最近、アルテ(ARTE)で「キリスト教の誕生」というテーマの教育番組を見ている。同放送は独仏共同出資の放送局で、ドイツ語とフランス語の両言語で放送している。テーマは教育的な内容の番組が主流だ。

_Vincoli_-_Rome)
▲イスラエルの民をエジプトから神の約束の地カナンに導いたモーセ像(ミケランジェロの作品、ウィキぺディアから)

 テーマに入る。イエスが誕生し、33歳で十字架にかかり、3日後復活した。その結果、キリスト教が誕生したといわれているが、番組は、キリスト教誕生の話をフランス、ドイツ、イスラエル、米国らの聖書研究者らに聞きながら追っている。

 考古学者たちの最新の発見などを土台とした「キリスト教の誕生」を含む聖書の話は、これまでとは全く違った世界だ。その真偽を判断する知識がないので何とも言えないが、いずれも世界的な考古学者たちの学説だ。そこで聞いて驚いた話を読者に報告する。このコラムは2019年11月20日「考古学者は「神」を発見できるか」の続編だ。

 先ず、イスラエル人が最も尊重する歴史的な人物はイスラエルの統一王国時代の王、ダビデであることは良く知られているが、ダビデ王の存在は最近、「ダビデのハウス」と記述された石材の一部が考古学者によって発見されたことで、実証されたが、そのダビデ王の時代のイスラエルは決して大国ではなかった可能性があるという。この話はこのコラム欄で紹介済みだ。

 興味深い点は、エジプトから60万人のイスラエル人を率いてカナンに向かったモーセは実在した人物かどうか依然不明であることだ。60万人の群れをカナンに移動したとすれば、必ず、エジプトからカナンへのルート(通路)には考古学的にもなんらかの遺物があるはずだが、これまで見つかっていない。もちろん、考古学者が将来、モーセがイスラエル人を率いてカナンに向かっていたことを証明するなんらかの遺物を見つけるかもしれないから、イスラエルの歴史で重要な役割を果たしたモーセを架空の存在だとは断言できない。

 卑近な例を挙げる。欧州で2015年秋、100万人以上の難民・移民が中東・北アフリカから彼らの“約束の地”欧州を目指して大移動したが、彼らの足跡は移動ルートのバルカンには残されている。移動途中、亡くなった難民・移民もいただろう。彼らの遺骨が埋葬された場合、何世紀か後にその痕跡を辿れば、「西暦2015年ごろ、中東のシリアから大量の人々が欧州を目指して移動していた」という史実を解明するだろう。しかし、「出エジプト記」のイスラエルの大移動の痕跡は考古学者の努力にもかかわらず発見されていないのだ。

 今回の新しい情報は、聖書学者の中には、モーセがエジプトからカナンに向かった「出エジプト」は実話ではなく、カナンに住んでいたイスラエル人がエジプトの周辺地域から集まった小さな群れを統合してイスラエル国家を建設していった、という仮説があることだ。すなわち、「出エジプト」ではなく、カナンに既に住んでいたイスラエル人が他の地域から入ってきた「難民の統合」の話だったというのだ。

 問題は、「それではなぜイスラエル人は『出エジプト』の話を創る必要があったか」だ。「神の約束の地・カナンに向かった」という出エジプトの話がカナンの地に定住していたイスラエル人の統合に必要だったのだろうか。イスラエルの歴史は「出エジプト」から始まったのではなく、実際はカナンに定住していたイスラエル人を中心とした「カナン地域の難民統合」にあったならば、モーセを中心とした旧約聖書の話は全くの架空のシナリオということになり、聖書学の再検討が必要となる。

 考えられる説は、イスラエル人にとって「神の選民」というアイデンティティが必要だったからではないか。異教の地であるカナンに定住していた少数のイスラエル人では“ヤーウェの神”を唯一信仰する、といった話が崩れてしまうからではないか。

 キリスト教の誕生でも興味深い点が指摘されていた。イエスの義弟ヤコブの話だ。イエスの死後、イエスの血統圏のディナスティを中心に初期キリスト教が出来上がったが、その中心はヤコブだった。ヤコブはエルサレム使徒会議(西暦48年頃)までペテロに代わってイエスの教団の最高指導者だった。彼はユダヤ教の教えに忠実な人物だった。それ故に、イエスの死後は、現在のようなキリスト教からは程遠い状況だった。ヤコブを中心としたイエスのディナスティ派はまだユダヤ教の教えからは完全には決別していなかったからだ。

 宗教学者によると、新しい宗教団体の創設者が死ぬと、創設者の血統的なディナスティが主導権をもってそのグループを導いていくが、同時に、創設者の血統的な繋がりでなく、その教えを中心として結集するグループが生まれ、時間の経過と共にその勢力が広がっていくという。

 イスラム教の場合、創設者ムハンマドの死後(632年)、後継者のカリフの4代を「正統カリフ時代」と呼び、ウマイヤ朝、アッバース朝へと繋がられれていく。その後、本体のスンニ派と第4カリフのアリーの子孫だけを正統とする少数派シーア派に分かれていく。最近の例を挙げれば、米国の新宗教「モルモン教」(末日聖徒イエス・キリスト教会)もそうだ。教祖ジョセフ・スミスの教えはその後、分裂していった。創設者の死後、宗教団体は血統的なディナスティと非血統的なグループに分かれていくケースが多い。

 キリスト教の場合、パウロを中心としたキリスト教が世界に広がっていき、イエスの死直後に勢力があったヤコブらイエスの血統的ディナスティは次第にその影響力を失っていった。キリスト教の場合、血統的なディナスティより、創設者の教えを中心とする強いリーダーが出て大きく広がっていったわけだ。

 いずれにしても、考古学者や聖書学者が発見する「神」と聖書の中に登場する「神」が異なっていたとしても、「神は死んだ」と断言したフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独の哲学者)のように早合点をするべきではない。