想像されたことで驚くべきことではないだろう。少子化の影響もあって、私立大学では学生が集まらないため学部を閉鎖するところも出てきている。日本では雨後のタケノコのように新しい大学が開校されていった時期があったが、ここにきて肝心の学生が集まらないのでは大学運営は大変だ。生き延びるために腐心する大学が増えているという。

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▲オーストリアのローマ・カトリック教会の精神的支柱、シュテファン大聖堂(2014年5月5日、ウィーンで撮影)

 ところで、欧州の総合大学には神学部がある。キリスト教の歴史や神学を学ぶ学部だが、知的情報化時代、神学部に入って神について学びたいと思う学生は多くはない。独作家ヘルマン・ヘッセには長編小説の代表作品「車輪の下」がある。主人公のハンスは念願の神学校に入学したが、失望して退学する話だ。現代の青年たちは神学校や大学の神学部にわざわざ入ろうとはしない。だから、大学の神学部は年々、学生が集まらなくなるわけだ。サプライズではないが、少々寂しい。

 バチカン・ニュースが19日報じたところによると、オーストリアの神学部の教師たちは、「Theopodcast」で警鐘を鳴らしている。神学部の学生数の減少は、「教会の専門職、若い学者、神学全体の公共性にも影響を及ぼす」と深刻に受け取っているのだ。

 オーストリアのカトリック神学部は過去10年間で学生数が急激に減少し、神学の学位を取得する学生の数は、10年前の半分に過ぎないという。

 「私たちは劇的な状況にあります。あなたはその現実を看過してはならない。そして、今何をすべきかを考えることが重要だ」と、ザルツブルクの神学者で元ザルツブルク学部長のアロイス・ハルプマイヤー 教授は、神学ポッドキャスト「エデンの中で」(Diesseits von Eden) で挑発的なタイトル「もはや誰が神学者を必要としているか」の中で語っている。

 リンツの神学者イザベラ・グアンツィーニ氏によれば、神学的な部分が人文科学や文化科学や経済科学の他の部分と組み合わされた新しいコースとして登場してきたという。

 神学生の減少について、ウィーンの学部長であり宗教教育の教師 レーナー・ハルトマン氏は、「神学部は学生のやる気を引き出すのに適していない。標準的な言語要件 (ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語) などのハードルは非常に高く、教会の職業における枠組み条件は、若者にとってあまりやる気を起こさせない」と冷静に分析している。.

 最近、米航空宇宙局(NASA)が神学者を雇用したというニュースが流れてきた。NASAは宇宙に別の人類、ないしは生命体が存在した場合、地球に住むわたしたちの世界観、人生観にどのような影響を及ぼすかという問題を深刻に考えている。そこでNASAは昨年末、米ニュージャージー州プリンストンの神学的調査センター(CTI)の24人の神学者を雇用したというのだ(「NASAが神学者を雇用する時」2022年9月26日参考)。これは非常に興味深いが、例外的な話だろう。

 少子化や学部の言語要件などハードルはあるが、最大の理由は神学生の将来の就職先、教会の魅力が急減していることだ。聖職者の未成年者への性的虐待、不正財政問題のスキャンダルなどに直面している教会は社会の信頼性を失っている。

 カトリック教国のオーストリアでは戦前まで国民の80%以上がカトリック信者だったが、2021年の時点で55%に減少したことが明らかになった。1980年後半から年平均1%の割合でカトリック信者が減少してきた。簡単に計算すると、あと5年前後でカトリック信者は国民の過半数以下になると予測できるわけだ。

 昔、貧困家庭の子供は勉強したければ、日本ではお寺に、欧州では教会に行ってそこで働きながら学ぶ道があった。現在は、神学部を卒業した後は教会で聖職者の道を歩み出すか、宗教の先生や研究者になるぐらいしかない。特に、聖職の道は神の召命があったものが選ぶ道、といった認識があるから、そうではない学生には神学部は選択外の学問ということになるわけだ。

 誤解を避けるために説明するが、大学の神学部に入学する若者たちは減少したが、神を求める青年たちが減少したわけではない。むしろ、資本主義経済社会で科学至上主義文化に限界を感じる若者たちは神との出会いを求め出してきているのだ。ただ、彼らは大学の神学部に在籍しようとか、教会の戸を叩かないだけだ。たとえ神学部が閉鎖されたとしても、「神」には影響はない。