ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

キリスト教

エルサレムで修道女を襲撃した男に無罪

 イスラエルのエルサレムのシオンの丘近くで、39歳のユダヤ人男性が4月28日、道を歩いていたフランス人修道女を突き飛ばし、倒れた修道女を足蹴にするなどの暴行を加えた事件に対し、エルサレム治安判事裁判所は8月26日、被告の男に対して「精神疾患を患っている」として無罪判決を下した。同裁判所は「男が修道女に暴行を働いたことは事実だが、精神鑑定の結果、犯行当時は精神病状態にあり、したがって刑事責任能力を有していなかった」と説明している。また、男に対し、6年間の精神科施設への強制収容を命じた。これは「彼が起訴された罪状の中で最も重い罪に対する法定最高刑」に相当する。ただし、精神医療審査会の再検討を経て、この6年間の収容期間が短縮される可能性もあるという。

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▲礼拝を行うエルサレムのラテン典礼総大主教ピッツァバッラ枢機卿、バチカンニュース2026年5月5日

 被害に遭った修道女は、エルサレムにあるフランス聖書・考古学学院で研究員として働いている。彼女は4月28日、イエスの「最後の晩餐」の場所とされる「最後の晩餐の部屋(セナクル)」の近くで襲撃された。ネット上に公開された動画には、被告が彼女を背後から地面に突き倒し、執拗に蹴りつける様子が映っている。イスラエル警察は翌日、男を逮捕した。警察は逮捕時の映像に加え、修道女の頭部右側に負った傷を示す写真も公開し、国内ばかりか、国際社会にも大きな反響を投じた。

 エルサレムのベネディクト会修道院長であるニコデムス・シュナーベル氏は、カトリック通信社(KNA)とのインタビューで、今回の判決について、「加害者の精神疾患に偏見の目を向けるべきではないが、それによって私たちは真の社会問題を見失ってはならない。すなわち、キリスト教徒に対する憎悪が存在するということであり、あらゆる襲撃事件を精神医学的な観点だけで説明できるわけではない」と語った。

 事件発生当時、このコラムでも報じたが、イスラエル社会の中には「キリスト教徒に対する憎悪が存在する――そして、あらゆる襲撃事件を精神医学的な観点だけで説明できない」ということだ。ガザ紛争やレバノン紛争でも明らかだが、イスラエルとイスラム教徒の間での憎悪、対立はよく報じられてきたが、ユダヤ教とキリスト教の間にも同じような宗派間のいがみ合い、憎悪が存在することを忘れてはならない(「ユダヤ人に見られる反キリスト教傾向」2026年5月5日参考)。

 エルサレムのラテン典礼総大司教であるピッツァバッラ枢機卿は「イスラエルのキリスト教徒(少数派)がますます敵意にさらされている。キリスト教徒に対する攻撃や敵対行為が増加してきた。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の3宗教の聖地があるエルサレム旧市街では、超正統派ユダヤ教徒がキリスト教の聖職者に唾を吐きかけたり、暴言を吐いたりする行為が常態化している。最近はその頻度が非常に高まっている」と指摘。同総大司教は、イスラエルで予定されている議会選挙についても懸念を抱いていることを明らかにしている。例えばエルサレム旧市街のユダヤ人街やシオン山などにおいて、キリスト教徒にとって状況が「非常に不快なものになりかねない」と述べている(「バチカンニュース2026年6月12日)。

 イスラエル社会における反キリスト教傾向について、�.ぅ好薀┘訐�府内に超国家主義者や宗教的極右勢力が参画したこと、��一部の過激派が「ユダヤ人の土地における異教の排除」という排他的な考えを正当化し、行動をエスカレートさせている、��ユダヤ教の超正統派や右派若年層の一部において、キリスト教を「偶像崇拝」とみなし、エルサレムから排除すべき存在と捉える過激な思想が強まってきている、�ぅ�ザ情勢やレバノン国境での緊張が続く中、宗教的なアイデンティティが先鋭化し、他宗教への不寛容さが攻撃的な形で表出しやすくなっている、等々が要因として挙げられている。

 ちなみに、イスラエル中央統計局(CBS)の最新データに基づくと、イスラエルのキリスト教徒の人口(2025年末時点)は 約18万4,200人で、総人口の約1・9%だ。そのうち約78.7%がアラブ系キリスト教徒だ。ちなみに、エルサレム市には約1万3400人のキリスト教徒が住み、ナザレ(1万8,900人)、ハイファ(1万8,800人)に次いで3番目に多い居住地となっている。

「バベルの塔」と「ペンテコステ」の話

 キリスト教会では24日、ペンテコステ(聖霊降臨祭)を迎えた。イエスの生誕のクリスマスと復活のイースターと共に、ペンテコステはキリスト教会にとって最も重要な祝祭だ。新約聖書の「使徒行伝」第2章3〜4節によれば、ペンテコステの日曜日は、イエスの母マリアと弟子たちがユダヤ教のシャブオット祭のためにエルサレムに集まっていた時、聖霊が「天からの轟音」として降臨した。「突然、激しい風が吹くような音が天から聞こえ、彼らの座っていた家全体に満ちた。彼らは、炎のような舌が分かれて、一人ひとりの上に留まるのを見た。すると、彼らは皆聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、異なった言葉で話し始めた」と記されている。

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▲エル・グレコの「聖霊降臨」(1596〜1600年)、ウィキぺディアから

 彼らは突然、さまざまな言語で自発的に話すことができ(異言=グロソラリア)、その場にいた全員がそれぞれの母語でそれを理解できた。この出来事は、福音の世界的な広がり、ひいてはキリスト教共同体の誕生の最初のきっかけと考えられている。ペンテコステはイースターから50日後に祝われる。ちなみに、ペンテコステという言葉はギリシャ語の「Pentekost」に由来し、「50」を意味する。第2バチカン公会議(1962〜65年)以降、聖霊降臨祭は「復活祭の第8主日」として、復活祭の完成と確証として祝われるようになった。

イエスの弟子たちは宣教の道具として、奇跡的に多くの言語を理解できるという賜物を受けた。この「ペンテコステの出来事」あるいは「ペンテコステの奇跡」は、キリストを信じた、そして今も信じるすべての人々の共同体としての教会の創設のきっかけとなった出来事、いわば教会の「誕生日」と考えられている。聖書は聖霊を、人生のあらゆる領域における創造的な力という。教会の教義によれば、聖霊はイエス・キリストの人格、言葉、そして働きを生き生きと保つために世に遣わされた賜物だ。ペンテコステ(聖霊降臨祭)の翌日である月曜日はPentecost Mondayと呼ばれ、多くのキリスト教国では祭日だ。

 興味深い点は、ペンテコステの異言の奇跡は旧約聖書のバベルの塔の物語(創世記11章1-9節)と関連があることだ。バベルの塔の話は、天に届く塔を建てようとした人間の傲慢さに対する神の罰として言語を混乱させられた話だ。「バベルの塔」と「ペンテコステ」(五旬節)は、聖書において「人間の言語」を介して対をなす、正反対の物語(表裏一体の関係)として捉えられている。キリスト教神学では、ペンテコステは「バベルの塔の呪いや混乱が解消された出来事」と解釈される。

 <バベルの塔>
 神による言語の「分断」、旧約聖書(創世記)の物語だ。 人類は天まで届く塔を建て、神に並ぶ名声を得ようとした。人間の傲慢さへの神の処罰として、当時、世界中の人間は同じ一つの言語を話していたが、神は人間の傲慢さを崩すため、彼らの言葉を混乱(バベル)させ、互いに意思疎通ができないようにした。その結果、人々は理解し合えなくなり、建設は中断され、世界中に散り散りになった。

  <ペンテコステ>
 新約聖書(使徒行伝)の物語だ。 イエスの復活から50日後、弟子たちが一緒に集まっていると、突然、激しい風のような音が天から響き、舌のようなものが炎のように分かれて一人びとりの上にとどまった。すると一同は聖霊に満たされ、他国のさまざまな言葉(外国語)で語り出した。 世界中からエルサレムに集まっていた人々はあっけに取られ、「生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとはどうしたことか」と驚き惑った。

 <結論>
 「バベルの塔」は、人間が神に近づこうとして言葉が通じなくなり、人類がバラバラになった悲劇だ。一方、ペンテコステでは、神は聖霊を降臨させ、言葉の壁を越えて人々の心を再び通わせ、一つにされた。そのため、ペンテコステは「逆バベル」とも呼ばれるわけだ。

 ところで、新約聖書「ルカによる福音書」第23章43節によると、イエスは当時、全ての人間が、最後まで誰も信じてくれなかった中で、自分を信じてくれた、たった一人の十字架の同伴者であった強盗に、「よく言っておくが、あなたきょう、私と一緒にパラダイスにいるであろう」と述べている。「天国」ではなく、「楽園にいるだろう」と約束しているのだ。

 イエスは伝道を開始した直後、天国は近づいたと述べていたが、十字架の道に行かなければならなくなった結果、「天国」ではなく、「楽園」と言っているのだ。なぜだろうか。十字架の救済でメシアとしてのイエスの使命が成就したのであれば、どうして再び降臨しなければならないのか、等々の疑問がつきまとう。

 聖霊の恵みを得た聖パウロすら「私は、内なる人として神の律法を喜んでいるが、私の肢体には別の律法があって、私の心の法則に対して戦いを挑み、そして肢体に存在する罪の法則の中に、私を虜にしているのを見る。私はなんとみじめな人間なのだろう」と慨嘆している(「ローマ人への手紙」第7章22節〜24節)。人類は‘第2のペンテコステ‘を待たざるを得ないのだろうか。

ユダヤ人に見られる反キリスト教傾向

 イスラエルのエルサレムのシオンの丘近くで、39歳のユダヤ人男性が4月28日、道を歩いていたフランス人修道女を突き飛ばし、倒れた修道女を足蹴にするなどの暴行を加えた。修道女への暴行事件の様子は今月3日に入って動画で拡散され、イスラエル国内で衝撃を与えている。

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▲キリスト教徒のイスラエル兵士たちと会見するネタニヤフ首相、2026年4月26日、イスラエル首相府公式サイトから

 それに先立ち、レバノン南部のデブル村でイスラエル軍兵士が先月19日、ハンマーでイエス・キリストの像を損壊する画像がSNSで拡散された。デブル村のファディ・ファルフェル司祭は「イスラエル兵が十字架を壊し、私たちの神聖な象徴を冒涜するという恐ろしいことをした」と述べ、地元コミュニティの深い憤りを伝えた。

 その他、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の3宗教の聖地があるエルサレム旧市街では、超正統派ユダヤ教徒がキリスト教の聖職者に唾を吐きかけたり、暴言を吐いたりする行為が常態化している。

 2025年には、ガザ唯一のカトリック教会「聖家族教会」の敷地が攻撃を受け、避難していた市民が死傷した事件がある。また、ガリラヤ湖畔にある著名な教会「パンと魚の奇跡の教会」が2015年、ユダヤ教過激派によって放火され、壁にヘブライ語で異教徒を侮辱する落書きがされた。エルサレムのシオンの山にあるキリスト教徒の墓地で、墓石や十字架が破壊される事件が発生した。

 レバノンの十字架像への冒涜事件についてはこのコラム欄で詳細に報じたが、イスラエル社会における反キリスト教傾向について、もう少し突っ込んで考えてみたい。

 �.ぅ好薀┘訐�府内に超国家主義者や宗教的極右勢力が参画したこと、��一部の過激派が「ユダヤ人の土地における異教の排除」という排他的な考えを正当化し、行動をエスカレートさせている、��ユダヤ教の超正統派や右派若年層の一部において、キリスト教を「偶像崇拝」とみなし、エルサレムから排除すべき存在と捉える過激な思想が強まってきている、�ぅ�ザ情勢やレバノン国境での緊張が続く中、宗教的なアイデンティティが先鋭化し、他宗教への不寛容さが攻撃的な形で表出しやすくなっている、等々が要因として挙げられている。

 イスラエル中央統計局(CBS)の最新データに基づくと、イスラエルのキリスト教徒の人口(2025年末時点)は 約18万4,200人で、総人口の約1・9%だ。そのうち約78.7%がアラブ系キリスト教徒だ。ちなみに、エルサレム市には約1万3400人のキリスト教徒が住み、ナザレ(1万8,900人)、ハイファ(1万8,800人)に次いで3番目に多い居住地となっている。

 ユダヤ人がキリスト教徒へ強い反発を有する背後には、キリスト教会が久しくユダヤ民族を「メシア殺害民族」として蔑視してきた歴史と密接な関連性がある。「メシア殺害民族、神殺し(deicide)」という非難は、何世紀にもわたりユダヤ人迫害の神学的根拠となってきた。これに対し、現代のユダヤ社会は「歴史的・学術的な反論」と「宗教間の建設的な対話」を通じてこの問題を克服(昇華)しようとしてきた。

 ユダヤ社会は先ず、キリスト教会側の一方的な非難を「虚偽の主張(The Christ-Killer Lie)」として退けている。理由は、�―住�架刑は当時の統治者であるローマ帝国の刑罰であり、ユダヤ教の処刑方法(投石など)ではないこと、��当時のユダヤ教指導層の一部が関与した可能性は否定できないが、民族全体や後世の世代に責任を負わせる「民族罪」という考え方は不当、��神学的反論としては、ユダヤ教の教義において、イエスはメシア(救世主)の条件を満たしていないから、神殺しという概念自体が成立しない、�な_蚕颪涼罎糧織罐瀬篥�表現が当時のユダヤ教内部の派閥争いや、後のキリスト教共同体の政治的背景から生まれたものであること、等々が挙げられている。

 また、�ゥぅ┘垢�当時のユダヤ教の文脈の中で活動し、律法を重んじる一人のユダヤ人であった。それゆえに、イエス対ユダヤ人という「対立構造」ではなく、「ユダヤ教内部の多様な議論の一つ」として新約聖書を読み直す必要があること、��新約聖書には「ユダヤ人たち」を悪役のように描く記述があるが、これらの記述は「ユダヤ教対キリスト教」の争いではなく、当時のユダヤ教内の異なる派閥(ファリサイ派、サドカイ派など)による激しい主導権争いの反映であったこと、そして�Д�リスト教がローマ帝国で普及する際、ローマ側の責任を軽くし、ユダヤ側に責任を転嫁せざるを得なかった政治的背景があったことなどが指摘されている。

 「メシア殺害民族」問題では、キリスト教側とユダヤ教側から相互理解を促進する動きがあった。キリスト教側からは、1965年の第2バチカン公会議による宣言「ノストラ・アエターテ」(キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言)で、カトリック教会は「イエスの死の責任は当時のユダヤ人全員にも、今日のユダヤ人にも帰せられない」と公式に宣言した。ユダヤ教からは 2000年、200人以上のユダヤ人学者やラビが連名で「ダブルー・エメット」(真実を語れ)という声明を発表した。これは「キリスト教徒を敵ではなく、神を敬うパートナーとして見る」という前向きな姿勢を示したもので、歴史的な敵対心を乗り越えようとする動きだ。

 現代では、イスラエルとキリスト教会の間で、聖地の保護や人道支援といった共通の利益のために協力する関係が築かれてきている。過去の呪縛を解き、現代社会の課題に共に立ち向かう実務的な共生が模索されてきたわけだ。

 レバノンの十字架像の破壊や修道女への暴行事件は、こうした歴史的対話の進展とは逆行する動きであり、ユダヤ社会の主流派や政府は「恥ずべき行為」として非難している。

なお、イスラエルのネタニヤフ首相は先月26日、イスラエル国防軍(IDF)の部隊に所属するキリスト教徒の兵士や指揮官と会談している。同首相は「私は今、首相官邸で、素晴らしい若者たちのグループと会っている。彼らはイスラエル国防軍に所属するキリスト教徒の兵士たちだ。彼らは私たちの素晴らしい軍隊のあらゆる重要な役職を担い、素晴らしい働きをしている。イスラエルは中東で唯一、キリスト教徒コミュニティが繁栄し、成長し、拡大している国だ」と自負している。

レバノンでの十字架像冒涜とその対応

 レバノンで倒れた十字架像の頭部をイスラエル兵が斧で叩きつける画像が19日、ソーシャルメディア上で拡散した。イスラエル国防軍(IDF)は同日夜、この画像の信憑性を確認し、内部調査の結果、写真に写っている兵士は確かに軍人であることが判明したと発表した。十字架像破壊事件はレバノン南部、イスラエル国境に近いキリスト教徒の村デブルで起きた。ファディ・ファルフェル司祭(レバノン・デブル村)は「イスラエル兵が十字架を壊し、私たちの神聖な象徴を冒涜するという恐ろしいことをした」と述べ、地元コミュニティの深い憤りを伝えた。

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▲イタリアのフィレンツェの「サンタ・マリア・ノヴェッラ教会」の「十字架のイエス」(フィレンツェ・ガイドブックから)

 IDFは公式ソーシャルメディアアカウントXへの投稿で、この事件を「極めて厳重に対処している」とし、「兵士の行為は部隊に求められる価値観と全く相容れない」と付け加えた。軍は、この事件は北部方面軍が調査しており、「責任者に対する適切な措置を講じるため、指揮系統を通じて処理されている」と強調した。関与した兵士は戦闘任務から解任され、30日間の軍拘禁刑に処されるという。イスラエル軍は最終的に、地域社会と協力して「像を元の場所に戻す」と表明した。

 イスラエルのネタニヤフ首相は20日、この事件に「衝撃と悲しみ」を表明し、「我が国ではあらゆる宗教が栄えており、我々はすべての信仰を持つ人々を社会構築において平等な存在とみなしている」と強調した。サール外相は「この行為は完全に我々の価値観と反する。イスラエルは、様々な宗教とその神聖な象徴を尊重し、信仰間の寛容と相互尊重を促進する国である。不快な思いをされたすべてのキリスト教徒の方々に深くお詫び申し上げる」と述べている。

 ローマ教皇レオ14世は事件を直接的に名指しはしなかったものの、X上で「中東のキリスト教徒のために、かつてないほど祈りを捧げている」と投稿し、地域の信仰の自由への懸念をにじませている。また、駐イスラエルのハッカビー米大使は「迅速かつ厳格な結果が必要だ」と述べ、速やかな法的措置を求めている。

 カトリック通信(KNA)によると、聖地カトリック司教会議は20日に声明を発表し、「この行為はキリスト教信仰に対する重大な侮辱であり、レバノン南部でイスラエル国防軍兵士によるキリスト教の象徴への冒涜が報告されている複数の事例の一つである」と述べた。

 エルサレム・ラテン総大司教であり、総会議長でもあるピエルバッティスタ・ピッツァバラ枢機卿が署名した公式声明の中で、「この行為はキリスト教信仰に対する重大な侮辱であり、レバノン南部でイスラエル軍兵士によるキリスト教の象徴の冒涜に関する他の報告事例に加わるものだ。この事件は、道徳的・人間的形成における憂慮すべき欠陥、すなわち、聖なるものへの最も基本的な敬意や他者の尊厳さえも著しく損なわれている状態を示している」と指摘。そして「信者にとって、十字架は尊厳、希望、そして贖いの源であり、自己犠牲的な愛を通して暴力に打ち勝つための呼びかけでもある」と述べた。

 なお、 イタリアのタヤーニ外相も今回の事件に言及し、「中東和平の担い手であるキリスト教徒に対する暴力的な扇動行為だ。決して許されない事件であり、二度と繰り返されないことを願う」と述べた。また、欧州議会のピナ・ピチェルノ副議長は「信仰の自由に対する、重大かつ前例のない、受け入れがたい侵害である」との声明を出した。


【一口解説】

 イスラエルでは過去にも軍兵士や過激派による宗教施設への攻撃や冒涜事件が報告されている。例えば、ガザ地区での戦闘中(2023年)、イスラエル兵がモスクのスピーカーを使ってユダヤ教の祈りを詠唱したり、商店の品物を破壊したりする動画がSNSで拡散し、国際的な批判を浴びた。2025年には、ガザ唯一のカトリック教会である「聖家族教会」の敷地が攻撃を受け、避難していた市民が死傷した事件がある。また、ガリラヤ湖畔にある著名な教会「パンと魚の奇跡の教会」が2015年、ユダヤ教過激派によって放火され、壁にヘブライ語で異教徒を侮辱する落書きがされた。エルサレムのシオンの山にあるキリスト教徒の墓地で、墓石や十字架が破壊される事件が発生した。今回の事件は十字架像の頭部を斧で破壊するシーンが拡散されたことで、その画像を観た関係者、特に、キリスト教徒には大きなショックを与えている。

 今回の事件で驚いた点は、イスラエル軍側の対応の迅速さだ。IDFは報告を受けて数時間後、事件を確認し、破壊行為をした兵士を見つけ出し、処罰を下している。それだけではない。IIDFは正式に謝罪表明しているのだ。

 ユダヤ民族は過去、キリスト教会から「メシア殺害民族」と指摘され、キリスト教社会では反ユダヤ主義的蛮行の犠牲となった長く苦い歴史がある。イスラエル軍の今回の異常とも思える対応の迅速さは、イスラエル側の危機管理が機能していることを証明している。それだけではなく、「メシア殺害民族」というレッテルはユダヤ民族にとって今なお歴史的重荷となっているのだ。

 なお、レバノンは中東で最もキリスト教徒の割合が高い。キリスト教徒の割合は約35%と推定されている。、主な宗派: マロン派(最大勢力)、ギリシャ正教、メルキート・カトリックなどだ。レバノンでは、大統領はマロン派キリスト教徒、首相はスンニ派イスラム教徒、国会議長はシーア派イスラム教徒が務めるという宗派別権力分立制がとられている。

人は何のために「断食」をするか

 今年のキリスト教(主にカトリックや伝統的なプロテスタント)の四旬節(レント)は18日に始まった。、四旬節は18日の「灰の水曜日」から復活祭(イースター)前日の土曜日まで、日曜日を除いた40日間の準備期間を意味し、イエス・キリストが荒野で断食した期間にちなみ、祈り、節制、断食などをして回心と準備を行う期間だ。四旬節の期間中は教会では節制が求められ、特に「灰の水曜日」と「聖金曜日」は大斎(1日の食事を1回にする)と小斎(肉食を控える)が守られる。

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▲四旬節の初日「灰の水曜日」、バチカンニュースから、2026年2月18日

 なお、キリスト教の「四旬節」とイスラム教の「ラマダン」が同じ日に始まるのは1943年以来で83年ぶりだ。世界のキリスト信者とイスラム教徒が同じ日に「断食と祈りの期間」に入るということは歴史的、宗教的に見ても意味深い出来事だ。ちなみに、2026年はラマダンと四旬節に加え、旧正月(2月17日)もほぼ同時期に重なる極めて稀な年であり、このような重なりは1863年以来163年ぶりとされている。

 この期間は、キリスト教徒とイスラム教徒の双方が祈りと断食を行う「共有された聖なる季節」として、世界各地で宗教間の対話や平和への祈りが呼びかけられている。 前日はラマダンでのイスラム教徒の断食について書いたが、今回はキリスト信者の断食について少し考えてみた。キリスト教ではイスラム教とは違い、断食は義務ではない。あくまでも自発的な個々の決定だ。

 聖書によると、イエスは40日間の断食をし、その直後、「あなたが神の子であるなら、石をパンになるように命じてごらんなさい」という悪魔からの試みを受けている。旧約聖書ではエジプトで奴隷生活していたイスラエルの民を神の約束の地カナン(現在のパレスチナ地域)に導いたモーセも40日間の断食をしている。預言者エリアも断食している。なぜ「40日間」かはここでは詳細に言及できないが、人間が悪魔の誘惑から離れるために償い期間、再出発への準備期間として数字「40」が聖書ではよく登場する。

 ところで、現代人は断食を健康療法の手段と考える傾向がある。管理した断食は健康にもいいが、無計画で始めた場合、健康に悪影響が出ることがあるから要注意だろう。

 ドイツのカトリック通信は四旬節の開始を受け、どれだけの国民がこの期間、断食するかの調査を実施し、その結果を報告していた。ドイツでイースターまで断食する予定のキリスト信者はわずか13%だった。これは、中央ドイツ教会新聞「Glaube+Heimat(信仰+祖国)」の依頼でInsa-Consulereが実施した調査結果だ。回答者2,000人のうち79%が断食するつもりはないと回答した。残りは無回答だ。調査によると、断食への意欲が最も高いのは18歳から29歳の層で、29%だった。四旬節を断食に充てたいと考えている人の数は、年齢が上がるにつれて減少している。

 四旬節もラマダンも断食は基本的には健康のためではなく、悔い改めや感謝の思いを込めて行う宗教的な業だ。スイスの典礼学者ミリアム・ヴェネマン氏は「灰の水曜日」の18日、ポータルサイト「kath.ch」のインタビューで、断食について、「より自由になるために意識的に禁欲すること、そして視野を取り戻すために自分自身を制限することだ」と述べた。この意味で、「灰の水曜日」は第2の、より静かな新年のような役割を果たす可能性があるという。

 同氏はまた、「スピード、消費主義、パフォーマンスの向上、そして完璧主義が特徴的な社会において、意識的にそれらの中断を招く断食は少々反抗的に感じられるかもしれない。しかし、私たちは全てをコントロールできているわけではないこと、常に機能し、常にオンラインであり、完璧である必要はないことを断食は思い出させてくれる。断食の効用が宗教的な文脈を超えて人々に共鳴を与えていることは容易に理解できる」と語っている。

 ちなみに、「灰の水曜日」は四旬節の初日だ。聖書において「灰」は伝統的に、自分の罪を悔い改めることや、人間がいつかは死んで塵に帰る「はかなさ」の象徴だ。神父が信者の額に灰で十字を描くのは、「忘れてはならない。あなたは塵であり、塵に帰る」あるいは「悔い改めて福音を信じよ」というメッセージが含まれている。

 ちなみに、イエスは人に見せるための断食を批判し、「断食をする時は、陰気な顔つきをするな。頭に油を塗り、顔を洗いなさい」と述べている。断食は人に見せるパフォーマンスではなく、隠れたところにおられる父(神)との個人的な関係で行うべきものだというわけだ。(「マタイによる福音書」第6章)。

性的虐待訴訟で財政難に陥る米教会

 世界で最も裕福なローマ・カトリック教会の教区の一つ、ニューヨーク大司教区が数々の性的虐待訴訟により財政難に陥っている。ニューヨーク大司教区は、虐待訴訟の和解に3億ドル以上を費やすという。「ニューヨーク・タイムズ」が8日報じたところによると、この資金は、未成年時に神父や教会職員から性的虐待を受けた約1,300人への賠償に充てられる。

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▲虐待訴訟で財政難にある米教会、ドイツ・カトリック通信から

 報道によると、大司教区と被害者側の弁護士は、賠償問題を友好的に解決するための調停手続きの基本原則について合意したという。

 ニューヨーク大司教区のティモシー・ドラン枢機卿は「私たちが繰り返し認めてきたように、未成年者への性的虐待は、私たちの教会に恥辱をもたらしてきた。信徒の教会への信頼を裏切り、若者の安全を確保しなかった聖職者の蛮行について、改めて赦しを請う」と述べている。

 同大司教は、和解に必要な3億ドル以上の資金を調達するために、「大司教区は非常に困難な財政的決断をいくつも下した」と説明した。具体的には、教会従業員の解雇や、マンハッタンのファーストアベニューにある本部を含む不動産の売却が含まれていた。

 米国で多数の虐待訴訟により深刻な財政難に直面しているのは、ニューヨーク大司教区だけではない。ニューオリンズ大司教区は、被害者との法廷での和解が成立した。合意内容によると、被害者数百人に約2億3000万ドルが支払われる。グレゴリー・エイモンド大司教は「このプロセスが終わったことを嬉しく思う」と述べている。

 米国のカトリック教会は過去20年間、聖職者の性的虐待事件に関連して約50億�砲稜綵�金を支払ってきたという。ジョージタウン大学の「応用使徒職研究センター(CARA)」が今年初めに研究結果を発表した。

 50億�砲龍盂曚砲蓮�被害者への賠償金、法的費用、治療やカウンセリングのための費用、さらには予防措置や研修の費用が含まれる。その中でも最大の割合は被害者への賠償金であり、次いで弁護士費用や裁判費用などの法的・防御費用が続く。総費用の約4分の1は保険によって賄われたという。

 CARAの研究によれば、2004年から2023年の調査期間中、合計15,000件の信憑性のある告発が報告された。聖職者による虐待事件の80%は1990年以前の数十年間に発生しており、1970年代にピークを迎えた。2000年以降に発生した事件はわずか3%に過ぎない。被害者の5人に4人は少年であり、被害を受けた当時の年齢は半数以上が10歳から14歳、約5分の1が9歳以下だったという。

 研究によると、告発件数4,490人の加害者に対して行われ、そのうち95%が神父、4%が修道会や霊的共同体の男性、1%が助祭だった。86%の加害者は、虐待が報告された時点ですでに死亡していたり、聖職を解かれていたり、現役を退いており、そのため司法手続きが難航するケースが多かった。さらに多くの加害者が複数の被害者を持っていた。

 ところで、教会側が聖職者の未成年者への性的虐待の犠牲者に払う賠償金はどこからくるのか。教会は無数の不動産や建物を保持しているが、基本的には、信者たちの献金からだ。信者たちが献金する資金で聖職者の性犯罪への賠償金が払われていることになる。教会への信頼が崩れ、教会から離れていく信者が多数でてきたとしても不思議ではない。

西暦2033年に「イエス復活2000年祭」を

 ローマ教皇レオ14世は先月27日から教皇在位後初の外遊としてトルコとレバノンを訪問した。トルコではエキュメニカル信条の基礎が築かれたニカイア公会議(現在のイズニク)1700周年と正教会の聖アンドレア祭の記念式典に参加し、正教会の名誉総主教であるコンスタンティノープル総主教バルトロメオスと会談した。

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▲レオ14世とバルトロメオス総主教の会合、2025年11月30日、バチカンニュースから、

 そして30日午後(現地時間)、次の訪問国レバノンを訪問し、新たに選出された指導部の政府代表者と会談。教皇レオ14世は1日、アンナヤのマルーン修道院にある聖シャルベルの墓を訪れ、挨拶のメッセージを述べる。ベイルートではエキュメニカルおよび諸宗教会議が開催され、その後、教皇と若者との会合が行われる。12月2日は、2020年に壊滅的な爆発事故が発生し、約200人が死亡し、多くの建物が破壊されたベイルート湾で黙祷とミサを執り行い、全ての公式行事を終え、ローマに戻る予定だ。

 レオ14世の初外遊の最大のハイライトはキリスト教の信仰基礎が築かれたニカイア公会議1700周年祭に参加し、バルトロメオス総主教との会談だった。レオ14世とバルトロメオス総主教は30日、正教会が守護聖人である使徒アンデレの祝日に参加、聖ゲオルギオス総主教教会で行われる正教会の礼拝でスピーチを行った。

 ニカイア公会議1700周年記念行事への巡礼は、30日、イスタンブールの聖ゲオルギオス総主教教会における荘厳な聖体礼儀をもって最高潮に達した。コンスタンティノープル総主教庁の守護聖人である聖アンドレアの祝日に際し、教皇と総主教は演説の中で、キリスト教の一致への包括的かつ共通のコミットメントを改めて表明している。

 バルトロメオス1世総主教は説教の中で、この会合の歴史的象徴性を強調、「我らの主であり救い主イエス・キリストの最初の使徒である二人の兄弟、コンスタンティノープル教会の創始者アンデレとローマ教会の創始者ペトロを想起する。聖ペトロと聖アンデレの接吻のイコンが半世紀以上にわたり、キリスト教の一致に向けた我々の共通の巡礼の象徴となってきた」と強調した。

 一方、教皇レオ14世は、ニケア信条とコンスタンティノープル信条を、「カトリック教徒と正教会のキリスト教徒を真の交わりで結びつける絆だ」と強調。諸教会に対し、「依然として様々な障害が立ちはだかるにもかかわらず、一致への決意を揺るがすことなく、互いをキリストにおける兄弟姉妹とみなし、そのように愛し合おう」と呼びかけた。

 ちなみに、教皇は、60年前、パウロ6世とアテナゴラス総大主教が1054年に相互破門を解除した際に、前任者たちが行った和解のしるしを繰り返し、「父と子と聖霊の名において洗礼を受けたすべての人々」との完全な交わりを達成することが、ローマ司教としての自身の職務の最優先事項だ」と改めて強調した(「イエスは神か、人間か―これが問題だ」2025年11月25日参照)。

 注目される点は、トルコ訪問でレオ14世は、エルサレムでイエス復活2000周年を共同で祝う構想を改めて表明していることだ。教皇はキリスト教徒間の対話と一致について言及し、キリスト教徒がイエス・キリストの復活2000年を祝う予定の2033年を見据え、エルサレムでの共同祝典の可能性を示唆している。教皇は、「これは全てのキリスト教徒が祝いたい行事だ」と述べている。

 西暦2033年まであと8年余りを残すばかりだ。ChatGPTによると、世界に約4万5,000以上のキリスト教系の宗派がある。これらは、大きく分けてカトリック、東方正教会、プロテスタントの3つの潮流に分類される。キリスト教信者は世界で約23億人と推定されている。世界総人口の約3分の1を占める。33歳で十字架に処刑されたイエスの教えが2000年後、世界の最大宗派となっているわけだ。

バチカン「過度のマリア崇拝に警告」

 ローマ・カトリック教会の総本山バチカン教皇庁の教理省長官ビクター・フェルナンデス枢機卿は4日、「マテル・ポプリ・フィデリス(信徒の母)」という「特定のマリア称号に関する教理覚書」を公表し、キリスト教信仰の教理と一致しないマリア崇拝に警告を発した。具体的には、マリアの「共同贖罪者」(ラテン語:Co-Redemptrix )や「恵みの仲介者」といった称号を今後使用しないように申し出ているのだ。その理由として、「キリスト教のメッセージの調和のとれた全体性を正しく考察することを妨げるからだ」と説明している。

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▲バチカン庭園にある幼子イエスを抱えるマリア像、2025年11月04日、バチカンニュースから

 カトリック教会でのマリア崇拝の歴史は長い。マリアの神学的な意義などを学ぶ「マリア神学」があるほどだ。マリアの崇拝は20世紀半ばに始まり、ポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(1978〜2005年)の在位期間以降、大きく広がっていった。ヨハネ・パウロ2世は生前、「マリアは共同救世主である」と何度も語ったことがある。マリアを‘第2キリスト‘と呼んでいたわけだ。ただ、同2世は「共同贖罪者」、「第2のキリスト」といった称号が何を意味するのかについては正確に定義していない。

 「共同贖罪者マリア」という称号については、カトリック教会内でも議論があり、正式には教義化されていない。「この称号は、キリストによる唯一の救いの仲介を曖昧にする危険性をはらみ、キリスト教の真理の調和に混乱と不均衡をもたらす可能性がある。なぜなら、救いは他の誰にも(キリスト以外には)見出されないからだ」という。同内容はバチカンの教理に関する最高権威機関(教理省)が作成し、新教皇レオ14世が承認した「特定のマリア称号に関する教理覚書」の中で述べられている。

 教会はマリアの重要性を強調するが、「共同贖者」という表現は誤解を招く可能性がある。なぜならば、聖書では、「神と人間との間の仲保者もただ1人であって、それはキリスト・イエスである」(「テモテへの第1の手紙」第2章5節)と記されているからだ。マリアを救い主イエスと同列視する教義は明らかに聖書の内容と一致しない。ヨハネ・パウロ2世の下で教理省長官を務めたヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)は2002年、「『共同贖罪者』という表現は聖書の言葉から逸脱し、誤解を招く」と述べている。

 フェルナンデス教理省長官は今回、「贖罪の業においてマリアがキリストに従属する役割を示す必要があることを考えると、マリアの贖罪への関与を定義する際に『共同贖罪者』という称号を用いることは不適切だ。この称号はキリストによる救いの唯一の仲介を不明瞭にする」と説明し、「共同贖罪者」という称号はリスクを伴い、混乱を招く可能性があると述べている。

 同覚書はまた、マリアの称号である「すべての恵みの仲介者」についてもかなり批判的な見解を示している。ラッツィンガー枢機卿は教理省長官時代、「この称号は黙示録に明確に根拠づけられておらず、神学的考察と霊性の両方において困難を生じさせる。私たちの救いは、他の誰の力でもなく、キリストの救いの恵みのみによるものだ」と述べている。

 ちなみに、ローマ・カトリック教会にはマリアに関連した大きな祝日が2回ある。8月15日の「聖母マリアの被昇天」と、12月8日の「聖母マリアの無原罪の御宿り」の日だ。前者はローマ教皇ピウス12世(在位1939〜58年)が1950年、世界に宣布した内容だ。キリスト教会の中で東方正教会はマリアの肉身昇天ではなく、霊の昇天と受け取り、マリアの昇天を教義とは受け取っていない。

 「聖母マリアの無原罪の御宿り」は10世紀ごろから伝えられていた。1708年にクレメンス11世(在位1700〜21年)が世界の教会で認定し、1854年、ピウス9世(在位1846〜78年)によって正式に信仰箇条として宣言された。「マリアは生まれた時から神の恵みで原罪から解放されていた」という教えだ。その結果、マリアは罪なき神の子イエスと同じ立場となり、「第2のキリスト」という信仰告白が生まれてくる一方、キリストの救済使命の価値を薄める危険性が指摘されてきた。中世のトマス・アクィナスらスコラ学者はマリアの無原罪説を否定した。聖書の中にはマリアの無原罪誕生に関する聖句は一切記述されていない。プロテスタント教会や正教会ではマリアを「神の子イエスの母親」として尊敬するが、「無原罪の懐胎説」を信じていない。

 それでは、なぜカトリック教会は聖書に記述されてもいないマリアの神聖化に乗り出したのだろうか。キリスト教社会で長い間、神は父性であり、義と裁きの神であったが、慰めと癒しを求める信者たちは、母性の神を模索し出した。その願いを成就するために、マリアが母性の神を代行するとしてその神聖化が進められていった経緯がある。

 ただし、マリアが第2のキリストに引き上げられれば、イエスの十字架救済の価値を薄めるだけではなく、キリスト・イエスの降臨の意味すら曖昧にしてしまう。12月8日の「聖母マリアの無原罪の御宿り」は非常に危険な神学的な矛盾を内包しているといえるわけだ。

 マリアはイエスの母だ。431年、エフェソス公会議において、マリアは「神の母」の称号を授けられた。マリア信仰はカトリック教会と東方正教会の特徴だが、ルター派教会ではマリア信仰はない。改革者マルティン・ルター(1483-1546)は、その著作の中で、「救いはイエス・キリストを通してのみもたらされ、マリアは救いの仲介者とみなされるべきではない」と強調している。バチカンの今回の教理覚書はこの見解に賛同しているわけだ。

 いずれにしても、バチカン教理省が今回発表したマリアの称号についての教理覚書は、ポーランドなどマリア崇拝が強いカトリック教国で混乱と戸惑いをもたらすかもしれない。同時に、世界のフェミニストたちから抗議の声が出るかもしれない。

今年のイースター(復活祭)は歴史的だ

 先ず、バチカンニュースからフランシスコ教皇の症状について報告する。
「呼吸器感染症のためローマのアゴスティーノ・ジェメッリ総合病院に入院中の教皇フランシスコの17日の様子について、同日夜、バチカン広報局は報道関係者に向け以下のように伝えた。教皇の容体は安定しており、呼吸理学療法と運動理学療法の結果、わずかな改善が見られる。鼻カニューレによる高流量酸素療法を用いる頻度は減り、酸素療法なしでも大丈夫な時もある。夜間は、非侵襲的人工呼吸を用いている。16日に撮影・掲載した写真に見られた手のむくみは、可動性が少ないことによるものだが、今日はすでに改善されている。教皇は祈り、休息し、仕事を少し行うことで日中を過ごした」

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▲入院後、初めて公表されたフランシスコ教皇の写真、 2025年03月16日、バチカンニュースから

 フランシスコ教皇はローマのジェメッリ総合病院に入院して早1カ月が経過した。88歳の高齢の教皇にとっては治療も大変だろうが、少しづつだが回復に向かっているという。入院後初めて教皇の写真が公表された。写真では、フランシスコ教皇が祭壇前の礼拝堂で16日のミサを祝った後の姿が写っている。礼拝堂は病院の10階にある病室に隣接する場所にある。

 ローマ教皇フランシスコは13日、教皇に選出されてから12年目を病室で迎えた。コンクラーベ(教皇選出会)は2013年3月13日午後、5回目の投票でアルゼンチンのブエノスアイレス大司教のマリオ・ベルゴリオ枢機卿を新教皇に選出した。システィーナ礼拝堂の煙突から白い煙が出て新教皇の選出が明らかになると、広場で待機していた市民や信者たちから大歓声が起きたことを今でも思い出す信者たちが多いだろう。あれから12年が過ぎたわけだ。

 選出時に76歳だった教皇にとってこの12年間は体力的にも厳しい日々が続いたことが推測できる。約14億人の信者のトップに立つペテロの後継者ローマ教皇の職務は外から見る以上に精神的、肉体的にハードだろう。

 ところで、教会は来月20日に復活祭(イースター)を迎える。復活祭はキリスト教会にとってイエスの生誕祭を祝うクリスマスと共に教会の2大祝日だ。フランシスコ教皇はその日までに健康を回復して世界の信者たちと共にイースターを祝いたいだろう。

 特に、2025年のイースターは特別だ。今年は「聖年」だ。「聖年」の幕開けは、ローマ教皇が大聖堂にある「聖なる戸」(Holy Door)を開ける象徴的な儀式から始まった。これは、神への道が特別に開かれる象徴とされている。それだけではない。ローマ・カトリック教会と世界の正教会(東方正教会、東方諸教会)が同じ日(4月20日)にイースターを祝うのだ。 

 ローマ・カトリック教会(およびプロテスタント教会)は通常、グレゴリオ暦を使用して復活祭の日付を決定する一方、正教会の多くはユリウス暦に基づいて復活祭の日付を計算する。そのため、正教会の復活祭はカトリック教会よりも1週間から5週間遅れることが一般的だった。カトリック教会と正教会は1054年の「大シスマ(東西教会分裂)」以来、別々の暦で復活祭を祝うことが多く、同じ日に祝うことは稀だった。

 ちなみに、キリスト教の復活祭の日付は、325年の第1ニカイア公会議で決められた。その原則は「春分後の最初の満月の後の日曜日」となっている。その意味で、2025年の一致は、ニカイア公会議の精神に戻る貴重な機会といえるわけだ。

 2025年は第1ニカイア公会議(325年)からちょうど1700年目の記念の年だ。同公会議は、キリスト教の教義を統一し、復活祭の日付を決定した重要な会議だった。この節目の年に、カトリック教会と正教会が同じ日に復活祭を祝うことは、単なる偶然ではなく、歴史的な意味がある、といえるわけだ。

「祈り」は宇宙のエネルギーと接続する業

 ローマ・カトリック教会の最高指導者、フランシスコ教皇は先月14日以来、ローマのジェメッリ総合病院に入院中だ。88歳のフランシスコ教皇の病状は、入院当初は気管支炎といわれたが、その後、両肺に炎症が広がっていることが分かった。教皇の容体が悪化し、一時期、持続性喘息性呼吸危機の症状となり、酸素呼吸が行われ、血液検査で血小板減少症と診断され、輸血が必要となった。その後容体は少し改善、呼吸困難は治まったが、その後、病状が再び悪化するなど、入院して20日間が過ぎたが、教皇の容体は依然、重篤に分類されるという。

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▲サン・ピエトロ広場でフランシスコ教皇の回復のために祈る信者たち
 2025年03月06日、バチカンニュースから

 教皇が入院して以来、バチカンの呼び掛けに応じ、毎日、数千人の信者たちがサンピエトロ広場で教皇のために祈りを捧げている。バチカンニュースによると、フランシスコ教皇の出身、ブエノスアイレスでも教皇のために祈りが捧げられているという。

 ところで、フランシスコ教皇は6日、回復を願う信者らに向け、25秒余りの音声メッセージで「あなた方の祈りに心から感謝する」と謝意を伝えた。バチカン市国のサンピエトロ広場で同日夜、メッセージが再生された。南米アルゼンチン出身の教皇は母国語のスペイン語で「私はここ(病室)からあなた方と共にいます」と語り掛けたという。

 バチカンニュースは「 2月14日に教皇が入院して以来、教皇の声が聞こえるのは初めてだった。フランシスコ教皇の写真は入院以来公開されていない。音声から聞こえる教皇の声が伝わると、サン・ピエトロ広場で集まっていた人々から大きな拍手が沸き上がった」と感動的に報じている。

 6日の夕方、バチカンは教皇の健康状態に関する新たな医学速報を発表した。それによると、 「安定した臨床状態」という。教皇は発熱はしておらず、治療を続けており、祈り、仕事、休憩で一日を過ごしている。ここ数日間、呼吸器系の危機は発生していないという。

 バチカンニュースが発信している写真には、88歳の高齢教皇の健康回復のために祈る人々の姿が写っていたが、祈る姿は美しいと改めて痛感した。祈るのはキリスト信者だけではない。イスラム教徒も仏教徒も祈る。特定の宗教を持たない人々も心の中で囁く。自分が重い病気になったり、家族が不幸だったりすると、人は真剣に祈り出すものだ。誰も誰に向かって祈るのか、とは問わない。自然に祈り出すのだろう。

 キリスト教会では、祈りで始め、祈りで終わるといわれる。自身の弱さを吐露する祈りは非常に私的だが、それだけにその祈る瞬間は真剣だ。人が自身の弱さに救いを求める時ほど偽りのない純粋な瞬間はない。

 もちろん、祈らない人もいる。祈りを他力本願と感じ、潔しとしないプライドの高い人はどこの世界でもいる。しかし、祈りは決して他力本願の表現ではない。自力の限界を感じ、祈らざるを得ない状況に立たない限り、人は祈らないものだ。すなわち、自力の弱さを認めるというプロセスを経過しない限り、人は真剣に祈らない。だから、「弱い人こそ強い」といったパウロの言葉が生まれてくるわけだ

 デンマークの哲学者セーレン・キェルケゴール(1813〜55年)は祈りについて、「祈りは神を変えず、祈る者を変える」と述べている。ただし、旧約聖書には、悔い改めて真摯に祈る者に神が心を動かされて変わる場面が記述されている。「祈り」は神の心すら変える。マザー・テレサはまた「神に何かを求めるよりも、すでに与えられたものに感謝する祈りを捧げなさい」といっている。祈りの意味が分かる言葉だ。

 発明家の天才二コラ・テスラ(1856〜1943年)の表現を借りるならば、祈りは宇宙のエネルギーに接続する行為ではないか。テスラは宇宙はエネルギー、周波数、振動の3要因から成り立っていると語っている。祈りはその3点と一致する業だ。だから、祈りは時に奇跡をもたらす。
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