歴史の短い米国で歴史論争が展開されているという。米国の建国を1776年と見なす従来の歴史観に対し、米リベラルなメディアを代表とするニューヨーク・タイムズ紙(NYT)が特集企画を組み、「米国の歴史は奴隷制維持のためにスタートした。黒人奴隷が米国に初めて運ばれた1619年こそが米国の建国年だった」という主張を展開し、「1619年プロジェクト」と名付けているという。
▲ニューヨーク・タイムズ紙の本社が入っている「ニューヨーク・タイムズ・ビルディング」(ウィキぺディアから)
どの国にも民族の誇りを高揚する建国話や神話がある。しかし、米国で展開中の「にわか歴史論争」はちょっと趣が違うのだ。米国は奴隷制を維持する目的で建国されたというのだ。この歴史観で米国の歴史は150年余り長くなるが、奴隷制と建国がリンクされることで不名誉な建国話となってしまうことから、米国内の保守派からも強い反発があるという。当然だろう。
日本では戦後、通称、自虐歴史観といわれる歴史観が学者の間で主張された。日本は戦争し、隣国の人々を抹殺してきた民族だ、というのが戦後の日本の歴史教育だった。米国の「1619年建国説」は多分、同じカテゴリーに入る一種の自虐歴史観だろう。米国の建国は奴隷制と密接な関係があるというのだ。
NYT紙が突然、米国の歴史に関心を持ち出した背景には、米ミネソタ州のミネアポリス近郊で先月25日、警察官に窒息死させられたアフリカ系米人、ジョージ・フロイドさん(46)の事件に誘発された人種差別抗議デモが行われ、多くの若者が路上デモに参加している社会現象がある。
新しい建国話は「黒人は米国の歴史では常に犠牲者だった」という話から奴隷制へと繋がってくる。それらのストーリーは今年11月に実施予定の大統領選挙と関わってくる。換言すれば、“トランプ大統領落とし”の選挙キャンペーンというわけだ。だから、そのにわか歴史論争に真摯な歴史観の再考といったことは期待できないわけだ。すなわち、奴隷制の最大の犠牲者は黒人だ。その黒人が路上で警察官によって殺害された。人種差別抗議に警察官の強権を動員させて鎮圧しようとしたトランプ氏は奴隷制堅持の建国の歴史の継承者だ、という論理展開になるわけだ。
どの時代、どの国にも奴隷が存在した。それを「奴隷」と呼ぶか、「召使い」、「しもべ(僕)」と呼ぶかはその時々、その地域の社会情勢や習慣・生活文化等で変わってくるが、支配者階級が被支配階級を強権で管理するシステムだ。弱肉強食の人類歴史ではそれゆえに強国、大国が程度の差こそあれ常に奴隷を抱えていた。
人類歴史でニューカマー、米国もその歴史を継承していたことは間違いないが、奴隷制維持のため建国されたという話は、米国に渡った清教徒たちの高尚な建国神話を、歴史の見直しという名目で破壊させるだけだ。どの民族にも誇りが必要だが、その民族の誇りを恣意的に破壊する試みからは何も生産的なものは生まれてこない。民族の誇りを失い、民族の神話を失った国はそれだけ文化的には貧しくなるだけだ。
奴隷制を考える時、「神の選民」を誇ってきたユダヤ民族の歴史を思い出す。米国の黒人を奴隷の代表のように見るのは間違っている。ユダヤ民族は歴史の中で何度も奴隷の身になっている。エジプトのパロ王のもと400年間余り奴隷だった。その後、バビロンなどに奴隷として連れていかれた。
ユダヤ民族は神の導きもあって奴隷の身から解放されていった。モーセという屈指の民族指導者が現れ、ユダヤ民族をエジプトから解放させ、ペルシャのクロス王には神のお告げが降り、ユダヤ人は奴隷の身から解放され、エルサレムに戻っていった。
米国の黒人の場合、神はエイブラハム・リンカーン大統領(1809〜65年)を通じて奴隷解放をさせ、近代ではマーティン・ルーサー・キング牧師(1929〜68年)の公民権運動を通じ、黒人の地位は向上していった。ここまではユダヤ民族と酷似しているが、黒人に「君たちは常に犠牲者だ」と植え付ける政治家たちが現れてきた。黒人を最大の支持基盤とする米民主党だ。その結果、多くの黒人は「自分たちは犠牲者だ」と信じ出した。「自分はあなたよりもっと犠牲となった」と、犠牲者争いのような状況すらみられる。米民主党は自身の支持基盤である黒人が自立し、犠牲者と考えなくなることを恐れているのだ。
米国のテレビ俳優ジャシー・スモレット(Jussie Smollett)が2人の男に襲撃され、負傷するという事件が起きたが、捜査が進むにつれて、スモレット襲撃事件は本人の作り話だったことが明らかになった。スモレットは「自分は黒人であり、ゲイ(スモレットは同性愛者)だ。その自分が社会の多数派の白人、それもトランプ支持者に襲撃されたというニュースが流れれば、話題となり、自分の名前は一躍有名になり、ギャラもアップするだろう」と考えたというのだ。「スモレット事件」と呼ばれているこの事件は、黒人が持つ犠牲者メンタリティを浮かび上がらせている(「成長を妨げる『犠牲者メンタリティ』」2019年2月24日)。
米国の黒人女性活動家キャンディス・オーエンスさんは、「民主党は黒人に対し、『君たちは人種差別の犠牲者だ』と洗脳し、黒人が犠牲者メンタリティから抜け出すことを妨げている」と警告している。犠牲者メンタリティは「われわれは多数派によって迫害され、虐待されてきた。全ての責任は相手側にある」という思考パターンだ。フェミニズム、ミートゥー運動もその点、同じだ。しかし、それが行き過ぎると、弱者、少数派の横暴となる一方、強者=悪者説が広がり、強者は守勢を強いられることから、社会は活力を失い、健全な社会発展にブレーキがかかる。
歴史を通じて多くの迫害を体験してきたユダヤ民族の中にも「犠牲者メンタリティ」が見られることがあるが、ユダヤ民族にはそれ以上に「神の選民」という民族の誇りが強い。その上、米国の黒人の場合のように、「君たちは犠牲者だ」と洗脳する米民主党のような政治家集団が周囲にいなかったことは幸いだった。
▲ニューヨーク・タイムズ紙の本社が入っている「ニューヨーク・タイムズ・ビルディング」(ウィキぺディアから)
どの国にも民族の誇りを高揚する建国話や神話がある。しかし、米国で展開中の「にわか歴史論争」はちょっと趣が違うのだ。米国は奴隷制を維持する目的で建国されたというのだ。この歴史観で米国の歴史は150年余り長くなるが、奴隷制と建国がリンクされることで不名誉な建国話となってしまうことから、米国内の保守派からも強い反発があるという。当然だろう。
日本では戦後、通称、自虐歴史観といわれる歴史観が学者の間で主張された。日本は戦争し、隣国の人々を抹殺してきた民族だ、というのが戦後の日本の歴史教育だった。米国の「1619年建国説」は多分、同じカテゴリーに入る一種の自虐歴史観だろう。米国の建国は奴隷制と密接な関係があるというのだ。
NYT紙が突然、米国の歴史に関心を持ち出した背景には、米ミネソタ州のミネアポリス近郊で先月25日、警察官に窒息死させられたアフリカ系米人、ジョージ・フロイドさん(46)の事件に誘発された人種差別抗議デモが行われ、多くの若者が路上デモに参加している社会現象がある。
新しい建国話は「黒人は米国の歴史では常に犠牲者だった」という話から奴隷制へと繋がってくる。それらのストーリーは今年11月に実施予定の大統領選挙と関わってくる。換言すれば、“トランプ大統領落とし”の選挙キャンペーンというわけだ。だから、そのにわか歴史論争に真摯な歴史観の再考といったことは期待できないわけだ。すなわち、奴隷制の最大の犠牲者は黒人だ。その黒人が路上で警察官によって殺害された。人種差別抗議に警察官の強権を動員させて鎮圧しようとしたトランプ氏は奴隷制堅持の建国の歴史の継承者だ、という論理展開になるわけだ。
どの時代、どの国にも奴隷が存在した。それを「奴隷」と呼ぶか、「召使い」、「しもべ(僕)」と呼ぶかはその時々、その地域の社会情勢や習慣・生活文化等で変わってくるが、支配者階級が被支配階級を強権で管理するシステムだ。弱肉強食の人類歴史ではそれゆえに強国、大国が程度の差こそあれ常に奴隷を抱えていた。
人類歴史でニューカマー、米国もその歴史を継承していたことは間違いないが、奴隷制維持のため建国されたという話は、米国に渡った清教徒たちの高尚な建国神話を、歴史の見直しという名目で破壊させるだけだ。どの民族にも誇りが必要だが、その民族の誇りを恣意的に破壊する試みからは何も生産的なものは生まれてこない。民族の誇りを失い、民族の神話を失った国はそれだけ文化的には貧しくなるだけだ。
奴隷制を考える時、「神の選民」を誇ってきたユダヤ民族の歴史を思い出す。米国の黒人を奴隷の代表のように見るのは間違っている。ユダヤ民族は歴史の中で何度も奴隷の身になっている。エジプトのパロ王のもと400年間余り奴隷だった。その後、バビロンなどに奴隷として連れていかれた。
ユダヤ民族は神の導きもあって奴隷の身から解放されていった。モーセという屈指の民族指導者が現れ、ユダヤ民族をエジプトから解放させ、ペルシャのクロス王には神のお告げが降り、ユダヤ人は奴隷の身から解放され、エルサレムに戻っていった。
米国の黒人の場合、神はエイブラハム・リンカーン大統領(1809〜65年)を通じて奴隷解放をさせ、近代ではマーティン・ルーサー・キング牧師(1929〜68年)の公民権運動を通じ、黒人の地位は向上していった。ここまではユダヤ民族と酷似しているが、黒人に「君たちは常に犠牲者だ」と植え付ける政治家たちが現れてきた。黒人を最大の支持基盤とする米民主党だ。その結果、多くの黒人は「自分たちは犠牲者だ」と信じ出した。「自分はあなたよりもっと犠牲となった」と、犠牲者争いのような状況すらみられる。米民主党は自身の支持基盤である黒人が自立し、犠牲者と考えなくなることを恐れているのだ。
米国のテレビ俳優ジャシー・スモレット(Jussie Smollett)が2人の男に襲撃され、負傷するという事件が起きたが、捜査が進むにつれて、スモレット襲撃事件は本人の作り話だったことが明らかになった。スモレットは「自分は黒人であり、ゲイ(スモレットは同性愛者)だ。その自分が社会の多数派の白人、それもトランプ支持者に襲撃されたというニュースが流れれば、話題となり、自分の名前は一躍有名になり、ギャラもアップするだろう」と考えたというのだ。「スモレット事件」と呼ばれているこの事件は、黒人が持つ犠牲者メンタリティを浮かび上がらせている(「成長を妨げる『犠牲者メンタリティ』」2019年2月24日)。
米国の黒人女性活動家キャンディス・オーエンスさんは、「民主党は黒人に対し、『君たちは人種差別の犠牲者だ』と洗脳し、黒人が犠牲者メンタリティから抜け出すことを妨げている」と警告している。犠牲者メンタリティは「われわれは多数派によって迫害され、虐待されてきた。全ての責任は相手側にある」という思考パターンだ。フェミニズム、ミートゥー運動もその点、同じだ。しかし、それが行き過ぎると、弱者、少数派の横暴となる一方、強者=悪者説が広がり、強者は守勢を強いられることから、社会は活力を失い、健全な社会発展にブレーキがかかる。
歴史を通じて多くの迫害を体験してきたユダヤ民族の中にも「犠牲者メンタリティ」が見られることがあるが、ユダヤ民族にはそれ以上に「神の選民」という民族の誇りが強い。その上、米国の黒人の場合のように、「君たちは犠牲者だ」と洗脳する米民主党のような政治家集団が周囲にいなかったことは幸いだった。