独ノルトライン=ヴェストファーレン州の人口1万8000人の町フロイデンベルクのキリスト教会で22日、今月11日に殺された12歳のルイーゼの追悼が行われた。ルイーゼが通っていた学校の生徒たちは直接、教会には行かず、教室で追悼式をフォローした。

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▲「ブチャの虐殺」の犠牲者の慰霊の前に頭を下げられる岸田首相(ウクライナ外務省ツイッターから、2023年3月21日)

 地元の警察によると、ルイーゼは同級生の12歳、13歳の児童にナイフで複数回刺され、大量出血で亡くなった。今までにルイーゼは2人の児童からモビングされ、虐められ痛めつけられていたことが分かっている。

 ドイツ民間ニュース専門局Ntvでは22日、モビングされ、殴打されているシーンの一部が放映された。叩く児童の顔は分からないようぼかされていた。ルイーゼを殺害した2人の児童は14歳未満ということでドイツでは刑事責任は問われず、児童ユーゲンド関連の施設で一定の期間、収容される(「独国民が衝撃受けた2件の犯罪」2023年3月16日参考)。

 同級生を叩く児童たちの姿を見ていると、なぜ叩いたり、虐めたりするのか、という疑問が湧いてくる。児童の口からは大人たちが口にするような汚い脅しの言葉が飛び出している。社会、家庭、学校教育は大きく変わった。子供を取り巻く環境は、良くも悪しくもスマートフォン、インターネットで多大な情報が一瞬で手に入る。しっかり物事を見極める年齢になる前に様々な情報に踊らされる。「14歳未満以下には刑事責任が問われず」という何十年も前の法律は現状に合わなくなっているのだ。家庭の崩壊、行き過ぎた自由、個人主義、利己主義がまかり通っている社会の風潮だ。社会や家庭、学校でも親や教師から愛ある教育を受けないと心が成長できないし、人への同情や思いやり、助け合う喜び、向上心などは精神的にも良い影響(栄養)を受けないと育たない。犠牲となった12歳の少女があのような痛ましい形で命を終えたことは余りにも可哀そうだ。

 岸田文雄首相は21日、ウクライナン首都キーウを訪問し、ゼレンスキー大統領と会談した。その前、首相はキーウ近郊のブチャを訪問し、ロシア兵士に虐殺された犠牲者が葬られている場所で献花し、追悼した。短期間にキーウ制圧を考えていたロシア軍はブチャまで進攻したが、ウクライナ側の抵抗で後退を余儀なくされた。ブチャではロシア兵に目隠しされた後、頭を射たれたり、路上にいた市民たちも射殺された。ロシア兵が撤退した後のブチャには多くの犠牲者が路上や家屋内で見つかった。メディアは「ブチャの虐殺」と呼び、ロシア軍の戦争犯罪行為と報じてきた。

 兵隊と民間人の区別なく砲撃するロシア軍の無差別攻撃はよく知られている。ブチャの虐殺、ウクライナ南東部の湾岸都市マリウポリの廃墟化が報じられると、欧米諸国はショックを受けた。ゼレンスキー大統領は昨年9月のウクライナ東部ハルキウ州イジュムでの虐殺を挙げて、怒りを抑えきれないといった表情で、「戦争犯罪だ」と激しく批判したことを思い出す。イジュムでは少なくとも440体の遺体が見つかっている。

 ゼレンスキー大統領は西側でのビデオ演説ではウクライナの苦境を訴えた後、いつも武器の供与を求めてきた。「戦いは我々がするが、そのための武器を支援してほしい」というアピールだ。軍最高司令官としてゼレンスキー大統領としては外交辞令に拘る時間はないから、欧米諸国には単刀直入に「武器を送ってほしい」と訴えざるを得ないわけだ。

 戦後生まれの岸田首相は戦後首相としては初めて戦場に足を踏み入れ、戦争のむごさに圧倒されたのではないだろうか。戦争は政治、外交の失敗の結果ともいえる。紛争、対立を政治的、外交的に解決できない結果、武器をもって相手を牛耳ろうとする行動に出てくる。その意味で、政治家や外交官はウクライナ戦争には責任がある。

 それでは責任は政治家と外交官だけだろうか。一般の国民にも戦争の責任があるのではないか。同じ時代に生きているという「同時代の責任」ともいうべきものだ。

 教会内や寺院での祈祷だけではない。人は首(こうべ)を垂れて祈らざるを得ない時がある。岸田首相がブチャの犠牲者の慰霊の前で首を垂れている写真をみて、同じように感じた。犠牲となった人々に対し、同じ時代に生きている人間の1人として、許しを乞い責任を感じるからだ。

 ルイーゼの事件もそうだろう。12歳と13歳の児童だけではない。ルイーゼの家庭、学校関係者だけでもない、同時代の全ての人々が犯罪を防止できなかったことに責任があるのを感じる。

 21世紀の今日、私たちは共に生きている。同じ時代に命を与えられ、生きているという「同時代意識」を持つことができれば、生きている時代への「責任」感が自ずと湧いてくるのではないだろうか。