中国武漢発の新型コロナウイルスのパンデミックの2年半、客は来なくなり、店を閉じた。国のコロナ対策支援金でかろうじて生き延びてきた。そしてコロナ禍が終焉して、ようやくゲストが戻り出したかと思っていた矢先、今度はロシアのウクライナ侵略でエネルギー価格、物価高騰だ。エネルギーコストは前年の約5倍に急騰する一方、インフレと人員不足は深刻だ。残念ながら、もはや店を維持することは出来なくなった。

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▲ウィーンの有名なコーヒーハウス「Cafe Landtmann」(Cafe LandtmannのHPから)

 4日夜のニュース番組で有名なウィーンの「コーヒーハウス」が閉鎖に追い込まれた、という話が報じられた。上記のコメントは店のオーナーの話だ。数回、その店でメランジェを飲んだことがある当方にとっても、店主の話を聞きながら「残案だな」とため息をつかざるを得なかった。

 閉鎖に追い込まれた伝統的な「コーヒーハウス」としては、ウィーン16区オッタークリングの「カフェ・リッター」、アルザーグルントの「グラン・カフェ」、美術館地区の「カフェ・ハレ」、そして「カフェ・フランセ」などの名前が挙がっている。それぞれ由緒ある伝統的ウィーンの「コーヒーハウス」だ。

 ウィーン市民にとって「コーヒーハウス」は欠かない。昔はコーヒーを飲みながら新聞を読んだものだが、今日では新聞はスマートフォンに代わった。それでも「コーヒーハウス」は常にやすらぎの場所として存在してきた。しかし、コーヒー・ファンは自宅にコーヒーメーカーをもち、さまざまなコーヒーを独自に作る時代に突入した。伝統的なコーヒーだけではお客を呼べなくなってきた。ウィーンのコーヒー文化(Kaffee Kulture)を支えてきた「コーヒーハウス」は時代の流れの中で変遷を余儀なくされてきている。

 ウィーンにコーヒー豆をもたらしたのはオスマン・トルコ軍だ。そして最初に開業された「コーヒーハウス」は1685年というから、ウィーンの「コーヒーハウス」の伝統は約340年に及び存在し、常に変化もしてきた。1960年代と70年代には、「コーヒーハウス」は大きな危機に直面したが乗り越えてきた。ウィーンの「コーヒーハウス」文化は現在、伝統的なカフェからスタンドアップカフェまで、多様性を誇っている。アルプスから流れる清涼な水にコーヒー豆が溶け込んでウィーンのコーヒーが生まれてきたわけだ。

 伝統的な「コーヒーハウス」では、Melange(ミルク・コーヒー)、Einspaenner(アインシュペンナー)、Kapuziner(カプチーナー)といったウィーンの伝統的コーヒーが楽しめるが、新しい「コーヒーハウス」ではCaffe Latte(カフェラッテ)、Cappuccino(カプチーノ)、Espresso(エスプレッソ)といったイタリア銘柄のコーヒーが伸びてきている。また、ウィーンのコーヒー・ハウスでは昔、ビリヤードやチェスを楽しむことができたが、今ではウィーン市内でビリヤードできるコーヒー・ハウスは限られている。米国のスターバックスが進出して以来、伝統的なウィーンのコーヒーではなく、若者が好むようなモダンなスペースや各国のコーヒーブレンドを楽しめる洒落たカフェに人々が集まるようになった。

 「コーヒーハウス」は待合場所であり、談笑する場所として好まれる。その点は今も昔も同じだ。昔は著名な小説家や芸術家たちがコーヒーを飲みながら談笑する風景がみられた。作曲家シューベルトは「カフェー・ミュージアム」で友人たちと談笑し、時には作曲したばかりの音楽を演奏したものだ。今はそのような風景は期待できない。

 ウィーン商工会議所のウィーンコーヒーハウス専門家ヴォルフガング・ビンダー氏によると、ウィーンでは毎年、10軒のコーヒー店が閉鎖に追い込まれれば、新しい10軒のコーヒー店がオープンする、という。コロナ禍の影響で閉鎖に追い込まれたのは全体の最大3%と推定されている。昨年、ウィーンには1666軒の「コーヒーハウス」があったが、そのうち206軒が閉鎖に追い込まれ、167軒の新しいコーヒー店が開いた。ウィーンでは昨年、「コーヒーハウス」が39軒減ったわけだ。

 ちなみに、戦前から戦後にかけて活躍した流行歌手の霧島昇さんの歌の中には「一杯のコーヒーから」というヒット曲があった。昭和14年の歌謡曲だ。一杯のコーヒーから「夢の花咲くこともある」という歌詞を聞いて、コーヒー一杯から夢が広がるような時代があったのだと懐かしく思った。21世紀の「一杯のコーヒー」からどのような夢が飛び出してくるだろうか。