バチカンで18日午前10時(現地時間)、レオ14世の教皇就任ミサがサン・ピエトロ広場で挙行された。同ミサには外国からバンス米副大統領、ウクライナのゼレンスキー大統領、ドイツのメルツ首相ら多数の国家元首、首脳が参加した。レオ14世はパリウムと漁師の指輪を受け取り、ペテロの後継者として教皇の職務を公式にスタートさせた。

▲シナ―選手とテニス談話を交わす新教皇レオ14世,バチカンニュース2025年05月14日から
ところで、世界に約14億人の信者を有するローマ・カトリック教会の最高指導者、ローマ教皇は米大統領と共に世界で最も多忙な指導者だろう。だからといって、24時間、職務だけに没頭しているわけではない。趣味があり、スポーツに興じることもあるし、ドイツ人の教皇べネディクト16世のように、余暇にはピアノを弾くという教皇もいた。
南米出身の前教皇フランシスコはサッカーが大好きだった。重要な試合と公式行事が重なった場合、どちらを優先するかでデンマーク王子ハムレットのように苦悩した。
アルゼンチン出身のフランシスコ教皇は2022年12月18日に国際サッカー連盟(FIFA)主催のサッカー世界選手権(W杯)の決勝戦、フランス対アルゼンチン戦を観戦できなかった。母国チームが36年ぶりのW杯獲得を目指しているのだから予定を変更してTVの前に座って試合を観戦したとしても神の怒りを呼ぶことはなかっただろう。
フランシスコ教皇はアルゼンチンのサッカークラブ、サン・ロレンソ(San Lorenzo)のファンだ。クラブのトリコー(ユニフォーム)を抱えて笑うブエノスアイレス大司教(フランシスコ教皇)の写真が掲載されたほどだ。大司教は単なるファンではなく、同クラブメンバーに登録していたのだ。クラブへの熱意は中途半端ではなかった。
そのフランシスコ教皇が母国代表のW杯決勝戦をなぜ観戦しなかったのかは後日、判明した。アルゼンチンの新聞「ラ・ナシオン」のバチカン特派員エリザベッタ・ピケ氏の証言によれば、教皇は1990年に聖母マリアに「もうテレビを見ない」と約束したという。なぜそんな約束をしたのか。ブエノスアイレス大司教だったフランシスコ教皇が当時、聖務を忘れてサッカー試合に熱中したため、聖母マリアからお叱りを受けたからではないか、といわれたほどだ。
過去の教皇の中には、自国の重要なサッカー試合をぜひとも観戦したいため、教皇庁のプロトコールを変更した教皇がいた。教皇として27年間の長期政権を担当したポーランド出身のヨハネ・パウロ2世だ。教皇に選任された1978年の10月22日、落ち着かなかった。その夜、ASローマとFCボローニヤのサッカー試合がテレビで中継されるからだ。どうしても観戦したかった。そこでヨハネ・パウロ2世はプロトコールを早め、夜テレビ中継が観戦できるように調整した。大したものだ。同2世はクラクワの子供時代、サッカーが大好きで、ポジションはゴールキーパーだった。
サッカーといえば、書物の人べネディクト16世には面白い話がある。同16世が2,005年8月、ドイツのケルンで「サッカーの神様」ペレの接見を受けた時だ。べネディクト16世は目の前の人物が誰か分からなかったので、「あなたはブラジル人ですか」と聞いたという。バチカン教皇庁側近が慌てて「彼は世界の偉大なサッカー選手のペレです」と耳打ちしたという。
ベネディクト16世の出身地ドイツは南米に負けないほどサッカー国だ。ベネディクト16世の出身地であるバイエルン州にはFCバイエルン・ミュンヘンという強豪チームがある。ところで、ヨーゼフ(ベネディクト16世の本名ヨーゼフ・ラッツィンガー)はサッカーを興じる子供たちの中に入って一緒にプレイできなかった。上手くなかったからだ。何時もベンチに座っていた。だから、サッカーとは次第に縁が切れ、書籍の人となったというのだ。
ちなみに、バチカンにもクレリクス・カップ(Clericus Cup)というサッカーリーグが存在する。リーグ戦には19歳から57歳までの神学生、神父たちが、出身国別ではなく、機関所属別に分かれ、バチカン近くにあるペトリアナピッチで試合が行われる。
サッカーの話が続いたが、米国初の教皇に選出されたレオ14世の場合、サッカーの話は聞かない。やはりベースボールだ。レオ14世はシカゴ出身だ。同地を本拠地にする大リーグのホワイトソックスのファンとして知られている。それだけでない。レオ14世は大のテニスファンであり、自身もテニスをする。レオ14世は今月14日、男子テニス世界ランキング1位のヤニク・シナー選手(イタリア)とバチカンで面会し、シナーさんからラケットの贈呈を受けている。
テニスといえば、フランシスコ教皇はテニスには関心がなかった。テニスに興じる聖職者にあまりいい印象を持っていなかったようだ。例えば、フランシスコ教皇は“バチカンのジョージ・クルーニー”と呼ばれてきたハンサムな聖職者ゲオルク・ゲンスヴァイン大司教が余暇の時間、ローマのハイソサエティ(上流階級)の人々と混じってテニスに興じることを心よく思っていなかった。南米出身の教皇はサッカーは理解できても、テニスには社交界の人間が興じる贅沢なスポーツといった偏見があったのかもしれない。
サッカーは集団競技だが、テニスは主に個人競技だ。フランシスコ教皇は前者を好んだ。その点、野球(集団競技)とテニス(個人競技)の両スポーツを愛するレオ14世は明らかに前教皇とは異なったキャラクターの持主だ。

▲シナ―選手とテニス談話を交わす新教皇レオ14世,バチカンニュース2025年05月14日から
ところで、世界に約14億人の信者を有するローマ・カトリック教会の最高指導者、ローマ教皇は米大統領と共に世界で最も多忙な指導者だろう。だからといって、24時間、職務だけに没頭しているわけではない。趣味があり、スポーツに興じることもあるし、ドイツ人の教皇べネディクト16世のように、余暇にはピアノを弾くという教皇もいた。
南米出身の前教皇フランシスコはサッカーが大好きだった。重要な試合と公式行事が重なった場合、どちらを優先するかでデンマーク王子ハムレットのように苦悩した。
アルゼンチン出身のフランシスコ教皇は2022年12月18日に国際サッカー連盟(FIFA)主催のサッカー世界選手権(W杯)の決勝戦、フランス対アルゼンチン戦を観戦できなかった。母国チームが36年ぶりのW杯獲得を目指しているのだから予定を変更してTVの前に座って試合を観戦したとしても神の怒りを呼ぶことはなかっただろう。
フランシスコ教皇はアルゼンチンのサッカークラブ、サン・ロレンソ(San Lorenzo)のファンだ。クラブのトリコー(ユニフォーム)を抱えて笑うブエノスアイレス大司教(フランシスコ教皇)の写真が掲載されたほどだ。大司教は単なるファンではなく、同クラブメンバーに登録していたのだ。クラブへの熱意は中途半端ではなかった。
そのフランシスコ教皇が母国代表のW杯決勝戦をなぜ観戦しなかったのかは後日、判明した。アルゼンチンの新聞「ラ・ナシオン」のバチカン特派員エリザベッタ・ピケ氏の証言によれば、教皇は1990年に聖母マリアに「もうテレビを見ない」と約束したという。なぜそんな約束をしたのか。ブエノスアイレス大司教だったフランシスコ教皇が当時、聖務を忘れてサッカー試合に熱中したため、聖母マリアからお叱りを受けたからではないか、といわれたほどだ。
過去の教皇の中には、自国の重要なサッカー試合をぜひとも観戦したいため、教皇庁のプロトコールを変更した教皇がいた。教皇として27年間の長期政権を担当したポーランド出身のヨハネ・パウロ2世だ。教皇に選任された1978年の10月22日、落ち着かなかった。その夜、ASローマとFCボローニヤのサッカー試合がテレビで中継されるからだ。どうしても観戦したかった。そこでヨハネ・パウロ2世はプロトコールを早め、夜テレビ中継が観戦できるように調整した。大したものだ。同2世はクラクワの子供時代、サッカーが大好きで、ポジションはゴールキーパーだった。
サッカーといえば、書物の人べネディクト16世には面白い話がある。同16世が2,005年8月、ドイツのケルンで「サッカーの神様」ペレの接見を受けた時だ。べネディクト16世は目の前の人物が誰か分からなかったので、「あなたはブラジル人ですか」と聞いたという。バチカン教皇庁側近が慌てて「彼は世界の偉大なサッカー選手のペレです」と耳打ちしたという。
ベネディクト16世の出身地ドイツは南米に負けないほどサッカー国だ。ベネディクト16世の出身地であるバイエルン州にはFCバイエルン・ミュンヘンという強豪チームがある。ところで、ヨーゼフ(ベネディクト16世の本名ヨーゼフ・ラッツィンガー)はサッカーを興じる子供たちの中に入って一緒にプレイできなかった。上手くなかったからだ。何時もベンチに座っていた。だから、サッカーとは次第に縁が切れ、書籍の人となったというのだ。
ちなみに、バチカンにもクレリクス・カップ(Clericus Cup)というサッカーリーグが存在する。リーグ戦には19歳から57歳までの神学生、神父たちが、出身国別ではなく、機関所属別に分かれ、バチカン近くにあるペトリアナピッチで試合が行われる。
サッカーの話が続いたが、米国初の教皇に選出されたレオ14世の場合、サッカーの話は聞かない。やはりベースボールだ。レオ14世はシカゴ出身だ。同地を本拠地にする大リーグのホワイトソックスのファンとして知られている。それだけでない。レオ14世は大のテニスファンであり、自身もテニスをする。レオ14世は今月14日、男子テニス世界ランキング1位のヤニク・シナー選手(イタリア)とバチカンで面会し、シナーさんからラケットの贈呈を受けている。
テニスといえば、フランシスコ教皇はテニスには関心がなかった。テニスに興じる聖職者にあまりいい印象を持っていなかったようだ。例えば、フランシスコ教皇は“バチカンのジョージ・クルーニー”と呼ばれてきたハンサムな聖職者ゲオルク・ゲンスヴァイン大司教が余暇の時間、ローマのハイソサエティ(上流階級)の人々と混じってテニスに興じることを心よく思っていなかった。南米出身の教皇はサッカーは理解できても、テニスには社交界の人間が興じる贅沢なスポーツといった偏見があったのかもしれない。
サッカーは集団競技だが、テニスは主に個人競技だ。フランシスコ教皇は前者を好んだ。その点、野球(集団競技)とテニス(個人競技)の両スポーツを愛するレオ14世は明らかに前教皇とは異なったキャラクターの持主だ。