欧州では日本食の好きな人が結構多い。彼らが好む日本食といえば、やはり寿司だ。欧州では日本レストランばかりか、中国や韓国レストランでも寿司にお目にかかる。生魚は嫌いと言っていた欧州人も寿司は好き、という人が出てきた。ウィーンでは通常のスーパーでもパック入り寿司セットが売られている。寿司は欧州人の食生活に完全に定着している。

Natto_mixed
▲新型コロナ時代、見直される納豆の効果(写真・ウィキぺディアから)

 欧州人が日本の寿司に関心を注いだ最初のきっかけは、寿司がおいしいというより、「日本人は世界で最も寿命が長い国民だ。その最大の要因は魚や野菜を主食にした日本食に秘密があるらしい」ということから始まったのではないか。寿司の他に、豆腐も人気がある。日本人が食べる全ての食事は健康にいい、と考える欧州人が着実に増えてきているわけだ。

 話は中国発新型コロナウイルスに関連する。欧州で3月ごろから新型コロナウイルスが拡大し、多くの感染者、死者が出ている。感染拡大当初は欧州では韓国の新型コロナ対策に関心を注ぐ傾向があった。文在寅大統領も、「わが国は新型コロナ対策で世界の基準となった」と豪語した。オーストリアのクルツ首相はウィーンからわざわざソウルに電話をかけ、新型コロナ対策のノウハウを訊ねた、という話さえ報じられたものだ。

 しかし、ここにきて風向きが変わってきた。人口比で感染者数、死者数が圧倒的に少ない日本の新型コロナ対策について、関心が注がれ出したのだ。「新型コロナ検査数が少ない、今後急増するだろう」、「日本の感染者数は政府公表より10倍ほどの可能性がある」といった勝手な解釈をつけ、無視する傾向があった欧州メディアで「なぜ日本の新型コロナ対策は成功したのか」を探る記事が出てきたのだ。

 英日刊紙ガ―ディアン電子版(5月22日)は日本の安倍晋三政権の新型コロナ対策をこれまで批判してきたが、日本の感染者数、死者数が人口比で圧倒的に少ないという事実を挙げ、「From near disaster to success story:how Japan has tackled coronavirus」という見出しの記事を掲載していた。

 問題は、日本が成功したのは「なぜか」という肝心の質問にガ―ディアン紙もやはり答えられないことだ。その戸惑いは日本のメディアでも見られる。だから、風呂好きで、清潔好きな国民性、靴をぬいで家に入る習慣、マスクの着用に抵抗がないことなどの様々な理由が挙げられている。

 ガ―ディアン紙は「奇抜な説としては、日本人が好んで食べる納豆が新型コロナ対策に大きな効果を挙げているという。納豆には免疫力を強める栄養素が豊富に含まれている」と説明、日本人の新型コロナで死者数が少ない理由の一つとして「納豆効果説」を紹介していた。

 ところで、日本食が好きな欧州人でも過去、納豆を好んで食べる人は少なかった。ねばねばしていて、匂いも口触りも少し変わっている。見た目にもあまり良くない。その欧州人の納豆観を変えたのは中国発新型コロナ感染への予防食という意味合いが強まってきたからだろう。

 納豆は大豆を納豆菌で発酵させた食品。納豆特有の「ねばねば」は納豆菌がタンパク質を分解するとき生成される「グルタミン酸」と「フラクタン」という糖質によるものだ。

 当方はオーストリア人が作るキムチの話をコラムに書いたことがあるが、オーストリア人が作る納豆があるとは知らなかった。納豆が食べたければ、ウィーンにある唯一の「日本屋」さんに買いに出かけたが、この時期、人の込み合う店に買い出しに行けない。その時、野菜、果物などを配達してくれる店のホームページでオーストリア産バイオ納豆をみつけ、玄関前まで運んでもらえることを知った。大きな発見だった。

 オーストリア人の、オーストリア人による、オーストリア人のための「納豆」が音楽の都ウィーンにあったのだ。新型コロナの感染という異常事態がなければ多分、当方は知らずに終わっただろう。

 オーストリア製納豆は小瓶入りで4・5ユーロ(約530円)だ。辛子やしょうゆ袋はついていない。オーストリア製納豆は日本製納豆に負けないねばねばがあり、おいしい。瓶入りの納豆だから、衛生的だ。値段は少し高いかもしれないが、バイオなので健康的で味もいい。

 オーストリア製納豆は新型コロナ前から結構人気があったという。新型コロナ感染を予防するという意味合いが加わり、ここにきて需要が伸びてきた。当方が納豆を再び注文した時、バイオ納豆は売り切れていた。納豆を食べる人が着実に増えてきているのだ。

 クルツ首相は口癖のように、「新型コロナ後とその前では私たちの日常生活は変わらなければならない」と説教してきた。ポスト・コロナのオーストリア人の食卓に納豆が登場すれば、同国の食文化は新型コロナ前より豊かになるだろう。納豆が欧州で市民権を得るのはもはや時間の問題だ。