荒井勝喜首相秘書官は4日、LGBTなど性的少数者や同性婚を巡り「隣に住んでいたら嫌だ、見るのも嫌だ」と差別発言をしたという理由で岸田文雄首相から更迭させられた。その経緯を読んで驚いた。一つは公職の立場にある秘書官が性的少数派差別の発言をしたことだ。それだけではない。その差別発言が秘書官と記者団とのオフレコで飛び出したものだった、ということにそれ以上に驚いた。

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▲総理秘書官発言について語る岸田首相(首相官邸公式サイトから、2023年2月4日)

 誰でも自分の意見や考えを表現する権利を有している。秘書官もそうだ。同性婚やLGBTなど性的少数派の生き方に同意できないのなら、「自分は同性婚を容認できない」といっても問題はない。ただ、その際、性的少数派の心情を傷つけることは避けるべきだし、差別と受け取られるような発言は慎むべきだ。公職者はその点、特に注意しなければならない。

 任命者の首相が荒井秘書官の発言を受け、即更迭した。そこまではまだ驚かないが、ジャーナリストとして生きる当方にとってもっと驚いたことは、荒井秘書官が記者団とオフレコで話した発言を毎日新聞記者や共同通信記者が詳細に報道したという事実だ。明らかに“仁義破り”だ。オフレコ発言は記事にしてはならない、というのが本来の前提だ。オフレコだから、政治家や閣僚たちは政策決定のバックグランドや経緯を記者たちに語るのであって、語った発言が翌日の新聞に載るとすれば、そう簡単には語れないだろう。

 荒井秘書官をフォローする記者団がオフレコという約束を破り、堂々と記事にした。オフレコ破りは記事化した記者とその所属社になんらかの制裁が伴うものだ。例えば、オフレコ破りの記者は一定期間、その政治家の記者懇談会などのオフレコ発言の場には入れない。あるいはずっと忌避されるかもしれない。場合によっては所属新聞社の上司は政治家に謝罪しなければならなくなる(荒井秘書官の場合、本人が更迭されたので、事情は少し異なる)。

 にもかかわらず、荒井秘書官の場合、毎日新聞などの複数の記者たちがオフレコを破って記事化した。さらに驚くことは、岸田首相の対応だ。首相は荒井秘書官を更迭しただけで、記者や新聞社へのアクションは何もない。一件落着といった態度だ。オフレコは紳士協定に過ぎないが、政治家とメディアの信頼関係の上に成り立っている。なぜオフレコ破りの記者と新聞社に対してはっきり抗議しないのか。首相の弱腰に驚く。首相の息子の外遊問題が追及されていることもあって、メディアに対して強い姿勢が取れない、とすればあまりにも惨めだ。

 記者は記事になる情報がほしい。特に、左派的メディアにとっては政権批判できる情報がほしいわけだ。荒井秘書官のような性的少数派差別と受け取れる発言を聞けば、記事にしたくなる。岸田首相自身が1日、衆院予算委員会で、「同性婚を認知したならば、社会が変わる」と発言し、メディアから厳しく追及された直後だ。その首相秘書官の発言は絶好の情報だ。オフレコ破りによるマイナス面を考えても、記事にしようとする衝動の方が勝ったわけだ。

 しかし、今回の件で慎重な政治家は口を閉じることになるだろう。そうなれば、岸田政権の動向はますます透明性を失うことになり、国民の支持率も低下する。メディア関係者にとっても貴重な情報源を失う。両者にとってマイナスが多い。

 オフレコは政治家と記者たちの間の信頼関係で成り立っている紳士協定だ。オフレコ破りはその信頼を失わせることになる。もちろん、オフレコ自体が正しい情報入手の道かはここでは問わない。だが、オフレコが成り立っている限り、最低限、その約束事は守られるべきだろう。情報収集の道を自ら閉ざすような行為は一時的には喝采を受けても、長期的には「情報を集める」「読者に伝える」という活動の幅を狭くし、メディアにも読者にも、そして情報を発信したい政治家の側にも利益になることはない。