、エネルギーや食糧の価格は急騰し、物価が高騰してきた。厳密に言えば、エネルギー価格はその前から高騰していたが、ウクライナ戦争でそのテンポが速まった。

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▲埋葬件数では世界1を誇るウィーン中央墓地に埋葬されている楽聖べートーヴェンの墓(2017年10月撮影)

 家人が買い物から帰ってくると、「全てが高くなったわ」とため息を漏らすことが多くなった。例えば、パプリカだ。数カ月前は3個入りの袋が1・9ユーロ前後だったが、ついに3ユーロを突破したという。日本のライスに近いということでイタリア・ライスをよく買うが、安くて結構美味しいことから多くの人が買うため、直ぐに売り切れる。ドイツ人らの主食ジャガイモも高くなったが、まだバカ高くない。2キロで買うより、5キロ入り袋のお徳用ジャガイモを買うほうが得だ。ただし、5キロ入りジャガイモを買うと、その後、数日間はジャガイモ料理が食卓を飾る。腐らないうちにジャガイモを料理しなければならないからだ。

 スパゲッティや小麦粉も高くなった。料理やケーキ作りに欠かせられないバターは特別サービスの日にまとめて買う人が多い。消費者が知恵を使って如何に安く、いい食材を買うかで奮闘しているのだ。

 ちなみに、オーストリアの4月のインフレ率は7・2%だ。ガソリン代、ガス代は2ケタ台のインフレだ。肉類は10・7%、パン類は8・2%、ミルク・チーズ6・9%といった具合だ。

 今、食べている食材がいかに高くなったかを家人と話している時、オーストリア国営放送の夜のニュース番組の中で、「葬儀代も高くなりました。安価で神聖さを失わない葬儀が求められている」というニュースが流れてきた。

 当方はいつ死んでも不思議ではない年齢に入ったこともあって、葬儀代について考える機会が増えた。日本でも冠婚葬祭の費用が高いと聞くが、欧州でも葬儀代が結構高いのには驚いた。

 米作家ラングストン・ヒューズは、「墓場は、安上がりの宿屋だ」と述べたが、ウィーンでは墓場は高くつく。数年前、知人の銀行マンと話した時、彼は、「残された家族のために今から死んだ時の墓場代を貯金しておけばいいですよ。ウィーン市では平均8000ユーロ(約100万円)はかかりますからね」と教えてくれたことがあった。ウィーン市では、安上がりの墓場を見つけることは難しくなった。

 ウィーン市当局は市民の悩みに答え、簡易な葬儀を勧めている。葬儀の費用についての心配が、失った人の悲しみよりも大きくてはいけない。だから、手頃な価格でありながら、ある程度の尊厳のある葬儀が大切となる。欧州でも火葬が増えてきている。埋葬する場所が少なくなったこと、その埋葬を含む葬儀代が高くなったからだ。

 そこで考えられている最も安価な火葬の費用は約1350ユーロ(約18万円)だ。これには、火葬場への移送、火葬自体、棺、骨壷、部品、記念写真などのサービスが含まれる。その後、骨壷を家に持ち帰ることができる。これは最も安価なオプションだ。墓地に埋葬するには、少なくとも900ユーロを追加する必要がある。

 ちなみに、キリスト教の欧州社会では基本的には土葬だ。ローマ・カトリック教会の教えでは、基本的には死者は埋葬される。神が土から人間を創ったので、死後は再び土にかえるといった考えがその基本にあるからだ。旧約聖書でも、「火葬は死者に対する重い侮辱」と記述されている。そのうえ、火葬は、「イエスの復活と救済を否定する」という意味に受け取られたからだ。フランク王国のカール大帝は785年、火葬を異教信仰の罪として罰する通達を出している。ドイツのプロテスタント系地域やスイスの改革派教会圏では1877年以来、火葬は認められ、カトリック教会でも1963年7月から信者の火葬を認めている(「変りゆく欧州の『埋葬文化』」2010年10月29日参考)。

 最近はドナウ川に火葬後の遺灰を撒いたり、ウィーンの森に遺灰を撒くといったケースも報告されている。もちろん、その場合、ウィーン当局の許可が必要となる。市民が皆、遺灰をドナウ川に散布すれば、青きドナウ川は直ぐに遺灰だらけとなり、魚は住めなくなり、人は夏泳ぐこともできなくなる。

 いずれにしても、簡易な葬儀のコストは1350ユーロ、平均8000ユーロ、豪華な葬儀の場合1万ユーロ以上となる。どの葬儀を選択するかは、生きている人間の最後のチョイスだ。死ぬ前に「1350ユーロの葬儀でお願いします」とレストランで食事を注文するように、葬儀関係者に通知しておけば、残された家人は悩むことなく葬儀を挙行できるわけだ。

 新型コロナウイルスの感染拡大で多くの人が亡くなった。そしてウクライナ戦争では兵士だけではなく、民間人も犠牲になっている。感染防止のために亡くなった家人を葬ることが出来ないために悲しむ人々、イタリア北部ロンバルディア州のベルガモ市では、軍隊のトラックが病院から亡くなった人々を運び出すシーンは痛々しかった。戦地では、埋式する場所がないため袋に入れられ、そのアイデンティティすら不明のまま埋められていく。21世紀に入って、「死」は私たちの日常生活から遠ざかるのではなく、再び身近になってきた。

 「生きる」ための衣食住代が高騰してきた。移動し、仕事、活動するためのエネルギー代も高くなった。そして人生の最後のイベント(葬儀代)も高くなった。明らかな点は、「生きる」ことも「死ぬ」ことも容易ではない時代を迎えているということだ。

ハラハチブ(腹八分)でイキガイを!

 今日はひょんなことから聞いた話を紹介する。欧州で静かに定着してきた‘Hara Hachi Bu’と呼ばれる減量方法だ。場所によっては、‘Hara Hachi Bu哲学’、ないしは「日本で開発された80%のルール」と言った呼び方がされている。

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▲「ハラハチブ」を紹介するオーストリア日刊紙クローネ・オンラインからのスクリーンショット(記事は2022年4月4日)

 Hara Hachi Buを日本語で「腹八分」と書けば、すぐに理解されると思う。「腹八分」が哲学と考える日本人は少ないと思うが、オーストリアでは「生涯スリムでいる日本人には、何世代にもわたって使用されてきた古代のトリックがあり、極端なダイエットよりもはるかに優れている。このルールは、腹八分と呼ばれる古代のトリックだ」といった少々大げさな説明文が紹介されている。

 オーストリアに住んで長くなるが、「ハラハチブ」という言葉を聞いたのは最近だ。「ハラハチブ」って何、といった見出しの記事が掲載されていた。日本語のような響きだが、最初は何の意味か分からなかったが、後で日本語の「腹八分」を意味するらしいと分かった。「ハラハチブ」を紹介していたのはオーストリア日刊紙クローネだ。医師会の広報でも「腹八分は健康に大切だ」と健康管理と食生活の中で教えているという。

 当方は料理番組が好きだが、料理人が結構、日本語を使うのには驚かされる。例えば,「うま味」や「ダシ」だ。「この薬味をいれますと“うま味”がでます」と料理人がいう。「こんにゃくはいいよ。カロリーがないからね」といった話まで飛び出す。

 現地の料理人が日本語を自然に使いこなすところをみると、料理の世界、食事の世界で日本語は既に市民権を得ているのだろう。そして今、ついに日本人がスリムであるトリック「ハラハチブ」が登場してきたわけだ。

 ルールは簡単で、毎食お腹いっぱいになるまで食べず、最大80%に抑え、健康的な食品の摂取量を増やし、ジャンクフード、砂糖、悪い脂肪などを減らす一方、野菜を十分とり、定期的に魚を食べることだ。

 ポイントは「最大80%」だ。もう少し食べたいと思った時点で食事を終える。よく噛み、食事時間を少し長くし、空腹ホルモンを抑え、出された皿の上の食事を全て食べなければならないといった神話を克服し、満腹になるまで食べないことだ。

 オーストリアでは米国の国民のように肥満体で悩む人はまだ多くないが、若い世代から着実に増加している。オーストリア国民は肉類が好きで年間食べる肉の量は欧州でもトップを争うほどだ。例えば、ヴィーナーシュニッツェル(ウィーン風カツレツ)は子供も大人も大好きだ。外食ではよく食べるメニューだ。それにハンガリー風のグラシュもよく注文される。デザートには甘いトルテ(ケーキ)、アップルシュトゥルーデル(生地に包んだリンゴの焼き菓子)に舌鼓を打つ、英国と違って食事のメニューは豊富だ。食欲も出てくるから「ここは腹八分で」というブレーキが必要となる。オーストリアの医者がアクセントのある日本語で「ハラ〜ハチブーンですよ」と患者にアドバイスしている姿を想像するとつい笑いたくなる。

 オーストリア人は、「日本人は長生きする国民だ」と思っている。その理由は健康食にあると考えてきた。だから、日本の豆腐、納豆にも関心がいく。オーストリアでは豆腐ばかりか、納豆も製造している会社がある。

 ただ、日本の典型的な食材だけでは日本人のように長寿は期待できないはずだ、ということで、日本人が小さい時から親から言われてきた「腹八分」という哲学が脚光を浴び出してきたわけだ。女性雑誌などには「ハラハチブこそ最高のダイジェストだ」「ハラハチブで減量を」と言ったキャッチフレーズが見られるほどだ。

 「ハラハチブ」で昼食を終え、散歩がてら本屋にいくと、「イキガイについて(生き甲斐について)」というタイトルの本が結構並んでいるに気が付いた。本好きの娘に聞くと、「生き甲斐」という日本語は本の世界では既に定着し、人生をいかに生きるかといった「生き甲斐」論の本が多く出版されているという。

 戦後、日本は高性能の家電機材、自動車、ゲームボーイや任天堂などゲーム機器などを輸出してきたが、ここにきて日本人の食生活、生き甲斐について関心が注がれている。生き甲斐をもって健康で長生きするノウハウを発信できれば、日本は世界の人々の幸福に少しは貢献できるのではないか。

ニューイヤー・ブルースを乗り越え

 1年の最後の日をドイツ語圏ではシルベスターと呼び、各地で人々が集まって過ぎ行く年を忘れ、賑やかに新年を迎えるのが慣例となっている。音楽の都ウィーンでは31日、シュテファン大聖堂周辺で多くの市民が集まり、新年を告げる正午零時の鐘が鳴ると、ヨハンシュトラウスのワルツを踊り、シャンペンで乾杯しながら新年を迎える。大晦日除夜の鐘を境に近くの神社に行って新年の健康と幸運を祈る人が多い日本とは違って、当地では31日は街に繰り出して、花火を見ながらニューイヤーをカウントダウンして迎える。

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▲わが家に住むジャッキー&ポッキーからの挨拶
 「今年1年ありがとう。新年もよろしくね」

 2021年は新型コロナウイルスが世界を席巻し、パンデミック(世界大流行)となって多くの犠牲者を出した年だ。コロナ禍は欧州でもこれまでの伝統、習慣、慣例の全てをを打ち破った(幸い、2022年のニュー・イヤー・コンサートは無観客で開催された2021年とは違い、限定された数のファンが楽友協会に入場可能となった)。

 シルベスターは本来、レストランや特定の飲食店は深夜まで営業する。“シルベスター・メニュー”と呼ばれる食事は普段の2倍の値段とちょっと高いが、1年最後のシルベスターメニューを楽しんだ後、街に出てワルツを踊って新年を迎える。今年もコロナ規制のためにその情景は見れない。政府のコロナ規制委員会が、「シルベスターは夜22時で営業閉店すべきだ」となったのだ。レストランのラスト・オーダーは21時半、22時になるとゲストは外に出ていかなければならない。シルベスターの祭りもこれではおじゃんだ。ということで、飲食業界は最後まで政府のコロナ規制に猛反対している。

 ただし、新型コロナウイルスの感染動向はやはりそれを認めないだろう。多くの人々が集まり、大騒ぎする場所はコロナウイルスにとっても絶好のチャンスとなる。4回目のロックダウン(都市封鎖)明けから数日間、新規感染者数は減少したが、ここにきてウイルスの変異株オミクロン株がオーストリアでも猛威を振う気配が出てきたからだ。

 政府は「家でシルベスターを過ごし、新年を迎えてほしい」と懸命にアピールしている。ウイルス学者たちは「シルベスター・パーティは危険だ」と警告を発するが、国民の中には強い抵抗がある。オーバーエステライヒ州では31日夜10時からコロナ規制反対、ワクチン接種の義務化に抗議するデモ集会が開催されるという。警察当局は、「シルベスター規制を破る国民は厳格に処罰される」と述べ、国民に自制を促している。

 ところで、ニューイヤー・ブルースという言葉をご存知だろうか。社会心理学者がこの時期になると使用する表現で、「年の終わりから新年にかけ、憂鬱になり、眠れず、やる気がなくなる人々が出てくる。新型コロナウイルスの感染とその規制が長期化することで、コロナ・ブルースと呼ばれる精神的落ち込みがみられるが、ニューイヤー・ブルースも症状は似ているが、年末年始にかけての精神的、心理的落ち込み現象を意味する」という。

 ニューイヤーは本来、新しい年を迎え、目標をたててスタートする時だが、ブルー(憂鬱)になる人が出てくる。理由は様々だ。欧州では年最大のイベントのクリスマスが終わり、シルベスターを迎えると、一種の“祭りの終わり”だ。興奮して緊張していた神経は解かれ、体力的にも疲れが出てくる。そのうえ、夕方4時には外は暗くなる。外で何かするといった雰囲気はない。そのうえ、コロナ・ブルースも重なってくると、人は深い憂鬱の世界に陥り、そこから出てくることが難しくなるわけだ。

 ウィーン市ではニューイヤー・ブルースに陥った市民へのホットライン、相談所がある。社会心理学者は、「規律ある生活を過ごすべきだ。深夜までテレビを観て、昼頃目を覚ますような生活はよくない。家族や知人、友人と話す時間を大切に」とアドバイスしている。

 ウィーンでは2021年はロックダウンで始まり、ロックダウン明けで幕を閉じた1年だった。22年に入ればオミクロン変異株の猛威を迎える。そのような中で希望を失わず、目標を立てて生きていくのは大変だ。コロナ禍も3年目を迎えるが、全てには始まりがあるように、終わりがある。この期間をニューイヤー・ブルースに陥ることなく、精神的にも体力的にも挑戦的な日々を過ごしたいものだ。

 2021年の1年間、お付き合いしてくださいまして有難うございました。皆様に神の祝福がありますように。

ニシキヘビと大使夫人の「平手打ち」

 外電によると、カナダでは50度を超える気温の日々が続き、至るところで山火事が発生しているという。アルプスの小国オーストリアでも6日、36度を超える真夏の気温だ。ここしばらくこの気温が続くという。幸い、湿気はすくないので、昼には部屋のカーテンをして窓を閉めておくと、暑い風が部屋に入らないので、クーラーや扇風機がなくても生活できる。オーストリアでは自宅でクーラーを設置している家はほとんどない。ここ数年、暑い夏が続いたこともあって、扇風機を買う国民は増えた。当方は数年前に扇風機を買ったが、それまではクーラーはもちろんのこと扇風機なしでも夏シーズを過ごしてきた。

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▲便器に侵入したニシキヘビの騒動を報じる記事(オーストリア日刊紙ホイテ7月6日付から)

 さて、カーテンを閉めて暑さが部屋に入ってこないようにしてから仕事にとりかかった。時事通信のサイトを開けるとなんと「ウィーン発」の記事が掲載されていた。オーストリア南部グラーツ市に住む住人が5日、トイレで便器に座ったところ性器周辺に痛みがきた。隣人が飼っていたニシキヘビが住人のトイレに出現し、便器に座った時、性器を噛んだのだ。

 オーストリアでは夜のニュース番組で被害にあった住人の生々しい証言を報じていたので当方も知っていたが、時事通信がこの出来事を報じたロイター電を訳して配信したことを知って驚いた。「ウィーン発」で書けるテーマと言えば国際原子力機関(IAEA)関連のイランや北朝鮮の核問題以外はほとんどない中、「ニシキヘビ騒動」の記事が読者アクセスリストで上位を走っていたのだ。

 昔、オーストリア連邦議会選挙の結果が日本のメディアでは報道されなかったことがある。オーストリアの内政には日本の読者は関心がないことは知っていた。配信される「ウィーン発信」のロイターや時事の記事は一部の音楽関連とIAEA関連の記事だけだ。冷戦時代、日本の大手メディアはウィーンに特派員を常駐させていたが、今はその数は少なくなってきた。時事通信も久しく特派員を帰国させ、ウィーンや西バルカン関連の記事はベルリンでフォローしている。

 そのような中で、久しぶりにオーストリア国内で生じた「ニシキヘビ騒動」が日本で報じられたわけだ。状況が状況であり、ニシキヘビが突然、便器から顔を出せば、驚くだろう。「人が犬を噛んだ」ような状況に読者も驚き、好奇心を呼び起こす出来事だ。それを訳して日本に配信した時事通信記者もいい記者センスの持ち主だ。読者が何に関心があるかを冷静に判断しているわけだ。クルツ首相の記者会見には関心を示さない日本のメディアも「ニシキヘビ騒動」は即配信したわけだ。

 思い出したが、昨年、ウィーン発でおならをした青年が罰金を科せられたという話が日本でも報じられた。「おなら青年」の記事は世界に配信された。その結果、おならをして罰金刑を科せられた青年は一躍、有名人となった。

 読者のために事件を再現する。昨年6月5日の夜中、M君は 友達とウイーン8区の 公園のベンチでビールを飲んでいたところ、夜回りの警官が 質問をしてきた。協力的でないだけでなく、挑発的な態度の彼に、身分証明書の提示を要求した。ところが、M君は突然立ち上がって 警官をにらむと、警官に向かってわざと 思いっきりガスを一発 放った。侮辱と態度の悪さに 警官も気分を悪くした。公共の規律に触れたのか、500ユーロの罰金が科せられたのだ。

 ウィーン発「おなら青年」事件が伝わると、アメリカのニューズウィーク、イギリスBBC、ガーディアンをはじめ カナダのCBC、アイルランドなど、世界中のメディアが一斉に報じた。青年はウイーン大学の学生だ。

 蛇足だが、「ウィーン発」ではないが、最近笑った出来事を報じた記事を紹介する。駐韓ベルギー大使の夫人(63)がまた騒動を起こしたのだ。今回はソウル市龍山区の清掃員と揉み合いになった。今回も大使夫人は清掃員に平手打ちをくらわした。清掃員の箒が大使夫人の体に触れたというのが騒動の発端だ。口論の末、清掃員が夫人を地面に倒した。警察が駆け付けて、夫人がベルギー大使夫人であることが分かって、事を荒立てないために双方を和解させて出来事は一応、解決した。

 大使夫人は中国人女性だ。夫人は先日も買物中、店員に万引きした疑いをかけられたことに激怒し、謝罪する店員の顔を平手打ちしている。同出来事は韓国メディアでも結構大きく報道された。ベルギー大使館は夫人の言動を謝罪して一応解決した。ちなみに、駐韓ベルギー大使は今夏、任期を終えてベルギーに帰国する予定という。参考までに、大使夫人は1958年生まれの中国出身で、大使とは中国で知り合った。主人が2018年に駐韓大使に任命されたので、夫とともにソウルに住んでいた。

 「ニシキヘビ騒動」、「おなら青年」、そして「大使夫人平手打ち劇」も、それを報じる記事へのアクセスは政府首脳たちの会見や記者会見よりもはるかに多い。読者はこの種の出来事、騒動を報じる記事を読みながら、一緒になって怒ったり、笑ったり、ハラハラしているわけだ。

 ところで、当方は毎日、日本の読者の関心が少ないテーマを意図的に選んでコラムを書いているわけではない。住んでいるところがウィーンだから、ウィーンを拠点にテーマを探さざるを得ない事情がある。これは当方の嘆き節ではない。現実だ。「ニシキヘビ騒動」や「おなら青年」事件はめったに起きるものではない

 ここしばらく暑い日々が続く。コロナ禍で困難な状況で生活している読者も少なくないだろう。それらの読者の心を解し、喜びと笑いを提供するコラムを書きたいものだ。ニシキヘビには負けないぞ。
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