ギリシャを公式訪問するドイツの大統領はアテネからナチス・ドイツ軍の戦争への賠償請求をいつも突きつけられる。今回もそうだった。フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー大統領は先月29日から31日、アテネを公式訪問したが、ホストのカテリナ・サケラロプル大統領から第2次世界大戦でギリシャが受けた損害と、当時のナチス・ドイツに支払わされた強制貸付について賠償を請求されたばかりだ。
▲アテネを公式訪問したドイツのシュタインマイヤー大統領(2024年10月29日、ドイツ連邦大統領府公式サイトから)
サケラロプル大統領は「戦争賠償と強制貸付の問題は、ギリシャ国民にとって今なお非常に重要な意味を持っている」として、「同問題は依然として宙に浮いたままだ」と主張した。ナチス・ドイツ軍のギリシャ占領時代(1941〜44年)の蛮行、ユダヤ系住民のアウシュビッツ収容所送還、経済的略奪などに対し、賠償金を支払うべきだという声がギリシャでは久しく聞かれてきた。
それに対して、シュタインマイヤー大統領は、第二次世界大戦中およびそれ以前に起きた残虐行為に対するドイツの責任を認める一方、「法的な問題については異なる立場を取っていることはご存知のはずだ。ドイツは賠償問題を国際法上解決済みと考えている。しかし、私たちは歴史的・道義的な責任は果たすべきと考えている」と説明し、ドイツが主導しているテサロニキでのホロコースト博物館の建設支援や、ドイツ・ギリシャ間の青年交流への取り組みにも言及し、ギリシャからの請求を拒否した。
シュタインマイヤー大統領の前任者、ヨアヒム・ガウク大統領もアテネ訪問時に対ギリシャ戦時賠償問題に対峙している。ガウク独大統領(当時)は2014年3月7日、第2次世界大戦中にナチス・ドイツ軍が民間人を虐殺したギリシャ北西部のリギアデス村(Ligiades)の慰霊碑を訪問し、ドイツ軍の蛮行に謝罪を表明したが、同大統領の演説が終わると、リギアデスの生存者たちは「公平と賠償」と書かれたポスターを掲げ、「大統領の謝罪はまったく意味がない。われわれにとって必要なことは具体的な賠償だ」と叫び出した。同大統領はその時、ギリシャ国民の要求に理解を示したが、政府の公式的立場を繰り返す以外に具体的には何もできなかった。
メルケル政権時代、ギリシャのチプラス政権(当時)はドイツに戦時賠償金問題を重要議題とし、ドイツ側の対応次第ではギリシャ国内のドイツ資産の押収を示唆するなど、ベルリンを脅迫したこともあった。それに対し、ドイツ側は対ギリシャ戦時賠償問題では「2プラス4」協定(Zwei-plus-Vier-Abkommen)のドイツ再統一後、その法的根拠を失ったという立場を堅持。ドイツ外務省は2019年10月18日、「大戦中の損害賠償問題は解決済みだ。ギリシャ政府と戦時の賠償問題で交渉する考えはない」と支払い交渉を正式に拒否している。ただし、法専門家の中には、「法的には解決済みだが、対ギリシャ戦時賠償問題をもう少し広い範囲で議論すべきだ」という意見も聞かれることは事実だ。
(ヒトラーのドイツが1942年、ギリシャ中央銀行から4億7600万マルク(当時)の資金を強制的に借り入れたが、その返済はこれまで実施されていない。現在の価格では80億から110億ユーロに相当する巨額な借り入れだ。1944年6月10日、ナチス親衛隊によるDistomoの婦女、子供大虐殺に対し、ドイツは賠償金を支払わなければならない。なお、ドイツは1960年代、戦時賠償支払いの枠組みの中で1億1500万マルクをギリシャ側に支払っている)。
戦後80年余りが経過したが、ドイツの過去問題を挙げ、損害賠償を請求している国はギリシャだけではない。ポーランドも同じだ。ポーランドのアンドジェイ・ドゥダ大統領は9月1日、ドイツのポーランド侵攻85年追悼式典で、第二次世界大戦でポーランドが被った損害に対する賠償を改めてドイツに要求している。同大統領は「許しと罪の認識は一つのことですが、損害の補償は別問題だ。この問題は80年間、第二次世界大戦を含めて未解決のままだ」と付け加えている。
ポーランドへのドイツの侵攻は1939年9月1日に始まり、ダンツィヒ(現在のグダニスク)近郊のヴェスタープラッテへの砲撃に先立ち、当時のドイツ・ポーランド国境付近に位置するヴィエルンはドイツ空軍によって爆撃された。この攻撃だけで約1200人の民間人が犠牲になった。戦争全体でポーランドでは約600万人が命を落とした。ワシチコフスキ外相(当時)は2017年9月4日、ドイツに対し、第2次世界大戦時のナチス・ドイツ軍のポーランド侵攻で1兆ドルを超える被害があったとし、賠償金を暗に請求した、といった具合だ。
ちなみに、日本は戦後、サンフランシスコ平和条約(1951年)に基づいて戦後賠償問題は2国間の国家補償を実施して完了済みだが、第1次、第2次の2つの世界大戦の敗戦国となったドイツの場合、過去の賠償問題は日本より複雑だ。ドイツの場合、国家補償ではなく、ナチス軍の被害者に対する個別補償が中心だからだ。ドイツにとって過去問題は政治的にはフランスとの関係だが、損害賠償問題はバルカン諸国や旧東独諸国で常にくずぶってきた厄介なテーマだ。
<当方の呟き>
戦争賠償請求に時効というものがないのだろうか、と考えることがある。被害国は加害国に対して「歴史の公平」、「民族の公平」を掲げて賠償請求する。国際法からみれば当然かもしれない。ところで、被害国でありながら、加害国に賠償請求をしなかった国が過去、一国ある。蒋介石(しょうかいせき)率いる中華民国政府だ。その背景にはいくつかの政治的、戦略的な理由(台頭してきた共産主義を阻止する)もあったが、蒋介石は「徳をもって怨みに報いる」(「以徳報怨」)という儒教的な価値観を有していたといわれる。日本は蒋介石に感謝しなければならない。
▲アテネを公式訪問したドイツのシュタインマイヤー大統領(2024年10月29日、ドイツ連邦大統領府公式サイトから)
サケラロプル大統領は「戦争賠償と強制貸付の問題は、ギリシャ国民にとって今なお非常に重要な意味を持っている」として、「同問題は依然として宙に浮いたままだ」と主張した。ナチス・ドイツ軍のギリシャ占領時代(1941〜44年)の蛮行、ユダヤ系住民のアウシュビッツ収容所送還、経済的略奪などに対し、賠償金を支払うべきだという声がギリシャでは久しく聞かれてきた。
それに対して、シュタインマイヤー大統領は、第二次世界大戦中およびそれ以前に起きた残虐行為に対するドイツの責任を認める一方、「法的な問題については異なる立場を取っていることはご存知のはずだ。ドイツは賠償問題を国際法上解決済みと考えている。しかし、私たちは歴史的・道義的な責任は果たすべきと考えている」と説明し、ドイツが主導しているテサロニキでのホロコースト博物館の建設支援や、ドイツ・ギリシャ間の青年交流への取り組みにも言及し、ギリシャからの請求を拒否した。
シュタインマイヤー大統領の前任者、ヨアヒム・ガウク大統領もアテネ訪問時に対ギリシャ戦時賠償問題に対峙している。ガウク独大統領(当時)は2014年3月7日、第2次世界大戦中にナチス・ドイツ軍が民間人を虐殺したギリシャ北西部のリギアデス村(Ligiades)の慰霊碑を訪問し、ドイツ軍の蛮行に謝罪を表明したが、同大統領の演説が終わると、リギアデスの生存者たちは「公平と賠償」と書かれたポスターを掲げ、「大統領の謝罪はまったく意味がない。われわれにとって必要なことは具体的な賠償だ」と叫び出した。同大統領はその時、ギリシャ国民の要求に理解を示したが、政府の公式的立場を繰り返す以外に具体的には何もできなかった。
メルケル政権時代、ギリシャのチプラス政権(当時)はドイツに戦時賠償金問題を重要議題とし、ドイツ側の対応次第ではギリシャ国内のドイツ資産の押収を示唆するなど、ベルリンを脅迫したこともあった。それに対し、ドイツ側は対ギリシャ戦時賠償問題では「2プラス4」協定(Zwei-plus-Vier-Abkommen)のドイツ再統一後、その法的根拠を失ったという立場を堅持。ドイツ外務省は2019年10月18日、「大戦中の損害賠償問題は解決済みだ。ギリシャ政府と戦時の賠償問題で交渉する考えはない」と支払い交渉を正式に拒否している。ただし、法専門家の中には、「法的には解決済みだが、対ギリシャ戦時賠償問題をもう少し広い範囲で議論すべきだ」という意見も聞かれることは事実だ。
(ヒトラーのドイツが1942年、ギリシャ中央銀行から4億7600万マルク(当時)の資金を強制的に借り入れたが、その返済はこれまで実施されていない。現在の価格では80億から110億ユーロに相当する巨額な借り入れだ。1944年6月10日、ナチス親衛隊によるDistomoの婦女、子供大虐殺に対し、ドイツは賠償金を支払わなければならない。なお、ドイツは1960年代、戦時賠償支払いの枠組みの中で1億1500万マルクをギリシャ側に支払っている)。
戦後80年余りが経過したが、ドイツの過去問題を挙げ、損害賠償を請求している国はギリシャだけではない。ポーランドも同じだ。ポーランドのアンドジェイ・ドゥダ大統領は9月1日、ドイツのポーランド侵攻85年追悼式典で、第二次世界大戦でポーランドが被った損害に対する賠償を改めてドイツに要求している。同大統領は「許しと罪の認識は一つのことですが、損害の補償は別問題だ。この問題は80年間、第二次世界大戦を含めて未解決のままだ」と付け加えている。
ポーランドへのドイツの侵攻は1939年9月1日に始まり、ダンツィヒ(現在のグダニスク)近郊のヴェスタープラッテへの砲撃に先立ち、当時のドイツ・ポーランド国境付近に位置するヴィエルンはドイツ空軍によって爆撃された。この攻撃だけで約1200人の民間人が犠牲になった。戦争全体でポーランドでは約600万人が命を落とした。ワシチコフスキ外相(当時)は2017年9月4日、ドイツに対し、第2次世界大戦時のナチス・ドイツ軍のポーランド侵攻で1兆ドルを超える被害があったとし、賠償金を暗に請求した、といった具合だ。
ちなみに、日本は戦後、サンフランシスコ平和条約(1951年)に基づいて戦後賠償問題は2国間の国家補償を実施して完了済みだが、第1次、第2次の2つの世界大戦の敗戦国となったドイツの場合、過去の賠償問題は日本より複雑だ。ドイツの場合、国家補償ではなく、ナチス軍の被害者に対する個別補償が中心だからだ。ドイツにとって過去問題は政治的にはフランスとの関係だが、損害賠償問題はバルカン諸国や旧東独諸国で常にくずぶってきた厄介なテーマだ。
<当方の呟き>
戦争賠償請求に時効というものがないのだろうか、と考えることがある。被害国は加害国に対して「歴史の公平」、「民族の公平」を掲げて賠償請求する。国際法からみれば当然かもしれない。ところで、被害国でありながら、加害国に賠償請求をしなかった国が過去、一国ある。蒋介石(しょうかいせき)率いる中華民国政府だ。その背景にはいくつかの政治的、戦略的な理由(台頭してきた共産主義を阻止する)もあったが、蒋介石は「徳をもって怨みに報いる」(「以徳報怨」)という儒教的な価値観を有していたといわれる。日本は蒋介石に感謝しなければならない。
京大医学博士吉田 荘人氏の書籍、蒋介石秘話によれば・・・、
「日本人は、蒋介石が「徳を以て怨みに報いる」と述べたかのように受け止めているが、この言葉は後に国民党系のマスコミによって作られたものである。自国民に対してさえ非情な蒋介石が、敗戦国に寛大であるはずがなく、またその必要もない。日本人はその経緯を知らないため、当時の寛大な措置と受け取っている。」
と公開された公文書から断じていますし、長谷川さんと同業の、世界日報増 記代司氏の憲法論に関する記事中でも・・・、
「終戦の45年から独立国家となったサンフランシスコ講和条約発効の52年までの7年間は、「軍事占領時代」と画するべきだ。主権を有さず、占領下という戦争の延長だったからだ。」
と有り、間接的に戦争賠償請求に関して中華民国は、日本ではなく米国を相手にしていた事が解ります。
そもそも戦勝国の中でも、もっとも多くの戦勝賠償、艦艇を日本から獲得しようとしていたからこそ、米国からの結果が期待していた程では無かった、反面援助も必要な為あの様な声明になったのではないでしょうか。感謝しなければならない、の一言で片付ける事では無い様な気がします。未だに米国の属国で有る日本に、そう言えてしまう欧米思考が怖いですな。