ウィーンに本部を置く国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長(72)が死去したことが22日、IAEA広報部から公表された。天野氏の家族によれば、同氏は18日、死去したが、家族の願いで公表は22日になったという。死因については公表されていない。天野氏の冥福を祈る。
▲核エネルギーの平和利用促進を担う国際原子力機関(IAEA)本部
ところで、22日付のコラムでは天野氏のIAEA事務局長としての10年間の歩みを振り返った。ここでは天野氏が生前、事務局長として心にかけておられた核関連の機密情報の保全問題について改めてまとめた。
天野氏は、前任者エジプト人のモハメド・エルバラダイ氏とは機密情報の取り扱いで大きく違っていた。3期、12年間、事務局長を務めたエルバラダイ氏(任期1997〜2009年)は北朝鮮やイランの核関連情報をメディアなどに流した、というより、核関連情報を恣意的に部外に漏らすことが多かった。彼がメディアの人気者となり、北問題が激化した時、同氏は連日、CNNなどの欧米メディアのインタビューに応じていた。特に、CNNの常連パートナーだった。
メディアで顔を売ったエルバラダイ氏は最終的にはノーベル平和賞の受賞という成果を勝ち得たが、肝心の北の核問題では何の進展ももたらせなかった。北朝鮮はエルバラダイ事務局長時代に最初の核実験をした。
エルバラダイ氏は2005年、ノーベル平和賞を受賞した直後、北の核問題を解決するために、平壌まで飛び、故金正日総書記と首脳会談を開き、そこで国際社会に向かって北の核問題の解決をアピールする計画だったが、北はエルバラダイ氏を交渉相手とはせず、寒い待合室で長時間待たせたうえ、金正日総書記は顔を出さず、外務省高官相手の会談で終わらせている。
特別査察の考案者で、それを北側に要求したエルバラダイ氏を北が嫌っていたこともあって、エルバラダイ氏とは核問題を話す考えはなかったが、エルバラダイ氏はノーベル平和賞受賞者という看板があれば、金正日総書記と会談し、核問題の解決の合意が実現できると軽く考えていた節がある。
そのエルバラダイ氏から事務局長ポストを継承した天野氏は2009年12月に就任すると核関連情報の保全問題に力を入れ、高官や職員に対しては機密情報の取り扱いについて厳重注意をしてきた。
当方は、天野氏にどの国が事務局長選で反対から棄権に回ったのかを直接、質問したことがある。反対から棄権に回った国があったから、天野氏は2009年の事務局長選で有効票の3分の2を獲得し、晴れて日本人初の事務局長に当選したのだ。当方は、「どの国が」に土壇場で天野支持に回ったかに強い関心があった。
天野氏は驚くような表情をして、「そのような質問には答えられない」と述べて、去っていった。当然だろう。天野氏は核関連情報や外交機密に対してはエルバラダイ氏の数倍、厳格な事務局長だった。
天野氏が事務局長就任早々機密情報保全に力を入れたのは、天野氏が日本人事務局長だったからだ。IAEAでは日本人は直ぐに情報を漏らす、という有り難くないイメージを持って受け取られてきたためだ。以下、その理由を簡単に説明する。
エルバラダイ氏の前の事務局長で16年間、IAEAのトップだったハンス・ブリックス事務局長(元スウェーデン外相)時代、ソ連でチェルノブイリ原発事故が1986年発生したが、ソ連政府が事故後、その調査報告書をIAEAに通達した。ブリックス事務局長(任期1981〜97年)は記者会見でその内容を発表する考えだったが、数日前、日本の朝日新聞がその全容を掲載した。日本の新聞にソ連の事故報告書内容がリークされたことを知ったブリックス氏は怒り心頭、リーク源の広報部長(当時)だった日本人部長を即解雇する考えだったが、事の鎮静化に乗り出した日本外務省の要請もあって同広報部長をジュネーブの国連に左遷することで妥協した。それ以後、IAEAでは日本人職員の評価はよくなくなったわけだ。
朝日新聞のウィーン特派員(当時)は日本人の広報部長からソ連政府の事故調査報告書のコピーを手に入れたのだ。
当方は後日、同広報部長と会い、その経緯を聞いた。朝日新関の世紀のスクープは、IAEA広報部長のデスクの上にあった報告書を盗んだことだ。特派員はそのコピーを東京本社にファックスで送り、待機していたロシア語教授たちに翻訳させ、翌日の朝刊にその概要を掲載した。
そのような歴史があったから、天野氏は殊更機密保全には気を使ったわけだ。
ちなみに、IAEAには欧米露・中国の情報機関出身者が紛れ込んでいる。彼らは事務局長の動向から核検証に関連する情報などを入手している。イランの核査察を担当していた査察局トップが突然、辞任し、早期退職というニュースが流れた。米国がIAEAの査察局高官のセクハラ情報をメディアにリークしたからだ。天野氏はショックを受ける一方、同高官を即辞任させて、幕を閉じている。天野氏がいかに機密情報の保全を呼び掛けても、IAEAでは常に機密情報が様々な方面でリークされているのが現実だ。
なお、IAEA広報部で天野氏のスポークスマンは元ロイター通信記者だ。天野氏の早期辞任情報とその後の関連情報でロイター通信が先駆けて報じたのも偶然ではないだろう。そのロイター通信によると、天野氏の後継者選出で2、3の候補者の名前が既に挙げられているという。
▲核エネルギーの平和利用促進を担う国際原子力機関(IAEA)本部
ところで、22日付のコラムでは天野氏のIAEA事務局長としての10年間の歩みを振り返った。ここでは天野氏が生前、事務局長として心にかけておられた核関連の機密情報の保全問題について改めてまとめた。
天野氏は、前任者エジプト人のモハメド・エルバラダイ氏とは機密情報の取り扱いで大きく違っていた。3期、12年間、事務局長を務めたエルバラダイ氏(任期1997〜2009年)は北朝鮮やイランの核関連情報をメディアなどに流した、というより、核関連情報を恣意的に部外に漏らすことが多かった。彼がメディアの人気者となり、北問題が激化した時、同氏は連日、CNNなどの欧米メディアのインタビューに応じていた。特に、CNNの常連パートナーだった。
メディアで顔を売ったエルバラダイ氏は最終的にはノーベル平和賞の受賞という成果を勝ち得たが、肝心の北の核問題では何の進展ももたらせなかった。北朝鮮はエルバラダイ事務局長時代に最初の核実験をした。
エルバラダイ氏は2005年、ノーベル平和賞を受賞した直後、北の核問題を解決するために、平壌まで飛び、故金正日総書記と首脳会談を開き、そこで国際社会に向かって北の核問題の解決をアピールする計画だったが、北はエルバラダイ氏を交渉相手とはせず、寒い待合室で長時間待たせたうえ、金正日総書記は顔を出さず、外務省高官相手の会談で終わらせている。
特別査察の考案者で、それを北側に要求したエルバラダイ氏を北が嫌っていたこともあって、エルバラダイ氏とは核問題を話す考えはなかったが、エルバラダイ氏はノーベル平和賞受賞者という看板があれば、金正日総書記と会談し、核問題の解決の合意が実現できると軽く考えていた節がある。
そのエルバラダイ氏から事務局長ポストを継承した天野氏は2009年12月に就任すると核関連情報の保全問題に力を入れ、高官や職員に対しては機密情報の取り扱いについて厳重注意をしてきた。
当方は、天野氏にどの国が事務局長選で反対から棄権に回ったのかを直接、質問したことがある。反対から棄権に回った国があったから、天野氏は2009年の事務局長選で有効票の3分の2を獲得し、晴れて日本人初の事務局長に当選したのだ。当方は、「どの国が」に土壇場で天野支持に回ったかに強い関心があった。
天野氏は驚くような表情をして、「そのような質問には答えられない」と述べて、去っていった。当然だろう。天野氏は核関連情報や外交機密に対してはエルバラダイ氏の数倍、厳格な事務局長だった。
天野氏が事務局長就任早々機密情報保全に力を入れたのは、天野氏が日本人事務局長だったからだ。IAEAでは日本人は直ぐに情報を漏らす、という有り難くないイメージを持って受け取られてきたためだ。以下、その理由を簡単に説明する。
エルバラダイ氏の前の事務局長で16年間、IAEAのトップだったハンス・ブリックス事務局長(元スウェーデン外相)時代、ソ連でチェルノブイリ原発事故が1986年発生したが、ソ連政府が事故後、その調査報告書をIAEAに通達した。ブリックス事務局長(任期1981〜97年)は記者会見でその内容を発表する考えだったが、数日前、日本の朝日新聞がその全容を掲載した。日本の新聞にソ連の事故報告書内容がリークされたことを知ったブリックス氏は怒り心頭、リーク源の広報部長(当時)だった日本人部長を即解雇する考えだったが、事の鎮静化に乗り出した日本外務省の要請もあって同広報部長をジュネーブの国連に左遷することで妥協した。それ以後、IAEAでは日本人職員の評価はよくなくなったわけだ。
朝日新聞のウィーン特派員(当時)は日本人の広報部長からソ連政府の事故調査報告書のコピーを手に入れたのだ。
当方は後日、同広報部長と会い、その経緯を聞いた。朝日新関の世紀のスクープは、IAEA広報部長のデスクの上にあった報告書を盗んだことだ。特派員はそのコピーを東京本社にファックスで送り、待機していたロシア語教授たちに翻訳させ、翌日の朝刊にその概要を掲載した。
そのような歴史があったから、天野氏は殊更機密保全には気を使ったわけだ。
ちなみに、IAEAには欧米露・中国の情報機関出身者が紛れ込んでいる。彼らは事務局長の動向から核検証に関連する情報などを入手している。イランの核査察を担当していた査察局トップが突然、辞任し、早期退職というニュースが流れた。米国がIAEAの査察局高官のセクハラ情報をメディアにリークしたからだ。天野氏はショックを受ける一方、同高官を即辞任させて、幕を閉じている。天野氏がいかに機密情報の保全を呼び掛けても、IAEAでは常に機密情報が様々な方面でリークされているのが現実だ。
なお、IAEA広報部で天野氏のスポークスマンは元ロイター通信記者だ。天野氏の早期辞任情報とその後の関連情報でロイター通信が先駆けて報じたのも偶然ではないだろう。そのロイター通信によると、天野氏の後継者選出で2、3の候補者の名前が既に挙げられているという。