フランシスコ教皇は24日、6日間の日程でカナダ訪問を開始し、同日、最初の訪問地エドモントン国際空港に到着、メアリー・サイモン総督とジャスティン・トルドー首相、先住民の代表らに迎えられた。フランシスコ教皇によると、「悔い改めの巡礼」の始まりだ。

▲カナダ中西部アルバータ州の エドモントンで最高年長者の先住民の歓迎を受けるフランシスコ教皇(2022年7月24日、バチカンニュースから)
教皇は25日、カナダでの最初のスピーチをマスクワシスで行っている。「親愛なる兄弟姉妹」という呼びかけで始まるスピーチでは、「先住民」、メティス、イヌイットの先住民にカトリック教会関係者が過去行った蛮行に許しを求めている。スピーチの中で、「私はあなたに会うのを待っていました。この悲しい場所から、私がやろうとしていること、つまり、悔い改めの巡礼を始めたいと思います。私はあなたの故郷に来て、私は悲しみに満ちていることをあなた方に伝え、神に許し、癒し、和解を求め、あなたとあなたのために祈ります」と述べている。
具体的には、カナダの先住民への厳格な同化政策、先住民の子供たちを親から離し、教会が運営する寄宿舎に送り、親を恋い慕う子供たちを殴打し、時には性的虐待を繰り返してきた過去に対し、フランシスコ教皇は、「子供たちの記憶は私たちを悲しみに満たし、苦痛と憤慨、恥を引き起こす。子供たちが寄宿舎で耐えなければならなかった苦しみを思い起こすだけで悲しみに満ちる」と表現している。同時に、「私たちの今日の出会いは過去の傷を開くことにもなり、私たち双方にとって困難さを感じることになるかもしれない」と率直に述べている。
最初のヨーロッパ人入植者がカナダに到着すると、先住民を強制的に追放する一方、子供たちを寄宿学校を通じて同化していった。先住民の言語、文化は無視され、軽蔑されていった。寄宿学校システムによって多くの先住民の子供たちは幼い時から親から引き離され、肉体的、言語的、心理的、精神的に虐待され、トラウマとなっていったケースが多い。先住民の親と子、祖父母と孫の関係に消えない痕跡が残されていったという。
フランシスコ教皇は、「私たちが今いる場所は、私を苦痛で泣かせます。この地面には、古い記憶の隣に、まだ開いている傷の傷跡があります。私がここにいるのは、許しを求める私の嘆願を新たにし、心の底から私が深く悲しんでいることをあなたに伝えることだからです。ヨーロッパ人の先住民族への植民地政策、同化政策に対し、教会の多くのメンバーや宗教団体は無関心で、当時の政府による文化的破壊と強制同化のプロジェクトに参加していった」と説明している。
カナダの領土には約140万人の先住民と呼ばれる人々が住んでいる。総人口の約4・3%に当たる。約600の異なる先住民コミュニティがあり、約60から70の異なる先住民言語がある。特筆すべき点は、1999年以来、ヌナブト準州は最初の先住民族が管理する領土であり、カナダで唯一の領土となっていることだ。
フランシスコ教皇のカナダ司牧訪問での「悔い改めの巡礼」をフォローしていると、長い歴史を誇るキリスト教会では数多くの蛮行が行われてきたことを思い出さざるを得ない。初期キリスト教会の燃えるような信仰の火は時代の経過とともに消滅していき、中世時代に入ると免罪符が発行されるなど、その信仰は形骸化し、そして世俗化していった。そして「宗教と科学」の闘争、「政治と宗教」の分離を通過して今日のキリスト教会が存在しているわけだ。
ヨハネ・パウロ2世(在位1978年〜2005年)は新ミレニアムの2000年、キリスト教会の十字軍遠征やガリレオ・ガリレイの異端裁判など、キリスト教の過去の蛮行に対して懺悔を表明している。処刑され、火刑された宗教改革者(例ヤン・フス)や科学者(ガリレオ・ガリレイ)の名誉回復が行われてきた。そしてベネディクト16世時代(在位2005年〜2013年)に入ると、聖職者の未成年者への性的虐待が次々と暴露され、同16世が訪問する先々で謝罪を繰り返さざるを得なくなった。オーストラリア訪問では、ベネディクト16世が聖職者によって性的虐待された犠牲者と会合し、涙を流しながらそれを聞き入っているシーンが世界に報じられた。
フランシスコ教皇の「苦行の巡礼」となったカナダでの先住民への蛮行も教会史の悲しい部分だ。イエス・キリストの無償の愛と犠牲を教える教会だけに、その負の歴史を織りなす一コマ一コマにやりきれなさと悲しみを一層覚えるものだ。

▲カナダ中西部アルバータ州の エドモントンで最高年長者の先住民の歓迎を受けるフランシスコ教皇(2022年7月24日、バチカンニュースから)
教皇は25日、カナダでの最初のスピーチをマスクワシスで行っている。「親愛なる兄弟姉妹」という呼びかけで始まるスピーチでは、「先住民」、メティス、イヌイットの先住民にカトリック教会関係者が過去行った蛮行に許しを求めている。スピーチの中で、「私はあなたに会うのを待っていました。この悲しい場所から、私がやろうとしていること、つまり、悔い改めの巡礼を始めたいと思います。私はあなたの故郷に来て、私は悲しみに満ちていることをあなた方に伝え、神に許し、癒し、和解を求め、あなたとあなたのために祈ります」と述べている。
具体的には、カナダの先住民への厳格な同化政策、先住民の子供たちを親から離し、教会が運営する寄宿舎に送り、親を恋い慕う子供たちを殴打し、時には性的虐待を繰り返してきた過去に対し、フランシスコ教皇は、「子供たちの記憶は私たちを悲しみに満たし、苦痛と憤慨、恥を引き起こす。子供たちが寄宿舎で耐えなければならなかった苦しみを思い起こすだけで悲しみに満ちる」と表現している。同時に、「私たちの今日の出会いは過去の傷を開くことにもなり、私たち双方にとって困難さを感じることになるかもしれない」と率直に述べている。
最初のヨーロッパ人入植者がカナダに到着すると、先住民を強制的に追放する一方、子供たちを寄宿学校を通じて同化していった。先住民の言語、文化は無視され、軽蔑されていった。寄宿学校システムによって多くの先住民の子供たちは幼い時から親から引き離され、肉体的、言語的、心理的、精神的に虐待され、トラウマとなっていったケースが多い。先住民の親と子、祖父母と孫の関係に消えない痕跡が残されていったという。
フランシスコ教皇は、「私たちが今いる場所は、私を苦痛で泣かせます。この地面には、古い記憶の隣に、まだ開いている傷の傷跡があります。私がここにいるのは、許しを求める私の嘆願を新たにし、心の底から私が深く悲しんでいることをあなたに伝えることだからです。ヨーロッパ人の先住民族への植民地政策、同化政策に対し、教会の多くのメンバーや宗教団体は無関心で、当時の政府による文化的破壊と強制同化のプロジェクトに参加していった」と説明している。
カナダの領土には約140万人の先住民と呼ばれる人々が住んでいる。総人口の約4・3%に当たる。約600の異なる先住民コミュニティがあり、約60から70の異なる先住民言語がある。特筆すべき点は、1999年以来、ヌナブト準州は最初の先住民族が管理する領土であり、カナダで唯一の領土となっていることだ。
フランシスコ教皇のカナダ司牧訪問での「悔い改めの巡礼」をフォローしていると、長い歴史を誇るキリスト教会では数多くの蛮行が行われてきたことを思い出さざるを得ない。初期キリスト教会の燃えるような信仰の火は時代の経過とともに消滅していき、中世時代に入ると免罪符が発行されるなど、その信仰は形骸化し、そして世俗化していった。そして「宗教と科学」の闘争、「政治と宗教」の分離を通過して今日のキリスト教会が存在しているわけだ。
ヨハネ・パウロ2世(在位1978年〜2005年)は新ミレニアムの2000年、キリスト教会の十字軍遠征やガリレオ・ガリレイの異端裁判など、キリスト教の過去の蛮行に対して懺悔を表明している。処刑され、火刑された宗教改革者(例ヤン・フス)や科学者(ガリレオ・ガリレイ)の名誉回復が行われてきた。そしてベネディクト16世時代(在位2005年〜2013年)に入ると、聖職者の未成年者への性的虐待が次々と暴露され、同16世が訪問する先々で謝罪を繰り返さざるを得なくなった。オーストラリア訪問では、ベネディクト16世が聖職者によって性的虐待された犠牲者と会合し、涙を流しながらそれを聞き入っているシーンが世界に報じられた。
フランシスコ教皇の「苦行の巡礼」となったカナダでの先住民への蛮行も教会史の悲しい部分だ。イエス・キリストの無償の愛と犠牲を教える教会だけに、その負の歴史を織りなす一コマ一コマにやりきれなさと悲しみを一層覚えるものだ。
アフリカでパンツをはかせたことが,文明の破壊だと気付くのはまだ遙かに先のことでしょうね。
謝罪という誤解の拡散は無意味です。