イスラエルのネタニヤフ首相は昨年10月28日、パレスチナ自治区ガザを2007年以来実効支配してきたイスラム過激テロ組織「ハマス」がイスラエル領に侵入し、奇襲テロを実行した直後、「アマレクが私たちに何をしたかを覚えなさい」と述べたという。
▲ジェイク・サリバン米国家安全保障問題担当補佐官と会談するネタニヤフ首相(2024年5月19日、エルサレムで、イスラエル首相府公式サイドから)
ネタニヤ首相はなぜ、突然「アマレクの蛮行を忘れるな」と言い出したのだろうか。ネタニヤフ首相の発言は旧約聖書「申命記」第25章17〜18節に記述されている。アマレクは古代パレスチナの遊牧民族で、旧約聖書によると、イサクの長男エサウの孫エリファズの子だ。
「あなたがエジプトから出てきた時、道でアマレクびとがあなたにしたことを記憶しなければならない。すなわち、彼らは道であなたに出会い、あなたがうみ疲れている時、うしろについてきていたすべての弱っている者を攻め撃った。このように彼らは神を恐れなかった」。
モーセがエジプトから60万人のイスラエルの民を引き連れて神の約束の地に歩み出していた時、アマレク人がイスラエルの民を襲撃した。ネタニヤフ首相は「アマレク人の蛮行」と「ハマスのテロ」を重ね合わせて語ったはずだ。約1200人のユダヤ人が殺害されたハマスのテロ奇襲のことをイスラエル国民は忘れず、記憶しておくべきだというわけだ。
イスラエルでは「アマレク」は悪のシンボルのように受け取られている。ネタニヤフ首相はハマスの奇襲テロの直後ということもあって、申命記に登場するアマレクに言及したのだろう。イスラエル人はどの世代にも背後からイスラエルを殺そうとする敵が存在すると考えてきた。ナチスもアマレクだった。
ところが、南アフリカは2023年12月末、申命記第25章17節から引用したネタニヤフ首相の演説内容を、「パレスチナ人に対するジェノサイドへの呼びかけ」と解釈し、国際司法裁判所(ICJ)に訴訟を起こす根拠に挙げている。それに対し、ウィーン大学のユダヤ学研究所のゲアハルト・ランガー所長はオーストリア国営放送(ORF)とのインタビューの中で「アマレク人は歴史的にはほとんど知られていない民族だ。アマレクは象徴的な悪を表している。アマレクは決してこの世から消えることのない悪のメタファーだ。その意味で、2023年10月7日のハマスの奇襲テロの際、アマレクが活動していたと言うこともできるが、ネタニヤフ首相がパレスチナ人に対してジェノサイドを呼び掛けたとは受け取れない」と説明している。
ここで聖書的背景を少し説明する。アマレク人がイサクの長男エサウの後孫である一方、イスラエル人はイサクの次男ヤコブの後孫という事実だ。イサクの家庭にはエサウ(兄)とヤコブ(弟)の2人の息子がいた。神はヤコブを愛し、エサウは神からの祝福を得なかった。その結果、エサウはカインと同じように弟を殺害しようとした。そこでヤコブは母親の助けを受け、母親の兄ラバンが住んでいる地に避難する。そこで21年間苦役し、妻、牛、羊などの財産を持って帰国する途上、天使が現れ、天使と組討して勝利した結果、神はヤコブに「イスラエル」という名前を与えた。そしてヤコブはエサウと再会し、和解した。
ヤコブから始まったイスラエル民族はエジプトで約400年間の奴隷生活後、モーセに率いられ出エジプトし、その後カナンに入り、士師たちの時代を経て、サウル、ダビデ、ソロモンの3王時代を迎えたが、神の教えに従わなかったユダヤ民族は南北朝に分裂し、捕虜生活を余儀なくされる。北イスラエルはBC721年、アッシリア帝国の捕虜となり、南ユダ王国はバビロニアの王ネブカデネザルの捕虜となったが、バビロニアがペルシャとの戦いに敗北した結果、ペルシャ帝国下に入った。そしてペルシャ王朝のクロス王はBC538年、ユダヤ民族を解放し、エルサレムに帰還させた(「ユダヤ教を発展させたペルシャ王」2017年11月18日参考)。
イスラエルは1948年に国家を建設する一方、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3唯一神教の「信仰の祖」アブラハムの妾ハガルから生れたイシマエルの後孫のアラブ民族は当時、パレスチナ地域に住み着いていった。イスラエルは現在、そのパレスチナ地域に住むアラブ系のハマスと戦いを繰り広げている。
イスラエルとハマスの戦いは宗教戦争でなく、政治的な対立だが、その背後には宗教的な要因が深く絡んでいることが分かる。イスラエル側には、超正統派のハレディムや宗教的シオニストなどの正統派運動があり、彼らはヨルダン川西岸地区やガザ地区がユダヤ人によって再び入植されることで、ユダヤの救済者(メシア)が来ると信じている。一方、パレスチナ側には、パレスチナ・イスラム聖戦やハマスのようなテロ組織が存在するが、ハマスは「ムスリム同胞団」の一派であり、そのイスラム主義は国家主義的であり、宗教的文脈に基づいている。ナショナルリズムは容易に宗教的に変質し、時に宗教的狂信となるわけだ。
例えば、ハマスは1987年末に設立された。ハマスは政治部門と軍事部門であるアル=カッサム旅団、そして支援組織で構成されている。1988年8月に発表された「ハマス憲章」にはイスラエルの破壊を目標とする旨が設立文書に明記されている。同憲章の冒頭には、イスラム教がユダヤ教やキリスト教に対して優越していることを記述したコーランの第3章が記されている。「ハマス憲章」はユダヤ人に対する戦争が宗教戦争であることを明示しているわけだ。
以上、オーストリア国営放送(ORF)のスザンネ・クリシュケ記者の「ガザ戦争での宗教的要因」(2024年5月19日)の記事を参考にまとめた。
エサウとヤコブは兄弟であり、イスラエルとアラブ民族もアブラハムを共通の祖としている。要するに、中東で現在展開されているガザ紛争は聖書的に表現するならば、アブラハム家庭のドラマといえるわけだ。だから、結局はアブラハムに戻る以外に解決の道がないのだ(「『アブラハム家』3代の物語」2021年2月11日参考)。
▲ジェイク・サリバン米国家安全保障問題担当補佐官と会談するネタニヤフ首相(2024年5月19日、エルサレムで、イスラエル首相府公式サイドから)
ネタニヤ首相はなぜ、突然「アマレクの蛮行を忘れるな」と言い出したのだろうか。ネタニヤフ首相の発言は旧約聖書「申命記」第25章17〜18節に記述されている。アマレクは古代パレスチナの遊牧民族で、旧約聖書によると、イサクの長男エサウの孫エリファズの子だ。
「あなたがエジプトから出てきた時、道でアマレクびとがあなたにしたことを記憶しなければならない。すなわち、彼らは道であなたに出会い、あなたがうみ疲れている時、うしろについてきていたすべての弱っている者を攻め撃った。このように彼らは神を恐れなかった」。
モーセがエジプトから60万人のイスラエルの民を引き連れて神の約束の地に歩み出していた時、アマレク人がイスラエルの民を襲撃した。ネタニヤフ首相は「アマレク人の蛮行」と「ハマスのテロ」を重ね合わせて語ったはずだ。約1200人のユダヤ人が殺害されたハマスのテロ奇襲のことをイスラエル国民は忘れず、記憶しておくべきだというわけだ。
イスラエルでは「アマレク」は悪のシンボルのように受け取られている。ネタニヤフ首相はハマスの奇襲テロの直後ということもあって、申命記に登場するアマレクに言及したのだろう。イスラエル人はどの世代にも背後からイスラエルを殺そうとする敵が存在すると考えてきた。ナチスもアマレクだった。
ところが、南アフリカは2023年12月末、申命記第25章17節から引用したネタニヤフ首相の演説内容を、「パレスチナ人に対するジェノサイドへの呼びかけ」と解釈し、国際司法裁判所(ICJ)に訴訟を起こす根拠に挙げている。それに対し、ウィーン大学のユダヤ学研究所のゲアハルト・ランガー所長はオーストリア国営放送(ORF)とのインタビューの中で「アマレク人は歴史的にはほとんど知られていない民族だ。アマレクは象徴的な悪を表している。アマレクは決してこの世から消えることのない悪のメタファーだ。その意味で、2023年10月7日のハマスの奇襲テロの際、アマレクが活動していたと言うこともできるが、ネタニヤフ首相がパレスチナ人に対してジェノサイドを呼び掛けたとは受け取れない」と説明している。
ここで聖書的背景を少し説明する。アマレク人がイサクの長男エサウの後孫である一方、イスラエル人はイサクの次男ヤコブの後孫という事実だ。イサクの家庭にはエサウ(兄)とヤコブ(弟)の2人の息子がいた。神はヤコブを愛し、エサウは神からの祝福を得なかった。その結果、エサウはカインと同じように弟を殺害しようとした。そこでヤコブは母親の助けを受け、母親の兄ラバンが住んでいる地に避難する。そこで21年間苦役し、妻、牛、羊などの財産を持って帰国する途上、天使が現れ、天使と組討して勝利した結果、神はヤコブに「イスラエル」という名前を与えた。そしてヤコブはエサウと再会し、和解した。
ヤコブから始まったイスラエル民族はエジプトで約400年間の奴隷生活後、モーセに率いられ出エジプトし、その後カナンに入り、士師たちの時代を経て、サウル、ダビデ、ソロモンの3王時代を迎えたが、神の教えに従わなかったユダヤ民族は南北朝に分裂し、捕虜生活を余儀なくされる。北イスラエルはBC721年、アッシリア帝国の捕虜となり、南ユダ王国はバビロニアの王ネブカデネザルの捕虜となったが、バビロニアがペルシャとの戦いに敗北した結果、ペルシャ帝国下に入った。そしてペルシャ王朝のクロス王はBC538年、ユダヤ民族を解放し、エルサレムに帰還させた(「ユダヤ教を発展させたペルシャ王」2017年11月18日参考)。
イスラエルは1948年に国家を建設する一方、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3唯一神教の「信仰の祖」アブラハムの妾ハガルから生れたイシマエルの後孫のアラブ民族は当時、パレスチナ地域に住み着いていった。イスラエルは現在、そのパレスチナ地域に住むアラブ系のハマスと戦いを繰り広げている。
イスラエルとハマスの戦いは宗教戦争でなく、政治的な対立だが、その背後には宗教的な要因が深く絡んでいることが分かる。イスラエル側には、超正統派のハレディムや宗教的シオニストなどの正統派運動があり、彼らはヨルダン川西岸地区やガザ地区がユダヤ人によって再び入植されることで、ユダヤの救済者(メシア)が来ると信じている。一方、パレスチナ側には、パレスチナ・イスラム聖戦やハマスのようなテロ組織が存在するが、ハマスは「ムスリム同胞団」の一派であり、そのイスラム主義は国家主義的であり、宗教的文脈に基づいている。ナショナルリズムは容易に宗教的に変質し、時に宗教的狂信となるわけだ。
例えば、ハマスは1987年末に設立された。ハマスは政治部門と軍事部門であるアル=カッサム旅団、そして支援組織で構成されている。1988年8月に発表された「ハマス憲章」にはイスラエルの破壊を目標とする旨が設立文書に明記されている。同憲章の冒頭には、イスラム教がユダヤ教やキリスト教に対して優越していることを記述したコーランの第3章が記されている。「ハマス憲章」はユダヤ人に対する戦争が宗教戦争であることを明示しているわけだ。
以上、オーストリア国営放送(ORF)のスザンネ・クリシュケ記者の「ガザ戦争での宗教的要因」(2024年5月19日)の記事を参考にまとめた。
エサウとヤコブは兄弟であり、イスラエルとアラブ民族もアブラハムを共通の祖としている。要するに、中東で現在展開されているガザ紛争は聖書的に表現するならば、アブラハム家庭のドラマといえるわけだ。だから、結局はアブラハムに戻る以外に解決の道がないのだ(「『アブラハム家』3代の物語」2021年2月11日参考)。