ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

カトリック

「教皇制の存続」問題が問われ出した

 世界に約14億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会は2025年、南米アルゼンチン出身のフランシスコ教皇の死去を受け、米国出身初のローマ教皇レオ14世を選出した。2025年はカトリック教会では「聖年」(Holy Year)で、特別な霊的恩恵を受ける年として、多くの信者たちがローマに巡礼した。

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▲イタリアのベルガモの喫茶店で見たクリスマス用クランツ、2025年12 月20 日、撮影

 2025年はまた、20世紀の最大の出来事と呼ばれた第2バチカン公会議(1962-1965年)が幕を閉じて60周年目の筋目に当たった。「教会の現代化(アジョルナメント)」を目指し、現代世界との対話、典礼の刷新(各国語導入)、信教の自由、聖書中心主義、教会一致(エキュメニズム)などカトリック教会の近代化を決めた公会議は、教会内外に多大な影響を与えた。ヨハネ23世が公会議を提唱した背景には、教会の閉鎖性、社会からの孤立、教会の影響力の喪失、といった教会の現状に対する危機感があった。

 2026年はカトリック教会にとってどのような年となるだろうか。第2バチカン公会議から60年が経過した今日、公会議の熱狂的な覚醒を経験せず、公会議にほとんど無関心な新しい世代が育ってきた。教会では聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発し、教会の信頼は地に落ち、教会から脱会する信者が急増してきた。混乱したポストモダニティの精神的な空虚の中で、教会の現状は第2バチカン公会議の前夜のような状況だ。

 前教皇フランシスコは教会の現状を憂い、2021年から24年にかけ教会刷新(シノドス)を始めた。シノドスは教会の諸問題を協議する世界代表司教会議であり、共同体の強化を目指す。牧会神学者ポール・マイケル・ズーレナー氏はオーストリア国営放送とのインタビューの中で、「フランシスコにとって、教会の『シノドス化』は、第2バチカン公会議の教会のイメージの実現に他ならない」と語っている。

 レオ14世が選出された直後、バチカンニュースは5月9日、「レオ14世はカトリック教会史上最も国際的な教皇だ。彼は教皇庁を知っており、その使命、司牧的配慮、一般の人々の心を知り、司教職を知っており、シノドスの意味も知っている」と期待を表明している。

 そして教皇名に「レオ」を選んだ背景について少し説明している。曰く「教皇レオ13世(1810年〜1903年)は、歴史的な回勅『レールム・ノヴァルム』の中で、第1次産業革命の文脈における社会問題について初めて言及した教皇だ。そして教会は今日、人間の尊厳、正義、労働の保護に新たな課題を突きつける新たな産業革命と人工知能(AI)への対応が求められている」と述べ、現代の世界がレオ13世時代と同じ社会課題に直面しているという認識から、ロバート・フランシス・プレボスト枢機卿は「レオ13世」の後継者として「レオ14世」という教皇名を選んだというのだ。

 バチカンのシノドス事務局によると、レオ14世は6月26日、カトリック世界会議の実施に関して前教皇が設定したシノドスの日程を順守することを明らかにした。それによると、2026年末まで各地方教会で協議と取り組みを進め、2027年前半には教区レベルの会合が予定されている。その後、2027年後半には、国内および国際の各司教協議会レベルで会合が行われ、大陸会議は2028年春に開催され、最終的に同年10月にバチカンで「教会会議」が開催されることになっている。

 ところで、「シノドスの道」は決して平坦で一直線の道ではない。シノドスを提唱した前教皇フランシスコは、教皇在位中、LGBTQグループと定期的に面会し、同性愛の信者に対して寛容な姿勢を示してきた。バチカン教理省は2023年12月18日、「Fiducia Supplicans(司牧的な祝福の意義について)」宣言を発し、一定の条件の下で再婚または同性カップルの祝福を認めた。それに対して、特にアフリカのカトリック司教たちの間で激しい批判が巻き起こった。一方、同性愛カップルへの祝福に関するドイツ教会のマニュエルがバチカンの「Fiducia Supplicans」の許容範囲を超えていたため、バチカンはドイツ教会の改革にブレーキをかける、といった具合だ。

 例えば、前教皇フランシスコは2022年6月14日、インタビューの中で、「ドイツには立派な福音教会(プロテスタント派教会=新教)が存在する。第2の福音教会はドイツでは要らないだろう」と述べ、ドイツ教会司教会議の教会刷新運動に異議を唱えたことがある。要するに、教会改革も行き過ぎはダメというわけだ。すなわち、シノドス推進派の中でも、どこまで教会を刷新できるかでまだ明確なレッドラインがないわけだ。

 ドイツ司教協議会(DBK)議長ゲオルク・ベッツィング司教は23日、ZDFの朝のニュース番組で「教会は政治的でなければならない。福音のメッセージは政治的であるからだ」と発言している。福音が「単なる個人の救い」を超え、社会正義を求める「政治的」な意味を持つという歴史的・神学的議論を再燃させたわけだ。一種の「信仰の公共性」だ。これは「福音は社会を変革する力を持つ」という、ルターの「プロテスタントの三原理」(信仰のみ、聖書のみ、万人祭司)が持つ「社会への働きかけ」の側面を再評価する動きとも解釈できる。

 ドイツ教会は司教と信徒(信徒中央委員会:ZdK)が対等に教会の決定に関与する常設機関「シノドスの会議」の設立を目指している。 決定プロセスを民主化・非中央集権化し、時代の要請(女性の役割や性的マイノリティへの対応など)に迅速に応えるためだ。

  それに対し、バチカン側は「 政治的・社会的な正義を追及することは重要だが、それが信仰や福音の本質(祈りや秘跡)を脇に置いて、多数決や社会的なトレンド(時の精神)に流されるプロテスタント的な手法に陥る危険がある」と警告している。 レオ14世は「教会の教義を逸脱する一方的な決定を控えるように」と釘を刺し、改革のペースを落とすよう促している。
 
 神学者ズーレナー氏は8月8日、ORFの情報番組で、「現在カトリック教会で規定されているコンクラーべは中世の遺物だ。教会のより大きなシノドス性(協議性)は、教皇選挙の改革を意味する」と主張している。それは第1バチカン公会議(1869〜1870年)で描かれた絶対主義的で君主制的な教皇像からの決別を意味する。シノドスが進められていくと、ローマ教皇主導の中央集権体制を維持するか、そこから離脱し、現地の司教会議を中心として教会運営を行うかの体制選択を強いられることになるというわけだ。

 レオ14世はレオ13世の社会派の精神を継ぎつつも、ペテロの後継者として「バチカンを頂点とする一致」を崩さない範囲での改革を模索している。2026年に入れば、「シノドスの道」はより具体性を帯びてくることになるが、ドイツ教会を代表とする世界各地の司教会議がバチカンの教皇制の存続問題まで踏み込むようなことになれば、レオ14世はその対応に苦慮するだろう。

第2バチカン公会議60周年と「今日」

 世界最大のキリスト教宗派、ローマ・カトリック教会の抜本的な刷新について話し合った第2バチカン公会議が幕を閉じて今年で60周年を迎えた。20世紀の最大の出来事と呼ばれた第2バチカン公会議(1962-1965年)は、ヨハネ23世(在位:1958年- 1963年)が提唱し、同23世の死後はパウロ6世(在位1963年6月21日 - 1978年8月6日)が継承して行われた。「教会の現代化(アジョルナメント)」を目指し、現代世界との対話、典礼の刷新(各国語導入)、信教の自由、聖書中心主義、教会一致(エキュメニズム)などカトリック教会の近代化を決めた公会議は、教会内外に多大な影響を与えてきた。

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▲第2バチカン公会議の風景、オーストリアのカトリック通信(KNA)のHPから

 ヨハネ23世が公会議を提唱した背景には、教会の閉鎖性、社会からの孤立から、教会が社会に語り掛け、影響を与える力を失ってしまった、という危機感があったからだといわれる。

 第2バチカン公会議で最後に採決された「現代世界憲章」(正式名称:『現代世界における教会に関する司牧憲章』)はラテン語でガウディウム・エト・スペスと呼ばれ、「喜びと希望」を意味、第2バチカン公会議の集大成だ。同憲章は公会議の文書としては初めて、カトリック信徒だけでなく「すべての人類家族」に向けて語りかけ、教会が現代世界の課題に積極的に関与し、解決に貢献することを宣言している。

 「現代世界憲章」は大きく2部に分かれている。第1部は「教会と人間の召命」で人間と現代世界の根本的な状況を考察している。すべての人は神の似姿として創造されており、その根本的な平等と尊厳が強調されている。人種、性別、言語、宗教などに基づくあらゆる差別は、神の意図に反するとして克服されるべきであると記している。また、人間は社会的な存在であり、個人の完成は社会生活と切り離せないと指摘している。

 第2部は「現代の緊急課題に関する司牧的応用」。現代社会が直面する具体的な課題に対し、司牧的な指針を示す。 家族生活の神聖さと重要性が再確認され、家族が直面する困難への支援が呼びかけられている。

 「現代世界憲章」は、教会が世俗化する世界に対して防御的な姿勢ではなく、対話と協力の姿勢を明確にし、伝統的な教理を現代的な言葉で表現し直し、人間の尊厳、人権、社会正義、平和といった普遍的な価値をカトリック社会教説の中心に置いている。

 ドイツのカトリック神学者ウルスラ・ウォラッシュ氏は「1965年12月7日、『現代世界憲章』が採択された際、カトリック信者だけでなく、プロテスタント、東方正教会、そして多くの非キリスト教系信者の間でも、世界的なセンセーションを巻き起こした。今もなお人々にインスピレーションを与え続けている」と説明している。

 ちなみに、教皇庁でエキュメニカル問題を担当したカスパー枢機卿は8日、雑誌「コムニオ」(オンライン版)に掲載されたインタビューの中で、「第2公会議は伝統からの離脱ではない。伝統は生きたプロセスだ。デジタルネットワーク化され、多極化する世界において、統一と多様性を意味する新たな世界秩序が出現すれば、多様性の中での統一という新たな問題が世界教会に生じる。これらの問題は、1960年代の二極化した世界や第2バチカン公会議では見られなかったテーマだ」と述べている。

 そして「第2バチカン公会議閉幕から60年、灰の下の残り火を再び燃え上がらせるべきだ。公会議の熱狂的な覚醒を経験せず、公会議にほとんど無関心な新しい世代が育ってきた。混乱したポストモダニティの精神的な空虚の中で、福音による刷新が緊急に必要だ」と主張、「再び公会議を開くべきだという声が高まっているが、現時点では機は熟していない。教会だけでなく、世界も深刻な変革の過程の真っ只中にある。教皇が公会議を招集する前に、教会内部ではまず、シノドスの構造が具体的にどのようなものであるべきかを明確にする必要がある」と語っている。

バチカン教理省長官がタブーを破った

バチカン教理省長官ビクトル・フェルナンデス枢機卿は25日、バチカンの「一夫一婦制」( Monogamie)に関する教理的覚書(「一つの体、一夫一婦制への賛辞」を公表した記者会見の場で、独身制を守る聖職者の「孤独さ」と未成年者への「性的虐待」問題との間には関連性があることを認める発言をしたのだ。

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▲フェルナンデス教理省長官、ドイツ・カトリック通信から

 バチカン教皇庁内の「教理省」とは、昔は「異端裁判所」と呼ばれ、カトリック教理の番人だ。その責任者のフェルナンデス枢機卿が聖職者の「独身制」と「未成年者への性的虐待」との間に密接な関係があると述べたのだ。オーストリアのカトリック通信(KNA)が25日に速報している。

 カトリック教会では過去、独身義務と虐待の関連性について議論が飛び出したことがある。独身を危険因子と見なす専門家もいれば、関連性は証明されていないと考える専門家もいた。

 教理省長官の発言はバチカンのこれまでの見解とは明らかに異なる。バチカンは聖職者の「独身制」と「性犯罪」との間には関係がないという立場を取ってきた。フェルナンデス枢機卿は「聖職者の未成年者への性的虐待が聖職者の独身という状況から生まれる」ことを強く示唆したのだ。もし両者に密接な関係があることを認めれば、バチカンはなぜ聖職者の未成年者への性的虐待問題を解決するためにも独身制を廃止しないのか、と追及されることにもなる。

 アルゼンチン出身のフェルナンデス枢機卿は「空虚感、孤独感、そして精神的な問題は、他の方法で解決しなければならない。独身の神父は、自身の欲求を満たすために他者を利用するのではなく、他の道を探さなければならない」と述べている。同枢機卿の発言は、生涯独身生活を義務づけられる聖職者の「孤独さ」を実体験したことから出たものだ。

 オーストリア教会の高位聖職者は数年前、「性犯罪は教会だけの問題ではない。一般社会では性犯罪件数は教会の聖職者のそれよりはるかに多く発生している」と述べ、聖職者の独身制と性犯罪と無関係だと弁明した。それを今、バチカンのカトリック教理の番人、フェルナンデス枢機卿が両者には関係があると述べたのだ。換言すれば、教理省長官はタブーを破って本音を吐露したともいえる。

 教会法によれば、神父は「天の御国のために完全かつ永続的な貞潔を保つ義務を負い、したがって独身を貫く義務を負う」(教会法典第277条)。神父が「たとえ民事上の形式に過ぎなくても結婚を試みた場合には、停職の刑罰を受ける。しかし、警告にもかかわらず罪を犯し続ける場合は、段階的に権利を剥奪し、場合によっては聖職者職からの解任という罰を受ける」(教会法典第1394条)。「停職処分を受けた神父は、叙階権や統治権を行使することができず、例えば秘跡を執行することはできない」(教会法典第1333条)。 

 教会成立初期の数世紀の間、既婚の教区指導者と未婚の教区指導者が共存していた。しかし、西暦300年頃、スペインの都市グラナダ近郊で開催されたエルビラ公会議において、神父たちは妻帯を控えるように指示されている。1139年の第2ラテラノ公会議で現行の独身制が施行された。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由が(聖職者の独身制の)背景にあったという。16世紀のトレント公会議と1960年代の第2バチカン公会議は独身制を再確認した。

 ローマ教皇に選出前は教理省長官だったべネディクト16世(在位2005年4月〜13年2月)は「聖職者の独身制は教義ではない。教会の伝統だ」と述べている。カトリック教会では通常、聖職者は「イエスがそうであったように」という理由から、結婚を断念し、生涯、独身で神に仕えてきたが、教会史家ヒューバート・ウルフ氏は神父の独身制を「作り出された伝統」と呼んでいる。 

 ちなみに、フェルナンデス枢機卿は1990年代、「神秘的な情熱:精神性と官能性」と題した本を書いているが、教会内の保守派から当時、批判の声が上がったことがある。前教皇フランシスコから教理省長官に任命され、枢機卿に選出された聖職者だ。バチカンではリベラル派と受け取られている。

 いずれにしても、聖職者の「独身制と性犯罪」との関連性を認めたフェルナンデス教理省長官の発言は教会内外で議論を引き起こすことは必至だ。

 

イエスは神か、人間かーこれが問題だ

 前日に続いて「ニカイア公会議1700周年」について書きたい。レオ14世は今月27日から最初の外遊先としてトルコを訪問し、西暦325年に「イエス・キリストは神である」と決定し神学的に大きな影響を与えたニカイア公会議の開催地である現在のイズニクを訪問し、キリスト教祈祷会に参加する。

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▲ニカイア公会議1700周年を記念したバチカン発行の切手、2025年11月23日、バチカンニュースから

 レオ14世は23日、「信仰の一致において」(In unitate fidei)と題された10ページの使徒書簡を発表し、1700年前のニカイア公会議の記念がエキュメニカルな関係に弾みをつけることへの期待を改めて述べた。ちなみに、ローマ教皇庁のクルト・コッホ枢機卿は、レオ14世教皇の初の外遊がキリスト教徒の信仰と一致を後押しすると期待し、「ニカイア公会議の教令の永続的な重要性」を称賛した。

 エキュメニズムの観点から見ると、ニカイア信条は「信仰の統一」において極めて価値あるものだ。キリスト教諸教会と共同体の共通の道の「基盤であり、基準点」となっている。レオ14世は6月7日、「ニカイア公会議は単なる過去の出来事ではなく、全てのキリスト教徒の、完全な目に見える一致へと私たちを導き続ける羅針盤だ。私たちは共に、三位一体の神を信じている」と説明している。

 ただ、教皇の文書は、通称「エキュメニズム回帰」を明確に否定している。すなわち、「キリスト教会の現状の多様性の相互承認」に満足するのではなく、「すべての人の悔い改めと回心を通じて「正当な多様性における真の一致」を目指しているのだ。ニカイア会議は、三位一体の教理によって、このような一致のモデルの青写真を示したという。

 レオ14世は使徒書簡で神への問いが人々の中で薄れてきたことを懸念し、その責任の一端がキリスト教徒にあると指摘する。「彼らは真の信仰を証しせず、生活様式を通して神の真の顔を覆い隠しているからだ」という。教皇は「人々は慈悲深い神を宣べ伝える代わりに、恐怖を広め、罰を与える復讐心に燃える神について語ってきた。それゆえ、ニカイア信条は今日、私たちに良心の省察を促している」というわけだ。

 レオ14世によると、公会議の教父たちは、いくつかの神学的立場を確立している。ニカイア公会議では、アリウス派 とアタナシウス派の対立を解消する目的があった。アタナシウス派とは、アレクサンドリアのアタナシウスの指導の下、父なる神と子なる神であるキリストが同質(ホモウシオス)であると主張した派だ。この考え方は、後に三位一体説として確立され、キリスト教の正統教義とされた。 一方、アリウス派は当時、最も影響力のあるキリスト教運動であり、アレクサンドリアの長老アリウス(260年頃から327年)の信奉者たちの信仰だった。イエスを父に従属する存在と見なし、それゆえにイエスの神性を限定した。彼の教えはニカイア公会議によって拒絶された。

 レオ14世が記しているように、肯定的な意味では、ニカイア公会議では聖書の一神教を神の「受肉の現実主義」と調和させたというわけだ。ニカイア公会議で見出された答えは「永遠に」有効という。それは、イエスが「完全に人間であり、完全に神である」ということだ。

 参考までに、ニカイア公会議のテーマ、「イエスは神か」を聖書に基づいて少し検証してみる。

 ピリボがイエスに、神を見せてくださいと言った時、イエスはピリボに「私を見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示して欲しいと言うのか。私が父におり、父が私におられることを信じないのか」(「ヨハネによる福音書」第14章8節〜10節)と答えている。別の個所では、「アブラハムの生まれる前から私(イエス)は、いるのである」と述べている。「イエスが神」と解釈できる聖句だ。

 一方、「ローマ人への手紙」第8章34節によると、「イエスはよみがえって神の右に座し、また私たちのために取りなして下さるのである」と記され、イエスは神を父と呼び、自ら神でないことを明らかにしている。また、イエスは十字架上で「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」(「マタイによる福音書」第27章46節)と述べている箇所などは、「イエスが神ではない」ことを示している聖句だ。

 すなわち、聖書には「イエスは神」という聖句と「イエスは神ではない」という聖句が記述されている。この一見矛盾する聖句を如何に合理的に解明するか、という課題はキリスト者に依然残されているのだ。

ローマ教皇レオ14世、在位後初の外遊へ

 ローマ教皇レオ14世は27日から教皇在位後初の外遊としてトルコとレバノンを訪問する。トルコ訪問の最大の目的は、エキュメニカル信条の基礎が築かれたニカイア公会議(現在のイズニク)1700周年と正教会の聖アンドレア祭の記念式典に参加することだ。正教会の名誉総主教であるコンスタンティノープル総主教バルトロメオスとの会談は外遊のハイライトだ。

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▲在位後初の外遊としてトルコとレバノンを訪問するレオ14世、バチカンメディアから、2025年11月22日

 バチカン教皇庁が発表した日程によると、11月27日から30日までトルコを訪問し、その後レバノンへ向かい、約3日間滞在し、ローマへの帰還は12月2日の予定だ。トルコでは、まず首都アンカラへ。アタテュルク廟を視察した後、大統領官邸でエルドアン大統領の歓迎を受ける。その後、教皇の歴訪で慣例となっている政府高官との外交会談を行った後、同日中にイスタンブールへ移動し、エキュメニカル信条の基礎が築かれたニカイア公会議(現在のイズニク)1700周年を祝い、正教会の聖アンドレア祭に参加する。

 ニケア聖年を前に、11月28日にはイズニクの古代聖ネオフィト大聖堂付近をはじめとする各地で、エキュメニカル祈祷会が開催される。29日には、レオ14世とバルトロメオス総主教が共同宣言に署名する。正教会が守護聖人である使徒アンデレの祝日を祝う11月30日、教皇はファナルにある聖ゲオルギオス総主教教会で行われる正教会の礼拝でスピーチを行う。イスタンブールでは、レオ14世はブルーモスクとして知られるスルタン・アフメト・モスク、モル・エフレム・シリア正教会を訪問し、アルメニア使徒座聖堂での祈祷会にも参加。11月29日には、体育館でカトリックのミサを執り行う予定だ。

 そして11月30日午後、第2の訪問国レバノンの首都ベイルートを訪問し、新たに選出された指導部と政府の代表者と会談。12月1日、教皇レオ14世はアンナヤのマルーン修道院にある聖シャルベルの墓を訪れ、挨拶のメッセージを述べる。ベイルートではエキュメニカルおよび諸宗教会議が開催され、その後、教皇と若者との会合が行われる。12月2日、レオ14世はベイルート港で黙祷とミサを執り行う。ベイルート港は2020年に壊滅的な爆発事故が発生し、約200人が死亡し、多くの建物が破壊された。

 バチカンメディアは教皇のトルコとレバノン訪問を‘政治的デリケートな訪問先‘と呼んでいる。民族間、宗派間の紛争が絶えない中東地域ではキリスト教はあくまでも少数宗派だ。特に、イラクや他の中東の地ではキリスト教徒の迫害が絶えない状況だ。

 レオ14世の最初の外遊では、「イエス・キリストは神である」と決定し、神学的に大きな影響を与えた西暦325年に開催されたニカイア公会議(二ケア公会議)の開催地、ニカイア(現在のトルコの都市イズ二ク)の訪問が注目される。レオ14世は6月7日、「ニカイア公会議は単なる過去の出来事ではなく、全てのキリスト教徒の、完全な目に見える一致へと私たちを導き続ける羅針盤だ。私たちは共に、三位一体の神を信じている」と説明している。

 ちなみに、ニカイア公会議は、史上初のエキュメニカル公会議だ。この公会議のテーマは、「ロゴスであるイエス・キリストは被造物か、それとも神か?」だった。コンスタンティヌス1世(大帝)の招待により、ローマ帝国各地から数百人の司教が、現在のトルコのイズニクにあたるニカイアの町に初めて集まった。

 4世紀、ローマ帝国には多くの宗教や宗派が存在し、統一されたキリスト教会は存在していなかった。ニカイア公会議では、アリウス派 とアタナシウス派の対立を解消する目的があった。アタナシウス派とは、アレクサンドリアのアタナシウスの指導の下、父なる神と子なる神であるキリストが同質(ホモウシオス)であると主張した派だ。この考え方は、後に三位一体説として確立され、キリスト教の正統教義とされた。

 一方、アリウス派は、キリストは神の被造物であり、「イエスの神性」を否定していた。アリウス派は当時、最も影響力のあるキリスト教運動であり、アレクサンドリアの長老アリウス(260年頃から327年)の信奉者たちの信仰だった。

 最終的には「イエスの神性」を否定するアリウス派が異端とされ、アタナシウス派の「ニカイア信条」が採択された。そして、聖霊を神格における第三の「位格」とする「三位一体」の教義がコンスタンティノープル公会議(381年)によって定着していく。

米教会、トランプ氏の移民政策を批判

 米ローマ・カトリック教会司教協議会(USCCB)の総会は12日、ボルチモアで開催され、トランプ大統領が実施する移民政策に反対する特別声明を賛成216人、反対5人、棄権3人の圧倒的多数で採択した。

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▲米カトリック教会司教協議会(USCCB)総会,2025年11月13日、バチカンニュースから

 同総会に参加した司教たちは「神から与えられた人間の尊厳を守るために声を上げる義務がある」と声明し、米国の移民問題で教会の基本的立場を鮮明にした。

 バチカンニュースによると、「司教協議会総会で政治問題についてこれほど明確に教会の立場を発言したのは12年ぶりだ」という。具体的には、オバマ政権下の2013年、職場の健康保険制度における無料避妊薬の義務的給付に関する議論の時以来という。いずれにしても、米教会が特別コミュニケという形式で政治問題で発言することは非常に稀だ。

 司教協議会は、移民の社会への貢献を認めるべきだと強調、「国家には移民を規制する権利があるが、私たちは無差別な大量送還を拒否する」と述べている。また、移民収容施設の状況、一部の移民の法的地位の恣意的な剥奪、そして教会、病院、学校の特別な保護の場としての地位への脅威についても懸念を表明し、「私たちは、子供を連れて学校へ通う途中で逮捕されることを恐れる親たちに出会うことを悲しく思う」と述べている。

 司教たちはカトリック社会教義の原則を再確認し、政府に対し「すべての人間の根源的尊厳を認める」よう強く求めた。いずれにしても、米カトリック教会がトランプ大統領の最重要政策の一つ、移民問題でトランプ氏の政策を正面から批判したことは注目に値する。

 特別声明が採択される前日の11日、司教協議会総会は、オクラホマ州のポール・コークリー大司教を米国カトリック司教協議会の新議長に選出した。コークリー大司教は決選投票で、128票対109票で当選した。70歳のコークリー氏は、2004年から2011年までサリナ司教を務め、その後オクラホマシティ大司教に任命された。コークリー大司教は死刑に反対し、移民支援を繰り返し訴えてきた聖職者だ。

 ところで、コークリー大司教は、議長選の投票前に移民問題に関する特別声明を採択するように強く主張していた。その背後には、テキサス州境に位置するエルパソ教区のマーク・サイツ司教が10月に教皇レオ14世と会談した際、教皇から「司教協議会で移民問題に関する声明を期待したい」と言われた、と報告していたことがある。すなわち、米国出身のレオ14世はトランプ大統領の移民政策に対し、明確な批判の立場を米教会の司教協議会の特別声明という形式でアピールすることを願っていたことになる。換言すれば、米司教協議会の特別声明の内容はレオ14世の意向をまとめたもの、といえるわけだ。

 移民問題に関する米教会の今回の特別声明は、トランプ大統領への批判が目的ではなく、トランプ政権内でのカトリック教会の発言力の強化を狙ったものと受け取られている。

 なお、トランプ政権下の、バンス副大統領やルビオ国務長官といったカトリック系政治家が来年の中間選挙後のポスト・トランプを視野に、カトリック教会の影響力を背景に新たな改革派保守(リフォーモコン)の結集を図っているともいわれる。

バチカン版「ロミオとジュリエット」

 バチカンで「ロミオとジュリエット」と称されるラブストーリーが波紋を呼んだことがある。バチカン銀行(IOR)で働く若いカップルが結婚し,それを知ったバチカン銀行が「内部規則」を理由に2人を解雇したのが物語の発端だ。メディアでは「バチカン版ロミオとジュリエット」と呼ばれ、世界的なセンセーショナルを巻き起こした。幸い、イタリアの日刊紙「イル・メッサジェロ」が今月8日報じたところによると、関係者の間で和解が成立したという。

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▲バチカン版「ロメオとジュリエット」と報じるドイツの「カトリック通信」2024年9月5日

 バチカン銀行(「宗教事業協会」、「神の銀行」)に勤務していた若い2人は昨年9月結婚した。バチカン銀行は、表向きは「銀行活動の透明性と公平性」を確保するため、職員同士の結婚を禁じる規則を制定している。また、配偶者、親族、義理の親族の雇用が一般的に禁止されている。

 新婚夫婦は、どちらかが辞職するか、2人とも銀行から解雇されるかの選択を迫られた。2人は「婚約を昨年2月に発表した」と主張し、銀行側の要求を拒否した。職員間の結婚を禁じる規則は同年5月に制定されたばかりだった。バチカン銀行は2024年10月1日付で2人の雇用を解除した。

 2人の新婚カップルに助っ人がきた。バチカン一般職員協会(ADLV)は昨年9月5日、「バチカンにおける規則が秘跡よりも優先されないように願う」と指摘、結婚した故に解雇されたIORの2人の職員に連帯表明している。
 バチカン銀行の内部規則では、職員同士の結婚は禁じられている。この規則は、利益相反や縁故主義を防ぐためのものだ。 ADLVによれば、この件に関して最近バチカン銀行および教皇庁と協議が行われたが、不成功に終わったという。

 法的紛争は、両者側の和解で終結した。和解内容は、バチカン銀行のコンプライアンス規則を理由で解雇された2人の職員は今後も再びバチカンで働くことができる。ただし、裁判所で成立した合意では、夫婦のどちらかがバチカン銀行以外の機関に雇用されることが規定されているというのだ。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」(初演1595年前後)では、主人公の2人は最後は亡くなるが、バチカン版の「ロメオとジュリエット」は一応、ハッピーエンドで幕を閉じた。

 ところで、神の愛を世界に向かって訴えているバチカンだが、ここにきて勤務する職員の中には待遇に不満を表明するケースが増えてきている。イタリアの日刊紙「コリエーレ・デラ・セラ」によると、バチカン美術館の従業員49人が昨年5月、バチカン市国政府に対して労働条件と賃金をめぐって集団訴訟を起こした。バチカン美術館は約700人の職員を雇用しており、その多くは美術館の警備員だ。ほぼ全員がイタリア国籍。美術館は年間約1億ユーロの収入を生み出しており、バチカン市国にとって最も重要な収入源となっている。

 ちなみに、レオ14世は5月、教皇庁職員全員に500ユーロのボーナス、退職者には300ユーロを支給することを承認した。前教皇が緊縮政策をアピールするために廃止した伝統的な”コンクラーベ・ボーナス”を復活させたわけだ。前教皇フランシスコが昨年11月、教皇庁の年金基金の改革計画を発表。それに対し、ADLVには不満が高まっていた。コンクラーベ・ボーナスの復活は緊縮予算下で苦しむバチカン職員への配慮と受け取られた。

バチカン「過度のマリア崇拝に警告」

 ローマ・カトリック教会の総本山バチカン教皇庁の教理省長官ビクター・フェルナンデス枢機卿は4日、「マテル・ポプリ・フィデリス(信徒の母)」という「特定のマリア称号に関する教理覚書」を公表し、キリスト教信仰の教理と一致しないマリア崇拝に警告を発した。具体的には、マリアの「共同贖罪者」(ラテン語:Co-Redemptrix )や「恵みの仲介者」といった称号を今後使用しないように申し出ているのだ。その理由として、「キリスト教のメッセージの調和のとれた全体性を正しく考察することを妨げるからだ」と説明している。

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▲バチカン庭園にある幼子イエスを抱えるマリア像、2025年11月04日、バチカンニュースから

 カトリック教会でのマリア崇拝の歴史は長い。マリアの神学的な意義などを学ぶ「マリア神学」があるほどだ。マリアの崇拝は20世紀半ばに始まり、ポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(1978〜2005年)の在位期間以降、大きく広がっていった。ヨハネ・パウロ2世は生前、「マリアは共同救世主である」と何度も語ったことがある。マリアを‘第2キリスト‘と呼んでいたわけだ。ただ、同2世は「共同贖罪者」、「第2のキリスト」といった称号が何を意味するのかについては正確に定義していない。

 「共同贖罪者マリア」という称号については、カトリック教会内でも議論があり、正式には教義化されていない。「この称号は、キリストによる唯一の救いの仲介を曖昧にする危険性をはらみ、キリスト教の真理の調和に混乱と不均衡をもたらす可能性がある。なぜなら、救いは他の誰にも(キリスト以外には)見出されないからだ」という。同内容はバチカンの教理に関する最高権威機関(教理省)が作成し、新教皇レオ14世が承認した「特定のマリア称号に関する教理覚書」の中で述べられている。

 教会はマリアの重要性を強調するが、「共同贖者」という表現は誤解を招く可能性がある。なぜならば、聖書では、「神と人間との間の仲保者もただ1人であって、それはキリスト・イエスである」(「テモテへの第1の手紙」第2章5節)と記されているからだ。マリアを救い主イエスと同列視する教義は明らかに聖書の内容と一致しない。ヨハネ・パウロ2世の下で教理省長官を務めたヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)は2002年、「『共同贖罪者』という表現は聖書の言葉から逸脱し、誤解を招く」と述べている。

 フェルナンデス教理省長官は今回、「贖罪の業においてマリアがキリストに従属する役割を示す必要があることを考えると、マリアの贖罪への関与を定義する際に『共同贖罪者』という称号を用いることは不適切だ。この称号はキリストによる救いの唯一の仲介を不明瞭にする」と説明し、「共同贖罪者」という称号はリスクを伴い、混乱を招く可能性があると述べている。

 同覚書はまた、マリアの称号である「すべての恵みの仲介者」についてもかなり批判的な見解を示している。ラッツィンガー枢機卿は教理省長官時代、「この称号は黙示録に明確に根拠づけられておらず、神学的考察と霊性の両方において困難を生じさせる。私たちの救いは、他の誰の力でもなく、キリストの救いの恵みのみによるものだ」と述べている。

 ちなみに、ローマ・カトリック教会にはマリアに関連した大きな祝日が2回ある。8月15日の「聖母マリアの被昇天」と、12月8日の「聖母マリアの無原罪の御宿り」の日だ。前者はローマ教皇ピウス12世(在位1939〜58年)が1950年、世界に宣布した内容だ。キリスト教会の中で東方正教会はマリアの肉身昇天ではなく、霊の昇天と受け取り、マリアの昇天を教義とは受け取っていない。

 「聖母マリアの無原罪の御宿り」は10世紀ごろから伝えられていた。1708年にクレメンス11世(在位1700〜21年)が世界の教会で認定し、1854年、ピウス9世(在位1846〜78年)によって正式に信仰箇条として宣言された。「マリアは生まれた時から神の恵みで原罪から解放されていた」という教えだ。その結果、マリアは罪なき神の子イエスと同じ立場となり、「第2のキリスト」という信仰告白が生まれてくる一方、キリストの救済使命の価値を薄める危険性が指摘されてきた。中世のトマス・アクィナスらスコラ学者はマリアの無原罪説を否定した。聖書の中にはマリアの無原罪誕生に関する聖句は一切記述されていない。プロテスタント教会や正教会ではマリアを「神の子イエスの母親」として尊敬するが、「無原罪の懐胎説」を信じていない。

 それでは、なぜカトリック教会は聖書に記述されてもいないマリアの神聖化に乗り出したのだろうか。キリスト教社会で長い間、神は父性であり、義と裁きの神であったが、慰めと癒しを求める信者たちは、母性の神を模索し出した。その願いを成就するために、マリアが母性の神を代行するとしてその神聖化が進められていった経緯がある。

 ただし、マリアが第2のキリストに引き上げられれば、イエスの十字架救済の価値を薄めるだけではなく、キリスト・イエスの降臨の意味すら曖昧にしてしまう。12月8日の「聖母マリアの無原罪の御宿り」は非常に危険な神学的な矛盾を内包しているといえるわけだ。

 マリアはイエスの母だ。431年、エフェソス公会議において、マリアは「神の母」の称号を授けられた。マリア信仰はカトリック教会と東方正教会の特徴だが、ルター派教会ではマリア信仰はない。改革者マルティン・ルター(1483-1546)は、その著作の中で、「救いはイエス・キリストを通してのみもたらされ、マリアは救いの仲介者とみなされるべきではない」と強調している。バチカンの今回の教理覚書はこの見解に賛同しているわけだ。

 いずれにしても、バチカン教理省が今回発表したマリアの称号についての教理覚書は、ポーランドなどマリア崇拝が強いカトリック教国で混乱と戸惑いをもたらすかもしれない。同時に、世界のフェミニストたちから抗議の声が出るかもしれない。

同性愛カップルへの教会の「祝福」論争

 世界に約14億人の信者を有するローマ・カトリック教会で今年5月,米国人のローマ教皇レオ14世が選出されて以来、外の世界に向かっては大きな波乱もなく、新教皇は順調なスタートを切った。しかし、同性愛カップルへの教会の祝福に対し、レオ14世が明確に拒否したことから、バチカン教皇庁と「祝福は愛に力を与える ― 愛し合うカップルのための祝福」を主張するドイツ教会の間で論争が起きている。

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▲LGBTQ巡礼を報じるバチカンニュース、2025年9月6日

 前教皇フランシスコは、教皇在位中、LGBTQグループと定期的に面会し、同性愛の信者に対して寛容な姿勢を示してきた。そしてバチカン教理省は2023年12月18日、「Fiducia Supplicans(司牧的な祝福の意義について)」宣言を発し、一定の条件の下で再婚または同性カップルの祝福を認めた。ただし、同宣言は、特にアフリカのカトリック司教たちの間で激しい批判を巻き起こした。

 同性愛カップルへの祝福に関するドイツ教会のマニュエルは、バチカンの「Fiducia Supplicans」の内容、すなわち同性間やその他の「非正規」な関係にある人々に対する教会による非公式の祝福の規範を明らかに超えている。

 そのため、ドイツ教会の教区の中でも混乱が見える。ローマ教皇庁によって承認された祝福と一致しないという理由から、バイエルン州の4つの教区とケルン大司教区は、自らの管轄区域におけるドイツ教会のマニュエルの施行を拒否している。その一方、リンブルク、トリーア、オスナブリュックの各教区はドイツ教会のマニュアルを公式の教会広報に掲載し、それぞれの教区において法的効力を持たせている、といった具合だ。

 バチカンの立場は「同性愛カップルへの祝福はあくまでも自発的に行われるべきであり、厳粛な典礼の一部として行われるべきではない。カトリックの教義に基づき男女間のカップルにのみ与えられる結婚の秘跡と混同させてはならない」となっている。

 同性愛カップルへの教会の祝福論争を更にエスカレートさせたのは、レオ14世がウェブサイト「Crux」の米国人ジャーナリスト、エリーゼ・アン・アレン氏との2度にわたる長時間の対談の中で、「北欧では既に『愛し合う人々を祝福する』儀式が行われている』と不満を漏らし、「これらは教会の教えと一致しない」と述べていることに発する。

 教皇の発言がメディアに伝わると、ドイツ司教会議の秋の総会で問題となった。ドイツ司教会議のゲオルク・ベッツィング議長は、バチカンの公式の見解とドイツ教会が公表した祝福へのハンドブックの間の矛盾点を説明しなければならなくなったわけだ。

 欧州のカトリック教会ではクィアの信者が増えてきている。同時に、同性愛者を差別してはいけないと考え、積極的にクィアの信者と対話を模索する聖職者が出てきた。ドイツのエッセン=デルヴィヒの聖ミヒャエル教区主催の祭典で地元のカトリック青年共同体(KjG)がレインボーフラッグを掲げたことが発端となって、同性愛者を支援する信者とそれに反対する信者間で暴力事件が起きたことがあった。

 同性愛カップルへの教会の祝福問題でドイツ側と協議してきたバチカンのビクトル・フェルナンデス教理省長官は10月8日、教会内の混乱を収めるため、米国のポータルサイト「ザ・ピラー」の中で、「教理省はドイツ教会の決定を一切承認していないと通知済みだ」と述べている。

 バチカンの宣言「Fiducia supplicans」と、法的拘束力のないドイツの祝福に関するマニュエルとの間の緊張関係が今後も続くだろう。しかし、司教たちが官報に掲載することで指針を法的拘束力のあるものにした場合、バチカンは遅かれ早かれ法的措置を取らざるを得ないだろう。

 ちなみに、前教皇フランシスコは2022年6月14日、インタビューの中で、「ドイツには立派な福音教会(プロテスタント派教会=新教)が存在する。第2の福音教会はドイツでは要らないだろう」と述べ、ドイツ教会司教会議の教会刷新運動に異議を唱えたことがある。要するに、教会改革も行き過ぎはダメというわけだ。

聖職者の独身制は「作り出された伝統」

 オランダの首都アムステルダムのカトリック教会の教区で、神父が引退し、他宗派の女性と結婚したというこで、ちょっとした騒動となっている。
 ポータルサイト「ケルクネット」が7日報じたところによると、67歳のニコ・マンチェ神父は10月1日、女性と結婚した。その結果、同神父は自動的に停職処分となった。報道によると、神父自身は改宗していない。

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▲アウグスティノ会総会の開会式に出席したレオ14世、2025年9月1日、バチカンニュースから

 マンチェ神父が所属していたハールレム=アムステルダム教区は、神父の結婚に「全くの驚き」を表明した。信者の中には神父の結婚に「驚きと失望」を表明した者もいた。停職処分を受けた神父と教区指導者との面会はまだ行われていないという。教区は神父の結婚問題が大きな論争を引き起こすことを回避するために腐心している。

 教会法によれば、神父は「天の御国のために完全かつ永続的な貞潔を保つ義務を負い、したがって独身を貫く義務を負う」(教会法典第277条)。神父が「たとえ民事上の形式に過ぎなくても結婚を試みた場合には、停職の刑罰を受ける。しかし、警告にもかかわらず罪を犯し続ける場合は、段階的に権利を剥奪し、場合によっては聖職者職からの解任という罰を受ける」(教会法典第1394条)。「停職処分を受けた神父は、叙階権や統治権を行使することができず、例えば秘跡を執行することはできない」(教会法典第1333条)。

 ところで、カトリック教会では通常、聖職者は「イエスがそうであったように」という理由から、結婚を断念し、生涯、独身で神に仕えてきたが、教会史家ヒューバート・ウルフ氏は神父の独身制を「作り出された伝統」と呼んでいる。 

 イエスの12使徒の中で、使徒ペテロには妻がいたことが知られている一方、使徒パウロは独身であったことが明記されている。カトリック教会では今日に至るまで、性的禁欲は聖職者の徳と受け取られているが、バチカンが「神父の子女のためのガイドブック」を発行したように、生涯を通じてこの原則を守る聖職者は多くはいない。1651年のオスナブリュクの公会議の報告の中で、当時の多くの聖職者たちは特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。

 ベネディクト16世が「教会の伝統」といい、パロリン国務長官は「使徒時代の伝統」というのではあれば、なぜ独身制を廃止しないのか、という疑問が出てくる。特に、聖職者の未成年者への性的犯罪が急増している時だけに、独身制の廃止を真剣に考えてもいいのではないか。
 
 実際は、 カトリック教会では聖職者の独身制の見直しは、離婚・再婚者への聖体拝領問題よりもはるかに難しいテーマだ。離婚が多い世俗社会で離婚、再婚者に聖体拝領を拒否すれば、教会を訪ねてくる信者は減少する。だから、教会側としては教義と現実の妥協がどうしても不可欠となる。一方、聖職者の独身制を改革し、緩和すれば、家庭持ちの聖職者が増加し子供たちも生まれるので、教会の経済的負担は当然増加する。

 教会成立初期の数世紀の間、既婚の教区指導者と未婚の教区指導者が共存していた。しかし、西暦300年頃、スペインの都市グラナダ近郊で開催されたエルビラ公会議において、神父たちは妻帯を控えるように指示されている。1139年の第2ラテラノ公会議で現行の独身制が施行された。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由が(聖職者の独身制の)背景にあったという。16世紀のトレント公会議と1960年代の第2バチカン公会議は独身制を再確認した。

 家庭持ちの聖職者の増加は家庭問題を抱える信者への牧会にプラスだが、聖職者の家庭が離婚問題に直面するかもしれない。イエスを新郎とし、イエスと結婚していると信じる多くの修道女に動揺が起きるかもしれない。家庭を持った故に、愛は聖書の中の問題ではなく、日常生活での課題となるからだ。

 ちなみに、カトリック教会の独身制に神学的な背景があるかというと全くない。旧約聖書「創世記」を読めば、神は自身の似姿に人を創造され、アダムとエバを創造された。その後、彼らに「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」(第1章28節)と祝福している。独身制は明らかに神の創造計画に反しているわけだ。野生動物学のアンタール・フェステチクス教授は「カトリック教会の独身制は神の創造を侮辱するものだ」と言い切っている。

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