ローマ・カトリック教会は今月11日、第2バチカン公会議開催60周年を迎えた。カトリック教会の現代化(アジョルナメント)を決定した公会議として、その後の教会の基本的路線となったといわれてきた。ヨハネ23世が開始を決め、パウロ6世が継続して3年間余りの協議の末決められた改革は60年後の今日、「教会は何も変わっていない。旧態依然だ」という失望の声が聖職者や信者たちの間から聞かれる。ヨハネ23世が始めた第2バチカン会議(1962年10月11日〜65年12月8日)の狙いはどこにあったのか、もう一度振り返ってみた。

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▲第2バチカン公会議のオープニングに参加する公会議教父たち(バチカン・ニュース2022年10月10日より)

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▲ヨハネ23世の銅像、手や唇周辺は色が剥げている(2013年9月26日、ヨハネ23世の生家で撮影)

 バチカン・ニュースは10日、「1962年10月11日、ちょうど60年前、ローマで第2バチカン公会議が始まった。これは、20世紀におけるカトリック世界教会の最も重要な出来事だった」と指摘している。同じように、同公会議に神学顧問として参加した名誉教皇ベネディクト16世は後日、「サンピエトロ大聖堂は特大の会議場に生まれ変わり、世界中のラジオやテレビ局が報道している。 輝かしい1日だった。2000人以上の公会議教父たちが大聖堂に入場したことに感銘を受けた」と述懐している。

 第2公会議の提唱者ヨハネ23世(在位1958年10月〜1963年6月)はラテン語で「敬虔な兄弟たち!」と挨拶し、「母なる教会は、神の摂理の特別な恵みによって、この日を迎えたことを喜んでいます。神の処女母の保護下にあるペテロ..第2バチカン公会議が始まります」と挨拶している。

 同23世が1959年1月に第2公会議の開催を発表した時、教会関係者は驚いた。カトリック教会の歴史でこれまで23回の公会議が開催されたが、ヨハネ23世の目的は前例のないものだった。325年のニカイア公会議から始まる公会議では、教義を策定し、協議に反する異教の教えを糾弾してきた。それに対し、ヨハネ23世は司牧的な内容の公会議だった。具体的には、現代の人々の恐れや希望に耳を傾け、現代の言葉で信仰を説明し、離れ離れになったクリスチャンの兄弟姉妹に近づくことが目的だったからだ。そして10月11日に、兄弟の代表者として、他のキリスト教会から数十人のゲストがサンピエトロ大聖堂に招かれていた。公会議の目的も規模も全てがこれまでの公会議とは異なっていた。

 ヨハネ23世は公会議開催1カ月前、ラジオを通じてメッセージを送っている。曰く「世界はキリストを必要としている。そして、キリストを世界にもたらすことは教会の使命です。しかし、世界は解決策を切望している様々な問題を抱えている。今、世界と対話を始めよう」と呼びかけている。「アジョルナメント」(現代化)は第2バチカン公会議のキーワードとなった。「真実を変えることはできないが、今日のために別の方法で宣言する必要がある」と述べている。

 ラッツィンガー枢機卿(ベネディクト16世)は当時、 「偉大なことが起こらなければならない。...西洋世界を構築し、形作ったキリスト教は、その形成力をますます失っているように見えた。...現在のキリスト教のこの喪失と、その後の課題に対する感情はアジョルナメントという言葉に非常に正確に要約されていた。キリスト教は、未来を形作ることができるために、立ち上がらなければならない」と語っている。

 バチカン・ニュースは、「謙虚な方法で、ペテロとパウロの後継者は、東と西のすべての国で、すべての儀式で、すべての言語で、すべての子供たちに話しかけることを望んでいます。...単一の合唱が力強く、調和して、浸透して立ち上がります。キリストの光、キリストの教会、人々の光(ルーメン・ゲンティウム)は、後に第2バチカン公会議の最も重要なテキストのタイトルの一つになった」と感動的に当時の状況を描写している。

 バチカン・ニュースは、「年老いた法王(ヨハネ23世)が発するのは、驚くほど楽観的な口調だ。世界が本来あるべき姿ではないことについて嘆く必要はない。私たちは、世界が終わろうとしているかのように災害を常に予測する運命の預言者とは異なる意見を持っている。人類が新しい秩序に入ろうとしている現在の人間の出来事の発展において、人は神の摂理の隠された計画をむしろ認識しなければならない。時が経つにつれ、人間の働きを通して、通常は彼らの期待を超えて、神はすべてを賢明に導く」と説明している。

 ヨハネ23世は1960年前後に時代が新しい夜明けを迎えることを直感していたのだろう。その新時代を迎えるために教会の改革が急務と考えたのかもしれない。

 バチカン・ニュースは、「ヨハネ23世は新しいペンテコステが近づいているのを感じていた。同23世はその後8カ月間の余命しかなかったのだ。胸が張り裂ける思いがする。公会議の開始と共に、輝く光の一日が始まる。昇る太陽の光が私たちの心に既に触れていた」と表現している。ちなみに、第2公会議はヨハネ23世の死後、パウロ6世(在位1963年6月〜1978年8月)に引き継がれていった。

 ちなみに、当方は2013年9月、イタリアの小都市ベルガモ(Bergamo)郊外にあるヨハネ23世の生家を訪れたが、多くの巡礼者の群れに出会った。ポルトガルのファテイマの聖母マリア降臨地でもそうだったが、巡礼者の中には病に悩む人、病人を抱える家族たちが奇跡を求めて巡礼地を訪ねてくる。ヨハネ23世の生家の前庭には同23世の銅像があるが、その銅像の手、唇周辺は色が剥げている。その理由を関係者に聞くと、「巡礼者たちがヨハネ23世に触れば病が癒されると信じて、ヨハネ23世銅像の手や唇を触るから、そこだけ色が剥げてきたのです」という。同23世は信者から最も愛される教皇として慕われてきた。

 第2公会議後のカトリック教会の歩みはどうだっだか。教会は現代人に理解できるように語りだしたが、その公会議の内容に対する理解で教会内で不一致が生まれてきた。ラッツィンガー枢機卿(ベネディクト16世)は1985年、「『公会議精神』はこれまで正しく理解されることがなかった」と批判し、教会は繁栄できず、衰退を招いていると述べている。

 実際、公会議の正しい理解、解釈で争っている間に、聖職者の未成年者への性的虐待問題、財政不正問題などが次々と明らかになり、教会への信頼は地に落ちてしまった。教会から背を向ける信者たちが年々増加している。第266代目のフランシスコ教皇は2019年6月、教会の刷新(シノドスの道)を推進してきた。ヨハネ23世の公会議が教会の近代化を目指していたとすれば、フランシスコ教皇が取り組もうとする改革は何を目標としているのか。60年前の第2バチカン会議のやり直しだろうか(「教皇『教会改革も行き過ぎはダメ』」2022年7月23日参考)。

 「教会は深刻な病気だ」と語ったチェコの著名な宗教社会学者トマーシュ・ハリーフ氏の言葉を思い出すまでもなく、教会は現在病んでいる。とすれば、教会刷新に取り組む前に医者の診断が必要という結論になるのだ。