6日早朝5時前(ウィーン時間)にいつものように目が覚めた。立ち上がってタブレットのスイッチを入れた。時事通信のオンラインを見ると、「テスラ、時価総額22兆円吹き飛ぶ」という見出しが目に入った。イーロン・マスク氏とトランプ米大統領の決裂がもたらしたもので、大手テスラの株価が急落したというのだ。このコラム欄で「トランプ氏の『男の友情』の賞味期限」という見出しのコラムを書いたが、マスク氏とトランプ氏という奇人同士の付き合いには必ず終末が来るだろうと予想していたが、早くも現実となったわけだ。

CGJung
▲カール・グスタフ・ユング、ウィキぺディアから

 溜息を洩らしながら、次は読売新聞オンラインを開いた。目に入った記事は「2011年3月の東京電力福島第一原発事故で東電に巨額の損害を与えたとして、同社株主42人が旧経営陣ら55人を相手取り、約23兆円を東電に支払うよう求めた株主代表訴訟の控訴審で、東京高裁は6日、勝俣恒久・元会長(故人)ら4人に計13兆円超の支払いを命じた1審・東京地裁判決を取り消し、株主側の請求を棄却する判決を言い渡した」という。株主側の逆転敗訴となった内容だ。

 その記事の横に42人の株主が55人の旧経営陣を訴えて東京高裁に入る写真が掲載されていた。「あれ・・」という声が出てきた。原告側は「22兆円を返せ」と書かれた垂れ幕を持って行進している。当方は「『22兆円』という数字をどこかで見たばかりだ。そうだ、マスク氏の会社テスラの株価が急落して「22兆円」吹き飛んだという記事を読んだばかりだった」と思い出した。

 「22兆円」という額は通常頻繁に登場する数字ではない。テスラの場合、「22兆円」は日本円で換算して飛び出した数字だ。一方、福島第一原発の場合、記事の中では原告は23兆円を要求していると書かれていたが、抗議デモの垂れ幕には「22兆円」となっている。奇妙にも両者に「22兆円」が出てくるのだ。偶然に過ぎないといえば、そうかもしれない。ドルと円の換算レートが違っていたら、「21兆円」だったかもしれない。また福島第一原発の原告の垂れ幕が「23兆円」だったかもしれないが、実際は両者とも「22兆円」となっていたのだ。

 「当方氏はよほど暇なのだろう」と思われる読者がいるかもしれない。「コラムのテーマがないので意味のないこじ付けをして書いているだけだろう」と同情される読者もいるかもしれない。そうではないのだ。スイスの精神科医カール・グスタフ・ユング(1875年〜1961年)のシンクロニシティを思い出してほしい。私たちの周囲には「意味のある偶然の一致=シンクロニシティ」が溢れているという現実があるのだ。

 テスラの株急落による減少額「22兆円」も福島第一原発の株主42人の損害要求額「22兆円」も共に「株」が絡まっていることに気が付く。偶然にも、「22兆円」は実体経済の世界ではない。「22兆円」は株の急落でもたらされた結果の数字だ。明日になれば、株が上昇するかもしれない。「22兆円」の偶然にも意味があるはずだ。

 当方の人生でも「意味ある偶然」を少なからず体験してきた。例を挙げてみる。当方がウィーンの外国人記者クラブに登録しに行った日だ。当方が記者証を提示すると、同クラブの事務員が「あれ、全く同じ名前の日本人記者がクラブに登録直後,急死したばかりだったので・・」と言って当方の顔を驚いた表情で見ていた。亡くなった日本人記者は著名な日本の大手新聞社の記者でワシントンから冷戦をフォローするためにウィーンに派遣されたばかりだったことを後で知った。同記者の急死は日本のメディアでも報じられた。その記事を読んだ当方の知人から電話がかかってきた。「君が亡くなったと思って心配になったのだ」というのだ。

 もう一つ「意味ある偶然」の話を紹介する。妻の誕生日に息子夫婦からプレゼントの花が届くよ、と連絡があった。その直後、配達人が花束を運んできた。最初は妻の花かなと思っていたが、誕生日カードには隣人の女性の名前が書かれていた。なんと隣人の女性と妻は偶然にも同じ生年月日だったのだ。ウィーン市長から市民には誕生日のお祝いカードが届くのが通例となっている。今年も妻に届いたが、隣人の女性にも同じ日に郵便ポストにカードが入っていただろう。

 以上、当方の細やかな例を考えても「意味ある偶然」があるのだ。当方が「22兆円」の記事を読んで驚いたのも理解してもらえたのではないか。繰り返すが、「意味ある偶然」が至る所に満ちているのだ。その「偶然」に隠された意味を探すのは私たちの仕事だろう。

 最後に、当方はウィーンで6日早朝、このコラムを書きだしたが、ユングは1961年6月6日、85歳で亡くなっている。6日はユングの命日だったのだ。このコラムを書く前まで気が付かなかった。