南米教会出身のローマ教皇フランシスコが就任直後、貧者の救済を頻繁に言及するため、「教皇は南米の神学といわれる解放神学の信奉者ではないか」という声が聞かれた。それに対し、バチカン教皇庁教理省長官のゲルハルト・ルードヴィヒ・ミュラー大司教(当時)は「新教皇は貧者の救済に尽力を投入してきた。迫害され、不公平な扱いを受けてきた人々や民族に対して支援することはキリスト教の人間観に基づく行為だ。フランシスコ教皇を解放神学者と断言することは不適当だ」と説明したことがあった。

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▲88歳で亡くなったフランシスコ教皇、バチカンニュースから

 解放神学とバチカンの関係は長い。教会の近代化が提唱された第2バチカン公会議の直後、南米司教会議がコロンビアのメデジンで開催され、そこで第2公会議の精神に基づき、抑圧された民族の解放問題が協議された。抑圧された貧者たちの視点を重視する解放神学の誕生だ。

 バチカンは1980年代に入り、南米教会で広がっていった解放神学に警戒心を高めている。解放神学がマルクス主義に接近していく傾向が見え出したからだ。バチカン教理省長官に就任したヨーゼフ・・ラッツィンガー枢機卿(後日、ベネディクト16世)は南米の解放神学者グスタボ・グティエレス氏やレオナルド・ボブ氏の著作を批判、1984年には教理省の名で解放神学に警告を発した。 しかし、ヨハネ・パウロ2世は86年3月、南米訪問で悲惨な現状を目撃した後、ブラジル司教会議関係者との会見で解放神学の正当性を認めている。
 
 フランシスコ教皇が亡くなった後、南米出身の教皇は改革派だったかどうかで意見が分かれている。オーストリア国営放送(ORF)は牧会神学者ポール・マイケル・ズーレナー氏にフランシスコ教皇の遺産についてインタビューしている。

 ズーレナ―氏は「フランシスコ教皇は第二バチカン公会議を決定的に継続したという点で記憶される。同時に、政治的教皇として記憶されるだろう」という。フランシスコは「ラウダート・シ」(2015年)で、環境に関する初の回勅を執筆し、 その中で生態学と経済の密接なつながりを強調し、第三次世界大戦の可能性を繰り返し警告している。

 教皇は貧困層、差別されている人々、刑務所の囚人、多くの大都市のスラム街に住む人々、孤独な老人、仕事のない若者にそのエネルギーを傾注していった。 宗教原理主義者や政治ポピュリストはフランシスコ教皇の言動を歓迎しなかったのは当然かもしれない。

 フランシスコ教皇は同性愛者やクィア、離婚した人々に対しても聖体拝領の道を開こうとした。 2013年7月、ブラジル訪問から帰国の機内で「教会は同性愛行為を罪とみなしているが、同性愛者を非難したり、疎外したりしてはならない」と述べ、LGBTに対して理解を示している。フランシスコ教皇は教会の重点を道徳説教から癒しと治療へと転換していった。ズーレナ―氏は「教会は税関ではなく野戦病院であるべきだという信念があった。フランシスコ教皇は、行動と言葉で、新たな司牧文化を提唱した」と述べている。

 フランシスコ教皇在位12年間で女性聖職者は誕生しなかったが、バチカンの高官ポストに修道女ラファエラ・ペトリーニさんが今年3月から従事している。神父の独身義務については、バチカンで2019年10月開催されてきたアマゾン公会議で、「遠隔地やアマゾン地域のように聖職者不足で教会の儀式が実施できない教会では、司教たちが(相応しい)既婚男性の聖職叙階を認めることを提言する」と、最終文書の中で明記された。ただし、同提言は聖職者の独身制廃止を目指すものではなく、聖職者不足を解消するための現実的な対策の印象は歪めない。

 フランシスコ教皇の在位期間における重要な革新は、シノドス主義、すなわち共同体主義の強化だ。「フランシスコにとって、教会のこの『シノドス化』は、第二バチカン公会議の教会のイメージの実現にほかならない」と神学者は語る。世界シノドスはフランシスコ教皇が2021年から2024年にかけて招集し、一般信徒や女性代表らも参加した。

 5月に入れば、次期教皇選出を決めるコンクラーベがシスティーナ礼拝堂で挙行されるが、ズ―レナー氏は「コンクラーベは中世の遺物だ。現在カトリック教会で規定されているコンクラーべはもはや時代遅れだ。教会のより大きなシノドス性(協議性)は、教皇選挙の改革を意味する」と主張している。同氏によれば、フランシスコ教皇自身が「教皇職も将来的にはシノドス的に行使されるべきだ」と述べている。それは第1バチカン公会議(1869〜1870)で描かれた絶対主義的で君主制的な教皇像からの決別を意味するわけだ。

 ローマ・カトリック教会は現在、教皇を中心とした中央集権体制を維持していくか、現場の司教会議や指導者たちが教会運営にタッチしていく非中央集権化かの選択を強いられてきている。

 問題は出てくる。グロバリゼーションの時代、ソーシャルネットワークが発展してきている現代社会、聖職者もそれらの影響を受ける。世論調査が行われ、フェイクニュースが溢れている情報社会で生きている聖職者もやはり人間だ。意見は多様化し、牧会一つ上げても多様なやり方が考えられる。国、地域でその文化、慣習は異なる。そのよう時代環境圏で果たして各国の司教会議が統一された 教会を維持できるだろうか。ボトムアップで統一した教会体制がキープできるだろうか。

 次期教皇がシノドスの過程を止めることはできるが、フランシスコ教皇は在位12年の間に、次期教皇を選出する選挙権を有する80歳未満の枢機卿の3分の2以上を任命していることから、次期教皇も前任者の路線を継続していくと考えて間違いないだろう。

 問題の核心は、教会体制でトップダウン方式かボトムアップ体制かの選択ではない。独裁的な教皇が誕生するか、ポピュリストの教皇が選出されるかの問題でもない。神を信じ、人類の救済を訴える教会に神の聖霊の働きがあるか否かではないか。ペテロの後継者が主導するカトリック教会は大きな分岐点に対峙している。