ローマ教皇フランシスコは13日、教皇に選出されてから12年を迎えた。88歳の高齢教皇は先月14日からローマのジェメッリ総合病院に入院中で、14日で丸1カ月が過ぎた。バチカン筋では、教皇の退院の日が近いと予想している。

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▲ローマ教皇に選ばれ、信者たちの前で挨拶するフランシスコ教皇(2013年3月13日、バチカンニュースから)

 フランシスコ教皇が選出された日のことを今でも鮮明に思い出す。コンクラーベ(教皇選出会)は2013年3月13日午後、5回目の投票で新教皇を決定した。システィーナ礼拝堂の煙突から白い煙が出て新教皇の選出が明らかになると、広場で待機していた市民や信者たちから大歓声が起きた。新ローマ教皇に南米出身者が選出されたことは初めてだった。イエズス会出身者の教皇選出も初めてだ。聖職者の中でも、新ローマ教皇に選出されたアルゼンチンのブエノスアイレス大司教のマリオ・ベルゴリオ枢機卿を知っていたものは多くいなかった。文字通り、サプライズだった。

 枢機卿の間でも無名だったベルゴリオ枢機卿がそれではなぜ選出されたのか。もちろん、神の御手が働いたからだ、と多くの信者たちは考えているだろう。それに大きな間違いはないが、それだけではないはずだ。

 当時のバチカンニュースの説明によると、「コンクラーベ開催前の準備会議(枢機卿会議)でベルゴリオ枢機卿が教会の現状を厳しく指摘し、『教会は病気だ』と激しく批判した。その内容が多くの枢機卿の心を捉え、南米教会初の教皇誕生を生み出す原動力となった」からだという。フランシスコ教皇は5分間余りの演説の中で、「自己中心的な教会はイエスを自身の目的のために利用し、イエスを外に出さない。これは病気だ。教会機関のさまざまな悪なる現象はそこに原因がある。この自己中心主義は教会の刷新のエネルギーを奪う。2つの教会像がある。一つは福音を述べ伝えるため、飛び出す教会だ。もう一つは社交界の教会だ。それは自身の世界に閉じこもり、自身のために生きる教会だ。それは魂の救済のために必要な教会の刷新や改革への希望の光を投げ捨ててしまう」と述べている。この内容がコンクラーベに参加した枢機卿たちの心をとらえたわけだ。

 教皇就任時に既に76歳だったフランシスコ教皇は「病気の教会」を治癒しようと努力してきたが、完全治癒どころか、処方箋もまだ決定していない、といった状況が現実だろう。名医でなかったことは間違いないが、藪医者とは酷評できない。なぜならば、少なくとも「教会が病気」であるという診断は間違いではないからだ。

 フランシスコ教皇は前任者のベネディクト16世とは異なり、信者たちやメディアとの接触には積極的に応じてきた。過去12年間、聖職者の未成年者への性的虐待事件問題が世界の教会に影響を与え、教会から脱会する信者が増加する一方、聖職者不足が深刻となり、羊飼いのいない教区すら出てきた。聖職者から性的虐待を受けた犠牲者への賠償金の支払いで破産する教会する出てきた。教会一般のイメージは聖職者の性犯罪の多発と教会側の隠ぺい体質が明らかになって、教会への信頼は地に落ちてしまった。

 フランシスコ教皇は就任以来、教会の刷新には積極的な発言を繰り返してきた。バチカンで昨年10月、教会の刷新、改革について話し合う世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会が開催された。教皇はシノドス開会前のサン・ピエトロ広場でのミサの中で、「私たちの集まりは議会ではなく、共同体だ。シノドスは多様性の中で調和を生み出すことが目的である。シノドスは、同じ信仰に満たされ、聖性への同じ願いに駆り立てられている兄弟姉妹たちのためであり、私たちは彼らと共に、また彼らのために、主が導こうとしている道を理解することに努めている。参加者は忍耐強く他者の意見に耳を傾けてほしい」と語り、シノドスを通じて教会の精神的刷新を期待している。

 2025年は「聖年」だ。「聖年」の幕開けは、ローマ教皇が大聖堂にある「聖なる戸」(Holy Door)を開ける象徴的な儀式から始まった。これは、神への道が特別に開かれる象徴とされている。世界中から多くの巡礼者がローマを訪れる「聖年」は信者にとって、信仰を再確認し、心の刷新を行う絶好の機会といわれる。その「聖年」の始めにフランシスコ教皇は病に伏せたわけだ。

 フランシスコ教皇の在位期間は13年目に入る。前教皇ベネディクト16世より長い。南米出身の教皇の持ち時間はもはやそう長くない。バチカンでは保守派と改革派の間で既にポスト・フランシスコへの主導権争いが始まっている。