コンクラーベの結果を後日、憶測し、推測することは余り生産的な仕事とはいえないが、ジャーナリストにはその非生産的なことにあえて時間を投入する気質の持主が多い。名探偵シャーロックホームズを愛する当方もその気質から抜け出すことができない一人だ。

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▲サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に眠るフランシスコ教皇の墓の前で祈るレオ14世、バチカンニュースから、2025年05月10日

 ズバリ、米国人のロバート・フランシス・プレボスト枢機卿がなぜ4回目の投票で第267代教皇に選ばれたのか、というテーマだ。27年間の長期任期を誇ったヨハネ・パウロ2世の後継者選びでドイツ人の教理省長官だったヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿が2005年、4回目の投票で教皇に選出された。その理由は当時明らかだった。多くの枢機卿たちはヨハネ・パウロ2世の長期政権に疲れていたこともあって、次期教皇は短期政権となる枢機卿を願っていた。その結果、ラッツィンガー枢機卿が本格的な教皇選出前のショートリリーフとして4回目の投票ですんなりと選ばれた。ドイツ人教皇はその時既に78歳だった。

 それでは英国のブックメーカーの評判も低かったプレボスト枢機卿がどうしてコンクラーベ2日目、8日午後の4回目の投票で選出されたのか。
 今回のコンクラーベには80歳未満の枢機卿133人が参加した。選出されるためには過半数の支持が必要となる。この場合、89票だ。プレボスト枢機卿は4回目の投票で少なくとも89票以上の支持を得たことになる。

 イタリアANSA通信によると、トアマシナ大司教でマダガスカル出身のデシレ・ツァラハザナ枢機卿は、教皇との初会談後、「教皇とは教会をより協調的なものにする必要性について話し合った。レオ14世は非常に優れた教皇であり、コンクラーベでは100票以上を獲得した」と証言している。また、イタリアの日刊紙「コリエレ・デラ・セラ」は9日、匿名の情報として、「3回目の投票で第1位は最有力候補だったイタリアのピエトロ・パロリン枢機卿で49票、第2位にプレボスト枢機卿が38票で追っていた」と報じた。マダガスカル出身の枢機卿の情報が正しいとすれば、プレボスト枢機卿は3回目の38票から4回目の投票で100票を越える票を集めたことになる。

 コンクラーベではバチカン・ナンバー2の地位にあったパロリン枢機卿、エルサレム総主教ピエルバティスタ・ピッツァバラ枢機卿、そしてフィリピンのマニラ大司教区のルイス・アントニオ・ゴキム・タグレ枢機卿(67)らの前評判が高かった。

 それではどうしてプレボスト枢機卿が4回目の投票で大逆転できたのか。「コンクラーベには神が働く」と言われる。今回も「神の関与があった」と言われればそれまでだ。

 しかし、ここでは憶測を少し広めていく。イタリアの日刊紙「イル・メッサジェロ」と「コリエレ・デラ・セラ」両紙は「最初の3回の投票を終えた時点で、プレボスト枢機卿はパロリン枢機卿に後れを取っていた。一方、パロリン枢機卿は第1回目の投票で約40票を獲得したが、第3回目の投票では49票と伸び悩んだ。その結果、パロリン枢機卿は教皇レースから撤退を決意したという。その理由は、ハンガリーのペーテル・エルド枢機卿のような極めて保守的な枢機卿が出てくる可能性を阻止するためだった」と報じている。

 事前に配布された候補者リストによれば、プレボスト枢機卿は教会の進歩派と保守派両陣営が合意できない場合の妥協候補と考えられていた。同枢機卿のペルーでの経歴の他、2023年からのバチカンでの司教省長官としての経歴も、新教皇選出の切り札となった可能性が考えられる。同枢機卿は2年前にフランシスコ教皇によって枢機卿に昇格し、そしてバチカンに招かれ、その後、新司教の任命などで重要な役割を果たしてきた。特に、バチカンで構築していった人脈のネットワークがプレボスト枢機卿を大本命に押し上げたというのだ。カトリック教会も他の組織と同様、人脈、人間関係が重要となるわけだ。

 実際、ローマの新聞「イル・ドゥッビオ」は「133人の枢機卿が参加したコンクラーベでは、そのほとんどが同僚たちと初めて会うことになった。しかし、プレボスト枢機卿は、圧倒的多数の枢機卿に知られていた数少ない枢機卿だった」と論じている。

 なお、レオ14世は10日、パウロ6世謁見ホールで枢機卿たちと会合し、そこで「親愛なる枢機卿の皆様は、教皇の最も親しい協力者です。これは、明らかに私の力を超え、そして誰の力も超える重荷を背負う私にとって、大きな慰めです。皆様の存在は、私にこの任務を託した主が、責任を私一人に負わせるつもりはないことを思い出させてくれます」と、ユーモアを交えながら語っている。

 そして教皇名に「レオ」を選んだ背景について少し説明している。曰く「教皇レオ13世(1810年〜1903年)は、歴史的な回勅『レールム・ノヴァルム』の中で、第一次産業革命の文脈における社会問題について初めて言及した教皇だ。そして教会は今日、人間の尊厳、正義、労働の保護に新たな課題を突きつける新たな産業革命と人工知能(AI)への対応が求められている」と述べ、現代の世界がレオ13世時代と同じ社会課題に直面しているという認識から、「レオ13世」の後継者として「レオ14世」という教皇名を選んだというのだ。

 レオ14世は最後に、第2バチカン公会議に言及し、枢機卿たちに「シノドス主義」の道の継続、宣教的回心、共同体意識の強化、そして疎外された人々への愛情ある配慮を求めている。