前日のコラムで書いたが、1938年11月9日は「水晶の夜」(クリスタル・ナハト)と呼ばれている。ナチス・ドイツ軍が支配する欧州全域でユダヤ教会堂(シナゴーグ)が焼き討ちされ、ユダヤ人商店が略奪され、ユダヤ人が迫害された。「水晶の夜」は、破壊されたガラスが月明かりに照らされて水晶のように光っていたことからこのように呼ばれた。ウィーンのユダヤ人広場で追悼集会が開催されたが、その際、極右政党出身で愛国主義的学生結社(ブルシェンシャフト)に所属するオーストリア国民議会議長ローゼンクランツ氏がユダヤ人青年団体によって追悼を阻止され、戻っていかざるを得なかったことを報告した。
▲手を合わせて祈る(神社本庁公式サイトから)
ローゼンクランツ国民議会議長は62歳だ。すなわち、ナチス・ドイツ軍の戦争犯罪に関与していない世代だ。一方、ユダヤ人青年グループは戦後の世代だ。その双方が86年前に起きた「水晶の夜」の出来事への追悼でぶつかり合ったわけだ。
8日の出来事を考えてみた時、如何なる理由からは別として、亡くなった人々がその後も生き続けていることを感じるのだ。「亡霊の証明」といえば、大げさかもしれないし、不必要かもしれない。なぜならば、私たちは民族、国家を超え、亡くなった人間があたかも生きているように感じながら追悼し、語り合って生きてきたからだ。
スウェーデンのヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(1849〜1912年)は国民的作家としてて有名だが、彼は亡霊の存在を信じていた。ある日、ガラス瓶をもって墓場にいって亡霊を捕まえようとしたというエピソードが伝えられている。また、名探偵シャーロックホームズの生みの親,アーサー・コナン・ドイル(1859〜1930年)は愛する息子が急死したことに心を痛め、息子と再会したいという思いから米国で当時広がっていた心霊学会に参加している。ドイルにとって息子はまだ生きているのだ。
亡霊を幽霊と表現する人もいるが、それは亡くなった人への侮辱だ。彼らはその存在形態が異なるだけで、生き続けている。私たちはそれを薄々分かっているから、命日に追悼し、参拝するわけだ。決して古い時代の風習ではない。デンマークの王子ハムレットは亡くなった父親から「叔父クローディアスが父を毒殺し、王妃と結婚した」ことを教えられ、叔父への復讐を決意する。この有名な劇は亡霊の存在なくしてはあり得ない(無念な思いで亡くなった亡霊はこの世との繋がりをなかなか切れない)。
反ユダヤ主義を見ていくと、興味深い事実に突き当たる。例えば、ポーランドではユダヤ人はほとんど住んでいないが、反ユダヤ主義傾向が見られる。また、ロシア南部ダゲスタン共和国の首都マハチカラの空港で昨年10月29日、群衆が空港に殺到し、飛行機から降りた乗客を取り囲み、ユダヤ人と分かれば暴行するなどの事態が起きた。空港内の暴動を放映した西側のメディアは、「まるで21世紀のポグロム(ユダヤ人迫害)だ」と報じたほどだ。看過できない事実は、タゲスタンはイスラム教徒が大多数で、ユダヤ人はほとんど住んでいないが、反ユダヤ主義はどこの場所よりも強いのだ(「タゲスタンの反ユダヤ主義暴動の背景」2023年11月1日参考)。
別の例を挙げてみよう。ドイツの極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)は外国人排斥、反移民政策を掲げて連邦議会、州議会でその勢力を伸ばしているが、AfDが急伸する東部州(ザクセン、ブランデンブルク、メクレンブルク=フォアポンメルンなど)では西部州より移民率が低い。西部州の都市では20%から30%の移民率だが、東部では都市部を除き、移民率は5%以下のことが多く、地域によっては2〜3%と非常に低い。
すなわち、ユダヤ人が周囲にほとんどいないか、あまりいないのに、反ユダヤ主義が強いように、外国人は少ないエリアで反外国人、反移民の声が根強いのだ。さまざまな理由が考えられるが、反ユダヤ主義、反移民の背後には、人口論的な統計によるものではなく、歴史的な要因が推測できるのだ。
ノルマンデー上陸作戦80周年を記念する式典が今年6月、フランスで挙行されたが、そこに招かれていた元兵士がインタビューで「私たちは英雄ではない。英雄は戦いで亡くなった兵士たちだ」と答えていたのを聞いて、驚いた。元兵士の謙虚さに驚いたのではなく、実際その通りだと感じたからだ。式典に招かれた元兵士たちは戦いに生き延びたが、無数の犠牲となった若い兵士たちがいたはずだ。元兵士は「彼らこそ英雄だ。華やかな式典に招かれた自分たちではない」というのだ。亡くなった霊、亡霊者への畏敬の念からの言葉だろう。
私たちの周囲には無数の亡霊が存在し、私たちの言動を見守っているのを感じる。時には、その亡霊ゆえに、生きている人間が苦悩することがある。8日のウィーンでの「水晶の夜」での追悼集会でのローゼンクランツ国民議会議長と若いユダヤ人たちとのやり取りを思い出す。戦争が終わって80年を迎えようとしているが、両者間の対話が難しいのは、戦争で犠牲となったユダヤ人たち(亡霊者)の悲しみが依然、癒されていないからかもしれない。
生きている人間と亡霊者の間で和解が成り立ってこそ、私たちも亡霊者も苦悩から解放される。そのために、私たちは亡霊者に連帯と共助を求めざるを得ない。だから、私たちは追悼し、参拝するのだろう。
▲手を合わせて祈る(神社本庁公式サイトから)
ローゼンクランツ国民議会議長は62歳だ。すなわち、ナチス・ドイツ軍の戦争犯罪に関与していない世代だ。一方、ユダヤ人青年グループは戦後の世代だ。その双方が86年前に起きた「水晶の夜」の出来事への追悼でぶつかり合ったわけだ。
8日の出来事を考えてみた時、如何なる理由からは別として、亡くなった人々がその後も生き続けていることを感じるのだ。「亡霊の証明」といえば、大げさかもしれないし、不必要かもしれない。なぜならば、私たちは民族、国家を超え、亡くなった人間があたかも生きているように感じながら追悼し、語り合って生きてきたからだ。
スウェーデンのヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(1849〜1912年)は国民的作家としてて有名だが、彼は亡霊の存在を信じていた。ある日、ガラス瓶をもって墓場にいって亡霊を捕まえようとしたというエピソードが伝えられている。また、名探偵シャーロックホームズの生みの親,アーサー・コナン・ドイル(1859〜1930年)は愛する息子が急死したことに心を痛め、息子と再会したいという思いから米国で当時広がっていた心霊学会に参加している。ドイルにとって息子はまだ生きているのだ。
亡霊を幽霊と表現する人もいるが、それは亡くなった人への侮辱だ。彼らはその存在形態が異なるだけで、生き続けている。私たちはそれを薄々分かっているから、命日に追悼し、参拝するわけだ。決して古い時代の風習ではない。デンマークの王子ハムレットは亡くなった父親から「叔父クローディアスが父を毒殺し、王妃と結婚した」ことを教えられ、叔父への復讐を決意する。この有名な劇は亡霊の存在なくしてはあり得ない(無念な思いで亡くなった亡霊はこの世との繋がりをなかなか切れない)。
反ユダヤ主義を見ていくと、興味深い事実に突き当たる。例えば、ポーランドではユダヤ人はほとんど住んでいないが、反ユダヤ主義傾向が見られる。また、ロシア南部ダゲスタン共和国の首都マハチカラの空港で昨年10月29日、群衆が空港に殺到し、飛行機から降りた乗客を取り囲み、ユダヤ人と分かれば暴行するなどの事態が起きた。空港内の暴動を放映した西側のメディアは、「まるで21世紀のポグロム(ユダヤ人迫害)だ」と報じたほどだ。看過できない事実は、タゲスタンはイスラム教徒が大多数で、ユダヤ人はほとんど住んでいないが、反ユダヤ主義はどこの場所よりも強いのだ(「タゲスタンの反ユダヤ主義暴動の背景」2023年11月1日参考)。
別の例を挙げてみよう。ドイツの極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)は外国人排斥、反移民政策を掲げて連邦議会、州議会でその勢力を伸ばしているが、AfDが急伸する東部州(ザクセン、ブランデンブルク、メクレンブルク=フォアポンメルンなど)では西部州より移民率が低い。西部州の都市では20%から30%の移民率だが、東部では都市部を除き、移民率は5%以下のことが多く、地域によっては2〜3%と非常に低い。
すなわち、ユダヤ人が周囲にほとんどいないか、あまりいないのに、反ユダヤ主義が強いように、外国人は少ないエリアで反外国人、反移民の声が根強いのだ。さまざまな理由が考えられるが、反ユダヤ主義、反移民の背後には、人口論的な統計によるものではなく、歴史的な要因が推測できるのだ。
ノルマンデー上陸作戦80周年を記念する式典が今年6月、フランスで挙行されたが、そこに招かれていた元兵士がインタビューで「私たちは英雄ではない。英雄は戦いで亡くなった兵士たちだ」と答えていたのを聞いて、驚いた。元兵士の謙虚さに驚いたのではなく、実際その通りだと感じたからだ。式典に招かれた元兵士たちは戦いに生き延びたが、無数の犠牲となった若い兵士たちがいたはずだ。元兵士は「彼らこそ英雄だ。華やかな式典に招かれた自分たちではない」というのだ。亡くなった霊、亡霊者への畏敬の念からの言葉だろう。
私たちの周囲には無数の亡霊が存在し、私たちの言動を見守っているのを感じる。時には、その亡霊ゆえに、生きている人間が苦悩することがある。8日のウィーンでの「水晶の夜」での追悼集会でのローゼンクランツ国民議会議長と若いユダヤ人たちとのやり取りを思い出す。戦争が終わって80年を迎えようとしているが、両者間の対話が難しいのは、戦争で犠牲となったユダヤ人たち(亡霊者)の悲しみが依然、癒されていないからかもしれない。
生きている人間と亡霊者の間で和解が成り立ってこそ、私たちも亡霊者も苦悩から解放される。そのために、私たちは亡霊者に連帯と共助を求めざるを得ない。だから、私たちは追悼し、参拝するのだろう。