当方は昔、一度は訪問したいと思っていた都市があった。ボスニア・ヘルッエゴビナの首都サラエボとレバノンの首都ベイルートだ。前者のサラエボはボスニア紛争の取材で訪問できたが、中東のレバノンは残念ながらまだ行っていない。中東はヨルダンの首都アンマンを仕事で取材したが、ベイルートまで足を延ばすことができなかった。今考えると残念なことをした。

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▲冬時間から夏時間へ、時計は1時間前に進む(ウィキぺディアからスクリーンショット)

 なぜサラエボとベイルートを訪問したいのか、といえば、両都市は当時(現在は政治情勢が変わった)、キリスト教とイスラム教の多宗派が共存する都市として知られていたからだ。

 アブラハムを「信仰の祖」とするキリスト教とイスラム教が一緒に平和裏に定着しているというので、一度は自分の目で見たいと考えていた。国連記者室でレバノン出身の記者アオン・フセイン氏と知り合いになったこともあって、彼からレバノンの情勢について度々教えてもらっていた。

 欧州では26日に冬時間から夏時間に移行した。時計の針を1時間前に進める。夏時間になる前の日、オーストリアでは国営放送を通じて午前2時から午前3時に時計を進めるよう促される。夏時間で「1時間睡眠時間を失った」と大げさに嘆く国民もいるが、数日もすれば、体は夏時間に慣れてしまうから問題はない、と思っていたが、大きな問題となっている国があるのだ。あのレバノンだ。

 レバノンでは通常、3月の最終日曜日に夏時間が始まり、時計を1時間進めるが、レバノン政府のナジブ・ミカティ暫定首相が夏時間の開始をラマダンが終わる4月21日まで延期すると決定したのだ。

 地元メディアによると、ベッリ国会議長がミカティ首相にサマータイムをラマダン期間が終わるまで延期するよう依頼したというのだ。ラマダンはイスラム教徒の五行(信仰告白、断食、礼拝、喜捨、巡礼)の一つだ。イスラム教徒は日の出から日の入りまでの間、断食し、身を清める(ラマダン期間は3月21日〜4月20日まで、国と地域によって1日程度の違いはある)。友人のイスラム教徒は「ラマダンの期間は心が清まる時だ」と述べ、ラマダンの宗教的意義について説明してくれた。その信者たちが冬時間と同様、ラマダン明けの食事が摂れるために夏時間への移動を延期したというわけだ。夏時間に変更されれば、ラマダン明けが1時間遅れ、それだけ断食明けの食事が遅くなるというわけだ。理由はかなりシンプルだ。

 問題は、政府が慎重に協議したうえで夏時間の導入を延期決定したわけではないことだ。政府と国会議長との間の話し合いで急遽、夏時間変更が延期されたというのだ。国民は戸惑うだろう、多くの国民は夏時間モードになっているし、スマートフォンやコンピューターは自動変更で既に夏時間がスタートしているからだ。

 レバノンではキリスト教とイスラム教の18の宗派が混在しているため、「モザイク国家」と言われてきた。政治の主要ポストや議席数を各宗派ごとに割り振る「宗派主義」が実施されている。レバノンは大統領を国家元首とする共和制だ。そして大統領はキリスト教最大宗派のマロン派から選ばれ、首相はイスラム教スンニ派から、国家議長はシーア派からそれぞれ選ばれることが慣例となっている。今回のサマー・タイムへの移行延期決定に対し、マロン派教会を含むキリスト教会は反対しているのだ。

 また、テレビ局のLBCIやMTVなどの民間企業は26日の夜に時計を既に1時間進めている。多くの私立学校も、政府のガイドラインに従わないことを発表した、といった具合だ。レバノンでは、冬時間に拘る「イスラム教の時間」と、夏時間への移行を支持する「キリスト教の時間」といった2通りの時間があるわけだ。

 ちなみに、レバノンの航空会社ミドルイーストエアラインズは、政府の決定に従い時計は通常の時間に設定されたままだが、国際航空路線の混乱を避けるためにフライトスケジュールは夏時間に切り替えている。一種の妥協案だ。

 レバノンの国民経済は史上最悪の危機の中にある。新型コロナのパンデミックと2020年8月のベイルート港での大爆発によって国民経済は一層悪化した。国連によると、人口の4分の3が貧困の中で暮らしている。通貨「レバノン・ポンド」は、数カ月にわたって大幅にその価値を失っている(オーストリア国営放送電子版から)。

 そのような危機的状況下にあって、政治でもアウン大統領の後任選出もできず、大統領の不在状況が続き、ミカティ政府の行政権限も限定されている、といった有様だ。そして今、国内で統一した時間すら失ってしまうという稀な状況下に置かれているわけだ。

 ところで、ベイルートの観光地、ネイメ広場にある時計塔は夏時間になっているのか、それともラマダン期間は冬時間をキープしているのだろうか。