数年前、網膜剥離を患ったこともあって、最近は長い資料や文章を読むことが億劫になってきた。そのかわり、眠れない夜などは、オーディオブックでシャーロックホームズの探偵話や小説を聞くようになった。
 最近、芥川龍之介の短編「疑惑」を聞いた。20分余りの物語で、内容は安眠を願っていた当方には少々重いテーマだったが、考えさせられた。

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▲芥川龍之介,ウィキぺディアから

 話は、大地震で崩れ落ちた家屋で下敷きになった妻をもはや救済できないと判断した夫(玄道)が撲殺するというストーリだ。内容は決して安楽死の云々を問うものではなく、「妻を殺したのは、殺したかったからではないか」という心から湧いてくる自身への疑惑だ。倫理学を専門とする「私」は突然、宿泊地の部屋に現れて、「どうか私の話を聞いて下さい」と懇願する玄道の告白を聞くことになった。妻を失った玄道にその後、再婚話が持ち込まれてくる。玄道には自身が妻を殺したのではないか、という苦悶から逃げることができなくなる。断り切れずに悶々としているうちに婚礼の場となり、花嫁の婚礼装束が近づいてくる時「私は人殺しです、極上悪の罪びとです」と叫びながら倒れてしまう。その後、玄道は狂人という名を負わされ余生を送らねばならない身となった。

 玄道は「「私」に告白した後、「私を狂人にしたものは、やはり我々人間の心の底に潜んでいる怪物のせいではございますまいか。その怪物が居ります限り、きょう私を狂人と嘲笑している連中でさえ、明日はまた私と同様な狂人にならないものでもございません」というのだ。

 玄道が吐露した「心の底に潜んでいる怪物」とは何だろうか。芥川はその怪物の正体については何も説明していない。キリスト教の観点からいえば、「怪物」は悪魔(サタン)だ。悪魔は人間に常に囁きかけてくる。玄道のように「自分はひょっとしたら妻を殺したかったのではないか」と、自身への疑惑に悩む人間に囁きかける。その自問に耐えられなくなった玄道は生きていくことが出来なくなるのだ。

 ちなみに、新約聖書「ローマ人への福音書」第7章で、、聖パウロは「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いを挑み、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」と慨嘆している。

 人を騙せたとしても自分を欺くことはできない。「怪物」は玄道に「お前は妻を殺したかったのだ」と、耳元で囁き続けるのだ。
 
 芥川は1927年、自宅で服毒自殺したが、遺書には「ぼんやりとした不安」とだけ書かれていたという。芥川も玄道と同じように「怪物に取り憑かれた存在」として、救いの道を模索していたのではないか。