パリ市内のクルド系コミュニテイで23日、69歳の白人主義者で外国人排斥主義者が銃を発砲して3人のクルド人を銃殺し、3人に重軽傷を負わせる事件が発生したというニュースに接して改めて「国を持たない最大の民族」と呼ばれるクルド人の運命を考えた。

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▲サンピエトロ大聖堂でクリスマスのメッセージを発表するフランシスコ教皇(2022年12月25日、バチカン・ニュースから)

 クルド人といってもシリア系、トルコ系、イラン系、イラク系など中東各地に住んでいる民族で、その総数は3000万人から4000万人を超えるともいわれる。クルド人の主要宗派はイスラム教スンニ派だが、それぞれ独自の民族的気質を有し、その政治信条も異なることが少なくない。フランスにはトルコ系のクルド人が多数住んでいるが、音楽の都ウィーンにはトルコ系だけではなく、シリア系、イラク系などのコミュニティが存在する。彼らはクルド系民族の国家建設を願っている点では一致しているが、その方向性、手段などで異なっており、時には対立して身内紛争を起こしている。

 クルド系社会を取材するためにウィーンのクルド系活動家に会ったことがあるが、その年の終わりごろ、ウィーン警察当局から突然、呼び出しを受けた。ザルツブルクで拘束されたクルド系活動家が当方の名刺を持っていた、という理由からだ。同活動家はクルド労働者党(PKK)に近いクルド人だったこともあって、警察はPKKと当方の関係などを疑った。当方が取材でその活動家に会う際、当方の名刺を渡したことは事実だが、あくまで取材活動で政治的な関係はないと説明し、疑いは解消したが、クルド系社会はテロ活動をするグループもあって治安関係者からマークされているのを痛感した。例えば、トルコはPKKをテロ組織と見なしている。

 冷戦終焉後、旧ソ連共産圏や旧ユーゴスラビア連邦に帰属してきた共和国が民族的、国家的アイデンティティを要求して次々と独立国家を宣言した。クルド系民族でも一時は中東全域に散らばった民族の統合、クルド人国家の建設をアピールする動きはあったが、シリア系クルド人、トルコ系クルド人、そしてイラク系クルド人などの間で民族のアイデンティティに相違が表面化し、統一クルド国家の建設は見果てぬ夢となっている。62万人余りの小国家モンテネグロが旧ユーゴスラビア連邦の解体を受け、独立国家となった一方、人口ではウクライナに匹敵するクルド系民族は国家を建設できないでいる。クルド人を悲しき民族と呼ばれる所以だ。

 話は少し哲学的となる。国連加盟国は創設時の1945年は51カ国だったが、現在は193カ国だ。オブザーバーなどを含めると200を超える国家、代表が所属している。加盟国数が増えるにつれ、国連は世界の平和実現といった目標から離れてきている。常任理事国の拒否権だけが問題ではない。加盟国が増え、各国がそのアイデンティティ、国益を主張するため、国連本来の機能が発揮できない。アイデンティティ文化の危機だ。 

 独週刊誌シュピーゲル(10月29日号)に啓蒙的なインタビュー記事が掲載されていた。イスラエルの哲学者オムリ・ベーム氏(現ニューヨーク社会調査ニュー・スクール教授)は新著「Radikaler Universalismus.Jenseits von Identitat」(過激な普遍主義、アイデンティティを越えて)の中で、アイデンティティに代わって、カントが主張した道徳法則を自身の義務と考える自由を有し、それゆえにわれわれは責任を担っているという普遍主義を主張している。

 権力と利益が中核となった“ポスト・トゥルース”の世界で、正義を取り戻すために、右派は伝統と民族的価値観の世界を追求し、その結果、権威主義的、独裁的な国家の温床となる危険性を内包している。一方、左派はジェンダーと民族のアイデンティティを重視している。そのような中、ベーム教授は、「プライベートなアイデンティティを最高の価値に置くのではなく、“わたしたちのアイデンティティ”の世界を越えたところにある法則、われわれは平等に創造された存在であるという絶対的な真理のもとで考えるべきだ。そうなれば、他国を支配したり、植民地化し、奴隷にするといったことはできない」という“過激な普遍主義”を提唱している。

 ベーム教授の主張は理想論かもしれないが、アイデンティティ論を考えるうえで教えられる。他民族や大国に支配されてきた少数民族や国家は、民族・国家のアイデンティティの回復を最優先とし、時に戦いを始める。それがこれまでの歴史だった。しかし、失った正義を取り戻すためにはそのアイデンティティを超克しなければならないのだ。