米軍の撤退直後、アフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバンが15日、首都カブールを占領、全土をほぼ掌握した。アフガン政府軍は応戦することなく敗走。タリバン勢力が侵攻を開始して9日間で首都カブールがタリバンの手に落ちた。20年前のタリバン政権下の蛮行を知っている多くの国民はカブールの空港に殺到、空港周辺は国外脱出を願う人々で大混乱している。

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▲アフガンから避難する人々を支援する独連邦軍(独国防省公式サイトから)

 アフガンの急変に対し、20年間の駐留後、米軍撤退を決定したバイデン米政権は、「撤退時期が間違いだった」という批判を国内外から受けている。米情報機関は、「米軍撤退後も少なくとも3カ月はカブール政権は持ち続けるだろう」と予想していたが、その期待はあっさり破られた。

 一方、米軍と共に北大西洋条約機構(NATO)加盟国ドイツは連邦軍をアフガンに派遣してきた。ドイツは過去20年間で総数16万人の兵士をアフガンに投入してきた。その間、少なくとも59人が犠牲となり、多くの兵士は悪夢に悩まされてきた。その独連邦軍の元兵士は今、アフガン政権の崩壊、タリバンの政権奪還に直面し、「自分たちは何のために戦ってきたのか」と考え出している。

 独連邦軍退役軍事協会のダビット・ハルバウアー副会長は独日刊紙「南ドイツ新聞」(8月21日付)の取材に対し、「タリバンの政権奪還はアフガンに駐留してきた独連邦軍元兵士に精神的ダメージを与えている。多くの兵士は長い間、厳しい戦いを繰返し、死の不安にも直面してきた。そのアフガンがタリバンの一撃であっさりと倒れた。家族を犠牲にしてまで何のために戦ってきたのか、と考えだす兵士が出てきても不思議ではない」と説明、元兵士から相談を受ける件数が増えてきたという。

 また、独週刊誌シュピーゲル(8月7日号)は、2011年にアフガン北部クンドゥーズで戦闘部隊司令官だったマーセル・ボーネルト氏の寄稿を掲載している。「独連邦軍のアフガン派遣はわが国にとって戦後初めての大きな任務だった」とし、同氏は、「わが国では外国に派遣された連邦軍の兵士に対して評価が低い」と言った。第2次世界大戦の敗北後、ドイツは軍事活動には消極的な姿勢を崩さなかった。その点、同じ敗戦国の日本の事情に似ているかもしれない。軍事問題には距離を置き、もっぱら国民経済の発展に腐心してきたわけだ。

 駐ベトナム、駐イラクの米軍兵士が帰国後、社会に再統合できず、さまざまな困難に直面する「心的外傷後ストレス障害」(PTSD)が大きな米国社会の問題となったが、駐アフガン独連邦軍元兵士の間でも同じような現象が見られ出している。

 スイスのアフガン問題専門家、民族学者のピエール・ソンリーヴル氏はスイス公共放送協会のウェブサイト「スイスインフォ」のインタビュー(8月19日)の中で、「米国とNATOの目的は明確ではなかった。テロとの戦いだったのか、ビンラディン容疑者を捕らえることだったのか、あるいは憲法を制定して民主的な国家を建設することだったのか。アフガン介入はこれらの異なる性質のものをごちゃ混ぜにしたものだった」と指摘している。

 ソンリーヴル氏は、「ガニ政権内にも抗争があり、不和と腐敗が蔓延していた。一方、政府軍の中では同じイスラム教の信仰を有するタリバンと戦闘することに消極的な兵士が多かった」という。

 アフガンにはタリバン以外にもイスラム過激派がいる。彼らはチャンスがあればタリバンと衝突するかもしれない。タリバン内も決して一枚岩ではない。そのような現状で、今後、タリバン政権がシャリア(イスラム法)に基づく国家建設に向かうかどうかは不明だ。イスラム過激派の国内流入を恐れるタジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンらの周辺国、スンニ派のタリバンに対してシーア派のイランの出方、そして中国の野望といったさまざまな要因が絡むアフガンの状況はここ暫くは流動的だろう。

 米同時多発テロ事件20年目(9月11日)を迎える前に米軍撤収を完了したいと計画していたバイデン大統領は22日、米軍撤収などの期限延期などを含む対策の検討に入っていることを明らかにしている。

 国の指導者の意向でコマのように右に左に動かされる兵士は、不透明な戦略と目標の中で、「なぜ戦わなければならないのか」という基本的な問い(大義)に答えを見いだせずに苦しむ。それは米軍兵士、独連邦軍兵士、そしてアフガン政府軍兵士にとっても同じなのかもしれない。